乙女按摩 †
爾曹天に在る者を念ひ、地に在る物を念ふ勿れ。(哥羅西書第三章)
肉の事を念ふは死なり、靈の事を念ふは生なり、安きなり。(羅馬書第八章)
妾れは盲目の按摩なり。
幼き時に親失せて、たよる兄弟姉妹一人なく、
身は孤児の乙女にて、
あはれ貧しき按摩也、
玉なす汗の夏の日も、
氣息さへ氷る冬の夜も、
唯一本の杖に倚り、
唯一管の笛吹きて、
此の世の中を渡る也、
されば昔はしかすがに、
不幸の宿縁かこちつゝ
薄命の身を嘆きては、
天をも世をも恨みしを、
「愛なる神」を信じ來て、
「永遠の生命」を求め來て、
思へば嬉し、あゝ妾が身、
今は世界の祝福を
一人にて負ふ心地せり、
他人は物見る眼の故に、
形色美しき現世の
惡魔に、あたら、誘惑はれ、
罪悪の巷にさまよひて、
滅亡の淵に身を沈む。
妾れには眼なし、然れども、
みめぐみ深き我が神は、
心靈に眼をぞ與へける。
汚れに満つる肉の世に、
地上の物は見えずとも、
永遠に聖けき靈界に、
天の光を認むべき
眞の眼有つ妾が身には、
誘惑ふ惡魔遠退きて、
羽ぐくむ天使ぞ伴へる。
吹く笛管に妙しくも、
神の御聲の聞ゆなり。
つく杖竹に妙しくも、
神の御力こもるなり。
妾れに躓く憂なく、
妾れに迷はん恐なし、
肉の快樂も何なりや、
地上の幸福も何かせむ、
靈の者のみ神聖くして、
天の者こそ永遠なれや。
空しく消ゆる塵の世に、
榮燿る花をも紅葉をも
拂ひて潔き妾が袂、
過ぐるも平和き春秋や。
妾が得る代は少きも、
肉の生命を支ふべし、
妾が信仰は薄けれど、
靈の糧には餘りあり。
思へば嬉し、あゝ嬉し、
市街の隅隈廻ぐる也。