按摩さんの日記・過去ログ


01年10月5日


ここ数日「ぐ〜たらモード」。

仕事以外は何もやる気がしない。
寝室にふとんも敷きっぱなし。
ひとつ仕事が終わると、ふとんにもぐり込む。
そして時間が来ると着替えて一階に……。

もともとがぐ〜たらなのだが、たまに数日、それが集中して発症( ^ ^ ;することがある。
(2〜3年続いたこともあったな、そいえば)
こんな時、自宅開業の按摩さんは、表面的にはな〜んの変化もない。
一階の治療室にいる間は、いつもと変わらないし。

「仕事だから」というのもあるのだろうけれど、たぶん「人と会うこと」と「按摩」が、ぼくにとっての一番の娯楽だからかも。

こ〜ゆ〜時は、食事を作るのも面倒臭い。

ある日の朝食。
前の日のあまったコロッケとカレーヌードル。
「朝からカップラーメンかぁ?」とも思ったけれど、なんだかワクワクもする。
食べると妙に旨かったりして。
ジャンクフード万歳っ!

さて、またふとんにもぐり込むか……。



01年10月7日


昨日久しぶりにインド仲間のP君が遊びに来た。
楽しくて楽しくて、ついつい飲み過ぎ。
今朝はちょい二日酔い気味だった。 ( ^ ^ ;

P君は、ぷらばさんと共に89年〜90年のインド・プーナで一緒だった仲間。
ぼくは二度目のインドだったけれど、三人ともインド長期滞在は初体験だった。
そして「インド」といえば、三人ともに、この時のインドを思い出す。
インド原体験ともいえる空気を共有した仲間。

まだお師匠さんのOSHOが生きていた頃のプーナ。
そして、そのOSHOが亡くなった90年1月。
他のふたりは、現地のプーナで、その場で直面していた。

そして、ぼくはその日、帰国する飛行機の中。
突然滞在予定を変更し、彼女を残して帰国したのだ。
いつもの単なる気まぐれ。
おかげで、ギリギリのところでお師匠さんの死に目に会えなかった。


あの頃は、まるで天上界にでもいるような気分だった。
一日が一ヶ月のようにも感じられ、濃密な体験の中にいた。
まわりの風景も、インド人も、仲間も、一体だったような……。
そして常にOSHOの存在感があった。



90pune1.jpg



当時住んでいたアパートの一室。
なんか雑然としている。( ^ ^ ;
でも、ま、当時はこんな雰囲気だったな。
左から、なしま、パルちゃん、ぼく、ぷらばさん。


ところで「インド日記」の改装が手つかずなままだ。( ^ ^ ;
そろそろ手を付けようかとも思うのだが、更新することを考えると……。
少しずつやり始めるか。



01年10月9日


インド日記改め「チャイ屋で一服」のページを作る。
目次を作っていたら、それだけで満足してしまった。( ^ ^ ;
うはは。
しょうがないなあ。
ホントに作り続けるんだろうか。

今のところ、前に作ったものを作り替え中。

で、新しく画像のページも計画中。
さて、計画倒れで終わりはしないか?
我ながら楽しみだゾ。
うひひ。


最近よくイスラム圏の音楽を聞いている。
ヌスラット・ファテ・アリ・カーンのライブ録音版。
シリアの『アレッポの朗唱者』という、アザーンなどの朗唱を収めたもの。
『魅惑のペルシアン・ヴォイス』。

音楽はどれも、大人っぽくて男っぽいし魅惑的。
渋いっス。



01年10月10日


雨。
仕事の合間、今日もスーフィー音楽を聞いている。
焚いているのはインドのローズ主体のお香。

スーフィーというのは、イスラム教の中で主流を占めるコーラン原典主義とは違い、ひたすら神との一体化を目指す、仏教でいえば顕教に対する密教のようなものらしい。
厳格な経典主義から見れば、スーフィズムは異端中の異端。

11世紀の偉大なスーフィー、アブー・サイード。
メッカ巡礼(イスラム教徒に課せられた最高の義務)をしない理由を尋ねられた答え。

「一軒の石の家を訪問するために、わざわざこの足で何千里の土地を踏んで歩いていく、そんなことをして一体どうなるというのだ。本当の神人はじっと自分の家に座っているだけでいい。そうすると天井のカアバ神殿が向こうからやって、一昼夜のうちに何遍も彼にお参りしてくれるのだ。」

