按摩さんの日記・過去ログ



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00/06/04


実際に使えるものはないけれど、東洋系の占術が好きだ。
というか、東洋医学と東洋系の占術は、その元となる理論体系は同じだったりするし。

ものの本によると、中国の運命学は「五術」と呼ばれ、五つの術、学問に分類されるといいう。
「命」人間の理解。(子平(四柱推命)、紫薇斗数、etc)
「卜」事態の予測とその処置。(断易、六壬神課、奇門遁甲、etc)
「相」物体の観察。(人相、風水、etc)
「医」病気の治療。(方剤(漢方薬)、鍼灸)
「山」人間の完成。(食餌、築基(気功)、etc)
これらすべてが、陰陽五行という共通の理論基盤から成立しているというんだから、中国3千年の歴史は奥深い。


先日、前回書いたサウナに新しい同僚がやって来た。
中医学を修め、按摩の先生もしているという中国人Wさん。
ライフワークは易学だという。
日本で出版した自分の易の本を持参していた。

本を見せてもらいながら、いろいろ質問してみる。
ひとつ聞くと、待ってましたとばかりに答えが帰ってきて、まるで易学の聴講生になった気分。
なんてしあわせなんだ。(^^)
エネルギッシュなレクチャーの合間を見て、「六壬神課(中国語と発音が違うと思ったので、紙に漢字を書きながら)もやるんですか?」と聞いてみる。
「おぉ、六壬!(なんと発音したかは忘れた(^^;) それ、最初に私、学んだものです。祖父、その専門でした。子供の頃、革命の時、私学校行けませんでした。家で祖父にそれを教えられました。それで私命助かりました。友だちの命も救うこと出来ました。」

いろいろ聞いてみると、中国や日本の大学院で易に関する論文をいくつか書いているとか。
特に梅花易数(日本では梅花心易というけどWさんはこう言っていた)と周易が専門のよう。
荻窪で按摩の治療院を開いていて、按摩だけでなく気功も教えていて、頼まれると風水もやるという。
早口で中国なまりの日本語だったから、所々は想像で補っているけど。(^^;
後日、その時一緒だった同僚とWさんにその日聞いたことを確認してみると、大まかな所は同じなんだけど、細かい所が少し食い違っているとこがあったりした。
しかし、何かの占術をものにしている中国人は、同時に他の五術も収得しているという話を聞いたことがあったけど、本当なんだ。


Wさん、易や占術について熱心に質問するぼくを気に入ってくれたらしい。
「伏見さん、易やるとすごくなる。伏見さんに易合ってる、絶対。」と言う。
ひょっとして人相とかを見てそう言ってるのかと思い、内心喜びつつ「え? そうっスかぁ?」と聞くと。
「はい。易の最初、伏義が作った。この人神のような人。伏義の伏は、伏見さんの伏。(^-^)」
そ、それだけ?
………。
ちょっとガッカリ。(^^;

易の実践例もいろいろ教えてくれた。
「男と女、最初に会った場所大事。これよくないと、その結婚絶対よくない。」
「ある人相性の相談に来た。最初に出会った場所、会社のエレベーターの中だという。同じ日にまたエレベーターで会った。それから付き合い始まったね。」
「エレベーター(手で激しく上下する仕草をしながら)、易では絶対良くない。」
「このふたり、いつも激しいケンカ。結局分かれた。」
「そう。スナックもダメね。」

そうかあ。
最初に出会った場所、状況が、その付き合い自体を象徴している、ってことなのかぁ。
結構単純なことだけれど、そういうものなのかも知れないな。
などとひとりで勝手に納得していた。



そんなこんなで夜の9時。
運良くその日のマッサージ師メンバー全員に仕事が入った。
おぉ、ついにWさんの本場中国の按摩が見られる。

仕事をしつつ、時々Wさんの按摩を眺める。
うわぁ、やっぱ親指の使い方が違う。
空手家が親指一本で指立て伏せをする時のような使い方。
まるで指を道具のようにして使っている印象を受けた。
揉んでいる部位も、経絡や経穴、反射区を、症状に合わせて効率的に選んでいる感じ。

