最高裁判所判例(昭和36年2月)


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最高裁判所判例(昭和36年2月)


◆ S36.02.15 大法廷・判決 昭和29(あ)2861
あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法違反


判例 S36.02.15 大法廷・判決 昭和29(あ)2861 あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法違反(第15巻2号347頁)

判示事項:
  一 きゆうの適応型として神経痛、リヨウマチ、胃腸病等の病名を記載したビラの配布とあん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法第七条違反罪の成立。

二 あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復法第七条の合憲性。

要旨:
  一 きゆう業を営む被告人がその業に関しきゆうの適応症であるとした神経痛、リヨウマチ、血の道、胃腸病等の病名を記載したビラ約七〇三〇枚を判示各所に配布した所為は、あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法第七条に違反する。

二 あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復法第七条は、憲法第一一条ないし第一三条、第一九条、第二一条に違反しない。

参照・法条:
  あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法7条,あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法14条,あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復法7条,憲法11条,憲法12条,憲法13条,憲法19条,憲法21条

内容:
 件名  あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法違反 (最高裁判所 昭和29(あ)2861 大法廷・判決 棄却)
 原審  大津簡易裁判所

主    文

    本件上告を棄却する。
    当審における訴訟費用は被告人の負担とする。
         

理    由

 被告人の上告趣意について。
 あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法七条は、あん摩、はり、きゆう等の業務又は施術所に関し、いかなる方法によるを問わず、同条一項各号に列挙する事項以外の事項について広告することを禁止し、同項により広告することができる事項についても、施術者の技能、施術方法又は経歴に関する事項にわたつてはならないものとしている。
そして本件につき原審の適法に認定した事実は、被告人はきゆう業を営む者であるところその業に関しきゆうの適応症であるとした神経痛、リヨウマチ、血の道、胃腸病等の病名を記載したビラ約七〇三〇枚を判示各所に配布したというのであつて、その記載内容が前記列挙事項に当らないことは明らかであるから、右にいわゆる適応症の記載が被告人の技能を広告したものと認められるかどうか、またきゆうが実際に右病気に効果があるかどうかに拘らず、被告人の右所為は、同条に違反するものといわなければならない。

 論旨は、本件広告はきゆうの適応症を一般に知らしめようとしたものに過ぎないのであつて、何ら公共の福祉に反するところはないから、同条がこのような広告までも禁止する趣旨であるとすれば、同条は憲法一一条ないし一三条、一九条、二一条に違反し無効であると主張する。
しかし本法があん摩、はり、きゆう等の業務又は施術所に関し前記のような制限を設け、いわゆる適応症の広告をも許さないゆえんのものは、もしこれを無制限に許容するときは、患者を吸引しようとするためややもすれば虚偽誇大に流れ、一般大衆を惑わす虞があり、その結果適時適切な医療を受ける機会を失わせるような結果を招来することをおそれたためであつて、このような弊害を未然に防止するため一定事項以外の広告を禁止することは、国民の保健衛生上の見地から、公共の福祉を維持するためやむをえない措置として是認されなければならない。
されば同条は憲法二一条に違反せず、同条違反の論旨は理由がない。

 なお右のような広告の制限をしても、これがため思想及び良心の自由を害するものではないし、また右広告の制限が公共の福祉のために設けられたものであることは前示説明のとおりであるから、右規定は憲法一一ないし一三条及び一九条にも違反せず、この点に関する論旨も理由がない。

 よつて刑訴四一四条、三九六条、一八一条に従い主文のとおり判決する。

 この判決は、裁判官垂水克己、同河村大助の補足意見、裁判官斎藤悠輔、同藤田八郎、同河村又介、同奥野健一の少数意見があるほか裁判官全員一致の意見によるものである

 裁判官垂水克己の補足意見は次のとおりである。

 心(意思)の表現が必ずしもすべて憲法二一条にいう「表現」には当らない。
財産上の契約をすること、その契約の誘引としての広告をすることの如きはそれである。
アメリカては憲法上思想表現の自由、精神的活動の自由と解しこれを強く保障するが、経済的活動の自由はこの保障の外にあるものとされ、これと同じには考えられていないようである。

