夫れ無病長生にして、諸人の苦しみを救わんと思わば、専ら導引按摩すべし。
然りと雖も正しき(おしえ)をうけずんば、良能に至りがたし。
かるが故に古今導引集を撰んで、其の要をあらわす。
読誦工夫すべし。
心に得て手に及ぼす(わざ)なれば、詳しく述ぶるを能わず。
今先師の(ことば)を俗字に綴り、(いささ)か初学の為にす。
僅かに便りとも成らんかし。
後裔此の(みち)に通暁して鍼灸薬及びがたき(うれえ)を救い、齢を千歳に延びる者あらば、是れ予が願う処なり。

宝永の頃早苗月、武江の侠客 養陽子
筆を普齋の益壽軒に染むる者なり

導引口訣鈔目録

導引根源の訓
按摩人を選ぶの訓
養生按摩の訓
藕糸の訓
分肉解結の訓
胸腹の訓 附任脉
手肩頸を扱
喉笛を扱
胸腋肋を扱
胃の府を扱
骨節を動かしくつろげる
玉子骨を扱
脊骨を扱
腰骨を扱
寛骨横骨を扱
足を療し扱

諸病
小児 疳 驚 亀胸 亀背の類
六府の病五臓に移す肝を治して胆の病癒
六府より五臓に移す病症
鍼灸薬撲法
錬金丹の術
行気の法

目録終


導引口訣鈔巻之上  法橋養陽子著

導引根源の訓

ある人問う。
諸々の病いずれが根本原因なるや。
曰く。
つかえ滞るによりて起こるなり。

また問う。
治術いくばくありや。
曰く。
鍼灸薬按摩祝由(しゅくゆう)の五法のみ。
ひとつも捨つるべからず。
たとえれば水が祖なれば火木金は無用の物、心が主なれば肝腎脾肺はなくてもと云い、薬専らなれば鍼灸按祝に及ばずとて、捨つる同じ(こころ)なり。
世俗は一見になずんで、薬(しるし)なければ定業なりとす。
養生に志深くば、五法ともに奥義を究め明らむべきなり。


扁鵲傳(へんじゃくでん)に云わく。
垣の一方を見る、髄を搦し(ずいをただし)荒を採り(こうをとり)幕に爪し(まくにつめし)腸を洗う(ちょうをあらう)と云う。

澄相公云わく。
無病長命、虚を実と為し、老を少しなす。

両公の述ぶるところ、按摩の根源(きわま)り約せり。
能く工夫すべし。

垣の一方を視るとは、(ほか)を見て内を知るぞ、洞に病状を覚り知るなり。
髄を搦し(ずいをただし)荒を採り(こうをとり)幕に爪し(まくにつめし)腸を洗う(ちょうをあらう)とは、肉筋(にくすじ)を扱い、骨髄を療するの(わざ)なり。
本文(ほんもん)(ほぼ)註釈するところなり。
是れを見て鍛煉すべし。

澄公の無病長命と云いたるは、常に按摩すれば、諸病(おこる)ことなく、若し(やまい)(おこる)と雖も教えの如く行えば、則ちいゆべし。
稽叔夜(けいしゅくや)養生論に云る如く、導引すれば神仙に至らざれども、千載をば(たもつ)可しとなり。
なさくとも、六七百歳は保つべしと云う。

(おい)(わかく)なすとは、老ぬれば、肉(むすぼれ)皮こがし筋枯れ骨かたくなる。
按喬(あんきょう)をなし、骨を砕き肉となせば、痩せおとろえず、筋骨うるおい、老衰たりとも、若くなる事疑いなし。

已病を治さず、未病を治すとは、平生無病成る時、已に病に望める如く養生すべし。
病を得て治おすなば、(いくさ)を見て矢をはぐなり。
この心得肝要なり。

按摩人を選ぶの訓

黄帝問って曰く。
或いは導引行氣、喬摩、灸熨(きゅううつ)刺焫(しせい)、飲薬有り。
之れ一なる者(ひとり)守るべけんや。
はた之を悉く行なわんや。

岐伯(きはく)答えてもうさく。
諸方は衆人の方なり。
一人の悉く行う所に非ざるなり。
此れ乃ち所謂、一を守って失うことなかれば、萬物おえる者なりと云う。

右の文意に依れば、前聖道統の心法なれば、その職を専一にすべし。
無学にては至り難し妙処と見えたり。
導引を最初にいへるは、療術の肝要たる故なるか。

また黄帝曰く、気血をおさめて而も諸々の逆順を調え、陰陽を察して而も諸方を用い、節を緩げ筋を柔らかにす。
而して心和利なる者の導引行氣せしむべしと言う。

右の文意を考うるに、智能全く備わり醫道の根元に通達し、兼ねて諸道を明らかにし心躰共に和順なる人を撰んで(おしえ)べきとなり。
浅き智恵にては専門に至りがたし。
不學無能にして奥義を究めず。
妄りに行わば、小刀細工なり。
此の道の宗匠と云いがたかるべし。

 
 
 

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