Tag Archives: 数息観

川合清丸「無病長生法」の数息観







メインブログに「川合清丸「無病長生法」数息観を試してみる」を書いてから、ほぼ毎日横たわっての数息観を試しています。

ぼくの場合、たいてい自分がやりやすいようにアレンジしてしまい、指示通りにやらないことが多いのですが、今回もそうです。
川合清丸「無病長生法」数息観を試してみる」には、ちゃんと原文も引用してありますから、気になる方はそちらをどぞ。

寝て、下腹部にゆっくりと息を吸い込むことからはじめます。
あとは、自分が楽で気持ちのよい呼吸を下腹部を意識して行います。
吸って、吐いて、で「ひとつ」と、心の中で数えながら。

たいてい、呼吸を続けていくに従い、呼吸はゆっくりと静かになっていきます。
その辺は、毎回心と体の状況で違うので、心身にお任せ。

基本的に、下腹部の呼吸をくつろいで見守っている、そんな感じです。

ところで、毎回そうなのですが。
30回を過ぎたあたりで、時々夢を見ていたり、眠りに入ったりします。
一瞬なのか、それとも数秒とか数分なのかはわかりませんが、ほとんどの場合そうなります。

あ。
そういえば、川合氏の本には「空腹時に」と書いてありましたが、ぼくの場合昼食後すぐにやることが多いからかも知れません。(^^ゞ

で、一瞬なのかどうかわかりませんが、ともあれ夢見心地から浮上してくると。
それまでより意識がスッキリとしていて、呼吸の質が変わります。

下腹部に、それまでよりゆっくりとなおかつ小さく息が充ちていき、あるところで動きはないのに充ちようというエネルギーが穏やかに継続しており……。
そのエネルギーが止んで……。
おもむろに息が抜けていこうとする。

そんな微かで穏やかな呼吸に変化します。
おそらく、それまでの倍くらいまで呼吸のペースも落ちてる感じ。

一瞬でも眠りに落ちたことで、心身ともに十全にリラックスするせいでしょうか。
なかなか気持ちよいです。

今は、これで100回数えることを目安に数息観してます。

Tags: 丹田, 呼吸, 川合清丸, 数息観, 無病長生法

プラーナと仏陀の呼吸法

プラーナという言葉を勘違いしていたようです。
例えば「プラーナを吸収する」のように、大気中にある精気、エネルギーのようなものだと思っていました。
ウィルヘルム・ライヒがいう「オルゴン・エネルギー」のように。

OSHOはこう言います。

息それ自体はプラーナではない。
プラーナとは、中へ入ることと外へ出ることという、その両極性によって顕れる生命エネルギーのことだ。
息を吸い込むエネルギーがプラーナであって、息そのものはプラーナではない。
息を吸い込むエネルギー、息を吸い息を吐いているそのエネルギーこそプラーナなのだ。

そして、仏陀の呼吸法「安般守意(アナパーナ・サティ・ヨーガ)」に言及します。

アナパーナ・サティ・ヨーガという仏教の瞑想法はこのこととかかわりがある。
この瞑想法は、自分の入息と出息に対してただ観照者でいなさいと教える。
ただ観照者でいてごらん。

上記は「瞑想…祝祭の芸術」[第十七章/七つの身体におけるプラーナの顕現]からの引用ですが、[第十八章/伝統的な技法]ではアナパーナ・サティ・ヨーガの技法を詳しく解説しています。

仏陀は、同時に二つのことを実現する手段として、息を用いた。
ひとつめは醒めた意識を生み出すこと。
いまひとつは、その意識を体の細胞そのものにまで浸透させるということだ。
仏陀はこう言った、
「呼吸を意識しなさい。」

これは、調息(プラーナヤーマ)(ヨーガの呼吸法)をやれということではない。
それはただ、息を変えることなく、その息を覚醒の対象にしなさいということだ。

息を変える必要はない。
あるがままに自然にしておきなさい。
息を変えたりしないこと。
ただし、入息のとき、その息を意識しなさい。
あなたの意識を入息に合わせてゆきなさい。
そして、出息のときは、あなたの意識もそれにつれて外に移してごらん。

息とともに動きなさい。
息に合わせて注意しなさい。
息といっしょに流れるがいい。
ただのひと息でも忘れてはいけない。

はじめ、このアナパーナ・サティ・ヨーガを拾い読みしたのですが、あとになってプラーナの解説を読み、俄然興味深くなってきました。
ある意味、プラーナ:息を吸い込むエネルギーを観照する瞑想でもあるのですね。

OSHOはアナパーナ・サティ・ヨーガについて、下記のようにも言っています。

意識的に出入息してゆくと、やがてあなたは自分のセンター(中枢)に至る。
というのも、息はあなたの存在の中枢(センター)そのものにまで触れるからだ。
息が入ってくるたびごとに、それはあなたの存在の中枢(センター)に触れる。

生理学的には、呼吸は血液浄化のためのもので、単に肉体的な機能だと思われている。
だが、自分の呼吸に覚醒しはじめたら、ほどなくあなたは生理学よりも深い地点にまで達するだろう。
そうしてある日、臍のすぐ近くにある自分の中枢(センター)に気づきはじめるに違いない。

毎日の正座や数息観をやる時の参考になります。
ありがとうございます。>OSHO

Tags: OSHO, アナパーナ・サティ・ヨーガ、仏陀, プラーナ, 呼吸法, 安般守意, 数息観, 正座