按摩さんの日記・過去ログ





2003年02月19日



>その人に実感がなくても、皮膚や皮下組織に瑞々しさを回復
>させることにフォーカスを当てた按摩もやってみよかなあ。


という訳で、今日さっそくプラバさんにテスト按摩をしてみた。


いや、……これ、あまりよくない。(^^;
全身くまなく、皮膚や皮下組織のみに焦点を絞っ按摩。
思わず、自分も相手も、共に実感が掴める層に入っていきたくなる。
終わったあと、かなりフラストレーションが残り、ヘトヘトだ。
む〜。


とわいへ、いくつかの収穫有り。(^^)
これだけキッチリと、働きかける層を限定して按摩をしたことがなかったしね。


しかし。
つづきは後にしよう。
ダルさ、脱力感、やる気なさが……。


プラバさんは元気だ。




試してみて分かったこと


2003年02月20日


BoAさんの歌が気持ちいい。
ってのはYukiWikiのどっかのページに書いたけど。


何で気持ちいいのか、今朝、聞いててひとつ発見した。
歌詞がね、流れてくる言葉が気持ちいいんだ。


韓国のブロードバンド・ライブTVを。
言葉が分からないながら見ていると。
とっても懐かしくて、安心した気持ちになる。
それは、(特にTVの中で)今の日本ではもうなくなってしまった「上品さ」が、韓国のTVの中にはあるから。
今の日本のTV、その中に出てくる多くの人びとの言葉やしぐさ、全体の空気が、かなり下品なんだということに気付く。


流行歌の中で使われる言葉もそんな感じがする。
言葉がカタチとしてぶつかって来る、そんな感じ。



今朝、BoAさんの歌を聞いていて思ったのは。
言葉のひとつひとつが、日本の空気に溶け込んで、とっても優しく流れて来るということ。
そんな優しい言葉が、とっても繊細に選ばれている。
もちろんBoAさんの歌声自体気持ちいいんだけど。


BoAさんってば。
いいスタッフ、いいプロジェクトに囲まれているんだな、と思った。



で。
BoAさんのダンスもいいよね。
いまどきなダンスなんだけど、けっこう自然なうごき方する。
テレビでよく見かけるダンサーは、けっこうクセのある肩の使い方をしてて。
肩で表現する人が多いんだけど。
ぼくはあまり好きじゃない。(っていうかBoAさんの動きを見てから、そう思ったんだけど)
BoAさんは肩の動きがとっても自然でいい。(^^)


ただのミーハーおじさんの、勝手な感想なのである。(^^;


2003年02月22日


韓国のライブ・テレビで映画放映をやっている。
今は、それを見ながら書いているのだす。


「City of Joy 歓喜の町カルカッタ」。
これ、いい映画なんだよね。
カルカッタを舞台にした、スラム街のものがたり。
けっこうリアルなインドが描かれていて、大好きな映画。


それが韓国語吹き替えで、今まさに流れている。(^^)


(お、今コマーシャル入った。
くっくっく。
コマーシャルが面白いんだよねぇ、思わず見入ってしまふ)


で、映画。
インド人が韓国語をしゃべってる、てのが奇妙で楽しい。


……ん??
映画、途中で終わったゾ。
これって、一回で全部放映じゃなくて、分割放映なのか??


(と、隣でプラバさんも同じ番組を、自分のパソコンのメディア・プレーヤーで見ているのは変な光景だ。(^^;)


ほよ?
コマーシャルの後、映画の後編スタートぉ。
次の仕事が6時からだから、まだ見れる。(^^)


2003年02月23日


スタートレックの最新シリーズ、「エンタープライズ」のビデオ入手。
くぅ〜。
最新シリーズは昔ノリで最高。(^^)


思わず1&2話を続けて見てしまった。
あんど、「宇宙大作戦」(一番最初のシリーズ)の第一話も見直し。
スタトレの大ヒット・パロディ映画。
「ギャラクシー・クエスト」も見てしまった。
これは、もう何回見たことか。
インド・おバカ映画クラスに見直している。


感想は今度だ。
早く寝よ。(^^;




”「操体フォーラム」には出席しないのよん”的なことを。
「のびのび掲示板」に書いたけど。


なんかあらためて。
そゆぼくの気分を、言葉として再認識させてくれるページを読んじゃった。(^^)


