この文章は「THE PSYCHOLOGY OF THE ESOTERIC」の中の一章「BECOMING AND BEING」の翻訳です。
1990年に「OSHO commune International」から許可を得て雑誌「Ya-hoo」およびその特集号「Healing Magazine special」に掲載したものです。

その後別の訳者により「瞑想社」から一冊のまとまとまった本「秘密の心理学」として出版されています。
ここでは「心理学」ではなく、敢えて「秘教の科学」と題していますが、ぼくたちの妙なこだわりとしてご了承下さい。
書籍の購入等は「OSHO.com」または「和尚サクシン」がよいと思います。

また当翻訳のWeb上への掲載が何か問題を有するとしたら、管理者宛メールを下さい。>関係各位様




7つの身体の緊張とくつろぎについて、何か話して下さい


すべての緊張の最初の源泉は、なっていく(Becoming)ということだ。
人は常に何かになろうと試みている。
誰も、彼のあるがままの自分自身でくつろいではいない。
在ることは受け入れられず、否定され、そして何か他のものがなるべき理想として受けとめられている。
根本的な緊張は常にあなたが在る状態と、あなたが熱望していることとの間に存在する。


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あなたは何かになりたいと望む。
緊張とは、あなたが在る状態に満足せず、そうでないものになりたいと切望していることを意味している。
緊張はこの二つの間に作られる。
あなたがなりたいと望むものは見当違いだ。
もし金持ちに、有名に、有力になリたいと望むなら。
いや、自由になりたい、開放されたい、神のようになりたい、不死になりたいと考えていたとしても、救済やモクシャ(絶対的な開放)を熱望してさえ、緊張はそこに同じように起こるだろう。


あるがままのあなたに反対して、未来に達成されるべく望まれたものは何であれ緊張を作り出す。
理想が不可能であればあるほど、もっとたくさんの緊張が必ず存在する。
だから唯物論者は宗教的な人ほど緊張していない。
なぜなら、宗教的な人は不可能なはるか遠くを切望しているからだ。
その距離はとても大きいので、大きな緊張だけがその間隔を埋めることができる。


緊張はあなたが在るものと、あなたがなりたいと思うものとの間隔を意味している。
間隔が大きくなれば緊張も大きくなるだろう。
もし間隔が小さければ緊張も小さくなるだろう。
そして、もしまったく間隔がなけれぱ、それはあなたが自分で在ることに満足して ることを意味する。
言い換えれば、あなたは自分で在る以上の何ものも望んでいないのだ。
その時あなたのマインドは瞬間に存在している。
そこには緊張すべき何ものもない。
あなたは自分自身にくつろいでいる。
あなたはタオ(道)の中にいる。
もし間隔が存在しなければあなたは宗教的だ。
あなたはダルマ(法)の中にいる。


間隔はたくさんの層を持ち得る。
もしその切望が肉体的であれば、緊張も肉体的になるだろう。
あなたが特別な体、特別な姿を求める時…もしあなたが肉体のレベルで、あるがままのあなたと異なったものを切望していたら…その時あなたの肉体に緊張が存在する。
ある者はもっと美しくなりたいと思う。
さあ、あなたの体は緊張してくる。
この緊張はあなたの第一身体、生理的な部分に始まるが、もし長びいて一定の状態になったなら、それは深くあなたの存在の他の層まで広がっていくかも知れない。


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もし、あなたがサイキックな力を切望していたら、緊張はサイキックなレベルで始まリ広がっていく。
その広がリはちょうど、あなたが湖に石を投げ入れた時のようだ。
それは特定の場所に落ちるが、それによって作られた波は限リなく広がっていくだろう。
それで緊張は7つの身体のどれか一つから始まるかも知れないが、最初の源泉は常に同じだ。
すなわち、あるがままの状態と、なりたいと切望する状態の間隔だ。


もしあなたが特別なタイプのマインドを持っていて、それを改めたいとか変えたいと思うなら…その時緊張は作り出される。
私たちが完全に自分自身を受け入れる時だけ緊張は存在しない。
この完全な受容は奇跡、まさに奇跡だ。
自分自身を完全に受け入れている人を見いだすことはまさに驚くべきことだ。
存在それ自身には緊張はない。
緊張は常に仮説的で、実在し得ない可能性のせいで起こる。
現在に緊張はない。緊張は常に未来指向だ。
それは想像から来る。
あなたは自分自身をあるがままとは違う何かとして想像することができる。
この想像する能力が緊張を作り出す。
そして人は想像力がたくましければたくましいほど、もっとたくさん緊張する可能性がある。それで想像力は破壊的になって来た。


想像力は同じように建設的、創造的にもなり得る。
もしあなたの想像する能力全体が、未来でなく現在に、瞬間に焦点が当てられているなら、あなたはあなたの存在を詩として見始めることができる。
あなたの想像力は望みを作らない。
それは生きることに使われている。
この現在に生きることは緊張を超えている。


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動物たちは緊張しない。
木々は緊張しない。
なぜなら彼らには想像する能力がないからだ。
彼らは緊張を超えているのではなく、緊張以下なのだ。
彼らの緊張は今の所ただの可能性でしかない。
それは現実になったことはない。
彼らは進化している。
いずれ彼らの存在の中で緊張が爆発し、未来を切望する瞬間が来るだろう。
それは必ず起こる。
想像力は活動的になるだろう。


想像力が活動的になる初めのものは未来についてだごあなたはイメージを作リ出し、そこに現実味がない為にもっともっとイメージを作り出し続ける。
しかし現実に関する限りあなたは想像することはできない。
どうやって現在に対して空想的になれるだろうか、そこには何の必要もないように見える。
この点は理解されなけれぱならない。
もしあなたが現在に意識的でいることができれば、あなたは想像の中で生きてはいない。
その時想像は存在それ自身の内に自由に想像し始める。
正しい焦点だけが必要とされている。
もし想像力が現実の上に焦点づけられたら、それは創造し始める。
創造はいろいろな形をとるかも知れない。
もしあなたが詩人ならば、それは詩の爆発になる。
詩は未来を切望するのではなく、現在の表現となるだろう。
またあなたが画家ならば、その爆発は絵の爆発となるだろう。
絵はあなたが想像した何かを描くというものではなく、あなたが知っていて生きているものになるだろう。


あなたが想像の中で生きていない現在の瞬間はあなたに与えられる。
あなたはそれを表現することもできるし、さもなければ沈黙の中に入っていくこともできる。
その沈黙は今や練習された、死んだ沈黙ではない。
この沈黙もまた現在の瞬間の表現なのだ。
その瞬間はとても深いので、今や沈黙を通してしか表現することができない。
詩でさえも充分ではなく、絵でさえもそうだ。
表現は不可能だ。
この沈黙は否定的なものではなく、むしろ肯定的な開花なのだ。
何かがあなたの中で花開いている。
沈黙の花だ。
そしてこの沈黙を通して、あなたが生きているすべてが表現される。


つづく


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