按摩さんの日記・過去ログ





00/11/11


最近W先生の影響で、ほとんど道教関係の本ばかり読んでいる。
W先生から借りた本をひと通り読んでみて、道教に興味津々。
ついでに本棚に眠っていた『易経』やら『五行大義』を引っ張り出し、『荘子』『淮南子』『抱朴子』なんかも買い足してしまった。

ある日気功の本を探しに古本屋に入ったら、加藤大岳著の『易学通変』『真勢易秘訣』なんていう本がそれぞれ400円と600円で売っていたので、思わず衝動買い。
易に関しては岩波文庫しか読んだことがなかったけれど、随分と実践的な内容だったので、実際に自分でも易占してみたくなってしまった。
MLの仲間が「ぐるぐる易」というソフトを紹介してくれたので、ニフティのライブラリからダウンロードして、何回か易占をしてみた。
いや、これがまた面白い。
自分の状況を易卦という象徴を通して眺めると、当たるとか当たらないとかいう以前に、ひとまず客観的に自分の内面を眺めることができる。
そして何故か「おぉ」と思うほど、今の状況を如実に表す卦が出てくるんだ、これが。(^^;
卦を読むことで、自分の内面の状況にあらためて向き合う。
易の象徴は固定したものではなくて、大きなうねりや流れを表しているように感じられて、そして自分や自分の内面もまたそのように思えてくる。
うん。
面白い。

ところでW先生から借りた本は、道教(老荘思想)の本と「周易と中医学」という本なのだが、一通り読んだ後、自分のパソコンにテキスト入力している。
やっぱりただ読み流すのと、言葉を一個一個入力していくのとでは、理解の度合いが違うんだなあと実感。
って、ホントは筆写するのが一番なんだろうけどね。

前に「季節のすごし方」を書いたけれど、陰陽五行のことはもっともっと感覚として理解してみたいと思う。
ちょうど今、道教関係の古典を読んだりしているので、古典を参照しながら「勉強ノート」のつもりで書いてみようか。


という訳で、自分の勉強も兼ねて陰陽五行のこと。
そもそも陰陽五行って何だろ。
それは易や中医学、老荘思想などの基盤となる考え方らしい。
この世界、宇宙が生じるありさまから、今現在も生成発展しているありさままで、この世界すべてを表すもの、らしい。

天地開闢のありさまを記している一番古い文献は「淮南子(えなんじ)」だという。
その天文篇。(参考:中国古典新書『淮南子』明徳出版 楠山春樹著)
例によって参考書と漢和辞典頼りのシロート意訳。(^^;


天地未形、馮馮翼翼、洞洞灟灟
天地未だ形あらざる時、馮馮翼翼ひょうひょうよくよく、洞洞灟灟どうどうしょくしょくたり

故曰太始
故に太始という

太始生虚、虚生宇宙、宇宙生氣
太始は虚きょかくを生じ、虚は宇宙を生じ、宇宙は気は生ず

氣有崖垠、清陽者薄靡而成爲天、重濁者凝滞而爲地
気に崖垠ありて、清陽なるものは薄靡して天となり、重濁なる者は凝滞して地となる

精妙之合専易、重濁之凝竭難
精妙の合専するは易く、重濁の凝竭するは難し

故天先成而地後定
故に天先ず成り、地のちに定まる

天地之襲精、爲陰陽、陰陽之専精、爲四時、四時之散精、爲万物
天地の襲精は陰陽となり、陰陽の専精は四時となり、四時の散精は万物となる

積陽之熱氣生火、火氣精者爲日
積陽の熱気は火を生じ、火気の精なる者は日となる

積陰之寒氣爲水、水氣之精者爲月
積陰の寒気は水となり、水気の精なる者は月となる

日月之淫爲精者爲星辰
日月の淫して精なる者は星辰となる

天受日月星辰、地受水潦塵芥
天は日月星辰を受け、地は水潦塵埃を受く


万物が生み出される以前、天地の形すらない時
ひょ〜ひょ〜よくよく
ど〜ど〜しょくしょく
何ものをも生じ得ないような、混沌。
ゆえにこれを、大いなる始まり、太始という。

太始より宇宙の根源である太虚、虚が生じ、虚は時間と空間の無限なる広がり、宇宙を生じ、宇宙は万物の根源である気を生じる。

気はその性により自ずと分かたれるが、静陽なるものはほわほわと昇り天となり、重濁なるものは鬱積しかたまり地となる。

精妙なる気のあつまりまとまるのは容易だが、重濁なる気の凝り固まるのは容易ではない。
ゆえに天がまず成り、地は後に定まる。

天地に充ちる精気は陰陽に分かれ、陰陽に分かれた精気は四時(四季)となり、四時(四季)の散じる精気が万物となる

積陽の熱気は火を生じ、火気の純粋なるものは日となる。
積陰の寒気は水となり、水気の純粋なるものは月となる。
そして日月からあふれて純粋なるものは星々となる。

天は日、月、星々を浮かべ、地は大地に雨水を受けている。



こんな感じかな。(^^;

う〜。
でも古典っていいよねえ。 
何度読んでも飽きないし、味わい深い。
読む度に、何か発見やひらめきがポコンと生まれてくる。
古典の世界に浸ってるだけでシアワセ。(^^)

先日、W先生と喫茶店でお茶していた時。
「淮南子(えなんじ)は宝の山なんですね」
「はい。淮南子(ワオ・ナン・ズィー)、ワタシ毎日読んでます。十数年研究していますが、いまだに宝の山。特に陰陽観に関しては素晴らしいです」

まだそんなに本を読んだ訳でもないけれど、この「淮南子」の天文篇が結構気に入っている。
世界の成り立ちを説明しているのは、他にも『周易』の繋辞上伝に「易に太極あり、これ両儀(陰陽)を生じ、両儀は四象(老陽・少陽・少陰・老陰)を生じ、四象は八卦(乾・兌・艮・離・坎・坤・震・巽)を生ず」とかあるけれど、無極=大虚=混沌→太極と解したりして、いまひとつダイナミックさに欠けるようなきがしたりしてね。

「淮南子」の 混沌たる太始→虚無な虚きょかく→宇宙 っていうプロセスが壮大。
「宇宙」ってのは無限な空間と、原初から今にいたるまでの無限の時間を表すらしいしんだけど、その時間と空間をもつ無限なスペースが虚無な虚から生じたっていう世界観もすごいし、その何もない、ホントに何もない、ただ「無」だけの虚無が、混沌から生じるってのも理解を超えていていいよね。

古代の人でこれを実感として観じた人がいたのだろか。
単なる理論的イメージなんだろか。
たぶん、現代のぼくたちが考える以上に、リアルなイメージの産物のような気がするのだが。


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