シーポヨ絵なし日記
Swikiを構築する時に参考にさせてもらった、「Wombat」のセトゥさんの文章。


>それは、『混沌の縁』をどう維持するかによる。
>秩序が出来たとき、コミュニティは死ぬ。

>混沌の縁は、混沌でも、秩序でもない 中間の領域。

>オショウの周りには、この『混沌の縁』が続いていた。
>今も、続いているけれど、秩序をもたらそうとする勢力が
>以前に比べると大きい。
>まあ、どこにいても、『秩序をもたらそうとする勢力』が
>やって来ることには変わりがない。


ぼくにとって"操体"はね。
この『混沌の縁』に近いモノを感じさせる。
で、「操体フォーラム」には、『秩序をもたらそうとする勢力』みたいな匂いを感じてしまう。
いや。
これは単に「ぼくの感じ」でしかないのよ。(^-^)キッパリ


おそらく、「秩序」を通してしか理解出来ない人もいるし。
「秩序」を通してしか理解出来ないものもある。
んと、それは。
「カタチ」とか「形式」と言い換えることも出来るかも。


で、それは。
明らかにお役立ちグッズではあるのである。(^^)


2003年02月27日~


今日の治療室のBGMは東儀秀樹さんの「幻奏譜」。

皮膚やからだを包む空気が、とても気持ちいい。
雅楽器の音色が、空気に浸透して、流れて……。


懐かしいくて優しい、有り難いような、感謝のような……。


皮膚や皮下組織の按摩と同じ感触。




そうそう。
雅楽を流すと。
部屋の緑(観葉植物)たちも、めちゃ歓ぶんだよね。(^^)


2003年03月04日


森達也/著「職業欄はエスパー」を読む。


以下は森達也公式サイトからの引用


ドキュメンタリー映画「A」の編集作業と並行する形で、撮影・編集が進められた作品
秋山眞人、堤祐司、清田益章という、「エスパーであること」を職業に選定した3人の超能力者の日常を撮りながら、(撮影者である森達也自身も含めて)彼らを包みこむメンタリティが、「信じること」と「信じないこと」をキーワードに少しずつ露わにされてゆく。
企画自体は、1993年に一度正式に決まりかけたが、清田益章がカメラの前でスプーン曲げを披露することを拒絶してロケ途中で頓挫した作品。
その間の経緯や彼らと撮影者である森達也との愛憎も含めてのルポ「スプーン」は、2001年4月に出版された。


これは森達也さんが製作した「職業欄はエスパー」というドキュメンタリー番組の解説。
文中にある「スプーン」の文庫版が、今回読んだ「職業欄はエスパー」。


題名の印象とは違い、けっこう重い本。
著者の霧の中を手探りしているようなとまどい。
取材の過程で、三人とはほとんど友人のような信頼関係を築いてゆくけれど。
その霧のようなとまどいは、どんどん濃さを増してゆく。
そしてとまどいは、エスパー三人(というか、主に秋山眞人さんと清田益章さんのふたり)の、この世界の中でのとまどいと重なり……。


嘘のない、素直な著者のスタンスが好き。
で、一気に読んでしまった。




ところで、ぼくは一度だけ秋山眞人さんに会ったことがある。
秋山さんのリーディングを受けるという知人の付き添いで。


秋山さんのリーディングは、それまでぼくが見たり受けたりして来たものとはまったく違っていた。


サニヤシンのセラピストやサイキック・リーディングをする人、または超能力者といわれる人たち、その多くは感受系というか、普通の言葉でいえばどこかに「共感」というニュアンスが流れている感じがする。
なので、そのリーディングの場にいると、明らかに傍観者であるぼくも、その場の空気を共有する。


昔、親しくしていた超能力者の先生の合宿に参加していた時。
セミナーの休憩時間。
コタツでのんびりしていた。
ぼくの向かいに先生が座り、左隣の誰かが先生に質問した。
その誰かが質問を発した瞬間、ぼくの中に先生の答える内容がハッキリと浮かぶ。
そして次の瞬間、先生が答える内容は。
ぼくの中に浮かんだものとそっくり同じ。
その状態が、休憩時間の間続いていた。


奇妙な感覚ではあったけれど、共感、共有、というものを、リアルに体験した瞬間だった。
感情や気分を共感することは多いけれど、思考内容を感じたのはその時が最初で最後。


で、秋山さんのリーディングは。
その場にいても何も感じない。
何も感じないという奇妙な感覚。
それでいてリーディングは、淡々と、具体的に、しかも正確(だと思われた)に進んでいく。
おそらく感受系とか受動的なものではなく、能動的に「見る」能力なんだろうと、その時思った。


2003年03月05日


感覚を見守るということ。
それに囚われず、ハマリ込まず、巻き込まれずに。
かといって。
それを抑圧したり、忌避したり、切り離そうとせずに。
ただ見守る。




高校生の頃、相撲の星取り屋さんでアルバイトをしていた。
お客さんは大相撲の勝負結果を予想し、その当たり点数で景品が貰えるというもの。
大黒帳をぶ厚くしたようなものに、ある地域のひとりひとりの予想と結果が綴られている。
前日の分と今日の分、二冊の大黒帳を並べ、ピシッ!ピシッ!と素早いスピードでめくっていく。
前日までの合計点に今日の点数を足して、インクで書き込むのだ。


他にも仕事はあったのだけれど、この仕事が気に入っていた。
左手の人差し指にゴムの指サックをはめて、軽快にページをめくっていく。
手前の大黒帳のページがめくられた瞬間、右手はススッ合計点を書き入れる。
遠目で見たらきっと、ただただ素早くページをめくっているだけ、そんな感じ。


紙の束のめくりはじめは、目の前の数字を素早く追い、頭の中で必至に計算している。
からだの動きも硬く、紙をめくるスピードも遅い。


そのうちに、あるリズムがやって来て、からだの無駄な力が抜ける。
目で数字を追っていたのが、逆に目に数字が入ってくるようになり。
目に数字が入って来た瞬間、合計点が浮かび、書く。


そうそう。
この感覚が好きだった。(^^)
手は勝手に紙をめくり、浮かんだ合計点を書いている。
ぼくはそれを、少し後ろに引いたところから眺め、見守っている。




そいえば、こんな事もあった。


鍼灸学校の入学金を貯める為、リンナイガス器具の組み立て工場で、半年間季節労働者(出稼ぎ)をやっていた時。
仕事は、ベルトコンベアーを流れてくる製品を組み立てる流れ作業。


残業が続いたある日の夜。
疲労で頭が少しボケ〜っとしており。
それでも、単純作業が割と好きで。
いかに素早く仕事をこなすかに燃えるぼくは。
出来るだけ、からだの無駄な力を抜くように組み立て作業を続けていた。


フト気付いたら。
なんだか意識が後ろに引いていく。
それなのに、からだはいつもより軽快に作業をこなしていく。
そんな自分のからだを眺めつつ、意識はからだの後ろから、今度は上の方に上がってゆき。
工場の天井に近いところで自分を見守っている。


と。
突然、「愛されている」という想いが湧き上がって来て。
愛に満たされ。
愛そのものになった。


……だったんだよね、確か。
今となっては、ただの記憶だけど。(^^;






前からちょっと気になっていた映画、「千年の恋〜ひかる源氏物語〜」を見た。
とほほ。
つまんないっすよぉ〜。


そもそものストーリーがよく分かっていないせいもあるんだけどさ。
それにしても焦点の絞れない映画だした。


だもんで、暇つぶしにお絵かきしながら見てた。(^^;;


genji1.gif



genji2.gif



む〜。
同じような時代だったら、「陰陽師」がめちゃ良かったよぉ。
も一回見ようかな「陰陽師」


2003年03月07日


HPのプロフィールを書き換え。


何かねぇ、自分がやってることや、自分自身を表現するのって難しい。
ていうか、ハッキリ言って苦手。


それにしても「プロフィール」ページはしっくり来てなかったので、苦労しながらも書き換えた。
うむ。
取り敢えずはこんなもんか。
少なくても、前よりは「プルらしさ」が出てるかも。


ちょうどお絵かきが楽しくなって来たところだったので、イラストも入れたりなんかしてさ。
うはは。
なんだかんだ言ってけっこう気に入ってるのだ。(^-^)


2003年03月09日


今日のある患者さん。


つかみどころのない、曖昧な感触……。
皮下組織は力がなくて、かといって虚してヘコヘコになっている訳でもない、スポンジのような感じ。
その下の筋肉は、筋膜がツルツル滑る感じ。
確かに”コリ”なんだけど、”ちょっと細めのゴムホース”といったところかな。


