これまでは、江戸時代までの按摩に関して調べてみましたが、ここからは明治時代以降の按摩を調べてみたいと思います。
もちろん、他に江戸時代以前の按摩に関して何か出て来たら順次追加していくつもりでいます。

と、実ははじめ明治時代以降までは想定していなかったのですが、国会図書館近代デジタルライブラリーの明治時代書籍データが増加してきており、面白い資料があったので追加することにしたのです。

260年も続いた江戸時代が開国、近代化しはじめる明治時代ではありますが、おそらくその風景のあちこちには江戸の名残が色濃く残っていたであろうと思われ、また、人に至っては外観や制度が変わったとしてもその中身はそう簡単に変わるものではないであろうし。
明治時代も興味津々です。

最初に紹介するのは、明治36年に出版された横浜新報社による「横浜繁昌記」。
ふたつ目は、明治45年、埼玉県熊谷市の郷土史家酒井惣七氏による「熊谷百物語」。
どちらも当時の模様を伝える新聞掲載記事です。


「横浜繁昌記」横浜新報社著作部編 明治36年(1903)


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2011-12-18


(その)四 按摩(あんま)

(はじ)めて横濱(よこはま)()(ひと)耳目(じもく)(いちゞる)ゞしく()れるのは按摩(あんま)(おほ)(こと)であろう。
港内(かうない)汽笛(きてき)(さわが)しい真晝中(まひるま)から野毛山(のげやま)(かね)物凄(ものすご)(ゐん)(ひゞ)いて、所謂(いはゆる)大路小路(おほぢこうぢ)(しも)()てる真夜中(まよなか)まで、三(じやく)(つゑ)(すが)がつて『按摩上下(あんまかみしも)(なん)(もん)』の聲音(こわね)(あは)れにさうに()()げて、黒白(あやめ)()からぬ浮世(うきよ)(つぢ)()()まつては物案(ものあん)(がほ)片手(かたて)づゝ懐中(ふところ)()れて(あたゝ)めて()姿(すがた)などは(なに)かの()にもあるやうで、横町(よこちやう)路次(ろぢ)から()んで()(いぬ)さへも()だか()えるに(ものう)いと()見得(みえ)である。


◎組合の組織

横濱(よこはま)按摩(あんま)には組合(くみあひ)(ぞく)したものと加入(かにふ)して()ないものとの二(しゆ)がある。
鍼治(しんぢ)揉按業(じうあんげふ)組合(くみあひ)事務所(じむしよ)()浪花町(なにはなちやう)にあって(その)内部(ないぶ)は四()區劃(くくわく)されてある。
(すなは)関内(くわんない)(だい)()野毛町(のげまち)から戸部町(とべまち)方面(はうめん)(だい)()伊勢佐木町(いせざきちやう)界隈(かいわい)から(はし)()えて萬代町(まんだいちやう)以南(いなん)松影町(まつかげちやう)方面(はうめん)(だい)()元町石川(もとまちいしかは)乃至(ないし)山手(やまて)本牧(ほんもく)方面(はうめん)(だい)()としてある。
そして()組合(くみあひ)(ぞく)する按摩(あんま)は三百七八十(めい)内外(ないぐわい)で、本部(ほんぶ)では醫師(いし)淺水進太郎氏(あさみしんたらうし)()して總長(さうちやう)とし會計長(くわいけいちやう)檢査役(けんさやく)協議員等(きやうぎゐんたう)をも()き、各部毎(かくぶごと)正副(せいふく)組長(くみちやう)もある。
(なほ)()(ほか)鈴本稲之輔(すゞもといなのすけ)黒部與(くろべよ)八の兩氏(りやうし)()げて名譽員(めいよゐん)として()(かく)も一の團体(だんたい)組織(そしき)して、組合(くみあひ)經費(けいひ)組合員(くみあひゐん)(めい)から一ヶ(げつ)(せん)(づつ)徴収(ちようしう)して()れに()てゝ()るのであるが全体(ぜんたい)按摩(あんま)組合(くみあひ)加入(かにふ)して()ないものから神奈川方面(かながわははうめん)()るものをも(あは)したらば實際(じつさい)は千(にん)(うへ)()えるであらう。
(しか)し一昨年以來(さくねんいらい)幾分(いくぶん)()つた(やう)(おも)はれるのも一つは不景氣(ふけいき)のさし(ひゞ)いた()めでゝもあらう。


