アイザック・アシモフさんの「銀河帝国興亡史(ファウンデーション)」シリーズの中核「心理歴史学」を構築するにあたって、重要な概念になると思われる描写をメモ。
「ロボットと帝国」から
人間であるイライジャ・ベイリがその死に際して、ロボット・ダニール・オリバーに人類の未来を託した遺言。
「人類ひとりひとりの仕事は人類全体に貢献しているんだよ、だからそれは全体の一部となって永遠に消えることはない。
その全体は……過去も現在も、そして未来も……何万年となく一枚の綴織(タピストリー)を織りなしてきた、そいつはしだいに精緻になって、おおむね美しくなった。
スペーサーだって、そのタピストリーの一部なんだぞ、そしてやつらだってタピストリーの模様を精緻に美しくしてきたんだ。
個人の生命はタピストリーの一本の糸だよ、全体に比べたら、たかが一本の糸、そんなものがどうしたというのだ?
ダニール、きみはこのタピストリーのことだけをしっかりと考えろ、そして一本の糸が消えるぐらいで動揺しないようにな、他にたくさんの糸があるんだ、それぞれ貴重で、立派な役割を果たし……」
同じく「ロボットと帝国」。
ほんとは上記引用の10頁ほど前の場面。
人間の感情を読み取り操作も出来る唯一のロボット・ジスカルドが、聴衆と対峙した時の様子をロボット・オリバーに語る場面。
「わたしは聴衆の多様な精神(マインド)と相対した。
レディ・グレディアと同様、これほど多くの人間に出会ったことなどなかった。
マダムと同じように非常に驚いた。
はじめ、わたしに襲いかかった重なりあう大きな精神(マインド)の群れを相手になすすべのないのを発見した。
わたしはとほうにくれた。
そこからわずかな親しみ、好奇心、興味のようなものを感知した……言葉ではうまく言いあらわせないが……それにはレディ・グレディアに対する同情の色がにじみでていた。
そこでわたしは、この同情の色をもったものを見いだすと、ほんのわずかに引きしめて稠密にしてやった。
わたしは、レディ・グレディアを元気づけてくれるようなささやかな反応を望んでいた。そうすれば、それ以上レディ・グレディアの精神(マインド)を操作する必要はなくなるからだ。
わたしがしたのはそれだけだ。
その色の糸をいったい何本操ったのか、わたしにはわからない。
それほど多くはなかった」
ダニールは言った。
「それからどうしたのだね。
フレンド・ジスカルド」
「わたしは発見した、フレンド・ダニール、自触媒作用のようなものを自分がはじめたのだということを。
わたしが強化したそれぞれの糸が、近くにある同じ種類の糸を強化し、その二本がいっしょになり、さらに近くにある何本かの糸を強化した。
わたしはそれ以上なにもする必要がなかった。
レディ・グレディアが話していることに賛成をしめすようなわずかな身じろぎ、ささやき、少しの視線、それがまたまわりの人々を刺激した。
そしてもっと不思議なことに気がついた。
そうした賛同のわずかな徴候は、それらの精神(マインド)がわたしに向かって開いているのでわたしには感知できたのだが、レディ・グレディアも同じように感知したようだった。
なぜならば、わたしが触れないのに、マダムの精神(マインド)が抑制していたものがほどけてしまったからだ。
マダムは前より早口に、自信たっぷりに話しはじめ、聴取はいっそう敏感に反応した……わたしがなにもしないのに。
そして最後にはヒステリア、嵐、精神(マインド)の雷鳴と稲妻の大嵐、あまりの強烈さにわたしは心を閉じねばならなかった、さもなければ回路に過負荷がかかっただろう」
…中略…
「感情の数は少なく、理性はあまた、したがって群衆の行動は、一人の人間の行動よりたやすく予測できる。
そしてそれはまたこういうことになる、もし歴史の流れを予測しうる法則を見つけようとするならば多数の人間を対象にしなければならないということだね、その数は大きければ大きいほどよいのだ。
これは心理歴史学の第一原則になるかもしれない、人間工学の研究の鍵かもしれない」
前に「ロボットと帝国」を読んだ時に「おぉ」と思ったものの、読み進みたくてとりあえずスルーしてしまった部分。
プラバさんがまた図書館から借りて来てくれたので再読。
該当箇所に再度感嘆したものの、またまた読み進む誘惑に負けてメモし忘れ。
結局再読し終わった後に該当箇所を探してメモしたわけですが。
アシモフさん、すごいなあ。
どこからこんな壮大なイメージを湧出させるんでしょか。
人類とその進歩、進化という、時間の流れとともにその拡がりや厚さ、彩りを微妙に変えながらたゆたう広漠としたタピストリー。
その一箇所にぐい~んとズームインしていくと、その広漠とした厚みのある織物を織りなす、一本一本の毛糸のような、これもまたさらに細かで繊維な糸で織りなされた、ひとりひとりの人間が・・・。
>わたしは発見した、フレンド・ダニール、自触媒作用のよう
>なものを自分がはじめたのだということを。
>わたしが強化したそれぞれの糸が、近くにある同じ種類の
>糸を強化し、その二本がいっしょになり、さらに近くにある
>何本かの糸を強化した。
>わたしはそれ以上なにもする必要がなかった。
このロボット・ジスカルドが施した自触媒作用のようなもの。
按摩もこういうものでありたいのです。
ひとりの人間という、細やかで繊細な糸状のもので紡がれた、毛糸のようなふっくらとした存在。
その所々に、または全体的に、よじれたり固まったり、柔軟さを欠き硬くなった糸とその総体としての毛糸状のもの。
強制的矯正的に介入するのではなく、自らがふっくらと柔軟になり(または”その状態”であろうとしつつ)その毛糸状のものと向き合い。
ほつれがほぐれ出しそうな、動き出したいのだけれどどう動いてよいのかわからず逡巡しているような箇所を見守り。
そして、さらに温かく見守り・・・。
触れることなく触れ。
(または、触れたとしても、それは見守り確かめるため)
そして、触れることなく触れ続け。
一本の繊細で細やかな糸がふっくらとほぐれだし。
それがその近くの似通った糸とともにほぐれだし、さらに近くにある何本かの糸を巻き込んでほぐれだし・・・。
この、一本の毛糸の中から始まる自触媒作用のようなものが、目には見えない微細な現象が、人類という広漠としたタピストリーの極く微細な一部分で、それが常態になるまで繰り返し生じたら・・・。
う~ん。
夢は広がる^^
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