新「操体法・実技入門」
はじめに
10数年前に作った「操体法テキスト」を基にホームページ版「操体法・実技入門」を作ったのですが、あまりにも内容や体裁がひどいので(^^;;、思い切って作り直すことにしました。
現在治療で用いている外見上の主な手技は按摩ですが、手技の別にかかわらず治療観や哲学、ベースとなるものは変わりませんから、この「操体法・実技入門」は按摩の操体法版として読んでもらってもよいと思います。
問診
治療は問診からはじまります。
既往歴や主訴を聞く訳ですが、とにかく重要なのは患者さんの生の感覚や感情、気分です。
主訴にまつわる推測や評価、期待、物語展開などは参考程度に聞き流してよいと思います。
具体的にどこがいつどのように不快だったり痛いのか、ほとんどの場合はそれだけで充分です。
時々、主訴にまつわる感情や気分を話してくれる場合がありますが、それら実感をともなう体からの言葉は、その言葉を通して伝わって来る(共感する)感情や気分とともに充分に意識しておきましょう。
<
操体法で最も重要なのはテクニックでも身体構造に関する知識でもなく、相手の体の内側からいかに実感が流れ動き出すかということです。
問診から施術まで、相手の実感に意識のフォーカスを当て続けること以上に大切なことはないと思います。
共感(感覚のトレース)
相手の実感にフォーカスを当てることは、それほど難しいことではないと思います。
例えば、ダイエットや治療食などとは無関係に、単純に食べたいものを食べようとする時、人は「あれが食べたい」という体の実感(食感や味覚)を土台にして、それを記憶やアイデアでサーチします。
「あれが食べたい」の「あれ」が明確な場合は即座に思い浮かびますが、「あれ」がそれほど焦点の定まらない幅のある感触だった場合、その感触(実感)と具体的な食べ物をいくつか照らし合わせてみて、一番しっくりとくるものを選ぶことになります。
けっこう普通にやってますよね、こんなこと。
この体の実感(食感や味覚)に焦点を当てている感じが、使う感覚のチャンネルは違いこそすれ、治療現場での共感とけっこう似ています。
また、後に操法の選択や直感的施術について書くことになると思いますが、その時に使用するのがここであげた食べたいものをサーチする感覚と非常に近いです。
ところで、人はもともと共感能力に優れている生き物だと思います。
例えば仁王像を見た時に、ほとんどの人がその力強さを感じます。
これは、無意識に仁王像の体の勢いを自らの体にトレースし、擬似的仁王像感覚を感じているからではないでしょうか。
人は目にするものに関して、無意識に感情移入、共感、自己同化的作業を行っているように思います。
問診時にはこの共感能力を意識的に用い、相手の状態を自分の体感覚を通してトレースします。
まず、相手の体全体の感情や気分も含めた感覚を、自分の体を通して感じるように意識します。
別に、正確にとか、しっかりとか、うまく感覚をトレース出来なくてもよいです。
大切なのは、自分の体の感覚を通して相手の感覚を共感しようと意識することです。
自分の意識を背面や後頭部の後あたりに引くようにし、そこから自分の感情や気分を含めた体感覚を眺めるようにするとよいかも知れません。
自分の感覚や感情、気分が混ざらないように、より客観的にトレースしようとする時(主観的感覚に客観的という言葉を使うのもなんですが (^^;)、ぼくは意識を後頭部の後方に置いて自分を眺めるようにすることが多いです。
問診時には、このような意識で相手の語る言葉が実感をともなったものなのかどうか、自分の体を通して感じています。
痛みを訴えている場所も、この体全体をトレースした状態で(自分の体の)その部分を感じます。
正確に共感出来なくてもよいですし、共感出来た場合には意外な感触が得られるかも知れません。