この論文は、1991年発行「ヒーリング・マガジン」(発行者プル)に掲載されたものです。
著者、幕内秀夫氏のHP::: フーズアンドヘルス研究所 :::



第一章 玄米正食の暗い歴史


ブームは時代の要請


 戦後私たち日本人の食生活は、想像も出来ないほど変化をして来ました。
ほんの数十年前には、年に数えるほどしか口に出来なかった食 物(肉や牛乳、乳製品、加工品、輸入食品など)が、今では毎日でも口に出来る食物になっています。
まさに、 戦後の栄養教育の目指した<豊 かな食生活>は現実のものになりました。

 しかし戦後40年を過ぎた今、多くの人たちは、「私たちの食生活はこんなに豊かになったではないか 。
それなのに、どう して病気は減らないんだ?」「確かにっ子供の体位は立 派になった。しかしこんなにアレルギー性の病気なんてあっただろうか?」 といった疑問を持ち始めています。

 その素朴な疑問に対して現在の栄養教育の解答は、 ある時は「肉は良質のタンパク資源、 大いに食べな さい」と言ったかと思うと「 動物性脂肪の多い肉の食べ過ぎには注意しましょう」などと、 訳の分らないことを言うに過ぎないのが現状なのです。

 「明治の長命、 昭和の短命」などという言葉も登場し、 多くの人が「どうもおかしい」と考え始めています。

 このような時代の中で、時代の要請に従うかのように注目されて来たのが「自然食」や「玄米食」などという言葉でした。
これらの言葉には、 大きく分けると二つの意味があるように思われます。
一つがより安全な食品……肉や牛乳などを中心とした、欧米型の食生活から伝統的な食生活を見直そうという動きです。

 多くの人たちがそのような食生活に感心を持つようになったことは、大きな意味では大変喜ばしい現象なのかも知れません。
しかし「自然食ブ ーム」と言われるその裏側には、誰もが語りたがらない「暗い歴史」があることは、案外知られていないような気がしてなりません。
しかも、その歴史に目をつむるだけでなく、現在もその歴史が繰り返されている現実があります。

 この文章を読んでいる人の中にも、食生活に関心があり、玄米食をしている方も多いのではないでしょうか。
そのような方にあえて「暗い歴史」を知っていただきたいと思います。
そして日々の食生活をもう一度見直し、よりよい食生活を送る参考にしていただけたらと思っています。


民間食養法の歴史と限界


 食生活に対する考え方は、大きく二つに分けることが出来ると思いま す。
一つが公的に認められた正規の学校(大学、短大、専門学校、あるいは高校の家庭科の一部など)で行われている栄養教育です。 
そしてもう一つが、その存在や活動が公には認知されていない民間の 食養 法とも言うべき考え方です。
実践的には「玄米食、自然食」と表現するこ とが出来、 一般的には日本の伝統文化を核として、 個人の直観と体験によって打ち立てられて います。

 この民間食養法のほとんどが明治の軍医、陸軍薬剤監石塚左玄を源 とし、その影響を受けた桜沢式創始者である桜沢如一や文化勲章受賞 者二木謙三の流れを汲んでいます。
特に桜沢如一( 海外ではジョージ・ オーサワの名で知られる)の影響は世界に及び、マクロバイオティックス と呼ばれ多くの人に知られるようになりました。

 その後その考え方は一部の医師、栄養士、東洋医学者、ヨーガ指導者、 民間健康法指導者、薬剤師、自然食店経営者など実に様々な人々が取 り入れ、 やがて時代の移り変わりと共にその解釈や主張も変化し、 新し い指導者による◯◯式食養法と呼ばれる独自な食養法がたくさん誕生し ました。
そして、そのような指導者の書いた様々な本が書店の棚を賑わし ています。

 このように、石塚左玄に始まり桜沢如一、二木謙三を経て開花した民間 食養法はそれなりに市民権、社会的認知を得るようになりました。

 しかしこれらの民間食養法は正規の栄養教育のような「科学的説明」(栄 養学者の言う〈科学的〉という言葉には違和感を覚えますが)にとらわれな い反面、 なんらチェック期間を持たず、 経験と直観、効果第一主義に頼り 過ぎ、極めて特殊な傾向に走る傾向が少なくありません。
健康問題を考える上で食生活のみが重要であるかの如く、 栄養教育のカ ロリー計算とは違う意味で、「人間機械論」に陥り、その 人個人の精神面、家族的関わり、社会的背景を無視した食生活指導が多 々行われています。
時として生死に関わる問題にまで発展し、「自然食に よる死」などと新聞や マスコミに取り上げられることも少なくありません。