時々Wさんと目が合い、お互い微笑んでまた自分の仕事に意識を戻す。
向かいにWさん。
左手にぼくと同郷のKちゃん。
斜め向かいには一番の古株なO先生。
居心地のいい職場と気が合う同僚に囲まれて、憧れの中国按摩も参入し、この日最後の仕事は、本当にしあわせだった。


00/06/12


ぼくの治療室のBGMは、ほとんどクラシック音楽。
患者さんの中にクラシックが好きで結構詳しい人がいて、録音して来てくれる。
ひとつひとつの曲名や、今流れている曲が誰の作曲なのか、なんて知ってるものなんかない。(^^ゞ
その患者さんは、うまく治療室に合った曲を編集してくれるんだよね。
中でも、ぼくはバロックのチェンバロが好きかな。
秋になると、何故か雅楽を流したくなるけど。


日曜日の午前中。
治療のBGMは、NHK・FMの「20世紀の名演奏」と決まっている。
毎週この時間は、オペラ歌手で高校・大学の教師でもあるF氏の時間。
「やあ、お早う」という心地よい声で入って来る。
「はっはっはっは」と笑うと、家中に声が響き渡る。

来る度に、流れるクラシック音楽に耳を傾け「おっ、今日はこの演奏か」と言いつつ音楽の世界に入り込む。
「そうそう……。ここで、こう、盛り上がって……。」とからだ全身で音楽を聴き、表現する。
ホントに音楽が好きで、全身でその曲を聞いている人と共にいると、同じ曲でもいつもより艶が増して味わい深くなるんだよね、不思議と。
F氏が来るようになってから、前以上にクラシック音楽が好きになった。

ある時、曲を聴きながら「そう、若者は恋に落ちるんだな……。心は躍り、世界はバラ色だ。う〜ん、若さはいいねえ……。……そう、だが彼女は若くして逝ってしまった。辛いんだ、これが! 心は引きちぎられるようだ……。母さん、ぼくも行くよ、許しておくれ……。」
クライマックスらしいのが終わったところでつぶやくぼく。
「へぇ〜、この曲にはそんなストーリーがあるんですかぁ」
「ん? ないよ。作るんだよぉ、伏見く〜ん。」
と、ご満悦なF氏。

そか。
音楽に浸るって、そゆことか。

治療が始まる前、すぐ治療ベッドに移動する時もあるけれど、20分以上そうやって音楽に浸っていたこともある。
ぼくにとっても楽しみな、壊したくない時間。


「20世紀の名演奏」でカラヤンの特集をしていた時。
「カラヤンにはしてやられた」と悔しそうに言う。
「今だに分からないんだよ。何がどうなって、何したのか。」

指揮者に対しては、歌っていて大まかにふたつの反応の仕方があるらしい。
「おいおい、そうじゃないだろ。分かってないねえ。」的なのと。
「おっ? そうくるかぁ? いいねえ。やるねえ。」的な反応。
それがカラヤンの指揮のもとで歌った時、指揮が始まった途端、何がどうなって、何をしたのか覚えていないという。
良かったのか、悪かったのか、それも分からなかったらしい。

オーケストラや歌い手の人格まで奪い取り、自らのエネルギーで場全体を創造的に操ってしまう、そんな人だったんだろか、カラヤンって。


00/07/22


プロレスが好きだ。
で、深夜にテレビ放映されるプロレス番組を、録画して見ている。
野球中継がある時は、試合が長引くと深夜放送も自動的に30分遅く開始されることがある。
そこで、野球中継がある日は30分余分に録画することにしている。

ある日余分に録画したのに,定時で野球が終了した日があった。
当然プロレスの後も30分余計に録画されている。
その時知らずに録画されていたのが、おすぎとピーコの「本ビニエンス」という番組だった。
オカマの兄弟が、好き勝手に自分のお気に入りの書籍を紹介する番組。
本の紹介より、ふたりの無駄話が多いような気もするけど、その会話も下らなく楽しかったりする。(^^;
しかし、あのふたり、ホントに心から本を愛していて、驚くほどよく本を読んでいる。
特におすぎの本の説明は、過剰に実感がこもっていて、「この本、絶対読みたい!」と思うことが、たまにだけど(^^;ある。

ある時おすぎが感情移入バリバリで絶賛していたのが、吉村昭という作家の本。
一度も読んだことがなかったけれど、おすぎの惚れ込みようが尋常ではなかったので、さっそく古本屋で探してみた。
そして、読んでみて驚いた。
「こんな小説があったんだ! こんな作家がいたんだ!」

吉村昭という作家は様々な小説をかいているけれど、ぼくはその中でも「事実をもとに、綿密な取材を通して書かれた小説」が好きだ。
綿密な取材をもとにした状況描写と、それに基づいた過度にならない淡々とした心理描写が、恐ろしいくらいのリアリティーを持って読み手に迫って来る。
特に極限状態に置かれた人間の姿を描いた小説がスゴイ。

一番最初に読んで、尚かつ一番好きなのが「漂流」。
『水もわかず、生活の手段とてない絶海の火山島に漂着後十二年。ついに生還した男がいた。その凄絶な生きざまを描いた長編小説。』
船が難破し、無人島に漂着して十二年。
初めの数年で、同じ船に乗っていた仲間は次々と死んでいく。
たったひとりで、食料となる植物も生育せず、海水以外の水は存在しない絶海の無人島で生き続ける主人公。
初めの1ページ目から、それこそ息もつかずに一気に読み切ってしまった。
(っていうのはウソ。息つかなかったら死んじゃう。(^^;)

昔映画化されたらしいんだけど、レンタルビデオに出てないかな。
あったら絶対見たい!


さっき読み終わった、同じく極限状況もの(っていう言い方あるのかな)で「高熱隧道(ずいどう)」も一気だった。
しかし、これは読んでいて痛い。(つらい、苦しい)
『黒部第三ダム。人間の侵入を拒み続けた険阻な峡谷の、岩盤最高温度165度(!)という高熱地帯に、トンネルを掘る難工事。犠牲者は300余名(!)を数えた。トンネル貫通への情熱に取り憑かれた男たちの執念と、予測もつかぬ大自然の猛威と対決する異様な時空を、綿密な取材と調査で再現した記録文学。』
と、背表紙に書いてあるけど、「トンネル貫通への情熱に取り憑かれた男たちの執念」っていう表現は、ちょっとなぁ(一へ一;;って感じ。
戦時下の電力供給源欲しさの急を要する工事。
天皇の名のもとに人命の安全性を欠いたまま続行されるダム計画。
時代、状況がそうだったとはいえ、痛くて生々しい物語だ。

戦争がらみで「背中の勲章」。
第二次大戦末期に米軍の捕虜となり、終戦後日本に帰還した兵士の物語。
「生きて虜囚の辱めを受けず」という言葉は知っていたけれど、その時代、そこに生きていた人にとってのその言葉の生々しさは、想像を超えるものがあった。
戦争を知らないぼくたちにとって、吉村昭の戦争もの小説は必読かも知れない。

何度も書くことになってしまうけれど、その綿密な調査に基づく淡々とした状況描写、感情描写は、今まで読んだことのあるどの歴史小説や教訓的小説よりも、圧倒的リアリティーを持って読者に迫ってくる。
それをどう咀嚼するか、どのような感想を持つか、それはすべて読者の感性にかかっている。
吉村昭は、淡々と描写する職人。

オランダ語の「解体新書」を訳したといわれる杉田玄白。
実はこの「解体新書」、その翻訳のほとんどは前野良沢という孤高の学者が中心になって完成したもの。
杉田玄白は、いわば立ち回りの軽やかなコーディネーターといったとこか。
頑固一徹の翻訳バカ、前野良沢。
その晩年は孤独だ。
片やオランダ語はほとんど忘れ、しかし蘭医の大御所として大出世した杉田玄白は優秀な弟子もたくさん抱え、華やかな人生。
これも、どちらの人生に感情移入することなく、調査、取材に基づいて、淡々と書き進め、しかも小説として読者のエネルギーを惹きつけずにはいられない作品。


