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 #setlinebreak(on)
 Monday, 5 July 2004, 11:04:45 am
 puru
 
 >あ・デザインが変わった。(^-^)
 
 ただ今「町の按摩さん Swiki」大改装中。
 レイアウト変えるのって楽しい〜。(^^)
 
 那夢さんも、何かページデザインで要望があれば言ってちょ。
 デザイン作るよ。
 
 
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 Sunday, 4 July 2004, 8:16:52 pm
 那夢
 
 あ・デザインが変わった。(^-^)
 
 「ビッグ・フィッシュ」観てみたいかも。
 
 
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 Wednesday, 30 June 2004, 9:01:26 pm
 puru
 
 えと、映画「ビッグ・フィッシュ」観ました。
 いや、参りました。
 また観に行くです。
 
 感動した映画は、感想うまく書けません。
 (って、もともと感想文は下手)
 ていうか、消化し切れないんでしょうね。
 だもんで、思いつくままに。
 
 「こ、これって、シャーマンズボディーな話じゃんっ!」
 ま、これが一番の感想。
 ミンデルさんの「シャーマンズボディー」を読んだ後観たらサイコーかもです。
 
 他にもいろいろあるけど、ここまで書いたら取り敢えず満足したので。
 また書くかも。
 
 
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 Tuesday, 29 June 2004, 10:33:44 am
 puru
 
 ウチと同名の「伏見治療室」はけん! (^O^)
 
 何気に『按摩』で検索してみたら、「伏見式 経絡按摩」なる本がヒット。
 
 -伏見式 経絡按摩
 出版社 : たにぐち書店
 著者名 : 伏見富士子
 発行日 : 2004.6.7.
 ページ数 : 142
 ISBNコード : 4-925181-67-X
 価格(税込) : 1,680円
 --伏見式経絡按摩の教本が、講義内容をまとめる形で一冊の本になりました。
 正しいスジとツボによる経絡按摩の手引書です。
 皆様の健康管理に役立つ一冊!
 
 6月に出版されたばかりみたいっすね。
 
 著者名で調べてみると、札幌「NPO札鍼会」主催の理療研修講座で講師もしている立派な先生みたい。
 
 同じ名前の治療室があるっていうのは、なんだかうれしい。
 っていうか、同名で、更に「按摩」なのが素敵。(^^)
 
 
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 Saturday, 26 June 2004, 3:13:46 pm
 puru
 
 からだに関して、いろいろなことを書いておきたい。
 でも、あらためて書こうとすると、なかなか書けない。
 ということがよくあって。
 
 フト、過去に掲示板やメールで書いたものを思い出し。
 読んでいたら。
 いやいや、けっこう書いているじゃないか。
 ていうか、プルさんの文章、素敵。(+^^+)
 
 などと、「自分大好き」満開、おバカ丸出しになっていたりした訳ですが。(^^; おほほ
 もともと、自分の書いたものの一番のファンは自分だったりします。
 
 という訳で。
 HPの「按摩さんのからだのはなし」をリニューアル。
 
 →按摩さんのからだのはなし
 
 過去に書いた掲示板やメール、日記の中から、からだや治療、按摩に関するものをピックアップして編集中〜。
 
 
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 Friday, 25 June 2004, 9:46:16 pm
 puru
 
 む〜。
 何故だか、また再インストールしてたです。
 いやいや、困った癖だ。
 
 >プロレス三団体(ノア、新日本、全日本)のトレーナー3氏の座談会記事が
 >載ってます。
 
 お、さんきゅ。
 明日、プラバさんに買って来てもらうです。
 (あぁ、出不精。(^^;)
 
 プロレスラーのからだって、どんななんでしょね。
 ん〜、サブミッションなんか、絶対治療の役に立ちそうだし。
 プロレスな人とお友だちになりたいゾ。
 
 
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 Friday, 25 June 2004, 12:40:12 am
 みかん
 
 今出ている『週刊ゴング』に、プロレス三団体(ノア、新日本、全日本)のトレーナー3氏の座談会記事が載ってます。わりと面白かったですよ。みなさん針灸とか柔道整復とかの資格取ってるんですね。
 三澤威士氏(新日本)、大城戸健司氏(全日本)、浅子覚氏(ノア)の三名でした。
 
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 Monday, 21 June 2004, 4:02:24 pm
 puru
 
