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按摩マッサージ掲示板


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過去ログ保存件数の変更 投稿者:puru 投稿日:2010/03/23(Tue) 11:36 No.376   

この掲示板、デフォルトでの過去ログ保存件数が100件になっていました。
見逃していた。(^^;

トコロテン式に消えてしまった過去ログ多数あり。orz

ところで、気づいたのは過去記事へのスパムコメントがキッカケ。
既に消えてしまったスレッド関連記事で、しかもけっこう気持ち悪い記事だったので、ついでなので管理者独断でこれを削除。

という訳で、急遽保存件数を引き上げました。
100件から10,000件まで。

訪問者の少ない掲示板ではありますが、今後もよろしくお願いします。m( _ _ )m

視力アップと輝く瞳 投稿者:puru 投稿日:2010/03/15(Mon) 12:07 No.364   

以前、テレビで中川式ビジョン・セラピーが紹介されていました。
ビジョン・フィットネスセンター所長の中川和宏さんが紹介する視力回復トレーニングなのですが、一日数分のトレーニングで視力をアップさせるというもの。

目にまつわる筋肉のストレッチにもなりそうなので、時々やっていました。


■クロージング&オープニング

まず10秒間目をギュッとつぶります。
眼球をギューッと絞るように、自分のまぶたで強圧する感じ。
次ぎに目を見開いて真上、頭のてっぺんを見るつもりで出来るだけ眼球を上後ろに回します。
この時、頭は極力動かさないように、目と一緒に上を向かないようにします。
これも10秒間。

目を閉じる時も見上げる時も、往々にして呼吸を止めてしまい勝ちなので、呼吸を忘れないようにした方が良いと思います。
呼吸を止めると、無駄に緊張してしまうので。

真上が終わったら、また眼球を絞るように目を閉じ10秒間。
次は真下、おヘソを見るつもりで極力眼球を下後ろに回します。

この後も合間に眼球を絞るように目を閉じ、真横右を右後ろを見るように見、閉じ、真横左を左後ろを見るようにして、閉じます。

このトレーニングだけでもかなり面白いです。
ぼくの場合老眼がはじまっているせいもあるのか、他の3方向の時には感じないのですが、真上を見る時に目の上部の筋肉に鈍い痛みが走っていました。
おそらく他の方向に比べて筋力が衰え、筋肉が使えない状態になっていたのだと思いますが。
それが、このトレーニングを続けることで鈍いが痛みが減少していき、以前より上が見やすくなってきています。


■8の字を追う

片手の人差し指を顔に向けて目の前に置き、大きく横8の字にゆっくりと動かしていきます。
そして、動く人差し指を目で追います。

この時、横8の字は視野ギリギリくらいに大きく動かすと良いと思います。
眼球が大きく動いて、いかにも眼球運動を司る筋肉が気持ちよくストレッチされている感じがします。


■焦点のトレーニング

目の前で上を向けて人差し指を立てます。
その人差し指を、顔からすーっと遠ざけていき、またすーっと目の前に近づけます。
どれくらいやればいいのか忘れてしまったので、適当な長さやって終わり。

ところで、この中川式ビジョン・セラピーは昔プラバさんが触りの部分を受けたことがあるとか。
この焦点のトレーニングをやりながら「これ、焦点が合わない所に指が移動する時、なんかすんごい気持ち悪いんだよね」とつぶやいていると。
「こうやるといいかも」と教えてくれたのが以下の方法。

片手人差し指は焦点が合うちゃんと見える位置に置き、もう片方の人差し指は焦点がぼけはじめたあたりに置き。
両方の指を交互に見ます。
すると、焦点がぼけていた方の指も見やすくなるんです、これが。
焦点がぼける遠い方と近い方でやってみたら、すごく目が楽になり、部屋を見回して見ても視力が上がっているのがわかります。

そんなぼくを見たプラバさん、「プルさん、目がキラキラ輝いてるよ」とおっしゃいます。
え? と思い鏡を覗いてみると、ホント、瞳がキラキラ輝いているじゃありませんか。(@o@)
眼筋や眼球、水晶体がゆるむと、瞳の輝きが増すのかも知れませんね。

ん〜。
中川式ビジョン・セラピー、面白過ぎる。(^^)

眼球の凝りがゆるむ - puru 2010/03/17(Wed) 11:45 No.366
前回書いた中山式ビジョン・セラピーのトレーニングは毎日続けています。
トレーニング後は、PCのディスプレイから顔の位置を遠ざけないと、ちょっとクラクラするようになります。
それくらい視力はアップするみたい。

ところで、「クロージング&オープニング」で10秒間眼球を絞るように眼をつぶる際、今日は顔全体をすぼめるように思いっ切りまぶたをつぶってみました。
すると、当然のように眼球には多少鈍い痛みが生じ、閉じた視界の中に光線が飛び交います。
これは、閉じたまぶたの上から指で眼球を圧迫した時に現れる光と一緒。

ところが、鈍い痛みも光も最初だけで、二回目以降はないです。
これって、凝っていた眼球(または周囲の筋肉)がゆるんだってことですよね。
というか、感覚的には明らかにそうです。

まぶたでの自力眼球圧迫って効きますね。


ドライアイ(?)に朝の伸び 投稿者:puru 投稿日:2010/03/12(Fri) 18:38 No.363   

ここのところ、朝目覚めて目が乾いているのに気づきました。
まばたきをすると、なんか乾いた感じで気持ちよくないのです。

ふむ。
いつ頃からこうだったんだろ?
そういえば、以前は習慣化していた起きあがる前の伸びをしていませんでした。

という訳で、ふとんから起き出す前に、いろんな姿勢で伸びを4、5回。
伸びをする度にアクビが出、涙が出てくるのですが……。
一回伸びをするだけでは、目が潤いません。

3回目くらいから目が潤いはじめ、5回も伸びをしていると、目の周りがぐしょぐしょに。

これでようやく目がイイ感じです。

それにしても、これはドライアイというヤツなのでしょうか。
ともあれ、当分はまた寝起きの伸びをしてから起きあがるようにしてみます。

時々しあわせな仮想現実 投稿者:puru 投稿日:2010/03/12(Fri) 07:24 No.362   

ぼくは、世界を”ありのまま”には見ていなくて。
ぼくの思考や認識で、勝手に自分色の現実世界を造っているんですよね、たぶん。

ところで、ぼくは自分がしあわせに生きたいと思っているので。
自分がしあわせな感触を、体感イメージで味わってみたりします。
全身の感覚が、身軽に自由にのびのびと拡がって、ほのぼのニコニコあたたかくて優しい感じ……。

どうせなので、ぼくの身の回りの人たちも一緒にしあわせな感覚に包まれていると想像してみると。
想像して感じている、その瞬間は、ぼくの身の回りすべてが優しくてしあわせなのです。
「世界は、なんてしあわせなんだ」そんな感じ。

そして、すぐに。
いつものガサツな日常に帰還しちゃうのですが。

呼吸でストレッチ 投稿者:puru 投稿日:2010/03/08(Mon) 11:09 No.358   

治療を続けていて経験的に思うのは。
体側全般の緊張は、自己制御というか自分を制限するものではないか、ということ。
体側が緊張していると、その分、視野やフットワークが狭くなる気がします。

「脇を締める」という言葉からも、文字通り脇の下。
脇の下ばかりではなくて、胸側や腹側、大腿骨頭が位置する骨盤の横、太もも外側部、下肢外側部から踵の外側……。

いつも出来るだけ風通しのよい体でいたいので、当然毎日これら体側のストレッチをしているのですが、いわゆる伸ばすためのストレッチではなくて、楽に気持ちよく呼吸が入るためのストレッチをしています。

参考:「呼吸を開く」(http://tao.main.jp/anma_pukiwiki/index.php?%B8%C6%B5%DB%A4%F2%B3%AB%A4%AF

体側を伸ばすいろいろなストレッチの姿勢を取りながら、伸びている側は特に留意せず、縮んでいる側、部分に呼吸を入れるようにして、吐く息とともにくつろぐ。

伸びている側は特に留意せずとも、ピンと伸びた感覚(ツッパリ感または痛み)が生じていて意識のフォーカスも集まっています。
逆に縮んでいる側はほとんど意識されず、感覚的には光の当たっていない暗闇です。
ここは縮んでいる側の感覚を呼び覚ますためにも、意識の光を当ててあげたいところ。

縮んでいる部分に呼吸を入れるように息を吸うことは、縮んでいる部分が微妙にうごめいて、その部分の筋肉が目覚める絶好の機会になります。
「呼吸を入れることが出来る」というのは、その部分が呼吸を入れるために「微妙に動くことが出来る」ということ。
そして、この呼吸で「微妙に動く」というのは、普通ストレッチで働きかけるような表層筋ではなくて、主に深部筋が働くことになります。

好きです、この感覚。(^^)

陰陽のバランスを重視するのが東洋思想や東洋医学ですが、陽が生じれば必然的にその裏には陰があります。
ストレッチで伸ばされる側は陽になる訳ですが、そこがそれ以上伸びないということは、その裏の陰にそれ以上陽を支えるエネルギーが無い、ということになります。
ですから、縮んでいる側に感覚や意識の光を当てるというのは、陰陽理論からいえば理に適うというか至極当然のこと。
感覚や意識の光が当たることで、陰のエネルギーが充実して余裕が生じると、逆の陽側もより自由に伸びることになっちゃうのです。

イケてますね、陰陽理論。(^^)

例えば、膝を曲げると膝頭周囲に痛みが走ったり腿がツッパったりする時、治療師であればまずその陰側にあたる膝の裏を確認することになると思います。
陰側の膝裏深くに凝りがあり、それ以上膝を曲げる(膝裏が縮む)ことを支えられない状態になると、陽側の腿がツッパったり膝頭周囲に痛みを生じさせて、それ以上膝が曲がらないようにしていることが多いです。

体は面白いですne。(^^)

デヴァヴァニ瞑想 投稿者:puru 投稿日:2010/03/07(Sun) 15:03 No.355   

数あるOSHO瞑想の中でも、幾分マイナーな感のあるデヴァヴァニ瞑想。
何せ、他のOSHO瞑想はCD版が用意されているのにもかかわらず、この瞑想だけはCD化されず未だにオーディオテープ版しかありません。
しかも、古い録音の為に音質も悪いです。(^^;

この瞑想、個人的にものすごく気に入っている瞑想のひとつです。
身も心もトロトロにとろけるように脱力し、静けさとあたたかさに包まれます。

1時間の瞑想として紹介されることが多いですが、当初は就寝前のくつろぎの瞑想としても紹介されていました。


==========================
 毎晩、眠りにつく前に、ちょっとした技法をするとよい。
 それは大いに役に立つ。
 明かりを消し、あとは眠るだけにしてからベッドに入る。
 十五分間座りなさい。
 目を閉じて、短調で意味のない音声を出すようにする。

 たとえば、「ラ、ラ、ラ……」、「ラァ、ラァ、ラァ、……」。
 それから、心に新しい音が湧いてくるのを待つがいい。

 ただ覚えておくべきことは、その音声や言葉が自分の知っている言葉であってはなら
 ないということだ。

   …中略…

 何であれ知らない言語で話すことだ。
 しばらくのあいだは、むずかしいだろう。
 だが、それも最初の日だけだ。
 知らない言語をいったいどうやって話せばいいのだろう。
 だが、それはただ話されることならできる。

 そして、ひとたびそれが始まれば、ただ意識を取り去って無意識に話をさせるだけで、
 音や意味のない言葉が出てくるようになる。

 無意識が話すときには、それ自体は言葉を知らない。
 これはきわめて古い技法だ。
 それは旧約聖書に始まる。
 当時は「異言(いげん)」と呼ばれていた。
 アメリカのある協会ではいまでも用いられ、「舌でする話し」と呼ばれている。

 これはすばらしい方法だ。
 無意識のなかへ浸透してゆくもっとも深いもののひとつだ。

   …中略…

この十五分間は、心の意識的な部分をとても深くくつろがせる。


それから、横になって眠りなさい。
あなたの眠りはより深くなる。
数週間のうちに眠りはとても深くなって、朝にはまったく新鮮に感じるだろう。
==========================
〜「新瞑想法入門」和尚 スワミ・デヴァ・マジュヌ/訳より http://www.amazon.co.jp/gp/product/4881781707?ie=UTF8&tag=puruanma-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4881781707


まだ言葉を話せない幼い子どものように、「らぁ、らぁ、らぁ……」または「んまぁ、んまぁ、んまぁ……」とささやくように話しはじめ。
あとは、唇が、口が動きたいように任せます。

もし顔を動かしたくなったら、言葉とともにアゴや頬、唇、鼻、目、額も、好きなように動きたいがままに動かします。
舌や口腔、鼻腔の中、口蓋の奥など、脳味噌の中身までうごめくかのように……。

昨日やったばかりなのですが、思い出すだけでもとろけそうになります。^^


実際にやってみようと思ったら、まずは1時間(4ステージ)の瞑想から入るとよいと思います。
最初は経験者とともにやるのがお勧めですが、テープを入手出来れば独習も可能かも知れません。
現在、この瞑想テープを入手出来るのは、日本では市民出版社しか知りません。

市民出版社:瞑想カセットテ−プ シリーズ 2
http://www.shimin.com/tape/TapeMed2List.html

上記ページで詳細を確認してみて下さい。
e-mail、FAX、電話での注文に応じているようです。

以下が1時間のデヴァヴァニ瞑想の内容です。

==========================
 ■第1ステージ(15分間)
 静かに座ります。この間、穏やかな音楽が流れます。

 ■第2ステージ(15分)
 意味のない音声を出しはじめます。たとえば「ラ、ラ、ラ、ラ、ラ……」というように。
 耳なれない言葉めいた音声がでてくるまでつづけます。
 その音声は、言葉を覚える以前、幼児期に使われていた頭脳の、今ではなじみの薄い部分
 から出てこなければなりません。
 穏やかな会話のような調子を保ちます。
 泣いたり、叫んだり、笑ったり、悲鳴をあげたりしてはいけません。

 ■第3ステージ(15分)
 話し続けながら、立ち上がります。
 身体がその音声と調和しながら、柔らかく動くにまかせます。
 身体がゆったりとくつろいでいれば、自分の制御を超えたところで、微妙なエネルギーが
 ラティハンを引き起こすでしょう。

 ■第4ステージ(15分間)
 横たわって、静かに内側を見守ります。
==========================

はじめてのガイドとの遭遇 投稿者:puru 投稿日:2010/03/06(Sat) 11:45 No.352   

先日、モンロー研究所のヘミシンク・メタミュージック「シャーマンズ・ハート」をお試し。

・ザ・シャーマンズ・ハート
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B002LUXR98?ie=UTF8&tag=puruanma-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B002LUXR98

一度目は「なんとなくブレスセラピーをやってる感じと一緒かも」的感想でしたが、二度目にやった時はかなり没入。

流れる情景に漂い、そして情景の中を飛んでいく感覚。
現実に横たわっている体は意識出来るのですが、エネルギーというか感覚としての体が情景の中に漂い、そして飛んでいく感じ。

その内、視野の端の方に浮世絵にあるような年増のおかみさんがチラチラ出現し。
いきなり目の前にどアップでズームイン。

ひょっとしたら、これが噂に聞くガイド的存在なのかと。
「ひょっとして、ガイドっすか?」と聞くと、ニヤッとお笑いになられます。
メッセージなんかを伝えてくれるという噂なので、その旨尋ねると。
「たまには遊びにいらっしゃいよぉ」と、江戸の町に消えていきました。

ふ〜む。
これがガイド的なものでしたか。

いや、もちろん、人によってはもっと違う見え方感じ方なのかも知れませんが。
とりあえず、今のぼく的にはこんなものなのでしょう。

ところで、ガイドからのメッセージですが。
このセリフ、ぼくの内側から出て来たものです。
とはいえ、顕在意識的ぼくの想定外のセリフであり。
顕在意識的想定外とはいえども、感触としては何やら思い当たらないでもない……。

そう、そう。
この感触は前にもありました。

ぼくが信頼するサニヤシン(OSHOのお弟子)のひとり、マンガラのタロット・リーディングを受けている時の感触に似ています。
彼女のリーディングを受けている時、彼女の語る言葉は、まるでぼくが喋っているような感覚。
ぼくの顕在意識と無意識の狭間、または無意識の顕在意識近い所に漂っている想いを、彼女の口を通して聞いている、そんな感じ。

なるほど、そんな感触でした。
ヘミシンク、けっこう使えるツールかもですね。

ところで、ガイド(または、ぼくの無意識)から出て来た言葉ですが。

>「たまには遊びにいらっしゃいよぉ」と、江戸の町に消えていきました。

その後、顕在意識的にも明らかになって来たのは。
この、「たまには遊びにいらっしゃい」と招かれている場所は、身体のより深くて微細な感覚的世界。
「江戸の町」は、簡略に表現すれば、江戸期に書かれたものやその他古典の世界。

古典を通して身体の深くて微細な感覚的世界にもっともっといらっしゃい、みたいな感じでしょうか。

この後、下に書いている「五行(四気)を体感的に理解してみる」に、もっと深化した形で没入するようになるのですが、それもその内書くことになると思います。

五行(四気)を体感的に理解してみる(1) 投稿者:puru 投稿日:2010/03/04(Thu) 18:26 No.348   

東洋医学や占術、太極拳などの基本的理論となる陰陽五行理論・木火土金水ですが、慣れてくると木火土金水それぞれの概念は掴めてきます。
概念はなんとなく掴めるのですが、それらをもっとダイレクトに感覚的に理解してみたい。
そんな思いから、昨年あたりから五行を実感的に理解する練習をはじめてみました。

ところで、天地開闢説話としては中国の文献上最も古い記述といわれる「淮南子」天文篇に、五行のもととなるであろう四時から万物が生成される様が次のように描かれています。

==========================

天地未形、馮馮翼翼、洞洞灟灟
故曰太始
太始生虚鄠、虚鄠生宇宙、宇宙生氣
氣有崖垠、清陽者薄靡而成爲天、重濁者凝滞而爲地
精妙之合専易、重濁之凝竭難
故天先成而地後定
天地之襲精、爲陰陽、陰陽之専精、爲四時、四時之散精、爲万物
 「淮南子」天文篇より

 天地未だ形あらざる時、馮馮翼翼(ひょうひょうよくよく)、洞洞灟灟(どうどうしょくしょく)たり
 故に太始という
 太始は虚鄠(きょかく)を生じ、虚鄠は宇宙を生じ、宇宙は気は生ず
 気に崖垠ありて、清陽なるものは薄靡して天となり、重濁なる者は凝滞して地となる
 精妙の合専するは易く、重濁の凝竭するは難し
 故に天先ず成り、地のちに定まる
 天地の襲精は陰陽となり、陰陽の専精は四時となり、四時の散精は万物となる</font>

 混沌と存在していた太始から虚&#37152;(きょかく)が生じ、その虚&#37152;から宇宙が生まれ、気が生じる。
 そして、清陽の気は上って天となり、重濁な気は下がって地となる。
 また、天地の精気は陰陽となり、陰陽の精気が集い四時が生まれ、四時の精気が散じて万物を生じる。

==========================

古代の人々は、このような天地開闢説話を理論的想像力で描いたのでしょうか。
それとも、瞑想的な深化により感知したものなのでしょうか。

そういえば、左脳的分析や時間と空間の観念が落ちた時、右脳的感覚では時間の観念や自他の区別がなくなり、存在との一体感の中でただただ至福に包まれると聞きます。(「奇跡の脳」ジル・ボルト著http://www.amazon.co.jp/gp/product/4105059319?ie=UTF8&tag=puruanma-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4105059319

個人的には、古代の人々が瞑想的に感知したものを土台として説話を描いたのであり、この宇宙開闢説話は時空を超えた次元のまさに”いま、ここ”に展開されているものなのではないか、などと妄想したりするのですが……。


この万物の元となる四時は、四気でもいいでしょうし四季でもいいと思います。
四季は地球が太陽の周りを公転することで太陽の熱エネルギー照射角が変化する春・夏・秋・冬。
四気は五行の木火土金水の中の四つのエネルギー状態、木・火・金・水。

四季や四気には土用や土が含まれていませんが、この土に関して※五行大義」第二辨體性に次のように述べられています。

==========================

居位之中、總於四行、積塵成實。積則有間。有間故含容。

 (土は)位の中に居り、四行を総し、塵を積みて実を成す。積もれば則ち間あり。間有る故に容を含む。

土は中心に位置し、四行(木火金水)を統括し、塵を積んで実をなす。
積もれば間が出来、間があるからそこに容(かたち)をおさめる。

==========================

土は、中心に位置していて間に形をおさめ、四行(木火金水)を統括する。
考え方としては、この土を「四行(木火金水)が働く場」として捉えれば良いと思います。

例えば、肉体(脾体、脾臓・土)を場として肝臓(木)、心臓(火)、肺臓(金)、腎臓(水)のエネルギーが働く人体、というように。
また、家を場とした場合、朝日が昇る陽に晒される東側は木気を帯び、中天の陽に晒される南側は火気を帯び、沈む西日に晒される西側は金気を帯び、常に日陰に位置する北側は水気を帯びている、というように、場には常に四気エネルギーが働いています。


 ※五行大義」とは、先秦から隋の時代までの五行説を集成・分類したという書物。
 中国では早くから失われてしまいましたが、日本へは平安時代初期の「続日本紀」に既に記述が
 見られ、日本の平安貴族文化、陰陽道、仏教などに多大な影響を及ぼした書物です。
 「続日本紀」には陰陽道の教科書として記されていて、日本の陰陽道に早くから影響を与えてい
 たことがうかがえます。
 特に陰陽道の安倍、賀茂両家の陰陽師に与えた影響は大きく、両家の多くの書物中に「五行大義」
 の文字を見ることが出来ます。
 また、日本神道に与えた影響も大きく、吉田神道、伊勢神道、山王神道に関する書物にも「五行
 大義」の文字は多く見えます。
 室町時代以前の「五行大義」は特定の階級に属する、陰陽家、神官、僧侶、宮廷貴族など、ごく
 一部の人々の秘本でしたが、江戸時代に入ると転写本や版本が次々と出現し、ある特定の階級の
 独占的秘本としてではなく、一般民衆の実用書として広い階層の人々に親しまれるようになりま
 した。
 中でも平田篤胤はその著書の中に「五行大義」を縦横に引用しています。
 本家中国では早くに失われ日本でのみ伝承された「五行大義」ですが、漢、魏、六朝時代の五行
 説に関する佚亡資料が多く含まれる貴重な書物です。
 また、平安時代より陰陽道や神道、仏教に多大な影響を与えた他、江戸時代には文化的にも広く
 浸透したことがうかがわれますから、日本における陰陽五行のベースともなる書物といっても過
 言ではないと思います。

・五行大義 (中国古典新書) 中村 璋八 ¥2,625
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4896192680?ie=UTF8&tag=puruanma-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4896192680
 ぼくの手許にある五行大義もこの本です。解説や現代語訳は下記の書籍のように全文にはわたって
 いませんが、巻末に解説や現代語訳が掲載されていない部分の漢文が掲載されていますから、かな
 り重宝しています。
・五行大義〈上〉 (新編漢文選 思想・歴史シリーズ) 中村 璋八 ¥ 7,350
http://www.amazon.co.jp/gp/product/462557207X?ie=UTF8&tag=puruanma-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=462557207X
・五行大義〈下〉 (新編漢文選 思想・歴史シリーズ) 中村 璋八 ¥ 7,350
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4625572088?ie=UTF8&tag=puruanma-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4625572088


個人的には、五行(木火土金水)を「場」とそこに働く「四気=四つのエネルギー状態(方向性)」というように捉えていますが、「五行大義」第一釋五行名から、この「四気=四つのエネルギー状態(方向性)」を伺わせる部分を抜き出してみます。

==========================

木者冒也。言冒地而出、字従於屮。下象其根也。其時春。…略… 東者動也。震氣故動。
 木は冒なり。地を冒して出づるを言い、字は屮(てつ)に従う。下はその根を象るなりと。
 その時は春。…略… 東は動なり。気を震う故に動なり。

火者炎上也。其字炎而上、象形者也。其時夏。…略… 夏假也。假者方呼萬物而養之。
 火は炎上するなり。その字は炎えて上る形を象るものなり。その時は夏。…略… 夏は仮なり。
 仮はまさに万物を呼びてこれを養うなり。

土生於金。字従土、左右注。象金在土中之形也。其時秋。…略… 秋之爲言愁也、以時察守義者也。
 土は金を生ず。字は土に従い、左右の記しは金の土中に在るの形を象るなりと。その時は秋。…略… 
 秋の言たる愁(おさめる)なり。時を以て察(あきらか)にするとは、義を守るものなりと。

水之爲言演也。陰化&#28118;濡、流施潜行也。…略… 冬終也。萬物至此終蔵也。
 水の言たる演(ながれる)なり。陰化して&#28118;濡(うるお)し、流施潜行するなり。…略… 
 冬は終なり。万物のここに至って終り蔵(こも)るなりと。

==========================


そういえば以前、東洋医学の古典「黄帝内経素問」四気調神大論篇のことを書いていましたが、そちらの方が四気のエネルギー状態はわかりやすいですね。
転載しておきます。

==========================

春三月、 此謂發陳、 天地倶生、 萬物以榮、 夜臥早起、 廣歩於庭、 被髮緩形、 以使志生、 生而勿殺、 予而勿奪、 賞而勿罰、 此春氣之應養生之道也。 逆之則傷肝、 夏為寒變、 奉長者少。
 (意訳)
 春の三ヶ月間を発陳といいます。(発陳:古いものから新たな生命が芽生える様)
 天地が新たに生じ、万物が栄える時です。
 夜は暗くなると共に寝、朝は早めに起きましょう。
 庭をくつろいで歩き、髪をきつく結んだりはせず、衣服もゆったりとしたものを着たいものです。
 心の内から自然に意欲が生じる時です。
 諦めたり抑圧したり無視せずに、暖かく見守り育むようにしましょう。
 これが春気に応じて生を育む道です。
 これに逆らえば肝を傷付け、夏には冷えを招き夏気の恩恵を受け難くなってしまいます。

夏三月、 此謂蕃秀、 天地氣交、 萬物華實、 夜臥早起、 無厭於日、 使志無怒、 使華英成秀、 使氣得泄、 若所愛在外、 此夏氣之應養長之道也。 逆之則傷心、 秋為&#30158;瘧、 奉收者少、 冬至重病。
(意訳)
 夏の三ヶ月を蕃秀といいます。(蕃秀:春に生じた陽気が溢れるように成長する様)
 天地の気が交わり、万物は華開き充実する時です。
 夜は暗くなると共に寝、朝は日の光を嫌わず日の出と共に起きましょう。
 気持ちは伸び伸びと拡がるように開放的になっています。
 華開くような気持ちや想いを押さえ込むと、その蓄積は爆発するような圧力(怒りなど)を生じさせ
 てしまいます。
 涼やかに発散的開放的に過ごしましょう。
 もし外界に向かって気持ちが開かれ心惹かれるようであれば、これが夏気に応じた成長を育む道です。
 これに逆らえば心(臓)が傷付き、秋に&#30158;瘧(マラリアの一種)となったりエネルギーが収養するのを
 妨げることとなり、冬に至って病気が重くなります。

秋三月、 此謂容平、 天氣以急、 地氣以明、 早臥早起、 與鶏倶興、 使志安寧、 以緩秋刑、 收斂神氣、 使秋氣平、 無外其志、 使肺氣清、 此秋氣之應養收之道也、 逆之則傷肺、 冬為喰泄、 奉藏者少。
 (意訳)
 秋の三ヶ月を容平といいます。(容平:おだやかにおさめる様)
 天の気は勢い強く、地の気は清らかに鮮明です。
 日暮れと共に寝、朝は日の出のニワトリの声と共に起きましょう。
 秋の収斂するエネルギーは、頑固さやこだわり、後悔や反省する気持ちを促す傾向もあります。
 紅葉を眺めながら澄んだ空気を味わうように、引き締まる気持ちや収斂する秋気を味わいながら過ごし
 ましょう。
 外界の変化に過度に囚われないようにし、肺の気が清らかであるように過ごせれば、これが秋気に応じ
 た養収の道です。
 これに逆らえば肺が傷付き、冬に食物の陽気が漏れて下痢をしたり、内に陽気を保つことが難しくなり
 ます。

冬三月、 此謂閉藏、 水冰地斥、 無擾乎陽、 早臥晩起、 必待日光、 使志若伏若匿、 若有私意、 若已有得、 去寒就温、 無泄皮膚使氣亟奪、 此冬氣之應養藏之道也。 逆之則傷腎、 春為痿厥、 奉生者少。
 (意訳)
 冬の三ヶ月を閉蔵といいます。(閉蔵:陽気を伏蔵している様)
 水は凍り大地は凍裂し、万物はみなその門を閉ざし陽気を内側深く胎養しています。
 胎養している陽気を煩わせることがないよう、夜は早くから布団に入り朝はゆったりと遅めに起き、出
 来るだけ日光と共に生活するようにしましょう。
 あたかも秘めたものを隠すような静かな気持ちで想いを温め、既にすべて達成したかのような満ち足り
 た心持ちで過ごしましょう。
 汗をかいて皮膚から陽気が奪われないようにし、温かく過ごせば、これが冬気に応じた閉蔵の道です。
 これに逆らえば腎が傷付き、春になって手足が効かなくなったり重ダルくなったり、陽気を生じ難くな
 ります。

==========================


これら「五行大義」第一釋五行名や「黄帝内経素問」四気調神大論篇から、場である土に働く四気のエネルギー状態を視覚的簡略図にすると下図のようになります。


四気エネルギー状態参考図
http://anma.air-nifty.com/photos/uncategorized/2010/03/04/4ki001.jpg


木は場を貫いて内部から外部へ、金は場を貫いて外部から内部へのエネルギーの方向性があります。
それに対して、水は場の内部にあって求心的、火は場の外部にあって遠心的なエネルギーの方向性があります。

なんだか無駄に長くなってしまいましたが、五行(四気)の体感的理解の方法は次回書いてみます。

はり治療直後に女性死亡 投稿者:puru 投稿日:2010/01/10(Sun) 13:10 No.317   

昨日の朝日夕刊に「はり治療直後54歳女性死亡」という記事が掲載されていました。

それによると、肩こりの治療に訪れた女性が、はり治療を受けた直後に体調が悪化し死亡したとのこと。

治療直後に気分が悪くなり、院内のトイレで倒れ、市内の病院に搬送。
翌日午前に死亡。

記事にはそれくらいの情報しか掲載されていませんでしたが、今朝検索してみたところ司法解剖の結果が掲載されているニュースもありました。

・asahi.com(朝日新聞社):はりが肺傷つける?治療直後に女性死亡 大阪 - 社会
http://www.asahi.com/national/update/0109/OSK201001090066.html
 司法解剖の結果、死因は低酸素脳症。
 肺が傷つき、酸素を取り込めない状態になる気胸も確認された。
 府警は治療の際、はりが深く刺さって肺を傷つけたのではないかとみて、だれ
 が治療を施したかなど当時の状況を調べる。
 同院は取材に対し、「応対できる人がいないので何も話せない」としている。

・はり治療後に死亡、業過致死容疑で針きゅう院捜索…大阪・池田署 ニュース 関西発 YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20100109-OYO1T00609.htm?from=main3
 司法解剖の結果、死因は脳に酸素が十分に供給されないことによる低酸素脳症
 で、同署は、はりが肺の周辺を傷つけた結果、呼吸不全に陥った可能性がある
 とみている。

・NIKKEI NET(日経ネット):社会ニュース:はり治療後に女性死亡 大阪の鍼灸院、ミス原因か
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20100109AT5C0803C08012010.html
 捜査関係者によると、女性は肩こりのため、同院に定期的に通っており、普段
 からはり治療を受けていた。
 昨年12月15日、はり治療を受けて同院を退出した直後、「気分が悪いのでトイ
 レを借りたい」と引き返してきたという。
 その後、トイレ内で倒れているのが見つかり、救急車で近くの病院に運ばれたが、
 16日早朝に死亡した。