 本法に定めるきゆう師等の業務は一般に有償で行われるのでその限りにおいてその業務のためにする広告は一の経済的活動であり、財産獲得の手段であるから、きゆう局的には憲法上財産権の制限に関連する強い法律的制限を受けることを免れない性質のものである。
この業務(医師、殊に弁護士の業務も)は往々継続的無料奉仕として行われることも考えられる。
しかし、それにしても専門的知識経験あることが保障されていない無資格者がこれを業として行うことは多数人の身体に手を下しその生命、健康に直接影響を与える仕事であるだけに(弁護士は人の権利、自由、人権に関する大切な仕事をする)公共の福祉のため危険であり、その業務に関する広告によつて依頼者を惹きつけるのでなく「桃李もの言わねども下おのづから蹊をなす」ように、無言の実力によつて公正な自由競争をするようにするために、法律で、これらの業務を行う者に対しその業務上の広告の内容、方法を適正に制限することは、経済的活動の自由、少くとも職業の自由の制限としてかなり大幅に憲法上許されるところであり、本法七条にいう広告の制限もかような制限に当るのである。
そのいずれの項目も憲法二一条の「表現の自由」の制限に当るとは考えられない。

 とはいえ、本法七条広告の制限は余りにも苛酷ではなかろうか、一般のきゆう師等の適応症を広告すること位は差支ないではないか、外科医に行かず近所の柔道整復師で間に合うことなら整復師に頼みたいと思う人には整復師の扱う適応症が広告されていた方がよいのではないか、といつたような疑問は起こる。
また、本法七条が適応症の広告を禁止した法意は、きゆう師等が(善意でも)適応症の範囲を無暗に拡大して広告し、広告多ければ患者多く集まるという、不公正な方法で同業者または医師と競争し、また、重態の患者に厳密な医学的診断も経ないで無効もしくは危険な治療方法を施すようなことを防止し、医師による早期診断早期治療を促進しようとするにあるようにも思える。
とすれば憲法三一条に違反する背理な刑罰法規ともいえないのではないか。

 とに角、本法七条広告の禁止は憲広二一条に違反しない。
むしろ同条の問題ではない。
だから、この禁止条項が適当か否かは国会の権限に属する立法政策の問題であろう。

 裁判官河村大助の補足意見は次のとおりである。

 原判決の確定した事実関係の要旨は、被告人はきゆう業を営むものであるところ、きゆうの適応症であるとした神経痛、リヨウマチ、血の道、胃腸病等の病名を記載したビラ約七〇三〇枚を配付し以て法定の事項以外の事項について広告したというのである。

 そこで右認定の証拠となつた押収の広告ビラ(特に証二、五号)を見るに(一)a町の大野灸と題し、施術所の名称、施術時間等あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法(以下単に法と略称する)第七条一項において許された広告事項の記載が存するの外(二)きゆうの適応症として数多くの疾病が記載され更にその説明が附記されている。
例えば「灸の効くわけ」として、「○熱いシゲキは神経に強い反応を起し、体の内臓や神経作用が、興奮する○血のめぐりが良くなり、血中のバイ菌や病の毒を消すメンエキが増へる○それ故体が軽く、気持が良くなりよく寝られる、腹がへる等は灸をした人の知る所である◎(注射や服薬で効かぬ人は灸をすると良い)」「人体に灸ツボ六百以上あり、病によつてツボが皆違ふ故ツボに、すえなければ効果はない」等の説明が附記されている。
しかして右のようにきゆう業者の広告に適応症としての病名やその効能の説明が(一)の許された広告事項に併記された場合には、その広告は法第七条二項の「施術者の技能」に関する事項にわたり広告したものということかできる。
蓋しきゆうは何人が施術するも同様の効果を挙げ得るものではなく、それぞれの疾病に適合したツボにすえることによつて効果があるものであるから、施術者又は施術所ときゆうの適応症を広告することは、その施術者の技能を広告することになるものと解し得るからである。
されば本件広告は法第七条二項に違反するものというべく、この点の原判示はやや簡略に過ぎる嫌いはあるが、要するに本件ビラの内容には適応症及びその説明の記載があつて施術者の技能に関する事項にわたる広告をした事実を認定した趣旨と解し得られるから、同法七条違反に問擬した原判決は結局相当である。

 広告の自由が憲法二一条の表現の自由に含まれるものとすれば、昭和二六年法律第一一六号による改正に当り法第七条一項において一定事項以外の広告を原則的に禁止するような立法形式をとつたことについては論議の余地があろう。
しかし、同条二項は旧法第七条の規定の趣旨をそのまま踏襲したものであつて、即ち施術者の技能、施術方法又は経歴に関する事項は、患者吸引の目的でなす、きゆう業広告の眼目であることに着眼し、これを禁止したものと見られるから、第一項の立法形式の当否にかかわりなく、独立した禁止規定として、その存在価値を有するものである。
そこで本件被告人の所為が既述の如く右第二項の施術者の技能に関する広告に該当するものである以上本件においては、右第二項の禁止規定が表現の自由の合理的制限に当るかどうかを判断すれば足りるものと考えられる。
ところで右第二項の立法趣旨は、技能、施術方法又は経歴に関する広告が患者を吸引するために、ややもすれば誇大虚偽に流れやすく、そのために一般大衆を惑わさせる弊害を生ずる虞れがあるから、これを禁止することにしたものと解せられる。
されば右第二項の禁止規定は広告の自由に対し公共の福祉のためにする必要止むを得ない合理的制限ということができるから、憲法二一条に違反するものではない。
その他右規定が憲法一一条ないし一三条、一九条に違反するとの論旨も理由がない。

 裁判官斎藤悠輔の少数意見は、次のとおりである。

 わたくしは、あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法七条の立法趣旨は、多数説と同じく、「もし広告を無制限に許容するときは、患者を吸引しようとするためややもすれば虚偽誇大に流れ、一般大衆を惑わす虞があり、その結果適時適切な医療を受ける機会を失わせるような結果を招来することをおそれたためである」と解する。
従つて、広告が同条違反であるとするには、ただ形式的に同条一項各号に列挙する事項以外の事項について広告したというだけでは足りず、さらに、現実に前記のごとき結果を招来する虞のある程度の虚偽、誇大であることを要するものといわなければならない。
すなわち薬事法三四条とほぼ同趣旨に解するのである。

 しかるに、原判決の確定したところによれば、本件広告は、きゆうの適応症であるとした神経痛、リヨウマチ、血の道、胃腸病等の病名を記載したというだけであつて、虚偽、誇大であることは何等認定されていないのである。
そして、きゆうがかかる疾病に適応する効能を有することは顕著な事実である。
従つて、本件は、罪とならないものと思う。

 多数説は、形式主義に失し、自ら掲げた立法趣旨に反し、いわば、風未だ楼に満たなのに山雨すでに来れりとなすの類であつて、当裁判所大法廷が、さきに、「あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法一二条、一四条が医業類似行為を業とすることを禁止処罰するのは、人の健康に害を及ぼす虞のある業務所為に限局する趣旨と解しなければならない」旨判示した判例(昭和二九年(あ)二九九〇号同三五年一月二七日大法廷判決判例集一四巻一号三三頁以下)の趣旨にも違反するものといわなければならない。
もし、前記七条一項各号に列挙する事項以外の事項を広告したものは、その内容の如何を問わず、すべて処罰する趣旨であると解するならば、奥野裁判官らの説くかごとく、同規定は憲法二一条に反し無効であるというべきである。
因に、前記七条と同形式の医療法六九条、七〇条の規定は、漢方医たる標示を禁止するもののごとくであるが(A著東洋医学とどもに一一六頁以下参照)、もし然りとすれば、かかる規定もまた憲法二一条違反と解すべきである。

 裁判官藤田八郎の少数意見は次のとおりである。

 「あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法」七条は、
 あん摩業、はり業、きゆう業若しくは柔道整復業又はこれらの施術所に関しては、何人も、いかなる方法によるを問わず、左に掲げる事項以外の事項について、広告をしてはならない。
一 施術者である旨並びに施術者の氏名及び住所
二 第一条に規定する業務の種類
三 施術所の名称、電話番号及び所在の場所を表示する事項
四 施術日又は施術時間
五 その他厚生大臣が指定する事項

 前項第一号乃至第三号に掲げる事項について広告をする場合にも、その内容は、施術者の技能、施術方法又は経歴に関する事項にわたつてはならない。と規定している。

 同条が、広告の内容が施術者の技能、施術方法又は経歴に関する事項にわたることを禁止していることは、合理的な理由なしとしないであろう。
しかし、単なるきゆうの一般的な適応症の広告のごときは、それが虚偽誇大にわたらないかぎり、これを禁止すべき合理的な理由のないことは奥野裁判官の少数意見の説くとおりである。
されば同法同条も、施術者の技能、施術方法又は経歴に関する事項にわたらないかぎり、単なる一般的な適応症の広告はこれを禁じていないものと解すべきである。
若し、多数意見のごとく同条は同条所定以外一切の事項の広告を禁ずるものと解するならば、同条は憲法の保障する表現の自由をおかすものとならざるを得ないことまた奧野裁判官の説くとおりである。

 しかるに、本件の起訴にかかる事実、また本件第一審判決の認定する事実は「きゆうの適応症であるとした神経痛、リヨウマチ、血の道、胃腸病等の病名を記載したビラ」「を配布し」たというのであつて、かかるきゆうの一般的な適応症の記載のごときは本法七条の禁止するところでないと解すべく、従つて本件公訴事実は同条違反の犯罪事実を構成しないものであつて、本件に関するかぎり、同法七条の合憲なりや違憲なりやを論ずるの要はないものというべきである。
本件の処理としては、第一審判決を破棄して無罪の言渡をすべきであると思う。

