按摩関連書籍、その他年表


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2011-12-18



書名著者和暦西暦
大宝律令刑部親王、藤原不比等/撰大宝元年701年
日本書紀太安万侶/編養老四年720年
栄花物語赤染衛門(前)出羽の弁(後)万寿五年頃1028年
福富草紙
リンク先「東北大学附属図書館」
嫗が夫の腰を踏む室町時代1400年頃
導引体要林正旦慶安元年1648年
古今養性録竹中通庵元禄五年1692年
古今導引集大久保通古宝永四年1707年
和漢三才図会
リンク先「国立国会図書館デジタルアーカイブポータル
寺島良安正徳二年1712年
導引口訣鈔
リンク先「京都大学電子図書館
宮脇仲策正徳三年1713年
喜多院・五百羅漢志誠(しじょう):発願天明二年〜1782〜
1825年
導引秘伝指南一愚子寛政五年1793年
按腹伝内海辰之進寛政十一年1800年
按摩手引
リンク先「京都大学附属図書館」
藤林良伯寛政十二年1801年
正骨要訣吉原元棟寛政年間不明
正骨範二宮彦可文化四年1807年
整骨新書
リンク先「早稲田大学学術情報検索システム」
各務文獻文化七年1810年
按腹図解太田晋斉文政十年1827年
嬉遊笑覧
リンク先「国立国会図書館」
喜多村信節など文政13年1830年


嬉遊笑覧

文政13年(1830)に刊行された「嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)」という江戸時代の庶民の為のネタ本、風俗百科事典のような書があります。
以下はその巻之六・〔楽曲〕上巻・盲女(御前・腹とり・按摩・足力)の現代語訳です。

(現代語訳)
注!:漢文、古文に馴染みのない人が訳したことをお忘れなく

●按摩

「大宝律令」(※701)の典薬寮条に按摩師二人、按摩博士一人、按摩生十人と記載
されている。
接骨もこの業に入る。

・「栄華物語」(※1028)
(布引の瀧)「泣かせ給いけるを申し上げ給え、大臣。」
(宇治殿)「派手に泣く。痛き所やある。」
(東宮の給ふなり白川天皇なり)「はらとりの女にとらせかし。吾れもそのように
する。」
ここにある「はらとり」は按摩である。

・「続五元集」(※天和年間1681〜1683? 調べ中)
「あんまとり、貴人頭上もはりまはす、座禪の影を正うつしなり」

・「松の葉」悪所八景(※1703)
「かふろやり、手に太鼓持ち、瞽女や座頭に按摩とり」


●按摩とりが笛を吹く

・「太平樂府」河東夜行
「按摩痃癖、笛を吹き去る。饂飩、蕎麦、火を焚き行く。」
これは明和六年(※1769)の撰である。当時珍しいことかも知れない。

江戸時代天明七年(※1787)「狂詩諺解」に
「按摩の笛を吹くは近ごろの事なり」
とある。

・「甌北集」兒童敲背詩(※1812中国)
童、良夜を我と楽しむ。
わらびの若芽の如きこぶしにて、背を軽く叩きもむ。
西瓜一個を八片に分かち、祖父は褒美に大いに費やす。

・「雲谷臥餘」(※1661中国)
朱少章名辨という者が建炎年中金の国に使いに行き、二百壮余りの灸をすえた。
その間排律二十韻を作ったが、その中に「煙微初灸手、氣烈漸讃皮」という句がある。
世俗において、初めの三壮を「皮きり」というのはこの句からである。


●足力
「福富雙紙」(※1400年頃)
嫗(おうな)が夫の腰を踏む所がある。


  • 「大宝律令」
    • 按摩師二人、按摩博士一人、按摩生十人、が記載
  • 「栄華物語(栄花ものがたり)」
    • はらとり(腹とり)は按摩のことである
  • 按摩とりの笛
    • 1987(天明7年)、この頃から按摩の笛が聞かれるようになったらしい。
      「按摩の笛を吹くは近ごろの事なり」
      という訳で、1769(明和6年)時点での「按摩痃癖、笛を吹き去る」は珍しいということなのか。
  • 足力(足力按摩)
    • 「福富草紙」に嫗(おうな、ばば)が夫の腰を踏む図がある


按摩の笛

盲人の按摩・鍼史に関しては、「盲人史 鍼・按摩史 Q&A」(群馬県立盲学校教諭:香取俊光)が詳しく、とても参考になるのですが、按摩笛に関しても参考になります。
以下、按摩笛に関する部分を引用させていただきます。

Q43:按摩師は町々を笛の音がこだまするイメージがありますが、現在あの
    笛は手に入るのですか。
A:按摩笛は江戸の中期頃から使われたと言います。
  音階が使える少し長い男笛(おぶえ)と短い竹を2つ並べて共鳴させる女笛
  (めぶえ)がありました。現在も時代劇や演劇の効果音用に販売されててい
  ます。
  筆者は浅草仲店通り中ほど、浅草寺に向かい左手の小山商店で手に入れま
  した。
  ちなみに定価3800円でしたが、平成17年の夏に再度購入しましたら
  4700円にあがっていました。
  お店の方に男笛か女笛が良いか言われて買割れることをお勧めします。


按摩笛の実物がこちら。
上の引用文から見ると、男笛のようです。
台湾の「台湾盲人重建院」から借用しました。

hue.jpg


「按摩笛:早期的盲人按摩師藉由笛声,遊走於暗夜街道小巷中,以吸引按摩顧客。」
   ↓
「按摩笛:初期の盲人按摩師は、暗い夜、笛を吹きながら路地を流し、按摩のお客さんを招き寄せていた。」

まったく確認はしていませんが、ひょっとしたら、旧日本政府が台湾に盲人教育として盲人按摩制度を定め、按摩笛もまた台湾に入ったのかも知れません。

「福富草紙」嫗が夫の腰を踏む(足力)


  • 「福富草紙」嫗が夫の腰を踏む(足力)(1400年頃)
    hukutomi1.jpg
    東北大学附属図書館・狩野文庫画像データベース「福富草紙」卷子(13/20)より
    嫗が夫の腰を踏む部分を切り取り拡大


北斎漫画(足力、按摩)



北斎漫画。文化十一年(1814)初編発行。

嘉永6年(1853)発行の「守貞漫稿」に

また、店を開いて客を待ち、市街を巡らず、足力(そくりき)と呼ばれる手足によって揉むものは、上下揉んで百文だ。
京阪には足力按摩はなく、また、京阪では従来より普通上下揉む者は仕事を半とし、これにより「盲人は鍼治を兼ねる」「足力等は灸治を兼ねる」という。

とあるように、江戸時代末期にも足力按摩は行われていたのですね。
足力按摩がその後どうなったのかは不明ですが、現代では「楽健法(二人ヨーガ)」として山内宥厳作氏が足力的施術を普及させています。(東光寺・楽健法
ぼくも、ほんのたまにですがこの施術法を使う時があります。


喜多院「五百羅漢」按摩さん像


  • 喜多院「五百羅漢」按摩さん像(1782〜1825年)
    anmastone.jpg

写した人が下手な為、画質最悪。(^^ゞ
いつか撮り直しに行かなくては。
こちらに美しくて綺麗な画像があります→「川越 喜多院 五百羅漢 写真集」
按摩さんの手許も綺麗に写っていて、動作や雰囲気が伝わって来そうです。
もひとつ。→「喜多院五百羅漢」
ページ最下部、画像をクリックすれば大きな画像で見れます。

江戸時代の按摩さんの姿が立体的石像で残っているのは、奇跡的に貴重!

 
 
 

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