 しかも、この民間食養法の問題点は決して新しい問題ではないのです。
それは幾度となく、 繰り返し起こって来ました。それに対して外部からでは なく、その世界に何十年と身を置き、 自ら指導的立場にいた医師などから の内部批判も少なくありません。
そろそろそのような先師、 先覚者の言葉 に耳を傾けるべきではないでしょうか。
 
 多くの人が食生活に関心を持ち、 欧米模倣の栄養教育に疑問を持ち、「伝 統食」や「玄米食」の素晴らしさが? 再認識され、自然な食物のあり方を考え る時代になった今こそ、じっと足元 を見つめ直す必要性を感じます。


K氏の警告


 正規の栄養教育だけではなく民間食養法にも詳しい雑誌『しんえいよう』(現在は「La−vie・ラビエ」と改題)の一九一号(昭和60年10月)か ら3回に渡って掲載された文章があります。
クレマン・S・Kという方が「食養の再建」というテーマで書かれたもので、

 ・第一回『誤った食養の功罪』
     GOは天才か嘘つきか
 ・第二回『G式栄養失調、塩漬け療法』
     ミイラにされた赤ん坊
 ・第三回『食養は固定すべきではない』
     生神様にされそうになったお話

というものです。
その掲載には「はじめに」と題した次のような文があります。

GOこと桜沢如一氏(以下Gと略)が亡くなって二十年近く経った。 

その生前の事実…

今回のそれは三十二年も前の一つの治験に過ぎないが、これを今日取り上げて
貴重な紙面を埋めようとしている理由はいくつもあるのだ。

要約すれば、Gの亡霊とでもいうべき誤った食生活指導者が大勢いて、Gの生
前と同様に、あるいはもっと広範囲に、国の内外で犠牲 者が続いているから
である。

若い頃Gに協力し、Gの名で二、三の著書を書いた責任が私にはある。 
そしてG式食養法という名の偏食を人に薦めてきたことの反省をありのままに
述べて、「食養」を考える上で等しく参考にしていただきたい と考えたので
ある。 

天才といわれたGの活動の中で、〈巧〉の一面も知ってはいるが、しかし許さ
れてはならない〈罪〉は無用な人命の犠牲であった。 
このGの誤った食養の犠牲は、可及的すみやかに防止しなくてはならない。 

……Gによって作られた独特の食養の犠牲者は今日も各地で続発し、かえっ
て症状を悪くしては、正しい食養の完成を願う私ども数人の医 師のもとを訪
ねて来る。
真面目な性格の患者たちには、極端な偏食を教えてかえって障害 になってい
ることに、多くの食養指導者は気づかなければならない。


 以上のように述べ、実際にあった食養の犠牲者の例が紹介されています。

 さて、この文章を書いたクレマン・S・Kという名はペン・ネームであり、 当然のことですが日本人です。
そして文章を読んでもわかるように、氏は自ら食養の実践者でもあり指導者です。
そしてその世界に何十年と身を置いてきた医師であり、 Gの著書を書くだけではなく自らも名著と呼ぶにふさわしい『 食養の道』や『健康食と危険食』など何冊かの本を書いています。


なぜ耳を傾けないのか


 また東京にある松井病院食養内科の日野厚先生は、氏の著書『人間の栄養学を求めて』の中で「いわゆる〈自然食〉療法に経過不良例および 効果判定についての反省」と題し、次に上げるような例を数十ページにわたって紹介しています

・偏った食養法に固執して早死にした例
・死期を早めた食養指導者
・塩気過剰で次々に死んだ乳児
・自殺した大学生
・胃がんで死んだ食養指導者
・ひどい動脈硬化になった菜食主義の患者
・偏った食生活を続け栄養失調で死んだ患者

 また、 みどり会診療所の故馬淵通夫先生は『自然治癒力復活療法』(主婦の友社刊)の中で、

ある老婦人が主食は玄米、後は野菜と豆腐、納豆などの植物性タンパクしか
とらなかった結果、肝炎と腎炎を併発した。 
一ヵ月の入院生活中、小魚などで動物性タンパク質を補給したところ、ケロ
リと治ってしまった。

