22-衆-社会労働委員会-34号 昭和30年07月05日~


昭和三十年七月五日(火曜日)
    午前十時三十九分開議
 出席委員
   委員長 中村三之丞君
   理事 大石 武一君 理事 中川 俊思君
   理事 松岡 松平君 理事 大橋 武夫君
   理事 山下 春江君 理事 山花 秀雄君
   理事 吉川 兼光君
      植村 武一君    臼井 莊一君
      小川 半次君    亀山 孝一君
      小島 徹三君    床次 徳二君
      山本 利壽君    横井 太郎君
      亘  四郎君    加藤鐐五郎君
      小林  郁君    中山 マサ君
      野澤 清人君    八田 貞義君
      岡本 隆一君    滝井 義高君
      中村 英男君    長谷川 保君
      福田 昌子君    横錢 重吉君
      受田 新吉君    神田 大作君
      山口シヅエ君    中原 健次君
 出席政府委員
        厚 生 技 官
        (医務局長)  曾田 長宗君
        厚生事務官
        (医務局次長) 高田 浩運君
 委員外の出席者
        参  考  人
        (全日本鍼灸按マッサージ師会会長)小守 良勝君
        参  考  人
        (日本鍼灸師会会長)花田  伝君
        参  考  人
        (東京大学名誉教授)三沢 敬義君
        参  考  人
        (国立箱根療養所所長慶応義塾大学教授)岩原 寅猪君
        参  考  人
        (全国療術協同組合緊急法制対策部長)黒田保次郎君
        参  考  人
        (日本手技療術師会理事長)松原 秀雄君
        専  門  員 川井 章知君
        専  門  員 引地亮太郎君
        専  門  員 浜口金一郎君
    ―――――――――――――
 医業類似行為に関する問題
    ―――――――――――――

○中村委員長
 これより会議を開きます。
 まず理事の補欠選任についてお諮りいたします。去る六月二十九日理事の山花秀雄君が一たん委員を辞任せられたのに伴い理事に欠員を生じましたので、その補欠選任を行いたいと存じますが、再び委員に選任されました山花秀雄君を理事に指名するに御異議ございませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

○中村委員長
 御異議なしと認め、そのように決します。
    ―――――――――――――

○中村委員長
 次に、医業類似行為に関する問題について調査を進めます。
 この際参考人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。
 本日はお忙しいところを御出席下さりまして、まことにありがとう存じます。何とぞ忌憚なき御意見をお述べ下さいますようお願いいたします。
 なお、議事の整理上意見をお述べ願う時間は、お一人おおむね十五分程度といたし、その後委員よりの質問にお答えを願いたいと存じます。
また三沢参考人と岩原参考人(国立箱根療養所所長慶応義塾大学教授)には、最初意見をお述べいただかないので、後ほど委員よりの質問にお答えを願いたいと存じます。
 それではまず小守参考人(全日本鍼灸按マッサージ師会会長)よりお願いをいたします。小守参考人(全日本鍼灸按マッサージ師会会長)。

○小守参考人(全日本鍼灸按マッサージ師会会長)
 私どもは、あんま、はり、きゅうの団体の者でありまして、御承知の通り私どもの団体には盲人――私も盲人の一人でありますが、盲人が七五%おるのであります。
従って、お国では身体障害者福祉法が出てはおりますけれども、徳川時代から今日まで、日本の盲人があんま、はり、きゅう、マッサージを業といたしまして、今日生計を営み、場合によっては、堂々と税金まで納めさせていただいているのであります。

 この盲人の定職ともいうべきあんま、はり、きゅうは、特に御存じの通り、明治時代から、われわれ盲人においては師法取締令で試験があり、免許制があったのであります。
ところが、はなはだ申しにくいのでありますが、昭和の時代から、俗称療術という方々が、試験もなく、免許もなく、ただ個人に一週間か十日教わって、警察に届けて、そのまま今日まで営業を営んでいらっしゃる、この点において、まことに不合理であるということは、絶えずわれわれ業者が口にしているところであります。

 先ほど申し上げた通り、お国で盲人にいろいろ保護をいただいておりますけれども、唯一の職業はあんま、はり、きゅう以外に、今日まだないのであります。
その盲人においても、学校を出なければいけない、免許を取らなければ営業ができないということになっておりまして、昭和二十二年のあの問題のときにも、われわれ盲人は中央にはせ参じまして、皆様にいろいろお願い申し上げまして、あんま、はり、きゅう、柔道整復等法律第二百十七号を設けさせていただいたのでありまして、われわれは、あのときから身分法を確保しているので、その後年々歳歳、いろいろ講習研究等を重ねて参り、今日では元の盲人業者と違って、相当レベルを上げて治療にいそしんでいるのであります。

 なお、われわれ業界人は、この法律が出てから今日まで、今申し上げた通り、いろいろな点でレベルを上げてきておりまして、昔、学校にはいれなかった盲人は、今日盲学校がありまして、相当の期間を経、いわゆる義務教育を終えて、それからこのあんま、はり、きゅうの学校に進んでいくことになっておりますので、今日の場合は、昔と違って、みな教育も十分であり、また盲学校において職業教育として五カ年の間にあんま、はり、きゅう、マッサージ等をおさめて、そうして国の試験を受けて、今日堂々と生活をさせていただいているのであります。
 こういう点から考えますと、先ほど申し上げた療術行為者、これはいろいろな器具機械、また私どものマッサージ、あんまの手の一部を使って、俗に指圧と称して営業を営んでおいでになる。
指圧というのは、単に手で押す。これは御存じの通り、指を患者の体部に当てて押すから、指圧でありまして、私どものあんま、マッサージの手の一種であります。
あんまにおきましても、マッサージにおきましても、その手の種類は十数種類あるのであります。
その中の一種であります。
それをわれわれが学校において教育を受けるとき、また教育するときに、われわれの方ではそれを圧迫法と称しております。
これにも指先で押す手指圧迫と、親指で押す母指圧迫と腕で押す腕部圧迫等があるのでありますが、いわゆる指圧を加える圧迫法を教えられるときには、こういう名称を私どもは教えられ、また自分たちも教えて今日まで参っているのであります。
その手技の一部を皆さんがおとりになって、指圧と称して、先ほど申し上げた通り国民の皆様に治療している。
これは私どもの手の一種であるから、差しつかえないと申しますが、先ほど申し上げた通り基礎医学もなければ、何らこの技能の理論、実際等をおさめていらっしゃらないので、私どもはそれを疑問に思うのであります。

 そこで、現行法規では、昭和三十年までこの医業類似行為者を認めると書いてありますので、昭和三十年で打ち切っていただきたい。
必ず法律通りにしていただきたい。
さすれば、われわれは決してお国に対し文句を言える性質のものではないのであります。
伺うところによりますと、療術の行為者、いわゆる医業類似者が、いろいろな手をもって政府に、あるいは国会に、ご自分たちの業を認めていただくべく単行法なり、あるいは法律第二百十七号の中に療術という文字を入れてもらいたいとか、ありとあらゆる運動をなさっていらっしゃるのであります。
これはもちろんと存じますが、私どもは、ここに法律ができ、あるいは二百十七号に療術という文字を入れて、そのままそういう方々、現に一万二千九百何十人と思いますが、その方々が、もろに既得権者となって入るということは、私ども、病的ではないのであります。
ただ国民の立場から、いかにも危険性があるのではないかと考えまして、われわれはそういう法律を出していただきたくない。
また法律二百十七号のように、指圧とかあるいは療術という名称を加えていただきたくないというのが私どものお願いなのであります。

 要するに、私どもは、あの人々に対して、学校を出て十分研究し、国の試験を受けてその業にいそしんでいただいたならば、あえて文句を言う必要はないのであります。
ところが療術という名称は、おのおの勝手につけた名前でありまして、場合によっては、手技とかあるいは技術とか、いろいろな名称をつけておりますが、療術というのは、だれ言うとなく勝手にでき上った問題で、医師並びにあんま、はり、きゅう、柔道整復以外に、治療行為をなす者は、何ら法律的にはないのであります。
それをまた単行法なり、療術という名称を加えて医師並びにあんま、はり、きゅう、柔道整復以外に、また一種の治療行為を設けるということは、文化国家を建設するわれわれ国民として、こういうことはふさわしくないと考えられるのであります。
御存じの通り、あの二十二年にこの治療を禁止しようとされたアメリカにおいて、アメリカの盲学校では、現在あんま、マッサージ等を盲人に教育しょうというので、厚生省、いわゆる東京の国立光明寮に講師の要請方等もあり、あるいはドイツの一盲人が日本へ来て、あんま、マッサージ等を修得して、その免許を取ってドイツで堂々と開業したり、あるいはフランスにおいても、英国においても、今日盲人が日本の盲人の特技であるところのあんま、はり、きゅうを十分自分の国に取り入れて、盲人の自活のもとにしようという研究さえ進んでいる時代であります。

 そこで、私どもは、繰り返して申し上げますと、とにかくそういう治療をなさる方は、要するにそれに類似した学校を出て、国の試験を受けて堂々と免許を持って開業していただきたい。
さすれば、私どもはいかに向う三軒両隣にできましても、あえて何ら抗議を申し上げる必要はないのであります。
どうぞ国務御多端の議員の皆様、政府のお役人の皆様、このわれわれのことについて今日まで長い間御苦労いただきましたが、すでにここで解決する時期であります。
この昭和三十年をもってあの人々を打ち切っていただきたい、それが私どもの念願であります。
決して病的にこれを言うのではなくて、国民の立場において、また業者の立場において、いやしくも医療に携わる者は、国の試験を受けて免許を持って堂々とやっていただきたいというのが、私どもの言い分であります。
これ以外に何も申し上げる必要はないのであります。この一義によって、先生方には御迷惑御苦労と存じますが、私どもの言い分を今日まで唱えて参ったのであります。

 先ごろ松岡先生をおたずねしたときに、君たちは指圧をそういうふうに言うが、では指圧とあんまとマッサージとどういうふうに違うのであるかというような御意見がありましたので、早速私は手をもって、あんまはこういう方法である、マッサージはこういう手技である、指圧はあんま、マッサージの手の一種をもってあなた方のからだにこういうふうにしてやるのが指圧だと申し上げたのであります。
御存じの通り、先ほど申したあんま、マッサージの手の種類も、十数種類ありますが、たとえばさする点におきましても軽くさする、中等度にさする、重くさする。
あるいはもむにおいても、たたくにおいても、それぞれそういう手技がある。たまたま医者の命令なり何なりによりまして、健康体ばかりではありませんで、疾病の方々がいらっしゃる。そういう場合には、その疾病の状況によりまして、これはさすってばかりいなければいけないのである、あるいはこれは関節が硬直して古いのであるから、そこをもんで運動して、その関節を柔ならしめるというようないろいろ手があります。
指圧は、ただ指頭をもって押すだけであります関係上――もちろん力の軽重はございますが、手技の一種であるので、あらゆる病気にこれがきくということはでき得ないのであります。
その点で、あんま、マッサージの中では、いろいろな器具、器械を扱うということは、西洋の書物にもある通り、その権威を害するといってとめられている関係上、私どもはり師、きゅう師、あんま師、マッサージ師は、それぞれ必要な器具は使いますが、それ以上の器具は、いかにこれをやれば効果があるにしましても、一応医師の方からとめられておりますので、そういう器具は使っておりません。
しかるに、療術者はとめられておりません関係上、あるいはビンの中にお湯を入れてこするとか、あるいは石を温めてお腹の上に載せるとか、あるいは脊椎矯正法と称していろいろな器具器械を扱っていますけれども、私ども業者には、大体においてそういうものは使う必要がない、また使う場合には、医師の方の同意を受けなければならないというので、使っておりません。
そういうふうに医師の同意を受けたり何かする必要のないのが療術者でありまして、ありとあらゆる器具を使って、要するに一億国民の疾病に対して、欺禰でもないでしょうけれども、一応何らかの方便によってこれを使って、患者の歓心を買うというようなことも多々あると私は思うのであります。
その点、いろいろ考えまして、今日陳情いたしました内容をごらんいただくとおわかりと存じますが、私どもは、要するにあの人々は学校を出て、試験を受けて、免許によって堂々と開業し、生活していただきたいということが念願であります。もちろん、その学校はない関係上、はりの学校、きゅうの学校、あんまの学校、マッサージの学校等にお入りになって御研究願ったならば、堂々と国の試験を受けられ、免許が取れて、開業がおできになると思うのであります。
その一義だけでございます。

 国会議員の皆様、いろいろ御多忙のときに、われわれあんま、はり、きゅう師のために、かく参考人としてお呼びいただき、われわれあんま、はり、きゅう師として実に名誉であります。
さらに政府のお役人も、このことに対し、昭和二十二年以来今日まで御苦労いただきましたことを厚く感謝いたします。
どうぞこの際において、われわれが申し上げる通り、昭和三十年で医業類似者は一応オミットしていただきたい。
けれども、そのほかに先生方がお考えになることについて、私ども御相談を受ければ、その御相談によって、何らかの方法もとられるときもございますと存じますが、目下の場合は、一応昭和三十年でこれを法律通りにしていただきたいというのが、われわれ業者十万の言い分でございます。
何とぞよろしくお願い申し上げます。

 なお、いろいろ申し上げたいと存じますが、後ほど御質問等いただきましたならば、一々お答え申し上げたいと存じます。

○中村委員長
 花田参考人(日本鍼灸師会会長)。

○花田参考人(日本鍼灸師会会長)
 私は、主としてあんま、はり、きゅう師会の代表でございますが、本日は私どものために所信を述べさせていただきます機会を与えていただきましたことを、大へんありがたく感謝いたします。

 私どもは、法律に定められた通りに、三十年十二月三十一日に医業類似行為は一応禁止するということが明記されているので、その法律通りにやっていただきたいというのが、私どもの主張であります。
従って、なぜこの法律を改正しなければならないか、そういう考えは毛頭私どもは持っておりませんでした。
私どもは、国が作った法律は、必要によって作られた法律であるから、この通りに実行されるものと期待しておりましたが、その間国の変遷あるいはいろいろなものの考え方から、この法律が現在には妥当でないから何か変更しなければならぬというような空気がありまして、また一方、この法律によって三十年で禁止される医業類似行為の方々の運動も、あずかって力があったのでしょうが、この法律を何らかの形において変更しようというような空気が最近に起ったのであります。
従って私どもは、法律通りにやっていただきたいと言っている以上、この法律を変更しなければならないという方々が、なぜ法律の変更を求められるかという理由を聞きたいというのが私どもの念願で、私どもとしては、この法律を積極的に変更するという意思は全然なかったのであります。

 そこで、具体的には、今申されたように、絶対に昭和三十年十二月三十一日禁止通りにしていただきたいと思ったのでありますが、その後の情勢によりまして、何らかの形において医業類似行為の中のよいものは残す、またいけないものは国家保健衛生の見地からやめるということが企てられまして、当局におきまして相当長い間研究調査が進められて、その結果これは残すべきであるという結論を、最近に至りまして政府原案として私どもは拝見いたしました。
この案を見ますと、今まで盛んに世間に行われておりましたところの指圧業者は、これをあんまとして認めて、あんまの中に入れるということになっているようでありますが、私どもはこれはけっこうであります。
われわれ業者の人方は、口を開けば、指圧はあんまの一種である、異名同種であると言われている通りであり生して、あんまの中にはいろいろな手技がありますが、その手技の一つであることには間違いがないのであります。
従って、これをあんまの中に入れるということは、私どもはいなむわけにいかないのであります。
別にこれを認めるということになりますと、五つある六つある、あるいは七つある手技を、ことごとく将来は認めなければならぬ。
しかもその手技は、相関連して、これを一つずつ利用するというわけにはいかないのであります。
お医者さんが薬を盛り注射をさす、ある場合にはメスをふるう、それと同じように、ある場合にはなで、ある場合にはたたき、押し、引き、もむというようなことが総合されましてあんま、はり、きゅう術なりマッサージ術がなされるのであります。
このことの中の押すことだけの特徴を持たれたといたしましても、同じ人間のからだの中には、肩を押す場合があり、腰はなでる場合があり、あるいは顔はさする場合があり、頭はたたく場合があるに違いないのであります。
これらことごとくを修得してやるということによって、万全なる治療が施されると私どもは考えております。
しかるがゆえに、私どもはこれを分けるという考え方は、初まりから間違っている、まことにこれは同じようなものであるために、これを分けようという考えが間違いで、もともとこれは一緒にやるべきであると思う。

 ただし、ここに問題は、あんまという字があって、これは先年二十二年に時の厚生大臣一松さんからあんまの講釈を聞きまして、非常にいい字であるというお説教を聞きました。
しかし、どうも社会一般の通念は、あんまさんといわれると侮辱的な感じを受ける、これはいなめない事実であります。
従って、この名前がいけないということならば、当事者が寄って皆で考えればいいじゃないかということで、私どもは政府原案によりまして、これをあんまに包含するということには賛成をいたしました。
今もその通り考え方であります。

 それから、療術の方々のその後の運動を見ますと、いわゆる右はあんまに類する指圧療法から、左は光線療法の方々が一緒になって、別途に療術師という名前のもとに許していただきたいという猛運動になっている。
これは私どもは、まことにけっこうなようであって、実はまことに矛盾があると考えております。
なぜかというに、政府でも示しているように、療術というのは、私ども、あんま、はり、きゅう、柔道整復、いろいろ医療に関することをやっておるものは、みな療術なのであります。
しかるがゆえに、療術という文字をそこに用いられるならば、進んであんま、はり、きゅう、柔道整復というようなものまでも包含して、療術という名前のもとに一本にされるなら納得がいきますけれども、一方には療術の中にあんまに似た指圧、マッサージ術があり、一方には医療にほとんどすれすれの、電気、光線の術があり、これらを一つにしてしまうと言われるなら、マッサージ、あんまというのは、これはどういうことになるか。
しかも、今申しますように、マッサージと指圧とは、非常に分けにくい。
頂点と頂点とを比べると相当違っていましょう。
名人と名人を連れて来て技術を争わせるならば、指圧の技術とマッサージの技術は、はっきり分かれましょう。
しかし、多数の人々は、まことにこれはこんとんとしております。
あるときはあんまのごとくになり、あるときは指圧のごとくになり、あるときはマッサージのごとくになるのであります。
しかるがゆえに、これを分けるという考え方がむずかしい。
これもそれだけに分けるならいいけれども、これを療術という名前のもとに別途に今の電気、光線までひっくるめて分けようという考え方は、私から言わせるならば、むしろ暴挙に近いと考えます。
そして、この分け方をせずに、むしろ私は手、足、それらをもってやる療術という一つの治療法、あるいは器械器具を用いて扱う治療法、こういうふうに、同じ分けられるなら、合理的に分けていただくなら納得がいきます。
そういうふうなら、分けられないことはない。
けれども、これは今申しますように、指圧と電気、光線を一緒にするということは、今のような理由で私は絶対に反対をいたします。

 しからば、電気、光線あるいは今のあんま、マッサージに似た指圧など、なくてもいいかと申しますと、そうは私どもは申しません。
現在あんまに似ている指圧のごときは、今度はあんまに取り入れられるというなら、けっこうなことだと考えております。
将来も、術が発展すれば、ちょうど医科における内科ができ、外科ができ、耳鼻科ができ、またその内科の中にいろいろ胃腸病科とか腎臓科という科ができると同じように、盛んにそういうものができることは、一つの発展ですから、まことにけっこうなことだと考えますが、今の電気、光線というものは全然別なものであります。
それらは、むしろ私どもは、将来お医者さんの指導監督のもとに、今お医者さんから野放しになっているわれわれ療術行為者が、ほんとうにお医者さんの補助になるような制度を考えたときに、この電気、光線もこのときに考えていただきたい、かように考えております。

 私どもは、マッサージにしろ、あるいはあんまにしろ、あるいははり、きゅうにしろ、電気にしろ、これを個人で用いると大へん誤まりがあるというようなことを、盛んにお医者さんの方から聞くのであります。
これはもっともかもしれません。
私どもには、法律によって診断権が認められておらない。
しかるがゆえに、私どもは一応私どもなりの診断をやります。
そうしてその上にはりなりきゅうなりを用いますが、これは現在の医療の進歩した今日からいうならば、正しく診断したものに、なおこれがはりの適応症であり、もしくはマッサージの適応症であり、あるいは電気の適応症であるということを知ってやるならば、害が少い。
受ける方でも安心して受けられるということになるだろう、かように考えます。
その意味におきましても、お医者さんは千手観音でありませんので、右に注射をやり、こっちで薬をやり、こっちでマッサージをやって、こっちで電気をかけるということは、おそらくできますまい。
それで、どうしてもこういうものに補助者が要る。
その補助者には、マッサージもやれば電気もできる、場合によってはきゅうもやり得れば、はりも打てるというような人が最もふさわしいのではないか、こういうふうに考えます。

 こういう観点から、こういう際に、日本における医業類似行為全体の考え方を、医療を通しての考え方までに一つ持っていってもらいたい。
直ちにこれを持っていくことには、現在の業者とその間のいろいろな経過について、非常な困難がありましょうが、根本的には医者以外の医療行為者は医者の補助者として使い得るような制度を作っていただいたならば、これはもっと国民の保健衛生に有効に作用するのではないかと私どもは考えます。

 その意味におきまして、政府から今出されておる案を、私どもは二、三日前に拝見いたしましたが、この案につきまして賛成しております。
この案で一つ皆さん方も進んでいただくということにつきまして、一向私どもは不賛成はありません。
ただ、経過措置としまして、現在の療術の方々を救うとか、あるいは電気、光線をどうするとかいう点につきましては、今申し上げたような大きな態度から、一つ国民の医療の面から、直ちに医者に結びつく医療補助者というような制度を考えていただいて、この際電気を救っていただき、あるいはマッサージをこの中に包含される、はり、きゅうもやらせ得るというような方法にしていただきたい、かように考えます。

 そのほかのこまかいことにつきましてはいずれ御質問がございましたら答えるといたしますが、大体大局的な私どもの根本方針だけをお話し申し上げまして、御参考に供する次第であります。

○中村委員長
 これにて参考人よりの意見の陳述は終りました。

 質疑の通告があります。
順次これを許します。
通告者は八人ございます。
午後二時にはまた参考人の陳述がございますので、どうぞ、時間を一つそういうお考えでよろしくお願いいたします。
なお、三沢、岩原両参考人は、午前、午後にわたって御陳述をお願いいたしたのでございますが、御両氏とも、御都合によって午前中だけしか出席できないとのことでございますから、この点御了承を願っておきます。

○岡本委員
 せっかくお忙しい中を三沢先生、岩原先生に来ていただいておるのでありますが、私たちが両先生方に期待しておることは、いわゆる療術というものと、あんま、あるいはマッサージというものの間に相違点があるかないか。
私たちは、ごく大ざっぱな考え方でありますけれども、あんまとマッサージ及び指圧療法というふうなものは、大同小異のものではないか、こういうふうな考え方を持っておるのでございます。
しかしながら、先生方はそういう問題について、どういうふうなお考えを持っていらっしゃるかということを、この機会に概括的にお話しおきを願いまして、そうしてそれに従って、また私たちがお尋ねしていくというふうにしていった方がうまく論議が進んでいくのではないか、こういうふうに思うのでございますが、いかがでしょう。
そういう動議を提出いたします。

○中村委員長
 ただいま動議が出ましたが、最初に申し上げましたように、御質問によって両先生の意見を伺うということにしたらいかがでございましょうか。

○岡本委員
 異議はございませんが、しかし、おそらく質問の中心は、そういうところになるだろうと思います。
だから、そういう問題については、先にお話しおき願って、それから後に質問していった方がいいと私は思うのです。
これが共通した趣旨だろうと思います。

○中村委員長
 ちょっと、両参考人お述べ下さいますか。
 それでは三沢参考人。

○三沢参考人(東京大学名誉教授)
 御指名によりまして、御返答申し上げたいと存じます。
私は、もともと医者でありますが、医学というと、大体ドイツ医学になる。
最近は、アメリカ医学等いろいろありますが、大体において医学というのは同じであります。
私の専門は物療内科、物理療法でありまして、ちょうどマッサージあるいは光線療法、温熱療法、刺激療法というものをやっておるのであります。
われわれの見地から申しますと、あんまと申しますのは、日本のマッサージのことであり、そしてこのマッサージは現在もちろん医学的なマッサージと同じだと存じます。
指圧と申しますのは、私実際にやったこともありませんし、見たこともありませんから、どういうものか存じませんが、マッサージの中に圧迫法というものがありまして、先ほど小守参考人(全日本鍼灸按マッサージ師会会長)から申し上げましたように、マッサージの一種と見ることができるのであります。
もちろん指圧というものは、これまた圧迫法がいろいろと発達いたしまして、いろいろな手技があると存じますが、まあ概括してマッサージの一部類、一部分と見ることができると思うのであります。

 それからまた、光線療法は、全くわれわれのやっておる物理療法の一つであります。
光線療法は、日本においても現在われわれ医学に携わっておる者が実際やっておりますが、これは外国、ことに北ヨーロッパ地方においては、太陽の光線が欠乏しておりますために、これが非常によく、広く発達しておるのであります。
われわれも、外国に留学をいたしまして、光線療法を持ってきてやっておりますが、日本では夏になりますと太陽が熱過ぎて、なかなか患者が光線療法を喜ばぬというようなこともありまして、そういう理由で、日本では割合に光線療法が発達しなかったのじゃないかと思うのであります。
もちろんわれわれも、紫外線でありますとか赤外線、いろいろな光線療法を用いておりますが、外国はもっとも盛んに用いておる。
現在この医業類似行為者のやっておりますのは、その一部分であると思うのでありますから、概括してこれらはわれわれのやっております物理療法の一つであると思うのであります。

 これは、ある病気に際しまして、その適応症がありますから、ちょうどそれがきく適応症でありますと、やればきくことは間違いないのであります。
医者というものは、もちろん診断を確定いたしまして、適応症であるものに使うのであります。
われわれ医者は、内科、外科あるいは婦人科、小児科、いろいろありますが、その病気の診断をいたしまして必要でありまするものには投薬、すなわち薬物療法をいたします。
薬物療法でなおらぬものには、もちろん外科的の療法をやる、あるいは整形外科的の療法をやるのであります。
しかしながら、この内科的の療法あるいは外科的の療法で、なかなかなおらぬ病気が非常に多いのであります。
今日の医学におきましても、なかなかなおらぬ病気が多いのであります。
最近に至りまして、抗生物質あるいは化学療法剤が非常に発達いたしまして、なおる病気が相当増して参りましたとは申しながら、なかなかなおらぬところの慢性疾患、ことにリューマチでありますとか神経痛、あるいは神経系統の疾患は、なかなか治癒しがたいのであります。
こういうのに、われわれがやはり大学におきましても物理療法をやるのであります。
これには、もちろんわれわれが電気療法、水治療法、あるいは温泉療法でありますとか、光線療法、マッサージ器械療法、いろいろの療法をやります。
それをわれわれが適当に選択し、あるいはその二つ三つの療法を併用して、そして初めて若干の効果を認め得るものでありますから、もちろんこういう医業類似行為者のやっておりますのは、大体において似たもの――中には、われわれの医学的見地から相当離れておるようなものもありますが、その一つの行為であると思うのであります。
従って、ほんとうの医療ということから申しますと、なかなか一つではなおらぬと思うのであります。

 これはちょっと御質問の趣意から離れますが、われわれ医学に携わっておる者から言わせますと、やはり少くともマッサージは必要であり、そしてそういう方々がマッサージあるいは光線療法もでき、あるいは温熱療法もできるというように、そういうのを幾つかやらぬといかぬのであります。
われわれの希望といたしましては、先ほどからお話がありますように、医者の物理療法の補助の技術者といたしましては、その一部分といたしましてマッサージもでき指圧もできる、そして光線療法、温熱療法あるいは水治療法、こういうものすべてができないといかぬと思うのであります。
これは御質問の趣意から離れますが、でき得ればこういうものを、一定の基礎教育、生理とか解剖を十分にやった上におきまして、こういうものを幾つかできる方を今後養成していただきたいと、われわれ存ずる次第であります。

○中村委員長
 岩原参考人(国立箱根療養所所長慶応義塾大学教授)。

○岩原参考人(国立箱根療養所所長慶応義塾大学教授)
 御指名によりまして、意見を申し述べさせていただきたいと思います。
 私は整形外科を専攻しておる医者でございます。
整形外科には、ただいま三沢先生のお話しになりましたように、物理療法と申しますか、医学的療法と申しますか、これが非常に大事な治療の部分を占めておる。
その質と量とは、ただに一人の医者が全部を完全に了得して施術することが困難なくらいであります。
これは、先ほど花田さんがお話しになった通りであります。
先ほど意見を述べろというあんま、はり、きゅうその他療術との区別となりますと、正直に申しまして、これはとんと返答しかねる。
と申しますのは、私ははりをやっておるところを見たことがありません、指圧をやっておるところを見たことがありません、その他の療術に至ってはなおさらであります。
でありますから、これを区別することは私にはできません。
われわれは、広い意味の療術行為、現在実際に行われておるような野放しの療術行為はなくもがなと思って、むしろ医者の立場としては無視しておるのであります。
先ほど三沢先生がお話しになりました物理療法、医学的療法という意味のものは、これはぜひ必要でありまして、御質問と離れますが、われわれといたしましては、現在広い意味における医業類似行為をやっておる方方の腕を、われわれの補助者として拝借したい、あるいは協力を得たいと願っておるのであります。
国におきましては、花田さんも先ほど申されましたように、一歩進みまして、正しい教育をし、試験を経て、医者のいろいろな分野における施術の協力者、補助者となっていただきたい。ちょうど現在看護婦、助産婦あるいはレントゲンの技術者、こういうものがあると同じようになる日を望んでおる次第であります。

 質問の的をはずれまして申しわけありませんが、これだけ申し上げます。

○中村委員
 それでは通告順に従って質疑を許します。松岡横平君。

○松岡(松)委員
 それでは三沢先生にお伺いいたしますが、このあんま、はり、きゅう、柔道整復、指圧、このほかに電気治療、光線、その他器具を用いる治療類似行為というものがあるのですが、一体に医業類似行為に該当する電気治療、光線その他のものは、本年をもって期限が終りになるのです。
それを今どうするかというときに遭遇しておるわけですが、あなたが見られて、医業類似行為であるこの種の業を、衛生学、解剖学あるいは病理学、生理学をわきまえない、はっきり言うと、しろうとが、そのわざだけを覚えて、そうして人体にこれを適用するということについて、医学上から危険であるとお考えになりますか、それともこれは危険でない、やらしておいてもいいとお考えになりますか。
これはかなり重大な点でございまして、端的なこれに対する御意見を承わりたい。