◎導引の一派

(べつ)尚幕末(なほばくまつ)に起つた『長崎(ながさき)流導引揉療治(りうだういんもみれうぢ)』の一()(およ)そ百(めい)(ばか)()る。
コレは老人等(らうじんら)()(ところ)蘭學(らんがく)漢方(かんぽふ)()ぜて一寸(ちょい)とした醫者(いしや)(いとぐち)(くらゐ)(おぼえ)()たものゝ弟子(でし)又弟子(またでし)連中(れんちう)(なか)には時勢(じせい)()勉強(べんきやう)(はじ)(つひ)には玄關(げんくわん)(かま)へる醫者(いしや)となつたものある。
()れも()れも眼明(まあ)きの(こと)だから(だん)じて盲目者流(もうもくしやりう)とは交際(こうさい)をしない。
(みづか)(たか)(とま)つて()痛風(つうふう)風邪(かぜ)()れでなくば(あめ)でしやうなどと天氣豫報(てんきよほう)()みた(こと)()つて一寸(ちょいと)(くすり)()方位(かたぐらゐ)心得(こゝろゑ)()るものもある。
(ひさ)しい(まへ)(こと)であつたが(かつ)南仲通(みなみなかどほり)丁目(ちやうめ)()んで()松永森之市(まつながもりのいち)()つた(をとこ)が、盲目者(めくら)の一(とう)代表(だいへう)して(とき)警察署(けいさつしよ)出頭(しゆつとう)し、近來導引(きんらいだういん)()(もの)(おほい)跋扈(ばつこ)して不幸(ふかう)なる我々盲目按摩(われわれめくらあんま)營業(えいげふ)(さまた)げるので(はなは)(こま)るから()うにか相當(さうたう)説諭(せつゆ)をして()れいと(たの)()(こと)があつたが、()れは(つひ)()()げにならなくつて()のまゝに()んで仕舞(しま)つた。
()れからと()ふものは(たがひ)仇敵(かたき)(やう)(にら)()つて(いま)打解(うちと)けないさうだ。
無理(むり)もない(はんし)だが導引(だういん)()(こと)()(くらゐ)にして()いて()本物(ほんもの)盲目按摩(めくらあんま)(こと)(はな)さう。


◎出身地と募集


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さて()の千(めい)にも(あま)男女(なんによ)盲目(めくら)按摩(あんま)素性(すじやう)(たづ)ねて()ると、(うま)まれながらの盲目(めくら)もあり中年(ちうねん)にして(めし)ひたるもあり、(なか)には相應(さうおう)財産家(ざいさんか)子女(しじよ)もあれば又遠国(またゑんごく)落人(おちうど)もあつて一(がい)には()(こと)出來(でき)ないが、近來(きんらい)所謂向地(いはゆるむかいぢ)房總(ぼうそう)(こく)から浮世(うきよ)(なみ)(なが)()せられて()たものが漸次(ぜんじ)(おほ)くなつて(いま)では大部分(だいぶゞん)此國(このくに)のものであるやうになつた。
()由來(ゆらい)()うであるかと()にふに東京(とうきやう)(ならび)横濱(よこはま)界隈(かいわい)の者は按摩(あんま)渡世(とせい)(はなは)(いや)しいものに(おも)ひ込んで()るので、容易(ようゐ)(いとな)むものもないけれど房總(ばうさう)地方(ちはう)()くと中々(なかなか)さうでない何程(いくら)盲目(めくら)だとて一本立(ぽんだち)職業(しよくげふ)(いとな)むのに(かま)(こと)はない。
()して人に輕蔑(けいべつ)されるなどそんな(いは)れもない(こと)をと()(ふう)(かへつ)心中(しんちう)(ほこ)つて()(くらひ)だから、()横濱(よこはま)でも師匠側(しゝやうがわ)のものは(おほ)同地(どうち)(わた)つて募集(ぼしふ)して()るので、(あは)れな不具者(ふぐしや)(むか)つて修行中(しゆげふちう)(こと)から平成(へいせい)収入乃至(しうにふないし)成業(せいげふ)(うへ)(たのし)みなどを眞言空言搗(まことそらことつ)(まぜ)()()かせ、(いたづ)らに親兄弟(おやきやうだい)厄介(やくかい)になつて()やうより(いつ)我身獨立(わがみどくりつ)生活(せいくわつ)()てた(はう)()からうと段々(だんだん)(すゝ)め((すゝ)めると()ふよりも(おだ)てると()(はう)(あた)つて()るかも(しれ)ない)て遂々(とうとう)納得(なつとく)させ、()れから親々(おやおや)にも談合(だんがふ)して十歳以上(さいいじやう)年少者(ねんせうしや)は七(ねん)、二十(だい)のものは五(ねん)、三十(だい)は三(ねん)年期(ねんき)()めて()かも()るべく(とし)(わか)いものを()つて()れて()るのである。


