*22-衆-社会労働委員会-54号 昭和30年07月30日 [#e70d7f67]
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''○中村委員長''
 次に、あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を続行いたします。
受田新吉君。

''○受田委員''
 昨日に引き続きまして、質疑をいたしたいと思います。

 この法案は、医業類似行為に非常な規制を設ける法案でありまして、この問題は、過去の行きがかりや感情にとらわれて、現在やっている人々に対する大きな圧力を加えるというような結果になる。
そうしたものであっては、私はならないものだと思います。
ことに現在のところは、この第十九条の特例にありますような、医業類似行為をやっている人々は、これは国家的にも、多年にわたってその存続を容認された人々でありますので、その仕事をやめさせるというようなことになるならば、少くとも基本的に十分の調査研究がされ、かつ、その仕事をやめさせる人々に対する対策が十全が期せられて後に、それがなさるべきものだと私は考えております。
ここではっきり申し上げておきたいことは、私は、少くともこういう法律を作る場合には、高い見地から一方に片寄らず、中正な立場から感情を乗り越え、また従来の行きがかりを乗り越えて、立法措置がとられなければならぬと考えております。
従って私自身も、療術師の特別な利益を代表する者でもなければ、あんま、はり、きゅう師の利益を代表する者でもありません。
またそういうものにつまらぬ関係を持って、そうして一方に偏した考えでこの法案の審査をするような形は、全然とるべきではないと考えて、ここに立っているのであります。
ただ、問題になるのは、この法律は、すでに数十年その業を続けてきた人が、非常に年を取っておる人もあれば、他に転職の道のない人もある。
そういう多数の人々に対して、死刑の宣告をするような、仕事を奪い取る法律になる規定が掲げられておるのであります。
そこに問題があるのであって、お互いの社会に、非常な苦境に追い込まれて、自分の職業を法律によって奪い去られるような人々ができたとしたならば、これは国家的にも社会的にも重大な問題であります。
私はその意味で、この法律の規定によって、当面仕事を奪い去られる、すなわち、その業を継続できなくなる、失職する人人をそのままにして、政府がこの法案を押し通そうという考えがあるような、そういう法案であると認めまして、ここに政府に昨日来質疑を特に慎重に続けておる次第であります。
従って私は、社会的に仕事を奪い去られ、憲法に保障された営業権、職業の自由選択権を奪い去られる人々に対して、政府が、なぜ高い見地から、その人々のことをもっと真剣に考えて立法措置をされなかったという点についての、政府のやり方に対する私の強い責任追及をここで申し上げている次第であります。
私はその意味で、ここに出た法律には、あんま、はり、きゅう、柔道整復の方々は、原則としてその仕事が守られるという点において、またその人々のまっすぐやる人々は、完全に社会的にも擁護される立場にあることにおいて、私はその点においては異論を差しはさむものではありません。
ただここで、十九条の規定に掲げてある人人を、そのまま取り残したような形で法律だけが先行するということに対して、取り残されていく人々の立場を十分考えるべきが政治家の使命である。
よし少数であろうとも、政府も少数の正しい立場を守ってあげ、不幸に陥ろうとするその人々を何とかして守ってあげたいという強い正義感があるかということを、今回の法律改正に当って、この取り残される人々になぜ適切な措置を講じないかと質問を常に続けているところが要点なのであります。
少くとも、この法律が今年の末をもって実施されたとしたならば、直ちに職を奪われたであろう人々に対して、政府が適切な対策を立てておるということも、昨日の質問で私はお聞きしなかった。
また三年間に十分そういう用意をしようという意図も伺うことができなかった。
こういうことにおいて、単にその人々の生命を断ち、死刑の宣告をするということだけでこの問題の処理をなさろうとする、その政府の立場に対して、今日はさらにお確かめ申し上げたいと、私は質問を申し上げる次第であります。

 ここで問題になりますことは、政府は、この法律を制定された昭和二十二年の占領政策をどう考えておられるか。
当時の一松厚生大臣は、この法律は占領政策のしからしめたものであって、GHQの指示のあった法律である、いわゆる占領立法である、こういうことを言われておりますが、政府としては、この法律は占領軍の施策によるいわゆる占領立法であったと御確認なさいますか。

''○高田(浩)政府委員''
 この法律は、連合軍司令部が存在しておりました間にできたということは事実でございます。
しかし、この法律の立案、作定等につきましては、わが国の学者その他権威者の意見を十分徴した上でなされたものでございます。

''○受田委員''
 その法律を提出された当時は、学者その他の意見を徴したということでありますが、占領軍の意図するものは、これは医業類似行為を一括して問題にしたのでありますか。

''○高田(浩)政府委員''
 法律案の審議過程におきまして、こういった医師以外の行うこの種の行為については、いろいろ向うとしても考えは持っておったように記憶いたしております。

''○受田委員''
 どういう考えを持っておったか、記憶されている内容をお示し願いたいと思います。

''○高田(浩)政府委員''
 少くともかくのごとき行為は、文明国としてあまり芳ばしいことではないという感じは、相当強いようでございました。

''○受田委員''
 芳ばしいことでないという占領軍の強い意思が察知されたということでありますが、結局あんま、はり、きゅう、柔道整復及びそれら以外の医業類似行為を含めて、全体として、そうした占領軍の大きな圧力的なものがあった、こういうことになるわけですね。

''○高田(浩)政府委員''
 圧力という言葉は、語弊のある言葉でございますから、あえてその通りだとは申しませんが、少くとも医療というものは医師が行うべきものだ、これは日本側でも同じように考えておったわけであります。
それ以外のものにつきましては、好ましいことではないということであります。

''○受田委員''
 そうするとあんま、はり、きゅう、柔道整復も好ましくない、こういうことに原則としてなるわけですか。

''○高田(浩)政府委員''
 原則的にはさようになるわけでございます。

''○受田委員''
 そうすると、あんま、はり、きゅう、柔参道整復は、原則として好ましいものではないのだ、これはやめさせたいのであるが、仕方なしにやらせるのだというような考え方になるものと私は心配しとおるのでありますが、原則論と現実論とその二つを考えて、この法律が出されているのでありますか。

''○高田(浩)政府委員''
 今申し上げましたのは、いわゆる論議の過程でございまして、結末としては、この提出いたしました法律案を妥当と考えております。

''○受田委員''
 この考え方が、原則としては、あんま、はり、きゅう、柔道整復はいけないものだ、しかしいろいろ現実その他を勘案して、結局この法律案を出した。
現実の問題としては、この法律案を出している以上は、これが妥当性を持つものである、こういうふうに考えるわけですか。

''○高田(浩)政府委員''
 結論として、二十二年に出されました現在の法律は、妥当なものと考えております。

''○受田委員''
 政治のあり方としては、原則と、そしていろいろな過程を研究をした結果、結論が出るということになるのは、これは政治をする者の常識でありますけれども、その原則を考えるときに、あんま、はり、きゅう、柔道整復も当然禁止すべき部類に属するのだけれども、現実はこれを何とか残している結果になっているのだという形で、あんま、はり、きゅう、柔道整復をなさる人は、そういう偽善的な考えでこの法律が出されているとするならば、非常に失望をされると思うのですが、これはいかがでございましょうか。

''○高田(浩)政府委員''
 私どもは、今お話しのようには考えておりません。

''○受田委員''
 私は、あんま、はり、きゅう、柔道整復等、すでに法律に認められている人々にも、その定義をはっきり政府がさせて、安心してその業務に従事できるような法的措置を講じないと、一般療術行為をする人々が今度禁止された、今度はあんま、はり、きゅう、柔道整復に原則論を振り回して、われわれのところに来るんだという不安を一部に抱いている人々があるのです。
こういうことからも、原則的には禁止すべきもので、あんま、はり、きゅう、柔道整復等の医師以外の行為は全部やめさせなければいかぬ、こういう政府の考え方というものは、この際何とか考え直さないと、非常な不安に襲われると思うのでありますが、いかがでございましょう。

''○高田(浩)政府委員''
 昨日も申し上げたと記憶いたしておりますが、私どもは、あんま、はり、きゅう等を廃止するというような考えは、絶対に持っておりませんし、この業務は、いろいろ長い間わが国に伝わってきた道でございます。
制度的に明治以来確立をされたことでございますから、それについては、従前の体系というものを持続していくことが妥当であると考えております。

''○受田委員''
 医師以外の者の行為は、原則として禁止すべきものである。禁止すべきものを妥当と認めるその考え方は、私にははなはだ解せないのであります。

''○高田(浩)政府委員''
 私はこの前も、医療というものは医師一本にすべきであるということは、確かに一つの見識ではありますけれども、さような考えを持っておりませんということを、申し上げたつもりでございます。

''○受田委員''
 昨日申し上げたことを、さらに深めてお尋ねしたいのでありますが、医師以外の人は、治療をする場合、病気の診断をする権限が与えられますか。

''○高田(浩)政府委員''
 大へんむずかしいデリケートな問題でございますが、従来の考え方といたしましては、たとえば、あんま、はり、きゅうをおやりになっている方々が、いわゆる診断書を書くというようなことは、もちろん許されていないのであります。

''○受田委員''
 あんま、はりきゅう、柔道整復等に、診断料、初診料というような名称で料金を取っているところはありませんか。

''○高田(浩)政府委員''
 さような事実は、承知いたしません。

''○受田委員''
 診断をすることができない、もちろん診断書も書くことはできないということになると、診断をしないで疾病の治療をするということがあり得ますか。

''○高田(浩)政府委員''
 診断と疾病の治療との関係というのは、この点、受田先生は、十分おわかりになって、あえて御質問になっていると思いますが、その限界を一体どうするか。
どこまでが診察で、どこまでが治療であるか。
これは口であるいは診断といい、あるいは治療といい、はっきりしているようでございますが、実際問題としては、なかなかここまでがどうのこうのということはむずかしい問題だと思います。
それで、先ほど申し上げましたように、あんま等の人が、いわゆる診断書を書くことはできない。
しかし、人の訴えを聞きまして施術を行います場合に、どういう部位に施術をするかということの前提として起るところの判断は、まあこれが果して厳密な意味での診断といえるか、あるいはいえないか、その辺は一つの問題だと思いますが、あんまなり、はりなり、あるいはきゅうなりの施術をするに適応しておるかどうかという判断は、もちろんなさるべきものであると思いますけれども、これは厳密な意味においての、いわゆる医師が行う診断と同一に考うべきじゃないのじゃないかと私は思います。

''○受田委員''
 診断をしないで治療を行うという変則的なあり方というものを、厚生省はお認めになられるわけですか。

''○高田(浩)政府委員''
 医師の行います診療、治療というのと、ちょっと概念が径庭があると思いますが、今申し上げましたように、あんま等の治療に適応するかどうかの判断は、当然あり得ると思います。
これを広い意味の診断というか、狭い意味の診断ではないと考えるか、その辺は、言葉の解釈の問題としてはあり得ると思いますけれども、少くとも、そういう判断はあり得ると考えます。

''○受田委員''
 そういうばく然とした判断で治療を行うということになると、非常な危険が伴うとお考えになりませんか。

''○高田(浩)政府委員''
 あんまにしましても、あるいははり、きゅうにいたしましても、御承知のように、一定の基礎的な素養ないし技術上の訓練を積んで、その学問の示す範囲内において行う限りにおいては、危険性はないと考えます。

''○受田委員''
 この間、お医者さんの参考人をこの委員会に招かれたときに、疾病の治療とか病気の診断とかいうのは医師がやるべきで、それ以外の人がやることは、非常な危険なものであると言われたが、厚生省は御確認になりますか。

''○高田(浩)政府委員''
 原則的には、病気の患者の診断治療は、医師が担当するのが本筋だと思います。

''○受田委員''
 今の次長の答弁は、実にあいまいになってくるのです。
これは非常に大事なところですから、今厚生省の意見を確かめておくのですが、厚生省は、ここに何らかのはっきりした定義をもって、あんま、はりきゅうをなさる人々には、安心感を与えて仕事をさせなければならないと思う。
医師以外の者が治療をすることが危険であることは、はっきりわかっておるのだ。
原則はわかっておる。
わかっておるが、しかし、まあ何とか適当なもので、こう考えて、治療を行えばよかろうというような、こういうばく然としたことで、日本の医療界、国民保健がまかされるということは、私ははなはだ不安心である。
何とかここではっきりした線を打ち出さぬと、厚生省として、まことにだらしないと思うのですが、いかがですか。

''○高田(浩)政府委員''
 ちょっと言葉が足りませんでしたので、あるいは誤解を生じたかと存じますが、先ほど申し上げましたように、あんま師あるいははり師、きゅう師になるにつきましては、一定の養成施設に入りまして、学問上、あるいは技術上の訓練を経て、それに従って行うわけでございます。
もし、かりにそれがそのワクをはずれまして、医師がやるような、いわゆる病気万般にわたって、現代医学が行なっておりますいろいろな手段を駆使してやるというここになりますれば、これは明らかに不当だと私は思います。
しかし、あんま、はりきゅう、これらのもののいわゆる治療上の限界というものは、学問上ある程度あるわけでございますから、その範囲内においては、すなわち、あんま、はりきゅうというような事柄について、学問上示すところに従ってやる限りにおいては、危険はないと私どもは思います。
ただ、それらの示す範囲を越えまして、それらの学問上の許容範囲を越えて、あるいは医者のやるような行為をやるということになれば、これは明らかに私は危険だと思います。
あんま、はりきゅうというものについては、おのずから治療上の限界というものがあるし、これを裏づけるところの学問上あるいは技術的な訓練を与えられておる。
その意味においてこれは許されておるわけでございまして、そのほかの、いわゆる昨日来御議論になりました、電気であるとか、あるいは光線であるとか、そういったものとはたぐいを異にすると考えます。

''○受田委員''
 学問上の限界、治療上の限界を具体的にお示し願います。
これは大事な問題ですから……。

''○高田(浩)政府委員''
 これはあんまにいたしましても、あるいははり、きゅうにいたしましても、古来日本に用いられてきたやり方でございますし、その手法あるいはその適応症といったものにつきましては、大体社会通念的に一つのでき上っておる考え方があるわけでございまして、それによって判断をいたしております。

''○受田委員''
 社会通念的にでき上がった判断というものは、これはまたはなはだあいまいもこなものでありますが、社会通念上の判断ということになるならば、療術行為をやってきた人々の中にも、社会通念的な判断によって認められてきておる人々がたくさんある。
それが昭和五年に警視庁令を出さざるを得なくなった理由であると私は認めておるのです。
そういうように、社会通念上というところで、あんま、はり、きゅう師の治療の限界あるいは学問上の限界というものがある。
学問上の限界と社会通念上の限界とを混同されておるように思いますが、いかがですか。

''○高田(浩)政府委員''
 私が申し上げましたのは、あんま、はり、きゅうといったものは、いかなるものであるかということについて、社会通念というものがある程度確立されております。
そういう趣旨で申し上げたのであります。

''○受田委員''
 学問上の限界と社会通念上の限界とは、その関係はどういうふうにお考えですか。

''○高田(浩)政府委員''
 大体相応してるものと考えます。

''○受田委員''
 学問上の限界と社会通念の限界が相応している。
それに医学の進歩というようなものを、われわれけは考えていかなければならない。
学問は常に社会に先行して行われなければならないと考えておるのでありますが、その学問上の限界と社会通念上の限界が常に並行しており、そうして治療の限界もそこで自然に生まれてくるのだということに結局なりますね。
そうなりますと、ここにはっきりした定義が要ると思うのでありますが、今、次長のお言葉の中に、医師が当然やらなければならない限界というものは学問の限界を超えてあるのだ。
万病にきくというわけではない、それならどういうようにして、どういう病気にあんま、はり、きゅうは施術を行うことができるかということになれば、万病でないということになれば、具体的に学問上の限界はどういうものであるかということをはっきり示していただきたいと思う。

''○高田(浩)政府委員''
 たとえば、あんま、はり、きゅうにいたしましても、これがどの病気とどの病気にきくということを、ここで一々例を申し上げることもいかがかと思いますけれども、少くとも、たとえばガンにあんまなり、はり、きゅうなりがきくかということになると、私はきかないと思います。
しかし、その他、たとえばいわゆる身体に対して、皮膚面から刺激を与えまして生体反応を求めることによって、ある程度病気の快癒という現象を来たすということが考えられる。
そういう疾病については、これは適応するものと考えますけれども、赤痢でありますとか、あるいはチフスであることか、そういったたぐいの伝染病に、これがきくとは考えておりません。

''○受田委員''
 昨日、神経、リューマチなどには、あんま、はり、きゅうの治療は適当でないというように言われたのですが、間違いでしょうか。

''○高田(浩)政府委員''
 適当でないとは申し上げた記憶はございませんで、神経痛、リューマチ等は、むしろ医師の担当分野ではないじゃないかという意味の御質問に聞えましたので、これはやはり病気であるからには、当然医師としては担当すべき分野であるという意味のお返事を申し上げたのでございます。

''○受田委員''
 病気であるから医師が相当すべきであるということは、あんま、はり、きゅうの人々に神経痛やリューマチを、原則としてはやらせてはならぬという答弁と同じことになりませんか。

''○高田(浩)政府委員''
 ちょっと話が食い違っているように思います。
私はそういうふうには考えません。

''○受田委員''
 私は皮膚に生体反応を求めて治療をなし得る限界とは、あんま、はり、きゅうなどのやるものには一番適切なものであるという意味で、昨日お尋ねしたわけです。
今、次長の話された言葉は、医師のやる仕事は、これはあんま、はり、きゅうがやるべきでないのだという意味の、実におかしな形に聞える点があるのです。
そこをもう一応はっきりと御答弁願いたい。

''○高田(浩)政府委員''
 もしそういうふうに御解釈になったとすれば、これは全くの誤解でございまして、たとえば御引例の神経痛、リューマチについて、これは医者が担当すべきものでつる、従ってほかの者は手を触れてはならない、あるいは神経痛、リューマチというものは、あんま、はり、きゅうの方でタッチすべきものであるから医者はタッチすべからず、そういうような二者択一的な考えで申し上げている趣旨では全然ございませんで、それはそれぞれの立場から、神経痛、リューマチ等につきましては、両方の面から手当が考えられると思いますが、たとえば先ほど申し上げましたように、医学常識的に考えても、ガンであるとか、赤痢であるとか、チフスであるとか、そういうものは、これはあんまをやり、あるいはマッサージをやっても、やはりきかないことは、医学常識上確立していることじゃないか、そういう趣旨を申し上げた次第でございます。

''○受田委員''
 昨日のあなたの御答弁と食い違う点がある。
はっきり、お尋ねすることにお答え願いたい。
神経痛とかリューマチとかいう病気は、あんま、はり、きゅうの方々のなさるには、適切な病気じゃないかとお尋ねしたならば、そういうものは適切だとお答えになればよいのです。
そういうものは、病気である以上は、医師がやる行為が正しいのだというような回りくどいお答えがしばしば起るので、率直にお尋ねしておることにお答え願いたいと思う。

 さらに私は、これは医師と医師以外の行為を決定する大事な法案であり、医薬分業と同格の大事な使命を有する法案であると思うので、この際審議を深めておきたいと思うのでありますが、厚生省があいまいな態度で、この法律をいいかげんに実施するということになったならば、これは国民保健の上に、厚生省みずからが体系をくずすことになると思う。
この点、あんま、はり、きゅうの定義を、昨日も何かどこかで出されたのを読まれたようですが、定義などを、何かの形で文書の上にはっきりうたわれる用意はしてないのですか。

''○高田(浩)政府委員''
 たとえば、あんま、マッサージについて申し上げますれば、漢方医学の経穴経絡、あるいは西洋医学の循環器障害回復、あるいは皮膚、内臓反射説の上に理論的には立っておるし、それからその施術方法といたしましては、徒手をもって皮膚の表面から、押す、引く、もむ、なでる、さする、たたく等の行為により、神経、血管、筋肉等に刺激を与えて生体反応を試みる、そういうふうに考えております。

''○受田委員''
 法律の上に定義を明らかにする必要はありませんか。

''○高田(浩)政府委員''
 この点に関する限りは、ないと思います。

''○受田委員''
 指圧は、今まで療術行為としてワク外に認めた政府が、突如指圧をあんまの中に入れられた理由はいかがですか。

''○高田(浩)政府委員''
 理論的に言って、あんま、マッサージと同一の基盤に立っておるし、手法としましてはあんま、マッサージの幾つかの手法の中のある部面を特に強調をしてやる、そういったものでございますので、あんまの中に含めて規定をすることが、最も妥当な措置であると考えたのでございますが、実際問題として、従来御承知のように、法律上の取扱いが異なっておりましたために、世上別もののような感じを持っておる向きもなきにしもあらずと考えられますし、こういった格好で指圧の文字を、ここにはっきり含むということを規定することが適当と考えまして、御提案いたした法律のように規定をいたした次第でございます。

''○受田委員''
 さっきのあんま、はり、きゅうの定義と比較して、指圧はどういう定義をお持ちになっておられますか。

''○高田(浩)政府委員''
 指圧とは、徒手をもちまして皮膚の表面からいわゆる神経系統を加圧して、神経なかんずく自律神経系を興奮せしめて生体反応を求める施術をいうのでございまして、これはあんまの施術でありますところの押し、引き、もみ、なでる、さする、たたく云々という行為のうちの、主として押す行為を特に強調した手法であると考えます。

''○受田委員''
 指圧という言葉の中には、カイロプラクティックとかオステオパシー、こういうものも含まれると思うのですが、これはどういうふうに考えられたのですか。

''○高田(浩)政府委員''
 含まないと考えております。

''○受田委員''
 指圧につきまして、昨日以来、指圧等という言葉をしばしばお出しになったと記憶しているのですが、指圧等ということは、どういう意味で言われたのでしょうか。

''○高田(浩)政府委員''
 あるいは、私、言葉づかいが不正確だったかもしれませんけれども、指圧という意味でございます。

''○受田委員''
 政府は、昭和二十二年当時、指圧については、これは療術行為であるから除外すべきであるということにして、それが今度またあんまの中に入るのだ、こういうふうに考えるということは、はなはだ首尾が一貫しないと思うのでありますが、政府の怠慢であるとお考えになりますか。

''○高田(浩)政府委員''
 その点は、前々からいきさつとして申し上げているように記憶いたしておりますが、御承知のように、昭和二十二年の法律というのは、憲法の改正その他に伴う、いわゆる従来の法令から新しい法令への切りかえの措置として行われたものであるし、これをどうやって切りかえるかということが、中心の課題でありましたために、それ以前の、たとえば療術行為等について、これはこっちに入れる、これはこっちに入れるというような選択的な行為を行わないで、むしろ、そのまま従来の形というものを、原則的には引き継いだことになっているわけでございまして、従って、その後において、一応その意味において現在のあんま、はり、きゅう云々の法律が成立をいたしたわけでございます。
その後において、昨日来お話し申し上げておりますように、指圧等について検討いたしました結果、これはあんまのうちに含めて取り扱うべきものだという結論に達しましたので、この改正案を提案いたした次第でございます。

''○受田委員''
 指圧等について検討して、あんまの中に入れることになったという答弁が、今また出たわけですが、その指圧等を検討したところ、これはあんまに入れるべきものだということになったというふうに聞えるのでありますが、この点はいかがですか。

''○高田(浩)政府委員''
 療術行為の指圧その他、いろいろな面について検討いたしました結果、一応こういう格好で、すなわち、あんまのうちに含めて規定をすることが適当であると考えた次第でございます。

''○受田委員''
 はっきりそうおっしゃれば、よくわかるのですけれども、私は、政府が八年間、転廃業をさすべきだ、こう大前提を打った、そのうちに調査研究をしてみたら、こういうものはとるべきだという結論を出した、こういうことになるならば、転廃業と同時に、すぐれたものはとり、しからざるものは禁止する、こういう二つの線でものが考えられたということになると思います。
特に次長のお言葉によれば、あんま、はり、きゅう、柔道整復は、原則としてこれは医師以外の行為として禁止すべきものであるが、従来行われたことだし、昨日も局長が言われたように、目の見えない方々に対しては一番適切な業種であると思うので、その人々を対象にあんま、はり、きゅうを考えていくのが、社会政策的にもいいことだと考えたということでありますが、そうなれば、原則と現実は反対になっておる、こういうことがいわれると思いますが、いかがですか。

''○高田(浩)政府委員''
 私は、あんま、はり、きゅうは禁止せらるべきものであるということを申した記憶はございません。

    〔「いいかげんに結論へ入ったらどうだ」と呼ぶ者あり〕

''○受田委員''
 いや、君、ちょっと黙っとれ、ここは大事なところだから。

 私、それで、もう一つ類似のことをお尋ねするのでありますが、政府は、原則的には、医師以外の行為は認めてはならぬ、しかし、現実がこうなっておるということになれば、転廃業というものと、そうして、従来行われておるものの中から何かいいものがあればという、その努力をするものと二つあった。
その二つあった中で、指圧が拾われたということに結果がなれば、これは政府の説明としては、一応筋が通るのです。
この点において、次長が最初の委員会で、転廃業の目的で法律を出したということと、昨日それを変更されて、従来の中に、いいものがあればとることもあると考えておるのだ、こういうことを説明されたということは、政府の発言を修正された点において一大進歩であったと私は思う。
そうしないと、指圧をこの中から拾った理由もはっきりしなかったので、政府としてその意見を修正されたことには、大いに敬意を表する次第です。
従って、もう一つここで関係してお尋ねしたいことは、社会通念からいって、この業種は病気その他の治療に非常に効果があると認められたような器械、器具を用いる療術行為など、あるいは一般手技、こういうものが、結果的に弊害があれば、その人々は社会から抹殺されるのですが、抹殺されないで残っておるということは、社会的に信頼されておる、社会通念からも、その人々の存立が認められておることになる。
その既業者というもの、すでにやっておる人々というものは、社会通念の上から存立しておることを、次長はお認めになりませんか。

''○高田(浩)政府委員''
 現実にいわゆる療術行為というものが存在していることは、これは私も認めます。
しかし、その存在するに至った事由については、いろいろ考え方があろうと思います。

''○中村委員長''
 受田君、ちょっと御相談ですが、あなたは昨日以来だいぶ御質問になり、今日あたりは、だいぶ重複した点があるようでありますから、どうか早く結論に入っていただきたい。

''○受田委員''
 同じ質問じゃない、ちょっと深めて質問しておるのです。
これは政府の答弁があいまいもこであるので、それをただす結果、自然に重なった質問が出て、政府の答弁の是正を要求する結果になったことは、これは御確認願いたいのです。

 そこで、話を大いに進めて要点を急ぎますが、二十二年当時やっておった人で、社会的に見て弊害をもたらしていない、そういう現在社会に残されている人々を、今度三年間にやめさせるということに対して――いや、その前に、今年やめさせることに対して、政府はいかなる転業対策を立ててこられたのでありますか、これをお聞きしたいのであります。

''○高田(浩)政府委員''
 これは法律自体が昭和三十年限りということになっておりますので、関係者の方々としては、その法律に従ってお考えになっておるのが当然だと考えます。

''○受田委員''
 指圧をやる人々は、今日までがんばっておった人は指圧をやれる。
政府の方針に従って途中でやめた人は、指圧をやれないという結果が起っておりますが、これはどう考えますか。

''○高田(浩)政府委員''
 提案をいたしました法律をごらん願いたいと思います。
十九条の二で、昭和二十二年当時届出をした者はということになっておりますが、現在までやっておる者はとなっておりませんので、その点御了承を願いたいと思います。

''○受田委員''
 二十二年当時やっておった人が、現在やっておるはずです。
それ以外の人があり得るはずはないと思いますが、いかがですか。

''○高田(浩)政府委員''
 あり得べからざることだと思います。

''○受田委員''
 あり得べからざることをあり得るとお答えになる理由は、いかがでありますか。

''○高田(浩)政府委員''
 私が申し上げたのは、十九条の二にいわゆる受験資格を与えているものは、昭和二十二年当時の届出をした者というそのくくり方だけであって、届出をして、なおかつ現在もやっておる者というような制限の仕方をしていないということを申し上げたのであります。

''○受田委員''
 しかし、指圧をやっていた人が他に転業をして、またこういう法律ができたから戻ってくる、そういうことは社会通念からあり得ません。
従って、転廃業をした人々は、ほかの仕事についておる。
そのついておる人人に対して、政府はその途中において、また指圧ができるなどということをやるということになれば、結局、諸君には転廃業でなくて、よいものがあったら認めるから、それを三十年の末まで待っておれという期待をさせたという結果になると思うが、いかがでありますか。

''○高田(浩)政府委員''
 その点は、いわゆる法律の読み方でございますから、これは人によってあるいは違うかと思いますが、政府としては、先般来お答え申し上げている通りでございます。

''○受田委員''
 次に、一番問題になるのは、三十年の末までに、なぜ転廃業対策をよく関係者に通告して、ほかの仕事へ移られるならば移られるような措置をとって、職業転換の道を講じてやられなかったかということをお尋ねしたいのであります。

''○高田(浩)政府委員''
 職業の問題は、政府としてもいろいろ職業安定の行政を通じて仕事をいたしておりますけれども、これは同時に、やはり自分の職業をどう選ぶかということは、本人の問題でもございますので、法律が昭和三十年までとなっている限りにおいては、その人たちとしては、この法律に照らして御行動なされたことと考えます。

''○受田委員''
 政府が、三十年末までと転廃業の時期を考えておった場合には、その期間中において、ほかの仕事へ移ることができるような親切な指導をするというのが、社会通念だと私は思います。
それを今日まで放任して、今日いよいよ差し迫ってから、政府の意図は、今まで努力しなかったのは、本人がやるべきであったというふうにお考えになるのですか。
この点はなはだ矛盾していると思うのです。
転廃業をさせるための措置を、過去においてなぜとらなかったか。
これは非常に重大な政治責任でありますが、いかがでありますか。

''○高田(浩)政府委員''
 今回の法律におきまして三十年、今年限りというのを、三年間延長いたしまして、その期限内においてあんまの試験を受ける。
その試験を受けることについては、昨日来御説明申し上げているように、いろいろ私の方でも考えておりますけれども、その他の面における転換等につきましても、私どもとしては、可能な限り努力をいたしたいと考えております。

''○受田委員''
 私は、三年間の延長をしてこれからまた考えるというような政府の逃げ口上は、いかぬと思う。
今年の末にやめさせることになっている。
しかし、職業の転換は、一ぺんにできるものではないですよ。
もう今から転換をせいなどといって、すぐできるものじゃない。
従って、長期にわたってそのめんどうを見ていかなければならぬのです。
そのめんどうをこの八年間、政府はどういうふうに見られたかということを、私はお尋ねしておるのです。
この業を二十何年もした者は、五十、六十のお年寄りになっておる。
その人々は、政府が仕事をあっせんをしてくれてもおらぬ。
またその間に、何か希望も持たれるような発言があって今日にきておる。
また指圧がその中から拾われた、こういうようなことからいくと、結局政府は、この間は転廃業という方面の指導はしなくて、その玉石混淆――一松前厚相の言われた玉石混淆の中から玉だけは拾い、石を捨てようという考え方で、現実にはやってきたという結果になると思うのですが、いかがですか。

''○高田(浩)政府委員''
 法律の趣旨は昨日来申し上げている通りでございまして、この間において、今日まで医療行政本来の立場から、いわゆる療術行為について、いろいろ検討をして、そしてその内の指圧については、御提案申し上げているような趣旨の取扱いをすることが適当であるというふうな結論に到達をしたということは、事実でございます。

''○受田委員''
 どうも釈然としないところがあるのです。
この期間中及び今後の問題として、今年三年延長したその間にまた考えていただくということになれば、これはよほど問題が大きいと思うのです。
何となれば、国民保健上害があるから、禁止しなければならぬというものであるならば、三年間というような期間を延長して、その間に危険なものを社会に残しておくということは筋が通らぬじゃないかと思う。
そこはどっちか、はっきり一つ御答弁願いたいのです。

''○高田(浩)政府委員''
 理論的にいえば、これは現在の法律通りに、本年でそのまま修正せられずにいくことが、筋が通ると思うのであります。
これも、先ほどから申し上げておりますように、なお今後これらの人たちについては、あんまに関しまする試験の受験資格等について特例を設けて、できるだけこっちの方にも試験を受けてやっていただくように期待いたしておりますし、その意味においては、それは三年くらい、これは短かい長いという議論はあろうと思いますけれども、三年くらいの余裕を置くことが適当であると考えております。

''○受田委員''
 非常に危険なものであるということがわかっておって、それを社会に残しておくというのでは、その筋が通らないということを申し上げておるのであります。
それとも危険なものであっても、社会的に気の毒な人はそのまま残しておくという、そういう行き方を政府は考えておるのかどうか。
国民保健上危ない、人命に支障が起る、しかし気の毒であるから、危険が各所に起っても年限を延長する方がいい、こういうお考えでありますか。

''○高田(浩)政府委員''
 昨日も申し上げましたが、従来これらの仕事に対する取り締りあるいは監督なりが残念ながら十分でなかったということは、これは認めざるを得ないと思います。
今後といたしましては、十分取り締りなり監督なりにつきましては、意を用いまして、極端なものについては、適当な処置をとりたいと考えております。

''○受田委員''
 どうも首尾が一貫しないのは残念であります。
三年間といういいかげんのところへ筋を置く、初めは八年に筋を置いた。
そういうことではなくして、その中で、筋の通ったものがあればという形で残されておるとすれば、私は納得できるのでありますが、こういうところにおいても、政府の所信は一貫しておりません。
危険なものを存置する、そうしていいかげんな筋の上に立たせておる。
この際私は、政府自身が医学的の見解によって、国民保健をどう導いていくかという基本的な対策をお立てになっておかないと、医師以外の行為をする入の医療の範囲の問題、あるいは今申し上げておるような危険な人が、そのまま社会に残されることを認めておる理由、そういうものがもっと明確にならなければならぬと思うのであります。
そういうことに対して、政府はどう御判断され、決意をされますか。

''○高田(浩)政府委員''
 今後国民の保健医療、これに対応する医学の進歩、それにつきましては、十分努力をいたしたいと思いますし、また諸種の行為につきましても、取締りを徹底をさせて参りたいと思っております。

''○受田委員''
 あんま師試験を合格した者だけは、三年の間にあんまになることを許すという規定が十九条の二にあるのです。
この規定は、あんま以外の、特に器具を用いる人々に、三年の間にあんまの試験を受けよといっても、事実上無理な話と私は思うのです。
そうしてまた、今まであんま、はり、きゅうの方でやらなかった人は、あんま、はり、きゅうになることを希望しないので、ならなかったのであって、希望しない者に、無理やりにその試験を受けよというような行き方は、非常に無理を押し売りすることになると思うのでありますが、これについて、政府としていかがお考えですか。

''○高田(浩)政府委員''
 受けないということは、本人の意思でございます。
これを強制することはできないと思いますけれども、私たちとしては、受けられることを十分期待しておる次第でございます。

''○受田委員''
 あなたに、今から街頭に出て重労働をせよ、官吏の身分にある人に法律でそういうことをやれと命ぜられた場合を想定した場合に、絶対自分の希望しない職業を選べと命ずることは、憲法の職業選択の自由の規定の上からもこれは非常に無理である。
ただそういう規定を設けておくということで救済するという行き方と、政府は言うておられるのでありますが、これは現実の問題としては、きわめて非現実的なものと私は解釈しておるのです。
政府はそうお考えじゃありませんでしょうか。

''○高田(浩)政府委員''
 私は、現実的なものと考えております。

''○受田委員''
 そういう意味でお出しになった、しかし、その実技に関してはまた特例を設けるということを昨日言うておられるのですが、少くとも電気、光線その他の器械器具を用いる人人に、あんまの免許を与える以外に道がないというような転廃業の対策で、この法律は完璧であると思われるのでありましょうか。
こういうことは、非常に不十分な用意をして法律を出されたという解釈しかできませんが、いいかがでしょう。

''○高田(浩)政府委員''
 法律に規定すべき事項としては、これで大体尽きておると私は思います。

''○受田委員''
 しからば、省令で定める事項などということを掲げてある。
しかも、昨日松岡氏の質問に対しても、尊重するとか、あるいは研究するとかいう言葉がありました。
昨日電気、光線の科目を受けさせるようにしてはどうかということに対して、尊重するという言葉がありましたが、尊重ということは、基本的に松岡氏の意見を取り入れて、これを尊重するということに解釈してよろしゅうございますか。

''○高田(浩)政府委員''
 昨日も申し上げておりますように、十九条の二というのは、救済的な意味を含んだものでございますので、この試験の実施については、十分実情というものを勘案していきたいと考えております。

''○受田委員''
 実情を勘案するということになると、あんまの免許を持つ人の中には、あんま師であり、同時に電気、光線を用いる人であるという二つの、両手使いであるという結果が生まれてくるということが想定できますか。

''○高田(浩)政府委員''
 もちろんあんま師の仕事については、昨日もございましたように、ある程度の補助的な手段を当然認めておりますが、その限りにおいては、そういう補助的な手段を用いるということは、今後もあり得ると思います。

''○受田委員''
 先へ飛ばしてお尋ねをしますが、器具の検査は非常に困難であると政府も言うておられる、また一般もそういう社会通念があるということでしたが、この間三沢先生は、物療試験は、原則については簡単にできるのだ、こういうことをここで答弁しておられるのです。
物療試験はできないことはないのだ、こういうことを言うておられるのですが、物療に関する試験というものを、不可能な問題として今日も考えておられますか。

''○高田(浩)政府委員''
 三沢先生のお話は、そのとき私も聞いておりましたけれども、三沢先生は、たとえば電気でありますとか、光線でありますとか、そういった物療的な行為は、医師の直接指導のもとにやるべきであって、すなわち補助者というものはあり得るけれども、医師と離れて、独立をして医者のやるようなことをなすべきものではない、そういう前提で御立論になっておると認識をいたしておるのでございますが、その限りにおいては、これは医師が結局責任を持つわけでございまして、これはいわゆる補助者でございますから、補助者に相応する教養訓練を与えるということは考えられると思います。

''○受田委員''
 試験をすることは原則的にできるということが、三沢先生の御意見にもあったのです。
従って私は、試験ができるかできぬかをお尋ねしておったわけです。

''○高田(浩)政府委員''
 いわゆる物理療法あるいは整形外科に関しまする療法の、医師の補助者として適格なりやいなやということについては、試験は考えられるわけであります。

''○受田委員''
 昨日横浜大学の檜物氏の厚生省依頼による調査の結果の御発言があったのですが、器具そのものについての有害無害については、檜物氏はこの間の参議院における証言で、無害有益のものがあるということを言うておられる。
そうして療術行為は、今後社会的に一定の規格をもってこれは認むべきであるというような意味を言うておられたと思うのですが、これはいかがでしょう。

''○高田(浩)政府委員''
 要するに、器具は物体でございまして、これをどう使うかということによって害を生じ、あるいは益を生ずるということが、これは世の通例だと思いますけれども、たとえば医師が使っております物療的な器具について、これは医師が治療の目的をもって適切に使えば害はない、益があると思いますけれども、しかしそれ以外の人たちが勝手になり、医師と離れて使うということになれば、やはり害というものはあり得ると思います。

''○受田委員''
 私はここで最後に問題にしたいことは、少くともこの法律によって、原則的には、従来療術行為をやった人は、全部やめさせるという結果になるのです。
そのやめさせる人々に対して、長いことやってきた人々に対して、今その首を切る法律案が出たときに、政府は、なぜもっと親切な措置をおとりにならないか、その中に、ある程度すぐれたものがあるということになったならば、社会通念からも多年認められておる人々に対して、その人人に限ってこれを認めさせてやるというような措置を考慮するすきがなかったのか、こういう点を私は最後に伺いたいのです。
何となれば。社会通念からいえば、療術行為はすでに社会にあるものとみなが認めておる、そうして多年にわたってそういう人々が社会的に実績を上げてきておる、こういう現実はわれわれは否定できないと思うのです。
その現実を全然考えないで、政府はぴしっとこれに処断をしようとお考えになっておる、しかもGHQの指令は、原則としてはあんま、はりきゅう、柔道整復の療術全般にわたって、こういうものはいかぬぞというくらいの指示があったという政府の説明があったのでありますが、そういうことを考えたときには、療術行為をした人々だけが犠牲になってくることについて、少くとも現在やっておる五十、六十と年を取っておる人々が、転廃業の措置も講ぜられないでやめさせられるということは、非常に残酷な仕打だと考えるのですが、これはいかがですか。

''○高田(浩)政府委員''
 あんま、はり、きゅう等に対しましては、これは先ほどもいろいろお話がございましたけれども、まことに研さんを積まれてその業に励まれることを期待いたしますし、それからそれ以外の方々につきましては、特に十九条の二という規定を、救済的な意味も含めて置いておりますので、これによって一つ十分御勉強を願いたいと思います。

 なおこれと離れますけれども、たとえば電気にしましても、光線にしましても、それが抽象的でなしに、医師がこれらによって療法を行います限りにおいては、もちろんこれは適切であると思いますし、その意味において、医師のある意味でのそういったものを使うことについての補助者というものは考えられます。
この補助者の問題についても、将来この問題等は、その意味においては別個の問題でございますけれども、十分検討いたしたいと考えます。

''○受田委員''
 あなたは先ほどから、十九条の二で救済の措置があるとたびたびおっしゃるのですけれども、電気、光線その他をやる人々が、あんまの試験を受けようといったって、実際はできない相談であるというのが原則論なんです。
その原則論をみながやればいいのだといって盛んにそれを主張しておられる。
しかし、これは政府として親切な措置でない。
少くとも多年やってきたその人は、何かの形でその形が保たれるような指導を加えて、その人の存立を認めるような措置がほしい。
昨日私は、あそこの三宅坂で、あんまの方々が苦労して断食しておられるところへ御慰問に行った。
その人々の声をお聞きしましても、われわれは、長いこと業としてやってきておる人々、そして届出をして筋の通った形の人にかれこれ言っておるのではない、少くとも一週間が二週間で簡単に業を始めておるような、そういうもぐりとか、でたらめなやり方をする人々がたくさん出てわれわれを侵していることを私たちは言うておるのだという、切実な訴えをされました。
私はその意味で、療術行為をやっている人々の中で、筋を通して社会的に信頼を得ている人々が、この法律によってあんまの試験を受けて、自分が絶対希望しなかったあんまになれという強制的な転換をさせることは、はなはだ不親切であると思うのでありますが、御意向を伺いたいのであります。

''○高田(浩)政府委員''
 このあんまの試験につきましては、先般来申し上げておりますように、救済的な意味を含めて、十分実情に合うように考えたいと思います。
なお、たとえば電気、光線等につきましても、医師の補助者として、これは必要な面もあろうかと思いますので、その辺の雇用関係その他については、十分医師側とも連絡をとりまして、できる限りの努力をいたしたいと考えております。

''○受田委員''
 医師側にも連絡をとって、できるだけの努力をしたいというお言葉でありますが、これは現実の問題として、目下そういう技術者を採用するという可能性はほとんどありません。
これはまた非常に非現実的なお説です。
少くとも、多年三十年、四十年とやってきた人々が看板をおろして、これからあと余命幾ばくもない社会に、新しいあんまの免許を掲げて、そして今までなれなかったあんまに転換して仕事をするなどということは、きわめて非現実的であるということを私は訴えているのであります。
そのことに対する御感想を一つ伺いたい。

''○高田(浩)政府委員''
 これは試験を受ける受けないということは、もちろん本人の意思に基くものでございますから、こちらで強制するわけにはいきませんけれども、受けられる人たちにつきましては、先般来申し上げておりますように、十分実情に合うように考慮いたしたいと考える次第であります。

''○受田委員''
 あなたは、まことに私の質問はずれのことをお答えになられるのです。
それだから、幾らでも繰り返してお尋ねしなければならぬ。
もっと、ずばりと要求する質問にお答え願いたのです。
それはあんま以外の従来の療術行為を多年にわたって続けてこられた方々に、看板をあんまと掲げ、すべてのものをあんまとしての立場で構成させていくというやり方に、政府としての特例を設ける用意がないのか。
つまり、ここに省令で特例を設けるという意味とさらに別に、その実技はいかに尊重されるか、その名称が存続することに対して何か措置はないか、こういうようなことについて、政府はそういうものをさらに尊重してやるという考え方でやろうとしておるのか、いや、それは研究程度というものか、そこをもう一ぺんお答え願いたい。

''○高田(浩)政府委員''
 十分研究をいたしたいと思います。

''○受田委員''
 この間の小委員会における第十九条の二の三項の改正要点におきましても、今のあんまの免許を得た者が従来の名称により業務を行うことができるという要旨の修正をすべきであると結論を出しておるのです。
この点におきましての小委員会の結論は、昨日小委員長より、概略政府に質問の形でなさったのでありますが、この点は、この委員会の空気として、従来の仕事をしている人々に看板をかけかえて、自分の希望しない仕事をさせるというよりは、既存の業を尊重して、しかも届出によってまじめにやってきて社会的に認められた人々を、何とか守ってやろうという気持がこの委員会にあふれていたことを、松岡氏が代表して言われたのです。
そこの委員会における空気を、次長はいかように受け取ろうとしておりますか。

''○高田(浩)政府委員''
 ですから、今十分研究いたしますと申し上げました。

''○受田委員''
 政府はこの点について、その研究がはなはだあいまいもこであり、先ほど来、いろいろな点において、死刑の宣告をするような形でこの問題を解決したいというような御意図を持っておられるということになると、この委員会としても、この点について、ある程度の法案の修正をすべきであるというような話が、小委員会としては結論として出てしまったのです。
この点において、小委員会のそういう空気を察知して、政府が何らかの措置を今後とるという決意ができるかどうか、この点について、もう一度御確認を願います。

''○高田(浩)政府委員''
 十分研究させていただきます。

''○受田委員''
 私はここで最後に一言申し添えておきますが、この大事な法案の審査に当って、私はあんま、はり、きゅう、柔道整復をなさった既存の方方に対して、一そうその業務に精励されることを祈るとともに、同時に政府として、あんま、はり、きゅうの立場の人々に、はっきりした定義を与えて、この人々が安心して仕事ができるような基礎を与えなければならない。
実にあいまいもことした定義を用意して、昨日など、とんでもない御回答をなさったようなことがあるのですが、こういうことに対して、安心してその業務を行うことのできるはっきりした基礎を与えてあげなければならぬ。
同時に、あんま、はり、きゅう、柔道整復以外の人々で、はっきりと社会的に存立している人々に対して、その人々の生存権というものを認めた憲法の立場からも、擁護しなければならぬ、こういうことを私は訴えたいのです。
特に憲法には、はっきりと職業の自由選択権を認めておる。
生存権が認められておる。
こういうことについて、政府は、この憲法の精神からいって、次の仕事も用意されないでその人の職業を奪うという、先に職業を奪うことをきめてかかっておるような、こういう法律は、世界的にもそうたくさん例があることかどうか。
また国内的にも、こういうことは、一応人道的に見ても正しくないというような意味において、次長の御所信を伺いたいのであります。

''○高田(浩)政府委員''
 この法律は、憲法に照らしても、適切な法律と考えております。

''○受田委員''
 世界各国において、こうした多年仕事をしてきた人々の職業を原則的に奪い去るような法律、その人の既存権、既得権だけは認めるというようなことのないような形の法律が、幾つも出ておりますか、その実例をお示しを願いたい。

''○高田(浩)政府委員''
 外国の法律等につきましては、十分研究はいたしておりません。

''○受田委員''
 この点は、研究もしないで国内的にだけやる、こうなれば、感情の対立という立場から、いろいろな問題が起ってくると思うのです。
私は、少くとも、さっき申し上げたように、療術組合の代弁者でもなければ、あんま、はり、きゅうの立場の人々の代弁者というのでもない、高い立場でこれらの人々が、国全体の立場から幸福になれるように考える政治家なんです。
従って、そういう意味において、私は公平な判断でこの問題の処理に当りたいと考えております。
そこで、今の療術行為その他で、既得権を持って社会的に生きてきた人々を擁護する対策において事を欠いていることは、はなはだ遺憾であります。
そこでわれわれは、その点を何らかの形で政府がこの際明らかにされるならば、これはわれわれとしても、この法案の改正に持ち込まなくて、政府に次の立法措置とか、あるいは行政措置とかいうことを依頼してもいいというくらいの考えを持っているのであります。
この点について、医務局長、いかがお考えですか。

''○曽田政府委員''
 私どもこの問題は、何はともあれ根本的な考え方は、医療の態勢を整えるということであると思っておるのであります。
この点は、大体御了承願えたのではないかと拝承いたしておるのでありますが、ただ、今まで仕事をやっておった方々に対する今後の措置というものに親切みが欠けておるのではないかというようなお話であります。
私どもとしましても、その点について、できるだけ考慮をいたしたいというふうに考えて、ある程度これを法のうちにも盛り込んだつもりでおるのでありますが、これはお考えによりまして、決して十分ではないという御意見も拝聴いたしたわけでありまして、私どももその点については、今後もさらに検討はいたして参りたいというふうに考えております。

''○受田委員''
 私は検討を続けて参りたいという政府の意見で、どうも了得できないのでありますけれども、私は、今局長が言われた、原則的には医師以外のこういう行為をする者に対しては不当であると認められ、また危険も多いということを認められる、こういうことだった。
しかし、さっき次長も言われたのですが、あんま、はり、きゅう、柔道整復の医師以外の行為は、原則的にはいけないのだということを、昨日も局長は言われた。
この原則で、原則的にあんま、はり、きゅうもいけないということになれば、原則論からいうならば、みな同じ立場に立つ。
ただ、あんま、はり、きゅうの方々は、特に身体障害の方々を守ってあげたいという意味で、その人々を優先的にこの道に持っていってあげるからという意味で、私は解釈しておったのでありますが、局長いかがでしょう。

''○曽田政府委員''
 これは昨日も御質問がございまして、私どもの考え方を申し上げたはずでございますが、いわゆる原則的には、医療行為なるものは、すべて医師に限局されることが望ましいことである。
しかしながら、今のあんま、はり、きゅうというたぐいのものは、受田先生は、ただ盲人救済ということだけを繰り返しおっしゃったようでございますが、私はそれもございますが、一つこのあんまはり、きゅうというものは、日本におきましては、長い間これは日本の国情に非常に合した練れてきたものである、そういうような意味におきまして、これは一がいに捨つべきものではないという考え方をとったのでありまして、その後のいわゆる今度の療術師、いわゆる医業類似行為という問題につきましても、私どもちょうだいしました時間の間に今まで検討した結果においては、まだまだ最後的な結論はつかないかもしれませんけれども、指圧は従来のあんまにきわめて近似なるものである、さような意味でもって、これをあんまの中に含めるという形に一応しております。
そして、その他のものにつきましては、今のところ公然とその価値を認めるわけにはいかないというところまできました。
もちろんこれは一応の、ただいま私どもが到達した見解でございまして、今後の検討は、私どもも続けますし、また先生方の御意見によって、今日の政府の見解に必ずしも承服しがたいという御意見の方のあることは、再々今まで承知いたしたわけでありますので、今後その点は、御審議の結果を十分心して私どもは研究して参りたい、さように考えております。

''○受田委員''
 局長さん、御意見があるというのでなくて、もう松岡さんからも申された通り、小委員会の結論として出てきたのです、そういう人々の立場を守ってやるということが。
昨日ここで質問された通りなんです。
そこで、一部の意見だ、小委員会の一部だということであなたが今おっしゃったようですが、大体この結論は、参議院の附帯決議にもはっきり出ておるのです。
政府の措置に対してははなはだあきたらない、既得権を持つ人々は、すみやかに政府が研究して、その仕事を保健上有害でないと認めた場合には、何とかして守ってやらなければならぬという附帯決議がついているくらいです。
そういうことを局長はお考えになられたら、一部の意見でなくして、これは国会の意見ということが御確認できませんか。

''○曽田政府委員''
 参議院の附帯決議も拝承いたしております。
またただいまも、いろいろの御意見をこちらで拝承しております。
私どもとしては、それをその文字の通り、またお言葉の通りというもので、拝承いたしたいと考えております。

''○受田委員''
 結論をいたしますが、われわれは、さっき局長が言われた今一応の結論を出して指圧をとった、しかし残りの問題については、今後さらに研究をしていきたい、研究を続行するということをここで声明されたわけでありますが、この声明に対しては、われわれの趣旨を尊重して大いに今後検討を加える、一応の結論を出した上、さらに研究を続行する、こういう態度に対しては一応敬意を表します。
表しますが、ここで問題になりますのは、同じあんまをなさった方々の中で、東京温泉等のマッサージ的なものとか、伊東温泉のいわゆるなでるというようなものとかは、あんまの違反になってはいないが、この程度ならばいいのではなかろうかというような、単なる慰安の程度のものは、あんまの定義の外の中に入っておるものかどうか、あるいはあんまの定義の中に入るというふうに考えられるものか、この点について、無免許あんまの中で、定義に関係してお答え願いたいのであります。

''○曽田政府委員''
 いかなる制度を立てましても、その範囲がどの程度のものであるかということを定めることは、できるだけ厳格でなければならぬものであります。
しかしながら、それに紙一重というようなものが存在しがちであるということも事実でございますので、私どもといたしましては、一応具体的な問題が出ましたときに、これはあんまの業の中に含まれる、またかようなものはまだあんまの業の範囲の中には入らないということを判断いたしておるわけであります。
この点は、私どもいろいろ実施いたしております実情にかんがみまして、私どもの方針に誤まりがあるというようなことでございますれば、御注意を受けますれば、私どももさらに検討をいたしたいと考えております。

''○受田委員''
 無免許あんまによって、あんま業をなさる正規の人々が圧迫を受けていることは、現実の問題です。
政府の取締りがなまぬるくて、正規のあんま業を営んでいる人々の生業権に影響を与えるようなことは、政府の施策としては、まことに私は不適当だと思うのです。
この点において、正規のあんま業をなさっている人々が、もぐりあんまによって荒されている生業権を確保するために、全的の措置をとっていただきたいと思うのであります。
その点、政府の過去の努力は、非常に怠慢であったと御反省になりますか。

''○曽田政府委員''
 私どもも、従来、ともすれば取締りがゆるかったということを、感知もいたしておるのであります。
今後一層府県等を励ましまして、無免許あんまというものの厳重な取締りをいたして参りたいと考えております。

''○受田委員''
 これで質問を終りますが、私は今、局長が、政治のあり方からいっても、行政府のあり方からいっても、なおなし足らないところを今後大いに補っていきたいという御意思を承わって、ある程度の期待を持っておるわけですが、まじめな業をする人は正しく守られるのだ、ふまじめなやり方をする人は社会から抹殺されるのだという社会正義感を、こういう際にはっきりしてもらわなければならぬと思うのです。
この点におきまして、政府自身今回のこの法律改正で、社会的に非常に信頼を得てやっている既得の業者を正しい立場で守ることが、これまた社会正義の上からも筋が通るという意味において、願わくは五十、六十という年を取って試験も受けることができない人々は、その既得の業績を生かし、そうしてまた実害を伴わないという過去の実績を十分基礎にして、これら療術行為の筋を通した既得権者に対しましては、これらの人々を守ってあげる何らかの対策を十分考慮に入れらるべきだと思います。
この点は、社会正義の問題であって、われわれ、そういう正しくやってきておる人々をかれこれ言うのではない。
先ほど申し上げたような断食をしておられる方々も、切実に訴えておる。
むろんこの人々の目標は、もぐりでわれわれの業種と同じ人がたくさんふえて、でたらめな療術行為で社会を冒涜しているが、この人々を抹殺してもいらたいということであると確認したのであります。
この点におきまして、政府は社会正義の立場から、老齢の人を守るという立場から、ちゃんと社会通念からもその存立を認められておるそういう人々を、何かの形で守っていくという施策をとって、そこに万遺憾なきを期せられるように要望いたしまして、私の質問を終ることにいたします。

''○中村委員長''
 この際福田昌子君から、資料の要求をしたいとのことでございますから、簡単に御発言を願います。

''○福田(昌)委員''
 たいへん時間がおそくなりましたので、私、一切の質問は省かせていただきたいと思います。
質問はいたしませんが、厚生当局に要望いたしまして、あわせて資料を要求いたしたいと思うのです。
ただいまいろいろと御質疑を承わっておりますと、結局、現行法の成立の昭和二十二年当時の政府の御答弁と、今日この委員会におけるあんま、はり、きゅう、柔道整復師、またあんまの中に今日含まれました指圧に対します概念、それに対する学理的な見解というものが、ほとんど同じであるという感を抱いたのでございます。
このことは、厚生当局がこういったあんま、はり、きゅう、柔道整復、こういう業態に対しまして御研究、また行政的な措置、取締り指導がまことに怠慢であったということの証左になっておるともいえるのでありまして、かような厚生当局の怠慢な姿が、今日この法案の修正に対しまして、あんまの人たちや指圧の方々のこういう涙ぐましい陳情の姿になって現われて参ったということがいえると思うのでございます。
厚生局当のあんまに対しまするその学理的な御説明、指圧に対しまする学理的な御説明も、昭和二十二年の当初と今日と、ほとんど同様でありまして、かような研究のない厚生省の措置のままに法律のみが今日におきましては、あんまの中に指圧を入れようという態度に修正されて参っておりますが、かように学理的に言いまして一貫していない、確たる信念のない厚生省の感度は、今後ともこのあんま、はり、きゅう、柔道整復の法案に対しまして、末長く多くの禍根を残すであろう。
またこの法案をめぐって、再び対立した多くの要望事項が生まれてくるであろうということを私は憂うるものであります。
従いまして、厚生当局は、今までのような怠慢な態度を今後とも続けられるということになりますれば、こういう事態が早急にまた起ってくるであろうということが考えられるのでございます。
従って、今度こそ厚生省はもう少しまじめに、こういった業態の方々に対する行政的な措置、あるいはまた指導をおきめ願わなければならないのであります。
厚生省は、こういう医業類似行為は好ましい職業ではない、しかし医療補助行為としてこれを認めるということを申しておられますが、医療補助行為として認められるならば、それに相当いたしますだけの指導と措置というものがなされなければなりません。
そういうことが今日まで全然抜けておったということは、何と申しても厚生省の怠慢といわなければならないのであって、そのことが、今日この法案の修正に当りましても、業界の方々が日々の忙しい仕事を休まれて、国会にまで陳情に出て来られたということに相なっておるのであります。
こういう厚生省の態度は、この次のこういう法案の修正その他の問題に当りましては、おそらくあんまに対する定義を厚生省自体も変えなければならないようなこんとんたる事態を招くでありましょう。
私はこのことをおそれるのです。
厳に今後の厚生省の行政的な措置と研究態度と指導とをお願いいたしまして、私のお願いを終りますが、これにあわせまして、二十二年から三十年の今日に及びます間に、厚生省当局はあんま、はり、きゅう、柔道整復師の方々に対して、どういう研究をなすったか、どういう行政的な措置をとられたかということを、私は資料として要求いたしたいのでございます。
その資料の第一点といたしまして、この八年間における累年のあんま、はり、きゅう、柔道整復、またさらに指圧、電気、光線温熱、刺激、こういった業界にある人たちの実数がどのような変動をなしたかということの報告をお願いいたします。
そうして、かような人たちで、転業なすった方がどれだけあるかという点も、あわせて御報告をお願いいたします。
また、こういう業態の人たちが、その仕事の中におきまして、失敗をいたしまして被害者を作った場合があるかどうか、その被害の実相につきましても御報告をお願いいたします。
またさらに、詳しい報告をいたしまして、今日あんまの人たちが、先ほども質問者の方から、いろいろと心配の原因として申されておりましたもぐりの業者によりまして相当苦しめられております。
あんま、はり、きゅうなどの業界の中に、もぐり業者が相当たくさん今日出ておるということも、これは厚生省の指導と監督の不行き届きの結果でありまして、こういう実態をありのままに御報告いただきたいと思うのであります。
盲人の方々を保護するということは当然の措置でなければなりませんが、それにもかかわらず、もぐり業者がたくさんおります。
しかも晴眼のあんまの方がたくさん出て参りまして、盲人の方々の職業を非常に圧迫しつつあるということは、何としても黙認できない次第であります。
かような事態に対する処置を今後考えますためには、どうしてもこれまでの統計が必要と思いますから、厚生当局はこういう方面の統計的な資料を早急に御提出願いたい。
時間がありませんから、私、多くは申しませんが、第二点の要求といたしまして、昭和二十二年から二十八年まで、厚生当局は約二百万円の研究費を投じて、あんま、はり、きゅう、柔道整復師の業態に関します研究をなされておるのでありますが、この研究の結果はいかような結果と相なっておるか、この点資料として私ども社会労働全委員に御配付をお願いいたしたい。

 以上であります。

''○中村委員長''
 ただいまの資料の要求は、当局は午後やってください。

 ほかに御質疑はございませんか。

 なければ、本案に対する質疑は終了したものと認めるに御異議ございませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

''○中村委員長''
 御異議なしと認め、そのように決します。

 次に、本案に対する討論に入るのでありますが、討論の通告もありませんので、討論を省略して直ちに採決するに御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

''○中村委員長''
 御異議なしと認め、そのように決します。

 採決いたします。本案を原案通り可決するに賛成の諸君の御起立を願います。

    〔総員起立〕

''○中村委員長''
 起立総員。
よって本案は原案の通り可決すべきものと決しました。

 次に、本案に対し、附帯決議を附すべきであるとの動議が出されておりますので、その趣旨説明を求めます。大石武一君。

''○大石委員''
 各党共同で、次の附帯決議をいたしたいと思いますから御賛同をお願いいたします。
案文を読み上げます。

   附帯決議

  医業類似行為に関しては、政府は引続きその業態を把握、検討の上左記事項に関し適当なる措置を講ずべきである。

   記

 一、第十九条第一項の規定による届出をしたる既存業者であって、本法に認められない者については猶予期間中に充分な指導を行い、国民保健上弊害のない者については、その業務の継続ができるよう適切な措置を速かに講ずること。

 二、あん摩師等のうち身体障害者については、本法運営上その業態に支障なからしむるよう万全の措置を講ずること。

 三、無免許あんまその他これに類する者に対する取締を厳にし、その根絶を期すること。

 以上であります。

''○中村委員長''
 お諮りいたします。
大石武一君の動議の通り附帯決議を付するに御異議ございませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

''○中村委員長''
 御異議なしと認め、そのように決します。

 なお、本案に関する委員会の報告書の作成等に関しましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

''○中村委員長''
 御異議なしと認め、そのように決します。

 午前中はこの程度にとどめまして、午後二時から、黄変米について参考人を招致しておりますから、御了承を願います。
二時から開会いたします。

    午後一時五分休憩
     ――――◇―――――
    午後二時四十五分開議


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