 >とことん相手のからだを感じる、味わうことに焦点を合わせるようになってから。
 
 典型的ないわゆるサウナでバイトしていた頃。
 お客さんのほとんどが、強揉みきぼんぬな人たちばかり。
 一日にこなす数が一日20人近く。
 
 当然、酷使すれば手の親指は痛くなり。
 帰宅してお風呂に入る時、両手はお湯に入れられません。
 指が腫れて……。
 
 痛みをこらえつつ強揉みする時。
 指の痛みで腕には力が入り、歯を食いしばっています。
 腕から下は、ほとんど道具。
 
 と、ある日。
 「痛みを感じてみよう」と思いました。
 ぼくの仕事は、指を通して相手のからだを感じること。
 まず自分の指の感覚を味わえなくて、相手のからだを感じることは出来るはずもなく。
 まず、自分の指の痛みを十全に感じて、そこを通して、そこから相手のからだを感じてみよう。
 
 ……と。
 意外なことに。
 痛みを痛みとして感じようと自分自身の感覚に受容的になり、葛藤がなくなると。
 そこに苦しさやつらさはないのです。
 歯を食いしばって耐えていた緊張はなくなり。
 指先、爪の先周囲のよじれた皮膚の痛みがリアルに感じられるだけ。
 
 そして、痛みは指周辺に感じつつ、感覚の大部分は主に相手のからだの感触に焦点があり。
 痛みは痛みとして感じつつ、さほど気にはならないのです。
 手や前腕、からだ全身の無駄な緊張はなくなり。
 必死に相手のからだを押すような動きが、リラックスして相手のからだの中に入っていくような動きに変わり。
 相手のからだ奥深くの、硬い筋肉の感触を味わっています。
 
 そんなこんなで。
 相手の深部にズズと入っていき、硬い筋肉の感触や弾力を十全に味わう、いわゆる”強揉み”と形容するような按摩は、すんごく得意、というか大好きです。(^-^)
 
 
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 Monday, 21 June 2004, 12:53:29 pm
 puru
 
 最近、昔読んだ『バイオエネルギー・ジャーナル』を読み返しています。
 バイオエナジェティックス関連のワークショップは、「ホライゾン心理教育センター」というところで数回受けた程度。
 とはいえ、ライヒ〜ローエンへの流れは、今あるボディーワークのほとんどに入り込んでいる、というかベースとなっている理論。
 あらためて読むと、いろいろ確認出来ることがたくさんあります。
 
 -『バイオエネルギージャーナル』5号 1985年
 鎧化とセラピー デイビッド・ボアデラ/著
 --"鎧化"とは、文明化への代償として私たちが払う緊張と抑圧に、ライヒがつけた名称です。
 数年前、私は広島城へ行き、そこで日本の中世の武士の着た鎧をみました。
 着て歩くにはとても重くて、動きを制限するものです。
 しかし同時に保護の役目をしています。
 同様に、"鎧化"とは、外界から私たちが傷つくのを防ぐ保護と言えます。
 それと同時に、内にあるものが外へ出ていくのを制限します。
 "鎧化"は人の中にある生命の流れを制限しています。
 生命の大切な表現の一つは感情で、感情(エモーション)とは"外に動き出す"という意味です。
 つまり鎧化することで、人が自由に目己表現することが制限される訳です。
 
 ボディーワークでよく使われる”鎧”や”ブロック”という言葉は、鍼灸や按摩、いわゆる治療師にとって、とても新鮮な響きがあります。
 ”凝り”と言ってしまえば単に物理的な状態をイメージしてしまいますが、”鎧”または”ブロック”と言い換えるだけで、そこに突然全人的な状態が表れる感じがします。
 
 「あら、ここ、凝ってますねぇ」と言うとよく返ってくる言葉。
 「そういえば昨日、よく使ったから」。
 む〜。
 単にからだのある部分を物理的に多用すれば凝る、訳ではないです、実は。
 
 "鎧化"は人の中にある生命の流れを制限しています。
 
 もしそこに生命の流れがあれば、からだの特定部位を多用したからといって凝ることはないです。
 その行為や運動を。
 楽しんでいたり、味わっていたり、感じていれば。
 凝ることは出来ません。
 逆に、嫌々とか葛藤していたり、からだを道具のように無感覚化させて使っていると、凝るのは容易です。
 
 例えば、職人さんがからだの一部を道具化してゆくのは、実用的な”鎧”といえると思います。
 按摩師や指圧師で、手の親指が足の親指くらい太くなっているのを見たことがあるかも知れません。
 それもひとつの実用的な”鎧”、からだの道具化だと思います。
 ただ、按摩を。
 手や指を通して、相手のからだを感じる、味わうことをメインにしていると。
 手の親指が道具化することはないです。
 