◎揉賃と流し方

()()具合(ぐあひ)是等(これら)不具者(ふぐしや)(おも)に)は横濱(よこはま)(わた)つて()てからは銘々師匠(めいめいしゝやう)(うち)普通(ひとゝほり)按腹術(あんぷくじゆつ)(をし)へられて仕事(しごと)()ると()(こと)になる。
(はじ)めは上下僅(かみしもわづ)か二百(もん)(二(せん))の賃錢(ちんせん)しか()られないので次第(しだい)修行(しゆげふ)()むに(したが)つて百(もん)づゝを()して一貫文以上(くわんもんいじやう)(うで)になるのであるが、()れは()うして中々容易(なかなかようゐ)(わざ)ではない(また)貫文以上(くわんもんいじやう)貫文位(くわんもんぐらゐ)賃錢(ちんせん)()るやうになると得意廻(とくいまは)りか、餘所(よそ)(むか)ひを()つて()大抵(たいてい)(なが)しに()(こと)(すくな)い、(かつ)()(とし)(あめ)夜中(よなか)に『按摩上下(あんまかみしも)六百七十(もん)』と()んで()たものがあつた。
如何(いか)にも(きざ)んだ賃錢(ちんせん)だと(おも)つて(こゝ)ろみに()んで()ませて()たらまた(なに)()はつた(はな)しでもあらうと早速女中(さつそくぢよちう)()しらせて()たが最早何處(もはやどこ)へか()つた(あと)だと()ふので(のぞみ)(たつ)しなかつたが()()はまた(つひ)()(こゑ)をも()(こと)出來(でき)なかつた。
そこで一貫文以下(くわんもんいか)未熟者(みじゆくもの)毎日午前(まいにちごぜん)十一()には師匠(しゝやう)(しか)()ばされて『晝吹(ひるぶ)き』に()る。
()れから(よる)の一時頃(じごろ)までと()ふものは濱名物(はまめいぶつ)(から)(かぜ)(れい)の『按摩上下何(あんまかみしもなん)(もん)』の(こゑ)(たか)()()げて部内(ぶない)町々(まちまち)(なが)して(ある)くのである。
丁度(ちやうど)七八年前(ねんぜん)(こと)であつたと(おも)(とき)警察(けいさつ)在留外人(ざいりうぐわいじん)(おほ)()横濱(よこはま)斯様(かやう)街頭(まちなか)()んで()くのは風俗上餘(ふうぞくじやうあま)(かんば)しからぬ(こと)だと()ふて呼聲(よびごゑ)を一切禁(さいきん)じた(こと)があつたから一(どう)(やむ)()ないで()(ぶえ)(あらた)めたが其音許(そのねばか)りでは揉手(もみて)()んなであるか(わか)らないので(きやく)呼込(よびこ)むに躊躇(ちうちよ)する。
按摩(あんま)()()つても得意(とくい)(いへ)呼込(よびこ)まれるにも都合(つがふ)(わる)くなつたものだから、(とし)()るに(いたが)つて其筋(そのすぢ)取締(とりしまり)()るむに附入(つけい)つて(つひ)にはまた(もと)(ごと)公然大聲(こうぜんたいせい)呼歩(よびある)(やう)になつて仕舞(しま)つた。

◎平生の状態

是等(これら)按摩(あんま)日常(にちじやう)收入(しうにふ)()ふものは、東京(とうきやう)でも横濱(よこはま)でも()したる(かわ)りがない。
()づ一晝夜平均(ちうやへいきん)(にん)()いて四(けん)か五(けん)(きやく)()られる勘定(かんじやう)で、五百(もん)按腹料(あんぷくれう)ならば二十(せん)から廿五(せん)、一貫文(くわんもん)按摩(あんま)なら四五十(せん)(かせ)(こと)出來(でき)(わけ)だがさうかと()ふても晝夜(ちうや)かけて一生懸命(しやうけんめい)(はたら)(つゞ)けた(ところ)で、何程巧者(どんなこうしや)(もの)でも九人以上(にんいじやう)()(こと)出來(でき)ないと()(はなし)である。
左樣(さう)なると二百(もん)三百(もん)初心者(しょしんもの)(ほと)んど自身(じしん)糊口(こゝう)さへも覺束(おぼつか)ない(こと)になるが一本立(ほんだ)ちの(もの)()角平生師匠(かくへいぜいしゝやう)部屋(へや)(やしな)はれて()ものは所謂夏冬(いはゆるなつふゆ)仕着(しき)せソレも(はなは)不滿足(ふまんぞく)衣類(いるゐ)()てがはれて、日々(ひゞ)收入(しうにふ)(ことごと)師匠(しゝやう)(をさ)めて()るから(たゞ)ちに生活(せいくわつ)差支(さしつか)へると()(やう)(こと)はないのである。
(しか)()(やしな)はれ者即(ものすなは)弟子逹(でしたち)師匠(しゝやう)から(もら)月々(つきづき)小遣錢(こづかひせん)(わづ)かに十錢以下(せんいか)()以上(いじやう)()くる(こと)()れであるから、幼氣(おさなげ)()けない(もの)買喰(かひぐ)ひにも(こま)る。
成年者(せいねんしや)()へども煙草代(たばこだい)とか郵便料(いうびんれう)とかに(きう)すると()(こと)になつて、()結果(けつくわ)からでもあるまいが(なか)には往々揉賃(わうわうもみちん)幾分(いくぶん)着服(ちやくふく)するものもある。
(はなはだ)しきに(いた)つては夜陰窃(やいんひそ)かに醜業(しうげふ)(いとな)女按摩(をんなあんま)もある。
如何(いかゞ)はしい(はな)しだが支那人(しなじん)などに雞姦(けいかん)(ひさ)少年(せうねん)もあると()(うはさ)()くのは(じつ)(いま)はしい(あさ)ましい(わけ)である。
(しか)るに()方面(はうめん)から(ろん)ずると横濱(よこはま)按摩(あんま)(とく)風儀(ふうぎ)(みだ)れて()るので名高(なだか)いと()(やう)(かん)じがあつて、三吉町邊或(みよしちようへんあるひ)其他(そのた)木賃宿(きちんやど)下宿屋(げしゆくや)宿屋(やどや)などまで入込(いりこ)んで車夫馬丁(しやふばてい)から下等(かとう)勞働者(らうだうしや)などを相手(あひて)として()しからぬ收入(しうにふ)()るものもある。
又初(またはじ)めから醜業(しうげふ)(いとな)むの目的(もくてき)(もつ)つて按摩(あんま)假面(かめん)()ぶるものさへあると()ふに(いた)つては(ほと)んどお(はなし)にならない。
(ろん)より證據少(しやうこすこ)()()けて()たら横濱(よこはま)には女按摩(をんなあんま)(おほ)くつて()かも(とし)(わか)白粉(おしろい)()ける、身形(みなり)奇麗(きれい)にする(なか)には(つゑ)()らない眼明(めあ)きがある(こと)()るであらう。
()れでかゝる女按摩(おんなあんま)平生出入(へいぜいでいり)する(いへ)風儀(ふうぎ)(わる)(いへ)ではあるまいかと(うたが)はれる(くらゐ)である。
マア()れは其筋(そのすぢ)取締(とりしまり)でも(のぞ)むと()(くらゐ)でやめて()いて()て、彼等(かれら)師匠等(しゝやうら)弟子(でし)(あつか)有樣(ありさま)()うであるかと()ふに、()(はなは)嚴密(げんみつ)(こと)(おどろ)くほど豫想(よさう)(ほか)で、(げん)(まへ)にも()つた故人森(こじんもり)(いち)(ごと)きは自身(じしん)から盲目(めくら)ながら()になると町々(まちまち)(ひそ)かに(まは)(ある)いて弟子(でし)呼聲(よびごゑ)便(たよ)りに()弟子(でし)勤惰如何(きんだいかん)(あらた)めたと()(こと)である。
(ほし)(くら)(かぜ)(すご)夜半(よなか)などに(せま)路次(ろじ)小蔭(こかげ)年若(としわか)相弟子等(あひでしら)()(ひそ)()()()ひながら修業(しゆげふ)()らさから平素(ふだん)(こと)愚痴(ぐち)(なら)べて『斯樣(こん)(こと)なら(はじ)めから横濱(よこはま)には()なかつたんだ』などと(すくな)からず(かこ)つて『()うして()(くらゐ)なら(いつ)病気(べやうき)にでも(かゝ)つて()()(はう)餘程宜(よつぽどい)いワねえ』と便()よりない()不幸(ふかう)泣合(なきあ)つて()るのを()(こと)もある。
斯程(かほど)呵責(かしやく)()けてやうやう年期(ねんき)(をは)つた(ところ)()(あかつき)に一(もん)(ぜに)(のこ)したと()(もの)がない、(まこと)()(どく)(ほど)であるが(これ)(はん)して彼等(かれら)師匠(しゝやう)()たら、僅々(きんきん)(にん)弟子(でし)さへあつたら、()店賃位(たなちんぐらゐ)(かせ)がせられるので、七八人以上(にんいじやう)(にん)()いたときには家計(かけい)(いう)(あま)つて暖衣飽食安(だんいはうしよくやす)らかに()ごす(こと)出來(でき)るのである。

◎學校の事

其處(そこ)初心(しよしん)子女(しぢよ)仕込(しこ)むに()いては、(まへ)にも()べた(とほ)(たん)師匠(しゝやう)(いへ)()つて、簡易(かんゐ)なる按腹揉療治(あんぷくもみれうぢ)(じゆつ)(をし)へられて漸次(ぜんじ)熟達(じゆくたつ)して()(ばか)りであるが()相應(さうおう)技能(ぎのう)修得(しうとく)せしめると()(だん)になると、()(くらゐ)(こと)では追付(おつゝ)かない。
それ相當(さうたう)方法(はうはふ)(こう)じなければならないと()ので、()きに一の學校(がくかう)設立(せつりつ)して(いま)組合(くみあひ)事務所内(じむしよない)()いてある。
生徒(せいと)(すう)は一ニ年前(ねんまへ)には五十名許(めいばか)りあつてニ三(にん)女生徒(ぢよせいと)()たが現今(げんこん)では三十人位(にんぐらゐ)()つて(をんな)()なくなつたのみでない、日々(ひゞ)出席者(しゆつせきしや)僅々(きんきん)十八九(めい)からニ十名前後(めいぜんご)()ぎない有様(ありさま)である。
()學校(がくかう)にも校長(かうちやう)はあるが毎月(まいげつ)三、八の()でなければ出勤(しゆつきん)しない。
平常(ふだん)は一(にん)(けうし)盲目者(めくら))が()午前(ごぜん)()から十一()までは(けうじゆ)をする。
何分(なにぶん)にも(ひろ)い一(しつ)生徒(せいと)(あつ)めて()大抵(たいてい)人或(にんあるひ)はニ(にん)づゝを(まへ)(すわ)らせて、生理的(せいりてき)讀本(とくほん)(をし)へる。
勿論本(もちろんほん)必要(ひつえう)はない(一ニの眼明(めあ)きは持合(もちあは)わせて()るものもあるが)音讀(おんどく)して暗誦(あんしよう)させるので、(ほか)生徒(せいと)自分等(じぶんら)(ばん)()るまでは、兄弟子株(あにでしかぶ)(もの)から矢張斯(やはりか)()具合(ぐあひ)(をし)へを()けて()る。
本職(またほんしよく)()(かた)なども(おな)じく()()られて(おぼ)えるので、()學校(がくかう)修業者(しうげふしや)()角相應(かくさうおう)(もの)()かるのだが、實際老練(じつさいらうれん)()(こと)(かめ)(かう)より(とし)(こう)仕方(しかた)がない。
()れで此學校(このがくかう)經費(けいひ)(れい)組合費(くみあひひ)から支辨(しべん)するが()(べつ)生徒(せいと)から一ケ(げつ)十五(せん)づゝの月謝(げつしや)をも徴收(ちようしう)して(これ)補充(ほぢう)して()る。

