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丹田と指揉み







丹田が充実した感じや丹田に落ち着く感じがちょっと(だけ?)わかってきたので、指揉みも丹田にくつろいだ状態で行うようにしています。

それまでは、波紋が空間に拡がる感覚にフォーカスを当てながら。
時々足元に充分重心が落ちるように意識しつつ行っていたのですが。



上の図は、Qavimatorという仮想世界ゲーム「セカンドライフ」での3Dアニメーション用に使っていたソフトで作成。
そもそもソフトの仕様で手の指が曲がらないので、指は開いたままですが。(^^;
ふたつ前に書いた「指揉み」の図は床に座った状態での指揉みでしたが、実際の治療では治療用ベッドに寝ている患者さんに対して行っているので、立った状態で指揉みしています。

で、図は。
あくまで感覚を絵にしてみたもので、こんな色が見えているわけではありません。

これまでは、主に空間に拡がる感触にフォーカスを当てていましたが。
最近は、丹田に心を置きながら、同時に空間の感触を感じています。



こうして行うと、実に安定するのです。
センターが定まった状態というか、落ちつきどころがある、そんな感じです。
そして、周囲に拡がる波紋も、前より色濃く感じられます。

肚っていいなぁ、としみじみ思う今日この頃です。

指揉み

治療はいつも操体法の「指揉み」からはじめます。
まずは相手の両足の小指の付け根を持ち、揺らすように揉みはじめます。

 詳しくは「操体法実技入門」の「3.指揉み」にあります。

イメージとしては、この指揉みで患者さんにチューニングする感じ。

ぼくの治療では、相手の皮膚や皮下組織の感触が大きなポイントになります。
なぜなら、全身の皮膚は自己と外界を『隔てる場』でもありますが、自己と外界を『繋ぐ場』でもあるからです。

そういった場である皮膚や皮下組織の感触は、その人がどのように外界と接しているかが如実に現れます。
(というのはあくまで個人的な経験論です。一般化出来るものなのかはわかりません。)

指揉みをしている時、お互いの体がリズミカルに揺れているのですが、相手の皮膚や皮下組織の状況により、その揺れは微妙に(感覚的には大きく)異なります。
相手の指を掴んでいる指だけではなく、指を掴んでいるこちらの手や腕、体全身でその揺れの違いは感じられます。

皮膚や皮下組織が柔軟で生き生きとしている場合、揺れの波紋は身体外の空間に繊細に拡がります。
逆に、皮膚や皮下組織に精気がなく弾力に乏しい場合、揺れの波紋は身体外には拡がらずに閉塞的な揺れになります。

いずれの場合でも、揺れやその波紋にこちらの感覚をチューニングしていきます。
波紋が身体外に拡がっていない場合は、その揺れの勢いの質に感覚をチューニングしていき、その感覚をより濃厚にしていきます。
波紋が身体外に拡がっている場合は、その波紋の感覚をより濃厚に感じ取りつつ、同時に揺れの質にもフォーカスを当てています。

指揉みが5本の指で終わった後は、相手の足先を包むように把握して、全身を相手の揺れるリズムに合わせて揺らしますが、この「揺らし」で身体各部の緊張、重さを把握。
その後、仰向けに寝たままで気持ちよく伸びをしてもらいます。

これだけで、先ほど「揺らし」を行った時よりも格段に体はゆるんでいます。

というのが、おおまかな指揉みの説明。
これまでは上記のように、揺れや波紋を中心にフォーカスを当ててきたのですが、正座や丹田を意識するようになってから、若干いしきや感覚のフォーカスの当て方が変わってきました。
それを書きたいがためにコレを書いたのですが、続きは後で。

丹田に気が充ちる時

最近は丹田を意識することが多いのですが、キッカケはメインブログに書いた勉強会から。

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2010.04.15

昨日、友人のだるまさんを迎えて練習会を実施。
練習会といっても特に決まったテーマはなかったのですが、なんとなく最近このブログでも書いていた正座や呼吸に関する練習をしようという主旨。

正座での呼吸や気合い等に関しては、だるまさんが専門家なので彼のレクチャーを受けながらスタートしました。

まずは正座して肩や胸、上半身の緊張をゆるめるワーク。
上半身の緊張がゆるんだところで、背中に手を当ててもらいます。
なにやら丹田に重心や力点が集中するような、そんな手の当て方。
息を吸った時に無理なく丹田付近の下半身に息が充ち、周囲の皮膚が気持ちよく伸びるのが感じられます。

この背中(または腰付近)に手を当ててもらったのは、ほんの数分。
手を放した後でも、息を吸うとき丹田に息が充ちる感覚は継続しています。
ぼくの後は、プラバさんが手を当ててもらいました。

さて、こんな簡単なワークだったのですが。
驚くことに、これだけで空気が一変しています。

視界はクッキリとし周囲のものが鮮やかに見えます。
静謐な空間に、意識が鮮明な状態で「在る」、そんな感じです。

深い瞑想や治療中に入る”アレ”と同じです。
例えば、聖域といわれる場所や神社に佇んでいる時の空気のような……。

日本的な「肚(はら)に気が充ちる」とはこういうことでしたか。
う~む。
かなり誤解していました。

「肚や丹田を練る」というのは、もっとこう、なんというか、中国的気功と似ているものだと思っていました。
練る、鍛え上げる、造り上げるもの、というか。

でも、違いました。
上半身に無駄な緊張がなくて重心が定まれば。
そこには丹田がある。
そんな感じ。

誤解していてすみませんでした。> ご先祖様たち m( _ _ )m







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江戸時代の「正座」

正座や丹田に興味が湧いてきた今日この頃なのでありますが、「町の按摩さんblog」に書いた2010/04/10下記記事くらいからいろいろ調べはじめたのでした。

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江戸時代の正座

最近時々正座をしています。

半跏趺坐よりグッと腰が入り、下腹部に息を充たす時に横隔膜が引き下げられるのがよくわかり。
また、胸が適度に伸びて顎が引けて、なかなか良い感じです。

型とは面白いもので、正座をして丹田に重心が落ちると気分は腹の据わった武士。
意識がシーンと引き締まり、気分はくつろいでいきます。

そんなこんな今日この頃なのですが、正座について調べてみたくなりました。

日本で正座が一般的になったのは江戸時代かららしいのですが、正座の座り方自体は古代遺跡や奈良時代の仏像にも現代の正座と同じ座り方があったとのこと。
それは以下の論文で詳しく検証されています。

正座の源流 Origin of Seiza:Sitting-Up Straight in Japan 川本利恵、中村 充一

ところで、正座という言葉ですが、Wikipediaには以下のように記されていました。

江戸時代以前には「正座」という言葉はなく、「かしこまる」や「つくばう」などと呼ばれていた。
1889年(明治22年)に出版された辞書『言海』にも「正座」という言葉が出ていないことから、「正座」という観念は明治以降に生まれたと考えられている。

「正座」という言葉は、確かに明治政府が編纂した全1000巻にも上る国学百科全書的「古事類苑」にも出てきません。
また、江戸時代に編纂された中国の「三才図絵」を範とした絵入り百科辞典「和漢三才図絵」にも、江戸時代の俗語・俗諺を集めた「俚言集覧」にも「正座」という言葉は出て来ません。

正座という言葉はまだないにせよ、一般的に正座という座り方を指す言葉として上記Wikipediaには

>「かしこまる」や「つくばう」などと呼ばれていた

とありますが、「つくばう」に関して「古事類苑」「和漢三才図絵」「俚言集覧」を調べた限りでは、正座を指す言葉には思えませんでした。
特に「和漢三才図絵」は編纂者が医師であることから当時の医学はもちろん人体や動作には詳しいのですが、「つくばう」に関して以下のように述べています。

