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歓びの可能性を開くキッカケとしての症状:按摩(2)







前回の投稿から3ヶ月。
というわけで、前回の患者さん。
3ヶ月ぶりの来室なのでした。

>患者さんの胸の中から「もう、すぐに歓びがわかるよ」という声が聞こえたように感じました。
>
>確かな手応え。
>たぶん、これで大丈夫。

>そういえばその後、坐骨神経痛がどうなったのか聞いていません。
>もしまだ痛みがあったとしたら、まだまだ歓びの可能性を開くキッカケが眠っているということなんですよね。

前回の治療の数日後、とあるキッカケで。
「そう、それ! 私が望んでいたのは!」という出来事があり。
その後、ウソのように坐骨神経痛が消えたみたい。

歓びがマインドと体に浸透するまでは、まだ時間が掛かりそうですが。
一歩前進。^^

Tags: 坐骨神経痛, 好奇心, 按摩, 歓び, 治療

歓びの可能性を開くキッカケとしての症状:按摩

お馴染みの患者さん、今回は1ヶ月ほどぶりに来室。

数ヶ月前からの坐骨神経痛が相変わらず続いているといいます。
寝ていても、痛みで目が覚めてしまうくらいの鈍痛様の痛み。
いつもであれば、たいてい一度の治療で良くなる不具合が治らないので、腑に落ちないという様子。

難しいですね、体には体の都合があって、人の思惑を越えていたりしますから。

これまでの治療の時にも、「何故治らないのかまったくわからない」といった表情が続いていました。
時々小さな「あっ、そうか」という腑に落ちるポイントは何度かあって、一時的に症状が軽減するということはあったのですが。

ぼくから見た、今のその人の大きなテーマは、「楽しく、しあわせに生きている?」ということで。
まあ、それは、ほとんどすべての人に当てはまることだったりし。

体のその内側からは、いつでも興味や好奇心が浮上し、湧き出しています。
そして、その興味や好奇心を暖め、それを携えて生きていると、それだけで活き活きとします。
目を輝かせている幼子のような感じ。
体や心の内側から湧き出す興味や好奇心は、純粋で無垢なエネルギー。

逆に、頭で決めたり判断した「正しいこと」「~すべき」「普通はこうする」に沿って生きていると、体は歓びを失い硬直していきます。
果ては、内側から湧き出す興味や好奇心を認識する回路自体が錆び付き。
「私のやりたいこと、楽しいこと」がわからなくなったりもします。

座骨神経痛の患者さんですが、もともとが気持ちよいくらい好き嫌いのハッキリとした人。
ですから、まさか自分自身が楽しくしあわせに生きていないとは到底思えません。
ぼくから見ても、とても無理をして頑張っているようには見えず。
とはいえ、自分で作った限界、固定観念の枠に閉じこもっているようには見えるのです。

内側からの興味や好奇心、楽しみたいというエネルギーの表面に触れたり、離れたりしていたこれまでの治療。
今回はこれまで以上に体は頑なになっていました。
肩から首はガチガチ。
そして、背中を按摩、胸郭の後ろ上部を揉んでいると。
前側、胸の上の方が硬直していて、背骨に動きがなくなっています。

背中~腰の按摩を終えて、お腹と背中を伸ばすようにしてから再度背中を触れると。
背骨と胸が緩んでいて、胸郭自体の動きも柔らかくなっており。
患者さんの胸の中から「もう、すぐに歓びがわかるよ」という声が聞こえたように感じました。

確かな手応え。
たぶん、これで大丈夫。

按摩後、これまでも按摩は気持ちよいと思っていたけれど、今回はひと揉みひと揉みで体全体が気持ちよく、「こんな気持ちよさがあったのね」としみじみ言います。
そして、その気持ちよさと、楽しさや歓びは似ているのだと、ひとつ腑に落ちたとのこと。
それを言っている患者さんの顔は、子どものような無邪気さを取り戻していました。

そういえばその後、坐骨神経痛がどうなったのか聞いていません。
もしまだ痛みがあったとしたら、まだまだ歓びの可能性を開くキッカケが眠っているということなんですよね。

(ちなみに、痛みのひどい患者さんには、必ず西洋医学的医療を受診するよう勧めています。
 その上での按摩であり、ぼくは按摩を治療だとは思っていないのです。
 按摩は慰安です。)

人生の転機と按摩

昔、お母さんと一緒に来ていた女子高校生だった患者さんが、いつの間にか若奥様になって久しぶりに来てくれています。

今回来始めた時は、身も心もボロボロ状態。(^^;
もちろん体も閉塞的になっていて、身体表層は弾力に乏しく澱んでいました。
どうやら人生の一大転機に遭遇していた模様。

身体全体に渡る表層の澱みもさることながら、特に下肢部分の澱みは根深くて……。
この状態では、体全体が重くてダルイだけではなくて、日常生活も重い体を引きずるような感覚だと思われ。
当然ながら、思考や精神生活も陰鬱極まりない状態だったと思います。

そんな時に按摩に来てくれて。
そのボロボロの体に触れられることが、本当に有り難かったです。
悲鳴を上げることさえ諦めたようなその体に、なんとか精気を取り戻してもらえるから。
按摩さんは、いつだって体の味方なのです。

一枚一枚澱みの皮を剥ぐように、まるで仮死状態のような表層の感覚を呼び覚ますように按摩を続け。
徐々に澱みもピークの半分近くなった頃、人生の転機もピークを迎えたようでした。

そのピークも、笑いながら報告出来るほど心身ともに余裕が生まれ。
治療師という第三者から見れば、そのピークは新たなる出発、スタートとも思える出来事だったのですが。
本人曰く「マッサージに来ていなかったら、絶対刃傷沙汰になって新聞に載っていたはず」という出来事だったらしいです。

「肚を据えられた体」は、そのピーク前後の内容でした、実は。

仕事が休みの週末には、土日と二日続けて治療に来ることもありましたが、今日は全体の澱みも1/3か1/4にまで減少。
ここまで来ると、感覚がかなり開いて来て、マッサージするこちらの手を、相手の体が受け容れている感じになります。
マッサージされている感覚を、食べるように吸収している感じ。
推す指の、その感覚が、体の中に浸透するのがリアルに感じられます。

もちろんこんな時は、「感覚が染み込んでくるように気持ちいい」という反応が返ってきます。
ふぅ~。
やっとここまで来ました。
安心、安心。(^^)

極私的按摩心得

4~5年前になるのでしょうか。
「按摩Pukiwiki」の「按摩等雑記録」というページに書いておいたメモ「極私的按摩心得」がありました。

先ほど見つけて、「なるほど、なるほど」と感心しながら読んでいる自分がいたりして。(^^ゞ

でも、よくもまあサクッとまとめたものです。
最近は、論理的に考えたりまとめたりするのがチョー苦手なので、感心しちゃいます。

こちらにも転載しておきましょう。

極私的按摩心得

  • 他者の体を操作したり、矯正しないこと。
  • 自己と同様に尊厳を持つ相手の存在(体)には、謙虚に繊細に、尋ねるように触れることしか出来ない、という基本的原則を忘れずに。
  • 操作、矯正しようと触れる時相手の体は身構える、という以前に、自身が身構えていることを理解する。
  • 「私は、自身はおろか相手のことも体のことも、何ひとつ知りはしないのだ」。
    知ること(体感的に)はそれだけで歓びであり、知らないということは歓びの源。
  • ”触れる”ということは、身体的、心理的、エネルギー的コミュニュケーションであるということを忘れずに。
  • コミュニケーションとは、”知らない”が知り合うということ。
  • 凝り、澱みは、”ほぐす”ものではなく、自ずと”ほぐれる”もの。
  • 体の感覚が鈍く、または感覚なくなれば、その部は澱み、硬くなる。
  • 体の感覚が目覚め、よみがえれば、その部は流れ、生き生きと柔らかくなり、繊細になる。
  • 日常、気付いた時には全身の感覚を拡げよう。(施術中はいうに及ばず)
  • 体は決して物ではなく、心が物質化したものであると感じてみる。
  • 触れる密度は感覚の繊細さに左右され、触れる密度が増すほど周りを包む空間の密度も濃厚となり、同時に浸透度も増している。
  • 密度、浸透度の濃密さは、触れられている対象の感覚回復度に直に影響する。
  • 無垢なまま触れ、無防備さに安住すること。
  • 防御や虚勢、権威性は、感覚を眠らせる格好の条件。
Tags: マッサージ, 感覚, 按摩, 触れる

寒さと体のダルさ、澱み

昨日今日と寒いですね。

陽気が芽吹いているこの季節、これだけ寒いと体表から発散されるべき陽気が、体表で閉じこもってしまって澱むことが多いです。
ひどい時は、皮膚や皮下組織が生ゴムのようにべっとり張り付いているような感じになります。
(これも凝りと呼んでいますが)このような表層の凝りが、下肢、特にふくらはぎ部分にみられると、体全体が重くダルくなります。

実際、昨日や特に今日来た患者さんのほとんどすべてがそんな凝りになっていました。
指揉み時、感覚が体外に拡がる患者さんもほとんどいません。
これほどおしなべて体表が澱んでいる患者さんばかりというのも、近年稀にみるほどの珍しい現象。

中には、感覚がものすごく繊細で、指揉み時には、細かい霧のように感覚が体外広く拡がっている患者さんも、今回は体表が澱んでおり感覚が閉じこもっています。
「体、重くてダルイでしょ」と聞くと、「当然でしょ。指揉みのあの感じもぜんぜん感じないんだから」と、当然のように答えました。
なるほどです。(^^;

あまりに似たような患者さんが続くので、これはひょっとしてぼく自身の感覚が鈍くなっていたり、体表が澱んでいるのではないかと思い。
いつものチェック箇所、ふくらはぎと腕の三角筋あたりの皮膚や皮下組織の弾力を確認してみるも、いつも通りの弾力。
(ふくらはぎ=行動力、三角筋=自己防御、みたいな感じ)
ひとりで感覚を体外に開いてみるも、これまたいつも通り。

やはり、この季節でこの寒さ。
体はビックリしてしまいますよね。

前に書いた「春の体のダルさを解消する」が参考になると思うので、興味のある方はそちらもどうぞ。