”肩こりの治療”だけでは施術内容はわかりませんが、胸郭背部から刺鍼する際、深刺しすると鍼が肺まで達してしまうので、深刺しする際には注意が必要です。
ですが、普通、胸郭背部からそれほど深刺しすることはないと思います。

「刺鍼による気胸」というのはめったにないならがらも耳にしたことはありますが、「治療直後に死亡」というのははじめて聞きました。
こうしてニュースになるというのも、非常に珍しい事件なのでしょうね。


ぼくは鍼治療は行っていませんが、やはり人の体をあずかる職業。
あらためて万全の注意を払う必要性を感じました。

以前、お年寄りをうつ伏せで指圧した後、翌日肋間神経痛様の痛みが生じたことがありました。
幸いそういったことを報告していくれる関係が出来ていたので、対処することが出来たのですが。
これまで約20年の治療経験で、何らかの過誤を起こしながら報告してもらえなかった例が無いとはいえません。

人の体は頑固なまでに頑なな場合もありますが、基本的に非常にデリケートな存在であり。
お年寄りの体は特にそうですが、細心の注意を忘れないようにしたいです。

「もむ」という仕事 投稿者:puru 投稿日:2009/08/03(Mon) 12:19 No.173   

今朝の朝日新聞、月一度の「GLOBE」の特集は『「もむ」という仕事』で、マッサージがテーマでした。
なかなか情報量も多く読み応えもあり、法律問題も正確にカバーしていました。

・参考「GLOBE」画像
http://tao.main.jp/img/090803-1.gif

タイでのタイマッサージの現状や、日本へタイマッサージ師をFTA(自由貿易協定)を通じて派遣する交渉で日本の業界団体の反撥により失敗したこと。
日本でのリラクゼーション・マッサージの現状や法律問題。
この法律問題に関しては、リラクゼーション・マッサージ業界が07年に大手を含む約20社が「リラクセーション業振興協会」を結成、『「マッサージ」「治す」といった言葉を使用しない』ことや『強く圧力をかける手技は使用しない』などの自主ルールを作成したのこと。
振興協会理事長が「有資格者の嫌がることはしないで、共存を図っていく。国にも働きかけ、一つの産業として認めてもらえるようにしたい」というコメントが印象的でした。

これまでの経緯を見れば、それまでお爺ちゃんお婆ちゃん専用のように思われていた按摩マッサージが、リラクゼーション業やエステ業の参入でマーケットも受療者も拡大したのは事実だと思います。
振興協会理事長さんが言うように、うまく共存していけるようになればと思います。


個人的に面白かったのは、マッサージチェア開発者の「あじ」と「間」の話。
「最近はエアバッグが入っていて、ふくらはぎや手をぎゅーっと絞めてから開放する。その開放するまでにわずかな間がある。これが『あじ』なんです」
「絞めてすぐ放してしまったら、すごく体が疲れる。だから、どの長さで開放するのか。そのタイミングがすべてなんです」
開発者はこの「あじ」を0.1秒単位で感じ取り調整するそうなのですが、この「あじ」が分かるのは開発者でもごく少数で、企業秘密とか。

最近のマッサージチェアはエアバッグ使用やコンピューター制御で、ずいぶん進化してますよね。
家電量販店でも「うっ、座ってみたい」と思うのですが、なかなか座る勇気が出ません。
どこかにワンコイン・マッサージチェアのお店とか出来ないでしょうか。

Re: 「もむ」という仕事 - おおいそ 2009/09/01(Tue) 20:58 No.191 home
puruさんこんにちは。
久しぶりに訪問しまして、いつもながらのおもしろさで、勉強になります。ありがとうございます。

いろいろなご意見もあるようなのですが、ちょっとお話しし、ご意見頂ければ幸いです。

まずは、振興協会に関して。
この協会の代表は清○秀○氏でしたね。あはき師の有資格者です。
またこの会には、エー○ンの鈴○氏、カ○シュ○の○井氏(あれ?そのままですね)が属していらっしゃる。あはき師です。

後者二名はあはき法違反の逮捕歴があります。朝日新聞もこのことを承知の上で記事を出しています(編集担当者に確認済み)。

またリスクマネジメントの○井○彦氏もあはき師ですね。アロマの業界でも大変著名な方で。

そしてウ○ル○ンの会長はサ○ー久○氏ですね。彼もあはき師です。刑務所でボディケアを指導してました(現在は法務省が一切の指導を中止)。

いずれもある意味、業界をリードしてきた方々です。しかしながら、リードできた理由は「それまで、有資格者でそのようなことをやった前例がない=敵がいない」という事も大きかったわけです。鈴○氏は逮捕されるまで業団体に属していましたしね(後に除名)。

さて、そこで、お話は済んで、ご意見頂ければ・・・・・

puruさんの法律に関わる研究、それから歴史に関する研究、大変尊敬しています。

そこで、お伺いします(ごめんなさいね不躾で)。
たとえば、法のもと、免許制となっている技術知識を学び、免許を取得したものが、それに大変似通った(定義もないので呼び方を変える、力加減を変えている等言い訳し)技術をどんどん安値で(専門学校よりも)指導し、増殖している構図・・・・。これが私には今ひとつ理解不能なのですよ。

江戸期、天保5年の杉山流鍼学皆伝の免状には「然誓詞之通於御府内者仮令為名附共指南勿論他言致間敷候」と記載され、免状を受けたものが学んだ内容を他言、他伝しない様に誓約書を書いているのですね。このようなものは明治期の法律には謳われていないのはご存じの通りです。

まあ、医療的な技術でもあり、まして国家資格の技術ですから、安易に名称を付すだけ、違いを立証することもなく、紋切り型に「マッサージではないので」といって教える・・・・。

これは、医師免許取得者が、これは医療行為ではないからと、手術や縫合、投薬などを無資格者に教えて認定を与えるというような構図に見えてしまうのです。

しかし、法には免許取得に関わる技術知識を他者に指導しない、という文言はなく(医師法にもありません)、いつの間にかそれが当たり前になったと言うことだと思うのですね。

とりわけ、上記の企業のうちの一社を退職された方から得た情報ですが、当初から「あん摩マッサージ師圧実技(東洋療法学校協会編)」を元に社員教育していたそうで、学生などを雇うのは、今、学校で学んでいる新しい技術を会社の指導者が知るためなのだと。

こうなると、「我々のやっているのはあマ指行為ではない」ということは言いにくいのかなと。

海外からの技術輸入なども盛んに行われている現在、
このような国家資格の免許者が無免許者の領域の中枢にいて、牽引している・・・。これがそもそもの問題なのではないかと思うのですね。

そうなると、puruさんのおおせの「共存」という状況ではなくなるわけで、単に学校で指導を受けたものを「名称を変えることで脱法化し」、それにより認定を与えているだけ、となってしまうのではないかと思うのです。

この掲示板の過去ログで芦野論文なども出てきたようで、最後は19条問題に行くのかなとも思いますが、いまはその一つ手前で、有資格者の一部が事をなしている首謀者なのではないか?という点について、ご意見を頂きたく書き込みました。

なにかまとまっていなくてすいません。


Re: 「もむ」という仕事 - puru 2009/09/02(Wed) 14:54 No.194
こんにちは、おおいそさん。
いろんな要素の詰まった話題で、興味深いです。(^^)

>たとえば、法のもと、免許制となっている技術知識を学び、免許を取得したものが、
>それに大変似通った(定義もないので呼び方を変える、力加減を変えている等言い訳し)
>技術をどんどん安値で(専門学校よりも)指導し、増殖している構図・・・・。
>これが私には今ひとつ理解不能なのですよ。

>江戸期、天保5年の杉山流鍼学皆伝の免状には
>「然誓詞之通於御府内者仮令為名附共指南勿論他言致間敷候」と記載され、
>免状を受けたものが学んだ内容を他言、他伝しない様に誓約書を書いているのですね。
>このようなものは明治期の法律には謳われていないのはご存じの通りです。

これは、徒弟制度や技の伝承などと免許制度との間に大きな違いがあるからだと思います。
免許制度の元では、ある一定基準の試験でふるい落としが出来るように、主として
知識の習得がメインになるかと思います。

特にあマ指師に関しては、免許取得後に即戦力になるような教育は行われていませんし、
実際に使える臨床技術は免許取得後に修得するという状況なのではないでしょうか。

ですから、あマ指師免許というのは国が考えるあ「マ指師のプロとしてデビューするため
の最低限の知識を有する人」といったところなのだと思います。

>まあ、医療的な技術でもあり、まして国家資格の技術ですから、安易に名称を付すだけ、
>違いを立証することもなく、紋切り型に「マッサージではないので」といって教える・・・・。

この辺が悩ましいところですよね。
あマ指が「医療的な技術」なのかどうか。

おそらく免許する国にとって、あマ指は科学的西洋医学的には医療の範疇に入らない微妙
な存在なのではないかと思うのです。
これは柔道整復や鍼灸も同様だと思いますが。

診断権を持たないことからも「国家試験免許制の医療技術」というよりは、「かろうじて免許
という縛りの中で存続を許容されている伝統的な代替療法」程度なのだと思っています。
個人的には。

国家が医療として認めるのであれば、最低限西洋医学的にも根拠が認められる一貫した東洋
医学的基礎医学の修得とインターン制による治療技術の習得が必要とされると思われますが、
それはおそらく無理ですよね。

>海外からの技術輸入なども盛んに行われている現在、
>このような国家資格の免許者が無免許者の領域の中枢にいて、牽引している・・・。
>これがそもそもの問題なのではないかと思うのですね。

>そうなると、puruさんのおおせの「共存」という状況ではなくなるわけで、
>単に学校で指導を受けたものを「名称を変えることで脱法化し」、
>それにより認定を与えているだけ、となってしまうのではないかと思うのです。

おそらくリラクゼーションや慰安的なマッサージ類似業で教えているのは、即戦力になるような
技術でしょうから、それは教える側の人々が免許取得後に身に付けたビジネスとして稼げる
有効なスキルなのだと思います。
おそらくあマ指学校で教えているそれとは違うのではないでしょうか。

えと、免許取得者がリラクゼーションや慰安的なマッサージ類似業を教えたり営業すること自体
に関しては、ぼくはあまり問題だとは思っていないのです。
「人の健康を害するおそれ」や脱税等の違法行為がなければ。

やはり、多くのあはき師とは意見がとてつもなく異なると思うのですが (^^;、代替療法的医
類似行為である「あマ指」と、整体やカイロの「民間療法」、美容目的の「エステ」、リラク
ゼーションや慰安目的の数々の「マッサージ類似業」などが許容されている現状は、国民が享受
出来るサービスに幅があって「けっこう良いな」などと思っています。

繰り返しますが、当然「人の健康を害するおそれ」や脱税等の違法行為があれば、断固として
取り締まるべきだと思っています。

ん〜。
おおいそさんの問い掛けへの答えになっていないような気もしますが……。(^^ゞ


Re: 「もむ」という仕事 - おおいそ 2009/09/02(Wed) 22:52 No.195 home
puruさん、こんばんは。
今日はインフル対策について保健所、厚労省、果ては桝添氏のブログへのご意見投稿など午前中、いらいらしながらやっておりました(苦笑)。

さて、ご返答感謝します。答になっていないわけではないと思いマスです。ハイ。

>これは、徒弟制度や技の伝承などと免許制度との間に
>大きな違いがあるからだと思います。
>免許制度の元では、ある一定基準の試験でふるい落としが出来るように、
>主として知識の習得がメインになるかと思います。

そうですね。その通りです。つまり、国家が認証する(この場合、厚生労働大臣から委嘱を受けた東洋療法研修試験財団)のは入り口、というのは理解できます。
しかしながら、医師が行う医療行為、理学療法士が行う業務の範囲、その他もろもろが、免許取得者にとって仮に定義の不鮮明な法律の範疇にあっても、
「それを呼び方を変えて指導して認定を与える、等の事はしない」わけで・・・(苦笑)。

>この辺が悩ましいところですよね。
>あマ指が「医療的な技術」なのかどうか。

そうですね。
>おそらく免許する国にとって、あマ指は科学的西洋医学的には
>医療の範疇に入らない微妙な存在なのではないかと思うのです。
>これは柔道整復や鍼灸も同様だと思いますが。
ふぅーむ、あマ指について、あらためて医療的に歴史をさらってみましたが、
パレ以降、欧州では医療の枠内にとどまっている徒手治療と、エログロのゴシップにまみれたマッサージの両極端に分かれたようです(The History of massage)。
あん摩は東洋医学的には黄帝内経時代に見られたいわゆる中国医学にも含まれているものの延長線上にあることは否めないと思います。
puruさんがおっしゃるように「免許する国にとって」というのはその通りなのかも知れません。

東洋療法学校協会編のテキストなどの編集に関わった高知大学の佐藤純一先生は我が国における「あはき」を「非近代医療的、半制度的」とおっしゃいました。一理あると思います。柔整などは海外ではJudo Therapyと呼びますが、今ひとつ理解されていません。同じ方法論をギリシャ時代の医学が行ってきたからです。

>国家が医療として認めるのであれば、最低限西洋医学的にも
>根拠が認められる一貫した東洋医学的基礎医学の修得と
>インターン制による治療技術の習得が必要とされると思われますが、
>それはおそらく無理ですよね。

そうですね。先の非近代医療的、半制度ですから
身分免許で更新も必要ない、卒後教育も不要な世界です。
ただ、
「人の健康を害するおそれ」はどこにあるのか?
厚労省も平成15年以降、何も語りませんしね。

≫医師免許取得者が、これは医療行為ではないからと、手術や縫合、
≫投薬などを無資格者に教えて認定を与えるというような構図に
≫見えてしまうのです。

この部分について、お思いの点をよろしければお知らせください。
多分「人の健康を害する恐れ」がある行為だからですよね?

厚労省は「施術者の体重をかけて対象者が痛みを感じるほどの相当程度の強さ
をもって行うなど、あん摩マッサージ指圧師が行わなければ、
人体に危害を及ぼし、又は及ぼすおそれのある行為」と語っていますが、

ではいったい、どのような強さ加減が「痛みを感じる」のか?を
少数ですが、59例前後で調べた報告を一昨年日本東洋医学系物理療法学会にあげました。

それによると天柱相当部位では1平方センチあたり、約800g程度の強さ加減でも疼痛感受の可能性4.3%が発生することとなりました。

これは、多くの方が「まったく心地良くない」と感じるであろう揉み方でも、「対象者が痛みを感じるほどの相当程度の強さ」になってしまうという事になり、それは「人体に危害を及ぼし、又は及ぼすおそれのある行為」と認証せざるを得ないのではないかと感じています。

むしろ、朝日新聞の「GLOBE」の特集に記載された、
『強く圧力をかける手技は使用しない』などの自主ルールというのが
まったく検証された文言ではないということになると思うのです。

実際、関連施設の方にもまれましたが、かなりの強さに
驚きましたし、またそれも私にとっては、「辛抱できる、いたぎもちよい」ものであり、その加減からすると、この強さでもまれたら、いたい方も多いのだろうなあ、と思いました。

なかなか難しいですよね。私も書いていて難しい・・・(笑い)。
まあ、「人の健康を害する恐れ」というのは常套句で、

理髪師や美容師がはさみを持つのは「人の健康を害するおそれのある理美容行為」だから免許が必要で、けっして、「絶対に人の肌を傷つけなければはさみを使って髪を切っても良い」とはならないわけで、我々の指先も国民にとって「凶器となる可能性」と秘めているから免許制度なのかな?と。

そう思ったりします。
失礼しました。


Re: 「もむ」という仕事 - puru 2009/09/03(Thu) 16:33 No.197
こんにちは、おおいそさん。

>今日はインフル対策について保健所、厚労省、果ては桝添氏のブログへのご意見投稿など午前中、いらいらしながらやっておりました(苦笑)。

ご苦労様です。
ホームページも拝見させていただきましたが、精力的に活動しているようですね。
頭が下がります。

>パレ以降、欧州では医療の枠内にとどまっている徒手治療と、
>エログロのゴシップにまみれたマッサージの両極端に分かれたようです(The History of massage)。

諸外国で「マッサージパーラー」といえば風俗店を指すようですもんね。(^^;

>あん摩は東洋医学的には黄帝内経時代に見られたいわゆる中国医学にも含まれているものの
>延長線上にあることは否めないと思います。

中国の按摩、推拿は、おそらく日本で行われているあん摩よりは治療的効果的なのだと思います。
中国人ってものすごく実利的ですから。(という個人的感想)

一応、日本でも中国にならって大宝律令で按摩師、按摩博士などを定めたらしいですが、「一応
定めてみた」で終わったような……。(^^;
おそらく治療技術というよりは慰安中心で行われていったのではないか、という個人的臆測です。

その後江戸時代になって、「按摩は元来治療技術なのだ」と按摩復興に立ち上がったご先祖様
たちが「導引口訣鈔」や「按摩手引」、「按腹図解」を出版したりしたのでしょうけれど。
結局、それらが大きな流れにはなっていないように思います。

>東洋療法学校協会編のテキストなどの編集に関わった高知大学の佐藤純一先生は我が国における
>「あはき」を「非近代医療的、半制度的」とおっしゃいました。一理あると思います。

この「非近代医療的、半制度的」という言葉を見て、思わず「ウマイ!」と心の中で叫びました。(笑

引用が前後してしいまいますが。

>医師が行う医療行為、理学療法士が行う業務の範囲、その他もろもろが、免許取得者にとって
>仮に定義の不鮮明な法律の範疇にあっても、
>「それを呼び方を変えて指導して認定を与える、等の事はしない」わけで・・・(苦笑)。

>≫医師免許取得者が、これは医療行為ではないからと、手術や縫合、
>≫投薬などを無資格者に教えて認定を与えるというような構図に
>≫見えてしまうのです。

按摩やマッサージはものすごくプリミティブな行為だと思うのです。
痛がったり苦しんでいる人を、撫でたりさすったり、抑えたり揉んだり、という本能的で原初的
な行為というか。

ですから、もともと専門的知識や技術が不可欠で、それらがなければ危険である手術、投薬等と、
按摩やマッサージは比較にならないんじゃないか、と思うのです。

>「人の健康を害するおそれ」はどこにあるのか?
>厚労省も平成15年以降、何も語りませんしね。

本能的で原初的な行為の延長線上にあり、多少型化されテクニカルになった按摩やマッサージです
が、それにどれだけ「人の健康を害するおそれ」があるのか、ぼくにはその危険性が感覚的によく
わかっていないのです。

>これは、多くの方が「まったく心地良くない」と感じるであろう揉み方でも、「対象者が痛みを
>感じるほどの相当程度の強さ」になってしまうという事になり、それは「人体に危害を及ぼし、
>又は及ぼすおそれのある行為」と認証せざるを得ないのではないかと感じています。

確かに厚労省の文言的には「痛み=害するおそれ」になりますね。
でも、今ひとつ実感として理解しにくい「おそれ」ではあります。

しかし。
厚労省の一見苦し紛れ(^^;ともとれる「施術者の体重をかけて〜」も、現状で精一杯の表現なん
だろうなあ、と思う訳です。
職業選択の自由を守り、国民が享受出来るサービスをいたずらに制限せず、なおかつあはき法
の顔を立て……、と思うと。

>我々の指先も国民にとって「凶器となる可能性」と秘めているから免許制度なのかな?と。

野球も免許制にするべきかも。
金属バットは危険ですよねえ。笑)


Re: 「もむ」という仕事 - おおいそ 2009/09/04(Fri) 15:33 No.198 home
puruさんこんばんは。

野球の免許制(爆)はさておいて・・・。
ちなみに、簡単なことですが、「人に危害を及ぼすおそれのある銃刀、武器になるおそれのある角材、バットなど」を不法所持していれば処罰の対象ですから、銃刀法のみならず、バットでも一部の都市(大阪など)では条例違反で取り締まられますね。

さて、
>中国の按摩、推拿は、おそらく日本で行われているあん摩よりは
>治療的効果的なのだと思います。
>中国人ってものすごく実利的ですから。(という個人的感想)

わかるような気がします。黄帝内経では膏摩といって摩法のたとえに用いられた手法は実は膏薬を塗る手法のような記載だったりして・・(長尾榮一、和久田哲司ほか)。
馬氏の「気功点穴療法」などは方穴の処方論のある推拿の一変法ですね(成立は60年代ぐらい?)。

で、日本のあん摩では補瀉の論理は「按」と「摩」に振り分けられているけれども、基本的に標治ですね(症状部位への刺激)。あとは経絡的な方法論があるかも知れないですが。

>一応、日本でも中国にならって大宝律令で按摩師、按摩博士などを
>定めたらしいですが、「一応定めてみた」で終わったような……。(^^;
>おそらく治療技術というよりは慰安中心で行われていったのではないか、
>という個人的臆測です。

わかるような気がします。律令で朝廷が定めたわけですが、朝廷自体がそれらの業務を武家に譲らざるを得なかった歴史背景に大きなポイントがありますね。それからpuruさんが書いていらしたような「足もみ」は
戦地などの陣の内外で疲れを感じた足軽などの疲れた部分を「踏んで」いたのでしょうから。
しかしながらそれを慰安的というかは微妙なところです。
「つらいところへの物理刺激が翌日の彼等の業務(合戦だったりして・・笑い)をより身体的にパフォーマンスを上げている・・・・?」
慰安と言うよりはコンディショニングですね(笑い)。

あと、北斎の「新版大道図彙〜馬喰町」には馬喰町の旅籠であん摩を受けている旅人の姿が描かれています。これも慰安と言うよりコンディショニング。

コンディショニングは日本体育協会テキストによれば
「ピークパフォーマンスの発揮に必要なすべての要因をある目的に向かって望ましい状態に整えること」となります。

一方の慰安ですが、大辞林第二版(三省堂)によれば、
「日頃の労をねぎらって楽しませること」となるようです。

江戸期の浮世絵などに見られるあん摩をpuruさんは慰安ととらえる・・。
ワタシは、より治療的コンディショニングととらえているところに溝があるのかな・・・?しかし、それはまだまだ研究不足です。

>按摩やマッサージはものすごくプリミティブな行為だと思うのです。
>痛がったり苦しんでいる人を、撫でたりさすったり、抑えたり揉んだり、
>という本能的で原初的な行為というか。

理解できます。家族レベルの集団の中でも行われてきたであろう、原初的行為であると思います。

>ですから、もともと専門的知識や技術が不可欠で、
>それらがなければ危険である手術、投薬等と、
>按摩やマッサージは比較にならないんじゃないか、と思うのです。

これもわかります。弱く、優しくやっていればね。
しかし、問題は「危害を与えるおそれのある」までの力加減を
「思わずやってっしまう」事があるのが怖いのですね。
現状の盲学校の手技教育は比較的弱い圧力で線状揉みあるいは輪状揉みを教えていると実感しています(筑波技術の先生方の手技を拝見し)。

一方で施術時に「強く揉んだ(あるいは押した)方が、より効く」と思ったり、
「もう少し強く揉んで(押して)くれた方がありがたい」というリクエストに応える瞬間に出くわす可能性があるのですね。そのときに事故を避ける適正な刺激の枠、というか規範はいまだ研究されていませんし、個々人の体格など千差万別な身体への物理刺激のガイドラインは世界中に存在すらしません。

そうなると、それらを勘案できる知識技能はどうしても必要です。
これが専門課程での学びの必要性と、免許制度による「半制度化」の必要性なのかなと、思います。半制度が必要なのは登録者として、その業を行うからには責任が存在し、保険でカバーできる損害への賠償ではなく、倫理的にも責任を求められる側に、我々の業はあるのかなと。

もっとも問題なのは、有資格者が無資格者を雇ってしまうことや安易に指導して増殖させてしまうこと・・・、つまりあマ指の業自体の危険性を軽視しているのではないかな?ということです。

かつてエー○ンの内部資料に、骨折等クレーム資料が存在した事が警察からリークしましたね。彼等の業態で、安易に教えた技術をもって、実際に骨折者が出ていたということがあるわけです。

これが「おそれ」なのではないかな〜。
この掲示板でもかつて記載されていましたが、都のエステ被害のレポートにも皮膚障害(これは物理刺激と言うより塗布剤の化学刺激?)などと並んで「骨折」もリストされていました。

一例でもそのようなことがあると、業自体が「そのおそれあり」と判断される・・・、そのような業種が我々の技術部分なのではないかと思います。

恥ずかしながら、ワタシの同期のあはき師が
卒後すぐに患者様の上腕骨を骨折させました。もちろん解雇です・・・。
彼の不注意は骨粗鬆の可能性が高い老女への関節可動域制限の改善に必要な
力加減を自分なりに判断できずに過剰な刺激を行ったことなのですね。
あはき師でも発生する「おそれ」がある・・・。

まあ、そんな風に思ったりします。

あ、またまたのんべんだらりんと書いちゃいました。失礼しました。
今日は講義を午前中にしてきまして、午後4時から臨床の予定です。
またおじゃまします〜。


Re: 「もむ」という仕事 - puru 2009/09/06(Sun) 14:52 No.200
こんにちは、おおいそさん。

>日本のあん摩では補瀉の論理は「按」と「摩」に振り分けられているけれども、基本的に
>標治ですね(症状部位への刺激)。

そう、そう。
学校の教科書には抑按調摩の術と書いてありましたけど、そういった補瀉を意識して治療を
している人っているんでしょうか。
もちろんぼくは、ま〜ったく意識してませんが。笑)

>puruさんが書いていらしたような「足もみ」は
>戦地などの陣の内外で疲れを感じた足軽などの疲れた部分を「踏んで」いたのでしょうから。

うっ。
たぶん、誤解しているかもです。
おおいそさんの仰っているのは、たぶん、足力のことではないかと思います。(^^;

ぼくが大好きで愛用している「指もみ」は、操体法由来のもので、足の指を揉むように全身を
揺らす(揺れる)というものです。
これ、いいですよ。
ぼくの治療の半分は、この指もみで終わっていると言っても過言ではありません。
(って、少し大袈裟ですが)

>しかしながらそれを慰安的というかは微妙なところです。
>「つらいところへの物理刺激が翌日の彼等の業務(合戦だったりして・・笑い)をより身体的
>にパフォーマンスを上げている・・・・?」
>慰安と言うよりはコンディショニングですね(笑い)。

うはは。
現代的西洋医学的空気をまとわせるとそんな表現になりますね。

とはいえ、この辺がすごく興味深いところだと思います。
日本的伝統的手技を、現代的西洋医学的視点から表現したり解説しなくちゃいけないような学校
教育や試験や免許制度。

>あと、北斎の「新版大道図彙〜馬喰町」には馬喰町の旅籠であん摩を受けている旅人の姿が描か
>れています。

お。
今度探して見てみます。
有り難いです。(^^)

>一方の慰安ですが、大辞林第二版(三省堂)によれば、
>「日頃の労をねぎらって楽しませること」となるようです。

いいですねえ。
いかにも慰安の技・按摩っぽい。(^^)

>>江戸期の浮世絵などに見られるあん摩をpuruさんは慰安ととらえる・・。
>ワタシは、より治療的コンディショニングととらえているところに溝があるのかな・・・?
>しかし、それはまだまだ研究不足です。

いえいえ、たぶん、それほど溝はないと思いますよ。
ただ、ぼくの中では、慰安>治療、のように「慰安」が治療より崇高な現象だという、一般的
ではない妙な価値観があるだけだと思います。(^^;

現代的一般的表現としては、治療的コンディショニングなのだと思います。

>現状の盲学校の手技教育は比較的弱い圧力で線状揉みあるいは輪状揉みを教えていると実感し
>ています(筑波技術の先生方の手技を拝見し)。

そう、そう。
教育の現場にいるおおいそさんに質問があります。

ぼくは都道府縣知事管轄時代のあはき免許なのですが、当時の按摩実技試験というのは、経絡
や経穴の場所を指定され、その部位を形だけの線状揉みで揉むというものでした。
ぼくは在学時から治療院に勤務していてマッサージの仕事をしていた訳ですが、試験前に先生
や先輩から「実務経験があるとわからないように、超下手くそに揉むんだよ」と言われ、その
通りにして合格したという経験があります。

現在は厚労省管轄の国家試験ですが、今は即戦力になるような上手い按摩じゃないと合格しない
ようになったのでしょうか。
それとも、ぼくの時代と同じなのでしょうか。

>一方で施術時に「強く揉んだ(あるいは押した)方が、より効く」と思ったり、
>「もう少し強く揉んで(押して)くれた方がありがたい」というリクエストに応える瞬間に出く
>わす可能性があるのですね。
>そのときに事故を避ける適正な刺激の枠、というか規範はいまだ研究されていませんし、個々人
>の体格など千差万別な身体への物理刺激のガイドラインは世界中に存在すらしません。

科学的、西洋医学的なガイドラインは難しいのではないでしょうか。
圧の強弱を何kgなどと定めるのも現実的ではないと思います。

ところで、ぼくはインドで西洋人に混じってオイルマッサージ・ベースのボディーワークのトレー
ニングを受けことがあるのですが、日本人の人への接し方、触れ方は、他の民族と比べて格段に思
いやりに満ちた繊細なものでした。

その日本人特有の思いやりに満ちた繊細な触れ方を、学校の教育現場で教えてくれれば。
あマ指免許の優位性は格段に上がると思うのですが……。

どうしても、ぼくには学校で教えている按摩が、単に形だけをなぞった心の無いものにしか見えな
いのです。
少なくても、ぼくが習ったものはそうでした。

>もっとも問題なのは、有資格者が無資格者を雇ってしまうことや安易に指導して増殖させてしまう
>こと・・・、つまりあマ指の業自体の危険性を軽視しているのではないかな?ということです。

上の話の延長線で、免許を持った按摩師が形をなぞった技術で、力の強弱や物理的刺激としてその
技術を使用したり、それを誰かに教えたりするとすれば、事故が生じる可能性は変わらないだろうと
思います。

人の体は肩や手といった部分であっても、肉体的物理的存在であると同時に、感覚や感情、情感を
備えた「その人」そのものなんですよね。


Re: 「もむ」という仕事 - おおいそ 2009/09/06(Sun) 16:18 No.201 home
puruさんこんにちは。

>ぼくが大好きで愛用している「指もみ」は、操体法由来のもので、
>足の指を揉むように全身を揺らす(揺れる)というものです。

ああ、そうだったのですね。失礼しました。「揺らす」技法って、
名前忘れたけど、足首と背中を両の手で揺する・・ええっと、チャンティングといったような技法をレイキのレッスン中にどなたかから教わったことがありました。とてもリラックスできますよね。

≫慰安と言うよりはコンディショニングですね(笑い)。

>うはは。
>現代的西洋医学的空気をまとわせるとそんな表現になりますね。

>とはいえ、この辺がすごく興味深いところだと思います。
>日本的伝統的手技を、現代的西洋医学的視点から表現したり
>解説しなくちゃいけないような学校教育や試験や免許制度。

表現も難しいですが、「体調の調整」ですよね。この点は「近代医学的」言語を用いないとならないのですね。ひとまずはね(苦笑)。「非近代医療的・半制度的」な枠におりますので(笑い)。

おっしゃるように、「日本的伝統的手技」は江戸期に表現されている、「摩」「按」などの総称を表す表現の他には、もむ部位としての「肩井の術」とか「頭維の術」という呼称、あるいは手技名称「頭の曲(曲手ですね)」「耳なりの術(耳鐘の術と同様と思います)」、その他、藤林良伯は欧州でも見られなかった表現として「手指を四角に、上肢、下肢を六角に見立てた揉む位置の標記」を実現しました。
これが、「一四の術」「二六の術」「三六の術」ですね。これは経絡は無視していますので、機能的には江戸期ということもあって蘭学的な影響も受けているのかも知れません。機能的な表現方法です。
あとはおなじみの「調摩・利関・解釈」などの全体的名称です。

それを日本的伝統手技としてとらえるほど、進んでいなかったと考えることが必要です。多分puruさんのおおせの書き込みの意図には「徒弟制度」をキーワードにした修業の必要性があるのかなと感じました。なるほど現在は3カ年の勉学と「卒業見込み証明」、そして4択問題による合否の判定だけですから。実際は卒後、それぞれの職場、自ら患者さんに鍛えられる、自ら上手な先生の技術を盗むなどして上達するものでしょうから。

さて、北斎の浮世絵からは約5000点程度閲覧して9点のあん摩の版画、肉筆画を発見して論文化しました。「医道の日本」誌に掲載がアクセプトされましたから近く紹介されると思いますよ。

江戸風俗に按摩師の技を描いた葛飾北斎
〜北斎の描写による江戸期のあん摩〜

というタイトルです。お楽しみに。

さて
>教育の現場にいるおおいそさんに質問があります。
>現在は厚労省管轄の国家試験ですが、
>今は即戦力になるような上手い按摩じゃないと
>合格しないようになったのでしょうか。
>それとも、ぼくの時代と同じなのでしょうか。

いや〜、puruさん、今は国家試験(近頃の改正で国家試験と書いてもよくなりました(苦笑))では実技試験はありません。各養成施設において卒業見込みの承認を得るためにそれぞれの学校のガイドラインに準拠した「実技試験」が行われ、それが卒業見込みの評価の対象にはなっていると思います。

したがって、学校の講師が指導するルーティン、動作の基本が評価の対象となると思ってくださるといいと思います。

>科学的、西洋医学的なガイドラインは難しいのではないでしょうか。
>圧の強弱を何kgなどと定めるのも現実的ではないと思います。

そうですね。ガイドラインは難しいと思います。しかしながら、ガイドラインはWHOでもMTG(Manual therapy guideline)の策定をアジア地区でも進めるように指示が出ています(筑波技術大学の形井先生などが委員となっています)。いまだ難しいのですが、それなりに作らないと、カイロプラクティックのWHOガイドラインが発表されたおかげで、教育の基本時限数など、一定の基準を満たしていると「WHOのガイドラインの準拠した」という勝手な標榜をする学校が出てきてしまいました。これは米国の基準に比してかなり緩い基準となっています。

まあ、MTGも何のガイドラインかというと、「それなりにまっとうにマッサージ(ここでは徒手療法)を標榜するに必要な学習課目と履修時間数」みたいなものになると思われます。

すくなくとも、アルントシュルツの法則は外すべきと訴えていますがね(苦笑)。

圧の強弱に関しては、現在でも使われている方便、「体重計を押す」というやつ(ワタシは学生時代から辟易しておりました)をすすめているようでは、はっきり言って話になりません。

施術者の手指などと、患者さんの皮膚面あるいは筋肉などの間には、「単位面積あたりの圧力」がかかっています。これを以前は「1平方センチあたり○kg」という表現で表していました。しかし、計量法が改正されて、圧力の単位は基本的にはパスカルで表現するようになりました。欧米ではPSI(1平方インチあたり○kg)、我が国ではkg/cm2で便宜上使っています。
参考サイト
ttp://www.ryutai.co.jp/shiryou/atsu/pkansan-01.htm
(頭にhを付けてください。)

たとえば
「足の三里に親指で何パスカル(大体4〜5kPaぐらいでしょうね)で
何回押すと、消化管の蠕動が起こる」などの表現もパスカルならば可能となります。指標となる指数を統計学的に作ることも可能になるところに来ているわけです。ワタシの研究範囲ですが・・・
参考サイト
ttp://www.massagescore.info/
(頭にhを付けてください)
___________

>日本人の人への接し方、触れ方は、
>他の民族と比べて格段に思いやりに満ちた繊細なものでした。

おおせの通りです。しかしながら、これだけはお伝えしないといけません。

「指導の現場においては平均レベルの学生ばかりではない」のです。
必ず「うまい子もいれば下手な子も生まれてしまう・・・」
ましてや、現在の試験制度では実技を見ずに免許を与えますから。

これは、医師免許に合格した人たちの医療面接能力の低さが取りざたされ、カリキュラムに修正が入ったことなども参考になると思います。
そして、事故が発生する「おそれ」が生じてしまうのです。

>その日本人特有の思いやりに満ちた繊細な触れ方を、
>学校の教育現場で教えてくれれば。
>あマ指免許の優位性は格段に上がると思うのですが……。

そうですね。ワタシが今年、学校で教えている実技指導の方法論を
日本鍼灸手技療法教育研究会に投稿するつもりです。
「徒手療法実技指導における事前アンケートの活用と実例報告〜第一報〜」

これはpuruさんのいう「繊細な触れ方」に関する講義のあり方を考えた報告のつもりです(でも、オイルマッサージの講義なんですよね・・・笑い)。

>人の体は肩や手といった部分であっても、肉体的物理的存在であると同時に、
>感覚や感情、情感を備えた「その人」そのものなんですよね。

御意!(笑い)。
そのように考える事の出来る卒業生をより多く輩出することが出来れば、
ワタシの教育は満足の域になるかなと思いますね。

特に近頃は施術所の「場」としてのアメニティを高める時代となりました。
旧態然としたはりきゅう院のイメージから「サロン的」に変貌を遂げていくのは必然です。しかし、それは「店舗内装」であって、puruさんの仰せの繊細な部分や、「その人」を感じ取れる「感性」までともなった「場」とはなりえていないと思います。その点は「人」を指導する事が重要です。そんな指導できるといいなと考えますね。

またまた長く書いてしまいました。
もともとpuruさんの古典研究には大変インスパイアされた部分があって、こうやってお話が出来ることを楽しみにしています。ありがとうございました。
失礼しました。


Re: 「もむ」という仕事 - puru 2009/09/17(Thu) 12:40 No.210
こんにちは、おおいそさん。

ボ〜っとしている内に月日は過ぎ……。
超亀レスになってしまいました。(^^ゞ

>いや〜、puruさん、今は国家試験(近頃の改正で国家試験と書いてもよくなりました(苦笑))
>では実技試験はありません。各養成施設において卒業見込みの承認を得るためにそれぞれの
>学校のガイドラインに準拠した「実技試験」が行われ、それが卒業見込みの評価の対象には
>なっていると思います。
>
>したがって、学校の講師が指導するルーティン、動作の基本が評価の対象となると思ってく
>ださるといいと思います。

この事実が、ぼくにはけっこう衝撃的で。(^^;
しばし、つらつら物思いに耽っていました。

なるほど、国家試験に実技試験はないのですね。
でも考えてみれば、国家試験以前の都道府縣知事管轄当時と、学校の実技実習はほとんど変わ
っていないということですよね。

>江戸風俗に按摩師の技を描いた葛飾北斎
>〜北斎の描写による江戸期のあん摩〜

ところで、先日送っていただいた上記論文(とても参考になります。本当に有り難うございま
した。m( _ _ )m)に、現在あマ指学校で教えられている実技が「東京盲学校方式」と呼ばれる
芹澤勝助先生の構築した手法だとありました。

国家試験に実技試験がないことは一時的ショックでしたが、こちらは「なるほど」という思い
とともにじわじわとボディブローのように効いてきます。(^^;
按摩に熟練した人々が構築したのではなくて、業界に圧倒的影響力を持っていた医学博士という
肩書きを持つ学者先生が構築したものでしたか。
なるほど……。

ぼくは鍼灸学生だった頃、一度だけ友だちにつきあって芹沢氏の鍼講習を受けたことがあるので
すが……。
その手技の視点はめちゃくちゃ西洋医学的だったという記憶があります。
そして、実際の氏の手技たるや……。orz

学校で行われていた実技は、氏が編纂したものでしたか……。
なるほど。
でも、ぼくが出た吉田流按摩を継承する学校で教えている実技も五十歩百歩だという現実を見れば、
結局按摩はこれからも今後もこのまま形だけで継承されていくのですね。

ひとまず現状は呑み込めました。

他にもレスポンスしたい箇所があるのですが、まだ現状を咀嚼中です。(^^ゞ


Re: 「もむ」という仕事 - おおいそ 2009/09/18(Fri) 21:10 No.212 home
puruさんこんばんは。
レスありがとうございます。

>なるほど、国家試験に実技試験はないのですね。
そうなんです。私はそちらの免許時代です(苦笑)。

で、思うことといえば、
「国試における実技試験は不要」
「国試においても実技試験を復活すべき」の
どちらにも一理ある・・・というところでしょうか?
難しいところですね。

むしろ、もっとも興味あるのが
「名人芸を将来に託すアーカイブス構築」という事になるわけです。

かつて柳田國男が「遠野物語」で民俗学への先鞭を付けたこと、
それをあん摩の世界でもやりたい・・・。

関西の盲学校では2拍子のあん摩、関東では4拍子だとか、、
長尾先生が仰せでした。このような情報をかたち(データ)で
残してあげることは後輩のためになると思うのです・・・。

話題は変わりますが・・・。

妻がね。「芹沢先生に治療を受けていた患者様」を
拝見したことがあるんですよ。

患者様曰く、
「芹沢先生はものすごくあん摩が上手」
という言葉です。

また、やはり芹沢先生に見てもらっていたことがある患者様からも
「芹沢先生の触れ方、揉み方はとてもすばらしくてとろけそう」
というコメントも頂いたことがあります。
晩年期の芹沢先生、技術の向上に励まれたのではないかと思います。
相性もありますが・・・。

それから、意外と知られていないのが
あの(!)代田文誌先生(沢田流ですね)は
あん摩がうまい、との評価のある文献もあります。

鍼業の牽引者達も手技について研鑽を怠っていなかった、と言う点で
なにか嬉しくなった文献の発見でした。

puruさんが発見した広重の画像に、
腹臥位下腿への突き手?のような絵がありますね。
興味深いですが、我々は「突き手」といえば頭か肩上部への曲手と
習ったような気がします。

当時のルーティンでもいいから知りたいものですね。
面白いのがたくさん出てきたらいいですね〜。

ではでは。


Re: 「もむ」という仕事 - puru 2009/09/19(Sat) 15:44 No.214
こんにちは〜。

>で、思うことといえば、
>「国試における実技試験は不要」
>「国試においても実技試験を復活すべき」の
>どちらにも一理ある・・・というところでしょうか?
>難しいところですね。

いろいろ考えていたんですが……。
試験の有無にかかわらず。
結局、教育する学校側が教えたい「按摩」とは何か、になるのでしょうね。

>むしろ、もっとも興味あるのが
>「名人芸を将来に託すアーカイブス構築」という事になるわけです。

オイルマッサージでのマッサージスコアでしたっけ?

