~ 肉の事を&ruby(おも){念};ふは死なり、靈の事を&ruby(おも){念};ふは&ruby(いのち){生};なり、安きなり。(羅馬書第八章)~
幼き時に親失せて、たよる
身は
あはれ貧しき按摩也、
玉なす汗の夏の日も、
氣息いきさへ氷る冬の夜も、
唯
唯
此の世の中を渡る也、
されば昔はしかすがに、
不幸の
薄命の身を嘆きては、
天をも世をも恨みしを、
「愛なる神」を信じ來て、
「
思へば嬉し、あゝ
今は世界の
一人にて負ふ心地せり、
惡魔に、あたら、
妾れには眼なし、然れども、
みめぐみ深き我が神は、
汚れに満つる肉の世に、
地上の物は見えずとも、
天の光を認むべき
吹く
神の
つく
神の
妾れに
妾れに迷はん恐なし、
肉の
地上の
靈の者のみ
天の者こそ
空しく消ゆる塵の世に、
過ぐるも
妾が得る
肉の
妾が信仰は薄けれど、
靈の糧には餘りあり。
思へば嬉し、あゝ嬉し、