Category Archives: 治療

ぼくたちは地球と人類の進化の一部なのだ(きっと)







ぼくたちの意識や精神、魂も含めた身体は、下図のようなものだと思ってます。
ぼくの持っている原初的イメージ。

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按摩は、自分も含めて縁ある人たちがより生き生きと、上図左に近づいていくことを指向します。たぶん

個や自我の中に閉じ籠もり、頑なで閉塞的で孤立するのではなくて。
または自分以外の”何者か”や”かくあるべき人”になるのではなくて。

生き生きとありのままの自分を、真摯に誠実にまっとうすること。

農耕や狩猟、部族社会から19世紀になり工業化、近代化していった人類。

世界大戦などの国家間戦争もはじまり、世界は工業型社会、軍隊型社会になっていった頃。
そんな近代化しはじめた社会で、それまでは強く意識していなかった”自我”や”個意識”が近代化という圧力釜の中で急速に形成されはじめ。
(って、世界史とか心理学とかよくわかってません。なんとなくな話。(^^ゞ)

この工業化近代化しはじめた19世紀って、フロイトやユング、ウィルヘルム・ライヒ、ルドルフ・シュタイナー、グルジェフ、出口王仁三郎なんかが活躍した時代なんですよね。
近代化という進化(だということにして)が、”自我”や”個意識”の形成や結晶化を促し、精神や魂の要求として心理学や神秘学が勃興したのだと思ってみたり。
流れとして、21世紀の今は”自我”や”個意識”が成熟し、次の段階に進んでいると想像され。

それまでの”自我”や”個意識”の「内側」から、21世紀は「外側」からそれを意識、認識しはじめるのではないかと思ってみたりします。

そしてそうなってはじめて、地球と人類はひとつの有機体として躍動し。
個々の人間は、地球=人類有機体の細胞一個一個なのだという認識を持つのではないか。

個々の細胞は有機体の一部なのだけれど、それぞれユニークで異なった存在であり。
例えば、ひとりの人間の中での、手や足、内臓、筋肉、神経、などなど。
それらはまったく異なった働きをする部分ではあるけれど、ひとりの人間を形成する貴重な存在。
そんな地球=人類有機体としての人間=細胞一個一個。
人間=細胞一個一個は、そのユニークで独自な個性を十二分に発揮しなくちゃなのです。

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そして、インターネットは今より更に密になり、個々の細胞たる人間ひとりひとりと直にコンタクトが可能になるのではないか。
苫米地さんが著書で、Googleのような検索システムの次の世代はP2Pだと書いていたけれど。
もしP2P貨幣システムであるBitcoinが全世界的に普及したならば。
世界の貧困撲滅はぜんぜん夢じゃないです。
(※Bitcoinについてはコチラにいろいろ書いてます)

Bitcoinの取引手数料はほとんどゼロに近いので、10円とか100円単位の送金が気軽にサクッと送金出来てしまいます。
数十万、数百万の人々が、例えば100円でも、NPOやボランティア団体、自立支援プロジェクトなどに、月に一度でもポチッとBitcoin募金をすれば。
(該当団体がHP上で逐次進捗状況を更新するなど公開していれば、その切実さや募金が反映さていく様などが確認出来ますよね)
それだけで、今まで無駄に眠っていた少額のお金が、全地球的に必要される場所に移動することが出来ます。
それまで移動することがなかった少額貨幣が、各国法定通貨に換金可能なお金が、地球上をさらさらさらさらと自由に移動し。
地球上の少額経済が怒濤のように活性化するやも知れず・・・。

そんなことを夢想している今日この頃なのでした。

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歓びの可能性を開くキッカケとしての症状:按摩(2)

前回の投稿から3ヶ月。
というわけで、前回の患者さん。
3ヶ月ぶりの来室なのでした。

>患者さんの胸の中から「もう、すぐに歓びがわかるよ」という声が聞こえたように感じました。
>
>確かな手応え。
>たぶん、これで大丈夫。

>そういえばその後、坐骨神経痛がどうなったのか聞いていません。
>もしまだ痛みがあったとしたら、まだまだ歓びの可能性を開くキッカケが眠っているということなんですよね。

前回の治療の数日後、とあるキッカケで。
「そう、それ! 私が望んでいたのは!」という出来事があり。
その後、ウソのように坐骨神経痛が消えたみたい。

歓びがマインドと体に浸透するまでは、まだ時間が掛かりそうですが。
一歩前進。^^

Tags: 坐骨神経痛, 好奇心, 按摩, 歓び, 治療

歓びの可能性を開くキッカケとしての症状:按摩

お馴染みの患者さん、今回は1ヶ月ほどぶりに来室。

数ヶ月前からの坐骨神経痛が相変わらず続いているといいます。
寝ていても、痛みで目が覚めてしまうくらいの鈍痛様の痛み。
いつもであれば、たいてい一度の治療で良くなる不具合が治らないので、腑に落ちないという様子。

難しいですね、体には体の都合があって、人の思惑を越えていたりしますから。

これまでの治療の時にも、「何故治らないのかまったくわからない」といった表情が続いていました。
時々小さな「あっ、そうか」という腑に落ちるポイントは何度かあって、一時的に症状が軽減するということはあったのですが。