このように、食事は極端ではいけない。
現代医学に対して不信のあまり、自然食をとるのはいいが、現代医学と正反
対のところで偏食という同じ過りを犯していたのでは、真の健康 にはほど遠
いことになる。 


と述べています。
そしてまだまだ食養に対する警告は少なくありません。

 しかもK氏や日野先生、馬淵先生などの言うように、その犠牲者は今も続いています。
もちろん私自身も「玄米を中心とした」食生活の指導をしていますが、あえてこのようなことを書く気になったのは、その犠牲者の姿を少なからず 見ているからなのです。
そしてそのような「暗い歴史」があり、現在も繰り返されている現実がありながら、一部の食養の成功者だけを取り上げ、あるいは自らの体験のみ を頼りに「陰だ陽だ」「玄米正食だ」「マクロバイオティックスだ」と、あたかも食生活の『 不変の真理』であるかの如く叫ぶ指導者が後を絶たないからなのです。

 もちろん玄米正食(マクロバイオティックス)といっても、前に書いたようにその解釈は人によって固定されたものではなくなっています。
しかし玄米正食と名乗る多くの指導者は、そのもとを訪れたほとんどの 人を「 陰」と見立てて「果物や野菜は陰性だから厳禁」「動物性食品(魚 も含む)はすべて血を汚す」と言い、現実には「玄米に胡麻塩と味噌汁、タクワン、ヒジキ蓮根、キンピラ牛蒡など、そして煮干しやカツオ節さえ厳禁」といったワンパターンの指導をし、 しかも「誰に対しても無制限に」実行させている場合がほとんどです。

 今回紹介したK氏、日野先生、馬淵先生などは単に医師であるだけではなく、 医師の中では数少ない食養のよき理解者であり、 自ら何十年と実践してきた指導者なのです。
前に述べたように、外部からの批判や警告ではないのです。
このような警告が少なからずあるのにも係わらず、 ほとんどその言葉に耳を傾けようともしないで、「完全穀菜食こそ人間の理想食」「マクバイオ ティックスは宇宙の根本原理」などと簡単に言い切ってしまう指導者が後を絶ちません。
これでは外部からの「 玄米食は危険」などという馬鹿げた批判も仕方のないことだと言わざるを得ないのではないでしょうか。


第二章 完全穀菜食への疑問


玄米正食との出会い


 私自身が何故玄米正食に疑問を持つようになったか少し書きたいと思 います。
私はもともと大学の研究室に籍を置きながら、専門学校において栄養学を教えていました。

 そんな時新聞に『滅びゆく長寿村』という記事が載っていました。その長寿村とは山梨県の「ゆずり原」で、記事の内容は「食生活が近代化されたことによって、高齢者は元気に暮らしているのにもかかわらず、若年層に成人病が多発している」というものでした。

 その記事を見て早速ゆずり原を訪ねると共に、ゆずり原の研究をしている甲府の古守病院の古守富甫院長の書いた『長寿村ゆずり原』(三龍社刊)や『長寿村の教えるもの』(日常出版社刊)などを買い求め、貪るように読んでみました。

 それらの著書の中に桜沢如一の名前が登場していました。
桜沢如一とは一体どういう人なのか興味を持って調べていくうちに、 日本CIの存在を知り、世界正食協会、自然医学界、日本みどり会などの現代栄養学とは違う考え方を持つ医療機関や運動体がたくさんあることを知りました。
また、 そのような関係の著書がたくさんあることを知ると共によく読んでみるとそれぞれの運動体、 医療機関によって主張が微妙に違うことも知りました。

 何故なのか? 
それを徹底的に知りたくなり、 学校を辞めて民間食養法の研究一本に絞りました。
それが約十年になります。
その間たくさんの食養的考えを持つ医療機関や運動体を訪ね、 働き、実習をさせていただきました。
読んだ本も現在手元にあるだけで数百冊になっています。

 その中でも初めて日本CIの合宿に参加した時の印象は強烈なものでした。
玄米を食べるのも初めてなら「 陰・陽」の考え方、 肉、牛乳、魚、煮干し、鰹節さえ「血を汚す」という考え方なども全く初めてのものでした。そして参加者の多くが食養で難病を克服しているということや、全員が食事の時にほとんど何も話さず、手を膝の上に置き黙々と玄米を噛んでいる姿…、若い女性の色気のないこと…、とにかく異様な雰囲気を感じたものです。
帰りの電車の中で、ミニスカートでキャピキャピ騒いでいる女性のふとももを見て、「あー、イイナァ」とホッとしたことが今でも忘れられません。
しかしこの時の印象は単なる〈 スケベ心〉と言われればそのとおりですが、やはり私にとっては大きな印象でした。

 そしてその後、いわゆる自然食レストランや医療機関などにおいて「色気がない 」などと冗談にも口に出せないような女性をたくさん見ることになるのです。
しかも、その女性たちはいずれも同じような特徴を持っています。
ややドス黒く、ガリガリに痩せ、生理がなくなっていたりします。
もっと特徴的なのはその性格で、 自分の現在の状態に対して決して食生活の間違いだとは考えようとはせず、 常に「 もっとしっかりやらなければ」と自分を責め、より固執する人が多いのです。


完全穀菜食への疑問

 
 しかしそんなことに気がつくのはかなり後になってからのことです。
少しずつ勉強し実習する間に、 「玄米と野菜を中心」とした食事の有効性にはかなりの確信を得るようになり、当然ながら 「白米、 精製小麦粉、白砂糖などの精製食品や肉、牛乳中心の食生活ではいけない」ということにも何ら疑問もなくなっていました。

 しかし同じ玄米を指導しながら、魚や卵などの動物性食品の摂取については「煮干しや鰹節さえいけない」とか 「ある程度の動物性食品は必要 」、「小さな魚介類はよい 」など様々な考えがあり、 どの考え方が正しいのか本当に悩みました。
 
 特に「玄米菜食」「完全穀菜食」が本当に理想なのか? 
この十年はまさにそのことだけを考えてきたと言っていいかも知れません。
もちろん「完全菜食」を主張する人たちがその根拠としているケルブランの『生体内原子転換理論 』や、古くから菜食を主張する人たちの本など、かなりの本に目を通してみました。

 またその逆に「玄米を中心とした食生活」を指導しながら、菜食を完全に否定している元大分大学の飯野先生の説、イギリスのマイケルクロフォードの説など、メチャクチャ本をあさったものです。
しかしいずれを読んでみても、部分的には納得できても絶対だと言える説を見つけることはできませんでした。

 もちろん現代栄養学が動物性食品の摂取をすすめる根拠としている「必須アミノ酸説」などは、まったく納得できるものではありません。
 
 ただある時気がついたのは、玄米を中心とした食養を何十年と指導し、しかも入院患者の経過を実際に見てきた医師の中で「 完全菜食」を何十年も行なっている医師はほとんどいないということでした。
本を見ると「 完全菜食」をすすめる医師や指導者はたくさんいますが、 実際に訪ねてみると「検査と薬」だけの医療であったり、食事療法などまったく行なっていない場合、 あるいは実際に指導していても入院患者としては見ていない場合、入院している患者に実際行なっている場合でもここ数年だけ、ということがほとんどなのです。

 そして何十年と患者を診てきた医師のほとんどが「完全菜食」には疑問を持っているのです。
特に誰に対しても一律に、 しかもいつまでも無制限にすすめることにはかなり疑問を投げかけている長い年月をかけた教訓。
 
 そしてまさしくマクロバイオティックスの大きな主張である「身土不二」から言えば、なぜ四方を海に囲まれたこの国で、 魚介類さえいけないと言うのか? 
絶対にいけないという理由がない以上、 決めつけてしまっていいのだろうか。
かつて日本の長寿村といわれた所で「完全穀菜食」の村があっただろうか。

 私自身ゆずり原や沖縄、広島の立花村など、いくつかの村を訪ねてみましたが、動物性食品の極めて少ない食生活をして来たことは事実としても、「完全穀菜食」ではありませんでした。


FOODは風土が決めるもの


 また私はここ十数年の間に、九州の最南端佐多岬から北海道の宗谷岬までの三千キロ、塩の道で有名な新潟の糸魚川から長野の松本に至る千国街道、瀬戸内海の西条から太平洋の高知市、能登半島一周、木曽路など、すべて乗り物に一切乗らない「歩く旅行」をしてきました。

 それは私のもっとも尊敬する故近藤正二博士が、三十六年間もかけて行なった「全国九百九十ヶ村の長寿率と食生活の調査」への憧れであり、わずか数日でその地方の食生活を知ろうとする無理を少しでもなくそうと、せめて「地元の人たちと同じ速さの中で接したい」という考えからでした。