過去、多くのスーフィーたちが迫害、殺戮された。
922年、バグダッドの刑場で処刑されたスーフィー、ハッラージは

   「我こそは神」

という、コーラン至上主義者からみれば恐るべき宣言をした。
また9世紀、最大のスーフィーのひとりバーヤジード・バスターミーの言葉。

「蛇がその皮を脱ぎ捨てるように、私は自分の”自分”という皮を脱ぎ捨てた。そして私は、私自身のなかをのぞき込んで見た。どうだろう、私は”彼”だったのだ。」

これらのスーフィーの言葉は、

   『イスラム文化 その根底にあるもの』井筒俊彦著 岩波文庫

からの引用。
イスラム教の歴史的背景から丁寧に説明してあり、最初は読み進むのに少し苦労したけれど、最終章の「内面への道」と題したスーフィーの説明に差し掛かるあたりからぐんぐん惹きつけられてしまった。
読み物としてもお勧めの一冊。


ところで今聞いているCDは
『極秘イスラムの熱祷 トルコ アレウィー神秘教団の秘儀』

お祈りの歌で、渋い。

で、関係ないんだけど、その発音のところどころが津軽弁のように聞こえる。
なんか訛ってるんだよね。( ^ ^ ;
親近感を覚えるわ。



01年10月11日


昨日の日本テレビ、所さんの「笑ってコラえて」スペシャル。
世界ダーツの旅は、オマーン王国の砂漠にある町だった。
ムスリムの町。

砂漠で会ったおじさんが、いきなり剣を片手に踊り出す。
一緒に見ていたぷらばさんが「これ、ネブタ踊りだ!」と叫ぶ。

……確かに、そうだ。( ^ ^ ;
ネブタの跳ね方と一緒。
片足で二回づつ跳ねてやがる。
上半身のアクションもあまりないところも一緒だ。

オマーンと津軽はどこかで繋がってるのか。
……って、んな訳ないか。( ^ ^ ;うはは


ところで、砂漠の町でテレビクルーと出会って大はしゃぎなムスリムのおじさんたち……。
その素振り、話し方、ノリ。
インドはプーナ、ぼくと大の仲良し爺ちゃん、マッサージ・ババにソックリ。( @ o @ )
自分のペースでご満悦なところや、それを人に強要するところ……。( ^ ^ ;
マッサージ・ババもムスリムだし。

「ぎゃーっ! マッサージ・ババがいっぱいいるーっ!」
と、ぷらばさんとふたりで思わず叫んでしまった。

マッサージ・ババは、ごくたまに、感情がたかぶると。
ぼくたちはモチロン、周りのインド人も、何人も手が付けられなくなるのである。( ^ ^ ;;



01年10月12日


やったあっ!!( ^O^ )

暇つぶしに荻窪のレンタルビデオ屋さんを覗いたならば……。
そこはインド映画の宝庫だった。( ^ ^ )

(と言っても「他と比べて」ってことなんだけどね。( ^ ^ ;)

所沢や秋津で探してもなかったビデオを三本も発見!

『地獄曼陀羅 アシュラ』
『ボンベイ』
『サラーム ボンベイ!』

『地獄曼陀羅 アシュラ』とわ。
「めもメモ2」の9/4のところにも書いた、あの「アンジャーム」の劇場公開時の題名。
「ダサい名前つけるなあ( ^ ^ ;」とボヤいたものだったが、もう題名なんかどうでもいい。
うはは。
これで、またマドゥーリさまの美しいお姿と、、、、。
あのっ!
あの、ドルガーに捧げる、勇ましく美しい音楽が聞ける!
のである。

うはは。
うはははは。

今日は忙しいしぃ。
明日、ゆっくりと鑑賞するぞぅお。( ^ ^ )

ちなみに『ボンベイ』は、マニラトナム監督&音楽はインドの小室哲哉といわれる( ^ ^ ;ラフマーンの作品。
シリアスなストーリーなのだけれど、映像と音楽が素晴らしい!

『サラーム ボンベイ!』は有名な映画らしいのだが、未見。
楽しみ、楽しみ。( ^ ^ ) ( ^ ^ )


ビデオ屋さんには、他にもマニラトナム監督の『アンジャリ』や、ハリウッド初のインド映画『ジーンズ 世界は二人のために』もあったのだが。
ふたつとも嫌いだったのでパスした。( ^ ^ ;




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