01年12月6日 †
『旅の雑学ノート インド 〔熱闘篇〕』 山田和/著 ダイヤモンド社
『旅の雑学ノート インド 〔驚愕篇〕』 山田和/著 ダイヤモンド社
を読む。
しかしディープだ。( ^ ^ ;;
山田氏の本は初めて読んだけれど、スゴッ。
渡印16回。
ヒンディー語を自由に操り、インドの町や村に溶け込む。
しかし、それでもインドではやっぱり「外人」。
「熱闘篇」はインド旅初心者必読かも。
インド人との闘いが丁寧に書いてある。
読みながら「何もそこまで書かなくても」と思ったりもした。
が。
実は、インドを旅している時は「最悪、こゆこともあり得る」と、あらかじめ最悪の事態を想定して行動していたりする。
結局、そゆ最悪の事態は起こらなかったりするのだが、それに近いことはけっこう起こる。( ^ ^ ;
えげつない話が多いけれど、お勧め。
「驚愕篇」もまたすごい。
渡印6回のぼくも知らないことばかり。
「インドの家庭料理はマズイ」という(ぼくにとっては)衝撃的話や、結婚にまつわるインドの常識……。
大好きなインド映画を見る目も、またひとつ変わってくる。
上の二冊を読んだ後、
『インドの大道商人』 山田和/著 平凡社
を読んでいる。
上の二冊よりももっと前の1990年発行の本。
たまに本屋で見かけた本だけれど、「大道商人」という題名がイマイチぼくの心をくすぐらず、装丁(横尾忠則)も「いかにもインド」なハードカバーだったので、今まで手にもしなかった本だ。( ^ ^ ;
一読するや魅了された。
やっぱり題名が悪いよなあ。
「大道商人」って、すっごい大げさでイカガワシイもの。
でも内容は素晴らしいほど素敵に地味。
普通の地図には載っていないような村々を訪ね歩き、路上で商いをしているインド人を取材、撮影したもの。
ありのままに近いであろうインド人たちの声がうれしい。
著者は「大道」や「大道商人」という言葉にこだわりがあるようだけれど、ぼくとしては「路上のババたち」の方がしっくりと来る。
インドの都市は年々激しく変化している。
おそらくテレビ、それも衛星放送の普及が拍車をかけているのだと思う。
欧米の文化がどんどん入り込む。
太古から延々と続いているような、「変わらないインド」と思われていた素朴な村々の生活も変わっていくのだろう。
まだ「変わらないインド」と思われていた時代。
その頃の、素朴な村と人々が収められた貴重な本、だと思う。
02年3月12日 †
去年の暮れから日記を付けていない。
久しぶりの書き込み。 (*^ ^*ゞ
先月末。
突然、親父が入院したという連絡があった。
「激しい頭痛と、顔面が麻痺してる」との事。
電話では状態がよく分からないので、兎にも角にも急遽帰省することにした。
夜行バスで、久しぶりに帰る青森。
朝7時前に到着。
着いたら「この冬一番の冷え込み」だという。
なんてこったい。( ^ ^ ;
凍結している道を履き古しのスニーカーで、歩いて我が家へと向かった。
顔が痛いくらい寒いっ!
除雪車が通った後の道はツルンツルンに磨かれていて。
さすがに転ぶことはないけれど、時々「ととと……」と踊りながら歩くのである。( ^ ^ ;
しかし。
久しぶりの(7年振りか?)故郷は、寒くて滑るけれど。
やっぱり暖かい気持ちになる。
うしろ(南)の八甲田山から右手(東)に連なる山並みに優しく包まれ。
扇状に拡がる平野。
前には陸奥湾が拡がっていて。
ぼくの生まれて育った所は、こんな優しい土地だったのか。
と、あらためて、しみじみ思った。
寒いけど。
あ。
親父の入院は。
ぼくが青森に着く前の日には痛みもなくなり。
顔面の麻痺も、多少気になる程度のものだった。
痛みも顔面神経麻痺に伴うものだったらしい。
病室で上半身を按摩した時。
頭皮がものすごく張りつめていたので、丹念に按摩した。
一泊してすぐ東京に帰って来たのだけれど。
帰宅した日に電話があった。
按摩後、残っていた麻痺もかなり軽減したとの事。
按摩さんやってて良かった。( ^ ^ )
★ ★ ★
ところで。
最近パソコンが変。
夜寝る時に電源を落として、朝スイッチを入れると……。
微かにファンが回るような音はするものの、起動する時の例の音がしない。
もちろんディスプレーは真っ黒なままだ。
時間を置いてスイッチのオン・オフをすると、一時間くらいで何故か起動していた。
……だったのだが。
最近は、起動するまで4〜5時間かかるようになってしまった。( ^ ^ ;
うはは。
「修理か?」とも思ったけれど、面倒なのでスイッチを切るのをやめた。
常時立ち上げっぱなしパソコン。
寝る時はディスプレーの電源を落とす。
省電力設定や自動的にディスプレーが切れる設定にすると、その状態から立ち上がらなくなってしまうし。
万年パソコン初心者には、原因なんて思い付くはずもない。( ^ ^ ゞ
02年3月15日 †
二日前、所沢駅前「くすのきホール」で「彩の国・古本まつり」が始まった。
3〜4ヶ月に一度、一週間くらい開催している。
今回の収穫。
- 主婦之友七月號附録 (昭和十五年発行)
醫學博士 原志免太郎著
『 灸点十点で 萬病を治すお灸療法 』
これが100円! ( ^ ^ )
この頃の「主婦の友」付録のイラストが好きだ。
けっこうリアルに描いているんだけど漫画テイストだし。
前にも書いたけど、下のが昭和8年発行の「主婦の友」付録、『漬物のつけ方二百種』の中のイラスト。
文章や絵、全体の雰囲気がホッとする。
- 肥田春充述 肥田道夫 編
『病は治る 必ず治る 一分間の強健法 』
全国農業出版株式会社
これは昭和30年発行の本。
「肥田式強健術」という名前は聞いたことがあったけど、ちゃんとした本を読んだことがなかった。
「肥田春充 ”述”」に惹かれて購入。
で、今読んでいるのが
朝日選書293
荒木博之 著
『やまとことばの人類学 日本語から日本人を考える』
こ、これは面白い。( ^ ^ ) ( ^ ^ )
視覚、聴覚、あるいは、心による認識だけでなく「そよ風が肌に心持ちよく感ぜられる」といった触感のあり方にも、日本語(やまとことぱ)の行雲流水性の趣きは感じとる ことできる。
この「そよ風が肌に心持ちよく感ぜられる」の「られる」は、いわゆる助動詞「れる」「られる」の自発用法と呼ぱれるものであり、そこでは「感じる」主体としての発語者の主体性はきわめて小さなものに抑圧されてしまっていることに気がつく。
こういった表現にあつては、どこからともなくやってきた「そよ風」と発語者との間には、ほとんどその対立関係といったものは存在せず、発語者と対象物とは、漠たるアトモスフィアのなかで、ひとつに溶け合ってしまっている趣さえあるように思われるのである。
考えや想い、感覚でさえもが、来ては去っていく、生じては消えていくという認識。
くぅ〜〜。
いいっスねえ。
そよ風が肌に心持ちよく感ぜられる
ここには、主体的な「する」や「した」といった行為性がない。
フト、生まれ生じる……、自然な現れ……。
風、が好きだ。
02年3月16日 †
少し前、テレビでインドやネパール、ブータンの紀行ものをやっていた。
風景や人々、子供たちはとっても良かったのだが、編集というか切り取り方というか、まとめ方がイマイチだった。
ともあれ、ブータンは一度は行ってみたい場所。
あれは7年前のインドだったか。
プーナにあるハラッパ氏のゲスト・ルームに、約半年間滞在していた時。
プーナにも少し飽きてきて、小旅行に出掛けることにした。
名付けて「デカン高原・ローカル・バスの旅」。
石窟寺院で有名なエローラと、初代サイババ(*注:日本でもお馴染みの、例の、あのアフロヘアのサイババではないっス)で有名なシルディをめぐる旅だった。
インドで「サイババ」といえば、もちろんこの「シルディのサイババ」を指す。
人々に数々の奇跡をもたらした、実在したお爺ちゃん。
今でもその功徳、お陰、奇跡を求めて、インド中から小さな村「シルディ」に人々が集まってくる。
上の写真がサイババの寺院の中。
かなり写りが悪い。( ^ ^ ;
下の方に写っている四角い石が、サイババがいつも座っていた石だそうな。
少年は、ぼくが無理矢理ガイドを頼んだ、寺院脇にある露天の少年。
あ、ブータンがらみの話をしようとしてたんだった。( ^ ^ ゞ
シルディの村をブラブラ散歩し。
村はずれにある茶店で一服。
日本への手紙なんかを書いていると、店員が寄ってくる。
「お前はチャイニーズか?」
「違うよ」
と、別の店員が「じゃ、ネパーリだ」
「ううん、違う」
そこへ、後ろから分け知り顔のオヤジが出てきた。
「うんにゃ、こいつはブータンだ」
と断定する。
周りの店員。
「おぉ〜」と納得。
こ、これ、これ。
勝手に納得するなってば。( ^ ^ ;
ちなみに、断定したのは上の写真のオヤジ。
オヤジこそ、どこの国の人だっちゅ〜ねん。
インド人には見えないゾ。