前はけっこう苦手だったんだよね、こゆ感触。
感触の表面をなぞっていく程度しか出来なかった。
でも最近、その感触の中に、少し入っていけるようになったみたい。


感触を味わいつつ按摩していると……。
妙にイライラ、というかムカムカしてくる。
お腹の中が怒っている。
ちょっとキツイ。(^^;
この感情から逃げ出したい気分。(^^;;


単なる「怒り」だとね、エネルギッシュな按摩になって、それはそれで楽しいのだけれど。
この気分は、もっともっと入り組んでいる。


取り敢えず、そのお腹の中の気分にくつろぎつつ、味わいつつ、患者さんの感触の中に入っていく。
と、ムカムカしたお腹の感じのまわりを、「諦め」みたいのがおおっている。
哀しい諦め……。
その感じが浮き上がって来てから、少し精神的に余裕が出て来る。
味わいつつ、味わいつつ……。


頭の中に、なんとなくなその感情のストーリーが思い浮ぶ。
理不尽さに腹を立て、でもその状況を変える手段は何もなく(と思い込み)、何度となく自分を説得して諦めて来た。
哀しくてツライのだけれど、それが当たり前なこと。
おそらく違う状況、違う登場人物ながら。
そんな感情のストーリーが何度も繰り返されているのだと思う。


味わいつつ按摩していると、「チュアカ」の膝のパートが思い浮かぶ。
膝は「死の恐怖」。
生きることの諦め……死。
「膝か」、なんとなくそう思う。


うつ伏せになってもらい、膝の裏に触れる。
あのつかみどころのない感触が、もっと強く出ていた。
按摩していると、「最近、時々膝に力が入らなくなって、ガクガクしていたんですけど、その膝の裏の感触がガクガクする感じと一緒……」と言う。


按摩が終わってから。
具体的なことは話さないながらも、(諦めではなくて)好きなこと、やりたいことをもう一度思い出す、みたいな話をした。
患者さんの方も具体的なことは話さないながら、ピンと来る、思い当たることがあるらしく。
なんとなくお互いに腑に落ちて、按摩終了。


来週、からだがどうなっているか楽しみ。(^^)


2003年03月17日~


最近は、自分の掲示板でラビさんと話すのが楽しくて。
随分日記書いてなかった。


今日掲示板に書いていてフト思った事。


"Re:こちらにもお邪魔します。" プル wrote:
> 重心がすとんと下に落ち、ブレのない軸がす〜っと立ち上がり……。
> まわりには柔らかい感覚の層が拡がって……


日本的な在り方って、本来的にはこんな感じなのかな、と。
理想かも知れないけれど。


戦後、アメリカの文化を急速に、ホント急速に吸収し。
それはアメリカの占領政策とは別のところで、日本人自身が勝手に、自ら進んで吸収していったのだと思う。
外来文化を取り入れるのが好きな、おっちょこちょいで珍しもの好きな日本人。(^^;


それは別に戦後に限らず、昔からそなんだと思ふけど。
そう、「古事記」の時代から。
様式や文化、表記言語は、めちゃ中国だし。
ていうか「古事記」の表現自体、ほとんど「道教」だもの。
ま、いいや。


アメリカの文化を急速に吸収した今。
農耕民族的な腰に落ちた重心は、頭の方に上がり。
ずいぶんと軸のブレたからだになっているんだと思う。


と、フト思ったんだけどさ。


その内、昔的な日本文化に対して、まるで外来文化のように興味津々になる事があれば。
またもや急速に取り戻すんだろな、と考え。
可笑しくなったのでした。(^^)


2003年03月22日


今週の月曜日、午後2時頃。
腰のあたりや関節の節々に重い痛みと発熱感が出はじめる。
「お、風邪だな (^^)」と喜んだぼくは、浅はかだった。


夕方出掛ける予定があったのだけれど、キャンセル。


フトンを敷き、横になる。


午後5時頃。
腰周辺関節の奥の方の重い嫌みは、さらに強くなり。
その痛みとは別に、腰から背中にかけて筋肉痛のような筋肉表層の強い痛みも出始める。
寝ながら姿勢をどう変えても、痛みが薄らぐ姿勢はない。
立っても座っても、四つん這いになっても強烈に痛い。
おまけに姿勢を変えるだけで「ハアッ、ハアッ、ハアッ」と息が切れる。


悪寒(背中をゾゾ〜っと這い上がる感じ)と強い寒気、そして少し軽いけれど吐き気も。
かなり熱も上がり、姿勢を変えなくても発熱の為常に「ハアッ、ハアッ、ハアッ」状態に。


午後6時頃。
奥の方と筋肉表層の痛みは耐え難いものになり、「ハアッ、ハアッ、ハアッ」はうめき声に変わっている。
逃げ場は、ない。






と、出だしはこんな感じだったかな。
インフルエンザってやつだったのかしら? 
ま、病院に行く習慣がないから確かな病名は分からないけど、たぶん噂に聞くインフルエンザだったのでしょう。


痛みの為眠ることも出来ず、次の日の朝までこんな感じが続いていた。


はじめは、からだ全体の感覚を味わおうと、感覚全体に耳を澄ます。
そうすると、悪寒や痛み、様々な感覚が細部に渡ってリアルに感じられるようになる。
1時間ほど、痛みにうめきながら荒い呼吸を繰り返し、こんな感じで味わっていた。
頭の中は「ツライよぉ。いつまで続くんだよぉ。勘弁してくれっ。」と完璧ギブアップ状態。


と、その後。
「味わう」という事がめちゃくちゃ作為的に感じられ。
やめた。
「もう、なりきるっ!! 痛みやツラさ、このまんまでいるっ!」って感じか。
痛くてツラくて苦しくて、うめき声を上げながら、荒い呼吸をし……。
時々、頭の中を「ツライ!」というような言葉や文章が流れ……。
それを見守っている自分がいる。


今回。
「味わう」のと「見守る」で、痛みや苦しみが変わる訳ではなかった。
「味わう」と、感覚はよりリアルに感じられるけどね。
(って、チョー苦しい時、それをよりリアルに感じるメリットはどこにあるのだろう? (^^;うはは)
でも、逃げ場のない苦しさの中にいる時、「味わう」っていうのは、作為的でちょっと違和感があったかな。
その中にどっぷり浸りながら、「見守る」が自然な感じ。


「味わう」と「見守る」の微妙な違いが感じられたのは収穫だったけれど、もっと明確にその違いを感じ取ってみたい。
いつかまた、こんな苦しい状況がやって来ないか……。
なんてね、当分は遠慮したいっす。(^^;


2003年03月25日~


一日一回、必ず爪を研ぐ。
硯で墨を擦るように、これから何かに臨む時のような、心が落ち着く瞬間。


按摩さんの指の爪は、ぎりぎりまで削る。
例えば四指を立て、四本の指先で揉むこともあるから。


または指を立て、爪の先端で揉むこともある。
爪が伸びていると安定しないけれど、ぎりぎりまで削り込んでいれば、爪は指と一体となり、指の延長として使える。


爪が立たないので、ビニール包装とかを解けないことがよくある。(^^;;





風邪で寝込んだ時。
一日目は白湯だけだった。
しかし、この白湯が美味しかった。


ゴクンと白湯を飲み込むと、その瞬間、暖かさが全身に広がり、さらにからだの周りには蒸気のような気体が拡がる。




と、インドにはじめて長期滞在した時のことを思い出した。
半年間インドで暮らし、もうそろそろ帰国しよかという時。
田舎の両親から日本食の小包が届いた。
本来なら、もっともっと早く到着する予定だったのだけれど、そこはそれ、インドだから。(^^;
あんなこんなで数ヶ月も経ってしまったのだろう。


半年振りの日本食にわくわくし。
取り敢えず、中に入っていた昆布茶をお湯に溶かし、ひとすすり。
昆布茶を飲み込んだ瞬間、暖かいものが一気に全身に広がる。
細胞一個一個に、染み渡る暖かいエネルギー。


異国の地で、異国の食事に疲れていたからだに。
このからだが育った国の飲み物が染み渡る。


この時。
食事や飲み物は、消化器官を通して吸収されるのではなく。
エネルギーとして、からだに入った途端染み渡るものだと実感した。


按摩さんの日記・過去ログ

九段下でマッサージ!悠の癒
トップ   一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS