按摩さんの日記・過去ログ


01年9月9日


最近湿度の高い日が続いている。
台風が近づいているせいか、今日は特に湿っぽい。

湿度の高い日、お香の香りはいつも以上に色濃く薫る。
こんな日は日本のお香がいい。
乾燥している日はさり気なく。
湿度の高い日は味わい深く。

ここ4〜5年のお気に入りは『香司・鬼頭天薫堂』の「鎌倉五山」。
沈香ベースのさり気ない香りが好き。
たまに、これも沈香ベース『松榮堂』の「芳輪」もいいけれど、これはかなり濃厚。

「鎌倉五山」は、いつも「所沢SEIBU」の店で買っていたのだけれど、最近仕入れなくなってしまった。
店頭に並ぶお香を「くんくん」して探した結果、今は日本香道の「永寿」に。
しかし、いまいち納得していないのである。



01年9月16日


今日は日曜日。
朝イチの治療が、お馴染みNHK・FM「20世紀の名演奏」と共にはじまる。
今日はクラリネット奏者 ド・ペイエの特集とか。
もちろん、はじめて聞く名前だ。
クラシック音楽の知識なんて皆無なんだから。( ^ ^ ;

治療しながら肌に心地のよいクリネットの音色。
中でも全身が気持ちよく、軽やかに流れるような曲があった。
「気持ちいい曲だぁ〜」と感じつつ、 F氏に「この曲、綺麗ですねえ」と言うと、「さっきのがモーツァルトのクラリネット協奏曲で、次のが五重奏曲。(確かそう言ったと思う、けど、イマイチ自身がない ( ^ ^ ゞ) この五重奏曲はぼくのお気に入りなんだよ。素晴らしいねえ」。

しかし、「知らない」というのはうれしい。( ^ ^ )
クラシック音楽で知らない曲は、まだまだたくさんあるのだから。
今のところ気に入った曲で名前を知っているのは、ハイドンの弦楽四重奏曲第37番から第39番。
これはぷらばさんが図書館から借りてきてくれたCDだ。
それと今日のモーツァルトのクラリネット協奏曲。

気持ちいい〜〜。( ^ ^ )( ^ ^ )



01年9月17日


キャサリン・サンソン著「東京に暮らす」(岩波文庫)を読む。
イギリスの外交官夫人が昭和初期に来日、滞在した際の日本印象記。

風景、建物、人々の姿かたちは当時と随分と変わったけれど、当時の日本の心は、今もまだこの空気の中に残っている、と思う。
(と、思いたい。 ( ^ ^ ; )


中に按摩の話が載っていた。( ^ ^ )
(本文中では”マッサージ”と書いているけど。)
乗鞍岳登山に行った時の話。


私はとても疲れていたので、この分では明日の登山中に脚が動かなくなるかも知れないと心配になり、ガイドの親分にマッサージ師を呼んでくれるよう頼みました。
すると彼は「その必要はありません。私がやってあげましょう」と答えました。
私は嬉しくなって早速浴衣姿で横になり、マッサージしてもらったのです。



……略……



東洋の方が西洋よりも優れていることがたくさんありますが、マッサージの習慣もそのひとつです。
日本では入浴の一部になっており、誰でもやってもらっています。
一軒の家にはマッサージの上手な人が必ず一人はいます。




西洋よりもすぐれているもの、という表現は分かる気がする。
OSHOコミューンで西洋人に混じって「リバランシング」(マッサージなどのボディーワーク)のトレーニングを受けていた時。
日本人のからだへの触れ方は、本当に繊細で温かい。
それは西洋人の触れられて、あらためて知ったこと。

もちろん個人差はあるのだが、慣れていない西洋人の中には、まるで物を扱うようにからだに触れる人がいる。
血の通わない冷たいタッチ。

日本人の中にも慣れていない人はいた。
でも、慣れないながらもそのタッチは、相手のからだを尊重する血の通ったものだった。
実際、様々な人種が集まるOSHOコミューンの中で、日本人のマッサージは多くの人に愛されていた。


お爺さんやお婆さんが「按摩さんを呼ぶ」というのを聞いたことのある人もいるかも知れないけれど、昔は「按摩さん」はごく一般的な、日常に溶け込んだものだったような気がする。
治療業界では、「江戸時代、按摩は盲人の独占的職業となり、それ以来”娯楽・慰安”の業に墜してしまった」のような言われかたをしたりする。
そ、”治療”ではなくて”娯楽・慰安”。
ぼくは、これは、とってもよいことだと思う。
江戸時代以降、按摩さんは庶民の日常に溶け込む。
大層な”治療”としてではなくって。

”娯楽・慰安”は、いわゆる”治療”以上に大切なこと。
”娯楽・慰安”で”治療”が起きてしまうことはたくさんあるし。

按摩さんが生活の中に溶け込んだ社会って。
豊かで贅沢だなあと思う。


ところで「東京で暮らす」の著者が来日したのと同時期に発行された按摩の本が手許にある。
「家庭本位・寫眞説明 按摩法」渡邉あい子著(家庭マッサージ普及会)
という本。  



0917.jpg




昭和初期に発行された本が好きで、たまに古書店に行った時に衝動買いしたりする。
赤茶けた紙や言葉遣い、文章が好きだ。


按摩法は、勿論、充分に練習を要するものでありますが、それよりも、「按摩をしてあげたい」といふ優しい心、温い情けが、最も大切であります。
此の精神が、本當に先方に通じたならば、指や掌が肩に触れるか触れぬうちに、回復したやうな氣分になるのであります。



……略……



年の若い娘さん方が、老人や何かの肩や腰を揉み擦るといふことは、心有る者の眼から見れば最も美しい姿であります。
此の優しい温かい心情を十分に育んで参りますれば一身一家は自ずから平和に幸福に健康に導かれて行くことでございましょう。




01年9月18日


ここにお香の話を書いたら、友だちが「プルさん、所沢でお香買ってたんだあ。てっきり荻窪で買ってるんだと思ってたわ。荻窪Lumineに”鎌倉五山”売ってるわよ」と教えてくれた。
ラドンスパに行く途中寄ってみたら、なんと最後の一箱。
ラッキー。( ^ ^ )

家に帰ってさっそく焚いてみる。

ほよぉ〜〜。
この香りだぁ〜〜。( ^ ^ )( ^ ^ )

沈香ベースにちょっぴり甘さが混じっていて、とってもくつろぐのである。
我ながら、なんていいセレクトなんだ。
うはは。
所沢SEIBUにあるお香のお店、店内のお香すべてを「くんくん」して選んだだけはある。



01年9月19日


昨日、例のスピーカー制作者「アイカ・エンジニアリング」のしまりすねこ(ハンドルネーム)さんが来てくれた。
治療室の音響調整(という表現でいいのだろうか?)をする為。

部屋の中の不自然な高周波ノイズは、主に天井の四隅を処理することでかなりカット出来るという。
もちろん部屋全体を処理するのが一番なのだが、処理する材料の在庫が限られているのと経費の問題で、部屋の四隅と問題のある箇所だけに絞って調整することに。

普段は全然気にならない治療室の空気なのだが、四隅の一箇所を処理し終えた途端、そのスペースが抜けたように爽やかになる。
不自然な高周波ノイズ恐るべし。

それと同時に、逆に圧迫感や違和感を覚える場所が何ヶ所か浮き彫りになってくる。
それはやはり四隅が強く、場所によっては他の窪んだ角、または突き出た角だったりする。
とくに圧迫感、違和感が強い順に処理していき、ついに処理終了。

うはは。
治療室が爽やか〜〜。

処理後、しまりすねこさんを治療したのだが、治療中とにかく爽やかなのだ。
(しかし語彙の貧困なやつ。 σ( ^ ^ ;; )

治療中の感覚の違いは、今後お馴染みの患者さんを扱った時にいろいろ出てくるハズだ。


ちなみに、この音響に関する資料を、近々HPに掲載する予定だす。



01年9月20日


ここ数日、テレビのニュースを見ていると、憤りと苛立ちが募ってくる。

世界で展開されるストーリーの進行。
それに触発されて生じてくる感情。

フト、その感情、感覚そのものを感じてみる。

ストーリー、出来事に触発されて生じた感情ではあるけれど。
感情を、その触発された対象に向けるのではなく。
そのまま感じてみると。
それは、何かや誰のせいでもなく、単にぼくの内部にある感情だ。

憤り、苛立ち……。
それは、何か切迫した、腹から強烈に湧き上がる、叫び出したくなるようなエネルギー。


ラドン・スパに出掛ける時、本の山の中から

  「直霊の鏡」  山蔭基央/著(白馬出版)

を引っ張り出す。
足許を見直したくなった時、気合いを入れたくなった時。
度々読み返す本だ。

行き帰りの電車の中で読み進み。
駅から我が家へと歩きながら……。
お腹から湧き上がっていたエネルギーは、足から、大地から湧き上がるように感じられ。

憤り、苛立ちは、何か決意にも似た、力強さ に変わっていた。



9月22日


今日はモモヒキをはいた。




九段下でマッサージ!悠の癒
トップ   差分 バックアップ リロード   一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS