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コミュニケーション puru - 2009/05/18(Mon) 14:22 No.89

コミュニケーションについて書いたので、とりあえずスレッドを変えました。

>いろいろ繰り返してきたことを思い出してみて、ようやくわかりました。

む〜。
またひとつ、思い込みが増えましたか。

>思い返して見ると、怒りだされるタイミングがいつもほんとんど同じだった
>ので、そのタイミングの直前に自分が何を言ったか、考えてみました。

何を言ったかは、さほど関係ないと思います。
要はコミュニケーションの仕方なのだと思いますよ。

掲示板上での困ったちゃんや掲示板荒し的存在になっている人に、共通する大きな特長があります。
それは、相手の文章や言葉に対して一度も確認をしない、という点です。
「それはこういう意味ですか?」等。
勝手に思い込んだ、定義付け済みの意見を書き込みます。

>心理療法系の目的は「気づく」(「気づかせる」)ことなんだな
>と思い至りました。

こんな感じに、自分内世界で回答を出してしまいます。

それと。
ぼくにはもの凄く奇異に思えるのですが。
多少かじった程度の知識や経験で、何故に「心理療法は」的に一般化して断定出来ちゃうんだろうという事。
ぼくも多少は心理療法の端を学びましたが、とても「心理療法は」と全体像や一般化して語ることは出来ないです。

>だから、気づかずに「煩悩の連鎖を断つ」のは、とんでもないこと
>なのかなと思いました。

何故「気づき」にこだわるんでしょ。
心理療法の中には、気づきという言葉や概念にとらわれないものが一杯あります。

>私の視点からは、puruさんのやりたいことは、按摩マッサージも利用した
>心理療法なので、名前も「按摩風心理療法」とかのほうが良いように思い
>ますが、

大きなお世話です。
遊風さんと対話する以外では、何の問題もありませんから。

それと、ぼくのやりたいことは心理療法なのですか?

あ。
冗談で書いた、「アウェアネス・マッサージ」のことですか、ひょっとして。
あれは、対遊風さん用限定ジョークでした。

>「気づく」ことを目的にする場合、「気づく」や「心理療法」を
>表に出さないほうが目的を達成しやすいということなのかなとも思いました。

誰の何の目的が「気づく」なのでしょうか。

ここでのやり取りの中でも書いた記憶がありますが、強いて目的といえば「人と触れ合うこと」です。
遊風さん的な知識や情報、思い込みのやり取りじゃなくって、感覚や感性、情感を含めた触れ合いですが。

>頭の回転の鈍いものにおつきあいくださり、ありがとうございました。

いや、回転の如何ではなくて思い込み断定グセなのだと思います。

>これからもよろしくお願いします。

む〜。

>私自身は、自分の考えを押し付けたりはあまりしていないつもりです。

少なくても相手の言っている言葉の意味とかは確認せず、とにかく自分の意見を開陳しますよね。
そういった、コミュニケーションとはいえないやり取りは勘弁してほしいです。

例えば今回の最初の論点、非一般的定義である「心理療法=キリスト教」「気づき・実感=キリスト教」という定義を。
ごく当然の定義としてではなく、「私はこのように思うのですが、どう思いますか?」的問い掛けからはじめれば、コミュニケーションとして開始出来たのではないかと思います。
(今問いかけられても「興味ないです」と答えますが)

>ただ、私は、自分の考え方とpuruさんの考え方と、どのあたりまでは同じで
>どこからがどう違っているかについては知っておきたかったので、

「知りたい」というのは勘違いだと思いますよ。
最初に答えありきの「教えたい」だと感じますが。

>ひょっとしたら、「気づく」ことを目的とする方は、他人と自分との違いに
>興味がないし、意見交換しながら技法を進化させることにも興味が無い
>のかもしれないなとも思いました。

「気づく」ことを目的にしている人って……。
って、たぶんぼくのことを指しているのだと思いますが、この勝手な思い込みもなんとかならないものでしょうか。

それにしても、何故に様々な事象を勝手にザックリ一般化し定義してしまうのか……。
聞いてみる、という方法論もあるでしょうに。

>(このあたり、一つの宗教を
>信じるものが他の宗教に興味ないことに似ている感じがしました)
>そして、そうだとしたら、目障りだったかもしれないなとも思いました。
>そこまでは考えが至りませんでした。すみません。

勝手な思い込みで謝られてもワケワカメです。
Re: コミュニケーション 遊風 - 2009/05/18(Mon) 20:37 <URL> No.90

 余計なおせっかいだとは思いますが、話がここまで来たら書いておいた
ほうが良いかなと思いましたので、書きます。

 私が心理療法を按摩などに取り入れるのに躊躇するのは、若いころ心理
療法で心の振れ幅を大きくして自殺したり精神病になったり自動運動が
止まらなくなったりする方を見てきているからにもよりますが、
ここ十数年で増えた精神科や神経内科のクリニックで、テナントとして
はいっているビルの屋上で飛び降りると騒いだ例や、クリニック内でリスト
カットした例を知っているからでもあります。医師は専門家だと見なされて
いるせいか、あまり表立っていませんが、治療院だとどうなっていたかな
と考えてしまいます。

 刺絡学会のある先生からは、鍼灸院で心理療法を併用していた先生が、
ある日、院を出たところで金属バットを持った患者さんになぐりかかられた
という話も聞きました。

 そういう面も考慮して取り入れたほうがよいのではないかと思っています
し、橋本先生が想にあまり書かれていないのもそういう面も考慮したから
ではないかなと思っています。


実感 puru - 2009/05/13(Wed) 11:56 No.69

昨日、久しぶりに友だちが遊びに来てくれて、宗教や精神世界、心理学等の話に華が咲いたのですが、中でも心理療法「フォーカシング」の話が懐かしく愉しかったです。
遊風さんの「西洋心理学」や「心理療法」が具体的に何を指しているのか不明なままですが、「フォーカシング」をからめてぼくにとっての心理療法、みたいなものを書いてみたいと思います。
実感や共感のベースともなるものだと思うので。

今もそうなのかはわかりませんが、以前日本で「カウンセリング」といえば来談者中心療法である「ロジャース派」が有名でした。
「フォーカシング」とは厳密には臨床心理学に位置づけられ、来談者中心療法の創始者カール・ロジャースの共同研究者ユージン・ジェンドリンが体系化した、想いや気分、情動などをリアルな体感として捉えるための技法です。
日本にはじめてフォーカシングを紹介したフォーカシング研究の第一人者は臨床心理学者の村瀬孝雄氏で、氏は森田療法や内観療法の研究者としても有名です。

思い返せば、鍼灸学校入学と同時に操体法の講習会に通いはじめ、さらにバイオエナジェティックスのワークショップに参加したり、心理療法や精神療法も学びはじめました。
バイオエナジェティックスとは、心理学者ウィルヘルム・ライヒの弟子アレキサンダー・ローエンが体系化した生体エネルギーを開放する技法です。
ローエンの師ウィルヘルム・ライヒはフロイトに破門され、晩年は獄中死するという将に異端の心理学者でしたが、その後今に至るまで生体や情動エネルギーに関わる精神療法全般に渡って、多大な影響を及ぼすことになる基本的な概念、理論、技法を創出した傑出した人だと思います。

ちなみに昔、操体法の創始者橋本敬三先生の治療室で、その書棚にウィルヘルム・ライヒ著「オルガスムの機能」を見つけた時は、「やはり」と思い、うれしくなった記憶があります。

当時、ぼくが参加したバイオエナジェティックス・ワークショップのリーダーは、デイビッド・ボアデラという方で、野口整体にも興味を持ち積極的に研究していたようでした。
その後氏はヨーロッパ・ボディサイコセラピー協会初代会長となり、それまでの研究をバイオシンセシスとして体系化したようです。

ライヒからローエンに受け継がれた生体エネルギー療法ですが、ベジトセラピー、ライヒアン、バイオエナジェティックス、パルセイションという名前で知られ、その他の技法にも影響を与えることになります。
ロルフィングやヘラーワーク、リバランシング、ブレスセラピー(ブリージング)等のボディーワークや、身体に蓄積ブロックされた情動エネルギーを開放するセラピーの理論的背景には、もちろんライヒの生体エネルギー理論があるでしょう。
ぼくのHPにある「チュアカ」(http://tao.main.jp/chuaka/)も、ライヒの延長線上にある技法です。

OSHOコミューンでリバランシングのトレーニングを受けたり、1990年くらいまでは操体法や東洋医学と平行してボディーワークやセラピーの勉強をしていましたが、90年代からはブレスセラピー・ワークショップを自ら主催するようになりました。
ぼくが学んだ80年代のセラピーはいささか武骨で、情動エネルギーの開放、カタルシスに焦点があったように思います。
本来ならば、抑圧、蓄積された情動エネルギーは、再び受容され咀嚼、昇華されるべきだと思うのですが、情動エネルギーが喚起されるやいなや発散する方向に向かっていた感があります。
今から思えば、80年代という時代がそうだった、とも思います。

90年代、自らブレスセラピーを主催しながら、出来る限り情動エネルギーを咀嚼、昇華する方向性で運営してはいたのですが、どうしても参加者の意識はエネルギー体験や変成意識体験を捕まえてしまう傾向があり。
それは、リーダーの非力さ故なのですが……。
とはいえ、体験を重ねることで、徐々に咀嚼、昇華はなされていきました。

21世紀の今、80年代や90年代に行われていた手法は既に遠い昔のものだと思います。
同じ名前のまま行われているセラピーやボディーワークも、よりデリケートで洗練されたものになっていることでしょう。

そんな今、あらためて「フォーカシング」を思い出すと、現代にぴったりな技法なのではないかと思います。
ひとり静かに、未消化だった想いを、自分のペースとタイミングで、咀嚼し昇華出来る技法。

例えば、ピンと来ない想いや、胸の中に何だかもやもやする気分がわだかまっている時。
それを体感として感じてみる。
胸の中のもやもやはどんな質感、感触のものなのか、形や大きさは、色は……、などなど。
言葉にするとどんな言葉になるか、もやもやがしっくりと来るのか、それともギューッとしているのか、などなど。
自分がもやもやそのものになったとしたら、どんな体勢でどんなセリフを出すのか。

多くの場合、もやもやは不快な情動をともなっており。
反射的にその感覚を抑圧し、もやもやの原因や理由、正当性、取るべき行動などを素早く思考しはじめます。
反射的でオートマチックな、活き活きとした実感から硬直した思考へのシフト。

それを、もう一度実感的なものとして取り戻す。
ピンと来ないことや、もやもやとした想いのない、スッキリと腑に落ちる人生を送るための良いツールになるのではないか、そう思います。

・「フォーカシング」ユージン T.ジェンドリン (著), 村山 正治 (翻訳)  福村出版 ¥ 3,780(税込)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4571240023?ie=UTF8&tag=puruanma-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4571240023

・「マンガで学ぶフォーカシング入門―からだをとおして自分の気持ちに気づく方法」 福盛 英明 (著), 森川 友子 (著), 村山 正治 誠信書房 ¥ 1,995 (税込)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4414400201?ie=UTF8&tag=puruanma-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4414400201
Re: 実感 puru - 2009/05/13(Wed) 17:18 No.70

補足

80年代は、心身の改善や治療に役立ちそうな心理学や心理療法といえば、上記のものやゲシュタルト療法に代表されるものだったように思います。
90年代に入ると、日本にもトランスパーソナル心理学が紹介されはじめましたが、それでも当時の心理学の主流は刺激-反応的な行動主義心理学が中心であり、ゲシュタルトやバイオエナジェティックス、フォーカシング等は主流から外れたニューウエーブなものでした。

で、ぼくが知っているのはこの辺まで。

その後、コンピューターの発展にともない情報科学が隆盛。
現在では、行動主義心理学にとってかわり、知覚・理解・思考・学習・記憶・コミュニケートなどを対象とする認知心理学が心理学の主流なのだとか。
これ、ものすごく興味深いです。
行動主義心理学とは異なり、すぐさま実用に応用出来そうな学問のようなのですが、年寄りにはどこから手を付けてよいのやら皆目見当もつきません。(^^;
その内折りを見て、ぼちぼちと勉強したいとは思うのですが……。

という訳で、現代の心理学や心理療法にはとんと疎いpuruなのであります。
Re: 実感 遊風 - 2009/05/14(Thu) 09:41 <URL> No.71

書いてくださりありがとうございます。
たぶんそういう経験をお持ちなんだろうなと思ってはいましたが。

私が心理療法のことを調べたりしていたのは、もうすこし古く
60年代後半から70年代です。
いちばん影響を受けたのが、R.D.レインで、中でも「経験の政治学」。

当時のものは、それ以外にも知っているものがあり、ロジャース、ライヒ
など、読んだ記憶があります。

日本のものだと、森田療法、野口さんの潜在意識教育、ヤマギシズム、
齋藤茂太さんの病院の運動会、奈良のお寺で精神病患者さんを預かってる
所など、友達に連れて行かれました。

今で言うと気功の偏差の精神症状系みたいな現象に沢山出会い、
良い時は良いのだが、こう振れ幅が大きいのは困るなと思ったのと
西洋の心理療法は、キリスト教の代替物だなと思ったのがきっかけで
離れました。

その後第5世代コンピュータの関係から認知心理学なども調べたり
しましたが、まぁ、いまは
心は、ぼーっとさせておくにかぎるなという感じです。
思い方を変えさせたりで心に努力をさせる方法は、副作用も強いから
無心無我のほうがよいかなという感じ。

夢中になれることを見つけて楽しんでそれができれば良いということです。
一人一人には、体という自然があるのだから。
アニミズム的心情の持ち主なんで、自然=カミという意識がありますし。
Re: 実感 だるま - 2009/05/14(Thu) 10:33 No.72

puruさん、興味深いスレッドありがとうございます。

>ぼくが学んだ80年代のセラピーはいささか武骨で、情動エネルギーの開放、カタルシスに焦点があったように思います。
本来ならば、抑圧、蓄積された情動エネルギーは、再び受容され咀嚼、昇華されるべきだと思うのですが、情動エネルギーが喚起されるやいなや発散する方向に向かっていた感があります。
今から思えば、80年代という時代がそうだった、とも思います。

私が、愛好している活元運動(野口整体)はエネルギーを発散する方向と捉えていたのですが、咀嚼、昇華されるという視点で見てみると、私自身その時は、気持ちが晴れたりするのですが、持続しないという点や悩み等を糧として成長していいない気がしていました。puruさん文章を読んで合点がいきました。
Re: 実感 puru - 2009/05/14(Thu) 16:20 No.73

>日本のものだと、森田療法、野口さんの潜在意識教育、ヤマギシズム、
>齋藤茂太さんの病院の運動会、奈良のお寺で精神病患者さんを預かってる
>所など、友達に連れて行かれました。
>
>今で言うと気功の偏差の精神症状系みたいな現象に沢山出会い、
>良い時は良いのだが、こう振れ幅が大きいのは困るなと思ったのと
>西洋の心理療法は、キリスト教の代替物だなと思ったのがきっかけで
>離れました。

これを読んでも、何故遊風さんがザックリひとまとめで

西洋心理学・心理療法=キリスト教の代替物

と断じるのか理由がわからないのです。
ある程度手法や学派なりを特定してくれればよいのですが、ひとまとめで断じられると西洋心理学や心理療法を行っている人たちも困惑するのではないかと思います。
実際、HP「そうたい 操体」の施術を受けられる治療院が掲載されているリンクページには、操体法とともに心理療法を行っている先生のリンクもあることですし。

>思い方を変えさせたりで心に努力をさせる方法は、副作用も強いから

この「思い方を変えさせる」手法をとる心理学や心理療法がぼくには思いつかないのですよ。
強いて挙げれば、心理学という範疇には入らないクリスチャンサイエンスや自己啓発系、ポジティブシンキングに代表されるニューエイジ系とか……。
それらに関しては、ぼくも「あら、あら」と思うものもありますが。
Re: 実感 puru - 2009/05/14(Thu) 16:22 No.74

>私が、愛好している活元運動(野口整体)はエネルギーを発散する方向と捉えていたのですが、咀嚼、昇華されるという視点で見てみると、私自身その時は、気持ちが晴れたりするのですが、持続しないという点や悩み等を糧として成長していいない気がしていました。puruさん文章を読んで合点がいきました。

インドでライヒ系のワークが含まれるグループに参加したことがあるのですが、西洋人のエネルギー発散を見て思わず笑ってしまったことがあります。
その人の内側でエネルギーが高まる気配もないのに、猛然と激しくカタルシスをはじめ、終わった後はスッキリとした満足顔。
確かに鬱屈したマインド(頭、思考)はカタルシス出来たのだと思います。(笑)

ぼくも数回ですが活元会だったか野口整体に行ったことがあり、他にも、インドネシアのスブドという宗教的同胞会のラティハンと呼ばれる活元にも似た儀式のイニシエーションを、日本人ではじめてスブドに接触した十菱麟さんから受けたことがあります。

(随分思い出すことのなかった十菱麟さんですが、先ほど検索してみたら今年3月に亡くなっていました。
ものすごく破天荒な(多くの人にとっては迷惑な 笑)爺さんで、思い出す度に笑ってしまいます。
そいえば、エドガー・ケイシーを日本に紹介したのも十菱麟さんでした。
肉体という束縛から抜け出し、風通しのよい世界で伸び伸びとしていることでしょう。>ね、麟さん)

OSHOの瞑想には体の無意識の動きを誘発する瞑想も多く、活元やラティハン以外でもそういった現象に馴染みが深かったりするのですが、エネルギーの質の探求という意味ではとても興味深い技法たちですよね。
基本的には、波に乗るように体の動きについていけばよいと思うのですが、その技法自体に価値付けをしてしまったり、ある種自分なりのパターンが出来はじめたりするとつまらないです。

動き出しそうなエネルギーをあえて動きとして流してしまわずに、温存し胎養し、質が高まったところでその質とともに動きについていく、とか工夫すると楽しいです。
足を組んで瞑想している時にそういったエネルギーがお腹の中に現れる時もあり、温存して眺めていると体の中を移動しはじめ、体外に抜けていったりとか。
町を歩いている最中に体内にそんなエネルギーを探し、体内を動き抜けていくのを見守る、とかいう遊びも出来ます。
そういった経験から、抑圧され開放されていない情動も含めたエネルギーは、必ずしも身体の動きや表現を通さなくても、味わうように見守るだけでも動き開放されていくのだと思ってみたり。
Re: 実感 だるま - 2009/05/14(Thu) 18:27 No.75

うわぁ〜、十菱麟さんですか?私の知人が彼から色々なことを学んだことを聞いたことがあります。世間は狭いですね!

>基本的には、波に乗るように体の動きについていけばよいと思うのですが、その技法自体に価値付けをしてしまったり、ある種なりのパターンが出来はじめたりするとつまらないです。

puruさんの仰る通り、活元運動が発展する上で大切なことです。良い指導者は、そこら辺をきちんと理解しているみたいですが、実際に誘導できる方は少ないようです。

>動き出しそうなエネルギーをあえて動きとして流してしまわずに、温存し胎養し、質が高まったところでその質とともに動きについていく、とか工夫すると楽しいです。

少し、試してみますね!
Re: 実感 遊風 - 2009/05/15(Fri) 08:59 <URL> No.76

まずは書いておいたものから

レインは、煩悩の連鎖に気づいていたという点で東洋的な面があります。
『結ぼれ』(knots)、『好き好き大好き』(DoYouLoveMe?)
などは、煩悩の連鎖の典型例です。
『狂気をくぐり抜ける』は、煩悩の連鎖を断ち切った例のように見えました。
レインが晩年をテーラワーダ仏教の地スリランカで過ごしたのも、
なんとなく、そのあたりと関係していたように思います。

心理学とキリスト教の相似は
「本当の自分」や「超自我」=キリストやGOD
「本当の自分にきづく」=「GODの存在に気づく」
ニーチェが「GODが死んだ」というような時代に
キリスト教の代替物としてフロイトが心理学を作り出した
と考えると、相似していて当たり前かなと思います。
ミッション系大学に心理学部が多いし、シスターがカウンセラーしてる
ことが多いし。

私には、puruさんのファーカシングの説明を読んでも
心の思い方を変える技法だなと思えてしまいます。
「本当の自分」の代わりに「実感」という言葉に置き換わっただけ
のように思えます。全部ではないかもしれませんが。
紹介の本の副題に「自分の気持ちに気づく」という言葉もはいっているし。
この「自分」は「本当の自分」(=GOD)という使い方だと思うし。
ようするに、キリスト教の説明構造と変わっていないように思います。

『気づく」というのは、本来は1回気がついたら、同じことは何回も気づく
必要はないことをさす言葉のように思います。
心理学で療法をするたびに何度も「気づく」という言葉が出てくるのは
「GODの存在に気づく」ということの代替物だからだろうなと思っています。
(心理療法をするたびに「GODの存在に気づく」ことを繰り返す必要がある)
そんなわけで、心理療法に「気づく」という言葉が良く出てきているなら、
その心理療法はキリスト教由来だなと考えて良いような気がしています。
この使い方での「気づく」=「心の思い方を変える」なんじゃないかな
「GODの存在に気づく」つまり「キリスト教を信仰する」つまり
「八百万のカミを信じるのをやめる」なので。
私には、心理学の歴史は、「GODの存在に気づく」の「GODの存在」
の部分を時代に合わせて入れ替えてきただけのように見えますし、
流派の違いも「GODの存在」の部分の代替物の違いのように見えます。

東洋的というか仏教系では「無我」。つまり「自分という意識が無い」または
「自分という意識を無くす」というのとは、だいぶ説明構造が違います。
また、「無心」ということと「気づく」ということの違いも大きいかな
と思っています。
Re: 実感 puru - 2009/05/15(Fri) 12:04 No.77

>心理学とキリスト教の相似は
>「本当の自分」や「超自我」=キリストやGOD
>「本当の自分にきづく」=「GODの存在に気づく」

>紹介の本の副題に「自分の気持ちに気づく」という言葉もはいっているし。
>この「自分」は「本当の自分」(=GOD)という使い方だと思うし。
>ようするに、キリスト教の説明構造と変わっていないように思います。

>『気づく」というのは、本来は1回気がついたら、同じことは何回も気づく
>必要はないことをさす言葉のように思います。
>心理学で療法をするたびに何度も「気づく」という言葉が出てくるのは
>「GODの存在に気づく」ということの代替物だからだろうなと思っています。
>(心理療法をするたびに「GODの存在に気づく」ことを繰り返す必要がある)

>私には、心理学の歴史は、「GODの存在に気づく」の「GODの存在」
>の部分を時代に合わせて入れ替えてきただけのように見えますし、
>流派の違いも「GODの存在」の部分の代替物の違いのように見えます。

なるほど。

「本当の自分」「自分の気持ちに気づく」=「GODの存在に気づく」

という論理なのですね。
了解しました。

この論理でいけば、「おのれの仏性に気づく」という言い回しでも、結局は「GODの存在に気づく」というキリスト教の説明構造で。
テーラワーダ仏教のヴィパッサナは「気づきの瞑想」とも呼ばれていますし、ラベリングなどは「心の思い方を変える技法」になりそうです。
という妄想は置いといて。

なにはともあれ、ぼくにはとても一般性ある論理展開には思えませんが、遊風さん内世界では議論の余地もない論理展開なのだと思います。

考えてみれば、

>ある程度手法や学派なりを特定してくれればよいのですが、ひとまとめで断じられると西洋心理学や心理療法を行っている人たちも困惑するのではないかと思います。
>実際、HP「そうたい 操体」の施術を受けられる治療院が掲載されているリンクページには、操体法とともに心理療法を行っている先生のリンクもあることですし。

というのも余計なお世話的意見でしたね。
すみませんでした。
Re: 実感 puru - 2009/05/15(Fri) 12:13 No.78

>うわぁ〜、十菱麟さんですか?私の知人が彼から色々なことを学んだことを聞いたことがあります。世間は狭いですね!

うはは。
世間が狭いのか、十菱麟さんのフットワークが幅広いのかわかりませんが。

西荻窪に住んでいた頃、何の縁か泊まりに来てくれて。
強烈な印象を残して去って行きました。

>少し、試してみますね!

感覚やエネルギーを試行錯誤しながら探求していくのは、めちゃ楽しいですよね。(^^)
Re: 実感 遊風 - 2009/05/15(Fri) 17:27 <URL> No.79

>「おのれの仏性に気づく」という言い回しでも、
>結局は「GODの存在に気づく」というキリスト教の説明構造で。
>テーラワーダ仏教のヴィパッサナは「気づきの瞑想」とも呼ばれています
>ラベリングなどは「心の思い方を変える技法」になりそうです。

そのあたり、仏教も宗教ですから、似た面もありますね。
でも、キリスト教系に比べるとはるかに少ないし、
日本の場合、キリスト教系が「気づく」という言葉を多用しているので
引きずられて使っている面もあるかなと思っています。

まぁ、私は、少なくとも、仏教系のほうが「気づく」ことを直接勧めないで、
自分で気づくことを待っていることが比較的多い点で、比較的副作用が
少ないかなと思って見ています。

理想は、気づいたことに気がつかせずに気づかせることかなという感じ。
心に思い方を変える努力をさせなくても、心が安定すれば良い、
悩んでいた原因は残っていても、悩みが気にならなくなれば良い、
そのあたり、無心、無想をすすめていることが比較的多い点で
仏教系東洋系のほうが比較的良いかなという感じです。

ヴィパッサナーは、実際には、煩悩の連鎖を断つ練習法だと思います。
何か心に浮かんだら「妄想、妄想、妄想」と3回となえることに
なっています。そういう無想を通して、結果的に気づかせる
という点が、気づくことを手段としているキリスト教系との違い
かなと思っています.道元禅師の「只管打坐」も似てますね。

また、初期仏教の瞑想の目的は、日本語の「気づく」よりも実際は「理解」
(「気づく」にも幅がありますが、この場合は心理学で使う「気づく」)
のほうがニュアンス的に近いような気がしています。
「自灯明」と言ったかな、自分が理解したことを頼りに歩めということ。
そのあたりが、GOD(天主)のいるキリスト教と、いない初期仏教の差
かなと思ってみています。

私自身は、ヴィパッサナーよりも操体をしたほうが、簡単に
煩悩の連鎖を断てるような気がしましたが。やっていて楽しいし。

操体に限らず、ほかのものもふくめて、
体からのアプローチだけでも、悩んでいたことが
気にならなくなる状態に持っていくことはできますし。

橋本先生が想のことを感謝以外あまり書き残さなかったのも、
気づくことを勧めるよりも、待っていたほうが良いという考えからかも
しれないなと思いました。81年6月放送の人生読本の中で引用されている
のは仏教の話が多かったこともあり。

私は、橋本先生が想の操体をあまり残されていないから、それを発展させよう
というよりも、橋本先生が何故想に深入りしなかったのかなということを
考えているわけです。

橋本先生も「気づき」よりも「理解」を勧めているように思いますし。

私の場合は、「ただひたすら一人操体や二人操体をしていきましょう、
もくもくと」という感じでやっています。
道元禅師の「只管打坐」の「坐」の代わりに「操体」です。
Re: 実感 遊風 - 2009/05/15(Fri) 17:38 <URL> No.80

続きです

「ただひたすら一人操体や二人操体をしていく、もくもくと」(只管操体)

私は、アニミズム的心情の持ち主なんで、体=自然=カミなんですね。
只管操体して、体と対話していれば、カミと対話していることになる
という感じも持っています。

一人操体は、自分の体(=カミ)との対話
二人操体は、自分の体(=カミ)と相手の体(=カミ)の対話

そうしていると、自然に心も安定していくということです。
Re: 実感 遊風 - 2009/05/16(Sat) 06:55 <URL> No.81

続き2です。

私は、全ての学説・理論・思想・教義・方法は仮定にすぎないと思います。
人間が思い考えて作ったものですから。

それよりも、人間が思い考えて作ったものではない体という自然のほうが
比較的完全だし、安定していると思います(橋本先生:体の設計にミスはない)

一人一人の身近に、体という、設計にミスの無い、人間が思い考えて作った
学説・理論・思想・教義・方法よりも、比較的完全で安定しているものが
あるのだから、それと直接対話したほうが無駄が少ないように思いますし、
体と対話するには、操体は良い方法だなと思っています。
(ヴィパサナー瞑想や座禅よりも簡単で楽しく身につけやすい)

ぶっちゃけて言えば、宗教的に「きづく」というのは、
「いろいろ思い悩んでも何にもならないということ」
「に気づく」、「を理解し納得する」
ということにすぎないように思いますし。
(「理解」だけよりも「理解し納得する」ほうがより良いかなと思いました)

つまり、 只管打坐などでできることは、 只管操体でもできるということ。
だから、橋本先生は、想について感謝という以外は書き残す必要は無かった
のではないかなと思っています。
Re: 実感 puru - 2009/05/16(Sat) 11:10 No.82

>>「おのれの仏性に気づく」という言い回しでも、
>>結局は「GODの存在に気づく」というキリスト教の説明構造で。
>>テーラワーダ仏教のヴィパッサナは「気づきの瞑想」とも呼ばれています
>>ラベリングなどは「心の思い方を変える技法」になりそうです。
>
>そのあたり、仏教も宗教ですから、似た面もありますね。
>でも、キリスト教系に比べるとはるかに少ないし、

ええと、多少の問題ではなくてその意味するところだと思うのですが、それは些末な事だと思います。

いずれにしろ、その理由や論理展開は理解出来ないものの、遊風さんが西洋的な香りを纏った「気づき」や「実感」という言葉が嫌いらしい、ということはわかってきました。
好き・嫌いは、理由付けや論理的説明以前にとても大切なことだと感じます。

>あと、私は、puruさんの言う「施術者と受け手の両者に実感の伴なう」
>という表現には、非常に西洋心理学的な面(キリスト教由来)を感じて
>しまうので、それが日本的とか、江戸時代からとか言われると、
>何か変だなという違和感が出てきてしまいます。

そういえば昔、「アウェアネス操体」というクラスを開いていました。
「気づきの操体」。
今でも気に入っているネーミングです。

>私は、全ての学説・理論・思想・教義・方法は仮定にすぎないと思います。
>人間が思い考えて作ったものですから。

激しく同意です。

操体法も各先生によって、その世界はかなり違いますものね。

>一人操体は、自分の体(=カミ)との対話
>二人操体は、自分の体(=カミ)と相手の体(=カミ)の対話
>
>そうしていると、自然に心も安定していくということです。

思うのですが。

その論理的整合性はともかく自分の好まないものを批判否定し、それを踏み台に、そうではない自派の優越性や素晴らしさを得々と語られても、この文脈では「なるほど、たぶん素晴らしいんでしょうね」としか言えないです。
別の機会や状況によっては興味を惹かれるかも知れないですが、少なくとも今はあまり興味がないです。

前にも書きましたが、自分が嫌いなものや好まないものはソッとしてあげて、価値観の合う共感出来る人たちと切磋琢磨出来ないものでしょうか。
みんなの好むもの、価値観は、驚くほど異なるのですから。

遊風さん自身も書いていました。

>夢中になれることを見つけて楽しんでそれができれば良いということです。

すべての人がそう在るとよいですね。

存在(人々の価値観を含む宇宙全体)は、多様性に満ちていて、魅惑的。(^^)
Re: 実感 puru - 2009/05/16(Sat) 14:43 No.83

追伸

いいこと思いついた。(^^)
ぼく、自分のことを、鍼灸あマ指業ではなくて「アウェアネス・マッサージ」という、治療ではないボデ−ワークの創始者ということにします。
というか、そう思ってみてください。

「アウェアネス・マッサージ」とは、感覚や想い、気分、情動などを体の「実感」として取り戻し、それを深めて探求するというもの。
それは、見守ることや気づきを重視します。(^^)v
Re: 実感 遊風 - 2009/05/16(Sat) 23:25 <URL> No.85

まずは、書いておいたものから

そういうわけで、わたしは、按摩マッサージをたのまれたときでも、
基本的に、施術中だけでも心の中の堂々巡りが消えることを目指してます。
(「煩悩の連鎖を断つ」では、大げさなんで)

私が心理療法よりも体中心の療法に移ったのも、操体をはじめ、ヨガとか
気功とかも含めて、東洋的な体を動かす養生法をしていると、自然に
心の中の堂々巡りが消えている(心に努力させたわけではないのに)
ことに気づき、びっくりしたことがきっかけの一つでしたから。

人により向き不向きもあるのかもしれませんが、按摩でも操体でも鍼灸でも
心の堂々巡りに関係するツボの出やすいところを少し丁寧に施術するだけで
施術中だけでも、心の堂々巡りが消えている状態にすることは難しくないと
思っていますし、心が揺れていそうな方にはそうしています。

そして、一人操体を習慣にしてもらうと、心の中の堂々巡りが少ない状態
を保ってもらうこともできます。

>自分の好まないものを批判否定
>自派の優越性や素晴らしさを得々と語る

なぜそうとるのかなぁ?それが理解できないですねー。

実感とかが日本古来の按摩とかにあったはずのものという話だったので、
それは違っていて、キリスト教系の心理療法に由来するものなのではないの
と言っているだけのことです。で、それはそうだったということなのでは?

別に自分のほうが優越しているとか書いていないでしょう。
こういう経験をして、こういう点が大切だと思うから、こういう風にしている
東洋系や日本由来なら、こういう要素が強いことが多いのが一般的なのでは
ないかと書いているだけです。

日本伝来のものに由来していれば、無心、無想とかのほうが
「気づき」よりも重視されているほうが普通だし、
橋本先生も、それに近い形で操体の全体像を語っているように
私には見えるという話をしているだけだし。

それによって、キリスト教系の心理療法に由来するものとの差が
はっきりするから書いただけです。

どうもキリスト教由来の心理療法にこっている方と話をつめていくと
反応がみんな同じなんだなー、40年近く前から何度繰り返したことか。
(puruさんまでそうだったのかと唖然としてますし、ガッカリしてます)
(puruさんなら、違う反応が返ってくるかなと期待していましたので)

何故か、みんな、始めは心理療法由来であることを隠そうとするんですね。
そして、それを指摘され、否定できなくなると、嫌いだから否定してるとか
価値観の相違を認めないとか言い出すんですよね。

宣教師がキリスト教を勧めたときにやり方に良く似ていると感じてしまう
のも、キリスト教由来だからかなと思ってしまいます。

はじめから、心理療法とマッサージを組み合わせたものをやりますと
ルーツを明らかにして、取り組んでいれば、こちらも疑問には感じないし、
東洋系、日本由来のものとか、操体と橋本先生の書き残したこととか
出す必要も無かったと思います。

Re: 実感 puru - 2009/05/17(Sun) 12:36 No.86

>>自分の好まないものを批判否定
>>自派の優越性や素晴らしさを得々と語る
>
>なぜそうとるのかなぁ?それが理解できないですねー。

おそらくそうだと思います。

ぼくは、一度も遊風さんの治療観やスタンスは尋ねてはいません。
心理療法=キリスト教という理由、根拠を聞いていただけ。

>実感とかが日本古来の按摩とかにあったはずのものという話だったので、

そんなことは一度も言ってませんよ。
遊風さん故の誤読というか……。

日本古来の按摩や江戸期按摩、または昭和初期の日本人の触れ方等、「どんなだったんだろう」と思いを馳せることはあっても、「実感とかが日本古来の按摩とかにあったはず」などは、ぼくの思考の中にはないです。

というか。

>>あと、私は、puruさんの言う「施術者と受け手の両者に実感の伴なう」
>>という表現には、非常に西洋心理学的な面(キリスト教由来)を感じて
>>しまうので、それが日本的とか、江戸時代からとか言われると、
>>何か変だなという違和感が出てきてしまいます。

というように、もともと違和感を感じていたんですよね。
だから敢えて、この掲示板上で論破しようと乗り込んで来たのだと、今は理解しています。

>実感とかが日本古来の按摩とかにあったはずのものという話だったので、
>キリスト教系の心理療法に由来するものなのではないの
>と言っているだけのことです。で、それはそうだったということなのでは?

え?
いつからそうなったのですか?

>>>「本当の自分」「自分の気持ちに気づく」=「GODの存在に気づく」

>>>心理学で療法をするたびに何度も「気づく」という言葉が出てくるのは
>>>「GODの存在に気づく」ということの代替物だからだろうなと思っています。

上記の論理は短絡し過ぎていて、ぼくには理解不能です。
仏教、特に禅系を考慮すれば自明だと思いますが。

>日本伝来のものに由来していれば、無心、無想とかのほうが
>「気づき」よりも重視されているほうが普通だし、
>橋本先生も、それに近い形で操体の全体像を語っているように
>私には見えるという話をしているだけだし。

下の方でも書きますが、そもそもぼくには、東洋または操体と西洋由来のものを比較、区別する必然性がないです。

>それによって、キリスト教系の心理療法に由来するものとの差が
>はっきりするから書いただけです。

遊風さんの中に、そういった対立、差があるのでハッキリさせたいのだと思いますが。
ぼくの中にそういった問題や対立、興味はないです。

>どうもキリスト教由来の心理療法にこっている方と話をつめていくと
>反応がみんな同じなんだなー、40年近く前から何度繰り返したことか。

これまでの遊風さんの他の掲示板でのやり取りも含めて思うのですが。
遊風さんが同じである限り、その反応は永遠に続くと思いますよ。

遊風さんの論理は以下の3点に象徴されると思われ、それを前提に論戦を挑まれているような感じがします。(放っておいてほしいのですが……。)

1.心理学・心理療法・気づき・実感=キリスト教
2.心理学・心理療法=心の思い方を変える手法=「今で言うと気功の偏差の精神症状系みたいな現象に沢山出会い、良い時は良いのだが、こう振れ幅が大きいのは困る」
3.無心、無想をすすめていることが比較的多い点で仏教系東洋系のほうが比較的良い
4.一人操体は、自分の体(=カミ)との対話。二人操体は、自分の体(=カミ)と相手の体(=カミ)の対話。そうしていると、自然に心も安定していくということです。

まず「1」でキョトンとします。
「1」の明快な理由、根拠が示されないまま、「1」の問題点「2」が出てくる訳ですが、その根拠も遊風さんの個人的経験だけで「1」の問題点に重点がある風でもないです。
その後に続く「3」「4」は「あぁ、なるほど。遊風さんはそう思いますか」的反応しか返せません。

遊風さんは結局何が言いたいのでしょうか。
あはき法じゃないですけど(^^;、西洋心理学・心理療法・実感・気づき・キリスト教は「人の健康を害する虞がある」のでやめるべきだ、的なことですか?(笑)

>何故か、みんな、始めは心理療法由来であることを隠そうとするんですね。

「みんな」が誰だかはわかりませんが、ぼくは隠してませんよ。
プロフィールを見れば、ぼくがボディーワーク「OSHOリバランサー」であることや「ブレスセラピー」というバリバリの心理療法をリードしていたことも明記してあります。

というか、みなさんも別に隠している訳ではないのではないですか?
遊風さんのように心理療法に対する差別観を持っていないだけで、単にいくつか学んできたことの中のひとつという意識なのではないでしょうか。
少なくともぼくの中では、東洋医学や操体法、心理療法は仲良く同居してます。

>はじめから、心理療法とマッサージを組み合わせたものをやりますと
>ルーツを明らかにして、取り組んでいれば、こちらも疑問には感じないし、
>東洋系、日本由来のものとか、操体と橋本先生の書き残したこととか
>出す必要も無かったと思います。

それは遊風さん個人にとっては意味のあることかも知れませんが、心理療法に特別差別観を持たない者にとってはその必然性がわかりません。

西洋心理学的キリスト教的アプローチに対する東洋的アプローチを大々的に喧伝したいのであれば、たぶん誰も邪魔しませんから、遊風さんが自由に伸び伸びとやってくれればよいと思います。
というか、是非とも遊風さん個人の責任で、遊風さんが運営する場を作り、そこでアピールして下さい、お願いですから。
人様の場に乗り込んで論破しようとするのは、その場の人々にとっては迷惑なだけです。

それにしても。
考えるのではなく感じる、思考より実感を大切にしよう、ということに。
そもそも何故心理療法やキリスト教を持ち出して区別しなければならないのか、ぼくにはその理由がまったくわかりません。

繰り返しますね。
是非とも遊風さん個人の責任で、遊風さんが運営する場を作り、そこで好きなだけアピールして下さい、お願いですから。
Re: 実感 遊風 - 2009/05/18(Mon) 09:03 <URL> No.87

いろいろ繰り返してきたことを思い出してみて、ようやくわかりました。
思い返して見ると、怒りだされるタイミングがいつもほんとんど同じだった
ので、そのタイミングの直前に自分が何を言ったか、考えてみました。

目的の違いなんですね、きっと。
心理療法系の目的は「気づく」(「気づかせる」)ことなんだな
と思い至りました。

だから、気づかずに「煩悩の連鎖を断つ」のは、とんでもないこと
なのかなと思いました。

そして、「気づく」は、「理解して納得」、「あ、そうか!」、「合点!」
などでは、言い換えられないことなんですね。目的ですから。
「GODの存在を理解して納得」「GODの存在に、あ、そうか!」
「GODの存在に合点!」では、確かに何か変だなという感じはします。
幅広い「気づく」の意味のなかでも、「理解して納得」や「あ、そうか!」や
「合点!」などとは重ならない部分に、目的があるということなのでしょう。

私の目的は、受け手の方に喜んでいただくこと。
その目的が、歪んだ体に表れるツボを改善し体の生命力を活性化することで
達成できれば、なおうれしいですが。
ですから、心のなかで言葉が堂々巡りしていそうな方には
施術中だけでも堂々巡りがないように、その夜だけでも堂々巡りせず
グッスリ眠れるようになれることを目的にしています。
できれば、気づくこと無しに。
気づかないほうが、堂々巡りが無くなりやすいと経験上思っていますので。

私の視点からは、puruさんのやりたいことは、按摩マッサージも利用した
心理療法なので、名前も「按摩風心理療法」とかのほうが良いように思い
ますが、「気づく」ことを目的にする場合、「気づく」や「心理療法」を
表に出さないほうが目的を達成しやすいということなのかなとも思いました。

頭の回転の鈍いものにおつきあいくださり、ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。

蛇足:
私自身は、自分の考えを押し付けたりはあまりしていないつもりです。
操体や鍼灸を伝えている方々にも、一通り終わったら自分流初代を目指す
よう伝えています。

基本的に、「守破離」を意識して、以下のように思います。

勉強中の方法で、5割り以下の方からしか喜んでもらえないうちは、「守」。
5割り以上の方から喜んでもらえたら、「破」を考え始める時期。
6割り以上の方から喜んでもらえたら、「離」を考え始める時期。
7割り以上の方から喜んでもらえても「離」しないと、停滞をまねきやすい。

この場合「離」はいつも一緒にいることはやめるということで、
連絡をとるのをやめるということでは、ありません。

また、心理的なことや想に関係することは、感謝以外に広めようとは
思っていません。理由は、操体をしていれば、自然に無理無くできることが
多いことだからです。
繰り返しになりますが、橋本先生に近いかなと思っています。

ただ、私は、自分の考え方とpuruさんの考え方と、どのあたりまでは同じで
どこからがどう違っているかについては知っておきたかったので、
自分の考え方とその背景を書きました。そうして、異なる流派の方と意見
交換することで、喜んでいただくという目的のために技法をより良いものに
していけることが今まで多かったからです。

ひょっとしたら、「気づく」ことを目的とする方は、他人と自分との違いに
興味がないし、意見交換しながら技法を進化させることにも興味が無い
のかもしれないなとも思いました。(このあたり、一つの宗教を
信じるものが他の宗教に興味ないことに似ている感じがしました)
そして、そうだとしたら、目障りだったかもしれないなとも思いました。
そこまでは考えが至りませんでした。すみません。

日本的なマッサージがないのは何故? puru - 2009/05/06(Wed) 14:49 No.50

タイトルに「マッサージ」と書きましたが、日本の治療院やサウナ等で見かけるマッサ
ージのほとんどが手技的には按摩なので、厳密には「日本的な按摩がないのは何故?」
というタイトルにした方がいいかも知れないです。
ちなみに、衣服の上から行うのが按摩、パウダーやオイルを使用して皮膚に直接働きか
けるのがマッサージ、と思って間違いないです。

日本の鍼治療は、本場中国と違ってものすごく繊細な鍼を使います。
また日本のある流派では、鍼は刺さずに皮膚に接触させるだけで治療したりし。
日本の土壌で育まれると、同じ治療法でもこれだけ繊細なものになるんだと、感心した
り納得したりします。

按摩から派生した日本オリジナルの指圧も、コリを揉みほぐすという「攻め」の発想が
ない、繊細で丁寧な治療法。

なのに。
何故按摩だけは、武骨な技術のまま受け継がれているんでしょう。
もちろん、本場中国の推拿や按摩の受け手の感覚を軽視したような結果重視、効率主義
的粗暴さは減ってはいますが、それでもやはりコリを揉みほぐす的発想の「攻め」の技
術ではあります。

江戸時代から日本の按摩はこうだったのでしょうか。
おそらく違う、いや、違っていてほしいと思っているのですが、江戸時代から続く吉田
流按摩の特徴は線状揉みな訳であり。
今と大して変わらない可能性が高いです。

もっと繊細に、体に優しく問いかけるような按摩が主流にならないものでしょうか。
現状はマッサージに類する業種が増加して盲人の按摩さんたちも大変だと聞きますが、
盲人の鋭敏な感覚を活かした日本的で繊細な按摩にしていけば、他のマッサージよりも
格段に上質な手技になっていけるのに、と残念に思います。
Re: 日本的なマッサージがないのは何故? 遊風 - 2009/05/06(Wed) 17:20 No.51

>日本の鍼治療はものすごく繊細な鍼。鍼は刺さずに皮膚に接触させるだけ
>日本オリジナルの指圧も、繊細で丁寧な治療法。
>何故按摩だけは、武骨な技術のまま

うーん、按摩にくわしいpuruさんに意義を唱えるのは何ですが、
サウナのようなところやトレーナーの方がするいわゆるスポーツマッサージ
系の按摩は、強揉み主体で、コリを揉むほぐす「攻め」の技術というのは
わかるのですがそうでない系統の按摩をしている方も沢山いらっしゃる
と思います。いわゆる弱揉みですが。

私も医王会で習った経絡指圧がベースですが、どうしても圧をかけている
最中にツボの芯、コリの芯を探して、圧をかける方向をズラしていく傾向
があり、医王会のおばぁちゃん先生からは、「あなたのは気持ちいいけど
指圧ではない」と言われてしまったので、正確に分類すると按摩なのかな
と思っています。

そして、いわゆるスポーツマッサージ系の按摩が好きな方は苦手です。
肘で揉んだりもしますが、肘でも強揉みになっていないようです。

ショッピングセンターなどに増えているリラクゼーション施設などには
弱揉み系の方がいるところもあると聞きますし。

ただ、強揉み系が多いというのと、弱揉み系を伝えている先生がほとんど
いないという点は、そう言えるかなと思います。
按腹などの技術の講習会など見当たらないし。
また、プロスポーツマンやゴルフ帰りの方などを除いた現代の方々には
弱揉み系の按摩のほうが必要とされているとも思います。

私自身は、片手で皮膚の操体や、それに近い按摩をしながら、
片手で肘もみとかしたりして、弱揉み系が向く方に対処しているというか
そっちが主体なので、強もみが好きな方が苦手です。

たぶん、現代の方に向いた体に優しく問いかけるような按摩の体系を
作っていこうよというpuruさんの提案だとは思いますので、
それには大賛成です。できたら、具体的な工夫を伝え合いたいなと思います。

Re: 日本的なマッサージがないのは何故? puru - 2009/05/06(Wed) 19:07 No.52

こんにちは、遊風さん。(^^)

>うーん、按摩にくわしいpuruさんに意義を唱えるのは何ですが、
>サウナのようなところやトレーナーの方がするいわゆるスポーツマッサージ
>系の按摩は、強揉み主体で、コリを揉むほぐす「攻め」の技術というのは
>わかるのですがそうでない系統の按摩をしている方も沢山いらっしゃる
>と思います。いわゆる弱揉みですが。

ツッコミを入れてもらえるとうれしいです。

何せ、こと按摩のことになると共有出来ている言葉は技術的なことに限られると思
われますし、質やコツ、感覚のようなものは、ひとつひとつ言葉を確認していかな
いと……。

ぼくが「攻めの技術」と表現したのは、強揉み、弱揉みも含めてコリを揉みほぐそ
うとすることなんですよ。

いわゆる強揉み、弱揉みは、肉体的動作や力の入れ具合の違いだと思うのですが、
そうではない、情緒的感覚や感性も含めたところまで踏み込みたいのですが、どう
話を進めたらよいのか難しいです。

例えば、操体の指揉みで揉む動きを止めた時、相手の感性次第では波紋のような流
れや拡がりを感じたり即深いリラックス状態に入っていきますが、何も感じない人
もいたりもし。
人の感覚や感性は様々で、いわゆる強揉み、弱揉みではない、それぞれに応じた触
れ方になると思うのです。

あ、そいえば。
遊風さんの「呼吸を観る」は、そういったものに応じる目安になりますね。

>どうしても圧をかけている
>最中にツボの芯、コリの芯を探して、圧をかける方向をズラしていく傾向
>があり、

これ。
これが、揉みほぐそうとするのではない、尋ねるような触れ方だと思うんです。
揉みほぐすのではなくて、探すこと。

コリの芯を探っていると自然に体の芯に向かっていたり、それは確実に受け手の実
感に届くというか響きますよね。
もちろん術者側には、芯を捉える実感として把握出来ていますし。

実感が得られれば、あとは体が勝手に緩んでくれます。

>肘で揉んだりもしますが、肘でも強揉みになっていないようです。

たぶん、これもぼく的言葉でいえば揉んでいるのではなくて、尋ねている、探して
いるのだと思います。

>強もみが好きな方が苦手です。

強揉み希望の人、ぼく、かなり好きです。

昔、強揉み専門みたいなサウナで働いていたことがあって、そこでコリを揉みほぐ
すのではなくて探すということに気づきました。
コリを必死に揉んでいると、コリの表面と闘うばかりで、受け手の実感には届かな
いし、こちらの指は腫れ上がるばかり。
指が腫れているので仕事後の入浴では、浴槽のお湯に手を入れられない日々が続き
ました。

ある日、相手のコリや感覚と闘っていることに気づき、コリや指の痛みと格闘する
のをやめてみました。
指の痛みはとりあえずあきらめて、その痛みの先にある相手のコリの感触や芯を探
すことに意識を切り替えたら。
指の痛みはそれほど気にならなくなり、相手の体の感触が実感として理解出来るよ
うになりました。
その後もいわゆる強揉みを続けましたが、指が腫れ上がるようなことはなくなり、
それまで若干太くかつ変形しかかっていた手の親指は、ごく普通の人同様の親指に
なりました。

>たぶん、現代の方に向いた体に優しく問いかけるような按摩の体系を
>作っていこうよというpuruさんの提案だとは思いますので、
>それには大賛成です。できたら、具体的な工夫を伝え合いたいなと思います。

特に按摩の体系を作りたいという高い志はないのですが(^^;、工夫を伝え合うとい
うのには激しく同感です。

あ。
あとですね。
施術者・受け手両方の感覚や感性を軽視した、コリを揉みほぐそうとしたり治療結
果重視の施術は、感覚や感性がひと昔前より繊細になってきている現代人にとって、
意識するしないにかかわらず体感覚レベルではトラウマになりかねないと思ったり
もします。

あと。
せっかくですから、書き込みや返信フォームにある参照先記入欄に、遊風さんのHP
アドレスを入れて下さいよ。
ここは閲覧者が少ないですが、もしかしたら参考に覗いてみたい人もいるかも知れな
いですし。
Re: 日本的なマッサージがないのは何故? 遊風 - 2009/05/07(Thu) 08:36 <URL> No.54

>「攻めの技術」、強揉み、弱揉みも含めてコリを揉みほぐそう
いわゆる強揉み、弱揉みは、肉体的動作や力の入れ具合の違いだと思うのですが、
そうではない、情緒的感覚や感性も含めたところまで踏み込みたい

うーん、弱揉みの方もコリを揉みほぐそうとしているのですか?
私は、先に野口整体の愉気、皮膚操体、経絡指圧をやっていたせいかなぁ
コリを揉みほぐそうという気がない、全然ないかもしれません。
それで、強揉み好きな方に受けないし、マッサージバイトで上司の受けが
悪かったのかな?学校の按摩担当教師からは「揉めてねーぞ」と言われたし。

うーん、私は、一般的な基準では按摩をしていなかったことになるのかな?

>例えば、操体の指揉みで揉む動きを止めた時、相手の感性次第では波紋のような流
れや拡がりを感じたり即深いリラックス状態に入って、何も感じない人も。
人の感覚や感性は様々で、それぞれに応じた触れ方になると思うのです。

うーん、そういうほうがスポーツ後でない方には喜ばれると思います。

>遊風さんの「呼吸を観る」は、そういったものに応じる目安になりますね。

そうですね。
私は、鍼灸でも操体でも按摩で「息が深くなる」ようにいろいろ手加減し
工夫しています。受け手の方の体の様子の変化に差が無いから、つまり、
コリや筋肉の過緊張した部分、逆に過弛緩した部分が変化していく様子も
含めて、技法によっては差はないので、必然的に目安も同じになります。


>>どうしても圧をかけている
>>最中にツボの芯、コリの芯を探して、圧をかける方向をズラしていく
>これが、揉みほぐそうとするのではない、尋ねるような触れ方だと思うんです。
>揉みほぐすのではなくて、探すこと。
>コリの芯を探っていると自然に体の芯に向かっていたり、それは確実に受け手の実
>感に届くというか響きますよね。
>もちろん術者側には、芯を捉える実感として把握出来ていますし。
>実感が得られれば、あとは体が勝手に緩んでくれます。

まぁ、私の場合は緩んでくれるのを待っている感じです。

ただ、私は、按摩というのは、一揉みの中に「動診、たわめ、瞬間脱力」
があり、それをくりかえしていく手技なんだなぁと思っていました。
(数回に1回強めの瞬間脱力がはいる)
先に操体をやったせいかも知れませんが。

手を横に振ったり回したりしながらツボの芯を探していき、
見つかったら受け手の方の体に確認する感じでちょっとその方向に押し続け
これがタワメです。そのシコりが緩もうとするのを誘うように瞬間脱力する
そういう感じで一揉み一揉みをとらえていました。



>>肘で揉んだりもしますが、肘でも強揉みになっていないようです。
>ぼく的言葉でいえば揉んでいるのではなくて、尋ねている、探しているのだ

それはそうです。
肘でもツボを探せますし、肘でもツボの芯を探したり、息の深さをはかったり
タワメの長さや瞬間脱力するタイミングをはかっています。
それが私にとって、按摩するということなので。

>コリを必死に揉んでいると、コリの表面と闘うばかりで、受け手の実感には届かな
いし、こちらの指は腫れ上がるばかり。

私は、そういう方の指の腫れをお灸で治療するのは得意です。
ついでに、肘、拳骨、親指指関節、人差し指の近位指関節、膝などを使って
按摩指圧する方法や、親指を使うときに人差し指でガードする方法も伝えています。
私流なんで正確には按摩でないかもしれませんが。

>その痛みの先にある相手のコリの感触や芯を探すことに意識を切り替えたら。

押す方向、力を入れる方向や角度が大切だと思います。

>施術者・受け手両方の感覚や感性を軽視した、コリを揉みほぐそうとしたり治療結
>果重視の施術は、感覚や感性がひと昔前より繊細になってきている現代人にとって、
>意識するしないにかかわらず体感覚レベルではトラウマになりかねない

みんながパソコンや携帯をするようになって、繊細というよりも過敏傾向という感じ
の方が増えている感じはします。私自身強揉みは嫌いですし、揉み返しが無くても
後味が良くない感じが残るので、スポーツマッサージ系按摩は受けるほうも苦手です。

>書き込みや返信フォームにある参照先記入欄に、遊風さんのHPアドレスを入れて

ありがとうございます。お言葉に甘えて入れさせてもらいます。
Re: 日本的なマッサージがないのは何故? puru - 2009/05/07(Thu) 17:39 No.56

>うーん、弱揉みの方もコリを揉みほぐそうとしているのですか?

弱揉み、強揉みも含めて、施術者と受け手の両者に実感の伴わない手技、というか。
形から入った中身のともなわない手技、そんな感じです。

>私は、先に野口整体の愉気、皮膚操体、経絡指圧をやっていたせいかなぁ
>コリを揉みほぐそうという気がない、全然ないかもしれません。

おそらく遊風さんはそうであろう、と推測してます。

>それで、強揉み好きな方に受けないし、マッサージバイトで上司の受けが
>悪かったのかな?

この「受けない」というのが気になります。
言葉からすると「結果的に相手の評価が得られない」的なことだと思うのですが……。

強揉み好きな人からの評価、という意味では。
・効果が感じられない、効果がわからない
・やってもらった実感がない、満足感がない

遊風さん的には。
・そもそも強揉み好きな人は嫌いだ(強揉み好きな人は感覚が鈍いので、繊細な感覚
 が理解出来ない)
・施術の手応えや実感(効果)はあるけれど、それが相手に感じてもらえない
・施術の手応えや実感(効果)があまりない

とか、いろいろ推測出来るのですが……。
どんな感じなんでしょ。

>どうしても圧をかけている
>最中にツボの芯、コリの芯を探して、圧をかける方向をズラしていく傾向

こんな手技をする遊風さんですから、術者受け手ともに実感がないとは思えないのですが。

>学校の按摩担当教師からは「揉めてねーぞ」と言われたし。

遊風さんの学校は、実践的按摩手技も教えていたんですか。
うらやましいかも。

ウチの学校の実技授業は、ほとんど試験対策用でしたから。
実際のあマ指試験の時も、学生アルバイトをしているのがバレないように、手慣れ
た手技ではなくて下手くそなたどたどしい手技を演じました。

>うーん、私は、一般的な基準では按摩をしていなかったことになるのかな?

う〜ん。
ぼくも正しい一般的按摩の定義は知りませんし。(^^ゞ

>私は、鍼灸でも操体でも按摩で「息が深くなる」ようにいろいろ手加減し
>工夫しています。受け手の方の体の様子の変化に差が無いから、つまり、
>コリや筋肉の過緊張した部分、逆に過弛緩した部分が変化していく様子も
>含めて、技法によっては差はないので、必然的に目安も同じになります。

たぶん「息が深くなる」は客観性もある確かな「手応え」ですよね。
(「たぶん」と書いたのは、ぼく自身はほとんどフォーカスを当てていない部分な
ので)

>ただ、私は、按摩というのは、一揉みの中に「動診、たわめ、瞬間脱力」
>があり、それをくりかえしていく手技なんだなぁと思っていました。
>(数回に1回強めの瞬間脱力がはいる)
>先に操体をやったせいかも知れませんが。

「動診、たわめ、瞬間脱力」というは、操体的ですね。
確かにそんな要素があるのかも知れません。

>手を横に振ったり回したりしながらツボの芯を探していき、
>見つかったら受け手の方の体に確認する感じでちょっとその方向に押し続け
>これがタワメです。そのシコりが緩もうとするのを誘うように瞬間脱力する
>そういう感じで一揉み一揉みをとらえていました。

なるほど。
操体的だし、なんとなく整体的な感じもしますね。

按摩で主に働きかけるのは、ツボやツボの芯ですか?
「過弛緩した部分が変化していく様子も含めて」と書いていましたが、過弛緩した部
分とかも按摩します?

ちなみにぼくは、緊張や弛緩、表面や深部、全部揉みます。

>みんながパソコンや携帯をするようになって、繊細というよりも過敏傾向という感じ
>の方が増えている感じはします。

同感です。
普段の生活で目に入ってくる(風景も含めて)情報量だけでも、ひと時代前とは比較
にならないほどですからね。
それに知識としての情報量を加えたら、すんごいことになってます。
Re: 日本的なマッサージがないのは何故? 遊風 - 2009/05/08(Fri) 09:17 <URL> No.58

まずは、先に書いておいたものから

揉み方の違いよりも大きいなと思うのは、揉むところの違いです。
そもそも、スポーツマッサージ系按摩の方は、いわゆる実のコリ。
表層の運動筋にできる実のコリが中心が多いように思います。

それに比べると、私が施術対象とするのは、いわゆる虚のコリ。
深層の姿勢維持筋にできるものが中心です。ですから、鍼灸を教える
ときには、スポーツマッサージ系按摩の経験が長い方には、
まず虚のコリの探し方から教えています。

揉み方については、いろいろ思い出して考えてみましたが、
私は、私のような揉み方をする方を結構大勢知っていますので、
弱揉みの方の中には、案外、ツボの芯を探して、その状態に合わせる
揉み方のできる方も結構いるような気がしています。

鍼灸学校の同級生で、からだふわっとの故・渡辺栄三先生の足の
指もみのコースの師範代(というよりは揺らしの達人)をしていた方など。
野口整体や操体から手技の世界にはいった方には結構多いと思います。
あと、気圧、整膚などからはいった方もいましたが。

実際、そういう方々からは、私と同じように、受け手の体に聞きながら
手加減することができない施術、受け手の体の状態をみて合わせようと
しない施術はイヤだという意見は、よく聞きます。
そして、パラリンピックの水泳選手のおなじような感想も見かけた
ことがあります。

あと、指圧からはいった方にも、按摩ができるようになってからも
基本は指圧の手技だが、マッサージを頼まれたときには、揉みも混ぜる
という方もいます。

逆に、指圧の方の中にも決まった手順で決まった場所に強押しのみ
に近い方もいますし、鍼灸をする方の中にも、中国鍼を中医理論の
ツボの役割分担に従って、決められた場所に刺していくだけの方もいます。
そういう方々は、私は、スポーツマッサージ系按摩の強揉みばかりの方
と同じように苦手です。

また、パラリンピックの水泳選手の話からすると、トレーナーとして彼女に按摩できるのは、スポーツマッサージ系按摩でも体に状態を聞きながら施術できる方なのかもしれないなとも思います。

ですから、按摩だけが、日本の鍼灸や指圧と違って、体に状態を聞き
ながらする様式がないというのは、ちょっと違う感じがしている
というわけで、突っ込んでみたわけです。

ただ、現在の日本の按摩の主流が、いわゆるスポーツマッサージ系
按摩の強揉みで、体に状態を聞きながらの按摩が体系化されていないし、
伝えている方もいなくて、一人一人が工夫している状態なこと、
そして、いまの時代の日本の少なくとも東京近辺の方に向いているのは、
体に聞きながらの按摩だろうというのは、確かだなぁと思います。

 私に肘もみや前腕による軽擦を伝えてくださった先生も既に他界され
ていて、どう伝え残していこうかなと思っています。
野口整体の整体操法のコツも伝わっていないようだし。
どちらも、できれば、按摩専門の方、野口整体専門の方が伝え残して
くださるとありがたいなと思っています。私は、自分が工夫した鍼灸
と操体を伝え残すので、いまのところせいいっぱいなので。

ところで、追加です。

>この「受けない」というのが気になります。
>言葉からすると「結果的に相手の評価が得られない」的なことだと思うのですが……。
>強揉み好きな人からの評価、という意味では。
>・効果が感じられない、効果がわからない
>・やってもらった実感がない、満足感がない

学生の頃の話ですから、いまはわかりません。
いまは紹介の方が多いので、私に向いた方しか来ていない可能性
がありますが、受けないことは少ないです。
でも、時々喜んでもらえないことはあります。

>遊風さんの学校は、実践的按摩手技も教えていたんですか。

一人だけ、実践的な按摩を教えられる先生はいました。
3年生の按摩の実技試験のあと、肘按摩、前腕軽擦などを見せてくれました。
手首から先を無くした傷痍軍人さんに由来する技術だと聞きました。
また、学校創始者の奥方が按摩の達人で、その方から先ず習ったそうです。

>按摩で主に働きかけるのは、ツボやツボの芯ですか?
>「過弛緩した部分が変化していく様子も含めて」と書いていましたが、過弛緩した部
>分とかも按摩します?ちなみにぼくは、緊張や弛緩、表面や深部、全部揉みます。

いわゆる揉みで対応することが多いのは、シコりの芯が多いですね。
過弛緩は皮膚操体で対応することが多いです。
一番多いのは、過弛緩に皮膚操体、関連する過緊張に肘や指関節かな。
微妙なのは、ゆっくりした揉みと皮膚操体の中間みたいなものも使って
いることも結構あるかなということ。
受け手の方の体に合わせているうちに手が勝手に動いている感じ
私は施術中はボーッとしていることが多いので。

Re: 日本的なマッサージがないのは何故? puru - 2009/05/08(Fri) 13:11 No.60

>ですから、按摩だけが、日本の鍼灸や指圧と違って、体に状態を聞き
>ながらする様式がないというのは、ちょっと違う感じがしている
>というわけで、突っ込んでみたわけです。

なるほど、だいぶわかりました。
ありがとうございます。
遊風さんのイメージしている施術者は、おそらく治療師的按摩さんなのですね。

そしておそらくぼくがイメージしているのは、治療師的按摩さんではなくて慰安的
按摩さん、温泉マッサージやホテルマッサージ、サウナのマッサージ、クィックマ
ッサージなど、広く一般的に浸透していると思われる手技的には按摩であるところ
のマッサージなのだと思います。

>ただ、現在の日本の按摩の主流が、いわゆるスポーツマッサージ系
>按摩の強揉みで、体に状態を聞きながらの按摩が体系化されていないし、
>伝えている方もいなくて、一人一人が工夫している状態なこと、

ですので、ぼくの念頭にあるのは、体系化された技術や治療法とかいうものではな
くて、たぶん文化に近いものじゃないかと思うんです。
家庭で「ちょっと揉んでよ」と言う時にイメージする按摩であるところのマッサー
ジ。

あ。
そうだ。
「東京に暮らす 1928-1936」キャサリン・サンソム/著という昭和初期の日本の様子
を紹介している本があるのですが、その中の一文。

>東洋の方が西洋よりも優れていることがたくさんありますが、マッサージの習慣も
>その一つです。
>日本では入浴の一部になっており、誰でもやってもらっています。
>一軒の家にはマッサージの上手な人が必ず一人はいます。

最後の2行はちょと大袈裟な気もしますが、この時代のマッサージと今のマッサージ
は質的に同じようなものなのか、それともかなり違うのか、そんなことも気になるの
です。

なんとなくですが、江戸、明治、大正、昭和初期までは、日本人の身体観はそれほど
違わないような気がし。
でも、高度経済成長やバブルを経、科学や医学を含めて西洋的価値観がかなり浸透し
た今、その頃の日本人の身体観とはかなり異なっているのではないか、と思ってみた
りもするのです。

あマ指学校で教える実技も、基本的な身体観は西洋医学ベースだし……。

>いわゆる揉みで対応することが多いのは、シコりの芯が多いですね。
>過弛緩は皮膚操体で対応することが多いです。
>一番多いのは、過弛緩に皮膚操体、関連する過緊張に肘や指関節かな。
>微妙なのは、ゆっくりした揉みと皮膚操体の中間みたいなものも使って
>いることも結構あるかなということ。

なるほど。
当たり前で今更ですが、やはり治療技術ですよね。

ぼくが興味あるのは、昔と今の日本人の身体観なのかなあ。
Re: 日本的なマッサージがないのは何故? 遊風 - 2009/05/08(Fri) 16:04 <URL> No.61

>慰安的按摩さん、温泉マッサージやホテルマッサージ、サウナの
>マッサージ、クィックマッサージなど、広く一般的に浸透している
>と思われる手技的には按摩であるところのマッサージ

そういうのには、いわゆるスポーツマッサージ系の強揉みの方が多いですね。
お客さんの要求もそういう感じが多いと思います。

>体系化された技術や治療法とかいうものではなくて、
>たぶん文化に近いものじゃないかと思うんです。
>家庭で「ちょっと揉んでよ」と言う時にイメージする按摩であるところ
>「東京に暮らす >1928-1936」キャサリン・サンソム/昭和初期の日本の様子
>>東洋の方が西洋よりも優れていることがたくさんありますが、マッサージの習慣も
>>その一つです。日本では入浴の一部になっており、誰でもやってもらっています。
>なんとなくですが、江戸、明治、大正、昭和初期までは、日本人の身体観はそれほど
>違わないような気が。
>でも、高度経済成長やバブルを経、科学や医学を含めて西洋的価値観がかなり浸透し
>た今、その頃の日本人の身体観とはかなり異なっているのではないか、と思ってみた
>りもするのです。

うーん、江戸時代にも、慰安的按摩というか、運動筋を中心にほぐす按摩は
あったように思います。治療的按摩もあったと思いますが。

そして、私は、70年代半ばまでは、肉体を使う労働が多かったので、
運動筋をほぐすことで治る病態も多かったように思っています。
橋本先生が70年代半ばまで臨床の場で使っていた操体も大きくストンと
落とすタイプの瞬間脱力でしたし。

80年代以降、みんながパソコンや携帯を使い、肉体労働が減ってから、
治療的按摩を必要とする方が増えたように思います。(東京近辺から)
そのため、それに合わせて、三浦先生は、クニャー系の瞬間脱力をしたり
皮膚操体をしたりが増えたと聞いています。

野口整体が愉気などを発展させたのには、会員に華族の方が多かったせい
かもしれないなとも思っています。

そういう意味で、私は、puruさんと違って、按摩が変化を必要としている
要因は、労働形態の変化のほうが大きいのではないかなぁという見方をして
います。

そして、身体観の変化という意味では、明治維新のときに西洋的な軍隊が
取り入れられ(歩行の仕方など)、学校体育もそれに合わせたものになっ
ていった時点での変化のほうが、その後の変化よりも大きいのではないか
と考えています。

あと、私は、puruさんの言う「施術者と受け手の両者に実感の伴なう」
という表現には、非常に西洋心理学的な面(キリスト教由来)を感じて
しまうので、それが日本的とか、江戸時代からとか言われると、
何か変だなという違和感が出てきてしまいます。

食事などの面では、幕内さんも言うように、高度成長を境に大きな変化
というほうがあっているかなと言う感じもしますが。
Re: 日本的なマッサージがないのは何故? puru - 2009/05/09(Sat) 11:26 No.63

>>慰安的按摩さん、温泉マッサージやホテルマッサージ、サウナの
>>マッサージ、クィックマッサージなど、広く一般的に浸透している
>>と思われる手技的には按摩であるところのマッサージ
>
>そういうのには、いわゆるスポーツマッサージ系の強揉みの方が多いですね。

えと、「いわゆるスポーツマッサージ系の強揉み」というのはなんとなくわかるような
気もするのですが、一応確認しておきますね。

前にも出てきましたけど、「スポーツマッサージ系按摩」というのは、ぼくの上記引用
文にあるような一般的マッサージと理解してよいですか?
また、「強揉みの方が多いです」というのは、そういう一般的なマッサージに強揉みが
多いということでしょうか。

ぼくがいた環境や経験では、「強揉み」というのはけっこう特殊な例を指す場合に使っ
ていた言葉のような気がします。
「あそこのサウナは強揉みが多いよね」とか。
なので、ごく一般的には普通のマッサージで、たまに、または時々強揉みのお客さんが
いる、みたいな認識です。

>お客さんの要求もそういう感じが多いと思います。

遊風さんのいた環境ではそうでしたか。
ぼくも長年マッサージをやってきましたが、強揉みを求める人が多い、と思ったことは
あまりないです。
環境によっても異なりますが、一度務めた強揉みが多いサウナで半分以下、経験的には
全体の1割にも満たない感じかな。

感覚的なことですから、マッサージ師個人の「普通」がどの辺にあるかでまた違ってく
ると思いますが。

>>でも、高度経済成長やバブルを経、科学や医学を含めて西洋的価値観がかなり浸透し
>>た今、その頃の日本人の身体観とはかなり異なっているのではないか、と思ってみた
>>りもするのです。
>
>うーん、江戸時代にも、慰安的按摩というか、運動筋を中心にほぐす按摩は
>あったように思います。治療的按摩もあったと思いますが。

江戸時代の慰安的按摩が運動筋を中心に揉みほぐすものだったかどうかはわかりません。
ただ、導引口訣鈔は治療的按摩を目指した文献だと思うのですが、その導引口訣鈔でさえ
「解く」「砕く」といういわゆる「揉む」に相当する単語の出現頻度が21に対して
「なでる」が43ですから、江戸時代の按摩は「撫でさする」手技がかなり多かったのでは
ないかと思います。
推測ですが。

ぼくがいう「身体観」というのは、専門的治療観とかではなくて、一般的な按摩さんや
その按摩さんの真似を家庭でやっていた普通の人たちが、体に対してどのように接して
いたのか、ということなんです。

これは海外で欧米の人たちに囲まれてマッサージ実技をしていると気づくことなんです
が、欧米の人たちの体に対する接し方というのは一般的にはかなり物理的です。
もちろん熟練した専門家は違いますが、一般的にはまるで物を扱うように触れる人が多
いです。
それに対して、日本人はとても尊敬と配慮に満ちた触れ方をするんですよね。
どんなに稚拙ではあっても、日本人のマッサージはどこでも評判が良かったです。

なので、科学や医学などの西洋的価値観がまだなかった江戸時代のご先祖様たちが、ど
んな触れ方をしていたのか、すんごく興味あるんですよね。

>野口整体が愉気などを発展させたのには、会員に華族の方が多かったせい
>かもしれないなとも思っています。

そういえば、昔三浦先生の鞄持ちしたり治療の見学に入っていたりしましたが、三浦先
生の患者層も一般的ではなかったですね。
価格設定からして違うし。

>そういう意味で、私は、puruさんと違って、按摩が変化を必要としている
>要因は、労働形態の変化のほうが大きいのではないかなぁという見方をして
>います。

えと、ぼくは特に按摩が変化を必要としているとは思っていないんですよ。
上で書いたように、もともと日本人の触れ方はとっても繊細なのに、何故に今ある一般
的マッサージがあんな型にはまったような形態なのかなあ、という疑問と。
盲人の人たちも感覚を活かした触れ方をすれば、もっと集客出来るんじゃないかなあ、
というつぶやき程度なんです。

>あと、私は、puruさんの言う「施術者と受け手の両者に実感の伴なう」
>という表現には、非常に西洋心理学的な面(キリスト教由来)を感じて
>しまうので、それが日本的とか、江戸時代からとか言われると、
>何か変だなという違和感が出てきてしまいます。

これはかなり興味があります。
どういった風に「西洋心理学的な面(キリスト教由来)を感じて」しまうのか是非とも
教えて下さい。

ぼくがいう「施術者と受け手の両者に実感の伴なう」っていうのは。
受け手的には「あぁ、そこ、そこ」という阿是穴的な実感で。
施術者的には、理論とか技術とかじゃない、確かな生の感触、手応えみたいなことなの
ですが。
Re: 日本的なマッサージがないのは何故? 遊風 - 2009/05/10(Sun) 11:00 <URL> No.65

>「スポーツマッサージ系按摩」というのは、ぼくの上記引用
>文にあるような一般的マッサージと理解してよいですか?

そうです。
私などが、相手の体の状態に合わせないでやっていると感じてしまうタイプです。

>「強揉みの方が多いです」、そういう一般的なマッサージに強揉みが多い

そういう風に、私が感じてしまうということです。

>「強揉み」というのはけっこう特殊な例を指す場合に使っていた言葉のような

そのあたりは、そういう環境に長くいたことがないのでわかりません。

>導引口訣鈔は治療的按摩を目指した文献だと思うのですが、その導引口訣鈔でさえ
>「解く」「砕く」といういわゆる「揉む」に相当する単語の出現頻度が21に対して
>「なでる」が43ですから、江戸時代の按摩は「撫でさする」手技がかなり多かった

なでるほうが、バリエーションが多いということかなと思いますし、
「解く」「砕く」という表現から、運動筋のコリを揉みほぐすほうの技も
あったという感じはします。当時の労働形態から考えても。
ただ、砕くにしても、相手の状態をみていた可能性のほうが高いでしょうし
(按摩さんの社会的地位や伝承の仕組みがあった関係からかもしれません)
当時にも今に近いような生活形態の方もいたと思いますので、柔らかい手技も
当然あったでしょう。

>欧米の人たちの体に対する接し方というのは一般的にはかなり物理的です。
>日本人はとても尊敬と配慮に満ちた触れ方をするんですよね。

これに関しては、同じ感想を持っています.

>科学や医学などの西洋的価値観がまだなかった江戸時代のご先祖様たちが、
>どんな触れ方をしていたのか、すんごく興味あるんですよね。

私も同じです。

>野口整体が愉気などを発展させたのには、会員に華族の方が多かったせい
>三浦先生の患者層も一般的ではなかったですね。価格設定からして違うし。

橋本先生の三男の保雄さんがホテルオークラの当時宴会部長だった関係で
オークラのスポーツクラブ会員さんたちがはじめの患者さんだった
と聞きますから、労働形態がかなり偏っているとは思います。

>今ある一般的マッサージがあんな型にはまったような形態なのかなあ

そういうものが求められた労働形態をはじめ生活環境にあった
ということだと思います。
また、按摩をする側の労働環境や生活形態も関係していたかも。
つまり、社会的地位の低さ、伝承の場の無いことなど。

>盲人の人たちも感覚を活かした触れ方をすれば、もっと集客出来るん
>じゃないかなあというつぶやき程度なんです。

これは可能性があると思いますが、
誰かが体系化して標準的なものを伝え残していかないと広まれないし残らない
ように思います。
puruさんのように個人で努力している方は、何人も知っているのですが
みなさん、それが個人の努力の範囲にとどまっていて、大きな流れにならず、
その方が引退すると、それとともに消えていってしまっている感じです。

私には、達人が一人引退する毎に技術が消えていくのが残念です。

>>puruさんの言う「施術者と受け手の両者に実感の伴なう」
>>という表現には、非常に西洋心理学的な面(キリスト教由来)を感じて
>>しまうので、それが日本的とか、江戸時代からとか言われると、
>>何か変だなという違和感が出てきてしまいます。
>ぼくがいう「施術者と受け手の両者に実感の伴なう」っていうのは。
>受け手的には「あぁ、そこ、そこ」という阿是穴的な実感で。
>施術者的には、理論とか技術とかじゃない、確かな生の感触、手応えみたいなこと

後者の表現なら、それほど心理療法的でないかな?
でも、前者は、カウンセラーなど心理療法の方がよく使う表現に似ています。
puruさんが「カウンセリングもしてくれる」と評判をとるのも、そういう表現や
心や感覚についての論旨展開がカウンセラーの方々に似ているからのような
気がしています。
Re: 日本的なマッサージがないのは何故? 遊風 - 2009/05/10(Sun) 16:18 <URL> No.66

>>puruさんの言う「施術者と受け手の両者に実感の伴なう」
>>という表現には、非常に西洋心理学的な面(キリスト教由来)を感じて
>>しまうので、それが日本的とか、江戸時代からとか言われると、
>>何か変だなという違和感が出てきてしまいます。

続きです。

施術がうまく受け手の方の体と調和しているときは、
施術者の意識も受け手の方の意識も気持ちよさの中に浸っていて
意識としては消えていることが多いと思います。

昔風の言葉で言えば、「無念無想」かな。
そして、互いの体が共鳴し合っているときは「無心無我」でもあるかな。

お祭りのときの一体感、もうすこし穏やかなら
赤ちゃんを抱いてあやしているときの一体感みたいな感じですが、
こういう状態を昔は、「念」や「想」や「我」や「心」が無い
という形式を使って表現したように思います。
Re: 日本的なマッサージがないのは何故? puru - 2009/05/10(Sun) 17:36 No.67

レスしようと思ったら、もひとつ投稿があったようですね。
ともあれ、前回の投稿に対するレスです。

>>「スポーツマッサージ系按摩」というのは、ぼくの上記引用
>>文にあるような一般的マッサージと理解してよいですか?
>
>そうです。
>私などが、相手の体の状態に合わせないでやっていると感じてしまうタイプです。

なるほど。
それだとわかります。

いろんな環境で働いたり、ホテルや旅館、サウナ、治療院等でマッサージを受けた
経験からも、弱揉みという範疇に入る施術者でも、型にはまった吉田流線状揉みに
似たしゃかしゃかと筋肉を線状になぞるような揉み方をする人が多かったです。

>>「強揉みの方が多いです」、そういう一般的なマッサージに強揉みが多い
>
>そういう風に、私が感じてしまうということです。

文章は難しいですね。
「強揉みの方が多いです」と断定されると、何らかの客観的な根拠があっての意見
かと思っていました。

>puruさんのように個人で努力している方は、何人も知っているのですが
>みなさん、それが個人の努力の範囲にとどまっていて、大きな流れにならず、
>その方が引退すると、それとともに消えていってしまっている感じです。

大きな流れになるようなものはなるんだと思います。
消えるものは消えるだろうし。

これは治療や手技療法に限らないのですが、個人個人が自分が好むものを真摯に謙
虚におこなっていけたら素敵だな、と思います。
共感する人たちとは切磋琢磨し、嗜好が合わない人たちのことはソッとしてあげて。
各自の道をいけたらいいな、と思います。

>私には、達人が一人引退する毎に技術が消えていくのが残念です。

ぼくは、残るべきもの、伝わるべきものは、有形無形は別にして残っているような
気がするのですが、この辺は、体系化した技術を伝えようとしている遊風さんとは
ぜんぜん違うようですね。

ぼくは治療師としての師匠は三浦先生ひとりだけで、今は師匠とジャンルが異なる
道を歩いていますが、三浦先生から学んだものは保持しているつもりです。
形には現せないものですけどね。

>>>puruさんの言う「施術者と受け手の両者に実感の伴なう」
>>>という表現には、非常に西洋心理学的な面(キリスト教由来)を感じて
>>>しまうので、それが日本的とか、江戸時代からとか言われると、
>>>何か変だなという違和感が出てきてしまいます。
>>ぼくがいう「施術者と受け手の両者に実感の伴なう」っていうのは。
>>受け手的には「あぁ、そこ、そこ」という阿是穴的な実感で。
>>施術者的には、理論とか技術とかじゃない、確かな生の感触、手応えみたいなこと
>
>後者の表現なら、それほど心理療法的でないかな?

ということは、遊風さんは心理療法的なものに違和感を感じるということですか?
ん〜。
でも、やっぱり「施術者と受け手の両者に実感の伴なう」という表現の中に何故「西
洋心理学的な面(キリスト教由来)」を感じるのかわかりません。(^^;

>でも、前者は、カウンセラーなど心理療法の方がよく使う表現に似ています。

ところで、遊風さんのいう西洋心理学(キリスト教由来)や心理療法とはどんなも
のを指していますか?
遊風さんが他の掲示板で、それらに対して批判的な意見を書いていたような記憶が
あるのですが、具体的にはどんなものを指しているんでしょうか。

心理療法といっても、そのすそ野はかなり広大ですし。

>puruさんが「カウンセリングもしてくれる」と評判をとるのも、そういう表現や
>心や感覚についての論旨展開がカウンセラーの方々に似ているからのような
>気がしています。

ぼくは、治療師という職業にはカウンセラー的要素も含まれると思っていますよ。
だからといって、テクニカルにそういったものを用いるという趣味はないです。
操体法実技入門に書いたように、心や体に響く言葉にフォーカスを当てつつ、会話
をしているだけ。
問題解決というような大それた目的はまったく持っていないです。

治療師という免許は持っていますが、治療師を標榜せずに按摩さんを名乗っている
のも、自分ごときが治療出来るなんて思ってもいないし、したいとも思っていない
からです。
そういうのは、お医者さんやしかるべき治療師さんたちにお任せしたいです。

ぼくがやりたいのは、相手の人に丁寧に触れることですから。

ところで「心や感覚についての論旨展開がカウンセラーの方々に似ている」という、
その「論旨展開」というのは、具体的にはどういうものなんでしょう。
参考までに聞いてみたいです。
Re: 日本的なマッサージがないのは何故? puru - 2009/05/11(Mon) 09:46 No.68

>>>puruさんの言う「施術者と受け手の両者に実感の伴なう」
>>>という表現には、非常に西洋心理学的な面(キリスト教由来)を感じて
>>>しまうので、それが日本的とか、江戸時代からとか言われると、
>>>何か変だなという違和感が出てきてしまいます。
>
>続きです。
>
>施術がうまく受け手の方の体と調和しているときは、
>施術者の意識も受け手の方の意識も気持ちよさの中に浸っていて
>意識としては消えていることが多いと思います。
>
>昔風の言葉で言えば、「無念無想」かな。
>そして、互いの体が共鳴し合っているときは「無心無我」でもあるかな。

唐突な感じの文章に思えて、ちょっと戸惑っていますが。
ひとつずつ……。

>施術がうまく受け手の方の体と調和しているときは、
>施術者の意識も受け手の方の意識も気持ちよさの中に浸っていて
>意識としては消えていることが多いと思います。

これは、遊風さんがそうなることが多いということですね。
なんとなくわかるような気もしましすが、ぼくは施術中は意識はしっかりあるので……。
そうなんだぁ、という感じかも。

で、上記の状態を

>昔風の言葉で言えば、「無念無想」かな。
>そして、互いの体が共鳴し合っているときは「無心無我」でもあるかな。

と表現していますが、これらの言葉はぼく的にはピンと来ない言葉たちです。
もちろん、そもそも施術中に意識が消えている状態になることがないから、という
前提もありますが、それにしても唐突な感じはします。

無念無想、無心無我、ですか。
そうですか、としか言えないです。(^^ゞ

>お祭りのときの一体感、もうすこし穏やかなら
>赤ちゃんを抱いてあやしているときの一体感みたいな感じですが、

これならわかります。
あんな感じ、みたく。

でも、

>こういう状態を昔は、「念」や「想」や「我」や「心」が無い
>という形式を使って表現したように思います。

昔の人が上記状態をそのような言葉で表現したのかどうかも、そうなんだぁ、遊風さ
んはそう思っているんだぁ、としか。(^^ゞ

今回の文章は、「非常に西洋心理学的な面(キリスト教由来)を感じ」ではない「日
本的とか、江戸時代から」的な表現例として書いたのですか?

ちょっと意図を掴みかねています。

法律が文字通り運用されていない理由は puru - 2009/04/24(Fri) 09:40 No.26

こんにちは、まるさん。
スレッドを変えて、逆に質問してみます。

例えば、厚労省が平成15年4月から現在も一般向けにホームページ上で公開して
いる回答があります。

・国政モニター お答えします・介護と整体治療
http://www8.cao.go.jp/monitor/answer/h15/ans1504-002.html
■「整体治療」や「カイロプラクティック」については、その医学的効果について
  科学的評価が未だ定まっていないことなどから国家資格とはなっておらず、い
  わゆる民間療法として、人の健康に害を及ぼすおそれのない限度で施術を行う
  ことが認められているものです。

医業類似行為である「整体治療」や「カイロプラクティック」が「人の健康に害を
及ぼすおそれのない限度で施術を行うことが認められている」と書かれています。
これは明らかにあはき柔法第十二条に反する回答です。

また、オイルマッサージを主業務とするエステティック業は、美容目的ではあるに
せよ、明らかにマッサージを業としています。

昭和41年厚生省医第二〇八七号
■医行為又は医業類似行為(広義とする。)であるか否かはその目的又は対象の如何
 によるものではなく、その方法又は作用の如何によるものと解すべきである。

目的の如何によらず方法としてマッサージを行っているエステティック業が、何故
あはき柔法に問われることがないのでしょうか。

前に書いた中にもあるように、ぼくにはそこに一貫した根拠が見えるのですが、
まるさんはどのように捉えていますか?
Re: 法律が文字通り運用されていない理由は まる - 2009/04/26(Sun) 03:34 No.27

重要だといったのは

puruさんが12条の中の「もの」を「者」に読み間違えてるのではないかと思いまして。

あはき、柔は「医業の一部」という説の上に説明しますね。

戦後一般に広がっていた民間療法(医業類似行為)を戦後は全面禁止することにして、猶予期間を与え商売替えを促したが、それに応じなかったものに結果としてあん摩師の免許を与えて業界に組み入れてしまった。(つまり、あん摩師の中に多くの民間療法業者が含まれているのが実態になった。)

そして、12条の文言を意図的に読み間違えた。
「何人も、第1条に掲げるもの(ものを者と読み間違えた)を除く外、医業類似行為を業としてはならない。」と読んで類似行為ができるのは第1条に掲げる「あはき師」だとしてしまった。

 「もの」は「者」でなく「施術」の意味です。

本来は第1条に掲げる医業行為のほか類似行為はしてはならない。
というのが正確な内容です。

この12条は医業類似行為の一掃を明言した条文であることは次の12条の2を読めば分かります。

*国政モニターに関しては

 行政はいい加減だと思いますね。

*エステに関しては

 あはき法違反で検挙されていますよ。

*保健所・厚労省は監督権がないのと「あまし」の手技定義が ないので何もできないのでしょう。
 局所的には検挙しても全体的には野放しでしょうね。
Re: 法律が文字通り運用されていない理由は puru - 2009/04/26(Sun) 13:06 No.28

>puruさんが12条の中の「もの」を「者」に読み間違えてるのではないかと思いまして。

はい、「者」として読んでいました。(^^ゞ

>「何人も、第1条に掲げるもの(ものを者と読み間違えた)を除く外、医業類似行為を業としてはならない。」と読んで類似行為ができるのは第1条に掲げる「あはき師」だとしてしまった。

>本来は第1条に掲げる医業行為のほか類似行為はしてはならない。
>というのが正確な内容です。

なるほど。
医行為は医師のみが行える業だけれど、特別な例外として医行為であるあはき柔
に関してはあはき柔師のみに認める、ということですか。

※参考:「現況を直視し、伝統を受け継ぎ、柔軟に対応したい」
 現況を直視する
  U あはき師の身分は特殊であり、医業類似行為者の数は増加し種類は多様化している〜供給の面〜
  @.あはきをめぐる制度〜法律・通達・裁判・判例
  イ あはきは特殊な医業であり、あはき師の身分は特殊性な医療の担い手である
http://www.bbbn.jp/~aoyama-y/siryou/taiou.html

あはき柔法第1条
■医師以外の者で、あん摩、マツサージ若しくは指圧、はり又はきゆうを業としよ
 うとする者は、それぞれ、あん摩マツサージ指圧師免許、はり師免許又はきゆう
 師免許(以下免許という。)を受けなければならない。

わかりやすくなりました。
ありがとうございます。

おぉ。
あはき柔は医行為でしたか。
すごいな。

>この12条は医業類似行為の一掃を明言した条文であることは次の12条の2を読めば分かります。

第12条の2、前半でしょうか。

■この法律の公布の際引き続き三箇月以上第一条に掲げるもの以外の医業類似行為
 を業としていた者であつて、あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法等の
 一部を改正する法律(昭和三十九年法律第百二十号。以下一部改正法律という。)
 による改正前の第十九条第一項の規定による届出をしていたものは、前条の規定
 にかかわらず、当該医業類似行為を業とすることができる。
 ただし、その者が第一条に規定する免許(柔道整復師の免許を含む。)を有する場
 合は、この限りでない。

医業類似行為業は法改正前に届け出た者に限り、医師、あはき柔の医業とは別に類
似の行為業として認める、ということですね。
営業法が昭和22年、1947年ですから62年前。
現在も残っているとしてもごく僅かな人たちでしょうね。

という訳で、現在はすべての医業類似行為業はあはき柔法第12条に反して違法だ
ということになる訳ですね、法律の文言上では。

>*国政モニターに関しては
>
> 行政はいい加減だと思いますね。

あはき師側からよく聞く意見ですが。
司法、立法、行政という国家権力の一翼を担う行政が、平成15年から現在までの6年
間、法に反する文章を掲載し続けているというのは、いい加減では済まされない事態
だと思うのですが……。
もし行政が司法の判断を無視した法運用を延々と続けていたとすれば、それこそ大問
題ではないですか?

思うに……。
あはき師は、あはき師の専門的立場からのみ法や法運用を見ていませんか?
そのような立場から見れば、行政はあはき法に対して怠慢でいい加減だと感じるのは
わからなくもないです。
あはき師的には、あはき以外の医業類似行為もあはき師の独占専門業としたいのでし
ょうが、いかんせん国が定めたあはき師とは、あはき業に限定されるものですし。

法律というのは一部の専門業種の為のみならず、国民全体の安全と利益の為にあると
おもうのですが、そのような立場から見れば。
ぼくは、あはき法に対する司法の判断や行政の運用は極めて健全に行われていると思
います。

■法律が医業類似行為を業とすることを禁止処罰するのも人の健康に害を及ぼす虞の
 ある業務行為に限局する趣旨と解しなければならない

これはこのまま解釈すればよいですよね。
他に何か解釈の仕方があるのでしょうか。

民間療法家は人の健康を害する虞がない範囲で職業選択の自由が守られ、国民は平等
に安全に各種サービスを享受出来ているように思います。
医行為であるあはき柔業も、免許された者以外業として行えないようキチンと保護さ
れているし。

>*エステに関しては
>
> あはき法違反で検挙されていますよ。

はじめて聞きました。
商取引法や脱毛などに関する検挙は聞いたことがありますが、あはき法違反というの
は初耳です。
どのような事例ですか?

> 局所的には検挙しても全体的には野放しでしょうね。

これもあはき師からよく聞く意見ですが。
本当に「野放し」なのでしょうか。

あはき師以外のぼくも含めた多くの国民は、民間療法やエステがあはき柔と同じ程度
に人の健康に害を及ぼす虞がないと認識していますよ。
Re: 法律が文字通り運用されていない理由は ミク - 2009/04/26(Sun) 21:24 No.29

はじめまして。
私の持っている情報も提供していけたらと思います。
行政の怠慢については、無資格の業者からお金がまわっているからでないかという話を聞いたことがあります。事実とすれば大変なことですが・・・。詳しくわかならいのでこれ以上はやめておきます。
取り締まりの強化については、前向きな回答が寄せられてはいるようですが、実際にはなかなか動いてくれてないようです。

あはき師以外にも、医師、理学療法士、国家資格を必要であることを知っている人、健康被害にあった人なども人の健康に害を及ぼすおそれがあるものだと思ってます。多くの国民は、きちんと資格を持って営業しているものだと思い込んでいます。知らないだけなんですよ。聞いてみたら本当に知らない人が多くてビックリしましたよ。もし知っていたら、国家資格が必要と思うはずです。わたしの周りでも、実際にそうでしたし。

理学療法士と書いたのは、理学療法士も医師の指導の下でのみマッサージ業を行えるからです。
マッサージ業が行えるのは、医師、あまし師、理学療法士のみですね。

無資格者によって健康を害している人は沢山います。この事実は、国民の安全と利益を為に法律が必要ということになりますよね。その為のあはき法だと思います。健康を害していることが根拠ないと言っている人は、医学的知識がない為、健康を害してるのかいないのかわかっていないと思われます。健康を害するおそれがないのなら、わざわざ国家資格にし、医学的なことを学ばせないでしょう。

実際に健康を害した場合でも訴えるとなると大変な労力が必要です。たとえ健康を害していたとしても訴えずに済ませる人が多いのが事実です。もちろん諸機関への通報などもしないでしょう。

知らないだけかもしれませんが、私もあはき法違反での検挙は、聞いたことないです。あはき法ではなく、医師法による取り締まりが行われているからです。医師法は、あはき法より上位になるそうです。あはき法違反=医師法違反にもなる為、医師法が優先されるそうです。あはき法が実際に運用されていない理由は、この為だと言われています。なので、あはき法が運用されていないから無資格が認められているという考えは、どうなのでしょうか?

検挙されているのは、実際に健康を害した証拠が残っている場合や複数の健康被害報告があった場合などで、無資格のみでは業務停止させるだけで、店の名前や場所を変えて再営業しているのが事実です。この辺はもっと厳しくすべきと言われていますね。
この辺が無資格者が減らない理由ですね。

エステに関しては、資格が必要であることを多くの国民は知っています。だから資格があれば安全だと考えているんですよ。しかし、民間資格と国家資格の違いをきちんと知らないのです。健康被害が多いので国家試験にして、きちんと勉強させるべきだという意見もでてますよね。

私の意見としては、国がもっと国家資格があることを国民に知らせるべきだと思います。民間資格との違いなども含めて。そして資格の提示の義務化すべきではないか思います。
なるべく健康被害者がでないように・・・。
Re: 法律が文字通り運用されていない理由は まる - 2009/04/27(Mon) 02:13 No.30

おぉ。
あはき柔は医行為でしたか。

>私個人は大した問題ではないと考えていましたが、厚労省内部の芦野さんの論文を読んでから、あはき師の歴史を知って「医業の一部」ということに納得したしだいです。

ですが、最近違う切り口から柔整は医業類似行為であるとの司法の判断が下ったようで、これでまた医業類似行為に覆されるのかなと思っています。

新しい司法の判断があれば従うまでですね。

届出医療類似行為の件は昭和22年に始まり昭和和39年まで延長したので62年前ではなく、45年前ですね。


*国政モニターに関しては

 行政はいい加減だと思いますね。

あはき師側からよく聞く意見ですが。
司法、立法、行政という国家権力の一翼を担う行政が、平成15年から現在までの6年
間、法に反する文章を掲載し続けているというのは、いい加減では済まされない事態
だと思うのですが……。
もし行政が司法の判断を無視した法運用を延々と続けていたとすれば、それこそ大問
題ではないですか?

>大問題だと思いますね。

思うに……。
あはき師は、あはき師の専門的立場からのみ法や法運用を見ていませんか?
そのような立場から見れば、行政はあはき法に対して怠慢でいい加減だと感じるのは
わからなくもないです。

>「あまし師」+「一般国民」の立場で見てますよ。

あはき師的には、あはき以外の医業類似行為もあはき師の独占専門業としたいのでし
ょうが、いかんせん国が定めたあはき師とは、あはき業に限定されるものですし。

>医業類似行為が何をさすのか具体的にわかりませんが、そんなことはないですよ。
マッサージでなくボディケアだとか、押しているのでなく、引きで刺激しているので指圧ではないとか、屁理屈を掲げて無免許でのあまし師の行為をしてる人たちは行政で法の下に対応してほしいですね。
法を守っているの業であれば、何とも思わないですが。

法律というのは一部の専門業種の為のみならず、国民全体の安全と利益の為にあると
おもうのですが、そのような立場から見れば。
ぼくは、あはき法に対する司法の判断や行政の運用は極めて健全に行われていると思
います。

>ん〜 どこが健全なんでしょうね?
理解不可能です。

法律が医業類似行為を業とすることを禁止処罰するのも人の健康に害を及ぼす虞の
 ある業務行為に限局する趣旨と解しなければならない

これはこのまま解釈すればよいですよね。
他に何か解釈の仕方があるのでしょうか。

>医業類似行為を業とすることが公共の福祉に反するのは、かかる業務行為が人の健康に害を及ぼす虞があるからである。それ故に、前期法律が医業類似行為を業とするのを禁止し処罰するのも、人の健康に害を及ぼす虞のある業務行為に限局する趣旨と解しなければならないのであって・・・・

の方がよりわかり易いですね。

それと、この2ヵ月後には厚生省から全国知事宛に、この判決は医業類似行為(手技、光線、温熱、電気、刺激等)の療術行為について判事したものであり、あはき柔について判断したものでないから、あん摩などの免許制の施術行為は有害か否かに関わらず、無免許者はその行為を以て取締する旨の通達をだす。
というのが続きますね。


民間療法家は人の健康を害する虞がない範囲で職業選択の自由が守られ、国民は平等
に安全に各種サービスを享受出来ているように思います。
医行為であるあはき柔業も、免許された者以外業として行えないようキチンと保護さ
れているし。

>私は大きなリラクゼーションの会社で無免許の人達と一緒に働いてますが警察沙汰にはなっていませんが、かなり事故が多いですよ。みんな保険で賠償して済んでますが。
そのために、肘を使うのを禁止したり、それでも事故があるので施術前に責任は持ちません等の書面にサインさせたりしてますが。


*エステに関しては

 あはき法違反で検挙されていますよ。

はじめて聞きました。
商取引法や脱毛などに関する検挙は聞いたことがありますが、あはき法違反というの
は初耳です。
どのような事例ですか?


>無届エステなどのようですが、あはき法違反です。



 局所的には検挙しても全体的には野放しでしょうね。

これもあはき師からよく聞く意見ですが。
本当に「野放し」なのでしょうか。

あはき師以外のぼくも含めた多くの国民は、民間療法やエステがあはき柔と同じ程度
に人の健康に害を及ぼす虞がないと認識していますよ。

>民間療法が何をさすのかわかりませんが被害を受けてる人はいないのですか?虞もないのですか?
エステは東京都がまとめた被害報告がありますよ。
Re: 法律が文字通り運用されていない理由は puru - 2009/04/27(Mon) 13:04 No.31

こんにちは、ミクさん。
ようこそいらっしゃいました。(^^)

>私の持っている情報も提供していけたらと思います。

よろしくお願いします。

>行政の怠慢については、無資格の業者からお金がまわっているからでないかという話を聞いたことがあります。

なんとなく噂では聞いたことがありますが。
業者って、整体またはカイロはたまたエステなのでしょうか。
金銭力から推し量るとエステに一票ですが、具体的事実はまったく知りません。

>多くの国民は、きちんと資格を持って営業しているものだと思い込んでいます。知らないだけなんですよ。聞いてみたら本当に知らない人が多くてビックリしましたよ。

これは同感です。
ウチの患者さんもあマ指も整体もカイロもリラクゼーションも皆資格が必要だと
思っていた人がほとんどです。
ただ、あマ指のそれが国家資格だとは思っていないようですが。

>理学療法士と書いたのは、理学療法士も医師の指導の下でのみマッサージ業を行えるからです。
>マッサージ業が行えるのは、医師、あまし師、理学療法士のみですね。

ですよね。

>無資格者によって健康を害している人は沢山います。

大切なのはここなんだと思っています、個人的に。

はたして無資格者の施術が、あマ指の施術よりはるかに多くの健康被害を出してい
るという事実があるのかどうか。

ぼく個人の限られた見識の中では、無資格者の施術があマ指のそれより遥かに上
回る健康被害を出しているという情報がないんです。
もしそういった事実があるのであれば、それを公表してもらえれば、ぼくも全国民
も無資格者も、その危険性に目覚めると思います。

>この事実は、国民の安全と利益を為に法律が必要ということになりますよね。

はい。
もしそれが事実であれば、明らかに必要です。

>実際に健康を害した場合でも訴えるとなると大変な労力が必要です。たとえ健康を害していたとしても訴えずに済ませる人が多いのが事実です。もちろん諸機関への通報などもしないでしょう。

そうだと思います。
そして、それは無資格者に限らずあマ指のケースでも同様だと思います。

>知らないだけかもしれませんが、私もあはき法違反での検挙は、聞いたことないです。あはき法ではなく、医師法による取り締まりが行われているからです。医師法は、あはき法より上位になるそうです。あはき法違反=医師法違反にもなる為、医師法が優先されるそうです。あはき法が実際に運用されていない理由は、この為だと言われています。

えと、これはエステ対象でのことですよね。
エステが医師法により取り締まりが行われている、ということでしょうか。
(違うのかな?)

だとすれば、エステ業自体が医師法違反で取り締まり対象になっているということ
でしょうか。
脱毛等の外科手術に該当する業務に対する規制だったかは記憶にあるのですが……。

>なので、あはき法が運用されていないから無資格が認められているという考えは、どうなのでしょうか?

ぼく自身は厚労省ホームページにある

■「整体治療」や「カイロプラクティック」については、その医学的効果について
  科学的評価が未だ定まっていないことなどから国家資格とはなっておらず、い
  わゆる民間療法として、人の健康に害を及ぼすおそれのない限度で施術を行う
  ことが認められているものです。

という回答、見解が妥当だと思っています。
上記引用では「整体治療」や「カイロプラクティック」という名詞しか出ていませんが、
エステやその他民間療法を含めてそう思っています。

>検挙されているのは、実際に健康を害した証拠が残っている場合や複数の健康被害報告があった場合などで、無資格のみでは業務停止させるだけで、店の名前や場所を変えて再営業しているのが事実です。

えと、これを読むと上で引用したミクさんの文章もエステに限定したものではな
くて、その他の民間療法も含めたもののようですね。

誤読している可能性もあるので、間違っていたら訂正して下さいね。

エステやカイロ、整体等を含む無資格民間療法で、証拠が残っている場合など健
康被害により医師法違反で検挙されている具体的事実がある。
ということでしょうか。
その場合、その健康被害はエステやカイロ、整体等を含む無資格民間療法全般に
渡って継続して発生するおそれがある内容なのでしょうか。

>この辺はもっと厳しくすべきと言われていますね。
>この辺が無資格者が減らない理由ですね。

これは無資格=危険という前提で書かれているようですが、ぼくにはそう思えな
いのですよ。

>エステに関しては、資格が必要であることを多くの国民は知っています。

ぼくの勘違いかも知れませんが、エステティックは資格がなくても開業出来ると
思いますよ。
町でよく「中国エステ」とか「韓国エステ」とか見かけますし(^^;、資格を取得
している訳ではないと思うし……。

>私の意見としては、国がもっと国家資格があることを国民に知らせるべきだと思います。民間資格との違いなども含めて。そして資格の提示の義務化すべきではないか思います。

これに関して異議はないです。(^^)

>なるべく健康被害者がでないように・・・。

あマ指からも……。
Re: 法律が文字通り運用されていない理由は puru - 2009/04/27(Mon) 14:04 No.32

>>私個人は大した問題ではないと考えていましたが、厚労省内部の芦野さんの論文を読んでから、あはき師の歴史を知って「医業の一部」ということに納得したしだいです。
>
>ですが、最近違う切り口から柔整は医業類似行為であるとの司法の判断が下ったようで、これでまた医業類似行為に覆されるのかなと思っています。

あらま。

まあ、いずれにしろ、医行為は医師のみに認められているものですし、あはき柔師
の業はあはき柔業に限定されているというのは変わりませんものね。

>届出医療類似行為の件は昭和22年に始まり昭和和39年まで延長したので62年前ではなく、45年前ですね。

訂正、ありがとうございます。(^^)

>もし行政が司法の判断を無視した法運用を延々と続けていたとすれば、それこそ大問
>題ではないですか?
>
>>大問題だと思いますね。

この厚労省ホームページの記述に対して、業界は抗議や訴えを起こしていないの
ですか?

>マッサージでなくボディケアだとか、押しているのでなく、引きで刺激しているので指圧ではないとか、屁理屈を掲げて無免許でのあまし師の行為をしてる人たちは行政で法の下に対応してほしいですね。
>法を守っているの業であれば、何とも思わないですが。

これ、現状でなんとかうまく棲み分け出来ないものでしょうか。
特に免許所持者が無免許者を誹謗中傷しない土壌だけでも出来ればよいのですが。

あマ指業に限定すれば、ぼくは治療家のあマ指業とリラクゼーションの両方があ
ってよいと思っています。

>ぼくは、あはき法に対する司法の判断や行政の運用は極めて健全に行われていると思
>います。
>
>>ん〜 どこが健全なんでしょうね?
>理解不可能です。

うはは。
ぼくは逆に、自らが正しいというスタンスから行政を「いい加減」とか「怠慢」とか
断罪する方に奇妙さを感じたりしますが。

>>医業類似行為を業とすることが公共の福祉に反するのは、かかる業務行為が人の健康に害を及ぼす虞があるからである。それ故に、前期法律が医業類似行為を業とするのを禁止し処罰するのも、人の健康に害を及ぼす虞のある業務行為に限局する趣旨と解しなければならないのであって・・・・
>
>の方がよりわかり易いですね。

う〜む。
「医業類似行為を業とすることが公共の福祉に反するのは、かかる業務行為が人
の健康に害を及ぼす虞があるからである。」と加えても、結論は「禁止し処罰す
るのも、人の健康に害を及ぼす虞のある業務行為に限局する趣旨と解しなければ
ならない」ですよね。

という訳で、下記記述につながると思うのですが、やはりこの解釈は間違いなの
ですか?

■「整体治療」や「カイロプラクティック」については、その医学的効果について
  科学的評価が未だ定まっていないことなどから国家資格とはなっておらず、い
  わゆる民間療法として、人の健康に害を及ぼすおそれのない限度で施術を行う
  ことが認められているものです。

>>私は大きなリラクゼーションの会社で無免許の人達と一緒に働いてますが警察沙汰にはなっていませんが、かなり事故が多いですよ。みんな保険で賠償して済んでますが。
>>そのために、肘を使うのを禁止したり、それでも事故があるので施術前に責任は持ちません等の書面にサインさせたりしてますが。

これは無免許であるが故に生じる事故ですか?

ぼくはあはき免許を取ってから22年経ちますが、その半分以上は無免許者と一緒の
サウナ等数カ所でアルバイトしていましたが、事故は一度も目にしたことも聞いた
こともありませんでした。
ぼくがいたような環境は特殊だったんでしょうか。

>>無届エステなどのようですが、あはき法違反です。

ミクさんが資格制のようなことを書いていましたが、届出義務も出来たのですか?
法的なものなのでしょうか。
どのような法律または規則なのか教えていただければうれしいです。

>>民間療法が何をさすのかわかりませんが被害を受けてる人はいないのですか?虞もないのですか?
>エステは東京都がまとめた被害報告がありますよ。

おぉ、被害報告のデータがあるんですか。
是非とも教えて下さい。

それと、あマ指による事故や健康被害データもあると完璧なのですが……。
Re: 法律が文字通り運用されていない理由は ミク - 2009/04/27(Mon) 23:08 No.33

無資格だけでなく、あはき師による事故もあるのは事実ですね。事故があるからこそ多くの開業者は保険に入っていますし。
有資格でも知識や技術があまりない人もいますし、無資格者でも有資格者より技術を持っている人もいます。有資格者の質の低下も無資格者を増やした原因のひとつかもしれません。
国家試験のレベルを上げる、実技試験の復活、カリキュラムの改善、免許を更新制にするなどの対策をした方がいいと言われています。国家試験は年々難しくなっていますが、まだまだですね。実用的でない問題も多いですし。
私自身、無資格者による事故の方が多く聞きます。無資格者の数が有資格者より多いので無資格の方が事故の割合が多いかはわかりませんが。

あはきの事故件数に関しては過去にみたことがあるので、どこかにあるかもしれません。確か事故内容の気胸、火傷、骨折、外傷などの項目に分かれていました。

エステには業界団体がいくつかあり、そこで定めている資格が複数あります。多くの業者は業界団体に所属しています。業界団体からの働きかけもあり、きちんとした業者では資格がないと施術はさせないそうです。あっても持っている資格の種類で施術できる内容が異なるみたいです。民間資格なので必須という訳ではないですね。間違えてましたすみません。訂正させてください。しかし、資格がないとエステ業界で生き抜いて行くには厳しいみたいです。エステ業を続けていくには、必須な資格ということになります。エステによる健康被害は他に比べて圧倒的に多いですよね。なので業界団体も資格の取得をすすめているそうです。

医師法による取り締まりはエステのみではなく、民間療法全般についてです。わかりにくい文章ですみません。取り締まりは県によって、対応がかなり異なるようです。厚生労働省からは、ある程度数が増えたら、取り締まりを行うように通達するみたいです。一件一件取り締まっていたのでは効果がないので、そのうち一斉取り締まりが行われるという噂も聞きますが、どうでしょうね。

医療知識のない場合の危険性については、また今度書かせていただきます。
Re: 法律が文字通り運用されていない理由は まる - 2009/04/28(Tue) 01:29 No.34

puruさん

論点がずれていませんか?

民間療法、無免許などは「害がなく虞もない」ことで認められるとの主張ですよね?




Re: 法律が文字通り運用されていない理由は puru - 2009/04/28(Tue) 12:02 No.35

>有資格でも知識や技術があまりない人もいますし、無資格者でも有資格者より技術を持っている人もいます。

同感です。

>有資格者の質の低下も無資格者を増やした原因のひとつかもしれません。

ミクさんが仰るように、有資格者の質の低下にもひとつの要因があるとは思います。
満足出来る治療やサービスが受けられなければ、当然他のものを求めますもんね。
ただ、質が低下してきたのか、それとももともとおしなべてこのような質だったのか
はわかりません。

民間療法等に関しては、今後もいわゆるヒーリングといわれるものや、リラクゼー
ション等の新しい技術や療法が生まれてくるでしょうし、それらに対して国が資格
制や免許制、または規制を個々に適用していくのも現実的ではないと思います。

そう考えると、やはりあはき柔師は確固とした国家資格免許制としておき、他の民
間療法は健康に害のない範囲内で許容し国民がそのサービスを享受出来るようにし
ておき、事故や健康被害が頻出した時点で規制や取り締まり、という後出し的対応
にならざるを得ないと思います。

>国家試験のレベルを上げる、実技試験の復活、カリキュラムの改善、免許を更新制にするなどの対策をした方がいいと言われています。国家試験は年々難しくなっていますが、まだまだですね。実用的でない問題も多いですし。

同感です。
前回のミクさんの書き込みを読んだ後に思ったのですが、やはりあはき柔が国家資
格であり民間療法等は無資格なのだという事実を、広く国民に浸透させていく必要
があると思います。
業界も、もっとマスコミ等を利用してアピール出来ないものでしょうか。
難しいのかな。

あはき柔の看板を掲げているところは国家資格所持者であると認識されて、民間療
法等と明らかに差別化されれば、当のあはき柔師もうかうかとはしていられないで
しょう、きっと。
民間と一緒じゃん、とか、民間より下手、とか言われればシャレにならないですか
らね。

……とも限らないか。
差別化された国家資格をかさに、今以上に威張り出す人も出てくるか。

>民間資格なので必須という訳ではないですね。間違えてましたすみません。訂正させてください。

了解です。
これならぼくが認識しているものと一緒です。
エステ業界が頑張って資格制にし質の向上を図っているのは知っていますから、な
んとか立派な業界として確立していってほしいです。

>エステによる健康被害は他に比べて圧倒的に多いですよね。

美容、特に皮膚に対する働きかけが多いでしょうからね。

>医師法による取り締まりはエステのみではなく、民間療法全般についてです。

この民間療法全般にわたる取り締まりの具体的対象が気になります。
もしご存じでしたら教えて下さい。

>医療知識のない場合の危険性については、また今度書かせていただきます。

はい。
よろしくお願いします。
Re: 法律が文字通り運用されていない理由は puru - 2009/04/28(Tue) 12:53 No.36

>論点がずれていませんか?

うわ、ぼくの質問はこの一行でスルーですか。(^^;

どの辺がズレてます?

>民間療法、無免許などは「害がなく虞もない」ことで認められるとの主張ですよね?

ぼくは、厚労省ホームページの記述が最高裁判決を考慮した妥当なものであり、そこ
から現状のあはき柔法の運用を見るとスッキリと頷けると思っています。

それは

■医業類似行為を業とするのを禁止し処罰するのも、人の健康に害を及ぼす虞のある
 業務行為に限局する趣旨と解しなければならない

という最高裁判決を

「医業類似行為を禁止し処罰するのは、人の健康に害を及ぼす虞のある業務行為に
 限局する」

という意味で理解しているからです。

再度引用しますが

>民間療法、無免許などは「害がなく虞もない」ことで認められるとの主張ですよね?

「認められる」が「許可」の意味であれば違います。
「許容」ならば近いと思います。

「害がなく虞もない」範囲では、あはき柔法の禁止処罰対象にはならない、という
理解です。

という訳で、まるさんは厚労省ページの記述を「大問題だと思いますね。」と書いて
いますが、根拠を教えてもらえるとうれしいです。
Re: 法律が文字通り運用されていない理由は まる - 2009/04/29(Wed) 02:39 No.37

うわ、ぼくの質問はこの一行でスルーですか。(^^;

どの辺がズレてます?

>>>一度、御自身で調べてみてはいかがでしょうか?
   ごろごろ出てきますから。
   勉強になりますよ。


ぼくは、厚労省ホームページの記述が最高裁判決を考慮した妥当なものであり、そこ
から現状のあはき柔法の運用を見るとスッキリと頷けると思っています。

それは

■医業類似行為を業とするのを禁止し処罰するのも、人の健康に害を及ぼす虞のある
 業務行為に限局する趣旨と解しなければならない

という最高裁判決を

「医業類似行為を禁止し処罰するのは、人の健康に害を及ぼす虞のある業務行為に
 限局する」

という意味で理解しているからです。

再度引用しますが

>民間療法、無免許などは「害がなく虞もない」ことで認められるとの主張ですよね?

「認められる」が「許可」の意味であれば違います。
「許容」ならば近いと思います。

「害がなく虞もない」範囲では、あはき柔法の禁止処罰対象にはならない、という
理解です。

>>>いやいや

この文言の後に

あん摩、はり灸及び柔道整復の業に関しては判断したものでないから・・・
あん摩などの免許制度の施術行為は有害か否かに関わらず、無免許者はその行為を以て取り締まるものとする。

との厚生省の通達がでるのですよ。

「行政はいいかげん」は言葉が悪かったかもしれませんね。
「行政はもう少し頑張ってほしい」に訂正します。
失礼しました。


Re: 法律が文字通り運用されていない理由は puru - 2009/04/29(Wed) 12:44 No.38

>どの辺がズレてます?
>
>>>>一度、御自身で調べてみてはいかがでしょうか?
>   ごろごろ出てきますから。
>   勉強になりますよ。

困った人だ。

今更なことでおそらくご存じだと思いますが、メールやネット上の掲示板で会話や
議論を行う際、論点がずれない為や誤解、誤読が生じないように、相手の書いた文
章に引用符「>」(通常は半角)を使用して引用するのが、メールやネット上でほと
んどの人が共有する慣例になっています。
また、自分の文章と他人の文章または何らかの出典からの引用である旨明確に区別
することが出来るので、特にこの手の法律にかかわる議論では必須です。

コミュニケーションをするにあたって、互いに認識している言葉や知識の意味合い
が微妙にずれていたりするのは当たり前ですから、正確に引用することで相手の言
葉や知識の確認を行うことはとても重要なことになります。

まるさんが論点のずれというのは、まあ、確かに本論の周辺領域ではありますが、
「人の健康を害する虞」等に関する大事なポイントでもあるのでおろそかには出来
ない事柄です。
自らが発した言葉に対する質問に答えた上で、論点の修正を行うならばわかります
が、一方的に「論点のずれ」で質問を無視するのはいかがなものかと思います。

ともあれ、まるさんの無免許マッサージでの事故や無届エステ発言は、確たる根拠
あるものではないらしいということはわかりましたから、スルーすることにしまし
ょう。

>>>>いやいや
>
>この文言の後に
>
>あん摩、はり灸及び柔道整復の業に関しては判断したものでないから・・・
>あん摩などの免許制度の施術行為は有害か否かに関わらず、無免許者はその行為を以て取り締まるものとする。
>
>との厚生省の通達がでるのですよ。

以下の厚生省医務局長通知ですよね。

昭和35年医発第二四七号
記1
■この判決は、医業類似行為業、すなわち、手技、温熱、電気、光線、刺戟等の療術
 行為業について判示したものであって、あん摩、はり、きゅう及び柔道整復の業に
 関しては判断していないものであるから、あん摩、はり、きゅう及び柔道整復を無
 免許で業として行なえば、その事実をもってあん摩師等法第一条及び第十四条第一
 号の規定により処罰の対象となるものであると解されること。
 従って、無免許あん摩師等の取締りの方針は、従来どおりであること。

この文章の論点は、無免許であん摩業(あはき柔業)を行った場合の取り締まりです。

何故にこの文章が厚労省ページでの回答を「大問題」とする根拠となるのかわかりま
せん。

■「整体治療」や「カイロプラクティック」については、その医学的効果について科
 学的評価が未だ定まっていないことなどから国家資格とはなっておらず、いわゆる
 民間療法として、人の健康に害を及ぼすおそれのない限度で施術を行うことが認め
 られているものです。

上記文章での論点は民間療法、医業類似行為は人の健康に害を及ぼすおそれのない限
度での施術が認められているということです。

無免許あはき柔業に言及している訳ではありませんが。
Re: 法律が文字通り運用されていない理由は まる - 2009/04/30(Thu) 01:37 No.39

困った人だ。

>では、 各鍼灸マッサージ会のHPなど参考になりますよ。
 都合の良いことも悪いこと両方調べることで真実が見えてき ます。





「人の健康を害する虞」等に関する大事なポイントでもあるのでおろそかには出来
ない事柄です。

>人の健康を害する虞ない範囲でやればよいでしょう。
 
 
以下の厚生省医務局長通知ですよね。

昭和35年医発第二四七号
記1
■この判決は、医業類似行為業、すなわち、手技、温熱、電気、光線、刺戟等の療術
 行為業について判示したものであって、あん摩、はり、きゅう及び柔道整復の業に
 関しては判断していないものであるから、あん摩、はり、きゅう及び柔道整復を無
 免許で業として行なえば、その事実をもってあん摩師等法第一条及び第十四条第一
 号の規定により処罰の対象となるものであると解されること。
 従って、無免許あん摩師等の取締りの方針は、従来どおりであること。

この文章の論点は、無免許であん摩業(あはき柔業)を行った場合の取り締まりです。

何故にこの文章が厚労省ページでの回答を「大問題」とする根拠となるのかわかりま
せん。

>これはpuruさんに質問されて答えた訳で、
 ご自分の発言をチェックしてください。

■「整体治療」や「カイロプラクティック」については、その医学的効果について科
 学的評価が未だ定まっていないことなどから国家資格とはなっておらず、いわゆる
 民間療法として、人の健康に害を及ぼすおそれのない限度で施術を行うことが認め
 られているものです。

上記文章での論点は民間療法、医業類似行為は人の健康に害を及ぼすおそれのない限
度での施術が認められているということです。

無免許あはき柔業に言及している訳ではありませんが。

>安心しました。
 
 puruさんの「無免許あはき業のことを言及しているわけでは       ありません」が聞けて。
 
 無免許あはき業やるなら有害無害に関わらず違法です。
 という正しい情報を、あはき業側から提供していくのが重要 だと思うのです。
 その先で、どっちに流れるかはその人の人生だから、その人 が選べばいいでしょう。

 
Re: 法律が文字通り運用されていない理由は puru - 2009/04/30(Thu) 10:25 No.40

>困った人だ。
>
>>では、 各鍼灸マッサージ会のHPなど参考になりますよ。
> 都合の良いことも悪いこと両方調べることで真実が見えてき ます。

とりあえずまるさんからの説明は無理だと諦めました。

会話も堂々巡りですね。(^^;
Re: 法律が文字通り運用されていない理由は まる - 2009/05/01(Fri) 23:56 No.41

とりあえずまるさんからの説明は無理だと諦めました。

会話も堂々巡りですね。(^^;


>puruさんの発言も客観的データは無いですよね。
ご自身だけの体験談、憶測や希望的観測でのものということを気付いてほしかったのです。
Re: 法律が文字通り運用されていない理由は puru - 2009/05/02(Sat) 14:55 No.42

>ご自身だけの体験談、憶測や希望的観測でのものということを気付いてほしかったのです。

お気遣いありがとうございます。

でも、まるさんとはスタンスが異なるので、法律の受け取り方がまったく違うとい
うことは理解してくださいね。

ぼくは、最高裁判決の何が「正しい解釈」なのか、運用は「どうあるべきか」、と
いう主張をするつもりはまったくありません。

ぼくが言いたかったのは、この掲示板の最初の方にもチラと書きましたが、免許所
持者の無免許者への誹謗中傷や尊大な態度はやめようよ、ということです。

「正しい解釈」や「どうあるべきか」を主張する人々は、現状許容されていたり法
が適用されていない事柄に関しても、まるで自らが司法であるかのように「違法」
と決め付ける傾向があるようです。

>マッサージでなくボディケアだとか、押しているのでなく、引きで刺激しているので指圧ではないとか、屁理屈を掲げて無免許でのあまし師の行為をしてる人たちは行政で法の下に対応してほしいですね。
>法を守っているの業であれば、何とも思わないですが。

民間療法業者には様々な営業形態があるでしょう。
明らかにあマ指業なのに、無免許で営業しているところもあるでしょう。
他にボディーワークやセラピー、ヒーリング、その他のあマ指業には含まれないよ
うな民間的治療業もあるでしょう。
いずれにしろ、現在はいろいろな看板を掲げて業を営んでいる人々です。
将来検挙される可能性のある業もあるかも知れませんが、少なくても現時点では許
容されており、違法でも法を破ってもいません。

その業が違法かどうかを裁くのは、司法であり行政の法運用如何です。
決してあマ指師やあはき師でないことは確かです。

ぼくも現状を利用させてもらったひとりですが、無免許者が働く職場で免許所持者
が職を得ることが出来たりもするんですから、仲良くやっていけないものでしょう
か。
現状で、治療師としてあはき業が出来るのは免許所持者だけなんですし。

>>puruさんの発言も客観的データは無いですよね。

厚労省ページの回答は客観的資料だと思うのですが、それ自体が誤りという主張も
あるらしく、この話題は堂々巡りなので却下しておきます。

法解釈について まる - 2009/04/20(Mon) 01:21 No.15

はじめまして。
こんにちは。
自分が勉強した法解釈について書く込みさせていただきますね。

最高裁では被告の訴える憲法違反を退けたものであったが、治療内容の是非が差し戻しになったことで、マスコミや医業類似行為者達も高裁で「無罪」となるものと錯覚を抱いてしまった。当日夕刊の報道も「無害なら罪にならぬ」(朝日)、「有害な場合だけ制限、あんま・はり等の医業類似行為」(毎日)と取り違えた見出しで、世間の誤解に拍車をかけることになった。
判決の意図は治療行為がもつ有害性ゆえに法律(12条)は禁じたのであり、医療行為の有効有害性という法原理を示したものであるが、世間にはそれが十分理解できなかった。
特に毎日新聞の、あん摩も害を与えなければ免許は要らないと取れる見出しは、全国に無免許あん摩の蔓延を招くことになる。たまりかねた厚生省では、判決の2ヵ月後に全国知事宛に「この判決は、医業類似行為業、すなわち、手技、温熱、電気、光線、刺激等の療術行為について判事したものであって、あん摩、はり、きゅう及び柔道整復の業に関しては判断していないものであるから」と、あん摩などの免許制の施術行為は有害か否かに関わらず、無免許者はその行為を以て取り締まるものとする通達を出すのである。

HS式無熱高周波療法の被告は高裁で有罪判決、最高裁での差し戻し審でも有罪となったのをご存知ですか?

大局的に見ると判決趣旨が正しく理解されないまま、医療類似行為の概念が誤ってコンセンサス化されて、あはき師法は解釈上の混乱をきたすこととなった。何が本来の正しい解釈かが見失われたまま現在に至っている。

いかが思われますか?
Re: 法解釈について puru - 2009/04/20(Mon) 09:53 No.16

こんにちは、まるさん。
ようこそ。(^^)

>最高裁では被告の訴える憲法違反を退けたものであったが、

ですよね。

最高裁への被告による上告内容は

■HS式無熱高周波療法は有効無害の療法であつて公共の福祉に反しないので、
 これを禁止する右法律は違憲であり、被告人の所為は罪とならない

という訴えで、この違憲に関しては

■憲法に反するものではない

旨の判決でした。

また、仙台高裁での判決に対しては

■HS式無熱高周波療法が人の健康に害を及ぼす虞があるか否かの点については
 なんら判示するところがなく、ただ被告人が本件HS式無熱高周波療法を業とし
 て行つた事実だけで前記法律一二条に違反したものと即断した

と指摘した上で、この判決を「解釈を誤つた違法」または「理由不備の違法」と
し、更にこの判決を「破棄しなければ著しく正義に反するものというべきである」
と断定して破棄、差し戻したのですよね。

>治療内容の是非が差し戻しになったことで、マスコミや医業類似行為者達も高裁で「無罪」となるものと錯覚を抱いてしまった。

なるほど。
当時の多くの人が早トチリしちゃったんですね。

この35年最高裁判決の要点は、あはき柔法一二条の「禁止処罰」の合憲性とその
解釈を明確にしたことだと思います。
HS式自体については、まったく言及していませんよね。
「禁止処罰」の解釈を明確にした上で、その「人の健康に害を及ぼす虞があるか
否か」に関してなんら判示しなかった仙台高裁判決は破棄しなければならい、と
しただけですから。

>当日夕刊の報道も「無害なら罪にならぬ」(朝日)、「有害な場合だけ制限、あんま・はり等の医業類似行為」(毎日)と取り違えた見出しで、世間の誤解に拍車をかけることになった。

う〜ん、難しいですね。
記事内容はわかりませんが、特に「無害なら罪にならぬ」が。
せっかくなので最高裁判決の主要部分、あはき柔法一二条「禁止処罰」に関する
判決を抜き出してみます。

■憲法二二条は、何人も、公共の福祉に反しない限り、職業選択の自由を有する
 ことを保障している。
 
 されば、あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法一二条が何人も同法一条
 に掲げるものを除く外、医業類似行為を業としてはならないと規定し、同条に違
 反した者を同一四条が処罰するのは、これらの医業類似行為を業とすることが公
 共の福祉に反するものと認めたが故にほかならない。
 
 ところで、医業類似行為を業とすることが公共の福祉に反するのは、かかる業務
 行為が人の健康に害を及ぼす虞があるからである。

 それ故前記法律が医業類似行為を業とすることを禁止処罰するのも人の健康に害
 を及ぼす虞のある業務行為に限局する趣旨と解しなければならないのであつて、
 このような禁止処罰は公共の福祉上必要であるから前記法律一二条、一四条は憲
 法二二条に反するものではない。

この最後の段落中「医業類似行為を業とすることを禁止処罰するのも人の健康に
害を及ぼす虞のある業務行為に限局する趣旨と解しなければならない」ですが、
ぼくはこれを最高裁判決後の厚生省通知の文章を使用すれば

医業類似行為業、すなわち、手技、温熱、電気、光線、刺激等の療術行為を禁止
処罰するのは人の健康に害を及ぼす虞のある業務行為に限局する

と理解していますが、どうなんでしょうね。
その後、これまでの国や厚労省の姿勢も、この延長線上にあると思っていますが
……。

>特に毎日新聞の、あん摩も害を与えなければ免許は要らないと取れる見出しは、全国に無免許あん摩の蔓延を招くことになる。

これは厚生省通知によるまでもなく、明らかに誤解ですよね。

>HS式無熱高周波療法の被告は高裁で有罪判決、最高裁での差し戻し審でも有罪となったのをご存知ですか?

たぶん知っていたと思いますが、特に印象に残ってないようです。(^^ゞ
そうですか、健康を害するおそれが認められたということですね。
あはき柔法一二条を憲法違反で訴え、その後の歴史に残るような判決を引き出した方が……。

>何が本来の正しい解釈かが見失われたまま現在に至っている。

何が本来の正しい解釈なんでしょうね。
Re: 法解釈について まる - 2009/04/21(Tue) 00:47 No.17

あはき柔法12条を憲法違反で訴え、その後の歴史に残るような判決を引き出し下方が・・・・

とは

人の健康に害を及ぼす虞のある業務行為に限局する趣旨と解しなけねばならないのであって・・・

の判例の部分ですか?
Re: 法解釈について puru - 2009/04/21(Tue) 09:24 No.18

あ。
すんません。
特に深い意味はないです。(^^ゞ

>の判例の部分ですか?

はい。
というか、この類の会話になると必ず引き合い出される判例ですし、そんな重要な上告をした人が有罪だったということに、なんだかしみじみとしてしまっただけなんです。
Re: 法解釈について まる - 2009/04/22(Wed) 00:14 No.19

害を及ぼす虞のある業務行為に限局する

の一人歩きにたまりかねた厚生省は、2ヵ月後に全国知事宛に「この判決は、医業類似行為、すなわち、手技、温熱、電気、光線、刺激、等の療術行為について判例したものであって、あん摩、はり、きゅう及び柔道整復の業に関しては判断しないものであるから」と、あん摩などの免許制の施術行為は有害か否かに関わらず、無免許者はその行為を以て取り締まるものとする旨の通達をだすのである・・・・。
Re: 法解釈について まる - 2009/04/22(Wed) 00:36 No.20

ですので、無免許マッサージは有害無害に関係なく違法ですよね。当然ですが。
医業類似行為とは、あん摩はり灸・柔道整復以外の民間療法のことといっているのも重要ですよね。(厚生省医務局長の回答あり)

ちなみに無熱高周波療法の裁判は昭和38年まで続いて最高裁への再上告が棄却されて(有罪)13年の長期裁判が決着したんですよ。
Re: 法解釈について puru - 2009/04/22(Wed) 13:23 No.21

>ですので、無免許マッサージは有害無害に関係なく違法ですよね。当然ですが。

現状を考慮すれば、これだとちょっと幅が広すぎる表現なので、

 「無免許でのあんまマッサージ指圧師業、またはそれに該当する業は有害無害
  に関係なく違法」

であるならば同意です。

>医業類似行為とは、あん摩はり灸・柔道整復以外の民間療法のことといっているのも重要ですよね。(厚生省医務局長の回答あり)

申し訳ないです。
この重要性が今ひとつわかっていません。

なにはともあれ、あマ指法違反が問題になる際、最も重要な十二条を確認してみま
すね。
まずは十二条に関わる第一条から。

■第一条
 医師以外の者で、あん摩、マツサージ若しくは指圧、はり又はきゆうを業としよ
 うとする者は、それぞれ、あん摩マツサージ指圧師免許、はり師免許又はきゆう
 師免許(以下免許という。)を受けなければならない。

■第十二条
 何人も、第一条に掲げるものを除く外、医業類似行為を業としてはならない。

ここでは「第一条に掲げるもののみが医業類似行為を行ってよい」ということで、
つまり、あはき業=医業類似行為ということですよね。
ですから、あはき師以外が医業類似行為を行うことは、即ち違法行為となる訳です。
運用は別にした法律上の文章では。

ですから、まるさんが指摘するように、昭和35年3月に出された通知で

■医業類似行為、すなわち、手技、温熱、電気、光線、刺激、等の療術行為

と書かれている時点で、法律的にはこれらの療術行為は違法になっちゃう訳です
よね。

でも、まるさんが取り上げているのはこの通知の「記1」だと思うのですが、
主旨は以下です。

■あん摩、はり、きゅう及び柔道整復を無免許で業として行なえば、その事実を
 もってあん摩師等法第一条及び第十四条第一号の規定により処罰の対象となる
 ものであると解されること。
■従って、無免許あん摩師等の取締りの方針は、従来どおりであること。

上記のように、無免許でのあはき柔業について通知している訳で、他の療術行為
に対しては言及していません。

また、「記1」の最後には次のように記されています。

■無届の医業類似行為業者の行なう施術には、医師法違反にわたるおそれのある
 ものもあるので注意すること。

昭和22年にあはき柔営業法が公布された際、他の療術行為業者の救済措置のため
に営業法公布以前に届け出れば、その業を継続して行えるとしていました。

という訳で、この通知が出された当時は、国に認められた届出医業類似行為業と
いう医業類似行為が存在しており、

>医業類似行為とは、あん摩はり灸・柔道整復以外の民間療法のことといっているのも重要ですよね。

上記の重要性が、やはりわかりません。

解説をよろしくお願いします。
Re: 法解釈について まる - 2009/04/22(Wed) 22:51 No.22

医業類似行為という言葉は、すでに免許制であった按摩術、鍼術、灸術の施術行為に対して、免許制のない種種雑多な民間療法を行政上一括する用語として内務省衛生局(昭和13年に厚生省となる)が使いだしたものである。大正末期から多数の医業類似行為が溢れ出し、その取締りは各府県に委ねられていた。明治44年には按摩術営業取締規則という中央法令による免許制度があり按摩は医業類似行為に含まれないことが伺える。
 東京では免許制以外の治療行為を療術行為と称して、その営業者に内容を警察署に届け出させ、有害や無効の詐欺的行為であった場合は取り締まれるようにした(東京府警察令43号)。他の府県もこれに近いものであったが、呼称は内務省に従い「医業類似行為」としたり、東京府の「療術行為」を用いたりで一定しなかった。

 終戦後の昭和22年に成立する「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法」では、進駐軍衛生局(PHW)の勧告も受けて、12条において「何人も、第1条に掲げるものを除く外、医業類似行為を業としてはならない」と定められた。「医業類似行為」は法令に基づく用語となる。医業類似行為を届出等で認めてきた戦前からの地方条例は、この法律成立をもって全て廃止されることになった。
 この12条で禁じられた医業類似行為であるが、法公布=条令廃止時に届け出て3ヵ月以上業を行っていた者(14800人)に関しては、(医業類似行為で生計を立てていた人のために)所定の届出をした者には、既存権として昭和30年末まで8年間の猶予期間を与えられた。これを届出医業類似行為者という。
 その後、更に3年ずつ3度の延期を経て、遂に昭和39年から猶予期間のない「当分の間」(=事実上一代限りであれば期限なしの容認)となった。現在も業を続けている者はほとんどいないと思われるが、医業類似行為者名簿に消除の届出が出されない限り、この猶予は永続的に続くことになる。
 今では非現実的となったこの猶予措置が、本来認められない無届医業類似行為の便乗者を増大させた要因の一つであろう。
そして更なる理由は昭和35年の最高裁判決があげられる。
 ところで、指圧であるが、医業類似行為として扱われていたが、あん摩師の業務に含めるのが妥当であるとされ、「あん摩(マッサージを含む)」とあるのを「あん摩(マッサージ及び指圧を含む)」と昭和30年8月に改正された。その後、昭和39年の改正において、あん摩師からあん摩マッサージ指圧師と名称が変更された。
 昭和22年に制定された「あはき師法」では、冒頭に「医師以外の者で」を冠することで、本来は医師が当然行うべき医業に属するものではあるがと断った上で、免許を得た者に免許範囲に限定した医行為として、第1条の各施術を業とすることを認めたものである。
 従って、これら施術を業とすることは、医師法17条にいう医師の医業独占を部分解除させたものであり、法理論上「医業の一部」と見倣されるのである(昭和25年、厚生省医務局長の回答)。
 一方、それ以外の民間療法を一括して「医業類似行為」と総称し、12条で「何人も、業としてはならない」と原則的に禁じている。たとえ、1条の各施術を業と出来る免許者であっても、上記のとおり許されるのは免許範囲に限局した行為のみであり、それ以外の「医業類似行為」まで踏み込まないよう念を押したのが、12条に挿入されている「第1条に掲げるものを除く外」である。これが法制定時の本来の意味であり、法施行の半年後に厚生省医務局では公布の一環として「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法の解説」(昭和23年)が刊行され、このことを明確に記しているのである。
 ところが、昭和35年のHS式無熱高周波療法を巡る最高裁判決での、マスコミによる誤報的ミスリードもあって、法の本来の内容が間違って捉えられるようになってきた。世間一般の誤解を招くことになったこの事件を通して、あはき業が本来どう位置付けられるべきものなのか、医業類似行為とは元々何であるのかを確認しておく必要がある。          

このようなことから重要であると思うわけです。                                                                             
Re: 法解釈について puru - 2009/04/23(Thu) 14:59 No.23

解説ありがとうございます。
あの文章はまるさんが調べたものですか?
よく調べてありますね、すごいです。

なのですが。
すみません、まだ重要性がわかっていません。

でも。
いずれにせよ、法律上の医業類似行為っていうのはけっこう明確ですよね。

■第一条
 医師以外の者で、あん摩、マツサージ若しくは指圧、はり又はきゆうを業としよ
 うとする者は、それぞれ、あん摩マツサージ指圧師免許、はり師免許又はきゆう
 師免許(以下免許という。)を受けなければならない。

■第十二条
 何人も、第一条に掲げるものを除く外、医業類似行為を業としてはならない。
 ただし、柔道整復を業とする場合については、柔道整復師法(昭和四十五年法律第
 十九号)の定めるところによる。

これを読めば、誰だってあはき柔業=医業類似行為は免許が必要だってわかりますよね。
そうじゃない医療的な医業に類する業、いわゆる民間療法的、代替療法的なものは、
医師法またはあはき柔法違反になるのは明らかです。

にもかかわらず。
実際のあはき柔法(または医師法)の運用は法律で定めるようには行われていません。
ぼくは、この現実の運用のされ方が重要だと思っています。

>ところが、昭和35年のHS式無熱高周波療法を巡る最高裁判決での、マスコミによる誤報的ミスリードもあって、法の本来の内容が間違って捉えられるようになってきた。

法本来の内容とは、法律上の文言のことでしょうか。

法律は、どのような文言が書かれているにせよ、その上位に位置する憲法で定めると
ころの範囲内でしか解釈、運用されませんよね。
昭和35年の最高裁判決が象徴的だと思うのですが、もし憲法に違反しない解釈や運用
が不可能な法律上の文言であれば、それは即ち憲法違反になっちゃいます。
でも、憲法が定める範囲内で解釈、運用出来れば、その法律上の文言は憲法に違反し
ない有効な法律になります。

あはき柔法第十二条は、法律上の文言を機械的にそのまま行使すれば憲法第二十二条
職業選択の自由を侵犯しかねない文言ですが、その制定主旨や判定基準を公共の福祉
に反するかどうか、人の健康を損なう虞があるかどうかにあると解釈することで、
憲法に反しないと判断されました。

ですから、憲法を鑑みたあはき柔法第十二条法の運用は、公共の福祉に反し人の健康
を損なう虞があった上での行使、処罰なのだと思っています。
Re: 法解釈について まる - 2009/04/24(Fri) 01:58 No.24

医業と医業類似行為については意見がわかれると思いますが、
芦野純夫さんをキーワードにいろいろ検索してみてください。
勉強になると思います。
Re: 法解釈について puru - 2009/04/24(Fri) 07:59 No.25

おはようございます。

>医業と医業類似行為については意見がわかれると思いますが、

申し訳ないですが、この文章の意味がわかりません。
何を指していますか?

>芦野純夫さんをキーワードにいろいろ検索してみてください。

ひょっとして、ひとつ前のまるさんの投稿は芦野純夫さんの文章の引用ですか?
間違っていたらすみません。

>このようなことから重要であると思うわけです。

という「このようなこと」も、もう少しわかりやすく解説してくれるとありがたいのですが。

改正あんまマッサージ法 puru - 2009/04/16(Thu) 10:30 No.5

どうやら「NIKKEI NET(日経ネット)」で報じられた「改正あんまマッサージ指圧師、はり師、きゅう師法」は、国会での流れを見る限りでは、4月1日-厚生労働委員会で提出された「あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律等の一部を改正する法律案」が4月15日に成立したもののようです。
(確実ではありませんが)

詳しくは下記拙ブログから
・改正あんまマッサージ法
http://anma.air-nifty.com/anma/2009/04/post-38b2.html
・改正あんまマッサージ法・続報
http://anma.air-nifty.com/anma/2009/04/post-de04.html

「あんまマッサージ指圧師、はり師、きゅう師」試験名に国家試験を明記するという改正らしいですが、これにより国の「あんまマッサージ指圧師、はり師、きゅう師」に対する位置づけやマッサージの位置づけがより明確になってきた感があります。

おそらく国が免許するマッサージ師とは、あくまで医業類似行為を業とするいわゆる治療師としてのマッサージ師ということなのだと思います。
リラクゼーションや慰安目的のマッサージとは一線を画すもの、なのでしょう。
マッサージ師がリラクゼーションや慰安だけしか出来ないとしたら、わざわざ国家試験をしてまで国が免許することはないですよね。
それこそ国家の威信が問われます。

国が免許するマッサージ師とは、医業類似行為者、治療師として堂々と治療を行える者。
我々鍼灸マッサージ師のハードルは、これまでより上がったようです。
心してその技を磨かねばなりません。

と、国家資格を持つ立場からはそう思うとして……。

ぼく自身の人間観、治療観から見れば、治療師という名称・立場にはあまり関心がありません。
国家が管理する医業類似行為や治療の枠外の、リラクゼーションや慰安にこそ人を健康やしあわせへ導く鍵があると思っているからです。
健康やしあわせって、治療(特に国家が管理する医業)で得られるものじゃないと思うのです。

そんな訳で、ぼくとしては治療師よりもボディーワーカーやセラピスト、民間療術師などに親近感を感じているわけで、今回の法改正のように治療師の立場や地位をより明確にキッチリと囲い込みしてくれることは、とても有り難いことだと思うのです。
このことで、ボディーワーカーやセラピスト、民間療術師さんたちは、リラクゼーションや慰安、癒し、ヒーリング(後半ふたつの単語は本来的には荘厳なイメージがあり好きなのですが、現代日本での用いられ方は嫌いです (^^;)の質を、より一層向上させていくことでしょうし、ぼくも頑張ります。(^^)
無題 Genki - 2009/04/16(Thu) 18:01 No.8

私は操体法はろくに使えませんが、
自分の体感・経験から人は気持ちのいい方向に
いきたがるものということにとても共感します。

私の仕事はお客様の中に眠る本来の力が
表面に出てくるようなきっかけを作ったり
通り道を作ったリすることだと思っています。
疲れていて朗らかさが出てこないなら
自分の知ってるあれやこれやをして、
朗らかさが出てくればうれしいです。
その人が気がついていないだけの望まれている面が
出てくればそれも良いけれど
その人の持っている以上のものを生み出させようとか
与えようとかは思わないです。

その「あれやこれや」はたいてい、
皆が気持ちいいということですね。
「あれやこれや」の一部分がたまたま
マッサ−ジと一般には認識されているものだったりします。

法律とはおもしろいもので同じ行為でも
言葉に気をつければ違法にならず
言葉に不用意になれば違反にもなる。
そういう、意味のないことにエネルギ−を使わず
この仕事に携わる皆が本来業務に邁進できる環境を
整えてくれるものならば大歓迎です。

肩こり腰痛の人だらけで
ぎっくり腰やヘルニアの人もたくさんいて
自殺者が3万人を超す年が続くという現実の前に
もっと、国家資格の人も私たちを上手に活かしてくれる
法律ができるといいと思います。


いろいろな方の意見が聞きたいですね☆
Re: 改正あんまマッサージ法 puru - 2009/04/18(Sat) 15:16 No.10

>法律とはおもしろいもので同じ行為でも
>言葉に気をつければ違法にならず
>言葉に不用意になれば違反にもなる。

あマ指法は興味深いです。

ぼくが鍼灸学校に入った当時のムードでは、あマ指師以外がマッサージという
言葉を使用すること自体が違法だといわれていました。

また、もっと遡ると、人に触れる行為が医業類似行為に抵触する時代もあり、
そのことから手かざしやそれに類する宗教が生まれたということもあったよう
です。

時代により法解釈や運用は微妙に変わりますね。

ところで人は、その社会のルールや法律に縛られているように感じ、ルールや
法律に不平を言ったり窮屈に暮らすことも出来ますが、逆にそれらの解釈や運
用法をある程度理解し、うまく活用して暮らすことも出来ますよね。

なにはともあれ、これまでの経緯を見ても「人の健康を害するおそれがない」
民間療法や手技療法は国の管轄外のことがらであり、危険が認められない限り
その業務はこれまでのように継続していくと思われます。

以前は「マッサージ=あマ指師のマッサージ」でしたが、リラクゼーションや
エステ、タイ古式、アロマなど種類が増えている現在では、一般の人々の間で
は「マッサージ」という単語は広義の意味でのマッサージになってしまってい
ますよね。

マッサージ師免許に関しては、盲人の職業保護という面も大きな意味を持って
いるので、今後の国の方向性が気になります。
Re: 改正あんまマッサージ法 Genki - 2009/04/18(Sat) 22:49 No.12

何度も失礼いたします。

実際に店頭で大声を出されたりしたので
どうしても考えが縮こまってしまったり、
いつかこの仕事をさせてもらえなくなるのでは
とビクビクしているので、
頭も固くなってしまっていたかもしれませんね。

国家資格者以外を締め出すというのは
現状から考えて現実的ではないということを踏まえて
しなやかに法律違反はせず
お客様にはよきものを提供できるよう
地道にやっていくことが肝要ですね。

手かざしが、そのような背景の副産物だったとは
おもしろいですね。
今ではエネルギ−ワ−ク系で立派に市民権を得てますね。

地道にやっていれば、よいものは自ずと支持される。
そういうシンプルなことに
法律も深く入り込んでこないことでしょう。

Re: 改正あんまマッサージ法 puru - 2009/04/19(Sun) 11:35 No.13

>何度も失礼いたします。

気軽に書き込んで下さいね。

>実際に店頭で大声を出されたりしたので
>どうしても考えが縮こまってしまったり、

やはりそういうことがありましたか。
困ったものです。

実はですね。
ぼくがあはき師に関する法律を調べだしたのは、ネット上のさまざまな掲示板上で、資格ある人が資格のない人々を犯罪者呼ばわりしたり誹謗中傷したりしているのを多く目にしたからなんです。
何故にそこまで他業種の人々を悪し様に非難出来るのか、かなり憤り悲しく感じたものでした。

実際にそれまで無資格ということであはき法違反で検挙された例はなく、あるとすれば不法滞在や脱税、わいせつ行為等くらいでした。
現在でも無資格であはき法違反に問われた例はないと思います。
また、よく無資格批判でいわれる知識の無さからくる施術の危険性ですが、ぼく自身は手技療法に関して西洋医学的知識は必ずしも必要ないと思っていますし、施術の危険性はあはき師も含めた手技療法全般に渡って同等に存在するものだと思います。
逆に、知識や免許がある有資格者の方に謙虚さや繊細さが欠ける例を見かけたりもし、そちらの方に危うさを感じたりもします。

そんなこんなで法律を調べはじめたのですが、どうやらぼくたちが鍼灸あマ指学校で習った医事法規と、現在の国による法解釈や運用にものすごくズレがあることがわかりました。
鍼灸あマ指学校では、現状の法解釈や運用を無視した、鍼灸あマ指学校がこうあってほしいと望むひと時代前のあはき法運用が教えられていました。
教育内容が改正されている現在、医事法規がどのように教えられているのかはわかりませんが、少なくてもぼくと同世代の多くの鍼灸あマ指師は無資格で施術することが即ち違法行為だと教えられていたはずです。

この辺の、現在の法運用に関して調べた結果は、ご存じかも知れませんが以下のページにまとめてあります。

・無資格マッサージ問題まとめ
http://tao.main.jp/anma_pukiwiki/index.php?%CC%B5%BB%F1%B3%CA%A5%DE%A5%C3%A5%B5%A1%BC%A5%B8%CC%E4%C2%EA%A1%A6%A4%DE%A4%C8%A4%E1

ここ数年、ネット上でのあからさまな批判や誹謗中傷はかなり減ったように思います。
おそらく、現在の法運用がかなり理解されてきたのではないかと思っていますが……。

今回の法改正を見ても、業界はあはき師以外の業種を糾弾するよりも、自らの地位を固める方向性に進んでいるような気がします。
もしそうであるならば、これは以前と比べるとすごく健全な方向だと思います。
職域を侵害されたと思い込んでの他者批判、排斥ではないですから。

>国家資格者以外を締め出すというのは
>現状から考えて現実的ではないということを踏まえて
>しなやかに法律違反はせず
>お客様にはよきものを提供できるよう
>地道にやっていくことが肝要ですね。

だと思います。
あマ指師の行う治療とは目的が異なる、何らかの方向性や目的を明らかにしておくとよいかも知れません。
治療目的ではなくて、Genkiになるのが目的、みたいな。

ぼく自身、治療は目的にしてません。
来る人たちがより自主的にしあわせになるよう務めています。
そのために施術していますが、意図せず付随的結果的に治ったり治療になっていたりしますが、それは、まあ、アクシデントということにしておきましょう。
Re: 改正あんまマッサージ法 Genki - 2009/04/19(Sun) 15:25 No.14

「無資格マッサージ問題まとめ」読みました。
今まで、自分が脅えているばかりで
ちゃんと調べてなかったことを恥ずかしく思いました。
わかり易くまとめていただいて、ありがとうございました。

私はカイロの学校に行きました。
他の学校や時代が違うとどうなのかはわかりませんが
学校時代また、直営店でのバイト時代は
あんまマッサ−ジ師さん以外は
「マッサ−ジ」という言葉をつかうことがまず法律違反で
拇指で押したり、手のひらでの揉捏も本当は禁止されている
このようなリラクゼ−ションの店も
国家資格者がいないと本当は営業しちゃいけないときいていました。
国家資格者が偵察に来るから言葉には気をつけなさいと。
まさか−と思っていたら、本当にやってきて印象的でした。
その後一人で開業してからも1回ありがたくない訪問を受けました。
先生も先輩も国家資格者に私たちは嫌われて軽蔑されて憎まれている存在なんだと、国家資格者に意地悪されないように気をつけなくちゃいけないといい、私もそう思い込んでしまいました。
わざわざいちゃもんを言いにくる方もどうかと思いますが
憎まれていると思い込むほうもまた同レベルでしたね。
どちらも不勉強でした。

法律ができたころ、人は生きていくのがやっとで
食べるために働くのに障害になる痛みを排除しなくてはならなかった。
そのために医療と治療があって
今日のようにリラクゼ−ションなんてものが現れるなんて
想像もできなかったことと思います。

それに大きな問題も起きていない分野であれば
法律家に注目されることもなく
改正されることもなく、それぞれの解釈で
長い年月運用されてきてしまった。
そろそろ問題が大きくなりやり過ごすには手に余るこの頃、
どこから手を着けようかとみまわせば、
風景が制定当時とあまりに変わっていた。
そんなところなのでしょうね。

永い年月のそれぞれの解釈を刷り合わせ
存在価値のある法律へブラッシュアップが始まったと
歓迎すべきことかもしれません。

私も今回教えていただいたことで
実際にいないお化けを恐がることがなくなりましたし
万が一、また怒鳴り散らされても冷静な対応ができます。

私がGenkiというお店を始めたのは
本来のご自分の元気を取り戻して
がんばらなくたってやる気が出てきちゃう楽しさや
優しい自分を取り戻すうれしさ感じてほしかったからです。

疲れてイライラしてたんだな-。部下を怒鳴っちゃったよ。
怒鳴ったのもいやだし、怒鳴った自分がいやでたまらなくてさ-。
もうだめだ−って思って仕事中だけど来ちゃった。
って飛び込んでいらしたお客様など今でも忘れられません。
その気持ちでこれからも励んでいきます。


どこかに痛みがあって気持ちまでとがっちゃってる人にじは
アクシデントもまた歓迎されるプレゼントですよね。

サイト再構築中 puru - 2009/04/14(Tue) 18:59 No.2

Pukiwikiというシステムで専門とプライベートHPをまとめていたのですが、どうもPukiwikiが使いにくく感じるようになりました。
何だかいろんなコンテンツがぐちゃぐちゃしちゃって……。

まあ、整理下手ということではあるのですが。(^^ゞ

最近新しく「操体法・実技入門」を作りはじめたので、それをキッカケに脱Pukiwikiをしようかと思ってます。

既にいくつかは、脱Pukiwiki済み。
特に”武術書に見る「病を去ること」”は、Pukiwikiではうまく整理出来ていなかったので、ちょと満足。

新「操体法・実技入門」から入れます。
http://tao.main.jp/sotai/
Re: サイト再構築中 遊風 - 2009/04/16(Thu) 14:02 No.6

puruさん、脱Pukiwikiなんですか?

うーん、すごいな、こんどはどんなシステムを使っているのですか?
Re: サイト再構築中 puru - 2009/04/16(Thu) 15:07 No.7

うわぁ、遊風さんだ。
ようこそいらっしゃいました。(^^)

今度はスタイルシートを使って手書きです。
とはいえ、参考書を見本にして作ってますが。(^^ゞ

「のびのび掲示板」読ませてもらってますよ。
Re: サイト再構築中 遊風 - 2009/04/17(Fri) 08:16 No.9

手書きですか?

画面構成や絵が上手だなといつも感心しています。
Re: サイト再構築中 puru - 2009/04/18(Sat) 15:17 No.11

恐縮です。(^^ゞ

続報、感謝☆ Genki - 2009/04/16(Thu) 08:38 No.3

続報、ありがとうございました。
今朝も検索しても見つからず、一体どういうことなんだと思っていました。
詳細は待つか、しかるべき機関から発表があるか、ですね。

小心者の私は見出しだけで縮こまってしまいましたが
これを機に国家資格者の皆さんの思っていることを伺えたら
うれしいです。
きっと誰もが、関わる患者さん・お客様が
心身ラクに、元気になってほしいと思っているだけでしょう。

この件、興味のあるかたは多いのだと思います。
私のブログが「改正あんまマッサ−ジ法」で
検索するとトップに出るようになっちゃていたようで
昨夜アクセス数が1時間で普段の1日分もついていました。
そのことでもビビッてしまいました。
とんだ小心者です^^;

Re: 続報、感謝☆ puru - 2009/04/16(Thu) 10:25 No.4

こんにちは〜。
書き込みありがとうございます。(^^)

ぼくはかなり偏ったスタンスに立つ国家資格者ですから(^^ゞ、他の人の意見や感想も聞いてみたいですね。

今回のことで思ったことを上にアップしますね。

新掲示板設置 puru - 2009/03/30(Mon) 15:39 No.1

按摩Pukiwikiに設置していたPukiwiki内掲示板は、スパム対策がほとんどとれない為に休止状態になっていました。

今回は新たにcgi掲示板を設置したので、これならスパムにもけっこう対処出来るのではないかと思います。

まあ、もともと人通りのあまりない所ですが(^^;、気軽に利用して下さい。