・「和漢三才図絵 巻第十二 肢體部・足の用」
箕踞[和名は美井 みゐ] 蹲踞[宇豆久末留 うづくまる] [俗に豆久波不 つくはふ という]
  傲座(ごうざ)[足を投げ出したみだれた座り方]の形が箕(み)に似ているからである。
  また平座して両足を伸ばすのを箕踞(みい)という。蝦夷人は常に座るときこうする。
  また、ものに拠りかかって座るのを踞という。
  獣が前足を直(たて)て座るのを蹲踞(うづくまる)という。
  人が膝脛を直(たて)て尻を軽く地につけるのを蹲踞(つくばう)という。

上記を見ると、「つくばう」は現代の体育座りに似た形になるようです。
また、「俚言集覧」を見ても「つくばう」=「うずくまる」とあり、やはり体育座り様の座り方に思えます。

・「俚言集覧」
つくばる
  蹲踞をウヅクマルと云に同し ウは發語也 ハとマと通ず

ところで、江戸時代に「正座」という言葉はまだ一般的には流通していなかったようですが、言葉としての「正座」は既にあったようなのです。
それは、「古事類苑」や「俚言集覧」に掲載されている、室町から江戸時代の武家社会のしきたりを集大成した「貞丈雑記」の抜粋の中に出て来ます。
当時、正座のことを一般的には「かしこまる」言っていたようなのですが……。
その「かしこまる」が、ちょっとややこしいことになっていたようです。

・「貞丈雑記 十五 言語」
  かしこまると云はおそるゝ事也、貴人主人の威勢をおそるゝ心也、
    (中略)
  今世ひざを折りて正しく座するを、かしこまるといふは、かしこまり座すると云心也、
  貴人をうやまひおそれて座する也、
  正座の事をかしこまるとおもふは非なり、

この文章を見て、最初はキョトンとしました。
とにかくやたらと「かしこまる」という単語が出てきて、結局何を言おうとしているのかわかりませんでした。

「最近は正座することを”かしこまる”というが、それは”かしこまって座る”という意味だ。正座のことを”かしこまる”と思ったらそれは間違いだ」

上のように読んだら、訳が分かりません。
でも、しばらくボ~っと眺めていたら、少しわかったような気がしはじめ……。

  「かしこまる」と云は畏(おそ)るる事也、貴人主人の威勢を畏るる心也、
    (中略)
  今世ひざを折りて正しく座するを、「カシコマル」といふは、畏(かしこ)まり座すると云心也、
  貴人を敬い畏れて座する也、
  正座の事を畏(かしこ)まるとおもふは非なり、

上のように、当時の正座の一般的俗称を「カシコマル」、本来的意味を「畏まる」と分けて書くとわかるような気がします。

正座は江戸時代に急速に一般庶民にまで伝わったといわれていますが、それを庶民たちは「かしこまる」と呼んでいたのでしょうか。
武家社会のしきたりを集大成するほどの「貞丈雑記」の貞丈さんは、その庶民たちの単に座り方だけを指す「かしこまる」の言葉の使い方に我慢が出来なかったのかも知れません。

  「かしこまる」とは畏れ敬う心を指すのであって、座り方のことではないのだ。
  ただ膝を折って正座しただけで、それを「かしこまる」と言うとはなんと浅薄なことか。
  本当の正座とは、かしこまる心を持ちながら座するということなのだ。

そう言いたかったのでしょうか。

ちなみに、医師寺島良安の手による「和漢三才図絵」では、正座の座り方をあっさりと「かしこまる」で納得しているようです。

・「和漢三才図絵 巻第十二 肢體部・足の用」
跪(ひざまずく)[音は癸 キ] 跽(かしこまる)[音は其 キ]
  跪[比左末豆久 ひさまつく]は拝して跪くのである。
  跽[加之古末留 かしこまる]は長く跪くこと。両膝を地につけて身を立てるのである。
 △思うに、夷人は膝を屈めて礼することを胡跽(ひざまずく)という。(※胡は足偏)
  跽(かしこまる)に似ているが長座することはできない。
  跽は日本人が常に座って客と対するとき、みなこうする。

Tags: かしこまる, ひざまずく, 丹田, 俚言集覧, 古事類苑, 和名, 和漢三才図絵, 正座, 江戸時代, 貞丈雑記