○三沢参考人(東京大学名誉教授)
 ただいまの御質問でございますが、私は医者として、ことに東大の教授をやっております者として申し上げたいのでありますが、厚生省が戦後、おそらくアメリカの指示であろうと思いますが、国民の疾病をなおす医療行為は、貴重な人命を預かるのでありますから、十分な基礎医学をおさめ、十分な臨床医学をおさめた者でなければ、決して、医者であることを認めないことになりまして、従来たくさんありました医学専門学校というものを廃止して、みな新制大学になったわけであります。
このことは、現在敗戦後の日本といたしまして、経済的に窮乏しております国家財政あるいは国民の経済問題から言いまして、非常な重大な負担であることはもちろんであります。
相当な無理があると、われわれは思っておるのでありますが、趣意としては非常にけっこうなことと思っているのであります。

 それで、同じ国民の病気をなおす医療に携わる人であります以上、やはりりっぱな教育――りっぱなと申しますか、基礎医学あるいは相当な臨床医学をおさめなければ、人命を扱ってはいかぬと私は思っております。
しかしながら、この医業類似行為者が、ともかくも今まで厚生省から認められておりまして、それを今年一ぱいで廃止するということになりますと、これは全くわれわれの見解とは違いまして、政治問題であると思うのであります。
これをどういうふうに救うかということは、皆さん方のお考えであります。
こういう方が今年一ぱいでこの業務を失うということは、私どもといたしましても、非常にお気の毒に存ずるのでありますが、何とかこの救済の道を作るのは、皆さん方の政治家の務めではないかと思うのであります。

 それで、われわれ先ほど申し上げましたが、こういう医業類似行為と申しますが、私はそう申し上げませんで物理療法の補助者と申し上げたいが、補助者として今後養成していただいて、もし養成なさるなら、りっぱな補助者を作っていただく。
それには、少くとも物理療法全般ができる、光線療法もできる、電気療法もできる、水治療法もできる、温泉療法もできる、そしてマッサージ、あんまもできる。
そういう物理療法の補助者を将来作っていただきたい。
これは私は、教育者としても賛成であります。
おそらくそういう教育ならば、医師会も賛成であろうと思うのであります。

 しかし、現在までの医業類似行為と申しますのは、先ほど申し上げましたわれわれの物理療法の一部局でありますが、医者と申しますものは、先ほど申し上げましたように今日のたくさんある病気を、なかなかなおし得ない、なおらぬ病気が非常にたくさんある。
それを、ただ一つの手技、あるいはただつの療法でなおすというのは、非常に困難であろうと思います。
ほかの療法だったらなおるかもしれないが、一つの療法のためになおらぬということは、起り得ることだし、あるいは機会を逸したために、なおりそこねたということも起らないとは限らない。
それでありますから、今後養成するならば、先ほど申し上げましたように、物理療法の補助者としてりっぱな教育を受けた者をお作りになることは私は非常に賛成であります。
しかし、今年一ぱいで認可が取り消される方は、今後少くともあんま、はり、きゅうについて、現在ありますそういう施設の一定の教育を受けまして、その上であんまがよかったらあんま、あるいは指圧がよかったら指圧、あるいは光線療法がよかったらその教育を受けておいておやりになることはいいことと存じます。
これは政治問題でありまして、医学のほんとうの原則とは違いますが、そういうことなら、われわれ賛成いたすのでございます。

○松岡(松)委員
 三沢先生の御説明によりますと、現在あるところの電気治療あるいは光線療法その他の物理的な療法というものは、それを行う人が基礎医学の知識を持って、そうして医者との関連においてその補助者として行うことは、社会的に必要というか、差しつかえない、こういうことになるのですが、しからば、非常にたくさんの種類がある。
種類をあげれば、百何十種類というものがあるらしい。
私ども、まだそれを全部つまびらかに把握しておりませんが、こういうものにどうして試験制度を用いるか。あるものをして言わしめるならば、試験の方法がない、これでは処置ないというようなことを言う方もあります。
一体どういう方法によってこういうものの試験制度を設けるか、その試験官はどういう人を選ぶか、どういう方法によってその技術の能否を決定するか、この点についての何か標準のお話を承わると、大へん参考になると思います。

○三沢参考人(東京大学名誉教授)
 ただいまの御質問でありますが、たとえば基礎医学とか、簡単な臨床医学ならば、厚生省が、現在国家医師試験をやります。
あるいは看護婦の試験をやる、あるいはあんま、はり、きゅうのそういうふうな基礎的の試験もやはりやっていますから、これは現在でもできます。
それから一つ一つの手技、これは現在の医学において認められております科目と申しますか、治療法ならば、試験をする人は幾らもあると思うのであります。
しかしそれ以外でありますれば、医業類似という名前がついておるのであります。
それでありますから、これは試験の必要は必ずしもない。
試験の必要のあるものは、一定の基礎医学、臨床医学、それから物理療法の原理、これは必要であります。
物理療法というのは、いろいろな科目、種類がありますが、しかし原理はみな大体きまっておりますから、原理について試験をする。
しかも、先ほど私が申し上げましたように、光線療法一つでは決して病気はなおるものではない。
ときになおるものもあるかもしれないと思いますが、たくさんの万病が光線療法一つではなおらぬ。
万病が物理療法、電気療法一つではなおるものではありませんから、従って一般のマッサージ、そうして光線療法、電気療法、そういうものの原理的な物理療法の試験をすれば、これは幾らもできると思うのであります。
必ずしも刺激療法やいろいろな療法――われわれ厚生省から委員を仰せつかりまして、先年見たことがありますが、そういう小さいことは必要がないと思うのであります。
物理療法の一定の原理だけを試験すれば、できると思うのであります。
しかし、必ずしも試験が必要なのではない、そういう方に基礎医学あるいは臨床医学、あるいは診断学のごく大体のことを教える。
必要と申しますのは、どんな病気にどんな条件でやっていかぬか、禁止症を知るということが一番必要なのであります。
やっていかぬ病気にそれをやるのが、一番危険なのであります。
そういう大体簡単な診断学、こういうことを覚えていただくことが必要なのであります。
そして、どのくらい覚えておるか、そういうことを試験すればよいわけであります。
もちろん、私は試験官でありませんし、そこに厚生省の役人がおられますが、試験の方法は幾らもあると思うのであります。

○松岡(松)委員
 そういたしますと、そういう技術の問題よりも、技術を人体に適用するというところに医学の基礎的な知識が必要だ、その点を守れば危険性は防げる、こういう御見解になるわけですね。ありがとうございました。

 続けて、それでは小守さんにお伺いしたい。
あなたの方のあんまと指圧との論争ですが、結局指圧というのは、従来日本にある歴史的なあんま及び外国にあるマッサージ、これは総括的に三沢先生はマッサージとおっしゃっておるようでありますが、その中の一つの方法であるとして、あなたの方では容認できる技術でありますか、その点を一つ……。

○小守参考人(全日本鍼灸按マッサージ師会会長)
 この指圧は、先ほども申し上げた通り、私どもの技術の一種でありまして、従ってこれを科学的に検査されれば、その指圧の生理作用は当然あるのであります。
でありますから、私どもは、私どもの技術の一種であるから、あえてこれを別になさる必要はないということであります。

○松岡(松)委員
 花田さんにお伺いいたします。
そうすると、今の話と続くのですが、指圧というものが、あんまの技術の方法の一つ、一種としてこれを正しく成長させて差しつかえないという御見解でありますか。

○花田参考人(日本鍼灸師会会長)
 さようでございます。
その通りの見解でございます。

○中村委員長
 野澤清一君。

○野澤委員
 小守さんにお尋ねしたいのですが、先ほど盲人の職業としてのあんま、はり、きゅうというような問題が出たのですが、当然これは日本のあんま、はり、きゅうの発達の過程から見ても、小守さんの言われる通りだと思うのであります。
そこで、今日の法律改正に際しまして、療術行為というものは、あんまと全く同種であると一方に言っていながら、他方に、もし手技なり療術なりという業態を認めることは絶対反対である、これは花田さんも同様に、法律の通りに実施してくれというお言葉でありましたが、お二人の話を聞いてみますと、指圧なら指圧という行為に対する否認ではなくて、単にその職種に対する考え方が非常に強いと思うのです。
そこで、小守さんにお願いしたいことは、将来盲人の職業として、あなた自身がこのままこの業態と継続していけば、盲人そのものあるいは一種の不具者同様の方々が、果して社会の経済生活に耐えられるかどうか――こういうことをお尋ねすることは行き過ぎかもしれませんが、反対に現在のあんまや、はり、きゅうをやっております方々が、都会生活ではとうてい経済生活が耐えられない、電車や自動車の通らないところ通らないところへと逐次疎開していく傾向にある。
そうしますと、今日のように目あきのあんまができ、あるいははり、きゅうというような方々がどんどんふえていきますと、盲人の方々の職業というものが極度に圧迫されてくる。
そうした場合には、何らか国家の救済の手まで差し伸べてもらわなければならぬという状態にまで入ってくるのではないかと思います。
これは一つの仮定であります。
そういうような事柄等も考え合せまして、手技はあくまでもあんまの領分であるという考え方で、一方においては妥協しておる、また療術者というものの身分を認めることには絶対反対である、ここのところの関係が、ここ三年来、あなた方のお話も聞いておりますが、非常にばく然としておる。
そこで小守さんとしてのお考えは、あくまでも療術行為というものに対して、これを同系列の業態としてお認めになる意思があるのかどうか、それからお認めにならないと仮定して、自分の方にこれを包含していこうというお考えはどういうところから来るのか、この点のところを、はっきりしていただきたいと思うのであります。

○小守参考人(全日本鍼灸按マッサージ師会会長)
 野灘先生の御質問でございますが、日本では、御承知の通りいろいろ盲人に新職業を考えていただいてはおりますが、盲学校が設立されて七十周年以上の歴史を持っておりますが、かつてまだ盲人に特別の職業は、いろいろ考えてはいただいておりますが、今日一つとして成功化しておらないのであります。
従ってわれわれ盲人は、その盲学校に入り教育を受けてあんま、はり、きゅう、マッサージによって自活してく、この点によって十分に守って、しかも失敗があれば自分の免許は取り上げられるというような規定になっておる関係上、懸命にやっております。
その点から先ほど来申し上げるところの、療術者は、その門をくぐっていらっしゃらない、それだけが私どもの言い分でありまして、もしその門をくぐって、たとえば、請願者がたくさんわれわれに類似した業をなすっても、あえて私どもは何も申し上げることはできないので、そのときに、われわれはまた考えていかなければならないと存じます。
今医師の方々また松岡先生の御質問等を伺っておりますと、現在の問題は、あんま、はり、きゅう及び療術という問題であります。
将来、できれば医師の補助機関として何らかできるかわかりませんが、現在のところは、私どもとしてはあんま、はり、きゅうと療術の問題であります。
盲人の将来のことについては、政府で十分御検討願えると存じますが、たとえば現在におきまして、われわれは先ほど来申し上げておる通り、試験制であり免許制である。
しかるに、療術者は、その制度を経ていないということは、国民の立場からもどうかと存じます。
それだけでございます。
だんだん先生方がお考えになって、今三沢先生のおっしゃったように、物療の一部としてマッサージも、あるいは光線もやれるときが来るかもわかりませんが、それはその制度ができて初めて、学校を出て免許制でやっていかれるのじゃないかと思うのであります。
それならば、私どもはこの療術に対して何も申し上げる必要はない、たとえば指圧でありますが、指圧はあんま、マッサージの一種である関係上、その指圧をもって、盲人の分野である最も唯一の職業であるあんまを侵しておるのです。
指圧だけで決してやってない、相当資力のある人、いわゆる巨万の富のある方々は、門戸を構えて指圧専門としてやっていらっしゃいますが、指圧師の全体はあんまの分野を侵しておる。
単に指圧だけでなく、たたいたり引っぱったり押したり、あるいは運動したりして、あんまと同じ仕事をして、しかも料金はわれわれあんま師の倍額も取っておるというようなことが多いのであります。
そこで、指圧師がそういうことを行なったがために、あんま師は勉強しないで高い料金をとるとか、あるいはあんま師がああいう失敗をしたというように、御存じの通り新聞紙上をにぎわすようなことがあって、ついに私どものあんま、はり、きゅうという看板が新聞の写真版に載ったのでありますが、これはあんま、はり、きゅうが失敗を犯したのではないのであります。
指圧師は、御経験はあるかもわかりませんが、基礎医学、診断等も――もちろん診断はできないのでありますが、観察力がないために失敗を犯すのであります。
そこで私どもは、現在の立場においては、あんま、はり、きゅうと指圧師は同じであるから、われわれの方へ入っていただく、それには試験制であり免許制であってしかるべきと存じます。
だんだん国が盛んになりまして、全国の盲人が、先生方の御苦労によりまして、何らかの方法をとっていただくときもあろうと存じますが、現在の国の富の関係からいきまして、果して身体障害者の全体が救っていただけるとは決して存じませんので、われわれ盲人は、何百年の歴史を持って、盲人でもこの仕事はできるということで邁通して、現在ではやっておる次第でございます。

○野澤委員
 ちょっとむずかしい質問だったのでぴんとこなかったと思うのですが、もう一度小守さんにお尋ねします。
あなたの御意見ですと、学校を出て試験を受けて開業していただきたいというのが、御説明の骨子のように私感じております。

 そこで、この療術というものがあんまの領域に入るということは、後ほど私も見解を申し上げますが、そうでなくて、今後療術者として、名称はどういうふうに変るかわかりませんが、やはり学校や試験制度というものを設けてやっていくならば、認めてもよろしいというお考えでありますか。

○小守参考人(全日本鍼灸按マッサージ師会会長)
 お答え申し上げます。それは今三沢先生のおっしゃったように、新しい制度ができまして、療術という文字でなくて、どういう文字かわかりませんが、新しくいわゆる物療補助師というようなものができた場合は、やむを得ないと存じます。
けれども、その物療師の立場、こちらの先生もおっしゃる通り、マッサージがその骨子であるとすれば、現在われわれはマッサージをやっておるのでありますから、学校でさらにそういう制度を設けていただいたならば、あえて別な制度を作る必要はない、こう考えられます。
療術といっても、先ほど来申し上げる通り、便宜上できた名前で、現在のあんま、はり、きゅうの法律は、医師以外のものでこのあんま、はり、きゅうをやるものはこれこれこういうものだということを、御存じの通り書いてありますので、医師以外のものとしてわれわれが扱われておるならば、もちろん療術師も、その中にあの法律ができるときに加わっていたならば、あえて今日の問題は出ないと思うのですが、当時政府、先生方のお考えによりまして、あの法律の中に「あん摩、はり、きゆう、柔道整復等」というものができ、それが改正されまして等が取れましたが、その後十九条は今日まで残っておるのであります。
その点で私ども心配になりますので、今後先生方が、今、医学者の方からもいろいろな御意見があったように、何らかの方法で別なものを作らなければならないというときに、私どもはまたそれは考え直しまして、それに賛意を表するか、場合によってはこういうふうにしていただきたいということが出るかわかりませんが、現在のままで療術というものを取り上げていただくことに対しましては、何かそこに不合理があるのではないか、こう考えるだけであります。

○野澤委員
 大体従来からの小守さんの御意見で、これを承知しているのですが、現在禁止されようとしております療術業者の生業権に対しては、あなた御自身も、何か法的な措置をしてこれを認めていきたい。
認める方法としては、今お話しのように、あんまの中に手技を包含していきたい、こういうお気持はよくわかるのでありまして、大体あなたの気持は了承いたしました。

 そこで、花田さんにお伺いしたいのでありますが、花田さんの御陳述によりますと、この療術者の法律というものは、今年一ぱいであったから、むしろ打ち切ってもらいたい、こういう御意見がありましたが、打ち切るということは、小守さんのお考えのように、現在の二百十七号の法律の中に拾い上げてもいいのだ、包含していいのだという考え方の打ち切りでありますか、それとも全然療術行為を否認するお考えでありますか。

○花田参考人(日本鍼灸師会会長)
 今の先生の御質問にお答え申し上げます。
私どもの考え方は、今の法律は二十二年のあんま、はり、きゅう、柔道整復の法律ができるときに、すでに療術ということも相当考慮されましてできた法律であります。
従って、八年間という余裕を置いたのは、政府が責任を持って、この中からいいものは残すことになるかもしれませんが、あるいは打ち切ることになるかもしれません、あるいは進んで転業あるいは廃業される人もあるだろう、こういう期間を盛り込んでおるという説明を、時の大臣が委員会でやられたのを、私どもはこの耳で聞いたのであります。
従って、その間における政府の考え方によって、国費も使ってこれを研究しておられる。
それで政府の方でこれを残そうというお考えならば、私どもは、どういうわけで残されるのですかということを聞きます。
もし残さないということになれば、残さないという確信があるのでしょう、われわれがこれに進んでとやかく言うことはない。
国が作って、この法律ができるときには私どもも十分意見を言うたのだから、結局八年間に、残すなら残す裏づけのある方法によって残されるようになるだろう。
私どもはそれを承わって、それに賛成するものなら残すことに賛成する、もしそれがいけなければ、敢然と残すことに反対するということでここまで進んだのであります。

ところが、最近に至りまして政府の方では、指圧はわれわれの主張通りにあんまの一種であるという御見解のもとに、あんまの中に、残そうというお考えであるから、それならば私どもはけっこうだ、こう賛成したわけであります。
それでは、指圧をのけた温熱、刺激、これはちょうど温きゅうとか、もしくははりに似たものらしいのです。
療術の方が便宜上温熱、刺激、電気、光線、手技、こういうふうにお分けになっておられますが、これは何も学界で認められたわけではなしに、ただたくさんあった多種多様のものを、こういうワクの中に入れられたという便宜上つけられた名前であります。
この便宜上の名前の中の手技あるいは温熱、刺激というものは、当然はりやきゅうの免許状を取らなければやれないのであります。
これはおそらく議論の余地がないだろうと思います。
ただ議論の余地があるのは、電気、光線であります。
これは私どもも、電気の一部を使うのもおります。
従ってこの面については、十分危険もある、あるいは効果がある。
危険があるから従って効果があるということも言われるわけでありますが、これはお医者さん方に相当の権威者もおられるから、この方々の意見を十分傾聴して、その上で進みたい。
ただ私どもの独自の考え方とするならば、先ほど申しましたように、医療補助者というような制度を作ってもらって、電気、光線、マッサージというものを主体にして、ほんとうの医療の補助になるということで救われるということであれば、その際に、はり、きゅうも一緒に医療補助者の中に入れていただきたい。
これは先ほどからいろいろ意見が出ておりますが、はり、きゅうは、御承知の通りなま身のからだにやけどをさせる、まさにこれは身体に傷害を与える、はりにいたしましても、金属をからだに突っ込むのであります。
小なりといえども傷害を与える。
これが医療価値がないと考えるなら、国家は進んで禁止すべきである。
三百年伝わったものであろうが、三千年伝わったものであろうが、これは医学上価値がないということをはっきり断定する証拠ができたならば、直ちに禁止した方が八千万国民のために幸福だ、私どもは喜んでやめる決心を持っております。
しかし、これが三千年続いたところに、現在の貧弱な科学では証明のできないところの深いものがあると私は信じております。
従って、これは用い方のいかんによっては、大いに今の医療の足らざるものを補う価値があると私どもは信じております。
従って、これは医療の補助に使うように仕向けていただくことが、真に国家の医療行政の正しい行き方ではないか。
今の医療の補助者であるような、補助者でないような、広告なんということにはお医者さんと同じようにやかましく取り扱われ、やることについては健康保険の取扱いも許さない、こういう片手落ちなことをしないように、もっと医療であるならば医療、医療でないものならば医療でないようにはっきりしていただきたい。
こういう意味から、進んで医療補助制度を作ってもらいたい。
この際に、ことに電気、光線も深く検討していただいて、これを救っていただきたい。
そういう考えがあるのかないのか知りませんが、三十三年まで猶予期間を置いてあるということに、私は大きな希望を持っております。
また電気、光線の方々が、療治というような名前で運動なさるのには、私どもはまっこうから反対であるけれども、指圧は指圧で進んで、電気は電気で進んでいく、こういうふうにお進みになるならば、私どもは決して反対はいたしません。
私どもはあんま、はり、きゅうと一口に言いますけれども、はりときゅうはまた違うように、あんまとマッサージはまた進む道が違うのであります。
従って、こういうふうに内部では分れても、法律の中では一緒に包含していただくということが、先ほど三沢先生も言われたように、一人でたくさんのことをやられるということは、いわゆる病人に応じて、あるときははり、きゅう、あるときは電気、あるときはマッサージ、こういうふうに用いられることから、受ける患者さんは非常に幸福でないかと思います。
さような考え方で、私どもは今の法律に立ちまして、これを絶対に禁止して、その通りにあくまでも療術を否認するというような考えは、毛頭持っておりません。

○野澤委員
 非常に懇切丁寧な御高説を拝聴しましたが、時間がないようですから要点だけでけっこうでございます。

 そこで、花田さんにもう一点伺いたい。
これは非常に重要な問題だと思うのですが、花田さんの意見はどうですか。
昭和二十二年に、あんま、はり、きゅう、柔道整復師の法律ができたときに、療術師だけがはずされました。
はずされましたときの状況は、大臣のお話等も、あなたは御拝聴になったそうでありますが、その当時にあなた方は、将来療術師の業態がそのまま残るとお考えになったか、あるいは転廃業等をさせられて、禁止させられるべきものだとお考えになったか、率直に言って下さい。

○花田参考人(日本鍼灸師会会長)
 私は、これは何らかの形で残ると考えました。

○野澤委員
 三沢先生、岩原先生、どちらでもけっこうでありますが、あんまと療術、いわゆる指圧というものとの限界について、ほとんど区別がないとか、あるいは似たところがないというお話がありましたが、私はこういうふうな感じがするのです。
民間療法と称せられるようなものは、西洋でも東洋でも同じようでありますけれども、その国の民族、風習、習慣等によって、自然に発生したものだと思うのです。
そこであんまとか、あるいははり、きゅうというようなものは、大体が昔から何百年何千年続いていますが、都会地を中心にしてぼつぼついなか等に流れた。
その発展の過程から見ますと、同じ場合が多いようでありますから、療術行為も、またあんまも、その根本の原理においては、あるいは科学的に同一の場合もある、多少違う場合もあるかとも思われる。
ただ、この対象となる治療といいますか、今一般に、あんまさんの方でも治療と称しておりますが、その術を施す相手方の種類によって、自然とこういう分割が行われたような感じがするのです。
あんまさんの方は、どっちかと申しますと、きつい仕事をした。
長い旅をしたその疲労感を、刺激なりあるいはマッサージなりによっていやしていく。
要するに、健康体の者を相手にして自然に発達してきた一つの歴史的な療法であります。
それから療術行為というものは、おそらくそうした技術が基礎にはなっておりましょうけれども、身体の障害者に対して、たとえば神経痛、リューマチとかいうようなものを初め、打撲傷、あるいは脱臼、骨折というようなものに対して、医術の普及され発達している土地では、比較的そういうことは少いのでありますが、無医村であるとか、山間僻地であるとかいうような場合には、そうした身体の障害者を中心にして発展過程をたどった。
そこに慰安を与え、疲労を回復するというあんま術と、それから相当の車馬賃を出しても、療術業者というものを支持して民間療法が発達してきた一つの過程がある。
こういう面から見ますと、全く小守さんの言われるように、あんまの一種であると言われればその通りだ。
私たちも、しろうとでありますから、概念的にそう考える。
けれども、その業種自体というものは、おそらく両極端に位するものである、あるいはその中間に位するかもしれない。
こういうふうな感じがいたすわけでありまして、これは私の説とかなんとかというのでなしに、一つの感じであります。
そこで、これを技術的に統合するということも、法的措置でけっこうでありますが、ただ三沢先生の先ほどのお話の中に、政治的に解決しなければならないのだ、政治家の使命としてあなた方が御解決なさったらよろしいというて、先ほど松岡君の質疑にお答えになった。
非常にこれはうんちくのある翫味すべきお言葉だと思うのであります。
大学の先生としてここまでこられて、しかも政治的にこれを解決しなければならぬということは、おそらくあんまさんあるいは療術業者の生存権というものに対して、憲法の規定に基いて、それで飯を食わなければならぬものに対しては、一応の政治的な解決をしたらよろしい、あるいは職種との関係についてならば、たとえば先ほどお話がありましたような医療補助者というような資格を新たに創製してでも救ってやるべきではないか、こういう一つのヒントをお与えになったと思いますので、私自身としては、非常にまじめにこれは謹聴いたしました。
また、当然国会としても、そういう措置をしなければならぬと思うのですが、ただ今回の療術師の問題については、その手技そのものというものは発展過程から見ますと、あんまさん、あるいははり、きゅうの方々の顧客というよりも、むしろ医師に近い顧客を相手にしてきたのが療術行為者である。
こういう点からみますと、現在やっております療術行為というものは、果して人民の生命を維持する上において危険があるかどうか。
これは三年前までは三百種もあって、非常に危険が伴うということをいわれた。
その後三カ年を経過しておりますが、これによって被害を受けるということがきわめて少くなった、ほとんどないというても差しつかえありません。
こういう経過から見ますと、ある程度まで療術者自体も盛んに講習もやり、あるいはまた勉強もされて、危険も少くなったとも思われますけれども、ただ政治的に解決しなさいという言葉の中に腹臓されていますことは、むしろ行政面に対する御注意が多分にあるのではないだろうか。
ということは、現在の電気とか光線、あるいは温熱とかいうようなわかり切ったものに対する療術行為というものに対しては、ほとんど監督の手が伸びているが、それ以外に新たに用いられてきます民間器械療法というようなもの、あるいは光線療法というもようなのが、規格外のものを不用意に使った場合にそれの取締りをどうするか、これが重要なポイントだと思うのであります。

 そこで、私自身としては、両先生方にお尋ねいたしたいことは、ここで器械器具等を使う、あるいは光線、電気というようなものを使う療術行為をどんなに否認いたしましても、民間療法の発展過程から見ますと、将来ともこうした物療に類した民間の治療行為というものは、ますます多くなってくるのじゃないか。
これは国民生活の逼迫と同時に、医療費に対する恐怖観念からも一応ありましょうし、またその土地の生活環境からもありましょうし、日本人の風俗習慣等からもありましょうが、そうした場合に、どうしてこれを禁止していくか、あるいはこれを育成していくか、こういう問題があると思うのです。
かりに、先ほど先生のおっしゃられたように、医療補助者というような一つの制度を設けて大きくこれを包含するということも、一つの方法でありますが、その他に派生してきます問題に対しては、何らかの方法で強圧的にこれを禁止すべきであるか、あるいはまたこれを野放しにしておいた方がいいか、この点、両先生方の御意見を拝聴したいと思います。

○三沢参考人(東京大学名誉教授)
 ただいまの御質問に対しまして、私の知っている範囲をお答えいたしたいと存じます。

 先ほどお話がありましたが、民間療法というのは、世界各国におきまして、どこにおいてもあるのでございます。
非常に医学の発達しましたドイツにおきましても、やはり民間療法はあります。
アメリカにも、御承知のように民間療法はあるのであります。
しかし、それをどう取り締っているかというのは、各国みな違う。
日本は現在のような状態でありますために、今日の問題が起ったのであります。
そこで、さっきお話しになりましたが、疲労回復とか、あるいは肩がこる――肩がこるのは、病気と申せば病気でありますが、あんまは疲労の回復あるいは健康増進のために使う、こういうことが多分にあったのであります。
西洋のマッサージ、これは西洋の医者がやっておりますために、やはり医療に使っております。
しかし向うでも、マッサージはやはり疲労回復あるいは健康増進にも使っておるのであります。
ちょうど日本にも浴槽設備ができましたが、向うにも大都会にはトルコぶろというのがありまして、マッサージもやってくれる、電気もかけてくれる。
これは必ずしも医者がいるとは限らない。
医者がやっているのもありますが、疲労回復、健康増進のためにやっている、そういう民間療法もあるわけであります。
こういうふうに、民間療法はいろいろあります。

 それで、今の民間療法も――最近になりますと、いろいろな電気療法とか器械療法ができました。
これを各民間の方が、自分でお買いになって自分でおやりになるのは、自分の責任でありますから、これはごく危険な高圧な電流ででもなければ、差しつかえないと思います。
こういうものは、民間でたくさん売っております。
あんま器とかいろいろあります。
これは個人がお買いになって自分が使うなら、もちろんこれは自分の責任ですから何でもないが、これを他人に施して、それで若干の金を取るというところに問題がある。
そこで医療行為あるいは医業類似行為ということが出てくるので、そこが問題であろうと思います。
それで、いろいろの電気療法あるいは光線療法というようなものがありますが、もし、将来こういう養成機関とか、あるいはこういうのをお認めになりまして、認可あるいは免許するといたします場合、私の心配していますのは、一つではいかぬということなんです。
光線だけで、決して万病はなおるものでない。
マッサージもできる、光線療法もできる、電気療法もできる、水治療法も温熱療法も一これは温灸も入るかもしれません、そういうものができないといかぬのであります。
ちょうどわれわれ医者が医者になりますには、一般の全体の基礎医学と臨床医学をみな習う。
そして卒業しましたら、あるいは婦人科になる者もあり、あるいは眼科になる者、耳鼻科になる者、精神科の専門医になる者もある。
もし今後養成する機関とかあるいは免許する際に、これを一つ一つ離してやりましたら、ちょうど婦人科大学ができ、小児科大学ができ、精神科大学ができるというような、全く統制の取れない、そして非常にかたわの医者を作ることになるのであります。
われわれも多少かたわでありますが、少くとも学校にいる間は、全般の医学教養を受けました。
そうして、その後自分の一つの専門の課程を勉強して専門医になるのであります。
ですから、ここに非常に多種多様のものがありますが、民間のことをいいますと、こういう物理療法あるいは医学療法というものは、一般の基礎の全体を終って、その後、目の見えない方はあんまあるいはマッサージをやって、目の見える方は電気療法あるいは温熱療法をやりなさるのもけっこうです。
ちょっと御注意したいのでありますが、医者としては、目の見えない、ことに全盲の方は、電気療法、光線療法は危険ですから、させないのであります。
われわれ大学病院の物理療法科におきましても、もちろん十数名のマッサージ師がおります。
これはマッサージ、電気療法、水治療法、みんなできるものであります。
もともと今の療術行為者のうち、水治療法という名前についてはおりませんが、湿布療法とか温熱療法の中に入っております。
熱で暖めたり、熱を冷やしたり、あるいは冷罨法、熱いお湯で温める湿布療法で、これは一種の水治療法であります。
こういう水治療法は、外国におきましてももともと民間にあった。
医学のごく初め、紀元前のヒポクラテス、あのころは草根本皮を探したわけです。
器械もレントゲンもラジウムもなかったのであります。
その時分は、天然にありますものの物理的現象、物理的作用、それを応用した。
従って、日光力を使う、川の水をくんできて暖めてお場にすれば温熱寮法になる。
温泉に入れば温泉療法、医学のごく初期、ヒポクラテスの時代はそういう療法、草根本皮を使ったのであります。
それがだんだん科学が発達して、化学療法、光線療法ができたのであります。
それを言いかえますと、その裏の民間療法というものは、医学ともともと切っても切れない縁があるのであります。

 そういう次第でありますから、こういう法律をお作りになる際には、同僚をお認めになってもいいと思うのですが、一応類似行為者というものはやめまして、物理療法の補助者――名前はどうでもいいのですが、医者の物理療法の一面を担当する人というようなお考えで法律をお作りになりまして、とにかく電気療法、マッサージ、水治療法、あんま。
その上にマッサージ、あんまだけをする者は一年間増し、電気療法をするなら一年間増し、水治療法をするなら一年間増しという法律をお作りになればけっこうです。
これは決してわれわれ医者として喜ぶのではなくて、こうすれば、大事な国是の皆さんが生命をお預けになるのに、まことにけっこうだと存じます。

 これをもってお答えといたします。

○野澤委員
 簡単にもう一言だけ……。

 今度医業類似行為者と称して、たとえば指圧だけを認めようというような政府原案も出ております。
今日において療術者というものを法的措置として身分を認めてやろうという機運が、国会にせっかくでき上ってきたわけです。
そこで立法府の立場としては、この療術者の身分を規制する以上は、今まで五十種あるとか百五十種ある、三百種あるといわれていたうちから、今先生が指摘されたように、特殊な医療補助者としての資格を与えることも一応考えられるわけですが、そうした器械を使い、電気を使い、温熱を使うというようなことまで規制する必要はないのです。
そこで、これを野放しにしておくことは、むしろ民間の療法としてもぐり業者が多くなってかえって危険だ、この際一気にこうしたものまで解決した方がよろしいと先生自身はお考えになるか。
あるいは、従来通り資格を与えず、もぐりにして、こういう医療補助者を野放しにしておいた方がいいか。
先生のお立場でけっこうですから、伺いたい。

○三沢参考人(東京大学名誉教授)
 御返答申し上げます。
私個人として、医者として申し上げますが、野放しというのは危険だと存じます。
現在まで、かりに危険がないにしましても、将来において危険がないとは限らない。
従って、あんま、はり、きゅうの学校を作りまして、あんま、はり、きゅうを基礎の科目とし、その上に今の電気、光線というのを半年、一年増すごとに自分の好きなものをやって、卒業をしましたら、一定の試験を受けて免許を取って自分の好きなところ――ちょうどわれわれ医者が四カ年の課程を経まして医者になって、あるいは婦人科をやり、内科をやり、小児科をやり、好きなものをやればいいと同じように、目の見えない方は、従来通りあんまの方がいい――あんまの方だけをというわけでありませんが、非常に触覚がよく働く。
目が見えないので、全身の触覚が手に集まって、非常に熱心で、あんまがうまくいって適当だと思いますから、そういう者はマッサージ。
目のあいている方も、マッサージをやって少しも差しつかえないのでありますが、自分の得意なところをおやりになれば、医療体制としても、国民としてもいいことであろうと思います。

○中村委員長
 山本利諸君。

○山本(利)委員
 まず小守さんにお尋ねいたしたいのでありますが、日本では古くからあんま、はり、きゅうというものは、盲人の特殊な業になっていて、この仕事によって生活が保障されてきたかということは、大体事実でありまして、われわれとしても、目の不自由な方に何か殊特な職業というものが他から侵されないであれば、非常に安定されるであろうということを思うのでありますけれども、先ほどのお話によりますと、現在十万の業者の中で目の見えない者は七五%である。
二五%は、目のあいた人が入っているわけでございますが、現在あんまとか、はり、きゅうの学校を経営している方面においては、その学校を発展させる意味から、目あきの人の入学もある意味では歓迎しておられるのですか。
できるだけこれは防止しようと努めているけれども、生活状態その他から、やはり受け入れてあげなければならぬと思って受け入れておられるのか、それらの点についてちょっと承わりたいと思います。

○小守参考人(全日本鍼灸按マッサージ師会会長)
 盲人の学校は、御存じの通り国立もありますし、また都道府県全部、県立、都立というような工合にできておりまして、名のごとく盲学校でありまして、その盲学校の理療科といいまして、そこであんま、はり、きゅうを教えております。
従って、そこには晴眼の方は入らないのであります。
一方厚生省の方の養成所というのがありまして、その養成所は、厚生大臣の認可によりまして、盲人が申請いたしましょうとも、晴眼の方が申請いたしましょうとも、内容が整っておれば厚生省でお認めになっております。
でありますから、たとえば今後、盲人が唯一の職業と思って自分は守っておっても、こういう時勢でありますから、晴眼の方々がどんどん養成所に申請し、それを許可されることになりますと、かりに業人が十万あるとしても、盲人も五万、晴眼の方も五万になるかもわかりません。
これに対するわれわれとしての防止方法は、法難では別に盲人とか晴眼とかいう区別がないのでありますから、この点においては、私どもは何も申せないのであります。
けれども、自分たち盲人の立場からいきますと、晴眼者の学校がふえることは脅威なのであります。
事実、最も脅威なのでありますが、さりとて脅威だからそれを作っていけないと私どもが言う権利もないわけで、そのお許しの場合には、十分内容を調査してもらいたい。
盲人の方は、正確に朝の九時から夕方の四時なら四時まで、一週何十時間、一カ年を通じて何千時間という制度になっておりますが、もし晴眼の方方の学校が一日を通じて二時間とか三時間しかやっていないようなことがあり得るとすれば、晴眼の方々がそこに入って楽でありますから、どんどん数がふえる、こういうようになります。
これはそれぞれ当局の方で調査がありまして、そういうような方法もないと存じますが、現在の場合では、全国都道府県に七十何校の盲学校があり、厚生省認可の養成所は、ほとんど晴眼の方に許されておりますので――中に盲人だけで維持経営しているのも五つ、六つございますが、十幾つの認可の中には、大体晴眼の方々が多いのであります。

 要するに、学校の数から申しますと、盲学校の方が断然多いのでありますが、その養成所内の、二部教授、三部教授、いろいろやっておりましょうが、そういう場合には、人間の数からいったら場合によると、よく調査しておりませんが、そんなに変りがないと思います。
従って、これらの盲学校及び養成所、また文部省認可の晴眼の方の学校もございますが、それらの年々歳々出ていくときの数を比べていきますと、将来は晴眼の方々が多くなるようにも考えられますので、そこで先ほど私が申し上げた通り、われわれ盲人の将来は生活上非常に苦難を生ずるので、これは何かこれを打破する方法を講じなければいけないということを、盲学校当局も今日考えているように思われます。

 現在の立場から申すと、もちろんあんまは健康体、疲労回復をおもにやっておりますけれども、昔はそうではありませんでして、これはいろいろ分れておりました。
疲労回復にもやりますし、またむろん疾病にもやっておりました。
御存じの通り、昔はあんまはあんま師、あんま博士等もあったぐらいでありまして、それからだんだん岸根が長じてきまして、国民の予防医学の中心といいますか、疲労回復、皆様の明日の活動を便ならしめるというので、われわれあんま、マッサージ師が先生方の肩をもみ、腰をさすりましておりますが、それは三沢先生のおっしゃった通り、肩のこることは、すでに病気を起すもとでありまして、その肩のこったところをあんま師がほごして、初めて皆さんが疾病にかからない、こういうように私どもはいつも考えております。
同時にまたリューマチとか神経痛ぐらいは、あんまでもマッサージでも、現在十分なおしており、またお医者さんの方から骨折、脱臼その他後療法としていろいろ言われてその任に当っております。
今の三沢先生の言葉をちょっと返すようになるのでありますが、その昔、盲学校を出た盲人は、全部病院に勤務したものであります。
ただ先生方の補助機関として不便である関係上、昨今は晴眼の方を病院ではお扱いになりますが、昔西洋からマッサージが参りましたときには、日本にはあんまがある、このあんま師にマッサージを教えたならば、修得が早いのではないかというので、われわれ西洋からお帰りのお医者さんに盛んに技術を習ったものであります。
従って、健康体にも病体にも相当功を奏しておりますので、私どもはその線で進んでおりまして、皆様のお喜びをいただいておるようになっております。
要するに、学校の点からいきますと、数が多くて、年々出る盲人の卒業者は少い、一方は、学校の数は少いが卒業する率が多いというので、だんだん現在より晴眼の方がふえると思われることもやむを得ないのであります。
ただわれわれが申し上げるのは、盲人でも試験制であり免許制であった関係上、現在の療術師に対しては、いろいろ失礼なことばかり申し上げますけれども、私どもの事情ばかりでなく、その実態を御賢察いただいたならば、今、先生方のおっしゃる通り、どうしても学校を出なければ、また免許制でなければ医療に携われない、こう信ずるものであります。

○山本(利)委員
 お願いしておきますが、たくさん質問者がありますから、横道にそれないように、要点だけお答え願いたいと思います。

 ただいまのお言葉の中で、盲学校のことは全然別でございます。
これはよくわかっております。
目あきを入れる厚生省の養成機関においては、不公平のないようにというお書典がありましたが、ここで言いにくいからはっきり申されなかったので、不公平があるということをお聞きになっておるわけでありますかどうか、その点お伺いいたします。

○小守参考人(全日本鍼灸按マッサージ師会会長)
 私も中央審議会委員に命ぜられておりまして、厚生省申請の場合に審議の一員になりますが、最も公平に扱っております。
従って、自分が盲人の立場であるからといって、盲人を中心にした審査内容は絶対に持っておりません。

○山本(利)委員
 医学が進むにつれて、盲人の方もだんだん減ると思いますが、反対に日本の人口はどんどんふえますから、その点からいって、御懸念のように盲人だけがあんまをするのでなければ、自分たちの生業が侵されるというふうでないかとも思うのですが、現在においてもすでに圧迫を感じておられるのか、ここらの見通しで、だんだん人がふえていくのだから、案外目あきのあんまがふえても大丈夫だというふうに見ておられるのか、全国の組合の会長としておられるのでありますから、その点の見通しはどういうふうにしておられるか、お伺いいたします。

○小守参考人(全日本鍼灸按マッサージ師会会長)
 要するに、国民がふえる、御存じの通り、戦争で盲人が非常にふえておりまして、現在厚生省国立光明寮は全部戦傷者であります。
また職業的にも、盲人が非常にふえます。
人口がふえると同時に、またいろいろな点で盲人もふえるように存じますが、その、盲人は、全部あんま、マッサージ、鍼灸のみをやっていくということは、生存競争の激しい今日、どうかと存じます。
そういうことは、いわゆる身体障害者福祉法がありますから、だんだん国でお考えいただけると思いますが、現在のところは、今申し上げた通り都道府県の盲学校以外に、国立光明寮というものがすでに東京、塩原、神戸にございますので、そんな点で、必要だというので国でもお作りになっておると思われる。
それは全部あんま、はり、きゅうを教えておりますので、それらの点から考えますと、せっかく卒業した将来に、生活不安があってはいけないというので、考慮しておるものであります。

○山本(利)委員
 要点をはずれがちでありますが、次に花田さんにお尋ねいたします。
あんま、はり、きゅう、柔道の方を除いた医業類似行為の余裕期間が本年の末までとなっておる。
その法律のできた時を私は存じないのでありますが、そのときにあなた方としては、この三十年度末になったら、法律に許されなかったものは、全部やめるべきものだと思われたかどうかということです。
つまり、三十年末までが余裕期間として、生活保護の意味においての余裕期間であったのか、あるいは三十年の末までなお研究してこれらを取り上げようという含みであったのか、あなた方の御解釈はどうでありましたか、その点伺います。

○花田参考人(日本鍼灸師会会長)
 先ほどちょっと野澤先生の御質問に答えたと思いますが、私どもはその中に、先ほどから話がたびたび出ましたあんまに似たものは、当然あんまの中に入るべきだ、それから温灸とか刺激とかは、きゅう、はりの中に入るべきだ、ただし電気だけは、これは一応別途のものだ、こう考えておりますので、たくさんの種類のあるうちで、温灸とか、あるいは刺激療法と申しましてはりに似たようなもの、これらはそれぞれの分野に入って、当然その方の免状を取るようになるだろう、それから指圧のようなものは、当然あんま、マッサージに入るだろう、こう考えております。
全面的に全体の療術が一斉に禁止されることはないだろう、形を変えてこの人たちは生きていかれる道があるのだ、かように考えております。
またそういう方法がとられるものと期待しております。

○山本(利)委員
 私どもも、指圧の方はあんまの部類に入って、同じ取締りと特権とを得らるべきだと思うのですが、その他のものについては、相当の期間今日まで許されたのであるから、あなた方としては、今年の末をもって打ち切られるべきであると小守さんのように言われる方が、筋が立つと私らは思うのです。
それをもう三年間余裕を持たれるということは、希望の持てることであると花田さんが言われたその意味は、どういうものであるか伺いたい。

○花田参考人(日本鍼灸師会会長)
 これは電気治療についてのみでございます。
電気治療についてのみは、これは絶対に危害がある、あるいは非常にきくというようなことは、私どもはここで端的に申し上げられない、また申し上げる資格もない、かように考えておりますので、これらについて学識経験者あるいは医学界の方から、もっと存続するとか、あるいは禁止するというような線が出るかもしれない。
電気、光線については、一応禁止するとか、あるいは存続するとかいうような私どもとしての意見は、全然ありません。
その意味であります。
そういうことが含まれているのではないかというわけです。
また温熱、刺激は論外で、きゅうなり、はりの免状を取るべきだ、こう考えております。

○山本(利)委員
 それでは三沢先生、岩原先生、どちらでもけっこうですが、お答えをいただきたいと思うのでございます。
一体世間で資力のない、あるいは簡単なことを好む患者というものは、大きい病院に行き、あるいはすぐれたお医者さんに見てもらえばいいのでありますけれども、何とか手軽になおしたいと思って、とかく医術類似の人のところへ行って見てもらって、しかも、ずいぶん日にちをかけて、やりそこなった、どうしてもなおらないから、今度初めて病院にかけつけるというものが、相当あるように私は思うのでございます。
かつて御診断なさった中に、そういうような御経験がありましたかどうか、その点について承わりたいと思います。

○岩原参考人(国立箱根療養所所長慶応義塾大学教授)
 お答え申し上げます。
そういう患者はしばしばあります。
大体、従来われわれが観念的に考えておりますあんまというものは、大した病気あるいは病人でないものに、先ほど三沢さんからもお話がありましたが、慰安的あるいは慰籍的にやる、こういうのならいいのでありますが、われわれが新しい医学の立場から求めておるものは、それではないのであります。
先ほど小守さんからもお話がありましたが、リューマチ、神経痛がマッサージで片づけられるという考えは、大正、明治の考え方だろうと思います。
ここで専門の症状を申すのではありませんが、神経痛というのは、病気ではありませんで、神経の痛みでありまして、神経痛を現わす病気はたくさんあります。
それをやっておると、効果がないばかりでなく、とんでもないことになる場合があります。
すなわち、健康体に慰籍的、慰安的にやるのなら別でありますが、病人にこういう医療類似の施術をする場合には、どうしても診断がなければならない。
診断がないものに治療はない。
診断をしてこういう治療をこういう方法でこういう器械でやろうというのがわれわれの考え。
先ほどちょっと申しましたが、単に光線療法とかなんとかいう今日やかましくなっておるようなものだけでなしに、広い意味でわれわれのいう医業類似行為は、やはり医者の処方に従って、医者の監督と申しますか、そのもとにやる、すなわち、医者の協力者として立っていっていただきたい。
これは現在のあんまはもちろんのこと、マッサージと称して開業しておる方も同様です。
これは指圧にもよくあることでございます。
ひどいのは、指圧でとんでもないことをやって、有名な方でありますが、なくなった方があります。
これは背骨にできたガンによる神経痛を、安直な神経痛と間違えまして、首の部分に指圧をかけて、背骨がガンに冒されておるために脊髄の神経を痛めてしまって、四肢がきかなくなって、十日もたたないうちになくなった、これは身近かに見ております。
しかも、これは国立病院の院長さんをしておる方、われわれの大先生といってよいような大先生の身内の方で、そういうことがあるのであります。
でありますから、広い意味における医業類似行為をやられてから起る不幸は、これは日常しばしばわれわれ見聞きしております。
こういう意味から、やはり医科というか、こういうものは光線療法にしろ何療法についても、基礎教育を受けて、一定のある試験を通して、われわれの医療を正しく行うための協力者、補助者としてやっていただくというのが、最も文化国家としてふさわしいことであると思います。

○山本(利)委員
 今のお答えから私は考えるのでありますが、先ほど三沢先生は、医療の補助者として光線療法をやるとか、あるいは電気療法をやるとか、その他のものを今後十分指導して、医療補助者の制度というものを設けたらよいように思うというお言葉があったように思うのであります。
これは現にそういう行為をしておる者の生活権を守ってやろううという意味からのお考えであったかと思うのでありますが、国家といたしましては、生活の保護をするということは、これは別個の問題であって、われわれが今考えなければならぬことは、こういう種類の問題は、国民の保健衛生について害があるか益があるかということから割り切っていかなければならぬように思うのであります。
それで、もしもこれが現に疑わしいとか、あるいは危険であるという場合には、法によって断固としてこれは退けて、生活の擁護というものは別個に考えるべきものである。
それを、現在やっておるものが気の毒であるからというので、中にはすぐれた器械を用いておるものもありましょうけれども、簡単ないかがわしい光線療法、あるいは電気療法、その他の器具をもってやるものは、国民の保健衛生の上からいって、非常に危険を感ずるものでありますから、こういうものを取り立てて、ここに補助者制度というものが国家として認められるとすれば、今おる人の生活権ということでなしに、安易に医者の類似の行為をして生活を立てようとするものが、次々にこれは起ってくることは明瞭であります。
そうして日本は、医学においては非常に進歩をした国と言われておる、その日本の医学体系というものを、根本からこれはくずす原因であるように私は思うのであります。
とにかくそういうものは、一つの電気なら電気の器具を用いてやる。
けれども、少し自分たちがこの補助機関として認められたとなれば、あるいはそれに類似した次の行為をまたやりがちなのであります。
こういう人間のやることを、一々取り締って歩けるものではない。
光線で何か補助者の資格を持てば、ついでに電気を用いるかもしれない、あるいは温熱を用いるかもしれない。
いろいろなことを次々とやって、まことに国民の健康上非常に危険である。
だから、もしも医者としてそういう補助者が必要であるというならば、医学校において、大学の医科であるとか、その他の正当な機関においてその補助者を作るべきものである。
看護婦なら看護婦の養成機関があるように、そういうものは別個に作るべきものであって、私も医業類似行為者を救わんがための便法として、そういうようなものは作るべきではないと考えるのでございますが、その点につきましての三沢先生の御答弁をお願いいたします。

○三沢参考人(東京大学名誉教授)
 ただいまの御意見、まことにごもっともであります。
私は必ずしも現在の本年一ぱいで認可の期限が切れた方だけについて考慮しておるということを申し上げた次第ではないのでありまして、われわれ物理療法をやっておりますと、われわれのところにも十何人おりますが、こういうのは、今はとにかくマッサージの資格を持った人を雇いまして、そして物理療法を教えてそれにやらせておる。
しかし、大きい病院になりますと、われわれのように専門でなくても、二、三人のそういう方が必要でありますから、そういう方に向けられる適当な施設ができれば、医学的にもけっこうだと考えて、私は申し上げたのであります。
しかし、これを今おっしゃったように裏をかきまして、その弊害の方から見ますと、お説のようなことも起らぬではないと思います。
それでありますから、必ずしも光線学校とか温熱学校というものを作らないで、マッサージ療法もでき、光線療法もでき、全部できて、少くとも高等学校を卒業したあと二年マッサージをやる、光線療法をやるには二年とか三年、一通りの物理療法をやりますには四年ぐらいかかるようにしましたならば、わざわざ学校を卒業して、ちょうど医科大学と同じ資格を受けるという方もそうないと二面考えております。
それは実際実施して、あなたの御心配になるようなことになるか、私の申し上げたようになるか、それはちょっと私は見当がつきません。
私はそういうふうに医業類似行為者が町にはんらんすることは、私としても決して喜んでおりません。
私の欲するところは、医者の補助者として、あるいは岩原さんのおっしゃったような協力者として、医者の指示を受けてマッサージをし、光線療法をする。そういう医療補助者がほしいという意味でございます。

○中村委員長
 岡本隆一君。

○岡本委員
 ただいままでのだんだんのお話で、三沢先生、岩原先生のお考えはおよそわかったような気がするのであります。
少くとも治療というような診断を伴う行為というものは、これは民間療法によってやらせてはならない、そうしてそうでないような健康の増進であるとか、あるいは疲労の回復であるとかいうような程度のものに限って、民間療法にゆだねても差しつかえないというようなお考えのように承わるのであります。
しかしながら、従来からあるところのはりであるとか、きゅうであるとか、あるいは柔道整復というふうな民間療法は、これはその人たちの生活権の問題もあることであるから、やむを得ないであろう。
しかしそれが新たに体系づけられ、また新たな発足をしてくるものは、 これは新たな形式の民間療法として認めるべきではない、それは少くとも医師の治療の補助機関として、医師の監督のもとにおいてあるべきものとして育てていかなければならぬ、こういうふうなお考えのように要約できるように思いますが、それでようございますか。

○三沢参考人(東京大学名誉教授)
 よく伺っておりませんから、あるいはちょっと御趣旨の通りの御返答とはいかぬかもしれませんが、私の申し上げますのは、決して今後こういう医業類似行為者を、民間療法者として認めたいというのではないのであります。
医者の医療行為の中の物理療法の担当者としてならいい、しかも医者の指示のもとにおいて、医者が診断をして、こういう病気、たとえばリューマチには光線療法がいい、そういう場合に光線療法をやってもらいたい、そういう意味でございます。
野放しに民間療法を学校を作って許可したいというのでは毛頭ございません。

○岡本委員
 そういう意味のお尋ねをしたのでございます。

 そこで、今から八年前に、いわゆる療術行為というものが問題になり、それから後に一応三十年の十二月三十一日までという制限が出て参りましたから、民間療法のそれらの業者の間では、自主的に自分たちの療法の体系づけをやって参ったのでございます。
従って、これはやはりそういう療法のあり方というものの将来をきめる相当重要な問題でありますから、従って厚生省としても当然それについては相当深い研究をし、十分な調査をしなければならない。
従って、そういう場合に当りまして、厚生省は、日本の学界の権威に、こういうものが将来許さるべきかどうか、あるいはまた療法として有効なものであるか、あるいは効果の薄いものであるか、必要なものであるか不必要なものであるかというようなことを、厚生省自身も研究しなければならないと思うのでありますが、同時にまた、学界への諮問も行われなければならないと思うのでございます。
そういう点につきまして、先生方のところへ調査あるいは研究の依頼があったかどうかということを、この機会にお伺いしておきたいと思います。

○岩原参考人(国立箱根療養所所長慶応義塾大学教授)
 私、じかに厚生省の方に意見を聞かれたことはないのでありますが、学会で、小さい学会、東京地区の地方会、そこに全国的に申しまして、われわれの学会のおもなものの大体半分くらいは集まると思いますが、その会合の席で、たとえば東大の三木教授が相談を受けたことがあることは耳にしたことがございます。
一々厚生省からの相談を私は受けたことはありません。

○岡本委員
 それではもう一つ。
新しく勃興してきておる民間療法について、研究しておられるのはどういうお方で、またどの程度の研究が進んでいるかというふうなことについては、先生方お聞き及びはございませんか。
お二人、どちらでもけっこうでございます。

○三沢参考人(東京大学名誉教授)
 お答えいたします。
数年前、おそらく二カ年ぐらいではなかったかと思いますが、この問題が起りまして、実際に民間療法として使っております光線療法、あるいは電気療法、あるいは相当大じかけな器械療法もあったのですが、そういうものを取り寄せまして、そして厚生省がこれを各専門家に分けまして、これが有効であるか、あるいは無害であるか、あるいは害毒を流すかというようなことを調べた。
そうしまして二年間ぐらいでありましたから、非常に系統的にはいきませんでしたが、苦干有効とか、少くとも害は与えないとか、有効無害あるいは無効無害とかいうような調査をなされたのであります。
そしてその報告は簡単ながら出ていると思います。

○岡本委員
 カイロプラクティクあるいはオステオパシーというものが、診療者からいただいた書物の中に相当重要視されておる模様でありまして、そしてまたそういうふうな方向へどんどん発展していっている模様のように思われるのでございますが、これについて、何らかの御意見をお持ちでございましょうか、あるいはまた、それについての調査研究の有無というようなものをお伺いしたいと思います。

○岩原参考人(国立箱根療養所所長慶応義塾大学教授)
 お答えいたします。
これはだいぶアメリカでも世間に騒がれておるようでありますが、今日坐骨神経痛の非常に大きな原因としまして――これは専門の話になりますが、背骨の中の軟骨がこぶになって脊随神経に圧迫を加えて起る神経痛、これは古い医者は、医者でも知らない。
この坐骨神経痛などは、今のカイロプラクティクでなおるというようなことが盛んに宣伝されております。
たとえば軟骨ヘルニアでありますと、多少大きくなったり小さくなったりするので、背骨の部分に施術すれば、当然そういうことは考えられる。
従って、結果的に見れば、そういう者にそういう施術をやったからよくなったということはあり得ると思いますが、ものそのものを知らないでやることは危険である。
われわれは医学的には、少くともただいまのような施術はよう認められないと思います。

○中村委員長
 受田新吉君。

○受田委員
 小守先生、花田先生に最初お伺いしたいのですけれども、あんま、はり、きゅうという古来伝統のこうした医業類似行為は、これは療術師として、昭和五年以来警視庁令で認められて、届け出て業としてやってきた人々と、その療法あるいは歴史的な誘因というようなものは、全同一系統であると御確認をされたように思うのであります。
あんまの中へすべての医業類似行為を取り入れる考え方、その考え方に、基本的には両先生の御意見が一致していると思っておるのです。
ただ花田先生だけは、器械器具を用いる場合に、特殊の考え方を必要とするというふうに解釈されたのでありまするが、さよう心得てよろしゅうございますか。

○小守参考人(全日本鍼灸按マッサージ師会会長)
 先ほど私が申し上げた通り、あんま、マッサージをやるには、どんな本にでも、あまり器具器械類を用いることはいけないということをよく書いてあります。
従って、もしわれわれが器具器械をもってその器具器械による料金を患者からいただくような場合になると、私どもの法律の建前から、昔からでございましょうけれども、あまりよくないのであります。
先ほど三沢先生も仰せになったと思いますが、要するに、その器具器械を使って料金を取ることが、いわゆる営業になりますので、それをお述べかと思うのです。
従って療術の方々は、さほど圧迫を受けていらっしゃらないから、いろいろな器具器械をお使いになられるのじゃないかと思うのであります。
そこに私どもとの相違がございます。
電気、光線は、お医者のいわゆる物療その他にいろいろ使われておりますが、それ以外にもろもろの器具器械を用いてやることは、先ほど申し上げた通り、びんの中にお湯を入れてゆするとか、あるいは小石を温めて腹の上へ乗っけるとか、いろいろな方法がございますけれども、これは一般民間の人がやっておるので、ことさらにわれわれがそれを扱って、それによって何か報酬をいただくことは、不本意だと私は思います。
あくまでわれわれあんま、マッサージ師、あるいははり、きゅうを行う者は、そこはあてがわれた器具器械だけを使う、それ以外のものは使えないというような昔から命令が出ておりますので、それを守っているだけで、療術者がその器具器械をお使いになることは、私どもから考えると、何か束縛がないから使う、こういうふうになるのじゃないかと思うのです。

○花田参考人(日本鍼灸師会会長)
 私が申し上げたのは、今お聞きになった通りであります。
そう解釈していただいてけっこうであります。
ただし、私どもやはり手技というものはあんまに入る――療術の人の言っておられるところをかりますと、手技が入るのであります。
また温熱とか手技というものは、きゅう、はりの中に入るべきを、これだけを独立して認めるのは不合理だ、また電気につきましては別途に考えていただく、こういうことを申し上げたのであります。

○受田委員
 お二人のお説と、それからお医者さんの両先生のお説と比較いたしまして、結局医業類似行為――あんま、はり、きゅう、柔道整復、今まで認められてきた療術師、これらは全部一本の形で考えられるものであると解釈される。
ただ器械器具を用いる場合は、目の見えない方々には非常に危険が伴うので、この場合は特殊の制約があるのだというふうに解釈をさせていただきました。
従って、厳密に言うならば、花田先生のお説の、この法律はあんま、はり、きゅう、柔道整復及び療術と現在まで唱えられてきた人を全部一括して、名称はたといどのようなものであってもいいとなれば、全部含めて療術という名前を使ってもいいのだ、名称はいずれにも制約はされないでいいという考え方でこれを認めていってもいい、同性格のものであると認められてよろしゅうございますか。
この点、名称の問題に関することでありますが、あんまの中へ吸収するということになりますならば、はりもきゅうも柔道整復も、全部あんまの免許によって得るような形でもいいと解釈もできると思うのです。
この名称の点につきましては、その内容が同じ系列に属するものであるから、いかようなものにこれが使われても、これは当然統一解釈をする立場であるというふうに考えていい、医業類似行為であると解釈してよろしゅうございましょうか。
この点を四人の先生のうちから、それぞれの御意見をお聞きしいたいと思います。

○岩原参考人(国立箱根療養所所長慶応義塾大学教授)
 まず第一に、私からお答えさせていただきます。
繰り返して申しておりますように、私はただいまのお話のように、ある一つの名前に統合することはけっこうであります。
しかし、それはどこまでも一定の医学的基礎教育を施して、その上で試験を通って、それからさらに医者の診断を受けたそのあとに、医者の処方に従って医者の監督下に行う。
先ほどこちらで質問がありまして、私あてでありませんでしたのでお答えできなかったのでありますが、そうしていただけば、国民の健康、衛生、福祉の上に最長だと存じます。
どこまでも広い意味の療術者、あるいは理療師と自称しているのもありますが、こういう方々は、医者の処方に従って、その監督のもとにやられる協力者、補助者、こういうふうになっていただきたい。
基礎教育もない、試験もない野放しの療術者がはびこるということは、これ以上国民にとって不幸なことはないのでありますし、またこれは非文化国家の象徴にすぎない。
進んできました今日の医学をやっておりますわれわれは、切にそういう時期が早くくるのを望んでいるのであります。

○受田委員
 もちろんこの警視庁令として認められた療術師の方々は、今まで届出のみで営業をされていたのでありますが、この届出の内容を見ますと、器械器具に対する厳重な検査も、当局がしなければならないようになっているし、また実際に実害があった場合は、法の定むるところによって禁止をされるようなことにもなっておるということで、結果的には厳重な制約を受けてきておるのでありますが、ある年限を限った基礎教育の上に国家の定める試験を経ていないという点は、確かにその間に大きな差異があったと思います。
従って、この療術師の人々に対する国家の保護の期間がこの年末で切れるということになりますと、ここで問題が起るのは、現に国の定むる命令によって届け出て業をしており、しかも、事実上は無害有益な業を営んで、もし弊害があるならば国家からあらゆる立場からの制約を受けられておるという、結果的にはそういう形になっておる人々が、今後どういう形でこの道を開いていくかということになるので、今の三沢先生の御意見であるならば、これは同じ基準の試験制度あるいは修得期間を基礎教育に振り当てる、こういうような便法を講ずる、もしくはあんまとしてのそういう基礎教育を受けた上に、さらに一年でも二年でも別の器械を使う場合等における教育を受けて医師の協力者、補助者として立つような形に進むならばよかろうというようなお説に拝聴したわけですが、現に業をしておる人々は、政治的な立場から皆さんがお考えになられてよろしいものではないかというように私は解釈したわけであります。
結果的には、この際問題になるのは、三十年の末をもってこの法律の定むる仕事ができなくなる方々が、今後どういう形で生きていくかという生活権の立場と、もう一つは、その業とする内容が国民の体位の向上とか、あるいは疾病の治療とかいうような方面に関する立場と、二つの立場かへこれを考えなければならぬので、この点、あんま、はり、きゅうの立場の小守先生から、療術の立場の方々とあんまの人とが、同等の試験を受けて業を継続され、また今後新しい資格を坂られるということならば異議がないという今御意見があったと思います。
また花田先生も、三十年末までのこの期限は、要するに玉石混淆で、筋の通った分だけは当然これは認むべきであると従来解釈してきたという意味から考えるならば、この際三十年末をもって一応期限が切れる療術師の人々が、新しい分野にその生きる道を考えることについては、御賛成の意思を表明されたと私は考えていいと思うのでありますが、いかがでありますか。

 もう一つは、生活権の立場からの問題であります。
この点は、あんま、はり、きゅうの方々にも、最近同業者を圧迫するもぐりの方々がふえてきた。
従って、こういう人々をこの際根本的に整理して、免許を持った人だけがお仕事をなさる、また療術行為をされる方々の中にも、従来の届出以外の人々が、いろいろなものを発明してもぐりの業をしておられる、こういう方々の自浄作用を行う。
こういうふうにして、民間において基本的な国家の監督を受けて業とする人以外のものがなくなる措置をとれば、筋がはっきりとすると思うのでありますが、この点、生活権の問題に関連して、そうしたもぐりを追放するという立場で、生活問題は解決ずるのじゃないかと思いますが、これらの二点について、御意見を拝聴したいと思います。

○小守参考人(全日本鍼灸按マッサージ師会会長)
 ただいまの受田先生のお青葉の前段は、この際療術師としてという御意見のように存じますが、われわれは医師以外のもので、あんま、はり、きゅうと言われておりますので、そのあんま、はり、きゅうを、現在の場合直して、療術あるいはまたほかの名称のもとに包含されるということに対しては、われわれの団体人は、一切不賛成なのでございます。
私どもは、先ほど来申し上げた通り、歴史あるいは伝統その他の点を守って参ったればこそ、はりにしても、きゅうにしても、あんまにしても、またお医者の方から授けられたマッサージにしても、われわれの手で守っておるのであります。
それ以外に治療のあるべき道理がない。
あれば、要するにお医者がすべきものを、多少監督が不行き届きのためにそれからそれへと進んで、療術が何百種類あるというように、まことに不可思議なものに考えられるのであります。
いかに器具、器械を使いましても、これは先ほど来申し上げておる通り、医師でなければできない。
医師以外に、われわれがやっておるのでありますから、私どもはそれを信じてやっておるわけです。
今日の場合、この名称が療術に変るとかなんとかいうことは、絶対不賛成なのであります。
また、今受田先生がおっしゃる器械、器具、これはさっきから申し上げておる通りで、二度と申し上げなくてもおわかりだろうと存じますが、要するに私どもは、医師以外のもので、あんま、はり、きゅう、柔道整復に、それ以外の療術とかあるいは何とかという名称のつけよう道理がない。
それは民間で加持祈祷、おまじない、その他いろいろなものが集まったために、こういう療術というような文字が出てきてしまったのであります。
何もインチキな、方法がつかないためにできた名称の中に、われわれのとうといあんま、はり、きゅうが入る道理がないのであります。
また今三沢先生その他がおっしゃいましたように、だんだん世の中が進んで参って、医師の従属として何かできるような場合には、われわれも考えなければなりませんが、昭和三十年で、あるいは今後、早くいえば、認めないという場合において、私どもその療術の中に包含されるということは、まことに遺憾に思うのであります。

○花田参考人(日本鍼灸師会会長)
 今、先生の質問の中に、新しい方法で認めようという御意見があったのですが、どうも私にはぴんとこないのです。
繰り返して申しますが、私どもは、手技に属するものは、あんまとして認めることに賛成で、それ以外に絶対に別に作る必要は認めない。
なぜ作らなければならないかということを、私の方からお尋ねしたい。
それから電気、光線は、先ほどから申しておりますように、別個のもので、お医者さんの意見もありますから、当然いろいろな点を考慮して、別途に考えていただくということに持っていきたい。
それから温熱とか、刺激とかいうような仕事から、いろいろ実例が出ましたが、これはきゅうや、はりは、三千年来伝わってきたものである。
そういう技術があるので、無理にこの名前に取りかえなければならないという理由の方をお伺いしたい。
これを療術としなければならないということに賛成の方の御意見があるならば、その御意見を承わりたい、かように考えます。

○受田委員
 名称があんまの中に全部吸収される形になっても、またそれがあんまという言葉を使わなくても、療術という言葉で一括して言ってもいいというように、さっき花田さんが仰せられたと私は思うのです。
そのことを今お尋ねしておるのです。
さよう心得てよろしゅうございますか。

○花田参考人(日本鍼灸師会会長)
 今言うように、いろいろなものがありますから、あんまの名前にこだわることはいけない。
今申しましたように、このあんまの中には、マッサージを認めるということになっておりますから、 マッサージの人なり、あんまの人なり、あるいは今度新しくできる指圧の人なりが相談されまして、この際、あんまというのはあまり感心しないから変えようじゃないかということになって変えられるならば、これは理屈を抜きにしまして、みんなが喜ぶなら、そうされるのもけっこうだ、こういうように考えております。

○受田委員
 私はこの、医業類似行為が、一貫した体系の中に打ち立てられるというような形に、お医者さんたちの両先生もお考えになられたんじゃないかと思うのです。
従って、そのことを今申し上げておるので、療術という言葉を、あんまに変えて使ってもいい場合も考えられる。
すべてを、療術といってもいいし、あるいはあんま、はりというような一括した立場で、このことは考えらるべきではないかというさっきの花田さんの御意見を、私は一応傾聴したのですが、そのことともう一つは、新しい道を開くということであります。
療術行為をされている方々の中に、今御指摘になられた電気とか光線とかいう部門がある。
この部門は、今入れる道がない。
はりの方へも、きゅうの方へも入れられない。
しからば、これは新しい分野として、何かの形で規定しなければならぬ分野であると思うのです。
そのことを私申し上げたのであります。
この場合に、これを医師の医療の中に考えるか、あるいは別に医師の補助機関として、あるいは協力者として、あるいは医師以前の行為として、従来のあんま等の中にその器具を用いる場合を特に考える、器具を主体として考える場合を入れるか、この際いろいろな道が考えられなければならない。
それによってわれわれが国会で結論を出さなければならぬという意味を申し上げたわけです。

 従って、今問題になるのは、その器具を用いる場合における措置でありますが、三沢先生の御意見を拝聴しますと、それはあんまとして基礎的な教育を受けた後における一定の期間に、さらに器具を用いる専門的な知識、技能の修得をして、医師の補助機関、協力機関となるのが、筋が通るのだというような意味のことをおっしゃったと解釈しておりますが、さよう心得てよろしゅうございますか。

○三沢参考人(東京大学名誉教授)
 ただいま御説を伺いましたが、その通りでございます。
しかし、これは法律をきめる上に、よほど厳格にきめないと、ちょうど先ほどの委員の方が御心配になったようなことになると思うのです。
それは、私、先ほどわざわざはっきり申しませんでしたが、現在あんま、はり、きゅうというのは独立開業、それから医業類似行為者も独立開業、それで今の物理療法を商売になさる方の学校を新たに作ることは、先ほどの委員の方の御心配のように、私は非常に反対です。
そこで、ちょうど現在助産婦が看護婦学校を卒業して、半年あるいは一年修業して助産婦になるように、はり、きゅうはどうでもいいのですが、あんま、マッサージをやりまして、その上今の物理療法の修業を一年ないし二年修業する、そして医者の補助者となる。
これを独立開業させるか、医者の病院で技術者として使うか、これが先ほどの御心配になるかならぬかの分れ道だと思いますが、独立開業を許すか、医者の補助機関として、ほんとうに医者が診断しました上に、治療法を指定して、その光線療法、物理療法をやらせるか、それによって先ほどの御心配になるようなことが起るか、あるいは少しも心配せぬでいいか、われわれの大学が物理療法でやっておるのと同じことになるかというのは、そこにあると思うのであります。
それですから、新しい物理療法の学校を作ったとしたら、今よりもっと乱雑になり、国民健康保持の上に、非常に害毒を流すおそれがあると思います。
それで、あんま、はり、きゅうの学校の先生は、御迷惑というか、ちょうど看護婦学校の上に助産婦学校があるごとく、あんま、はり、きゅうを一たん修業して、その上で二年、三年やって、物理療法の補助者になるというように決定すれば、決して害毒はないと思いますが、そういう点が法律の設定の場合に、非常に大事な点だと私は存じます。

○受田委員
 それから、お医者さんの立場から考えられたならば、あんま、はり、きゅう、マッサージ及び療術行為すべてにわたって、疾病の治療ということは考えてはならない、体位の向上とか、あるいは疲労の回復とかいう限度を越える行為をしてはならぬというように仰せられたと思うのでありますが、さよう了解してよろしゅうございますか。

○三沢参考人(東京大学名誉教授)
 現在のあんま、はり、きゅうの方は、疲労回復あるいは健康の増進、それに加えて先ほど小守さんがおっしゃいましたが、多少疾病の治療をなさっておるというのが現状だろうと思います。
しかし、医者の方で、もし医者の物理療法の補助者として使う場合は、疾病の治療で、医者の業務の一部分の分担とわれわれは考えるわけです。
これは決して将来害毒を流すことはないと思います。
しかし現在、よほど大きな病院でなければ、そういう方は二、三人以上はおられぬ、われわれ専門のようなところでありますと、十人くらいいますが、総数において相当少いと思います。
将来こういう方がどんどんできたならば、就職の口がないと思うのでありますから、それで、なるべく学校で、現在のそういう業務をなさっておる方をもっと再教育して、そういう方をお使いになれば、われわれも利益になり、そうして国民にも利益があると思うのであります。
失礼でございますが、現在の光線療法あるいはいろいろな治療法ただ一つをやっておる方にそれを持ってきて、あなたの補助者にしろといっても、われわれはお使いできないと思うのであります。
医学的な知識全般にわたってでなければ、ちょっとすぐ補助者となれぬと思いますから、その点は、われわれ再教育ということを申し上げておる次第でございます。

○受田委員
 今の療術をされておる方方は、お医者さんの行為以外の立場において、ここに療術行為取締り第一条にあるのですが、疾病の治療あるいは保健の目的をもってする光、熱、器械器具その他のものを使用してあるいは応用して、医師の運用をして他人に施術を施すという、こうあげてあるのです。
これは一つの国家の命令として出ておることですが、お医者さんの行為、すなわち医療行為以外の疾病の治療ということが、ここに出ているわけです。
これらの問題につきましては、当然あんま、はり、きゅうの場合におきましても、疾病の治療には絶対に当ってはならぬ、つまり医師の同意とかあるいは協力者として以外の立場からは、絶対に疾病の治療をしてはならぬというような厳重な解釈をするならば、この命令も一つの違反になると思うのでありますが、医師の治療行為以外に、こうした命令で定むる特殊の場合における疾病の治療というようなことが考えられる場合はないのでございましょうか。

○三沢参考人(東京大学名誉教授)
 現在あんま、はり、きゅうの方は、おそらく独立開業ですから、民間療法として疾病の治療を一部分なさっておると思います。
しかし、かりに物理療法をほんとうに系統的にやるとすれば、これは医者の物理療法の一部分とわれわれは考えまして、医者の治療以外とは考えられませんし、現に光線療法は、医者の使っている器械と全く同じであります。
今の医業類似行為者の器械をわれわれ数年前に拝見したのですが、そのうちの半数ぐらいは、医者の使っておる物理療法の器械と全く同じです。
ただ型式がちょっと変っておりますが、原理は全く同じです。
そのほかいろいろな、われわれの知らぬような、医学的でない器械もありますが、そのうちの半数は、われわれの使っている器械とほとんど同じであります。

○受田委員
 医師の方でその器械の検査その他を厳重にされて、そうして医業類似行為を許されておるならば、実害が今まで少かったであろう、無害有益の場合もあったであろうというようにわれわれは考えております。
従って、現に器械器具を用いて施術をやっておる寮術の方々は、実際に害毒が流れておる場合は、それはもぐりをしておる人々であって、器械の検査等を厳重にせしめられて、そうしてその届出によるワクを厳重に解釈された人々であったならば、それはそうした心配をする必要はなかったのではないか。
結局、厚生省もしばしば、過去において療術の中で無害有益と認められるものもある−今岩原先生も御指摘になりましたが、指圧のごときにおきましても、非常にいいのもあるのだということを、ここにおられる久下さんも過去においてこの国会の委員会で答弁されておることもあるのです。
従って、その性格がもぐりであるか、あるいは筋を通した人であるかによって、差等が生じておる結果ではないかと私考えます。
そうしてもう一つは、一定期間の基礎教育、そして国家の試験によってその資格を審査するという過程を経なかったという点において、心配があるということになるならば、この際国としてそういう行為を業とする医業類似行為の人々に対しては、厳重なる審査をして、その無害有益者とそして有害者との判定をする責任があるのではないかと思うのでありますが、この点につきまして、お医者さんの側を代表される先生としましては、当面の問題として、現在療術行為をやっておられる方々に対して御心配の点について、国家の試験によって再審査をやってこれを継続し、あるいは今三沢先生の御指摘のような基礎的なことを、あんまその他の教育によって修得して、さらに器械器具に対する一定期間の教育をやって、新しくそういう人々の道を開いてあげるようにするとか、そういうような立場をとる等、当面の問題として、いずれかの道を講じなければ、長くやってきた人々を救う道がなくなると思うのです。
従って、政治問題とまた別にして、国民体位の向上という意味から、今この席でお話になられましたような、そういう制度が立法化することを御期待になられておりますかどうか、お伺い申し上げたいと思います。

○岩原参考人(国立箱根療養所所長慶応義塾大学教授)
 先ほど来申しておりますように、広い意味の療術と申しますか、医業類似行為は、野放しでやっちゃいかぬというのは当りまえです。
やはり医者の監督と申しますか――監督という言葉も不隠当かもしれないが、病気は経過によって違いますから、やはりその経過を見ていけるところの能力のある人が、こうだからこうやって下さいと言える状態でなければ、施術はやってはいけない。
民間で独立の営業ができるようにしておいては、ことに光線など器械器具を償う場合には、私は危険だと思います。
そういう意味で、繰り返して申し上げますが、やはり医療の一部を担当してくれる協力者、補助者ということに帰一するだろうと思います。
そうでないものは普通の古い観念によるあんま、病気のない人の慰籍という程度に許される。
これは法で許すべきかどうかは、私は存じません。
どこまでも医療に属するものは、医者の処方と監督のもとに行われなければならぬ。
そうしなければ、ことに器械器具類を使う場合には、不都合が生ずるだろうと思います。

○受田委員
 あんま、はり、きゅうの立場から、現在疾病の治療の目的を持った施療行為ということは、やっておるのでございましょうか。
今お医者さんの立場からこれを認められていないのだということですが、医師の補助をする以外に、そういうことをやっておられることはないかどうか、お伺い申します。
花田先生でも小守先生でも、どちらでもけっこうです。

○花田参考人(日本鍼灸師会会長)
 私どもは、別に医師の指示を受けなくても、治療類似行為をやっておると自認しております。
医療行為でないのに、やいとでやけどさせるような場合は、別に方法があると思いますが、これは一つのりっぱな治療行為であると思ってやっております。
でありますから、先ほど申すように、国家が治療行為と認められるだけの待遇とその責任を負わされてもかまわないから、待遇と責任を与えてもらいたいということを申し上げておるのであります。

○受田委員
 それで花田先生は、その場合、現在の規則では、疾病の治療ができないということに対しては、早急に法律改正をやって、それを認めるべきであるという御意見のように解釈してよろしゅうございますか。

○花田参考人(日本鍼灸師会会長)
 私どもは、法律第一条に、医師以外の者で、あんま、はり、きゅう、柔道整復業を行う場合はと書いてあるから、当然あんま、はり、きゅう、柔道整復をやれる範囲の医療行為は、お医者さんから委任されておる、かように解釈しております。
これを別に今直ちに改正するということは考えておりません。
それよりもっと進んで、積極的にお医者さんの補助になるような制度を作ってもらいたい、こういうように考えております。

○受田委員
 けっこうです。

○中村委員長
 長谷川保君。

○長谷川(保)委員
 先ほど岩原先生から、カイロプラクティクについての御意見があったのですが、一部では療術行為といわれておりますが、専門にカイロプラクティクをやっておる者がある。
そこで三沢先生にカイロプラクティク療法についての御意見を、ごく簡単でけっこうですから、結論的に伺いたいと思います。

○三沢参考人(東京大学名誉教授)
 カイロプラクティクは、アメリカあるいはドイツでもそれぞれ行われておる民間療法でございます。
私、詳しく存じませんが、これは医療行為でないとわれわれは考えております。
向うでも、民間療法として治療しておる。
ことにアメリカなどでは、州がたくさんありますから、ある州では許可し、ある州では禁止しておるという程度でないかと思います。

○長谷川(保)委員
 今度は花田さんにちょっと伺いますが、先ほどから伺っておりますと、私の聞き取り方が悪いのかもしれませんが、どうもはっきりしないのであります。
花田さんは、この三十年でもって一応禁止になりますこの療術関係の法律は、ここで切った方がよいのか、やはり三年引き延ばして何らかの救済措置のようなものを講じた方がよいのか、どちらをおとりになりますか。
先ほど伺っておりますと、どうも両方に御発言があったように思うのです。
私の聞き取り方が悪いのかもしれませんが、はっきりしませんので、お伺いをいたします。

○花田参考人(日本鍼灸師会会長)
 政府から出された、政府の考えておられる案を見たら、三年という説が出たわけであります。
政府では、今年の十二月三十一日で一応切る、ただし、そのうちの指圧はこれを救う。
あんまの中において指圧ということを認めて救う。
そのほかのものについては三年間、転業あるいは廃業というような期間を設ける、こういう考え方で三年間、三十三年までという期限が置いてあるようであります。
そこで、それはまことにけっこうだ、こう考えたわけであります。
その三年の間に、私どもは、今の電気、光線に関する限りは、これはまた変った考え方が出るのじゃないか、さように考えております。
あんま、はり、きゅうというのは、一応変っても、そう大した変り方はないでしょうが、電気、光線に至っては、原子時代の今日ですから、あしたになるとどういうものができてくるかわからないというようなことがいろいろ予測されるので、三年間にはまたどう変るかわからない、こう考えたから、この間に相当の含みがあるものと私自身は考えたわけで、別に会でそういう相談をしたわけでもなんでもありません。

○中村委員長
 福田昌子君。

○福田(昌)委員
 三沢先生か岩原先生に伺いますが、先生の長い御経験の間におきまして、あんま、はり、きゅう、あるいはまた柔道整復あるいは指圧なんかの治療によりまして、お医者さんとしておやりいただいた場合、誤まった治療をされて、あとの処置に相当困られたというような例が、極端な例としてどの程度ございますでしょうか。

○三沢参考人(東京大学名誉教授)
 お答えいたしますが、先ほど岩原参考人(国立箱根療養所所長慶応義塾大学教授)からお答えがあったと思います。
しかし、われわれも大学の内科物理療法学の講座を担当いたしまして、われわれの教室には、もちろん何人かのマッサージ師がおるのであります。
それにわれわれマッサージをさせまして、そしてわれわれは適当な治療をして、適当な治療効果をあげております。

 それから、表のこういうふうな小守さんあるいは花田さんあたりの確かな方のところでは、やはり相当な効果をあげ得ると思いますが、あるいはもぐりでありますとかそこらでは、しばしば間違うこともあるのじゃないかと思います。
それは要するに、病気の診断がついてやるか――たとえば脳溢血のあと、あるいは小児麻痺のあとの麻擁したような場合、これはやってちっとも差しつかえない。
何か化膿性疾患であるとか、非常に急性の疾患であるとか、あるいは神経痛にしましても、急性の時期にマッサージをしますと、これはかえって悪くなる。
ですから、そういう非常に長年御経験のある方はわかりますが、もぐりでありますとか、あるいはほかの特殊なむずかしい疾患でありますと、やったために悪くなるということもあると思います。
しかし、大体においてマッサージは、今までの規定によりますと、二年間の教育あるいは二年以上の教育を受けてやっていますから、そう大した間違いはないと思います。
要するに診断がついて、適応症に、やるべき病気にやったか、あるいはやって悪い禁忌症にやったかというのが問題だと思います。
それは、そういう間違いもないではないだろうと思います。

○福田(昌)委員
 そういたしますと、相当経験を持って、これがそのあんま、マッサージ、あるいはまたいうところの療術行為に対する禁忌のものであるかどうかというような見当がつくようになればいいが、それでない場合においては、やはりある程度医師の監督のもとに行うべきであるとお考えになっておりますか。

○三沢参考人(東京大学名誉教授)
 その通りでございます。
それで、現在のあんま、マッサージは、規定の教育を受けて、厚生省あるいは県の試験を受けてやっておりますから、大体において間違いがないのであります。
それで、先ほど来問題になっております医業類似行為者というのは、その教育を受けている方もありましょうが、受けていない方もあるのであります。

 ここでちょっとお断わりしておきますが、そういう光線療法をやっておる方には、あんま、はり、きゅうの免状を持ってやっておる方も、おいでになると思います。
そういう方は、今後あんま、はり、きゅうをおやりになって差しつかえない。
そういう免状をお持ちにならない方も、何千人かおるのであります。
そういう方が問題であります。
そういう方が、どんなに痛いというので、今の光線療法をやり、あるいは電気療法をやりますと、先ほど岩原さんのおっしゃったように、ガンで来た神経痛に電気をかけたり、光線をかけたりして、これが非常に悪くなる、あるいは時期を逸したというようなことがくるわけであります。

 それで、私が先ほど申し上げておりますのは、そういう方も、やはり一定の教育を受けなければならない。
というて、わざわざそういう物理療法の学校を作るということは、今でも困っております民間療法が、今後ますますふえるというので、今生でのあんま、はり、きゅうの学校の上級に、ちょうど看護学校の上に助産婦学校があるように、その上に重ねてやりましたら弊害が少いだろう。
しかし、それを独立開業させるか、させないか、それが大問題でありまして、それを私が先ほど言っておりますように、医者の補助者として大きな病院が雇い入れる等にすれば、全然間違いがないのですが、これで果して適正なものかどうか、これは皆さんの政治的にお考えになる問題だろうと私思います。

○福田(昌)委員
 十分熟練をすれば、治療行為としては誤まりない行為もできるけれども、熟練するまでの間は、医者の監督を必要とした方がよろしいという御意見のように承わりましたが、熟練した方が当然誤まりがないことは、了解できるのでございます。
しかし、いかに熟練いたしましても、たとえば看護婦さんがいかに熟練しても、診断をいたし、治療をする正式な権限がないのと同じ意味合いにおきまして、ごく端的にお医者さんとしてお考えいただきました場合、こういうあんま、はり、きゅう、柔道整復術、指圧というような業態は、医者の監督のもとにあった方がいいとお考えになるのか、独立開業を許してもいいとお考えになっておるのか、その点、端的な御意見を伺わせていただきたいと思います。

○三沢参考人(東京大学名誉教授)
 あんま、はり、きゅうは、現在独立開業、しかし、これは免許を得ております。

○福田(昌)委員
 現実はそうでございますが、現実でなくて。

○三沢参考人(東京大学名誉教授)
 大した弊害はないと私は思っております。
問題は指圧ですね。
今問題の中心は、指圧とか。
光線療法とか、温熱療法、これは全く免許がなくてやっておる。
また一定の基礎教育がない。
それで私は、もし今年度一ぱいで認可の取り消される方は、今のあんま、はり、きゅうの学校にでもお入りになりまして、あんま、はり、きゅうを二年間勉強なさり、そうして、もし今の物理療法をなさるならば、その上で上級の学校でさらに勉強して、そうしてやりなさるならけっこうだと思うのであります。
しかし、物理療法、光線療法だけで、決して万病がなおるわけではないのであります。
光線療法、物理療法には、必ずほかの水治療法だとかあるいはマッサージが必要であります。
ただ一つだけでなおるということは、われわれ考えられないのであります。
もともと物理療法というものは、薬でなおらない病気がありますので、物理療法をやるのですから、物理療法だけでは、決して病気はなおらないのでありまして、われわれは内科の物理療法学教室でありますが、薬をやって、その上でなお物理療法をいろいろなものをやりまして、それでなおす、それでもなおらぬ病気があって、はなはだ申しわけないという状態です。
ですから、光線療法だけで病気がなおるということは、それはごく軽いものはなおりますが、まずあまり考えられないと私は思います。
薬をやり、その上に物理療法をいろいろやりまして、それでもなおらぬ病気がおってはなはだ申しわけない次第であります。

○岩原参考人(国立箱根療養所所長慶応義塾大学教授)
 私の意見を言わせていただきますが、私は将来理想としては、広い意味において医業類似行為を現在されておる方々は、すべて一定の教育を受けて、試験を通って、それから、医者の監督のもとにやるべきだ、これが国民の健康を保持する術と申しますか、医の正道だと思う。
現在は過渡期にすぎないと思うのであります。

○福田(昌)委員
 三沢先生のただいまのお話によりますと、たとえば指圧というような業態は、教育機関もないし、免許制度でもないから、これはよろしくない。
しかし、何らかの教育機関、免許制度を与えれば別問題である。
従って、これからの指圧なるものは、あんま、はり、きゅうの学校に入って勉強して、免許を取ってそれから出直す方がよろしい、こういう御意見のように承わりましたが、先生の御意見によりますと、指圧、あんま、マッサージというものは全く同じだ、小守先生や花田先生と同一の御意見に伺いますが、そうでございますか。

○三沢参考人(東京大学名誉教授)
 趣意はその通りでございます。
ただあなたのおっしゃることが、少し極端におっしゃっているものですから、非常にかどが立ちますが、趣意はその通りでございます。
現在こっちの方も、マッサージあるいはあんまと指圧は同じ、指圧はあんま、マッサージの一部分と認めた。
それにもかかわらず、免許を受けていない。
従って、今後免許を受けるには、あんま、はり、きゅうの学校に入るか、あるいはもっと簡便に、臨時措置としまして一年とか二年の教育で試験を受けて免許を受ければいいわけだと思います。
指圧がきかぬというわけではありません。
指圧もマッサージの一部門であり、その部門が特に発達しまして、今では見かけ上は違っておっても、マッサージの一部門と見て差しつかえないと私は思っておるのであります。

○福田(昌)委員
 指圧の教育機関としては、どの程度の教育機関がよろしいと思っておるのでございましょうか。

○三沢参考人(東京大学名誉教授)
 指圧の教育法と申しましても、私あんま学校の先生をやったことがないので、よくわからないのですが、やはり基礎教育的な生理とか解剖を一応やりまして、それから神経系の疾患とかあるいは慢性リューマチ、そういう簡単な臨床のことをおやりになりまして、そうして一般のマッサージあるいはあんまの方法を習いましてそれに加えて指圧、そこで試験なさったらいいのじゃないかと思うのです。
私、そういう方面の学校に関係したことがありませんから、具体的なことは存じません。

○福田(昌)委員
 あんま、マッサージと指圧を同列に置かれましたが、その学理的な根拠を承わりたいと存じます。

○三沢参考人(東京大学名誉教授)
 はなはだ残念でありますが、私指圧を研究したことがありませんから、わかりません。
しかし、マッサージにはドルッケンと申しまして、圧迫法というのがあります。
ちょっとここで承わりますと、圧迫法の特に分化発達したものが指圧ではないかと思うのでありますが、実際、私、指圧を研究したことがありませんから、わかりません。
そういうふうに、とにかく手をもってやる手技でありまして、マッサージの一部門と見て差しつかえないと、私は医学的に断定いたします。

○福田(昌)委員
 そういう御断定をお下しになるまでの間に、教授とされまして、十分指圧に対しても学理的な御研究があるかと思っておりましたが、御研究を持っておられないままで断定なされたということに、非常に遺憾なものを覚えます。
これは何もあんま、マッサージと同じであるから、別個に考えるべきだからというわけで申し上げておるのではない。
私どもは勉強いたしておりませんから、学者としての先生に、どういう学理的な根拠をもって同じ地位にある、またどういう学理的な根拠をもって別個にすべきものか、その学理的なことを承わりたいと思っておりますが、御研究がないのは非常に遺憾に存じます。

 同じ意味合いにおいて、岩原さんの御見解を承わりたいと思います。

○岩原参考人(国立箱根療養所所長慶応義塾大学教授)
 先ほどからの話を耳にとめておっていただいたら、了解いただけると思いますが、現在広い意味における医業類似行為の学問的根拠は、われわれが探さなければならない。
たとえば指圧は、おそらく神経が筋肉を貫通する部分、いわゆる急所を押してよくきいたとか、きかないという刺激療法ではなかろうかと想像する次第であります。
一番最初私が申し上げましたが、むしろこういう民間で独立してやっておる類似行為は、医療に対しては無関心で、文化国家として将来においては否定さるべきものだと考えております。
どこまでも医療の一半を担当してもらう教育のある人でなくてはならぬ。
でありますから、マッサージ、あんまは、血液の循環をよくしましょう。
これらはわれわれが医学的に理屈づけておるだけであります。
すべてのわれわれのいう療術行為は、病医学的には説明し切れません。

○福田(昌)委員
 岩原先主の御見解によりますと、やや私ども了解をさせていただけるのでございますが、医業類似行為の学理的根拠というものは十分究明されていない、おっしゃる通りであります。
しかしながら、その中においても、あんま、マッサージ、指圧に対するそれぞれの医業類似行為の中における学理的な根拠という点は、それぞれやはり特質があり、根拠があると思います。
一応差異が出ておるということも、ただいまの岩原先生の御説明によってうかがえたと思うのであります。
岩原先生の御見解によりますと、題として出ております医業類似行為というものは、むしろ適切でない、医療補助行為とするのが適切であるというふうな感じに受け取れるのでありますが、先生の御見解はいかがですか。

○岩原参考人(国立箱根療養所所長慶応義塾大学教授)
 端的に申せば、まさにその通りであります。
私は、われわれの学会ではそれを叫び続けてきておりますが、ここにマッサージの方の方がおられるので、はなはだ申しにくいの噂ありますが、マッサージの進歩的な方の了解を得まして、そういう方に、われわれの分野だけで申しますれば、整形外科的な教育をして、整形外科マッサージを修得する、そうしてこの治療効果をあげたいと念願しておる次第であります。
それでマッサージ師、医療マッサージ師、あるいは医療師、こういうものの問題を学会それ自身として取り上げて、これの成長を願っておるゆえんであります。

○福田(昌)委員
 もう一点だけ重ねて伺わせていただきます。
岩原先生の御見解によりますと、あんま、マッサージ、指圧というようなものは、ただいままで芸学的な、学理的な治療過程がはっきりしていないのでありましょうけれども、多少は差があるものとお考えでしょうか。

○岩原参考人(国立箱根療養所所長慶応義塾大学教授)
 たとえば、先ほどからマッサージの中に指圧も含むと申しますから、マッサージの中の、あるいはあんまの中の小分けになるうらみはありますが、いわゆるマッサージという考えで思い浮べます。
さするとか、もむとかいうことは、大体は血液の循環を促進することになるでしょう。
指圧とか圧迫ということからいけば、これは神経を圧迫刺激することになるでしょう。
こういう意味でありますから、それぞれの形で多少は違いますが、いずれにいたしましても、血液の循環を直接によくするか、あるいは神経を刺激して反射的に促進するか、あるいはそれがもっと空想をたくましゅうすれば、自律神経の方まで考えますれば、全身の変調を整えるというところまで、マッサージとか、指圧というものは、あるいははり、きゅうというものは、理屈づけられるということになるかもしれませんが、医学の現段階、ことに現代の知識においては、そうこまかく作用を小分けするほどの幅広い治療効果はないだろうと思います。

○福田(昌)委員
 重ねて伺いますが、あんま、マッサージ、指圧というものは、ほかの先生方と同じように、指圧をマッサージに入れて差しつかえない、こういう御見解でありますか。

○岩原参考人(国立箱根療養所所長慶応義塾大学教授)
 現在の過渡的な存在を許す状態においては、まあよかろう、こう思います。
私は、区別もなしに何もかも、最初から三沢さんがおっしゃっておるように、医学的物理療法を教育して、それがわれわれの医療の一半の担当者として協力していただきたいと考えております。

○中村委員長
 それでは午前中はこの程度にとどめまして、午後二時まで休憩いたします。

   午後一時三十九分休憩
     ――――◇―――――
   午後二時三十九分開議

○中村委員長
 休憩前に引き続きまして会議を再開いたします。

 医業類似行為に関する問題についての調査を進めます。

 この際、参考人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。
本日はお忙しいところを御出席下さいましてありがとうございます。
何とぞ忌憚なき御意見をお述べ下さりますようお願い申し上げておきます。

 なお、議事の整理上、意見をお述べになります時間は、お一人大体十五分と御了承願います。
その後委員の質問にお答えを願いたいと存じます。

 それでは、まず松原参考人よりお願いいたします。

○松原参考人(日本手技療術師会理事長)
 それでは一言ごあいさつ申し上げます。
本日貴重な時間をさいて、われわれの業務のためにお呼び出し下さいましたということは、まことに衷心まり感謝にたえない次第であります。

 いろいろ申し上げたい点もございますが、御承知の通り、昭和二十二年に、昭和三十年十二月三十一日限りという二百十七号の法律が出まして、私ども業者といたしましては、この上もないつの悲壮な感じに落し込まれたのであります。
だが、その禁止の理由は、占領下という特殊事情もありましたし、またわれわれの業界を顧みましても、その当時、おっしゃられたように、多種多様な様相を呈しておった状況でありましたために、私どもとしても、もちろんやむを得なかったのであります。
むしろそれは当然の措置であったかもしれないと思われます。
その当時、政府の答弁で申された中に、この八年間に調査研究を進めてみて、よいものがあればもちろんこれを保護助長するというような意味のお言葉がありましたので、私どもは、その後の歩みは、でき得る限り業者全体が手を握って、そして科学性の確立という点に全力を傾注してきたのであります。
そして私どもの業界−私どもの方は手を用いてやる協会の方でありますが、手を用いてやる業務は指圧、整体、オステオパシー、そのほかいろいろの名称があったのでありますが、それらの名称を、お互いに何か適当な一つの名称に統一して、そしてこれに基くわれわれの最大公約数をもってわれわれの理論としようではないかという申し合せをいたしまして、過去八年間にわたって、いろいろと業者間で検討して参りました。
そして昭和二十八年の五月三十日にようやく手技療術概論と手技療術の実際という二冊の書物を作り、これを厚生省に提出して――科学性の有無という点においては、われわれのわからないことでありますし、どうしてもこれは政府に御判定を願うより道がないということに一決しましたので、そのことを願い出ました。
これが二十八年の九月三日に、厚生省の方におかれては、それは協会の願い出の通りに、その科学性についての検討をしようというここの御了承を得まして、私どもはそこに一つの曙光を認めたような感じもいたしたのでありますが、その後そのままの状態ではいけないという業者間の考えもありまして、日本歯科医大の教授をしておられる伊藤先生、日本医科の佐藤喜一先生、群大の吉村先生、河村先生のお二人、そのほかに神奈川県で元医師会長もやられた青木巽先生、それと教育大学の教授をしておられる杉靖三郎先生の御指導に最近はあずかっております。
それから私どもの業務の調査研究員であられる藤井尚久先生の御指導も仰いでおります。

 かくしてその提出いたしました以後においても、われわれの業務の科学性という点については、今日に至るまで研究を続けて参ったのであります。
そうして私どもの絶えず考えて参りましたことは、科学性を確立し、業者の体制を整えれば、当然われわれの身分は認めていただけるものであるというように考える。
それには、どうしても厚生省の御意見をお伺いして、その通りに動かなければならないと考えてきたのであります。
つい三、四日前に政府案をいただきまして、私どもの業務が指圧という名称で、そうしてあんまのカッコの中に入れる。
そうして今後三年の間に所定の試験を受けるようにというような法案をいただきまして、私どもとしましては、もちろん何の異存もないのでありますが、この諸先生方の御助力によりまして、われわれは過去八年間ほんとうに苦心してきたのであります。
どうかその衷情をお察し下さいまして、この政府案の通り、われわれの身分をお定め願いたいと思うのであります。

 私どもは、今まで手技療法術師協会と申して参りましたが、これはわれわれ業者の間で結局統一的な名前を作るという意味で、手技療術という名前を選定いたしました、しかし最近におきまして、あんまの方の団体の方々から、この手技療術というような言葉は、将来われわれの努力によって、より一段と進歩した、いわゆる医療補助機関というようなものを作るときにどうしても使用したいような名称である。
だから、そういうような手技とか広い範囲の言葉をやめて、手でやる方の、最も代表的な数の多い関係からいうと、指圧療法というのが数が多いのであるから、その名前にせよというような御意見がありましたので、私どもといたしましても、いろいろ協議をし、結局あんま業者の御意見に従うことにしたのであります。

 私どもは本来あんま業者の方々から言われることは、われわれの業務と同じであるとか、一部であるとかいうことをしょっちゅう言われるのであります。
しかし私どもは、決してあんまの一部分とも考えておりません。
またあんまと同じものであるとは、もちろん考えておらないのであり戻す。
そこで、指圧という政府案でありますが、これについて申しましても、その語句にとらわれるならば、指で押すとあるから、押すのであろうと解釈されるのでありますが、私どもは、指圧という言葉を使っている意味は、体表部から何らかの形で圧力を加えるという意味に使用しているのであります。
これがある場合には、関節の少々出たのは正しい位置に返したり、あるいは筋肉がかたくなっているときには、これをゆるめるここもできますし、反対にゆるんでいるというときには、これに適当な刺激を与えて収縮力をつけることもできる。
つまり外部から与える物理的な操作という意味、圧力を加える操作という意味で使用しているのであります。
従って、われわれのやっていることは、単に圧迫ということだけではもちろんないのでありまして、からだの形を直す上においては、必要な運動操作というものももちろん入れておりまするし、またこの圧法については、さらに刺激というような観点またはその技術を加えていく療法というような点から、十三種の圧法を立てておるわけで、実は私どもとしては、決して同一のものとは考えておりませんが、あんまさんの方から言われたことは、そういう点であります。

 だが、これをもっと大きな目で見ますと、どうせ手でやることであるからということになれば、もちろん手のみを用いてやっておりますから、そういう意味では、今後大いにお互いに提携し、お互いにさらに研究を積んで、いわゆる営業法でなく医療補助法というものを作っていくというだけの大乗的見地からながめていきますならば、私どもも指圧でけっこうだということで、今までの療術という名前を取り下げたのであります。
はなはだ不得要領な話になったかもしれませんが、このあとは一つ諸先生の御質問に応じてわれわれの意のあるところをお答えしたいと思います。

 これをもって公述といたす次第であります。

○中村委員長
 黒田参港人。

○黒田参考人(全国療術協同組合緊急法制対策部長)
 全国療術協同組合を代表して率直に意見を申し上げます。

 本組合は、全国都道府県の七十八団体をもって組織せる療術界唯一の連合団体で、加入組合員、五千名を有し、常に業務の改善とその進展を期しておるものであります。
かつて厚生省が昭和二十八年まで五カ年間にわたって行われた療術の調査も、実に本組合を対象として行われたのであります。
まずわれわれは療術法制化の公約実行を要望するものであります。
政府は昭和十四年以来、療術の調査とその法制化を常に公約されているのであります。
さらにまた法律第二百十七号制定当時、療術業者全国大会において当時の一松厚生大臣は政府を代表して、療術業だけが民主主義下の今日において何らの事故なく多年業とせるものを禁止するのは忍びないところであるけれども、ある方面の意向でやむを得ない。
療術業の禁止された理由は次の二点にある。
その一つは、業種が数百種あって規正しがたいこと。次は、業者中には医学的知識の低いもののあることです。
それで、既存業者は八カ年営業が許されておるが、この二つの欠陥が補正さるるなれば、八カ年を待たず新規開業も許されることになると言明されたのであります。
その後毎年開かれる全国療術協同組合総会においても、一松先生は常にこの言明を確認され、本年五月の総会においても、このことは現在の川崎厚生大臣にも伝えてあると付言されたのであります。

 しかして、当局の要望せられたる業種の統一と業者知識の補習については、数百種といわれたものをすでに五種に統一して、昭和二十四年より五カ年間にわたる厚生省の療術調査を受け、業者知識の補習については、当時厚生省より紙の配給を受け、教科書を出版して、全国都道府県の団体に配付し、それによって各地の医科大学あるいは保健所等の医師を講師として補習を受けしめたのであります。
われわれは業種の統一と業者の補習を達成したのでありますから、政府は公約によって療術の禁止を解除さるべきであります。

 なお、療術の禁止が占領政策によるものであることは、前述の通りでありますが、一部の者は、療術が有害なものとして禁止され、転業期間が法律によって定められたものであるとの説をなしますが、われわれは、この期間に転業すべきだというようなお話を政府から受けたことは絶対にありません。
療術が、もし有害なものであるならば、政府は一日もこれが存続を許すはずはないのでありまして、この点から考えてもこのことは御了解になると存じます。

 次に、療術は、実に過去数十年間、何らの事故なく発達して参ったことであります。
すなわち、手持における術式においても、電気、光線、温熱、刺激等においても、長い問の厳重というよりも過激といった取締りを受けたために、最も安全にして有効性の豊かな方面に発達を遂げ、さらに現在においては、すでにわれわれ療術の社会性が事実として一般に認められるに至ったのであります。

 次は療術等の医業類似行為を許す限界について一言申し上げます。
現在の制度においては、医師でなければ疾病の治療はできないことになっておりますが、その施術が、第一次の危害なきもの、すなわち直接患者に危害を与えぬものは、芸者でない者でも医業類似行為として許されております。
われわれの療術、あんま師、はり師、きゅう師等が現在許されておるのは、この理由によるのであります。
また医者でない者でも、第一次の危害、すなわち直接危害なき薬は、製薬して販売することが許されておる。
また世間では、医業類似行為の治療を受けておるうちに、正しい治療の時期を失し、俗にいう手おくれになる場合もないとも限らないから、療術のようなものは禁止さるべきであると仰せられる方もあります。
これは先刻私どもが傍聴中に伺ったのでありますが、お医者さんからこういうようなお話が出たようであります。
それは第二次の危害で、禁止の理由にはならないのであります。
すなわち売薬の効能書を信じ、これを服用しておるうちに病気が重くなるようなことがあっても、売薬は禁止されないのと同じ理由に基くのであります。
先ほどお医者さん方が、この手おくれになるということを御指摘になられましたが、これはお医者さん方が、療術と申すような民間療法の実情をあるいは御存じないのではないかと考えるのであります。
療術を体験された方々はよく御存じの通り、療術を受けに来られた方は、まずおからだに現われた症状を訴えます。
たとえば、肩がこったとか、腰が痛いとか、疲れたとかいった具体的な症状を仰せになります。
お医者さん方は、はっきり診察をしなければ、ほかの民間療術にかかることは危ないということを御指摘になりましたけれども、われわれのところへおいでになった方は、たまにはお医者さんの診察された病名を仰せられる方もありますが、その方においても、大がいこの病気に伴ういろいろな容態を話して下さいますので、われわれはまず苦しいところ、痛むところを緩解するような施術をいたすのであります。
われわれ療術においては、薬を使うとか、メスを使うことが禁止せられておりますから、患者の訴えに応じて、大体局所局所に施術するので、そのほとんどがこんな方式によって、この局所を緩解することが一般大衆の支持を得るゆえんであります。

 ここで一言申し上げなければならないことは、厚生省当局を初め、権威あるお医者さんを前にして恐縮ですが、世界の最も権成ある医学者九千名以上の支持によりまして、今、全世界の医学界に新風を送ったセリーのストレッス学説が、偶然療術の施術原理と一致しておるということです。
セリーは、現在の医術は、病気を正しく診察して投薬あるいは手術をするけれども、患者の訴える症状に対し直接治療しない場合が多い、これは真の医術ではない。
真の医術は、肩がこる、頭痛がする、足が冷えて困るといったことから始まって治療して、初めて治療の真の目的を達するというのがセリーの学説であります。

 先ほどここの参考人から、あんまをするために病気にならないとか、あるいは病気が軽くなるというような仰せがあったようですが、事実われわれ医業類似行為者は、こういう方面で患者さんの直接の訴えに対して施術するという長所があるのであります。
これが私どもがかつてこの療術師法を衆議院に提出せんとしましたときに、国会議員の方々にこの療術師法の提案についてお願いを申し上げたところが、この法案に賛成署名した国会議員の方が、衆議院議員で三百十四名、参議院議員百四十九名の多数に達したことでも、この療術が、いかにこういう新しい学説にマッチするような内容を持っていたかということを、ここで特に申し上げる次第であります。

 次は、七月一日政府から内示されたあん摩師、はり師、きゅう師及び柔道整復師法の一部を改正する法律案を見ますと、前述せる療術業者に対する公約を無視し、療術の社会的存在を没却するもので、絶対に承服するあたわざるものであります。
当局は、療術の手技、電気、光線、温熱、刺激の五種目を公認して、五カ年にわたり調査研究し、この間国費二百五十万円と、業者にも国費に数倍する費用を負担せしめたにもかかわらず、調査結果も公表せず、かつ、今回の法案の起案に際して、日本国における唯一の業者の代表団体である当組合に対して、一片の相談もありませんでした。
しかも療術五種日中の手技の一部である指圧だけが、あんま師試験を受けることによって営業し得るということにしたことは、療術を抹殺せんとするもので、業者の絶対に承服しあたわざるところであります。
この五種に統一された療術には、第一次の危害はありません。
それゆえ、現在まで営業せる療術が、新規開業を禁ぜらるべき理由はないのであります。
しかるに、この法案においては、指圧を除くのほかの業種に対して、既存業者以外の新規開業を禁止せるは、明らかに憲法違反であると信じます。
なお、既存業者の営業権を、昭和三十三年十二月三十一日に限定せることも、人民の正しい営業権を束縛するものと断ぜざるを得ません。

 ここに付言いたしたいことは、療術というものの実体と、手技とあんまの相違するということであります。

 第一は、すでに昭和五年来、手技とあんまは警視庁令その他地方庁で明らかに区別されておりまして、それ以後長い年月、手技とあんまが同じであるというお話も聞いたことがありません。

 第二は、法律第二百十七号制定当時の法案骨子には、あんま、はり、きゅう、柔道整復、療術師営業法と、明確に療術があんまと区別されておりました。

 第三は、戦前、戦後を通じ、あんま、はり、きゅう、柔道整復業は試験検定を受けておりましたが、この業者が療術を兼ねるときには、療術の届出を要し、現在もこの兼業者中には、届出をして療術をしておる者が相当ございます。
これなどによっても明らかに区別されておるのでございます。

 それから、療術のうちの手技というものについて申し上げます。
大体一般に知られておるところでは、あんまは、東洋医方によりまして経穴、経絡というようなものを中心に研究されたものであり、療術における手技は、西洋医学の長所を経とし、これにわが国の民間療法における施術の長所を緯としてできたもので、法律二百十七号制定当時、当局から御指摘を受けた当時、何百種もあった。
たとえば指圧、整体、健体、健康、背椎矯正、カイロプラクテイク、オシテオパシー等々、全く何百種とあったのでありますが、それを整理しまして、あるいは各流派あるいは各秘伝、伝統といったことを全部抜き去りまして、この手技の基本型を定めたのであります。
これであんまと手技の区別はおわかりになったことと存じます。

 次に、療術立法についての要望を申し述べさせていただきます。

 すでに申し上げております通り、法律第二百十七号制定当時の法案骨子には、あんま、はり、きゅう、柔道整復、療術師営業法となっていたのであるから、これが立法に際しては療術師法を要望する次第でありますが、一部改正によるとするならば、あんま師、はり師、きゅう師及び柔道整復師、療術師(手技、電気、光線、温熱、刺激を含む)の十大字を加え、療術を現在の姿で他の医業類似行為と同様の営業を許されることを要望いたします。

 また、学校教育と試験検定による免許等については、他の医業類似行為業に準じ、あるいは他に適当なる制度を立てられたく、また既存業者の既得権は、今後は期限を付せずに認められたいのであります。

 さらに、少しく長くなりまして恐縮でありますが、療術の施術方法の安全性について申し上げさせていただきます。

 療術において、手技は、手技基本型により他の業種に抵触せぬ範囲でいたします。
電気は、弱電流に限り、出力で制限します。光線は、地上に照る太陽光線程度以上は、現在も使われておりません。
この光線も、波長ではっきりとその出力を制限することができます。
温熱は、人体に火傷を与えぬ程度の温湿布程度のものを現在使われておるのであります。
刺激でありますが、これは人体の皮膚を損傷せぬ程度のものであります。

 以上申し述べましたところによりまして、療術立法の公約が履行さるべきこと、療術には、いささかも禁止さるべき理由なきこと、療術には、豊かなる社会性と大衆の支持と進歩発達性のあることを明らかにしましたが、これによって大体われわれの申し上げることが御了解下さることと考えます。

 ここに私は全国業者を代表して、長時間にわたり御清聴を賜わりましたことを感謝し、従前より圧迫され来った療術のために、立法府の権威において、公正なる御理解による御決定を御期待申し上げる次第であります。

○中村委員長
 以上で参考人諸君の意見の陳述は終りました。

 次に、参考人に対する質疑の通告がありますので、これを許可いたします。

 念のため申し上げますが、通告者は七人ほどございますから、どうぞそのつもりでお願いいたします。

 松岡松李君。

○松岡(松)委員
 松原さんにお尋ねいたしますが、現在あなた方療術師の自粛と申しますか、治療行為を行うについて、療治を加える身体の危険を防ぐため、生理衛生、解剖とか、そういうふうな処置の講習とか何かを現在やっておられますか。

○松原参考人(日本手技療術師会理事長)
 ただいまお尋ねになりました点につきましては、過去八年にわたって自粛して、お互いに勉強もしておりますし、また講習会を開きまして、共同的に勉強もしております。
それから現在の身分を認めることについては、むろん私どもは所定の試験を受けて、あるいはまた所定の講習を受けていただいて身分を認めていただきたいというように考えております。

○松岡(松)委員
 そこで、往々に聞くのですが、あなた方の方で、現在届出によって資格を一応認められておる方の弟子とか、あるいは弟子なりと称してか、そういういわゆる通俗的な言葉でいうと、もぐりが盛んに横行するということを言われておるのですが、そういう点は、あなたは会長をしておられるのですが、実情はどうなんですか。

○松原参考人(日本手技療術師会理事長)
 それは、私ども業者といたしましても、確かに昭和二十二年三月に届出をしていない人で、業務をやっておる人、そればかりでなく、その後においてこの指圧を習ったとかあるいは何かを習ったということで業務をやっておる、いわゆるもぐり業者ともいうべき者の存在しておることは知っております。
だが、私どもの業界で、それをただの一人たりとも製造した覚えはないのであります。

○松岡(松)委員
 そうしますと、あなた方の業界では、そういう点十分自粛しておられるということですが、たとえば熱海へ行く、あるいは湯河原へ行く、あるいは箱根へ行くと、そういうもぐりが横行しておる。
あなた方は、これに対してどうすればいいとお考えになっておるか。

○松原参考人(日本手技療術師会理事長)
 こういうように法律二百十七号が出ましてから、非常にもぐりがふえて参りました。
ここで、ついでにちょっと御説明をさせていただきたいのでありますが、このもぐりというものには、いわゆるたちの悪いもぐりもあるかもしれませんが、この中には、この法律の出ない前にすでに業務をやっておった人が、届出を怠ったということになりましょうが、実際占領下の事情において、山間僻地におった人などは知らない人もおるのであります。
そういう人たちが、届出ができなかったために自然にもぐりになっておるというような人もあります。
それから、この法律が出て以後において起きてきたことでありますが、ことに東京においてはそうでありましたが、占領下の経済情勢の悪いために、税金を納めるということがなかなか至難になって参りました。
それで一時業務の休業を申し出ましたところ、休業はいかぬ、どうしても廃業しろということで、無理に廃業させられたような人もあります。
だが、そうやって廃業はしてみましても、結局は習い覚えた業務の方が一番やりやすいものでありますし、たとい税金を納めなくても、幾らかの得意を持っておる、その得意からの要求もあるというようなことでやむを得ずもぐりとしてやっておる人もおるのであります。
また終戦後海外から帰ってきた方の中に、この特例のあることを知って、直ちに届出をした人もありますが、中には何かいい商売をというので職業を見つけて歩く間に、結局どうにもならなくなって、またもとの業務をやろう、それで保健所などへ尋ねてみますと、それはもうだめだというようなことで、やむを得ずもぐりになっておる人もおります。
こういうような状況もありますししますので、結局われわれとしての忌憚のない意見を申せとおっしゃるのでありますれば、私どもとしては、この七年間にできた、言葉は適切でないかもしれませんが、いわゆる空白であります。
これを処理する何か適当な方法を授けていただくことができないものであろうか、こういうことも考えております。

○松岡(松)委員
 そうしますと、現在あなた方の認められておる業者は、一定の知識を与えて試験に合格するのに、大体どのくらいの期間があれば適当だと思いますか。
生活をしながら勉強していかれる。
もちろん勉強もしておられるでありましょうが、試験を受けられるのに必要な科目を全部修習しなければならぬということになりますと、どのくらいの期間が適当だとお考えになりますか。

○松原参考人(日本手技療術師会理事長)
 お答えいたします。私どもといたしましては、過去八年にわたって、今申し上げましたように、われわれにとってできるだけの勉強はしてきたつもりであります。
それですから、ここでわれわれの身分をお認めいただきたいのでありますが、その際にあらためて、何時間勉強しろとか、何百時間勉強しろとか、何年間にどういう教育を受けろとかいうことは、まあなるべく罪を軽くしていただきたいという感じを持っておるのであります。
しかし、われわれの業務は、何といってもあんま業に比較いたしまして、勢力は非常に小さいのであります。
ようやく一割にしか達しないので、私どもの最近までにおける感想から申しますと、八年間われわれはししとして勉強をして、そうして厚生省の御意思を拝聴しては、その方向へ向ってやって参りまして、昭和三十年には必ず身分ができるものと思っておりましたのに、最近二月ごろから、あんま業者から起きてきた大きな反対のために、直ちにそれが延期説に傾くとか、あるいはまた、かえってあんま業者に加担して、そうしてわれわれの身分については顧みないとかいうような向きも見受けられますので、今度私どもの協会といたしましては、政府の要求せられる通りの勉強もし、また場合によっては試験も受けるという覚悟でございます。

○松岡(松)委員
 黒田参考人にお尋ねいたしたいのですが、あなたの方の治療を受けられる多くの病人がおるわけですが、その治療を行われるについて、医学的な基礎知識、及び治療にはどれだけの注意を払っておられるか。
あるいはまた脈搏をとるとか、血圧を見るとか、要するにそういう注意、危険を防止するために払っておられる注意は、どういう方法によって、またどういう基準をもってやっておられるか、その点をお伺いいたしたい。

○黒田参考人(全国療術協同組合緊急法制対策部長)
 お答え申し上げます。ただいましておりますわれわれの治療は、先ほども申し述べましたが、大体病名によっての治療局所というものは、ほとんど定められております。
たとえば肩がこって困るとか、腹が痛む、あるいは頭痛がして困るというような局所的な訴え、また便秘しておるがというようなことを、ただ患者さんが病名だけをおっしゃる場合には、われわれのカルテでは、体温とかあるいは便通その他注意すべき局所々々の悩みとか痛みとかいうものをこまかく聴取いたしまして、大体それに対応するような型ができております。
たとえば電気治療であれば、こういう場合には、電気をどの程度にしてどこへやる、あるいは温熱であれば、どこへ温湿布を当てて罨法をすればいいというようなことを、これまでのデータに基いて定めてありまして、これを執行しております。
ただいまお尋ねの診察するかということでありますが、これは問診だけしまして、実際にわれわれには許されておりませんから、医者のような診察は行なっておりません。
必要とする場合には、お医者にかかって、一回こういう点を見ていただいてきて下さいというように要求します。
たとえばレントゲンで見てもらうとか、血圧をはかってきてもらうというようなことをお願いしてやっております。

○松岡(松)委員
 私はさらにお尋ねしたいのは、あなたの方の器械器具を使われる技術は、もちろんよく修得せられて、用意周到におやりになると思うのですが、それを行う人が、医学的の知識をどの程度にわきまえておるか。
そうして、今お話もありましたが、どうもその点はちょっと心もとないと思うのですが、いろいろからだの調子というものはあるもので、それをきわめないでその技術を適用するというところに、非常な危険がある、これがこの点の非常に問題になるところだと思う。
技術者を養成せられるについて、どういう知識を与えるようにしておられるのか。
もちろん、あなた方は先覚者であられるから、そういう点は十分わきまえておるでしょうが、多くのそういう器械器具を用いたり、あるいは光線を用いたりする人々の中には、知識の欠乏しておる人があると思われる。
それを現在どういうふうにしておられるか、また今後どうすればいいとお考えになっておるか、その点をお伺いしたい。

○黒田参考人(全国療術協同組合緊急法制対策部長)
 お答えいたします。
現在までのところでは、大体講習をいたしまして――昭和二十二年以前までは、大がいはその業種によって、電気とか光線とか、あるいは手技においても一定の講習期間がありました。
そしてその講習期間を修得しまして、その指導に立つ者が、大体これならばひとりでやっていけるのではないかという程度の教育を施しました。
大体それは基礎医学というようなものと治療技術とを並行しまして六カ月とか、少し長いのになると二年、三年という講習期間を置きまして、それはその人々により、その用具の性質にもよりますけれども、短かい期間でも六カ月以上をやったもので、実際にその指導する人が、これならば安心して業務ができるだろうという程度に達した者に対して営業をなさしめるというようなことでしております。

○松岡(松)委員
 現在あんま科の方では、学校と試験を行なっておるのですが、あなた方の方で今後生まれ出てくる人に対してはどうすればいいか、この点であります。

○黒田参考人(全国療術協同組合緊急法制対策部長)
 お答えいたします。
それは、これまでも私どもがたびたび厚生省の方へ行って申し上げてありますが、まずわれわれに許される程度が、今私どもがしております療術の範囲でありますれば、厚生省がこの辺が適切であろうというような教科課程を作りまして、そうして新たにそれに従事する者については、厚生省所定の教科課程を終った者に限り、検定試験の上で許されることを希望する次第であります。

○松岡(松)委員
 実はあなたの方の属する種類は、非常に多種多様でありまして、当局でもだいぶ悩んでいる傾きがある。
従って、これははなはだくどいようですがお伺いするのですが、ほんとうのことを言うと、なかなか試験する試験官がなかろうかという説を持つ人すらある。
なぜかというと、数が多過ぎる。
そうして、しかもいろいろな新規の器具が現われてくる。
それを今後統制していかなければならないということになると、試験制度を確立するについて、なかなか容易ならざるところがあると思われるのであります。
基礎医学、これはもうすでにあんま科において適用しておることでありまして、この点はよろしいとして、あなたの方にある電気あるいは光線――電気の方に至っては一線を画しなければならない問題である。
たとえば三百ボルトの電圧を使う場合と百ボルトを使うような場合で、そこに境界をつけなければならぬものがあろうと思うのです。
参考人としては、一体その線は――医療行為の範囲、医者がなすべき治療行為と、医者以外の補助者であるあなた方がなされる線とは、どの辺で引くべきであるか、お考えになっておりますか。

○黒田参考人(全国療術協同組合緊急法制対策部長)
 お答え申し上げます。
これは先ほど私が申し述べました中にこのことも含んでおりまして、そういうお答えを申し上げる点と重複いたしますが、大体電気から申しますと、電気は出力で制限がありまして、今日においては、大体は弱電流を用いるのでありますが、その電流の範囲が、はっきりこの辺までが安全点というものがございます。
これは先ほども申し上げましたように警視庁の時代から厚生省の時代に移りまして――これはここに厚生省の方もいらっしゃいますが、大体療術行為というものは医者の範囲であるからして、医者でない者にはやらせない方がいいという、これは何十年来の日本の厚生行政の根本です。
そうして、私どもがそのために多年非常な弾圧を受けました。
こうしたら、われわれが全然やれないようになるのではないか、商売をやらせるよりも、商売をやらせない点の制限をたくさんにつけられております。
そうして、実際にはそういう制限は無理だという点までつけられまして、そうしても、そういう低い電気でありますれば、弱電流だけを使って安全にするにはどうしたらいいかということでいたしました。
また光線においてもその通りです。
大体地上へ来る太陽の程度です。
昭和十六年に、私は光線について厚生省の弾圧を受けました。
二年間もほとんど商売ができませんでした。
その当時などは、この光線は非常に害があるという名目で、昭和十四年の十二月十三日から禁止令が出ましてやめさせられたのでありますが、われわれがいろいろ当時の学者に研究してもらいましたら、今お前が使っておる程度のものは害がないのだと言いますから、本式に学者に研究をしていただいて、厚生省にも話をして、これをやったら人がじき死んでしまうというお話でやめさせられたのでありますが、当時厚生省の医務課長さんの部屋で、私どもの器械を持ってきまして実験をしましたところが、それは少しも何ともない。
医務課長さんの前に下っていた六十ワットの電灯上りも、どの光線においても、私の方が使っておる線は少かったというので、さっそくこれはやってもよろしいということで許されたのでありまして、またそれ以上のものは今日においても使っておりません。
私ども電気光線業者におきましては、早く言えば厚生省や内務省からとっちめられたおかげで、非常に安全ないいものが仕上ったといって、私どもはむしろ弾圧を感謝しておるような次第でございます。

○松岡(松)委員
 最後に一つお尋ねいたしますが、器械器具について検定制度を設けて、検定を受けないものは売ることができないということにする必要がありはしないかという意見が相当にあるのです。
一応器械を使う技術のある技術者が使うのはいいのですが、これをしろうとに販売するなという向きもたくさんある。
非常に危険をかもしておるものであります。
こういう電気にせよ、あるいは光線にせよ、その他のものにせよ、器械器具を用いてそういう治療行為を行うものについては、一定の検定を経ないものは売ってはならないということをやってはどうかという意見が相当あるのですが、この点についての参考人の御意見はいかがでしょうか。

○黒田参考人(全国療術協同組合緊急法制対策部長)
 お答え申し上げます。
この器械器具は、先ほど申し上げましたように、現在使っておるものにつきましては、ほとんど有害とかいうような御不安はないと存じます。
しかし、政府においてこれをする場合に、私どもも、売買についてまではよく規則を存じませんが、療術としてお許しを願うならば、この器械はやはり国家において検定をしていただきまして、この線のものならば安全だから使ってもいいというものに限るというようなワクをはめられましても、決してその点には異存はありません。

○中村委員長
 山本利壽君。

○山本(利)委員
 お尋ねする前に、念のために申し上げておきますが、先ほどあんま業者から、これが膨大なる団体であるために、猛烈な運動が起って云々ということがありましたけれども、われわれ法を定める者から言うと、決してそういうことに影響されておるのではありません。
いろいろな点で正しいことをお聞きし、それによって判定するために、本日参考人の方に来ていただいておるのでありますから、質問する方も、お答えいただきます方も、冷静な気持でお尋ねし、お答え願いたいと思うのであります。

 まず最初に松原さんに御質問申し上げます。
指圧の方が、今度法律的にあんまの方に一括されるということについては、大体異存はないということでございましたが、指圧師となるために、現在までどのくらいの修業期間が要るものか。
個々の指圧師のところに弟子入りをしてその資格を得ておられるのか、あるいはあなた方の組合で、指圧師養成のための学校でもお設けになっておるのか、その辺のところをお聞かせ願いたいと思います。

○松原参考人(日本手技療術師会理事長)
 まことに先生方の御公正な立場を拝聴いたしまして、非常に心強く思います。

 この指圧を業とする場合に、私は三十年余りこれを業にしておりますが、自分の教えた人も、また他の教えられた方々を見ましても、そんな短期の三カ月や五カ月あるいは一年という教育で先生方の何らかの治療をするようには絶対にならぬものであります。
われわれ業界の養成施設というものもありませんし、養成する方の側から言いますと、短いのは何週間というのも昔はあったかもしれません。
しかし何週間や何方月ぐらい習っても、決して人様のからだにさわることはできないものであるということを私ははっきり申し上げたいのであります。
今度の政府案によりますと、あんまと同等の教育をということでありますが、あんまの教育を受けて国家試験を受けましてもそういう人たちでは、治療なんてとてもできるもんではありません。
やはり先輩の業者たちに実務の指導を受けたり、あるいは技術上の指導をほんとうに受けませんとできないものであります。
そういう点から考えまして、どのくらい教育をするかというような問題は、実にむずかしい問題だと私どもは考えております。
ただ、現状までのことを申し上げますと、大体は短期講習を受けて一通りのアウト・ラインだけを作りまして、それからあとはその人その人の実力によって勉強をし、技術をみがいていくという経過をたどっておるのでありまして、一部から批判せられるように、ちょっと短期講習を受けて直ちに開業し、相当な金を取っておるというような、そういう異端者は、それは大ぜいの中には、ごく特殊な者がおったかもしれませんが、大勢を押えて観察をしてみますと、決してそんなことでは商売にならぬものであります。
それで私どもは、このたびあんまと同等の教育を受けて、それで国家試験を受けるということで、もちろん何の異存もないのでありますが、これによってわれわれのりっぱな後継者ができるとは決して考えておりません。
これらの人たちを土台として、さらによいものを作っていきたいというように考えておるのであります。

○山本(利)委員
 私の問いに対して、少しポイントをはずれた気持でお答えになったと思います。
あなたの方は、今おっしゃったように、これから要求された修業はするからとおっしゃるのだから、その点については何にもないのです。
私が思うのは、どうせ手のわざであるから、それがあんまであろうと指圧であろうと――指圧といったって押えるばかりではない、場合によればなでることもあれば、たたくこともあろうし、あんまも同じことでありますから、現にそういう職業にある方が、あんま業としての試験を受けられるのは、たやすいことであろうと私は思うのです。
だからこれは、ここに法律上は三カ年の余裕でありますが、三カ年もかからなくても、あなた方の組合に入っておるほどの人は、資格が得られるのではあるまいかと私は思ったわけでございます。それの裏づけとしての質問でございます。

 それでは、もう一つお尋ねいたしますが、現に指圧をやっている人は、あんまの資格を持っておる者もあるかと思うのです。
あんまという名前は古い名前だから、指圧師とか何とかいう看板をあげると、より多く今の時代にアッピールするというような気持から、あんまの資格を持っているけれども、指圧師としての営業をしているかもしれない。
そういう人は試験を受ける必要がないのですから、あなたの方の業者の中で、およそ何割ぐらいそういう人がありましょうか。

○松原参考人(日本手技療術師会理事長)
 ピントのはずれたお答えをしてまことに申しわけありませんが、私どもは今度法律で認めていただく場合における三カ年というのは、やはり長過ぎるという感じでおります。
できるものなら、これは二カ年ぐらいが至当でなかったかと業界としては考えております。
二カ年も長いという意見もないではありませんが、やはり年配の関係、健康状態、それから全国という広い範囲を考えますと、二カ年が適当というのが私どもの考え方であります。

 それから、今の他の資格を持っておる者がどのくらいかということでありますが、これは私どもの業界としてその数字をはっきり上げたことがありませんので、数字の上で申し上げることはできませんが、終戦後ことにこれがふえてきた。
われわれの法律が出た際に、あんまの試験を受けた人もあり、マッサージの試験を受けた人もあれば、柔道整復の試験を受けた人、鍼灸の試験を受けた人もあります。
そういう人は免状を持ちながらやっているのでありますが、まず概数としては結局一割ぐらいのものじゃないかと思います。

○山本(利)委員
 次に黒田さんにお尋ねいたしますが、この方面はわれわれあまり知らないことでありまして、常識で判断しかねるものでありますから、いろいろ議論する者も、暗中摸索でとかく議論をしやすいので、こういう際によく教えていただきたいと考えるのでございますが、従来あなた方の方のいろいろな難点は、業種が多いということであった。
先ほども、百数十種もあったのをわれわれの組合の努力で五種類にしたということでございましたが、その五種類は、大体どういうぐあいにお分けになっておりましようか、その点承わりたい。

○黒田参考人(全国療術協同組合緊急法制対策部長)
 ただいま五種類のことにつきましてお尋ねがありましたが、何百種類というのは、それは療術全体を通じてでございまして、そのうちでも手でする業者が非常に多くて、何百種類ありました。
先ほどもちょっとその点に触れましたが、何々の家元、何々流とか、何々秘伝とか、特別の伝授方式だとか流儀だとかいうものが、手技において最も多かった。
そうしてそれらが何百種類と数えられたもののおもなものであります。
そこで私は、全国の指導者の協議会を開きまして、まずこの非常に多い手のわざをどういうふうにしたものか。
たとえば指圧といえば、われわれは指圧ではだめだとか、おれのところは何百年やっておりますというような方々がおりまして、どうしてもおさまりがつきませんので、やむを得ず手のわざとして、手技という名目のもとに一致することにいたしました。
そうして皆さんの家元とか流派とかを主張される最も長所でございますが、これは研究会を作りまして、全国から代表者に来てもらいまして、そしておれのところの手をこうするのは何のためであるのか、たとえば何に最も効果があるのか、頭痛に最も効果を与えるとかいうことを、皆様に実地にやっていただいて、皆さんの協議の結果、手技基本型というものを作りました。
こういうふうに、ここにわざをしているところを写真にとっております。
そうして、こういうふうに手を使うのだというように基本型をきめまして、厚生省からもぜひこれは実験研究をするというおさたもありましたので、これは皆さんがみんな別々では困る。
それで先ほどお尋ねのありました危険の点なども除こうというので、手技基本型というものを作りまして、そうしてそれによって全国一定するということでおさまりました。
それで、何流とか何派とかいうものを全部あきらめていただきまして、何でも療術における手によるわざを全部手技ということにしていたしましたが、それでも御自分で名乗っている名前を、今日でも名乗っている方もございます。
大体われわれ療術協同組合における手技基本型というものによって、全国を統一された治療法を今制定しているのでございます。

 先ほど先生からお尋ねのあったことを、一つ補足的にお答えしますが、手技をしている者は指圧になってもいい、あんまさんの教育を受けてもいいということを、参考人の松原氏からお答えになったようでありますが、われわれに属しております療術協同組合における手技を用いる者は約八〇%ほどあります。五千人のうちで四千人が手技でございます。
それは手技の代表的な方々が多いことは、厚生省も御存じだろうと思います。
そうしてその人々は、これまで長年療術として認められておったのであるから、どうしても療術の手技として取り上げていただきたいという希望でございます。
ついでにお答え申し上げます。

○山本(利)委員
 私の質問のお答えにならないようであります。
数百種類を五つに分けたとおっしゃいましたが、その五つは何々でございますかというのが、私の問いでございまして、その五つのうちの一つに手技があるのでありましょう。
手技の点はけっこうでありますから、あとの四つを簡単にお名前を承わりたい。

○黒田参考人(全国療術協同組合緊急法制対策部長)
 どうも失礼いたしました。あとの四つでございますが、あとの四つは電気、光線、温熱、刺激、この四つでございます。

○山本(利)委員
 そういたしますと、先ほど御説明を承わりましたときに、少くとも六カ月間、長くは二年あるいは三年間にわたって修業を積ませるというお話がございましたが、その四種類のどれが大体六カ月ぐらいでできるのか、どれが二年ないし三年かかるのか。
そうして、その四つについては、それぞれ養成機関が作られておるのか。
作られていないとすれば、そのおっしゃった二年とか三年とかいうのは、どういうところから出たのか。
場合によりますれば、それぞれ免状を出すものがきまっていて、組合なら組合それぞれから出す場合に、二年以上の修業を終えたことを認めるといったようなことをしていらっしゃるのかどうか、その点を明瞭にお答えいただきたい。

○黒田参考人(全国療術協同組合緊急法制対策部長)
 お答え申し上げます。
これはちょうど届出をもって療術が許されましたのは、昭和二十二年九月二日まででありますから、その以前のことに属しますが、大体療術を修得する者というのは、療術師になってぜひ生活したいというような方は、私どもが存じておる中ではごく少数なのでございます。
その療術を始める動機というものが、御自分が病気で療術にかかりまして、その結果がよかったので、これはまず自分でもこり寮術を覚えて、たとえば一家の保健法というようなものにも使い、またできるならばこれを修得して運用したいというような、二つの目的から出ている方が多いのでございます。
従って、その当時においては、講習を専門にするようなところもございましたけれども、大体は治療を受けた先生に願って、御自分も治療を受けながら、最後によくなってきたならば、これでぜひ自分も助かり、人も助けたいというようなことでやりまして、その養成施設と申しますか、それも公的なものはほとんどございません。
私設的なもので、そうして、先ほど松原参考人からも申し上げたようでございますが、期間は大体六カ月とか二年とか三年とか申しましても、指導者が、この人ならば大体自分の弟子として世間へ出してもそう恥かしくない程度にまでできるのではないか、危なげなくやれるのではないかという程度を見計らいまして、講習証書というものをくれたところもありますが、くれないところもあります。
その当時の届出様式は、ただどういうところで何年くらい研究したというような履歴で大がい許されたものですから、それの一定したものはほとんど全国的にはあまり存じておりません。

○山本(利)委員
 この医業類似行為といいますか、今の手技を除いた他のものは、これは届出をしさえすればよかったのでありますから、実際は未熟であろうと熟練しておろうと、法の上では取り締られるということは、私はなかったのだろうと思うのです。
私はこういうことをいたしますといって届け出さえすれば、もうそれで法的な責任はあるわけでございます。
それを先ほど承わると、厳重というよりは、過激というほどの取締りを受けた、場合によると弾圧を受けたというようなお話がありましたけれども、それは、だれがそういう過激な取締りや弾圧を下したのか、届出をしさえすればそれでよかったものに対して、一体どういうふうな弾圧が下されたか、その例を一つ伺いたい。

○黒田参考人(全国療術協同組合緊急法制対策部長)
 お答えいたします。
それは今私どもここに参考書類を持っておりませんが、大体先ほど申し上げたように、内務省の衛生局時代から、医者でない者には治療をさせないという建前であったのですが、民間療法というものが非常に多くなってきまして、これではこのまま捨ておけないというので、警視庁で初めて昭和五年に療術行為取締令というものを出したのでございます。
そうして、その出すときの警視庁の医務課長さんの談話として新聞に載ったところをみますと、この医業類似行為というもの、療術というものは、これは医者でない者は病気の治療をさせないことになっているのであるけれども、これがはびこって困る、それにはこの人々が最も至難とするような取締り法規、ワクをはめて、そうして今のところでは全然どういうことをどこでしているかということもわからないから、届出をさせまして、そうして片っ端から法に当てはめてつぶしていこう、最も厳重な取締り法によってすると、はっきりそのときに新聞にもでかでかと大きく出されました。
われわれは実にふるへ上ったのです。
しかし、取り締ってみますと、どこでも、その当時は警察でありましたから、ほんとうにそれはすごい取締りを受けました。
それで私どもが昭和十四年に弾圧を受けたときなども、私どももほんとうに申せば、その当時、われわれの光線が害があるという証拠はどこにあったかと申すと、スペクトルの写真が大体証拠になっておりますが、こんなスペクトルの光線が出るはずはないと申したのですが、それが出ているというのです。
ですから、私どもはそんなものは出るはずはないといって波長を見たのですが、どうしてもわからないものですから、ある人が、今九州大学の教授をしております二神哲五郎博士と、それからその当時工業大学におりました竹内時雄先生に見てもらいましたが、それは違っているぞ、一つここでもってためしてみよう。大体スペクトルの写真というのは、零秒とることはどなたも御存じですが、それが十秒間露出してとっても、まだまだそれに及ばないのです。
それで、私どもの光線を約十分間露出しましてとった写真が、ちょうど厚生省のこれは害があるといった写真であったのです。
それを私どもははっきり示しまして、このスペクトルは、十分これを露出するというのは学界ではやらないのだというわけで、私どもは申しまして、そんなことはないと言ったのです。
それでちょうどそのとき立ち会ってくれましたのが衆議院議員の鈴木文治先生でありましたが、それでは医務課長、光線をはかれというわけで、学者にはからせましたところが、これはこれよりずっと少いじゃないか、この通り少い、確かに光線が少いというわけで、そのときは認められたような次第であります。
その昭和十四年に、弾圧と申すことについてのお尋ねについて、もう一つ申し上げれば、ある人が衆議院へ弾圧をどうぞゆるめてくれというお願いを十通ほどここに請願も出してございますが、それはどういうことであるかと申すと、これは実例によっても実害があるからいかぬということになったのでありますけれども、私ども業者は、ほとんど全国の業者が警察へ呼ばれまして、お前たちは禁止されているのだから、猶予期間はあるけれども、これは害があるのですぐやめなければいけない。
警察ですから、朝六時に呼出状をよこしまして、九時に来いというので九時に行きますと、夕方の六時までとめておかれて絶対に調べない。
六時ごろ呼び出して調べて、そうして、今夜とめておくから、お前ここでもって廃業届を出すならばいいが、出さなければ必ず豚箱へぶち込むといったようなことをはっきりやったのです。
その当時の弾圧の状況は、ここの衆議院の速記録に、坂東幸太郎先生がこういう質問をしております。
厚生省……。

○山本(利)委員
 お答え中ですが、ちょっと失礼します。

○中村委員長
 ちょっと参考人、簡単に要点だけ言って下さい。

○山本(利)委員
 要点だけをお答え願って、戦前のことまで御説明になりませんで、私の質問に対しては、終戦後、最近ここ数年間においては断圧とかなんとか、そういうことはなかったと解釈してよろしゅうございますね。

○黒田参考人(全国療術協同組合緊急法制対策部長)
 はい。

○山本(利)委員
 それではもう一点だけお尋ねいたします。
いろいろ医療器具をお用いになるということについて、みんなの懸念するのには二つ種類があると思うのです。
一つは、非常に大規模な、あるいは精密な器械であると思って懸念する人です。
基礎知識のない、医学的な考えのない人が使っては、国民の健康に害があるのではないかと心配する人と、もう一つは、案外簡単なものではないか、実際のものを見たら、こういうものがと思うほどのものかもわからないと思うのです。
そこらについては、今一々また器械の御説明を願いますと長くなりますから、あなた方の組合から、大体使っておられるその器具、電気器具とか光線器具というようなものを、この委員会へでも、いつかの機会に持ってきて見せていただくことが可能でありましょうか、どうでありますか。
それが可能であれば、そういう工合にお願いしたいと思うのでございます。

○黒田参考人(全国療術協同組合緊急法制対策部長)
 お答え申し上げます。
それは現在使っております器械でございましたら、御指示がありますればここへ持ち込むことができます。
あまり大規模なものは、たまには幾らかそういうこともありますが、大体お目にかけられるかと思います。

○山本(利)委員
 今の点、委員長にお願いしておきまして、私の質問を終ります。

○中村委員長
 野灘清人君。

○野澤委員
 お二人の参考人の方にお尋ねいたしたいのですが、法律の二百十七号が昭和二十二年にきめられまして、その際に、療術者というものが特例を設けられて、一応すでに届出をした者だけが認められるというように経過法的にこれを扱われたのですが、その当時あなた方は、この業態は将来禁止されるとお考えになりましたか、それとも継続されるべきものだとお考えになりましたか。
お二人のうち、どちらもめいめいにお答えを願いたいと思います。

○松原参考人(日本手技療術師会理事長)
 一時は、この法律の出た当時は、非常に不安でもあり、いろいろいたしましたが、冷静に考えてみますと、われわれは、やはり業者がばらばらであるということだけが問題の中心点である以上は、当然認められる性質のものだと考えました。

○黒田参考人(全国療術協同組合緊急法制対策部長)
 お答え申し上げます。
先ほども申し上げました通り、その後当局の言明によりまして、何百種類かある種類を統一すること、補習教育を施して、確かにこれならば安心して業務をさせられるという程度になれば、もう来年にでも許してあげるというお話を伺いまして、私どもはその線に沿って今日まで八年間、ほとんどこの業務のために改善と進歩に努力してきたわけで、決してこれが八年後にやめさせられるというようなことは、夢にも考えておりませんでした。

○野澤委員
 実は三年前の国会のときに、この療術師法案について議員提出もあるというようなことから、私、小委員長をしておりましたので、経過的に一応調べたことがあるのですが、その当時に政府におった方、政府委員の一部の方の中でも、当時これを除外したということは、自然転廃業をさせる目的でやったというように承わっております。
そこで政府委員の方が今日見えておりますので、お尋ねしたいのですが、実際にその当時の考え方及び今度の立法の内容を見ますと、三カ年間延期するように取り計らっておられます。
しかもどの三カ年間延期するということは、その間において手技を除いたものの転廃業を期待してこういうふうに三カ年延期したものか、それともまた何らかの形でこれに検討を加えて、五種目でも三種目でもこれを認めていこうという、こうした点について御意見を承わりたいと思います。

○中村委員長
 ちょっと今政府委員がおられませんので、今呼んでおります。

○野澤委員
 それでは、次に黒田参考人にお尋ねいたしたい。
現在療術業者が何人おるかというので調べてみますと、自然に減耗しましたものを除いて一万二千九百十五人、そのうち療術を業としておる者が七千四百六十一人という資料をちょうだいしたのですが、しかし、実際に地方に行ってみますと、届出をした者のうちで、届出をしたままほかの職業についておる者もあるやに承わっております。
実際にあなた方両組合の組合長をされておりますが、一番大きな黒田さんの方の協同組合では、組合員総数が全部この療術で生業を営んでおるのかどうか、この点お尋ねいたします。

○黒田参考人(全国療術協同組合緊急法制対策部長)
 これは実は私どもの組合の内容について、御説明申し上げないとわからぬと思いますが、大体加盟組合員五千人と申し上げましたが、地方に本部がありますので、中央へ届出のある者が百人であっても、地方本部はいろいろ係や何かの関係で百五十人あるような場合もございます。
ですから、直接間接に全国療術協同組合へ入っている組合員はもう少し多いのであります。
それに、今お尋ねの専業者はどのくらいあるかというお尋ねでございますが、大体現在こちらに加入しております五千名は専業者と考えております。
そのうち、こちらに届出がなくて、地方だけの加盟を認めておる者には、ほかの業務と兼業しているというような者があるやに伺っております。

○野澤委員
 現在の組合員の関係は、それでわかったのでありますが、総数から判断しますと、差引いたしまして、五種類に分けるというようなことから電気、光線、温熱、刺激その他というような者が約五千五百人おるわけであります。
そこで方一今回の政府原案で三カ年延期された場合に、手技だけがあんまの中に入ると仮定した場合、この工千五百人という方は、あなたのお見込みでは療術行為を継続されるとお考えになりますか、あるいは転廃業されるとお考えになりますか、重要問題と思いますので、お尋ねいたします。

○黒田参考人(全国療術協同組合緊急法制対策部長)
 この七月一日に示されました政府原案を見てから日がないものですから、全国各団体の意向をまだ確かめておりません。
こういうことがあろうということは、私どもは考えておりませんで、療術だけが取り上げられるものとしておりました次第でありまして、その後この療術組合の執行機関といたしましては、協同組合に理事会というものがございますからそれを二回ほど招集いたしまして、その点についても検討いたしました結果、先ほど申し述べましたように、今の制度であんまの試験を受けて療術をしなければならないというのなら、試験は受けないという意向を持っております。

○野澤委員
 高田局長が見えたようですから先ほどの質問を繰り返しますが、前に法律できめられた二百十七号の法律から療術師がはみ出した。
その当時の関係者が、たまたま政府の役人であって、やめられてから議員をしておられた方もあります。
また現に政府の役人でおる方の中からも同様の話を聞いたのでありますが、あんま、はり、きゅうから療術だけを除いたということは、その当時の考え方は、なるべく転廃業をしてもらいたい、こういうことが御趣旨であったように一部から話を聞いておる。
そこで、今回の政府原案を見ますと、手技だけをあんまに吸収する、こういうことで、療術者の方で、そのほか四種目になっておりますが、これらについては、ただ経過的に三カ年延期するというだけのように考えられる。
これはやはりその間において、政府がみずからこうした方面についての今後の施策、あるいは立法などに儘力をされるという考えのもとにやられたのか、あるいは自然転廃業を目的として、こうした原案をお作りになったのか。
大事な点でありますから、簡単でけっこうでありますがお伺いいたしたいと思います。

○高田(浩)政府委員
 根本的にはお話の後者に考えております。
二十二年の法律審議の際、当時の一松厚生大臣が答弁をいたしております趣旨に従いまして、転廃業を中心として考えております。

○野澤委員
 それではっきりしたわけですが、午前一午後の参考人の意向を聞きますと、療術行為に対して法律改正をされた当時には、当然この業態は認められ、残るという意識のもとに今日までやってきた。
また一方立案の責任者である政府の方の立場から申しますと、転廃業を慫慂するつもりで八カ年間も今まで経過的に扱ってきた。
さらに今回の改正も、転廃業を目的とするということが、概括的に納得がいくのでありますが、黒田さんにお尋ねしたいことは、万一今度の法律が、そういう意味合いで、単に手技だけをあんまに吸収してしまうという結果になりますと、計数上から五千五百人と申します。
これの何パーセントが実際に実務に携わっておるかわかりませんが、この療術行為者というものが漸次転業する、あるいは廃業するという意向ならばいざ知らず、万一そのまま生計を続けていかなければならない、また生業を続けていかなければならぬということになりますと、逐次もぐり業者の助成になってくるのではないか。
しかも昨今の情勢では、少くとも療術者というものは、二十二年に押えられたために、もぐり業者が五万ある、はなはだしいのは十二万もあるということを呼称しております。
こういう誤解と錯覚の中にあなた方が生活をしておって、さらに五種目を認めてくれという切実な御要求があるにかかわらず、政府の立場としては逐次転廃業を慫慂する、こういう矛盾した立場にあなた方は置かれておったのですが、これに対して、黒田さん自身としましては、どういうお考えがおありか。
あるいはまた、極力政府に協力して転廃業を慫慂する、あるいはまた、何らかの方法でこの業態が温存されるよう努力していかれるか、簡単でけっこうですから、はっきり御見解をお述べ願いたいと思います。

○黒田参考人(全国療術協同組合緊急法制対策部長)
 ただいま政府から転廃業を基本にしてこの八カ年を経過したというお話でありましたが、先ほども申し述べましたように、私どもは、政府からそういうことは聞いたことがないのでありまして、あったら、実際に事実を示していただきたい。
こういう方針があるなんて私どもに言ってくれれば――私どもはそういう制限をしてくれたということを示していただきたいと思います。
われわれは一本やりでこの業務はできるものと、大体当時の責任の一松厚生大臣がはっきり言明されたのを信じまして、転業というようなことは、一松先生のお言葉にはその当時からありませんし、それから私どもの総会にも五回おいでになってくれまして、そのたびごとにお前たちは一生懸命おれの言う通り改善をしたか、改善をしてこれならいいとなった者は、あすにでも取り上げてやるようにしてあげるから、一生懸命になって、この政府の業種を統一することと、それから基礎医学を勉強することをしなさいといってくれましたわけです。
先ほどもこのことは申し述べてありますが、そういうことは、政府からは私どもとしては少しも聞きませんで、今聞いたのが初めてであります。
ですから、私どもとしましては、今ここで同士がたくさんありますのですから、私個人の意見としてお申し述べかねます。

○野澤委員
 政府の見解は、私から聞き出したのでありますが、黒田さんと議論してもらうためにお聞きしたわけではありませんので、これはゆっくりお考え願うことにいたしまして、こうした傾向を持つ法律改正をされる、立法をされるという立場にあるのですが、万一今度の法律か適用された場合に、三カ年経過して、転廃業が実際行われたらよろしいが、行われなかった場合に、あなたの見通しとして、現在生業を営む電気療術師、あるいはまた光線を利用する者、温熱を利用するというような、精密な器械から簡単な器械まで使用するような業者が、どたんばまで、三十三年の一月までに転廃業ができなかった場合には、やはりあなたのお見込みとしては、もぐりの業者としてでもこの生業を続けていかれると想像されるか、あるいはきれいさっぱりあきらめられるとお考えになりますか、この辺のところを、お見込みでけっこうでありますから……。

○黒田参考人(全国療術協同組合緊急法制対策部長)
 私どもは、憲法に正しい人民の業務が保障されている以上は、もしそういう法律ができたとしましたならば、法律によって争ってでも、この業務を、憲法において保障されている限りは、戦って必ずわれわれの業務を遂行するように努力いたします。

○野澤委員
 もう一点伺います。
これは明らかに立法と行政との含みのあるインチキだと私思いますので、当然これは今回の立法に関しまして、国会で相当掘り下げらるべき筋合いのものだと思います。
けれども、一がいにこぶしを振り上げて闘争をするというような問題ではないので、静かにこれを振り返ってみまして、現在療術業者の代表から、五種目というような意見も出ております。
この五種目のきめられたのは、拾われたのは大体三カ年前であります。
そこで、五種目にあくまでも固執されるのか、それとも手技と器技とか、電気器械器具とか、二種目か三種目でも妥協の余地があり、しかもまた生業ができると黒田さん自身お考えになりますか、この点お答え願います。

○黒田参考人(全国療術協同組合緊急法制対策部長)
 非常に重大なことで、私個人の意見としては申し述べられますが、組合そのものを代表しては、組合の機関に諮った上でなければ、お答えができませんが、私個人の意見としましては、これは手技、器技というようなことで、これまで通りの姿で、先ほどお尋ねになったように、厚生省の検定なり何なり受けて、器械も相当安全性のあるものに限って使わせるくらいだというようなことになるならば、その程度までは、われわれも一般の同志に諮ってみたいと存じております。

○野澤委員
 最後にもう一点、午前中、指圧とあんまとの関係について、どうもはっきりしないのですが、黒田さんの見解として、あんまと指圧との相違というものを画然と区分のできるものかどうか。
それからまた、その区別に対しては、意識的なものが中心なのか、技術的な相違が中心なのか、この点、もしはっきりしましたならば伺いたい。

○黒田参考人(全国療術協同組合緊急法制対策部長)
 先ほどもお尋ねがありましたので、申し上げましたことですが、これはこれまで長い間、警視庁令が出た時分から、あんまと療術の手技というものは区別されておりました。
療術は四肢を運用して施術をするものということで警視庁は弾圧しておりました。
そうして手技はそれから今日まで二十五年間しております。
その間に何ら――いつか一回、何でも私どもが、今はっきりその時日を存じておりませんが、あんまの違反であるというので告訴を受けたことがどこかであったという話は輝いております。
しかし、それはあんまとは違うというふうな判決があったように存じておりますが、それははっきりしませんから申されませんが、先ほど申し上げましたように、私どもは手技療法基本型というものを作りまして、昭和二十四年来、全国の業者も、大体この型を基準にして手技の施術を行なっておりますし、また厚生省における調査も、この手技基本型によって調査を受けた次第であります。
先ほどこちらの参考人からも――この調査は東京医大の藤井先生が担当者でしたのでありますが、若干その指導を受けまして、はっきりしなければいかぬ、あんま業と同じようなところがあっても困るからというので、こういうふうに一々の手法を写真にとりまして、そうして出したわけでございます。
私どもは、あんまのことは存じておりませんが、あんまさんの療法についての指導書というものもあると存じますから、その点は十分こちらで御研究願って適正な裁断を下していただくことをお願いする次第であります。

○中村委員長
 岡本隆一君。

○岡本委員
 先ほどのお話を承わっておりますと、法律二百十七号ができた当時にあっては、てんでんばらばらであって、療術行為をされる方々の間に何らの統一がなかった。
それで、その後大いにみんなで勉強して、そうして統一をして、一つの系統、一つの体系づけを療術行為の中に見出した。
従って、りっぱなものになって、一般の大衆に迷惑をかけないような程度にまで発展したと思うから、一つ今度はこの際に療術行為というものを認めてもらいたい、こういうふうな御意見のように承わりましたが、それで間違いございませんか。
松原さんと黒田さんの両方から一つ……。

○松原参考人(日本手技療術師会理事長)
 ただいま先生のおっしゃった通りであります。
私どもも大体あんまが利用されておる以上、認められるだけの科学性は確立したと確信しております。
従って、この際ぜひわれわれの身分を認めていただきたいと考えております。

○黒田参考人(全国療術協同組合緊急法制対策部長)
 お尋ねのように、療術そのものも、これまでの姿でぜひお認め願いたいというのが、われわれの念願でございます。

○岡本委員
 そういうふうな体系づけ、研究というものを、どういう機関によってなさったかということを、松原さんにお伺いしたいと思います。

○松原参考人(日本手技療術師会理事長)
 私どもはその業界の一致点、わかりやすく申しますと各業者の最大公約数を作った。
その作る方法は、関東各県の業界の代表をしておられる方々に集まってもらいまして、各県の情勢――お互いにこういう業務をやっておりますと、東京におりましても、東京以外のことは一つもわからないということではないのでありまして、著書によって、あるいはわれわれ同士の交際によってわかる範囲で全国の様子を調べまして、そしてここが最大公約数であるということを詮議してきめまして作り上げたものが手技療術概論という理論の方面と実際の方面であります。
その原稿は、先ほど御説明しましたように二十八年の五月末に厚生省に出してありますが、手技療術概論の方は、原稿用紙で五百枚ばかりであります。
それから実際の方は、原稿用紙で約二千枚近くになっております。
その他に必要な図譜などももちろん写真版も一応こしらえてありまして、これが今先生のおっしゃるように、われわれの勝手な理論であって、そしてまたあんま業者の言われるように、全くあんまと同一のものを、ただ手でやることを足でやるような格好にしてただ焼き直したという格好でもいけないのであります。
そこで私どもの会では、昭和二十八年の五月に直しまして以来、業界に名誉講師として先ほど申した大学の教授をしておられる先生方にお願いをして、そしてさらに悪いところは修正をする。
またわれわれといたしまして、一面こういう資料もあります。
あんま業者を刺激するということは、われわれも慎むべきことである。
従って、あんま業者が見られても、これはどうもおかしいというふうに感情的に刺激する部分を全部削除したつもりであります。
そして先ごろ諸先生方のところに、これは全部お送りしてありますが、これは最後の結晶ともいうべきものでありまして、実はわれわれが勝手に書いたものではないのであります。
われわれの業界で十分検討を加え、これがわれわれの手技、療術の理論の焦点であり、実際の焦点であるというものを作りまして、先ほど申し上げた名誉講師の方々に十分添削していただいて、三者の作業を御存じのように三つの段に分けまして、上はあんま、その次をマッサージ、その次をわれわれの手技の方とわけていったのであります。
そういうふうに十分注意をして、私どもの名誉講師の先生方は、多分これだけで十分である、また業界で懸念をしているように、あんま業者をことさらに刺激するようなことは一つもない、ある先生のごときは、もっとはっきり書いた方がよいというくらいおっしゃられたほどでありまして、われわれは自己宣伝、自己弁明のために書いたつもりではないのであります。

○岡本委員
 そうして体系づけていただいておって、努力していただいたことは認めるのであります。
しからば、その体系づけられた結論というものは、手技療法というものとそれからいろいろな器具類を用いる療術行為というものと、二本に分けて体系づけられていっているのではないかと思うのでありますが、そういうふうに解釈してよろしゅうございますか。
黒田さんからお願いしたい。

○黒田参考人(全国療術協同組合緊急法制対策部長)
 お答え申し上げます。
先ほど手技について御説明申し上げましたが、今お尋ねの器械を使うものでございますが、これは電気、光線、温熱、刺激となっております。
これは先年五年の間療術調査を受けました時分に、この器械も提出しまして、またその術技についても、厚生省から試験を願ったわけでございますが、その当時、電気、光線、温熱、刺激の基本指導書というものを作りまして、これを全国に配付いたしました。
ちょうど昭和二十四年から今日まで、その基本によって一般の補習教育を施したわけであります。
従ってその間、治療方式も一定の線で進んでいるのでございます。
御入用がありますれば、本日は手元にありませんが、こちらへ提出する用意はございます。

○岡本委員
 手技療法については、これは手だけ用いるのでありますから、割合に意見の一致も見やすいと思いますし、またその術式の統一も、比較的やさしいように思えるのでありますが、しかし、いろいろな器具類を用いることになると、治療の手段とするものが、たとえば熱であるとか光であるとか、その他いろいろなものになって、統合は困難でありまして、しかもその用いるのに、一種類でなしにいろいろな種類のものをあわせてやっていくというようなコンビネーションもあろうかと思うのですが、そういうような点についての御研究なり、あるいは意見の調整、あるいは両方の統一的な研究ということをなさったかどうか、黒田さんにお伺いしたい。

○黒田参考人(全国療術協同組合緊急法制対策部長)
 ただいまお尋ねの器械の種類の統一あるいはそれの操作をするについての統一的な研究をしたかというお尋ねだと存じますが、これは昭和二十二年に法律第二百十七号が出ましたときに五種類になっております。
手でする手技、電気、光線、温熱、刺激というもの、大体電気で言えば感電、平流という二つであります。
種類が非常に多かったと申しますが、実際はこの二つであります。
それを作るメーカーが、何流とか何式とか、いろいろ新しい名前を使ったために、それが何百種にも上ったというようなことになった。
これは結局学術的に検討しますと、光線でいえば、今使っているものなども九〇%以上はアーク燈でございます。
ですから、アーク燈一式と申しても過言でないほどに、たった一つのものを使っております。
先ほど三沢先生も御指摘があったように、この一つのもので病気にきくのか、きくようなことはないだろうと仰せになったくらいで、その一つのものです。
電気なども、メーカーの名前を除けば大体感電、平流、高周波の三つに分れている。
ですから、実際に厚生省がこれを取り締る基準をつけていただくならば、ほとんど簡単な基準で出力なりの制限ができて安全に使えますから、現在の程度においても、その安全性においては絶対に保証ができると存じます。

○岡本委員
 今の御意見を承わっておりますと、メーカーがいろいろな器具を作って、その作られた器具について、それぞれの業者が思い思いの方法で売ろうとしておられるものであるかのように受け取れるのですが、いかがですか。

○黒田参考人(全国療術協同組合緊急法制対策部長)
 それはちょうど二十三年の時分に、そういう状態でありました。
その後、やはり手技におきまして、いろいろな名前であったのを統一して、手でやるものを手技ということにしたり、あるいは電気についても、いろいろな名前がついておるのを感電電気ということにし、また平流電気でありますならば、メーカーの名前がたくさんありましたのを、平流電気として扱うようにしましたために、今日では数百種、数十種という言葉はないのであります。
学術的に大体分類されて使っておりますし、また法規を作る上においても、そういう混雑を来たすおそれのないような分類をしまして、その線において厚生省の調査も受けた次第でございます。

○岡本委員
 全国療術協同組合というのがございます。
それと一緒に日本手技療術師協会というのと、二つあるようでございます。
そのほかに、もっとこういうふうな団体があるのでありましょうか。
今、日本にある療術行為の団体としては、この二つだけなんでしょうか。
これは、どちらからでもよろしゅうございます。

○松原参考人(日本手技療術師会理事長)
 二つだけでございます。

○岡本委員
 この手技療術師協会につきましては、手技だけをお用いになる人のみでもってできている協会ではないかと思いますが、そういうふうな解釈でよろしゅうございますか。

○松原参考人(日本手技療術師会理事長)
 その通りでございます。

○岡本委員
 療術協同組合の方は、手技療法もやる、それからいろいろな器械も使うというふうに、かなり複雑なコンビネーションで業を営んでおられる方があるのではないかと思いますが、いかがでしょう。

○黒田参考人(全国療術協同組合緊急法制対策部長)
 お答え申し上げます。それは業者の中には、いろいろな業を併用している者も相当数ございますが、大体はこの五種類のものの一種目を主としていたしておるのでございます。
ですから、一種類だけを専門にしておる人の方が多いのであります。

○岡本委員
 それで、大体日本の今の療術行為というもののアウト・ラインは、おぼろげながら私に理解できて参ったのでありますが、私たちの心配いたしておりますのは、効果の有無ということよりも、やはりその行為によるところの弊害が起きて、貴重な人のからだに、もちろん生命の危険なんかあっては困りますが、あとに大きな障害を残すというようなことがあっては困るというのが、この療術行為の存在の上において私たちの一番心配することでございます。
そういう意味におきまして、私はこの療術行為をやる人たちが、診断行為を伴うようなことをしていただいては困ると思うのであります。
しかしながら、診断行為というのは、先ほども黒田さんのお話の中にございましたが、どうかと思うようなものについては、一応医師の診断を受けることを要請する、そうしてそれに基いてあとの治療を続けていくというふうなお話でございました。
しかしながら、診断というものは一度で確立されるものでございませんで、何べんか見ることによって、そしてその病気の動きによってほんとうの診断というものが確立されていく。
初めはこう考えておったが、病気がこういうような経過をたどってきたから、こういうふうになるということで、診断というものは固定させておくのではなくして、絶えずその出てくる変化に応じて考えを変えていくことがほんとうの診断であります。
従って、ある診断を受けたからといって、その固定的な考えの上に立って、同じ考え方で長いこと治療をされるということは、非常に危険をはらむ場合があるのであります。

 そこで、先ほど岩原先生の御説明がございまして、黒田さんもお聞きになったと思いますが、この療術行為によってその犠牲になった人を見てきておるというふうな御説明がございました。
私たちもまた、そういうふうな治療をたまたま見聞きいたしておりますが、それにつきまして、黒田さんのお言葉の中に――決してあげ足をとるのではございません、私はやはりそういう考え方が普通であるという点を強調したいと思うのでありますが、療術行為というものは、何らの事故なくして発展してきたというふうなお言葉があったと思うのです。
このお言葉の中には、そういうふうなたまたま起ってきたいろいろな事故というものに対する反省が、少し足りないのではないかというふうな点において、私たちはそういう考え方に非常に心配をいたすのでございますが、あなた方は、自分たちの療術行為によって一人の犠牲者も出しておらない、何らの事故なく発展してきたというふうなかたい信念をお持ちになっていらっしゃるかどうか、黒田さんにお聞きしたいと思います。

○黒田参考人(全国療術協同組合緊急法制対策部長)
 お答え申し上げます。
ただいまお尋ねの点でありますが、それは私どもも、何らの事故なしと表明いたしましても、療術によって、そういうこまかい点までの事故が、全然なかったとまでは申されないのでございます。
ただ療術が非常に厳重な取締りの中に今日まで来まして、そうして療術によってこういう事態を生じたというようなことで刑罰を受けたものとか、あるいはそのために療術が途中でやめさせられたとかいうような事故がないという意味で申し上げたことでございまして、私ども業者としましては、皆万全を期しまして、全国の者が年に一回ないし二回集まりますけれども、われわれは診察をしませんが、どうしてもまず来ている患者さんの症状を見まして、今までより少し悩みが多くなったとか、あるいは血圧が高い人で頭痛がひどいというような人は、いずれ大がいはお医者さんにかかって、私の方に来ている、両方やる方の方が多いようですが、もしこっちだけおいでになる人で、先ほど申しましたように、少しでも症状が変ったような人があれば、これはお医者さんにぜひ見ていただいて、そうしてどこに原因があるかというようなことも突きとめ、そしてお医者さんにもかかり、われわれの治療にもかかっていただきたいというような方針をとっておる次第でございます。

○岡本委員
 私たちの希望といたしましては、先ほどの三沢先生、岩原先生など、日本の学問の権威者の希望としましては、疾病の治療には手術による方法または薬物による方法あるいはその他の物理的な手段によるというようなものがあるわけでございますけれども、この医業類似行為のほとんどのものが、物理的な方法によるところの治療方法であると思うのであります。
そういうようにいろいろな基礎的な知識の不足のために、思わざる事故が、しばしばというと語弊があるかもしれませんが、たびたびあるのでございます。
そういうふうな犠牲者を作らないためには、医師の監督下に置くところの医療機関の補助的な術者として、どんどん発達してもらいたいというふうな希望があったのでございますが、これは公正なもっともな意見のように私たち思うのであります。
しかし、今皆さんがお求めになっていらっしゃるのは、やはり自分でもって独立して業を営んでいくという形式をお求めになっていらっしゃるように思うのです。
しかしながら、こういうふうな器具類、ことに器具類が進歩すればするほど、それを独立してお持ちになるということの中には、だんだん危険なことも出てくると思うのでございまして、従ってそういうふうな将来の方向を考えていくときに、今はそういうふうな形でも、将来はいろいろと共同して、そのアシスタントとして、助手として、物療行為をやるというふうな方向へ発展させていきたい、またそういうふうな方向へ進むのが本筋だというふうにお考えになっていらっしゃるか、それともこの療術行為というものは、あくまでも独立独歩でやっていくだけの権威と力があるのだというふうにお思いになるかどうかということを、この機会に黒田さんにお聞きしたいと思います。

○黒田参考人(全国療術協同組合緊急法制対策部長)
 お答え申し上げます。
現在の段階においては、長年してきました姿でやらせていただきたいというのが、私どものお願いでございます。
これが幸い法制化されまして、そうしてするようになりましたならば、もちろん法律に定められました学校教育を施しまして、これが独立して一つの業務としてやっていけるようになられんことを私は希望しておるものでありますが、また社会の情勢が、どうしてもこれは将来医師の補助としようというような方面に発展をするようでありましたならば、それは時代の要求に応じまして善処したいと存じております。

○岡本委員
 あんまさんの組合の方々と療術師の方々の、今度厚生省の出そうという案に対する考え方の相違点というものは、療術師の方々は、三年間の延期の間に検定を受けて身分の保障を得たい、こういうふうなお考えのように思います。
またあんまさんの方では、そういうふうな延長でなしに、即時何らかの形で検定をやって、そして療術行為をやっていい人、それだけの十分な能力を持っておる人は、そのままあんま、はり、きゅうないしはそれと同じ系統のものの中に収容してやっていけばいいというような考え方のように私どもは受け取っておるのであります。
従って、要は両者の考え方の間では、三年間の猶予期間ないしはその猶予期間をどのくらいにするかということが、その中の一番重要な点のように思うのであります。
それにつきまして、八年前に法の制定がございました当時にありましては、これは猶予期間が八年間もあるということは、これはあなた方が何とおっしゃっても、私たちが今常識的に考えていきますと、これはその期間中にその療術行為というものを体系づけて、その体系づけた上に立って許可しようというふうな考え方というよりも、やはり転廃業というものを予想したもののように私は思えるのです。
そしてまた、その間にあって、もしもほんとうにそういうふうな療術行為を続けていきたいという人は、その間に鐵灸あるいはマッサージその他の検定を受けて、そういう行為の範疇の中に入って、その業を続けていける、こういうような意味に私は取らざるを得ないと思います。
この八年間の猶予があったのに、どうしてそういうふうな免許を取って身分の保障をなさらなかったかということは、私は理解できないのでございますが、その辺について、ことにこれはマッサージなんかと密接な関係があると思いますから、松原さんに伺いたいと思います。
  〔委員長退席、山下(春)委員長代理着席〕

○松原参考人(日本手技療術師会理事長)
 八年間は転業期間であるということは、先ほど黒田さんから説明なさった通り、私どもも聞いておりません。
それでそういうことは考えておらなかったのでありますが、なぜあんまの方の試験を受けなかったかという事情については、あるのであります。
それは私どもの考え方、私どもの技術というものは、確かにあんまさんあるいはカッコの中のマッサージと違う方向があるのであります。
従って、われわれは業務をやっておる場合に――これはあんま業者が聞かれて何とおっしゃるかしれませんが、私どもの感じでありますから、そのおつもりでお聞き取りを願いたいのですが、私どもはよろしく将来手でやるものはかくあるべきであるという一つのかたい信念の上に立っておるのであります。
だから、あんまに吸収して、あんまになれといわれても、あんまになり切れないものを持っておるのです。
そのために、転業ということはもちろんやらなかったわけであります。

○岡本委員
 私は、マッサージの一つの発展形式というふうな解釈でもって、あなた方の手技療法というものは理解できる、こう思うのです。
ことにあんまさんの問題につきましては――これはあるいはおしかりを受けるようなことを申すかもしれない、もしそういうことがあればお許し願いたいが、あんまさんの場合にありましては、こういう心配を私はしておるのです。
自分たちは目の見えない不具者である。
従って、あんまさんには失礼な奮い方ですが、やはり目の見えない人は、あまり動作あるいは容貌も必ずしもいいものではない。
そういう人がこの世の荒波に立っていくためには、どうしたって限られた職業しか持てない。
従って目の見えない人は、あんまをしてようやくその生業を得ておる。
そこに目の見える人がどんどん進出されてくると、それだけでも困るのです。
従って徳川時代においては、あんまさんたちには、一種の社会保障というふうな形でもって、あんまさんの社会福祉法とでもいいますか、盲人福祉法とでもいいますか、そういうふうな形で、あんまとはり、きゅう、あるいはお琴の先生というのは、盲人でなければできないというふうな法律がありまして、あんまさんの、というよりも、目の見えない人の保護が行われておった。
ところが、職業の自由というような形でもって、近年になりますと、目の見える人も、マッサージというふうな形でもってどんどん進出してくる。
しかしながらそのマッサージも、やはり今まではあんま、マッサージというふうな形でもってその中に包含されて、そうして同じような学校でもって、その教育課程を経て、一定の検定を経て、あんまさんと一緒に行われておった。
ところが、目の見える、しかも、場合によってはある程度教養のある人が、突然手技療法とか、あるいは療術行為というような形でもってやった。
これはマッサージよりもう少し上等なんです。
あんまさんより高級なんですというような形でもって、似たようなものを持ってきて売り出されたのでは、これは非常な生活権の脅威であるというような点において心配しておられるのではないかと思う。
そしてまた皆さん方も――皆さん方というと何ですが、考えの一部の中に、やはりそういう点で、自分たちはそういう人たちとは違うのだ、だから、あんまやそういうものの中におれたちを入れてもらっては困る、またおれたちをそういうところに入れてもらったのでは、おれたちの権威とか値打というものが落ちるのだからというような、いわば一種の身体障害者でありますが、身体障害者に対する偏見というものがその中にまじってそうしてそういうふうな優位の七に立って自分たちの生存権を主張していこうというふうなお考えが、皆さん方の中にあるのではないか。
そういうふうなお考えがあるとすれば、これは目の見えない人たちには非常に気の毒である。
やはり寮術行為をやっていられる方々は、五体の満足な、しかも比較的教育もある人ですね。
中等教育、あるいは場合によっては高等教育を受けた人もその中におられる。
そういう人たちは、他に幾らでも生きていく道はあると思うのです。
従って、そういう目の見えない人が、必死に自分たちの生活を守るために一生懸命になっているところへ強引に入っていくよりも、むしろそういう気の毒な人には道を譲って、そうして自分たちは自分たちで他に生きる道を考えていただくということができたら、私は非常にいいと思うし、またそういうふうな気持を持っていただくことが、私は世の中が非常に美しくいけることだと考えるのであります。
そういう点について、これはまとまりのない質問のようでございますが、皆さん方は、しいて自分たちの手技療法というものを、マッサージとは違うのだ、あるいはあんまとは違うのだということを、強くどこまでも主張なさりたいのか、あるいはある程度そういうような範疇の中に加えられてもかまわないというお考えなのか、その辺を承わらせていただきたいと思います。

○松原参考人(日本手技療術師会理事長)
 先ほどの私の答え方が悪かったのかもしれませんが、私どもはある信念のために転業しなかったと申し上げましたが、これは決して優越感のためではないのであります。
従って、あんまの方々、ことに盲人の方々には、われわれも国民の一人として、それこそ心からの御同情を申し上げております。
結局この問題の焦点は、三者の差異という点にあると思います。
われわれが、これを作った際も、各先生方に、あんま業者に少しでも刺激をするようなことがあっては、われわれの本旨に沿わないからということを切にお願いしてあります。
そういうように、私どもは、自分が信じておるから、これはよいものであると自負しておるのではないのであります。

 それから、あんま業者になぞらっていくべきである。
これはもちろん当然なことであります。
私どもは、本来ならば手技療治として、あんまと別にやってもらいたいという考えをもって最近まで参りました。
ところが、あんま業者の方からは、いたずらに業種を増すこともいけないではないかという御忠告もあり、またことに日鐵会の会長さんからは、将来はわれわれは大きく成長して、そして医療補助者制度までにいくべき段階にあるから、今ここでことさらに自分の身分だけを別にするということはどうかというような御意見もありましたので、これは後ほどお尋ね下さってもけっこうでありますが、私どもは一言もなくこれには承知をしたのであります。
決してそれについて、長く不平を言ってがんばるようなことはしておりません、直ちにあんま業者の御意見をおいれしたのであります。

 それから将来の問題については、もちろん今申し上げたように、手で用いてやるものは、さらに一段の進歩をすべきものでありますが、その場合に、他の方面は知りませんが、手で用いる方は、めくらの方だからできないということは決してないと私は思います。
ことにわれわれのからだを見ていく場合に、さわってみて感じを確かめていく、これが一番大事でありますが、先ほどどなたか先生がおっしゃいましたが、盲人の方々は特に触覚が発達しておる。
触角が発達しておって、それに基礎知識さえ加わってくれば、われわれのとうてい及ばない技術になるのであります。
決してわれわれの発展は、あんま業者を圧縮することにならぬと思うのであります。

○岡本委員
 最後に、もう一点だけお尋ねいたしておきたいと思います。
大体三年間今のものを延長する、その期間の間に皆さん方が一定の検定を受けて、今の業を続けていきたい方はやっていくというお考えのようでありますが、こういう点については、あんまさんの方々とある程度の話し合いをなすったのでありましょうか、あるいは話し合いがついているのでございましょうか、その辺を最後にお聞きしたいと思います。

○松原参考人(日本手技療術師会理事長)
 それは別に話し合いはしておりません。
政府案として三年というふうになったと思っておりません。

○岡本委員
 もうけっこうです。

○山下(春)委員長代理
 福田昌子委員より関連質問の申し出がありますので受田委員、ちょっとお待ちを願います。

○福田(昌)委員 一、二点だけお尋ねいたします。松原先生にお尋ねいたしたいのでございますが、この日本手技療術師協会というのは、会員が何人くらいおいでになって、どういう人たちを中心にしておられますか。

○松原参考人(日本手技療術師会理事長)
 現在のところ二千四百三十名ばかりの会員がおります。
その分布状況は、関東が一番多いのでありまして、大体において全国各地に会員を持っております。
全然おらないという府県は、二県だけだったと思います。
そのあとは全部おります。

○福田(昌)委員
 大体手技を中心になさる方だと伺ったのでありますが、それは全国療術協同組合とは全然関係ない人でありますか。

○松原参考人(日本手技療術師会理事長)
 現在のところ、関係ないのであります。

○山下(春)委員長代理
 福田委員に申し上げますが、関連質問ですから、簡単にお願いいたします。

○福田(昌)委員
 そういたしますと、大体手技を中心になさる方の組合だと解釈してよろしゅうございますね。
その組合の会長さんの御意見といたしまして、今回提出されるであろう政府のこの法案に大体賛意を表する、あんまと同類ではないけれども、あんまの範疇に入れられてもやむを得ないというような御意見がございましたが、それはこの二千四百三十人の代表としての御意見でございますか。

○松原参考人(日本手技療術師会理事長)
 最後の方がちょっとはっきりしませんでしたので……。

○福田(昌)委員
 松原先生の最初の御説明から伺いますと、今度政府が提出するであろう改正法案に賛成をしておられる、指圧というものは手技として特異なものであるけれども、この法案においては、大体あんまの範疇に入る予定になっておるが、それで了解しておるという御意見の説明があったのでありますが、それは二千四百三十人の、先生の会員の方の、総員の御意見でございますかということです。

○松原参考人(日本手技療術師会理事長)
 それは全体の意見でございます。

○福田(昌)委員
 そういたしますと、黒田先生の側の全国療術協同組合の組合員の方々と、同じ手技、指圧を中心にされた業態の松原先生の側の協会の方の御希望条件というものは、食い違っておる感じがします。
黒田先生の御意見によりますと、あんまと指圧というものは、根本的に最初の出発から異なっておるのであって、別個のものだという御主張があったようであります。
同じ業態の人たちの中で、こういう二つの意見の対立があるということは、私どもといたしまして、その取捨選択に困るのでございますが、黒田先生の先ほどの御説明、指圧はあんまとは同種でないという御意見はお変りないのでありますか、黒田先生にお伺いいたします。

○黒田参考人(全国療術協同組合緊急法制対策部長)
 こちらは、もともとから療術師として、別個に手技というものを確立して参りましたので、従って今日まで、これがほかの名目で、またあんまの中に入るというようなことは、組合員全体の意向としてございません。
ですから、われわれの希望としましては、たびたび申し上げてありますように、もし手技が取り上げられるのでありましたならば、療術師の手技としてお取り上げを願いたい、あんまを絶対に隔離されることを希望するものでありす。

○福田(昌)委員
 私はたとえば科学技術というものが進んで参りますと、科学的なはっきりした根拠を持っているものは、それぞれ分化過程がはっきりして参ると思います。
たとえば、外科の分野におきましても整形外科があり、口膣外科があり、最近麻酔学の外科が誕生いたして参りまして、それぞれ独立した学科としての教授課程をとっております。
従いまして、学術的な根拠があれば、これは私は特別な業態として取り扱うことに、学界としてもやぶさかであってはならないと考えております。
従って、あんまとマッサージと指圧というようなものが、これは学術的に見ても別個のものであれば、これを別個として主張するに私は決して遠慮は要らないと思うのであります。
別な角度からの妥協というものは、必要ではないと思います。
しかし、学術的な根拠がないものであれば、感情的な形で別派を立てるとか、へ理屈を言うことは、これは別個でございましょうが、学術的根拠があれば、療術は療術、指圧は指圧として、あんま、マッサージとは別個に考えることは当然であって、私はしかるべきだと思うのでございます。
ところが、松原先生の御意見では、指圧はあんまの中に入れられても、ある程度妥協できるというお話がございましたが、そういうお考えの先生方は、これは厚生省の御主張も、あんま、マッサージの側に入ってもらいたいというのでありますから、すみやかにあんま、マッサージの側にお入りになった方がよろしいのではないか、そうして、そういう業態になさった方がよろしいのではないかという気もいたすのでございますが、これに対する御見解を伺いたいと思います。

○松原参考人(日本手技療術師会理事長)
 お尋ねの要旨が、はっきり取れないので何でございますがもっと簡単にお示しを願いたいと思います。

○福田(昌)委員
 少しくどかったと思いますから、簡単に御説明いたします。
科学的な根拠があれば、あんま、マッサージと是が非でも一緒の範疇に入らなくてもよろしいと私は思う。
指圧は指圧として独立されてもいいと思うが、指圧が、あんま、マッサージと同類と見なされても妥協できるというお考えであるということは、学術的に見てもあんま、マッサージと大体同じ学理的なものとお考えになっての御見解と思いますから、それだったら、厚生省の御趣旨の、過去八年間にわたってあったことですから、指圧という業態よりも、マッサージという業態に御転向なさった方がよろしいのではないか、これに対する御意見を承わりたい。

○松原参考人(日本手技療術師会理事長)
 私どもは、理論の上において、また実質の上において、三者は違っておるということははっきり認めております。
だが、結局それは先ほどのお話ではないが、あんま、マッサージは、全然われわれよりも程度の低いものか、あるいは全然分野の違うものか、こういうものについては、何といっても手でやるものでありますから、より一歩進んだものを作るという前提の上においてならば、私どもとしては、いかなる妥協もできるのであります。
つまり、近き将来において、そのままマッサージ、それから指圧、そのほか私どもとしては、柔道整復もそうなると考えておりますが、こういう手を用いるものが大同団結して、さらによい技術を作り上げるという前提の上において、私どもは承知したのであります。

○山下(春)委員長代理
 受田新吉君。

○受田委員
 松原先生にお尋ねいたしますが、今指圧は、独得の理論と技術の上に立ったものであるとして、過去八年間がんばり続けてきた。
しかし、そうした手を用いるものを総括して一元化する意味においては、あんまの中に入ってもいいのだ、最近は、それに加わることに決意したというお話であったと思います。
独得の理論と技術をもってがんばり続けてこられた松原さんとしては、結局そうしたあんまの中に入る一つの手技としてこれをお認めになったということは、政治的配慮からなされたことと解釈してよろしゅうございますか。

○松原参考人(日本手技療術師会理事長)
 成り行きはそうであったのであります。
しかし、これを学術的に一緒にする場合には、必ず全体の意見の通り、一つの科学性のあるものができるという理論的の見通しも、業務の体験から見ておるのであります。

○受田委員
 さらに一歩飛躍する意味においては、一応屈してこれに入っていくのもいいのだというような形になりますと、これはこうした医業もしくは医業に類似する筋を通す意味からは、非常に妥協的な結果になったと思います。
従って、もっと理論的に、あんまと同じである、あんまの一部としてこれを考えてもいいのだという筋を通した御見解をお示しいただいたならば、これは非常にごりっぱな結論だと思うのでありますが、八年間がんばり続けられた信念が、最近において急に変更されたところに、信念をお持ちになっておることに非常な変化があったと思うのでありますが、こうした業をなさる立場からは、信念を押し通していくということが、筋としては通るのではありますまいか。

○松原参考人(日本手技療術師会理事長)
 それは先生のおっしゃる通りであります。
私どももそう考えております。
今度の妥協は、われわれはただ単純に身分をほしいというためだけの妥協ではありません、今後さらに一段といいものを作るときに、身体の外部からやる物理療法であり、要するに刺激療法であります。
ただ私どもの一番主要に見ておる点は、あんまさんの方は、もちろん科学的な面もありますけれども、どちらかというと、経験法が主になっておる。
それからマッサージの方は、大へんいい技術を持っておられるのですが、どうしても局部的で、血液循環というだけのことを主にしておられるような感じがするのであります。
私どもはからだの形であります。
からだの形をなるべく正常に持っていくということを考え、それからそれを通して筋肉の緊緩の異常を調節したり、われわれのできる範囲内の刺激作用を応用して内臓の反射を起させるというように、ここにおる人の身体の調子をだんだん整えていく観点、そういうねらいはないように思うのであります。
われわれの信念と申しますのは、要するにそれなんで、全体ということを考えてやるということ、そうして全体は形態と働きの上において調節されていかなければいけないのだ。
それを、そうでないかもしれませんが、私どもの見るところでは、マッサージの方は、いつも局所的におやりになる傾向がある。
あんまの方たちは、まだ経験法を脱しない。
われわれから言わせますと、経験的な面が多過ぎる。これが将来お互いに虚心たんかいに相談し合いましたならば、あんまのいいところもとれるでしょうし、マッサージのいいところもとれるでしょうし、またわれわれが特色と称しておるところも、多分認めていただけるということ、そこが私どもの信念でありまして、つまり見通しであります。
今日の言葉では見通しであります。十分の見通しがある、なければならぬ。その意味合いにおいて、そういうことを期待して妥協したのでありまして、先ほどあんまの運動がひどかったということを私はこぼしましたが、何もそのために折れたというわけでは決してないのであります。

○受田委員
 松原先生の御見解を拡張しますと、はり、きゅうもあんまの中に入れていいというような結論が出るように思いますが、あるいは柔道整復も同様でありますか、いかがでございましょうか。

○松原参考人(日本手技療術師会理事長)
 柔道整復は、私は三十年余り前に学校を出て、すぐに柔道整復をやった経験がありますので、よく知っておりますが、はり、きゅうという点については、私は全然しろうとでございます。
そこでやはり二百十七号で出ましたら、皆様と相談し、また相談するばかりでなく、学術経験者の指導を仰ぎ、また厚生省の御指示も仰いだり、社会的に見た諸先生方のお立場も何してやるべきであると思いますけれども、現在あんま、はり、きゅうの中に入るべきかどうかということについては、私ども全然見当がつきません。

○受田委員
 先ほど手を用いる技術は統一され、系統化されなければならない、そういう意味ではあんまの中に入ることもわれわれは納得するのだということでありましたが、そういう広い意味で解釈を進めていくならば、はりも、きゅうも、そうした意味におきましては、あんまと同じ中へ入れてもいいのじゃないか。
今マッサージは局部的なものであるという御見解がありましたが、マッサージをなさる方々は、局部的なものではないとはっきり申しておられます。
こういうように、それぞれの立場をすっきりと体系づけていただきまして、納得ができますような結論をお示しいただくことが大切じゃないかと思うのです。
同時に、今まで他の療術と一緒に、できるだけこれが認められるときをお待ちいただいたというお言葉があったわけですが、他の療術の部面とこの際訣別してでも、この指圧だけが認められるということになりますと、そうした共に苦労をしてきておる立場で取り残される人々の立場というものも、やはり考えてあげなければならぬと思うのでありますが、その点についての御意見を伺いたいと思います。

○松原参考人(日本手技療術師会理事長)
 療術行為取締規則であった時分に、東京都内におきましては二つ以上の業務を兼ねてやってはならないというような意味の条項があったと思います。
それであの療術行為というものは、免許を持たない者で医業に似たような格好をする者を全部集めたはきだめのようなものであったのでありますが、それが昭和五年に出て以来今日まで、われわれはやはり同じくはきだめのごみでありますが、ごみ同士がお互いに手を握っていろいろのことをやり、苦楽を共にして参りました。
だから、そういう点から申しますと、ここでもし手技だけが認められて他のものが落ちるということは、私どもとして非常な悲哀を感じます。
われわれに対して、電気はどうか、光線はどうかと説明を求められましても、われわれには全然それがわからないのです。
そうなりますと、人間の弱さと申しますか、まず自分のことを一つ大成しようという感じの上に立ちますけれども、決して電気、光線の器具等を用いられる方々をけ飛ばして、自分だけが先へ行こうという、そういうみじめな考えは一つも持っておらないので、どうかそういう点で御了承願いたいと思います。

○受田委員
 療術師として警視庁で認められた当時は運命を共にされて、二十五年間今日まで業を続けてきておられる皆さんが、この法律制定の段階に当ってばらばらになるということに対しては非常な悲哀を感じておると、松原さんも指摘されておるわけであります。
松原先生のその御見解によると、指圧は療術の一部であった。療術は三十年末には全部切りかえされなければならぬという今の政府委員の高田さんのお話もあって、他の器具器械等を用いる分は非常な困難な情勢であるから、自分たちの生活を守るためには、一つできるものならこれだけは考慮してもらいたいという政治的な配慮ということが、先生のお心を動かされたと解釈してよろしゅうございますか。

○松原参考人(日本手技療術師会理事長)
 その政府案に出たものには、私どもは何ごとによらず、政府の御指示に従いたいという気持で参りましたが、その結論というものは、ただ身分法を作ってもらいたいという考えがあっただけでありまして、われわれから身分法以外の何ものも要求したことはもちろんありませんし、われわれがそうしたから法律ができる、そういうことももちろん考えていないのであります。
何かどういうことか、もっとはっきりしたことでお示し願えれば、お答えできるかと思います。

○受田委員
 松原先生は、この政府案が出されるに当りまして、政府かどなたからか御相談を受けられたことがありますか。

○松原参考人(日本手技療術師会理事長)
 別に御相談を受けたことはありません。

○受田委員
 ここで関連して、黒田先生は先ほど、この法案の提出に当っては、政府は何ら相談をしたこともなかったということでありました。
今も松原さんから、政府とは何ら話し合いをしたことはないと明言された。
そこで政府委員にお尋ねいたしますが、この法案をお出しになるに当りまして、今松原さん、黒田さんのお答えになられた通り、何ら事前に話し合いとか、あるいは意見を聞くということはなさらなかったかどうか、御意見を伺います。

○高田(浩)政府委員
 近く出すでありましょうところの政府の案は、政府の独自の考えで出します。
ただ関係の方々の御意見なりお気持なりは、女書その他によって随時承知いたしております。

○受田委員
 今、黒田先生と松原先生のお話から考えたのでありますが、こうした重大なる法案を御用意されるに当りましては、できるだけ関係者の意見を徴せられて、そうしていろいろな立場の意見、反対意見、賛成意見、広くその声を聞くということが政府としての責任であると私は思います。
しかるに、すでに原案が用意されておるにかかわらず、全然その相談をする機会がなかったというような組合の代表がおられるということは、今黒田先生からも、松原先生からもお聞きし、大へん私は心外に思ったのであります。
文書その他で意見を聞くという場合もありましょうが、しかし、こうした重大法案を用意されるに当りましては、今申し上げた立場で、できれば直接意見を聞くというやり方が正しいと思います。
特にまた、あんま、はり、きゅうの組合の方々、そういう方々をすべて含んだ御意見を直接徴されるというくらいの熱情があってほしいと思うのでありますが、直接お会いになって御意見を聞かれた方は絶対ないのでありますか、もう一度御意見を伺いたいと思います。

○高田(浩)政府委員
 先ほど申し上げましたように、この問題についての各団体のお考えについては、かねがねから何度も伺っておりまして、よく承知いたしております。
それから政府案として出します案につきましては、あんま、はり、きゅうに関しまする中央審議会がありますが、この審議会の方々の御意見を伺いました。

○受田委員
 この法律に制定された場合において、一番痛手を受ける人々は、一般療術の方々であると思いますが、そういう方々に直接御意見を伺われる機会をなぜ持たれなかったのですか、それを伺います。

○高田(浩)政府委員
 先ほど申し上げましたように、関係の団体の方々のお考えは、かねがね十分承知いたしておりましたのであらためてこの案についての御意見を伺う必要が特別にあるとは考えなかったからであります。

○受田委員
 先ほど高田さんは、このあんま師法、すなわち法律二百十七号制定の趣旨は、療術師の方々に対する期限付転廃業を要請する趣旨であったと御説明があったわけでありますが、昭和二十四年から五カ年間にわたりまして、国費二百五十万円をつぎ込んで療術関係の諸調査に乗り出されたということは、どういうことでありますか。

○高田(浩)政府委員
 これら各種の療術行為――これは非常に多岐にわたっておりますけれども、その中には学問的に科学的に相当研究すべきものがあるのじゃないかという観点から、すなわち医療行政の立場からいろいろ検討いたしました。

○受田委員
 国費二百五十万円というのは、非常な多額の金です。国民の血の税金です。
それをもって数年間にわたる調査研究をされたということは、厚生省としては非常に大きな決意だったと思うのです。
その決意は、医療体系全般から考えた療術各部門を研究したいということですが、私は先ほど申されたように、転廃業させるという目的であるにもかかわらず、医業類似行為の中に、何らか考えるべきものがないかという立場からの御研究であると思わざるを得ないのでありますが、この点いかがでありましょうか。

○高田(浩)政府委員
 念のための検討でございます。

○山下(春)委員長代理
 受田委員に申し上げますが、政府委員への質疑は、今後当委員会においてできますので、なるべく参考人にお願いします。

○受田委員
 それでは、参考人に直接関係するのですが、黒田先生から、いまだかつて転廃業に対する事前通告も何らされないし、むしろいろいろな機会を通じて、医療類似行為の中で、筋の通るものであれば何とかしたいという政府の責任者たちの発言があったということでございましたが、これは非常に重大な関連がありますので、政府委員の御答弁を願いたいと思います。

○高田(浩)政府委員
 当時の法律の審議の際におきます厚生大臣の答弁によりまして、お答え申し上げた次第でございます。

○受田委員
 その後において政府委員の方々から、ことごとにこれに対して何らかの措置をするというような御発言があった関係上、松原先生にしても、黒田先生にしても、その日を期待していたような先ほどからの御発言であるように私伺っております心そういう意味で、三十年の末をもって廃止されるのだとお考えにならなかったという両先生の御答弁を伺ったわけでありますが、そういうような考えでこれを見てきたということを再確認してよろしゅうございますか、両先生に伺います。

○松原参考人(日本手技療術師会理事長)
 それは、何とかして身分を作ってもらいたいという気持と、われわれの業務の過去の経歴からして、どうしても残していただいてもよいものであるという気持は持っておりましたが、政府案の出るまでは、切られるかもしれないという不安がありましたことは確かでございました。
それで、何とかしてわれわれの気持を認めてもらいたいという感じをもって私ども終始しました。
政府からも、お前たちは科学性を確立すれば認めてやるというふうには聞きませんでした。
科学性のあるものは認める態度であるということは、聞きましたけれども、お前たちは科学性を確立すれば、法律として身分を作ってやるというふうには聞きませんでした。

○黒田参考人(全国療術協同組合緊急法制対策部長)
 お答え申し上げます。
先ほどからたびたび申し上げましたように、政府は昭和十四年以来、この衆議院において、はっきり療術というものは――その当時に治療師と申しましたが、調査をして何とか免許制度のようなものを作ってやるということを答弁されました。
それから続けて、われわれはたびたびこの国会に請願陳情するたびの答弁においても、政府から、これは絶対に将来やらせないというふうな意思表示のあったことは少しもありません。
ここに持って参りました政府の御答弁においても、科学性を認めれば、そのものについてはやらせるということはごく最近においても、昨年度あたりにおいても言っておると存じております。

○受田委員
 これは非常に重大な問題と思うのであります。
この法律の結果、この年末には営業ができなくなる人々が多数出るということを、政府は十分認めておりながら、なおかつ何とかするというような態度である。
今、松原さんも、大体はそういう態度であると政府は言ったということでありますが、そういうような印象を与えるような発言を政府が長期にわたって持続して、何ら転廃業の用意をさせることなく今日に至った責任をお尋ねいたします。

○高田(浩)政府委員
 お尋ねの点は、どういうことでしょうか。

○受田委員
 転廃業の用意をさせるような措置を十分親切に業者に伝えるべきじゃなかったか。
今お聞きしておれば、何とかして認める態度であるというように、松原さんも考える。認めるとは言わなかったが、認めるような態度であるというような考え方、黒田さんの方でも、いろいろな機会で、これを禁止してやめさせるというような意味には取っていない政府の御意見であった、こう申されておるのであります。
そういうことに対して、もし先ほど申されたような御趣旨であるならば、常に親切に、自分の運命が迫ろうとする人々に対して、転廃業の用意をさせるような措置をおとりにならなかったのであるかということをお尋ねしているのです。

○高田(浩)政府委員
 私の方で、特別にいわゆる療術師の身分を認めるような態度を示したことは、今日に至るまでないと私は記憶いたしております。

 それから転廃業云々につきましては、これは法律制定当時の趣旨と申しますか、大臣の答弁がさようなことでありますことを、十分御承知願っておるとも考えますし、ただ関係者の方々は、自分たちの身分を認めてもらいたいという趣旨からであろうと思いますけれども、療術師の身分の獲得について、非常に御奮闘になっておるということはよく承知しております。
その辺りところの実際の空気その他からいたしまして、法律については十分御承知の通りでありますから、あえて申し上げなかった次第でございます。

○受田委員
 政府委員に対する質問は先へおきまして、両先生にもう一度伺いますが、私は目の見えない方々で不自由をなさる方々のためには、国をあげてお力になってあげなければならぬ、そうした強い信念を持っており、また私たちの同士もみなその線です。
従って、この法律の制定に当って、目の不自由な方々を守ってあげる基本的な態度は、われわれは常にきぜんとして用意しております。
そこで、指圧のごとき手技で、目の見えない方々にもできる分野については、広く門戸を開放して、その人々を引き受けるという用意がされておったのかどうか。
先ほど岡本委員の御発言があったようでありますが、目の見えない方々の働く分野として、指圧、手技の分野は、当然これは開放さるべきものであり、あったと思うのであります。
この点につきましては、それぞれのお立場で、指圧には目の見えない方々の十分活躍するような、そうした豊かな受け入れ態勢ができておるのであるかどうか、両先生に伺いたいと思います。

○松原参考人(日本手技療術師会理事長)
 それは今受田先生のおっしゃったお気持も、われわれ業者の国民としての立場も、目の見えない方方には当然十分の同情はすべきであります。
私は、先ほど岡本先生でしたかにお答えしましたように、これはもう将来だんだんまとめてりっぱなものをこしらえると、あんまさんの方はかえって上手になられると思うのです。
門戸開放どころか、われわれの会では、すでにあんまさんでわれわれの指圧を習われた方が小なりもります。
そういうふうで、決してそこにみぞを作るというような考えを持ちません。
今後におきましても、むしろ法律的な面から見ますと、もう相当古い先輩でありますかな、われわれはその後輩として、かえって驥尾に付して進歩発展をかっていきたいと思っております。

○黒田参考人(全国療術協同組合緊急法制対策部長)
 お答え申し上げます。
先ほどお尋ねのあった点も、それと一緒にお答え申し上げたいと思います。
私ども療術組合の主義としましては、あんまさんの領域を侵すというような考えは、少しも持っておりません。
あんまさんは、その点について大へん御心配なさるように考えておりますが、われわれのしておる療術の範囲は、実際これは各自の治療所へ来てお調べいただけばわかると思いますが、大体お医者さんにかかっても、なかなかうまくないというような病人が相当多いのです。
その次が、やはり長い間療術そのものによってからだの工合の悪いところを治療しておられるというような長いお得意さんで、そしてもうほかの治療には行かないで、大体ここへ来てくれる。
そして大半の人は、大体お医者さんにかかった上に、こんなのは一つ療術にやってもらいたいというような程度で来ておりますし、また今松原さんからもお話があったように、療術師が実際に取り上げられて学校制度ができ、またりっぱな教育ができるようになりましたら、今後においては、いずれかと申せば、お医者が先ほどお話になりましたように、お医者さんの分野に入ってお医者さんの助手になる――助手になる、ならないはとにかく、そういう医療の分野にわれわれは多く進出できる可能性を持っており、また今の医療の分野は、ストレッス学説などによって、はっきりと症状そのものを治療しなければいかぬということで、今全世界の医学者がその方面に関心を持っておるというような時期でもありますから、われわれはそういう方面に進出する道があることを信じて、今あんまさんのなすっておる方面には進出しないでよろしい。
ことに、あんまさんでわれわれ業務に耐え得る方においては、この分野にも入ってきていただいて、今まで以上にあんまさんが豊かに仕事ができることを祈っておるのであります。

 それから、先ほどお尋ねがあったことで、政府のこれまでの言明ということについてお尋ねがありましたので、ついでに申し上げますが、昭和二十三年六月二日に内海安吉議員が衆議院でこういう質問をしておる、全国の業者が正しい職業としてその生活を法律によって保障して下さるよう慎しんで請願する次第でありますと結んでおりますが、久下政府委員から、当時国会において厚生大臣から答弁申し上げておりますように、政府といたしましてはこれら療術行為につきましては、八年間の猶余期間のうちに十分徹底的に、積極的に有効であるという認定がつくようになりましたならば、そのものについてはあんま、はり、きゅう、柔道整復と同様な取扱いをすることは十分考えておる、かように速記録に出ております。

 次に昭和二十五年三月二十二日に、内海安吉先生の質問で、すみやかに療術法を制定されたいという質問に対して久下政府委員から、厚生大臣からも申し上げました通り、科学的こいいものであるという結論が出ますならば、これが立法化をすることは、政府の方針であるということを申し上げておるはずでございます。
こう書いてあります。

○受田委員
 最後にお尋ね申し上げたいことは、両先生とも、多年にわたって手技その他の療術を復活してもらいたいという御趣旨で御努力をされたということを十分に伺いまして、今日政府の方で用意されておる法案に対する御見解、御感慨というものは、非常に深いものがあろうと思うのです。
従ってこの際、二十数年間にわたって、実際に療術をしてこられた先生方としては、長期にわたり、自己の精魂をつぎ込んやられた事業がここで中断され、あるいはここで横の方へそれた形で認められるということに対しては、非常な御苦痛がおありだと思います。
それで問題は、今後かりに政府が考えていることを認めるとした場合に、問題になるのは、政府の考え方は、医師の立場から見て、医師の医療行為に入るところの分野は、一切これは認められないという御趣旨のようでありますし、そういうことが、まず器具を用いる方へ当ってくる。
その次は、やがて今日のお医者さんたちの説のように、あんま、はり、きゅうをなさる方々も、医療行為に類することは一切できないのだというようなお考えでありますと、第一次被害というような問題を乗り越えて、あんま、はり、きゅうの分野にまでこれが進出して、医療に関係した行為は全部整理されるというようなことも考えられるおそれがあるのであります。
こういう点につきまして、少くとも民間において多年にわたって研究を積まれた先生方としては、筋の通った意見は十分筋を通して、そして世界各国における情勢等も御研究されて、そうしたいろいろな面における実情を十分勘案された上の御意見を、堂々とお吐きになることが肝要だと思います。

 そこで、私、両先生に伺いますが、世界各国を通じて御研究されたことと思いますので、お尋ねするのですが、この療術行為に当るところを、おもな国ではどういうふうにこれを取り扱っておるか。
療術者に当るお仕事をなさる方々は、世界のおもな国々ではどういう国家の保護を受け、あるいは自主的に活動しておられ、国民の体位の向上その他に貢献しておるか、こういうようなことについて、ごく簡単でいいですけれども、御研究されたものがありましたならば、今日の御参考意見につけ加えて、私たち十分考えたいと思いますので、お示しを願いたいと思います。

○黒田参考人(全国療術協同組合緊急法制対策部長)
 お答え申し上げます。
われわれとしましては、世界的にその情勢をまだ調査しておりませんので、その点においては、はっきり申し上げられませんですが、先ほど傍聴しているうちに、三沢先生のお話からも、ドイツなどにおいても、民間療法は十分やっているというお話があり、あれほど医学の進んでいるドイツでも民間療法が多かった。
ことに戦争の終期には、ヒトラーの最後の健康を守ったのは一人の療術師であるということが、はっきりわれわれの方に伝わっておりますが、これは一般に御存じのように、アメリカにおける民間療法は最も盛んで、ほとんど医学校と対等とも見るべき学校を持ち、研究機関を持ってやっておられるというふうに私どもは存じております。
そのほかについては、今のところお答え申し上げる資料もありませんが、一つ調査しまして、またそのうちに申し上げる機会があれば申し上げたいと思います。

○松原参考人(日本手技療術師会理事長)
 その点は、自分の業務の身分を作ることにだけ一生懸命になって、世界の情勢を知らないということは、まことにお恥かしい次第であります。
今黒田氏の言われたこととほとんど大同小異でありますが、ただアメリカに行っていらっしゃった諸先生方の話を聞き、あるいは医学雑誌に、昭和二十六年にノルウェーで、初めて世界という名のもとに、民間療法の手技の代表を集めたという記事が載っておるということを見せていただきました。
私どもの会といたしましては、応援者の中に、A級戦犯の翻訳官をしておったジャック・ブリンクリーという人がありますが、この人が大の指圧愛好者でありまして、過去六年、七年にわたって来ております。
この人は、世界中を三回以上回ったと言っておりますが、その中で、最近ではソビエトがこの手技について研究し出してきたように思う、戦前においては、アメリカよりもドイツの自然療法の方がかえっていいように思う、そういうようなことで、世界各国を行脚された。
それこそ私たちの立場から聞きますと、うそかほんとうかわかりませんが、評判話を聞いておるような程度で、実情は全然わかりません。
これから身分を作っていただいたら、大いに先進国と交通網を開いて、そうしてわれわれの技術を伸ばしていきたいと思っております。

○山下(春)委員長代理
 長谷川保委員。

○長谷川(保)委員
 おそいから、簡単に伺いますが、電気光線の療術を専門にやっておられる方は、全国で何人くらいありますか。

○黒田参考人(全国療術協同組合緊急法制対策部長)
 お答えいたします。
これは確実なところは、私どもわかっておりませんが、大体電気光線を専門にやっておる者としましては、千五百人ぐらいと存じます。
兼業しておる者を加えますと三千人ぐらいあるようでございます。

○長谷川(保)委員
 それから、昭和二十二年以来、当然皆さんは医学の教育のことについて学習を進められたと思うのでありますが、その講習会あるいは学校等の教育の実情を承わりたいのであります。

○黒田参考人(全国療術協同組合緊急法制対策部長)
 お答えいたします。
先ほども申し上げましたが、二十三年から一貫する教科書を作りまして、各五種目を通じて、全国的に講習会を開きまして、各地区々々において、一個所に集まれませんものですから、大体できるならば保健所単位に人数の集まれるところに集まっていただいて、生理解剖というものは保健所の先生に願い、神奈川県のごときは、幸いに横浜の医科大学の御了解を得まして、そして医科大学の先生方に御協力を願って、医科大学の講堂を借りまして、これがほとんど連年、昨年度までその講習を続けてきております。
そうしてまたこの療術師組合から、各地とも講習をやったか、やったかということを督促しまして、少くとも年に三カ月ぐらい、できるならば五カ月ぐらい、これは毎日ではございませんが、神奈川県のごときはほとんど毎週一回ないし二回、大学の講堂で講習会を開いております。
それほどまでにいかないところもありますが、ここ八カ年に、大体われわれとしましては、療術をするのにこの程度の講習をしたらいいだろうという程度のものは、完了しておるように考えております。

○長谷川(保)委員
 その講習した内容でありますが、たとえば解剖生理を何時間やり、何を何時間やったか、あるいはやるという計画であったか、どういうようにその講習があったか、これがはっきりしておりますか。

○黒田参考人(全国療術協同組合緊急法制対策部長)
 お答え申し上げます。
この点は、ただいま手元にこまかい各地からの報告を持っておりませんので、お答えできませんが、詳細のお答えについては、組合本部に参りますれば、あそこに記録がございますから、それによって、お許しがあれば先生のところまでお届け申し上げたいと思います。

○長谷川(保)委員
 それらの詳細について、正確な御報告を委員会まで御提出を願いたいと思います。

 なお、これらにつきましては、松原さんの方も御同様でございましょうか。

○松原参考人(日本手技療術師会理事長)
 それでは、お説の通り、各地区によって違いますけれども、実情をこまかく調査をして提出いたします。

○山下(春)委員長代理
 それでは、あらためて委員長より両参考人に、その精密な資料を本委員会にお届け願うようにお願いをいたしておきます。

○長谷川(保)委員
 終ります。

○山下(春)委員長代理
 小川半次委員。

○小川(半)委員
 おそいから、二、三の質問にとどめますが、松原さんにお尋ねします。
先ほど同僚委員から、昭和三十年十二月三十一日で、療術師の医業類似行為は以後禁止されることに、二十二年の二百十七号の法律できめたのであるが、あなた方は、この法律が完全に実施されるかどうかについて、どう考えていたかという御質問に対しまして、将来、自分たちのこの業が禁止されるとは毛頭考えていなかった、こういう御答弁のようだったのですが、間違いないですね。

○松原参考人(日本手技療術師会理事長)
 それはこの法令が、今年限りでわれわれの業務ができなくなるのではないか、そういう状況に至らないかということは、非常に心配しておりました。
だが、業務の本質としまして、それこそいつか認められる時期がくるだろうということは考えておりました。
それと、だんだんあとになりますと、科学性も、それからだんだんわれわれの業界もまとまってきました。
それで自信を持って参りましたが、最初のうちは、最大公約数も出るか出ないかわからないという状況でありましたから相当不安のうちにありまして、実際の経過といたしましては、今日に至っても、なお不安の上におるわけであります。

○小川(半)委員
 あなたの先ほどの御答弁では、禁止されるとは考えていなかったし、いないというようなお言葉であったのです。
一体わが国の国会でもってきめた法律が、そういうあやふやな、いいかげんなものであるとあなたは考えていらっしゃるのですか、どうですか。
要するに、法律がすでに三十年一ぱいで禁止するという、このことについて、法律は厳としたものであるというお考えは持っておらなかったかどうですか。

○松原参考人(日本手技療術師会理事長)
 それはもちろんあったのであります。
ですから、その科学性を確立すれば、よいものは認められるということにほんの一縷の望みをかけて動いてきたわけであります。
その動く経過の間には、だんだん科学性が認められ、よくなるんだということが、だんだんはっきりしてきたということだけでありまして、法律で禁止せられたものがその改訂をされるというのは、相当の理由がなければいかぬということは、もちろん覚悟しておりました。

○小川(半)委員
 そこで、これは良心的というか、私はしいて良心的という言葉を使いますが、あなた方と御同様に療術師をやっておられた、良心的な考えを持っておられる方々は、転廃業された方もございまするし、また、これではいかぬ、わが国の国会で制定されたその法律に基いて、自分たちは転廃業するか、もしくはあんま業に転業しなければならぬというので、すでに教育も受けてあんま業に転身された方もある。
こういう人たちの現在の気持は、結局法律を順奉せずして、最後までごねてごねてごね抜いた者が得をするという、俗にごね得というような、こういう印象を国民に与えてはならぬ。
これは現在は医業類似行為ということに関してですが、他にわが国において、この法律と同様の法律案などが出て、こういう事態が起った場合、今あなたは、直接のあなたの身近な問題であるから何ですが、それ以外のあなたに直接関係のないような法律が出た場合、あなたはどういうお考えを持たれますか。

○松原参考人(日本手技療術師会理事長)
 よくわかりませんが具体的に一つ……。

○小川(半)委員
 要するに、この法律に基いて転廃業したり他に転身したのだ、私は、この法律が定めたから、それに従わなければならぬというので、そういう行動に入った人だと、こう見る。
だから私は、しいて良心的という言葉を使うのです。
しかし、いや法律はそう作ったけれども、おれたちはもうごねてごねて、最後にとにかく何か一つ目的を達してやるのだというような、そういう俗にいうごね得という――現にそういう言葉が使われているんですよ。
一体それでよいのかどうか他にそういう法律がわが国に幾つもあっていいのかどうか、そういうことが世の中に起ってきてもいいのかどうか。

○松原参考人(日本手技療術師会理事長)
 それでよくわかりました。
私どもは、今度身分法を作っていただきましても、ごね得であるとは決して考えません。
それは先ほどから黒田氏からも説明があり、私も申しましたように、最初から一松、時の厚生大臣が、この八年はかわらと石を分ける八年だから、それでお互いに一生懸命にやりなさいということを言われただけのものでありまして、転業しろということは聞いたことがないのでありますから、私どもは今日になって、ごねてうまくいったとか、そういうことは決して考えません。
またわれわれ国民としては、そういうことがありましたら、諸先生方にぜひお願いして、そういうことの根絶するようにしていいただきたいという気持を持っております。

○小川(半)委員
 昭和二十二年にこの問題が起った当時、二十二年一ぱいで療術師は禁止されるというような、そういう話題が当時司令部あたりからも起ったし、国会の内外にも相当強く出ていたことは、あなたは御存じでしょう、御存じですな。
そこであなた方が、当時私たちに陳情されたのですよ。
それは、今禁止されては、われわれ業者は食っていけないのだ、大へんなことだ、だから延期してくれということをあなた方は陳情したのです。
とりあえず延期してくれということだ。
だから、私たちはあなた方の陳情を受けて、あなた方の立場をお察しして三十年まで延期したのです。
あなた方の陳情に基いて、われわれは延期したんですよ、それまでに必ずわれわれは他に転身するとか、あるいは教育を受け、試験を受けてあんま師になるとか、そういうあなた方の口実だったから、われわれは当時三十年十二月三十一日まで延期することを認めたのです。
あなたは、今このことを忘れてはだめですよ。
御記憶あるでしょう。
いかがですか。

○松原参考人(日本手技療術師会理事長)
 私どもの手技だけの身分を認めてもらいたいという運動が正式に起きたのは、昭和二十六年からでございます。それで、最初は私どもも設立委員ということで長くやっておりまして、二十八年の五月に、何らかのまとまったものを出すときには、設立委員ではしようがないからということで、一松前厚生大臣に会長になっていただいて、そうして役員のメンバーをきめ、その書類を出したという段階をとりましたので、その終戦後、先生方の方へぜひ延期してくれという陳情があったということは、今日初めて聞きました。

○山下(春)委員長代理

 次会は明六日午前十時より理事会、十時三十分より委員会を開会することといたします。

 本日はこれにて散会いたします。

   午後六時散会

 
 
 

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