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サニヤス・バースデー







明日はOSHOのお弟子にしてもらって28回目のサニヤス・バースデー。

サニヤスを受けた時のOSHOの言葉。

人が100パーセント中心(センター)にいて気づきがトータルならば、至福は限りなく、あなたは我が家(ホーム)にたどりついている。
それをパラダイスあるいはニルヴァーナ、モクシャ、開放と呼んでもよいが、もっとも美しい言葉は「我が家(ホーム)」だ。
サニヤスは、我が家(ホーム)への帰郷の旅路なのだ。

ありがとうございます、OSHO。

Tags: OSHO, サニヤシン, サニヤス, センター, 気づき

プラーナと仏陀の呼吸法

プラーナという言葉を勘違いしていたようです。
例えば「プラーナを吸収する」のように、大気中にある精気、エネルギーのようなものだと思っていました。
ウィルヘルム・ライヒがいう「オルゴン・エネルギー」のように。

OSHOはこう言います。

息それ自体はプラーナではない。
プラーナとは、中へ入ることと外へ出ることという、その両極性によって顕れる生命エネルギーのことだ。
息を吸い込むエネルギーがプラーナであって、息そのものはプラーナではない。
息を吸い込むエネルギー、息を吸い息を吐いているそのエネルギーこそプラーナなのだ。

そして、仏陀の呼吸法「安般守意(アナパーナ・サティ・ヨーガ)」に言及します。

アナパーナ・サティ・ヨーガという仏教の瞑想法はこのこととかかわりがある。
この瞑想法は、自分の入息と出息に対してただ観照者でいなさいと教える。
ただ観照者でいてごらん。

上記は「瞑想…祝祭の芸術」[第十七章/七つの身体におけるプラーナの顕現]からの引用ですが、[第十八章/伝統的な技法]ではアナパーナ・サティ・ヨーガの技法を詳しく解説しています。

仏陀は、同時に二つのことを実現する手段として、息を用いた。
ひとつめは醒めた意識を生み出すこと。
いまひとつは、その意識を体の細胞そのものにまで浸透させるということだ。
仏陀はこう言った、
「呼吸を意識しなさい。」

これは、調息(プラーナヤーマ)(ヨーガの呼吸法)をやれということではない。
それはただ、息を変えることなく、その息を覚醒の対象にしなさいということだ。

息を変える必要はない。
あるがままに自然にしておきなさい。
息を変えたりしないこと。
ただし、入息のとき、その息を意識しなさい。
あなたの意識を入息に合わせてゆきなさい。
そして、出息のときは、あなたの意識もそれにつれて外に移してごらん。

息とともに動きなさい。
息に合わせて注意しなさい。
息といっしょに流れるがいい。
ただのひと息でも忘れてはいけない。

はじめ、このアナパーナ・サティ・ヨーガを拾い読みしたのですが、あとになってプラーナの解説を読み、俄然興味深くなってきました。
ある意味、プラーナ:息を吸い込むエネルギーを観照する瞑想でもあるのですね。

OSHOはアナパーナ・サティ・ヨーガについて、下記のようにも言っています。

意識的に出入息してゆくと、やがてあなたは自分のセンター(中枢)に至る。
というのも、息はあなたの存在の中枢(センター)そのものにまで触れるからだ。
息が入ってくるたびごとに、それはあなたの存在の中枢(センター)に触れる。

生理学的には、呼吸は血液浄化のためのもので、単に肉体的な機能だと思われている。
だが、自分の呼吸に覚醒しはじめたら、ほどなくあなたは生理学よりも深い地点にまで達するだろう。
そうしてある日、臍のすぐ近くにある自分の中枢(センター)に気づきはじめるに違いない。

毎日の正座や数息観をやる時の参考になります。
ありがとうございます。>OSHO

Tags: OSHO, アナパーナ・サティ・ヨーガ、仏陀, プラーナ, 呼吸法, 安般守意, 数息観, 正座

感性のなかに成長する -OSHO-

ハラや呼吸に関しては「やっぱりOSHOだよね」と、我が師OSHOの本をいろいろ引っ張り出していたら、ついついOSHOの言葉にハマってしまいました。

OSHOの言葉は、すーっと染みこみます。
そして、この存在に溶けこむような拡がりを感じてしまいます。

しみじみ~。

という訳で、OSHOカテゴリーを作って、時々お気に入りの言葉をアップしてみましょう。

感性のなかに成長する

瞑想は感性をもたらす……世界に属しているという大いなる感覚。
これは、私たちの世界だ。
星々は私たちのものであり、私たちはここで異邦人ではない。
私たちは本質的にこの宇宙に属し、その一部だ。
私たちはその核心だ。

あなたは、草の葉ですら大いに重要性を帯びるほどに感覚的になる。
あなたの感性は、この小さな草の葉が、最大の星と同じように宇宙にとって重要であることをはっきりと知らせる。
この草の葉がなければ、宇宙はいまより少し縮小する。
この小さな草の葉は個性的だ。
それは置き換えできない。
それ自身の固有性を持っている。
そして、この感性が新しい友情を生み出す。
樹や、鳥や、動物や、山や、川や、海や、星たちとの友情だ。
愛が育まれ、友愛が生まれ、生はより豊かになる。

            「新瞑想法入門」第二章 瞑想の開花より

感覚を開いて感性を拡げ、それを育むこと。
それを、ことさら瞑想として意識はしなくても。

自ずと、この世界との友情や愛が育まれるのですね。

Tags: OSHO, 友情, , 感性, 感覚, 瞑想