ぼくから見た、今のその人の大きなテーマは、「楽しく、しあわせに生きている?」ということで。
まあ、それは、ほとんどすべての人に当てはまることだったりし。

体のその内側からは、いつでも興味や好奇心が浮上し、湧き出しています。
そして、その興味や好奇心を暖め、それを携えて生きていると、それだけで活き活きとします。
目を輝かせている幼子のような感じ。
体や心の内側から湧き出す興味や好奇心は、純粋で無垢なエネルギー。

逆に、頭で決めたり判断した「正しいこと」「~すべき」「普通はこうする」に沿って生きていると、体は歓びを失い硬直していきます。
果ては、内側から湧き出す興味や好奇心を認識する回路自体が錆び付き。
「私のやりたいこと、楽しいこと」がわからなくなったりもします。

座骨神経痛の患者さんですが、もともとが気持ちよいくらい好き嫌いのハッキリとした人。
ですから、まさか自分自身が楽しくしあわせに生きていないとは到底思えません。
ぼくから見ても、とても無理をして頑張っているようには見えず。
とはいえ、自分で作った限界、固定観念の枠に閉じこもっているようには見えるのです。

内側からの興味や好奇心、楽しみたいというエネルギーの表面に触れたり、離れたりしていたこれまでの治療。
今回はこれまで以上に体は頑なになっていました。
肩から首はガチガチ。
そして、背中を按摩、胸郭の後ろ上部を揉んでいると。
前側、胸の上の方が硬直していて、背骨に動きがなくなっています。

背中~腰の按摩を終えて、お腹と背中を伸ばすようにしてから再度背中を触れると。
背骨と胸が緩んでいて、胸郭自体の動きも柔らかくなっており。
患者さんの胸の中から「もう、すぐに歓びがわかるよ」という声が聞こえたように感じました。

確かな手応え。
たぶん、これで大丈夫。

按摩後、これまでも按摩は気持ちよいと思っていたけれど、今回はひと揉みひと揉みで体全体が気持ちよく、「こんな気持ちよさがあったのね」としみじみ言います。
そして、その気持ちよさと、楽しさや歓びは似ているのだと、ひとつ腑に落ちたとのこと。
それを言っている患者さんの顔は、子どものような無邪気さを取り戻していました。

そういえばその後、坐骨神経痛がどうなったのか聞いていません。
もしまだ痛みがあったとしたら、まだまだ歓びの可能性を開くキッカケが眠っているということなんですよね。

(ちなみに、痛みのひどい患者さんには、必ず西洋医学的医療を受診するよう勧めています。
 その上での按摩であり、ぼくは按摩を治療だとは思っていないのです。
 按摩は慰安です。)

人生の転機と按摩

昔、お母さんと一緒に来ていた女子高校生だった患者さんが、いつの間にか若奥様になって久しぶりに来てくれています。

今回来始めた時は、身も心もボロボロ状態。(^^;
もちろん体も閉塞的になっていて、身体表層は弾力に乏しく澱んでいました。
どうやら人生の一大転機に遭遇していた模様。

身体全体に渡る表層の澱みもさることながら、特に下肢部分の澱みは根深くて……。
この状態では、体全体が重くてダルイだけではなくて、日常生活も重い体を引きずるような感覚だと思われ。
当然ながら、思考や精神生活も陰鬱極まりない状態だったと思います。

そんな時に按摩に来てくれて。
そのボロボロの体に触れられることが、本当に有り難かったです。
悲鳴を上げることさえ諦めたようなその体に、なんとか精気を取り戻してもらえるから。
按摩さんは、いつだって体の味方なのです。

一枚一枚澱みの皮を剥ぐように、まるで仮死状態のような表層の感覚を呼び覚ますように按摩を続け。
徐々に澱みもピークの半分近くなった頃、人生の転機もピークを迎えたようでした。

そのピークも、笑いながら報告出来るほど心身ともに余裕が生まれ。
治療師という第三者から見れば、そのピークは新たなる出発、スタートとも思える出来事だったのですが。
本人曰く「マッサージに来ていなかったら、絶対刃傷沙汰になって新聞に載っていたはず」という出来事だったらしいです。

「肚を据えられた体」は、そのピーク前後の内容でした、実は。

仕事が休みの週末には、土日と二日続けて治療に来ることもありましたが、今日は全体の澱みも1/3か1/4にまで減少。
ここまで来ると、感覚がかなり開いて来て、マッサージするこちらの手を、相手の体が受け容れている感じになります。
マッサージされている感覚を、食べるように吸収している感じ。
推す指の、その感覚が、体の中に浸透するのがリアルに感じられます。

もちろんこんな時は、「感覚が染み込んでくるように気持ちいい」という反応が返ってきます。
ふぅ~。
やっとここまで来ました。
安心、安心。(^^)







肚を据えられた体

関係性で悩みを抱えていた患者さん。
どうやら関係性に肚を据えられたらしい。

「こうなったら怖い」「そうなったらどうしよう」という恐怖感が頭がもたげて、ズルズルと相手の態度に依存した関係性を続けて来ていたんだけど。
相手の出方や態度に巻き込まれずに、少なくても自分のスタンスは決められたみたい。

黒く澱んでいた顔色も、スーッと白っぽさが出て綺麗になるし。
感覚も空間に広く拡がるようになるし。
張り詰めていた背中はプニョプニョになったりし。

いやぁ、自分を取り戻すと、体は激変しますね。
感覚が拡がるようになると当然視野も拡がるので、相手を見る視点も変わるはず。
今後、関係性も微妙に変化して来るでしょう。

かなり気になっていた患者さんだったので、超ひと安心です。
良かったぁ。(^^)