 按摩師として20年近く。
 デビューして数年後には、多少指が変形し肥大しはじめましたが。
 とことん相手のからだを感じる、味わうことに焦点を合わせるようになってから。
 今では、指の変形もなくなり、ごくごく普通のへなちょこな指です。
 
 
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 Wednesday, 9 June 2004, 12:31:21 pm
 puru
 
 >半年のインド滞在から帰国して、日本の日常を再開した時。
 
 そいえば。
 あの時のインド、プーナ滞在期間中は。
 初心に返ったつもりで、いつも以上に瞑想やセラピー・グループを受けていたのでした。
 初心者用のハートのグループや「ブレス・コース」、「ミスティック・ローズ」「ボーン・アゲイン」「ノー・マインド」等々。
 いやでも呼吸は開く、はずです。
 
 
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 Wednesday, 9 June 2004, 12:22:42 pm
 puru
 
 あれは9年前くらい前。
 半年のインド滞在から帰国して、日本の日常を再開した時。
 インドに行く前と比べて、からだの感覚が全然変わっていることに気づいた。
 特に、ひと呼吸ひと呼吸する時の、からだ全体の様子が違う。
 全身の皮膚が、細胞が。
 呼吸するのに合わせて、微妙に、協調的に動いている。
 呼吸に合わせて躍動する有機体、、、そんな感じがした。
 
 からだの隅々まで呼吸がゆき渡り、そして抜けてゆく。
 
 この感覚を忘れないようにしよう。
 そう思い、それ以来、日々その感覚を思い出すようにしている。
 (ま、精神的に余裕がある時、って感じだけれど)
 
 その感覚が鈍り、淀んでいる時。
 そういった部分がある時。
 または、新たに未開発な部分を発見した時。
 再開発をはじめる。
 これは、かなり楽しい作業。(^^)
 
 その部分が縮む、収縮するような姿勢を探し。
 その姿勢のまま、そこに息を吸い込むようにジンワリと縮めてゆく。
 そして、吐く息とともにくつろぐ。
 それを、なんとなく気が済むまで繰り返す。
 
 右下肢外側面の感覚は、数年前まではかなり鈍かったのだけれど。
 最近は、けっこう再開発が進んでいる。(^^)
 
 
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 Tuesday, 8 June 2004, 2:30:22 pm
 puru
 
 >みなさんいかがお過ごしでしょうか。
 
 うひひ。
 いつものみかんさんの文体と全然違う文体、だけんど、こゆ文体も好き。
 という訳で、メール下さい。>みかんさん
 メアドなくなっちまったの。(T_T)
 
 
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 Tuesday, 8 June 2004, 12:39:41 am
 みかん
 
 まー、きらーくに、受け入れられたら
 苦労はないっちゃー苦労はないわけですが、
 どうやったらそうなれるのとか言われても、
 さーねーとかしか言えなかったりするわけでw
 そういうことにも年を取るって大事だなとか
 経験するって大事だなとか思うわけですが、
 年を取ったらだれでもリアリティのあること
 を言えるようになる訳じゃなくて、年を取っ
 ても理屈っぽくて、夢物語ばっかり言っている
 人もいたりするわけで、人間、成長するのって
 難しいですよね、とか抽象的なことを
 言ってみたりするわけですが、
 みなさんいかがお過ごしでしょうか。
 (わざとダラダラと書いてみました)
 
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 Monday, 7 June 2004, 3:50:39 pm
 puru
 
 最近また、時々ADSL接続が切れます。
 まぁ、切れっぱなしということはないので、不自由してませんが。
 Swikiへアクセスが出来ない瞬間もあるやも知れませぬ。
 そんな時は、マタ〜リと、時間を置いてまたアクセスしてみて下さい。
 
 さあ、次にアクセスする時には、サクッと繋がるのか否か。
 それはあなたの運勢次第!
 みたいな。(^^;; ヒラキナオリ
 
 
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 Monday, 7 June 2004, 1:51:23 pm
 puru
 
 下の絵を見ていて思うのですが。
 絵を三つで済ますあたり。
 チョー若気の至りっすね。(^^ゞ
 
 それも、最後の絵で。
 いきなり「うけ入れてしまう」とか。
 「気持ちよく、らく〜にね」とか書いてしまうあたりなど。
 脳天気というか、無責任というか……。
 恥ずかしいやら、情けないやらです。(^^;;
 
 いろいろな問題と闘い……。
 病気も含めて、それは”自分”に降って湧いた問題であり。
 なんとかそれらを変えなくてはいけないと。
 悩み、苦しみ、葛藤し、踏みこたえる。
 
 それらを、問題は問題として眺めつつ。
 それらに対する自分の想い、感情、感覚を。
 そこから生じている想いや感情、感覚を。
 出来る範囲内で。
 自分の内側をリアルに感じ、味わう試みをしてみる。
 
 と、その時。
 さまざまな問題は、自分の中に、とりあえずは受け入れた、引き込んだものになるような気がするのです。
 そして、そこから。
 徐々に徐々に、少しずつそれらを消化または昇華して。
 もちろん、許容範囲を超えると感じる時は、抑圧したり、逃避したり、薬物を使用したりしつつ。
 徐々に徐々に変容させていきたいのです。
 
 
 やっぱりねぇ。
 さすがに今は、いきなり「気持ちよく、らく〜にね」なんて書けないです。(^^;; おほほ
 
 
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 Saturday, 5 June 2004, 1:47:33 pm
 puru
 
 ふと。
 昔。
 20年近く前に、操体法の研究誌に書いた絵のことを思い出しました。
 使っている言葉にかなり無理があったりもし。
 (当時は、頭の中がほとんど操体法一色だったのです)
 赤面するのですが。(^^ゞ
 いや、もちろん、絵の汚さは言うまでもなく。おほほ
 
 「バランスのとりかた」という題名からして、なんか微妙に、というか全然ズレてます。
 単語の使い方が可笑し過ぎ。
 うは。(^^;;
 
 
 &ref(http://tao.main.jp/img/balance2.gif,nolink);
 
 
 たぶん、世界観とか、生きる姿勢みたいなものを。
 そんなイメージを表現したかったんだと思う。
 ……うん。
 そのイメージは、当時と一緒で全然変わってないのですよね。
 
 自分という世界(自分を取り巻く存在も含めて)に生じる問題。
 痛みや病気、対人関係、周りの状況……。
 それらと闘い、排除したりするのではなくて。
 それらをじっくりと味わい、咀嚼して、消化(昇華)したい、っていう感じ。
 
 
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 Friday, 4 June 2004, 12:04:38 pm
 puru
 
 ちょっと長い引用だけれど。
 ひと月前に書いたもの。
 
 >先日、一年以上ぶりに按摩を受けに来た友だちがいました。
 >数ヶ月前に、難病である○○病と診断されたとの事。
 >現在の医療では原因不明、不治の病とされるもの。
 >薬の投与でなんとか進行を抑える事は出来るものの、薬の副作用もけっこうあるみたい。
 >
 >昔からからだは硬く、コリの蓄積もかなりのもの。
 >動作も硬くて、粗雑というか乱暴というか、そんな感じでした。
 >
 >それが難病になった今。
 >体力が極端に落ち、疲れやすく。
 >からだを動かす動作のひとつひとつが、人の倍以上かけてゆっくりとしか出来なくなって
 >います。
 >
 >でも、それは。
 >意外なことに。
 >ぼくから見て。
 >とても優雅で繊細な動作、に見えました。
 >
 >
 >按摩を終え、お茶を飲みながら、そんな事も話ました。
 >動作を真似してみて、「ね? ホントに優雅に見えるんだ」とか。
 >本人は意外な顔をしていましたが。
 >「そう……、これは、瞑想的かも知れないね」とポツリ。
 
 昨日、
 「昏睡状態の人と対話する プロセス指向心理学の新たな試み」NHK BOOKS
 の続きを読んでいたら。
 上のと似た例が載っていました。
 
 -個人的神話
 --トータルな自分(全体的な自己)になるというのはどういうことだろうか?
 経験論的に考えるとすれば、トータルな自分になるとは、自らの個人的な神話を完全に生き抜くことである。
 ~
    ……略……
 ~
 ALS(筋萎縮性側索硬化症)で死に瀕した男性は、子どもの頃、日当たりのいい部屋の夢を見ていた。
 この病気の特徴は進行性の筋肉の衰えである。
 一緒にワークした際、彼は症状と争うのをやめ、じっくりと症状を感じとった。
 彼がようやくその感じを描写できるようになった時、あたたかく、リラックスして微笑むブッダのヴィジョンを見たのである。
 ~
 この人は非常に外向的で、アウトドアスポーツが大好きな活動的な男性だった。
 病気の進行の末期にさしかかった今、彼は非常に瞑想的で穏やかなプロセスのただなかにあった。
 彼は自分の身に生じていること(病)から本当に励まされているように感じたのである。
 子どもの頃の美しい夢がくり返されたのだ。
 深いリラックス状態において彼は自分自身のワークを行い、彼の感情的、そして身体的な状態は快方に向かった。
 "死に至る病"そして死とは、目覚めつつある個人的な神話であるということがいえる。
 