他にエッセイ集として「旅行鞄のなか」という本もお薦め。
物書き職人、吉村昭の顔がどアップで見ることが出来る。
そうそう、大っ好きな時代小説家で隆慶一郎という人がいるのだけれど、彼のエッセイ集「時代小説の愉しみ」とこの本、何故か同じ空気を感じる。


00/10/01



club43.gif


めっきり秋らしくなってきましたね。
朝晩は寒いくらい。

何日か前から、治療のBGMは雅楽。
ぴ〜、ひょろろ〜〜ん。
いいっスねえ。
もの哀しいやうな、しみじみとした静けさ。
秋には雅楽がよく合います。

という秋の日曜日。
治療室の前を、氷川神社の御神輿が通り過ぎていきます。
お祭りといえば「ネブタ!(^O^)」という、エネルギッシュでハチャメチャなものを思い浮かべてしまう津軽生まれのプルですが、こういう秋のお祭りもいいもんですねえ。
ちっちゃな子供たちがうれしそう。
それをお祭りから少し離れて見守るお母さんたち。

思わず録音してしまいました。
(デジカメなんてものがあるといいのだが。(^^;)


fileclub4.mp3
御神輿と子供たち(MP3ファイル 154kb)


00/10/23


バイト先のサウナの話。
先日、5年振りくらいの患者さんが来た。

「インド日記」のインドに出掛けた時、その頃も週に何回かあのサウナでバイトをしていた。
あのサウナとは結構長い付き合い。
お馴染みの患者さんも何人かいた。
インドに出掛ける時、「必ずここに戻って来て下さいさいね」と言ってくれたくれた人もいたっけ。
インドから帰って東村山に腰を落ち着けて4年目。
またあの荻窪のサウナに戻ってみたら、以前とはかなりお客さんの顔ぶれが変わっていた。
「戻って来て下さいね」と言ってくれた人たちもいない。
不況のせいなのか。
なんて、ぼくがまたバイトを始めたのもそのせいだったのだが。(^^;

そんな中での5年振りに会う患者さん。
昔の話で盛り上がる。
「伏見さんをご指名の○○さん、見ないわねえ。なんて私も何年か振りで来たんだけど……。」
「顔ぶれ変わっちゃいましたよね。」
「変わったと言えば、アナタ、腕上がったわねえ。」
「そ、そおっスか。いやあ、そお言ってもらえるとうれしいっス。(*^^*ゞ」
「ここのサウナの先生、ほんと勉強熱心なんだから。」
と、サウナの治療師さんの話しに。

そおいえば、最近久しぶりに会ったU先生。
以前ぼくがいた当時も上手くて評判の先生だったけど、久しぶりにその治療風景を見ていたら、前とは格段に違う上手さだった。
鍼と灸が専門の先生なんだけど、按摩する姿がまったく力みがなくて美しかった。
以前はそれこそ額に汗して、全身全霊を込めて按摩していて、その真剣さも素晴らしかったけれど。
5年振りに見たその按摩は、明らかに「優雅」だった。
スゲエなあ。

と、患者さんと話しながら思い出してみると。
同郷のKちゃん。
誰もが認める、我がサウナのナンバー・ワン。
初めて見た時「からだの使い方が上手い女の子だなあ。」とは思っていたのだけれど、最近その按摩する姿が、もっともっと繊細で暖かくて……、すっごくいい感じに変わってきている。

ん〜、ぼくも負けてられないなあ。
精進、精進。(^O^)/

そうそう。
中国人治療師W先生。
指名が増えて大忙し。
「論文書く時間、大事。ホントは働く時間、減らしたい。」と言いつつ、熱心に治療している。

W先生監修のもと、今道教のHPを作成中。
もう数ページは出来上がっているのだけれど、どの時点で公開しようか。
いつ公開するかは任されているのだけれど……。
「道教って面白い! 変な宗教よりドッシリ大地に根を張ってるし、実用性と虚空の拡がりの共存が奇跡的!」という、ぼくの印象が少しでも出せるようになったら公開かな。
早くて新年早々、か、春。
さ、勉強、勉強。(^^)


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