 裁判官奥野健一の少数意見は次のとおりである。

 広告が憲法二一条の表現の自由の保障の範囲に属するか否かは多少の議論の存するところであるが、同条は思想、良心の表現の外事実の報道その他一切の表現の自由を保障しているのであつて、広告の如きもこれに包含されるものと解するを相当とする。
広告が商業活動の性格を有するからといつて同条の表現の自由の保障の外にあるものということができない。
しかし、表現の自由といえども絶対無制限のものではなく、その濫用は許されず、また公共の福祉のため制限を受けることは他の憲法の保障する基本的人権と変らない。
従つて、広告がその内容において虚偽、誇大にわたる場合又は形式、方法において公共の福祉に反する場合は禁止、制限を受けることは当然のことである。

 あん摩師、はり師、きゆり師及び柔道整復師法七条は、きゆう業を営む者はその業に関しきゆう等の適応症について一切広告することを禁止している。
すなわち、虚偽、誇大にわたる広告のみならず適応症に関する真実、正当な広告までも一切禁止しているのであつて、これに反する者を刑罰に処することにしているのである。

 (明文上同条が正当な適応症の広告は禁止していないと解することは到底できない。)そもそも、本法はきゆう等の施術を医業類似の行為として一定の資格を有する者に対し免許によりこれを業とすることを許しているのである。
すなわち、きゆう等の施術が何らかの病気の治療に効果のあることを認めて、その業務につき免許制を採用しているのである。
従つて、その施術が如何なる病気に効能があるか、真実、正当に世間一般に告知することは当然のことであつて、かかる真実、正当な広告まで全面的に禁止しなければならない保健、衛生上その他一般公共の福祉の観点からもその理由を発見することができない。
これは正に不当に表現の自由を制限しているものという外はない。

 多数意見は、「もしこれ(広告)を無制限に許容するときは、患者を吸引しようとするためややもすれば虚偽誇大に流れ、一般大衆を惑わす虞がある」というのであるが、単に広告が虚偽誇大に流れる虞があるからといつて、真実、正当な広告までも一切禁止することは行き過ぎである。
成程、取締当局としては予め一切の広告を禁止しておけば、虚偽、誇大にわたる広告も自然防止することができるであろうが、かくては正当な広告の自由を奪うものであつて、取締当局の安易な措置によつて、正当な表現の自由を不当に制限するものである。
これは恰も集団示威行進が時として公安を害する危険性を包蔵するからといつて、公安を害する直接、明白な危険もないのに、予め一切の集団行進を禁止するのと同様であつて、到底是認することができない。
このことは人命、身体こきゆう等より重大な影響を持つ医薬品についてさえ薬事法三四条が虚偽又は誇大な広告のみを禁止しているのと対比して考えても、きゆう等について特に医薬品と区別して正当な広告までも一切禁止しなければならない合理的根拠を発見することができない。
また、多数意見は「その結果適時適切な医療を受ける機会を失わせるような結果を招来する」というのであるが、若し然りとすれば、むしろ当初からきゆう等の施術の業務を禁止すべきであつて、既に医業類似行為として病気治療上効果のあることを認めて、その業務を免許しておきながら、その施術を受けると適時適切な医療を受ける機会を失わせるとの理由で、正当な広告までも禁止することは、それ自体矛盾であるという外はない。

 なお、一切の適応症の広告が禁止されている法制を前提として、これを甘受して自ら進んで免許を受けた者であるから、今更適応症の広告禁止の違憲を主張することは許されないのではないかという疑問もあるが、かかる憲法の保障する表現の自由の制限を免許の条件とするが如きことは許されざるところどあるから、かかる議論も成り立たない。

 これを要するに、本法七条が真実、正当な適応症の広告までも一切禁止したことは不当に表現の自由を制限した違憲な条章であつて無効であると断ずるの外なく、同条に則り被告人を処罰せんとする第一審判決は違憲であるから破棄を免れない。

 裁判官河村又介は、裁判官奥野健一の右少数意見に同調する。

 検察官清原邦一、同村上朝一公判出席
  昭和三六年二月一五日
     最高裁判所大法廷
            裁判官    島           保
            裁判官    斎   藤   悠   輔
            裁判官    藤   田   八   郎
            裁判官    河   村   又   介
            裁判官    池   田       克
            裁判官    河   村   大   助
            裁判官    下 飯 坂   潤   夫
            裁判官    奥   野   健   一
            裁判官    高   橋       潔
            裁判官    高   木   常   七
            裁判官    石   坂   修   一
 裁判長裁判官田中耕太郎、裁判官小谷勝重は退官、裁判官垂水克己は病気につき署名押印することができない。
            裁判官    島           保



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