 
 CENTER:&ref(http://tao.main.jp/img/mezame.jpg,nolink);
 
 
 病気や症状、痛み、苦しみ……。
 それらを反射的に排除しようとするのではなく。
 向き合って、味わい、咀嚼してみようという姿勢。
 そんな姿勢、視点は、常に頭の片隅に保っていたい。
 
 いや、もちろん。
 許容量を超えると感じるものや妥当だと思われるものは、医療や薬物に助けてもらいながら。
 
 
 「自らの個人的な神話を完全に生き抜くこと」……。
 そう、個人的なものがたりを生き抜くこと。
 
 たぶん、ぼくが「そう在りたい」と願っていることも、そんなニュアンスのこと。
 町の按摩さんを通して分かち合いたいと願っているのも、そんなこと。
 
 自分のペースで、焦らずに。
 それでも真摯に、歩いていこう。
 
 
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 Thursday, 3 June 2004, 11:38:38 am
 puru
 
 映画「折り梅」のこと。
 
 
 CENTER:&ref(http://tao.main.jp/img/ume.jpg,nolink);
 
 
 吉行和子さん演じる、アルツハイマーなお婆ちゃんを見ていて。
 ぼくたちと一緒なんだ、と思う。
 行き場を失った、未消化な、抑圧された想い。
 それらを抱えて、ぼくらは生きている。
 
 何かの出来事が、ある状況が、そんな想いを刺激し。
 未消化だった想いが爆発する。
 それは、誰にでもあること。
 
 ぼけやアルツハイマーは、そんな未消化な想いを無意識の中に囲い込んでいる、抑制装置が外れている
 だけなのかも知れない。
 いわゆる「普通の人」が普段は抑制し切れている、未消化な想い。
 そのものがたりの中に漂っているだけなのかも知れない。
 そう。
 いわゆる普通の人だって、日常のいろんな瞬間には。
 そんな未消化な想いのものがたりの中に、やすやすとはまり込む。
 
 
 ところで。
 未消化な想いは、からだの緊張という形で抑制されていたりもする。
 丁寧に優しく、からだに問い掛けるように触れると。
 そこに抑制されている想いや緊張が、溶けるように流れ出すこともある。
 同じように。
 心を通わせられる誰かに、その想いを伝えるだけで。
 想いを共有するだけで流れ出したりもする。
 
 想いは、固く仕舞い込まれると、どんどん淀み、膨らんでゆく。
 なんらかのかたちで共有したり、昇華出来れば、とっても素敵。
 その時それは、舞のような、”ながれ”のように思える。
 
 
 CENTER:&ref(http://tao.main.jp/img/nagare2.jpg,nolink);
 
 
 仕舞い込んでいたことに気づいたら。
 少しずつ、少しずつ、味わってみたり。
 その想いを呼吸で表してみたり、からだの動きにしてみたり。
 絵にしてみたり。
 ほんの少しずつでも、ながれればいいのだけれど。
 
 
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 Tuesday, 1 June 2004, 6:07:15 pm
 puru
 
 うん、めちゃいい。
 
 と。
 今はミンデルさんの
 「昏睡状態の人と対話する プロセス指向心理学の新たな試み」NHK BOOKS
 を読んでいるのですが。
 一緒な世界。
 
 
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 Tuesday, 1 June 2004, 3:11:18 pm
 そんなに よかったんや たまたま キラナの リクエストで ビデヲを撮ってあるので 見ようっと。。
 
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 Monday, 31 May 2004, 11:51:19 pm
 puru
 
 邦画、「折り梅」ショックが、まだ続いています。
 まだまだ言葉になりません。
 
 兎にも角にも。
 すごい映画でした。
 
 「人生」を、その人の「ものがたり」を、未消化な想いとその抑圧された想いの噴出を。
 あれだけ丁寧に描けた映画は希有だと思います。
 
 日本も。
 捨てたもんじゃないんですね。
 
 
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 Sunday, 30 May 2004, 9:06:46 pm
 puru
 
 録画していた邦画「折り梅」観ました。
 なかなか言葉が出ないです。
 
 老いてゆくこと、ボケること、病気……。
 すべてを含めて。
 生きてゆくということが。
 とても素晴らしいことなのだと、そう思える映画でした。
 
 治療やセラピーというものが。
 なんだか色褪せたものに思えてしまったのは。
 ぼくが、まだまだ「治療師」という看板を背負っているからなのだと思います。
 
 ホントの意味で。
 「町の按摩さん」となるのは。
 まだまだ先なのでしょう。
 
 

九段下でマッサージ!悠の癒
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