◎粹きな商賣屋

(さい)から十二三歳位(さいぐらゐ)小供按摩(こどもあんま)上下(かみしも)揉賃(もみちん)も二百(もん)か三百(もん)()ぎない。
(もと)より手練(しゆれん)(なに)(じつ)覺束(おぼつか)ないものだから、何程此(いくらこ)寒空(さむそら)疳切聲(かんきりごゑ)張上(はりあ)げて(ある)いたとて呼込(よびこ)んで()れる(きやく)(すくな)いのは當然(たうぜん)であるが(しか)不思儀(ふしぎ)(こと)には()小供按摩(こどもあんま)(かへつ)大供(おほども)よりか餘計(よけい)得意(とくい)()つて()日々(ひゞ)()(きやく)(かず)(たし)かに(まさ)つて()るのだ。
何故(なぜ)かと()ふに、是等(これら)小供(こども)は『()きな商賣屋(しやうばいや)』と()得意(とくい)()つて()る。
()きなと()へば(すこ)()(やう)だが()れは藝妓屋(げいしやゝ)料理屋(れうりや)待合乃至(まちあひないし)遊女屋(いうぢよや)なそを()すので此處等(こゝら)(うち)には藝妓(げいぎ)娼妓(しやうぎ)女中(ぢよちう)などが澤山居(たくさんゐ)るので、ヤレ(あたま)()めるとかヤレ(かた)()るとか()つて、さくら(こう)だとか、京錦(きゃうにしき)なんどを顳顬(こめかみ)()連中(れんぢう)(おほ)いからつひ按摩(あんま)呼込(よびこ)(こと)になるが、(つね)起居(たちゐ)(せは)しい彼等(かれら)何時客(いつきやく)()ばれるかも()れないと()ふので態々揉賃(わざわざもみちん)(たか)熟練者(じゆくれんもの)()(こと)はしない。
一寸近(ちよつとちか)(たとへ)藝妓屋(げいしやゝ)などであると()一人(ひとり)(ねえ)さんが()小供按摩(こどもあんま)呼込(よびこ)ませて長火鉢(ながひばち)(わき)(よこた)はつて(わたし)()とで()んでお()れと()ふ。
又他(またほか)(もの)(ついで)だからとて()ませる。
折通(をりからつう)がつた(きやく)でも(あそ)びに()れば、『コンナ(とし)()かないに()()えないのは可愛想(かあいさう)ぢやありませんか、阿方(あなた)()ませてお()りなさいナ』と(すす)められる。
仕方(しかた)がないから『ナニ()まなくとも()いからと』()つて銀貨(ぎんくわ)の一ツ(ぐらゐ)()れて()る。
つまりは一(けん)(うち)で二三十(せん)收入(しうにふ)はある()まには煎豆(いりまめ)鹽煎餅(しほせんべい)(もら)ふ。
()うしても()きな商賣屋(しやうばいや)(かぎ)ると()(こと)になるので小供(こども)是等(これら)(うち)()ばれるのを(すくな)からず(よろこ)ぶのである。

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……其の四 按摩 終り

「熊谷百物語」酒井惣七/著 埼玉新報社 明治45年(1912)

二四 按摩

▼按摩針……と流して來る不具者を見ると愍然たる同情の念が起こるが、不思議にも此の連中に至つては樂天的で「あいた目で見て氣を揉むよりもイツソ盲らが増しである」と鼻唄で居る。

▼盲目 だからと云ふて同じ人間だ、色氣もあれば慾もあるサ。
鬼も十七番茶も出花で年頃の女と來ると帯を撫でたり髪を氣にしたり當世風に結びたかるが、仕上りは後辨天前不動サ。

▼男子 と來ると三ツ紋の三百屋と學生然たるありてステツキを振廻し、君僕とやらかす。

▼熊谷 在住の按摩は77人で男46人女31人である。
内盲目者は男10女17で多くは鍼灸を兼業して居る。
此の従業者は61名である。

▼流 は吉田、杉山の二派に別れて居る。
吉田流は正眼、杉山流は盲目と相場が定まって居るらしい。

(さて) 按摩の効能はと云ふと身體諸部の按擦に依つて血液の循環をよくし筋肉の運動を助け體温を増加し消化を増し神経を鎮和するので殊に慢性關節痛には一層の効がある。
其施行時間は凡そ一時間で兩足に二十分、兩手に十分、背部に十五、胸部に十五分が適當である。
但し腹部に瘤腫ある時、妊娠の時乳戻の張りたる時、腹膜炎等のゾ廚△觧、結石病の時等には害があるから絶對に禁止しなさい。

▼當町有名の先生は墨江町の高田光悦(76)、青木宗伯(54)の二人である。
療治代は三百文から八百文。
御弟子の相場で十五銭に成ると師匠様だ。
ソコデ平均一人一日の稼高は男が二十銭、女が十五銭位である。

▼昔 師匠は暗誦で治療講義を授けたものだが近年は盲聾學校式の點字板で獨學して居る。
扨讀み得らるべき者と來たら小野田、瀬山、中山、尾崎、藤田の五人位の者サ。

▼先ず 此の位で御暇としやう。
……按摩上下……三百文。


 
 
 

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