ところで、今はあマ指学校でオイルマッサージも教えているんですか?
だとすれば、かなり期待大ですね。

オイルマッサージって、かなり実感的で「型」だけで終わりにくいですからね。
生身の弾力ある生体を、なぞるようにマッサージしますから。
按摩初心者に欠けがちな、体に対する謙虚さと尊重心を養いやすいと思います。

そのオイルマッサ−ジを体験、実感した後に行う按摩実習は、視点さえ正しくフォーカス
してあげれば、それまでとは違う実技実習になりそう。(^^)

>かつて柳田國男が「遠野物語」で民俗学への先鞭を付けたこと、
>それをあん摩の世界でもやりたい・・・。

こういうおおいそさんがいるので、これからの按摩教育や按摩そのものの未来は明るいで
す。
頑張って下さい。(^^)/

>患者様曰く、
>「芹沢先生はものすごくあん摩が上手」
>という言葉です。
>
>また、やはり芹沢先生に見てもらっていたことがある患者様からも
>「芹沢先生の触れ方、揉み方はとてもすばらしくてとろけそう」
>というコメントも頂いたことがあります。
>晩年期の芹沢先生、技術の向上に励まれたのではないかと思います。
>相性もありますが・・・。

いえ、いえ。
おおいそさんのレスを読みながら、「学生の頃、何故か芹沢氏にものすごく偏見を持って
いたなあ、そういえば」と思い至りました。(^^ゞ
その理由は思い出せませんが、何故か頑なに嫌っていたみたい。(^^;

ともあれ、おおいそさんの奥様情報で芹沢氏の評価を改めました。
ありがとうございます。(^^)

>それから、意外と知られていないのが
>あの(!)代田文誌先生(沢田流ですね)は
>あん摩がうまい、との評価のある文献もあります。

澤田流……、憧れます。
澤田先生自身、整骨の名人だったとか。
その影響もあるのでしょうね。

>当時のルーティンでもいいから知りたいものですね。
>面白いのがたくさん出てきたらいいですね〜。

ですよね。
と同時に、江戸期按摩の空気や雰囲気、触れる手の表情などが知りたいのですが、それが
伝わる文献に出会うのは難しいですね。
縁があるのを待ちます。


Re: 「もむ」という仕事 - おおいそ 2009/09/20(Sun) 15:38 No.215 home
>puruさん
こんにちは。

「学校で教えたい按摩とはなにか」
興味ありますね。
学校協会で意識調査をする必要性を感じます。

じつは、今年、学生さんへのアンケートを実施しました。

項目は
1)徒手療法受療経験(手法へも言及)
2)施術技術含めたもろもろへの失望感の有無
3)行きつけの施術所の有無
4)自ら受けたい理想の施術像
5)自らなりたい理想の施術家像
でした。n=29(男5:女24名)

1)93%が受療経験有り、7%は未経験で入学していました。

2)失望感は69%もの学生が感じていました。
(これは設問に「お金の無駄遣いをしたと感じたか否か」という風にしてあります。リアルでしょ?)

3)行きつけの施術所をもっている学生は44.8%。

4)自ら受けたい理想の施術像
5)自らがなりたい理想の施術者像
ですが、これは名刺サイズの用紙に上段に4)、下段に5)を記載した
ネームプレートを作り、配布する手法をとりました。

学生時代は出席番号順などでペアを導き出すという手法がとられてきました。
しかし、相手がどのような施術を求めているか?わかりません。
力加減も自ずから調整しなければならない・・・。

そこで、求めている手法(ここでは優しく、とかしっかりとといった言葉がキーワードに)を想定する「手だて」を作ってあげることを考えたわけです。

で、ペア組んで練習するのですが、理想はペアが代わったときに
力加減やリズムを施術者役の学生が「自ら調整するという感性」を培うことを目的としました。まだまだ試行錯誤の必要性があると思いますが、面白かったです。

実技指導でこのような手法をした講師がいなかったことから、
学生は自らの技術により注意力を払うようになったかと思います。
なにより、「練習台(被術者)が寝なく(笑い)」なりました。
技術の評価を試合ながらの練習。これが一番の上達への近道と思います。

>オイルマッサージ教えているか

今はかなりの学校が教えていると思います。もっとも、今年の医道の日本正月号に理療科教員養成施設の施設長・吉川恵士先生がかかれたように、

「新設の鍼灸科のみの学校がマッサージではないとして(前揉撚、後揉撚として)アロマ、リフレなどの外部講師を呼んで教えている実態への警鐘」の意見がありました。

鍼灸科でのそのような手技教育は暗黙の了解の元に行われています。
そのような鍼灸科卒業生の就職先が「接骨院」など柔整有資格者だったりして、事が問題になっています。
鍼灸接骨院は保健適応の幅広さに加え、自由診療枠で鍼灸を、そして、
「あマ指ではない『アロマ・リフレ・整体』」を鍼灸師にさせている、または無資格者を雇用して行わせているという現状があります。

ゆゆしき事態です。このようなことに手を染める方々は業団体には加盟せず、
自らの判断で行う場合が多いのですが、法の遵守を行っている施術者にとっては「保健で数百円で受けられる枠をもった接骨院で別料金でアロマ・整体・ほぐしが受けられる・・となるとどうでしょう?

ま、このことは今はあまり触れたくありませんが・・・・。

むしろ仰せのようにあんま、マッサージ、指圧といった手法の効用や
その手法の解析などに力を注ぎたいと思います。

今、面白がって見ているのがワットポーのタイマッサージ。
っこれは指圧ですね。そして歴史的背景が1980年頃にそれまでの手技を分断するように再構築されています。その点で実は歴史の新しい手法といわざるを得ません。リフレ、指圧、按摩的な要素を含んでいますね。

古本には面白いものが多々ありますね。
それらの解析やら、解説をした雑誌なんかあったら最高なんですね。
資金力があればやってみたいものです。そのときはpuruさん、
連載をお願い(笑い)。

あ、またまた長くなっちゃいました〜。失礼しました。


Re: 「もむ」という仕事 - puru 2009/09/20(Sun) 19:41 No.216
こんばんは〜。

>で、ペア組んで練習するのですが、理想はペアが代わったときに
>力加減やリズムを施術者役の学生が「自ら調整するという感性」を培うことを目的としま
>した。まだまだ試行錯誤の必要性があると思いますが、面白かったです。

これって、グループセラピーやまたはボディーワークのトレーニングでは漏れなく付いて
くる「シェアリング」っていうやつですか?
今受けた施術の感覚、感触、感想を、受け手の人が施術者役の人に伝えるっていうやつ。

もしそうだったら、按摩の革命になりそう。
いや、すごいです。
さすがおおいそさん。

これはものすごく強力な教育法です。
自分が施術しているその受け手が、その場でフィーリングをフィードバックしてくれる環境。
これ、完璧です。

評価や批判、判断とかではなく、その揉まれた感触、実感をフィードバックしてもらえれば。
それは何にも増して、感性の素晴らしい指針になります。

試みに、座位で背後からの肩揉みでもいいです。
受け手の背後に施術者役が例えば3〜5人並び、順番に受け手の肩に触れて揉みます。
受け手は触れられた瞬間から、その感触、感覚をフィードバック(実感しているものを言葉
にする)しはじめます。
(フィードバックは施術者役全員が終わってからでもいいです)
30秒〜1分程度でよいと思いますが、それくらいで次の施術者役に交代。

こんな感じのレッスンを導入するだけで、学生の感性は飛躍的に高まると思います。
揉まれた感触の違いがわかれば、自ずと自らの施術の姿勢が変わりますから。

按摩の世界には、いわゆる「患者のプロ」という人がいたりして。
触れた瞬間に「あぁ、兄ちゃん、この仕事はじめたばかりだね。まあ、頑張って揉んでくれ
よ。」みたく、触れた瞬間に技量がバレバレになる人たちがいます。
上記のようなレッスンをやると、センスの良い人は一回目でその触れられた瞬間に触れた人
の揉む姿勢(身体に対する臨み方)や揉んでいる場所をどれくらい把握しているのか等が感
じ取れます。

こんな授業が月一度、いや、半年に一度あるだけで、学生の按摩は画期的に変わるはずです。
加えて、名人と呼ばれるような按摩さんを年に一度でも招き、学生全員とは言わず数名でも
いいですから実際に揉んでもらい。
その感想を名人実習の後にフィーバックするとか。
フィードバック実習が背景にあれば、名人の感触はかなり伝わると思います。

いや、いいです、このフィードバック実習。
……と、puru内でひとり勝手に盛り上がってしまいました。(^^ゞ

>>オイルマッサージ教えているか
>
>今はかなりの学校が教えていると思います。

おぉ、あマ指の未来は明るい。(^^)

>鍼灸科でのそのような手技教育は暗黙の了解の元に行われています。

うはは。
これは明らかにマズイです。
ていうか、ほとんどギャクですね。(^^;
業界自ら無資格問題を放棄したとしか思えません。

>ま、このことは今はあまり触れたくありませんが・・・・。

時代の流れなんでしょうかねぇ。
業界自らこんな体たらくとは。

無資格問題もあることですし、今一度業界の統一見解をまとめるなり引き締めを行う時期
なのでしょうか。

>むしろ仰せのようにあんま、マッサージ、指圧といった手法の効用や
>その手法の解析などに力を注ぎたいと思います。

按摩の質の向上に期待しています。(^^)

>今、面白がって見ているのがワットポーのタイマッサージ。
>っこれは指圧ですね。そして歴史的背景が1980年頃にそれまでの手技を分断するよ
>うに再構築されています。
>その点で実は歴史の新しい手法といわざるを得ません。
>リフレ、指圧、按摩的な要素を含んでいますね。

ほぇ〜。
80年に再構築されているのですか。
勉強になります。

>古本には面白いものが多々ありますね。
>それらの解析やら、解説をした雑誌なんかあったら最高なんですね。

面白そう。(^^)
そゆ雑誌があったら定期購読しそう。

>資金力があればやってみたいものです。そのときはpuruさん、
>連載をお願い(笑い)。

うはは。
もし載せれるようなものがあればお願いします。
(もしあれば (^^;)


Re: 「もむ」という仕事 - うっきー 2010/01/04(Mon) 16:41 No.309
ちょっと聞いた話だけどpuruさんの練習方法は経絡按摩の戸田先生もやっているみたいですよ。基本からしっかり教えてくれるみたいです。

Re: 「もむ」という仕事 - puru 2010/01/04(Mon) 18:02 No.310
はじめまして、うっきーさん。

>ちょっと聞いた話だけどpuruさんの練習方法は経絡按摩の戸田先生もやっているみたいですよ。基本からしっかり教えてくれるみたいです。

おぉーーっ!

これは心強いです。

按摩の未来は明るい。(^^)

情報、ありがとうございます。m( _ _ )m


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