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身体に関する日本語の意味や源流を知ることは、日本人の身体観を知ることにも繋がる、かも知れません。
「古事類苑」人部四に、身体の名称に関する詳細な記述があったので、それを少しずつ読んでいくつもりです。
とにかく量が多いので、ゆっくりゆっくりと……。

ただ、中国文献の引用や漢文はひとまずパス。
その内、時間があって漢文にトライする気が起きたら読んでみる、かも知れないです。

2006-04-25 (火) 16:24:22
とはいえ、日本書紀(漢文)の引用は読みたい。
古事類苑引用の漢文は読めませんが、近代デジタルライブラリーを探してみたら「国史大系[第1冊]第1巻 日本書紀」を発見。
こちらは漢文に送り仮名が付いているので読みやすいです。(^^)


また、平安時代に編纂された日本初の国語辞典「倭名類聚抄」も読んでみたいのですが、バリバリの漢文だらけで今のアタシにはちょっと無理です。(^^;;

  • 勉強メモのようなものなので、カタカナ表記をひらがな表記に改めたり、自分が読みやすいように変えている箇所があります。
    興味のある方は直接デジタルデータを読むのをお勧めします。近代デジタルライブラリー「古事類苑」



古事類苑・人部四 身體一


身體は、ミと云い、ムクロと云い、後又カラダとも云う。
又之を四體と云うは、元支那より出で、五體と云うは、印度に起こりたが如し。
而して死骸は之をカバネと称す。
身體の各部は、各々特殊の作用を有し、随って其の名称も亦極めて多し。
就中頭髪には、垂髪、結髪、剃髪総髪等の別ありて、年齢若しくくは時代場所等に由りて、各々其の称呼を異にし、今容易に之を識別し難きものあり。

垂髪は、我邦最古代の風なれども、男子は夙に(つとに_早くから、以前から)之を頭上に束ねたりしが如し。
天照大神、神功皇后等の、特に事ある時は、男子に擬して、髷を作り給いし事あるを見て知るべし。
天武天皇十一年、詔して、天下の民、婦女悉く結髪せしめしが、十五年に至りて、女子は再び悉く垂髪せしむ。
宮中其の他貴族の男女は、後世に至るまで、一に此の風を守れり。
されど普通の婦女は、作業の爲に、之を束ぬるの風漸次に起こり、而して其の結髪の風、又次第に美容を尊び、遂に種々の髷形を生じ、徳川幕府時代に至りては、非常に多くの名称を生じたり。
而して男子結髪の風は、古来大抵一様なるが如きも、中世戦乱の時、武士甲冑を帯するより、逆上を防ぐが爲め、頭髪の一部分を剃るの風起こり、之を月代と云いて、徳川幕府時代に至りては、若年のものは月代を剃らず、特に之を総髪と云えり。
小児の髪は、胎髪を苅るを以て通常と為し、爾後二歳迄は多く之を剃るの例なり。
或いは後世頭上に少許の毛を残すを罌粟(けし)坊主と云えり。
三歳にして髪を蓄え、其年の誕生日に之を垂る。
而して男子は、其後之を額に束ぬ。
之をミズラ、又はヒサゴバナと云り。
又女子は、垂髪の初をメザシと称し、其髪長じて肩の辺に届く時は、之をウナイゴと云い、十三四歳に至り、其髪更に長じて帯の辺に至れば、ウナイバなり。
又はワラハと云う。
古は頭髪の黒く長きを尊び、其長さ身長を超ゆるもの多し。
又縮毛を忌み、白髪を忌む事、古今相同じ。
又髪薄きものは、義髪を爲せり。

髭は古来之を蓄うるの風なりしが、武家の世に至りて、益々之を尊び、其之なきものは、作り髭を爲せり。
されど徳川幕府中葉以後は、世太平に慣れて、人心漸く柔弱に赴き、髭あるものは、却って人に憎まるる如き事ありしと云う。

身體には、稀に種々の奇形を爲すものあり。
而して其の甚だしきものに至りては、一身両面のものあり。
四足四手の者あり。
身體に翼あるものあり。
頭上に角を生ずる者あり。
全身軟弱にして恰も骨無きが如きものあり。
或いは一部分の不足するものあり。
これを総称して片輪と云い、又不具と云う。

此の篇は、方技部疾病篇に関連する所多し。
宜しく参照すべし。

名稱

  • 〔類聚名義抄 三 骨〕身體 スガタ
  • 〔伊呂波字類抄 志 -?-字〕身體
  • 〔書言字考節用集 五 肢體〕身體 シンタイ
  • 〔三代實録 十三 清和〕貞観八年九月二十二日甲子、是日大納言伴宿禰善男、…中略… 座焼應天門當斬詔降死一等、並處遠流、…中略… 善男是國道之第五子也、生而爽俊、天資魁偉、見之者皆曰點兒、爲人奇貌、深眼長髪、身體矬細、意氣平岸、
  • 〔倭名類聚抄 三 身體〕身 唐韻云、身(式神反)、躬(音弓、又作躳)、軀(音區、訓興身同)
    • 〔箋注倭名類聚抄 二 身體〕廣韻失人切、説文徐音同、式神與玉篇合、按式神失人、字異音同、然此引唐韻似當作失人反、…中略… 説文、躳从躳从呂、躬或从弓、…中略… 廣韻云、身躳也、躳身也、軀身也、故云訓與身同、按説文、身躳也、躳身也、軀體也、孫子並本之、釋名、身伸也、可屈伸也、軀區也、是衆名之大、總若區域也、段玉裁曰、从弓身者曲之會意也、
  • 〔類聚名義抄 一 身〕身(音申、ミ、ワレ、ムクロ、カタチ、和シン) 躬(音弓、ミ) 軀(音區、ミ) 體(他禮反、ミカタチ、スカタ、體正、和タイ) -身偏に少-(ミ) -身偏に朶-(ミ)
  • 〔増補下學集 二 支體〕() () ()
  • 〔日本書紀 二十九 天武〕二年四月己巳に、大來の皇女を天照大神の宮に侍ら遣わしめむと欲し、而して泊瀬の齋宮に居を令む。是は先ず身を潔めて、稍神に近づく之所也。
  • 〔日本書紀 三十 持統〕元年七月甲子、詔曰く、凡そ負債者(モノカリオヘルモノ)乙酉の年自り以前の物、利収ること莫れ也。若し既に身を役すれば、利に役すを得ず。
  • 〔倭名類聚抄 三 身體〕肢體 野王按、肢(章移反、字亦作[身支]、和名衣太、)四體也、體、(他體反、字亦作躰、)猶形也、有形之總稱也、
    • 〔箋注倭名類聚抄 二 身體〕今本玉篇、[月只]至移切、[身支]止移切、章移與廣韻合、皆字異音同、然此引玉篇似當作至若止、玉篇[身支]亦作肢[身只]、按雄略紀張夫婦四支於木、支訓江、與木枝同訓、今本玉篇肉部云[月只]體四[月只]、手足也、肢上同、身部云、[身支]四[身支]體也、慧琳音義引、作[月只]謂手足四[月只]也、説文亦云、[月只]體四[月只]也、又載肢字云、[月只]或从支、則此似當作體四肢也四字、按孟子云、皆有聖人之一體、注、體者四肢股肱也、孟子又云、具體而微、注、具體者、四肢皆具、孟子又云、不保四體、注、四體身之四肢、國語貳若體焉、注、體四支也、易文言傳、正位居體、虞翻注、體謂四支也、喪大記、加新衣體一人、注、手足也、喪服傳、昆弟四體也、買公彦疏、四體謂二手二足、然則以四體訓肢亦通、…中略… 釋名[月只]枝也、似木之枝格也、…中略… 今本玉篇骨部云、體形體也、慧琳音義引、作體即形也、亦身之總稱也、與此所引略合、釋名、躰第也、骨肉毛血、表裏大小相次第也、按説文、體總十二屬也、霊樞邪客篇人有十二節、張介賓曰、四枝各三節、是爲十二節、説文十二屬蓋即此、然則云十二屬、猶言四枝、轉爲形質總稱、此所引顧氏説即是、易繋辭傳、易無體、正義云、體謂形質之稱、即是義、今俗呼加良太是也、不與謂肢爲體同、源君引形體之躰在肢條非是、
  • 〔増補下學集 上二 支體〕肢體(エダ)
  • 〔伊呂波字類抄 太 人體〕躰(タイ、五躰也) 軆(同)
    • 〔一代經律論釋法數 三十三〕五體(出随流濱義鈔)
      一右膝 二左膝 三右手 四左手 五首頂
      凡禮敬三賓、必須五體投地、所以折伏--〔一代經律論釋法數 三十三〕五體(出随流濱義鈔)
      一右膝 二左膝 三右手 四左手 五首頂
      凡禮敬三賓、必須五體投地、所以折伏憍慢、用表虔誠故也、
  • 〔書言字考説用集 五 肢體〕(タイ)(五篇、體猶形也、有形之總稱也、韻會、身也、) 躰(同之) 体(同之)
  • 〔伊呂波字類抄 元 人體〕身(ムクロ) 質 躰
  • 〔書言字考節用集 五 肢體〕-身偏に區-ムクロ(説文躰也)
  • 〔倭訓栞 前編三十一 牟〕むくろ 誕綉に身中をよみ、仁徳紀に體をよめり、身嚢の義也といへり、軀殻をいふ也、
  • 〔枕草子 六〕人まによりきて、わがキミこそまづ物きこえん、まづまづ人のの給へる事ぞといへば、何事にかとて、きちやうのもとによりたれば、"むくろごめ"により給へといふを、"五たい"ごめにとなんいひつるといひて、又わらふ、
    • 〔枕草紙春曙抄 六〕むくろごめに 軀籠(むくろごめ)、全身みなこなたへより給へとの心也、
  • 〔塵袋 六〕一ムクロとは、くびより下の名歟
    日本紀には體の字をムクロとよめり、心くびより下にあたる歟。
    仁徳天皇御宇八十九年、飛騨國有一人、曰宿儺、其爲人壹體有兩面、(中略)四手並用弓矢 と云へり。
    難波根子武振熊と云人つかはして、此を誅せられにけり。
    又身字をムクロとよむ。
    身體二字ともにムクロなり、人にもかぎらず、木にも云ふ。
    古詩云、必空身未摧と云へり、古木の事なり。
    心體と二にわくる曰は、かならずしも體の中にカシラのこもるべきいはれなし、五體の中には頭その首たるゆへなり。
    されども宿儺事に、ひとつムクロに二のヲモテありと云にては、カシラはムクロと別なりときこゆるなり。
  • 〔書言字考節用集 五 肢體〕體(カラダ)
  • 〔伊呂波字類抄 加 人體〕尸(カハ子) 屍(在床曰屍、云尸、在棺曰樞) 骸(巳上同骸骨)
  • 〔日本書紀 九 神功〕新羅を伐つの明年の春二月に …中略… 更に小竹(シヌ)の宮に遷る。(小竹此を之努(シヌ)と云う) 是時に適う也。晝暗きこと夜の如く、已に多の日を經、時人の曰く、常夜(トコヤミ)行くと云うなり。…中略… 時に一の老父有りて曰く、傳え聞く、かかる恠(怪)をば阿豆那比(アズナヒ)の罪と謂う也。問う何の謂われぞ也。對して曰く、二の社の(ハフリ)は共に合葬か。因て以て推して問わ令む。村里に一の人有り。小竹の祝天野の祝興し、共に善友なり。小竹の祝病して而も死す。天野の祝血泣きて曰く、吾れ生なりは交す友なりき。何ぞ死して穴を同じこと無ん。則ち屍側に伏して而も自死す。よって合葬か。
    • 〔古事記 中 應神〕故天皇(カレスメラミコト)(カムアガリマシテ)之後(ノノチ)大雀命(オホサゞキノミコト)()従天皇之命(サキノオホミコトノマニマニ)以天下(アメノシタヲ)譲宇遲能和紀郎子(ウヂノワキイラツコニユヅリタマヒキ)於是(コゝニ)大山守命者(オホヤマモリノミコトハ)違天皇之命(オホミコトニタガヒテ)(ナホ)欲獲天下(アメノシタヲエムトシテ)有殺其弟皇子之情(ソノオトミコヲコロサムノコゝロアリテ)(ヒソカニ)設兵将攻(イクサビトヲマケテセメシムトシタマヒキ)、…中略… 於是(コゝニ)伏隱河邊之兵(カハノベニカクレタルイクサビト)彼廂此廂(カナタコナタ)一時共與(モロトモニオコリテ)矢刺而流(ヤサシテナガシキ)、…中略… 爾掛出其骨之時(コゝニソノカバチヲカキイダセルトキニ)弟王歌曰(オトミコノミウタ)、…歌略… 故其大山守命之骨者(カレソノオホヤマモリノミコトミカバチヲバ)葬于那良山也(ナラヤマニカクシキ)
    • 〔古事記傳 三十三〕骨は加婆泥(カバチ)と訓べし、大山守命の御屍なり、古此骨字を、屍のことに通はし用ひたりしなり、
      (そはもと屍の歳を經て、骨のかぎりになれるを云るより出たるなるべし、今世に死骸と云骸字も、骨のことなり、)
      書紀顕宗巻に御骨埋處、欽明巻に、骨稽於巌岫などあるも屍なり、萬葉十八(二十一丁)に海行かば、美都久(ミヅク)(カバ子)、山行かば、草牟須屍、
  • 〔三代實録 二十六 清和〕貞觀十六年十月廿八日癸未、太政官領下詔書於五畿七道曰、案月二十三日詔書、其屍骸漂散、不得其名者、官爲釣求、加意埋掩、被災郡縣、免當年徭、
  • 〔三代實録 四十三 陽成〕元慶七年正月廿六日癸巳、令山城近江越前加賀等國、修理官舎道橋埋痤路邊死骸、以渤海客可入京也、
  • 〔日本靈異記 中〕恃己高徳刑賤形沙彌以現惡死縁第一
    有嫉妬人、讒天皇(聖徳)奏、長屋王謀傾社稷、將奪國位、爰天心瞋怒、遣軍兵陳之、親王自念、无罪而被囚執、此決定死、爲他刑殺不如自死、即其子孫令服毒藥而絞死畢、後親王服藥而自害、天皇勅捨彼屍骸於城之外、而焼末散河擲海、…中略…
    屍骸(二合、死ニカバ子、)


名所

  • 〔續視聽草 五集四〕人身總名
    頭獨也、體高獨也、首始也、首頭也、頭精神之府也、頭骨曰顱、顱頂曰顚、曰巓、顚之前曰前頂、顚之後曰後頂、顚傍曰頭角、前頂前曰顖、顖前曰前髪際、前髪際兩傍曰額角髪際、顚後曰後頂、後頂後曰腦、曰枕骨曰玉枕骨、垂腦後骨曰顚際鋭骨、其下曰後髪際、通曰大陽骨、顚之傍曰頭角、曰耳上角、曰耳上髪際、曰顳?中及上下廉、曰耳郭上、曰耳、曰窻籠、曰聽宮、曰眸子、曰耳郭、曰耳中珠子、曰關、曰機、曰骸、耳下曲骨、


容姿

  • 〔伊呂波字類抄 加 人體〕皃(カタチ亦作貌) 容姿像(カタチ、徐兩反、似也、佛像) 儀(カタチ、宣取儀容) 形(已同上)

    〔同 須 人體〕姿(スカタ) 質(麗質) 容 皃 躰 形 状(已同上)

  • 〔源氏物語 四十七 角總〕さりとてかうおろかならずみゆめるこゝろばへの、みをとりしてわれも人もみえんが、心やすからず、うかるべきこと、もし命しゐてとまらば、やまひにことつけて、かたちをもかへてん、
 
 
 

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