 それはこれからも続けたいと思っていますが、わずかこれ位の旅行で何かを得られるはずはありません。
強いて言うならば、和辻哲郎氏の書いた『風土』の中にある


人間は獣肉と魚肉のいずれかに従って牧畜か漁業かのいずれかを選んだとい
うわけではない。
風土的に牧畜か漁業かが決定せられているゆえに、獣肉か魚肉かが欲せられ
るに至ったのである。
同様に''菜食か肉食かを決定しているのもまた菜食主義者にみられるような
イデオロギーではなくして風土である''」(''括弧''は筆者幕内)



という言葉をより実感できたということです。
つまり私には「陰・陽」や「酸・アルカリ」などという考え方よりも、「FOODは風土が決めるものだ」「その風土の中でよりよく生きるために受け継がれてきたのが伝統的食生活であり」「その現代的解釈こそが大切」だとしか考えられません。

 もちろん「玄米正食」 「マクロバイオティクス」を名乗る人たちが、すべて「完全穀菜食」をすすめているとは思いません。
またある体質の人に一定期間、そのような食生活が必要だということは否定するつもりはありません。
そして私自身も桜沢如一氏の本から多くのことを学び、「陰・陽」の考え方からも多くのことを学ばせてもらいました。

 しかし私があえて「玄米正食批判試論」などという大げさな題で書こうと思ったのは、マクロバイオティックス研究家、または指導者と名乗り、なんでもかんでも「陰だ、陽だ」と食生活の〈不変の真理〉であるかのごとく指導し、しかも「誰に対しても無期限」で完全穀菜食を指導している人たちが後を絶 たないからなのです。

 本当にそんなに簡単に言い切っていいものなのか? 
先師、先輩の言葉に耳を傾ける必要はないのか。
そのことを書きたかったのです。


第三章 民間食養法はどうなるのか?


日野厚先生馬淵通夫先生の死


 昨年(一九八九年現在)、私の師と仰ぐみどり会診療所の馬淵通夫先生が亡くなり、今年になって松井病院の日野厚先生も亡くなってしまいました。

 二人の先生は何十年も前から医療の中における食事療法を重視し、現代栄養学に疑問を持つ食養の大家ともいうべき先生方でした。
そして実際に玄米食を中心とした食事療法を指導しながら、完全穀菜食の問題点を訴えていた先生でもあります。

 もっともっと多くの人たちに二人の先生方の考え方、貴重な教訓を知ってもらわなければならないと考えていただけに残念でなりません。

 私の知る限りでは、この完全穀菜食の問題点が堂々と論議された文章を見たことは一度もありません。
多分ほとんどなかったのではないでしょうか? 
むしろそのことを真剣に考えた人もいなかったのかも知れません。
しかしこれだけ玄米食に関心を持つ人たちが増え、その一方で犠牲者が出ている以上、いつの日にか真面目に議論されるべき時が来なくてはなりません。

 そのような時にこそ、二人の先生方の〈声〉が必要だったのです。
今となっては貴重な教訓は文字で触れる以外にはありません。
完全穀菜食という問題を本気で考えてみようと思う方や、日頃食事療法に関わる仕事をしている方は是非『人間の栄養学を求めて』(日野厚著、自然社刊)を読んでみて下さい。

 私の知る範囲では、ここまで突っ込んで書かれた本を見たことがありません。
またこの本の中では馬淵先生も文を寄せています。
私自身は残念ながら日野先生とは数回お会いしただけでしたが、幸い手元に日野先生が何かの雑誌(雑誌名は忘れました)に書いた文章が残っています。


…私は極端なやり方はとりません。
一口に言えば''〈道の真ん中を歩きなさい〉''という方法です。

…例えばある栄養素が不足していたために起こった病気であれば、不足して
いるものをとらせることで劇的に症状を好転できることもあるわけです。

しかしここに落し穴があることを知らなければなりません。
ある病気を治すための極端な食事は、特定の人には限られた期間だけとれば
劇的な効果も出せるかも知れませんが、その食事がいつまでも誰にもいいも
のだと思い込んで続けることは当然危険です。



 馬淵先生からは直接本当にたくさんのことを教えていただきました。
その中でも「幕内君、本当に正しい食事なんてなかなか解らないよ。一番大切なことは間違わないことなんだよ」という短い言葉が、今でも脳裏にはっきりと焼きついています。

 日野先生の「道の真ん中を歩きなさい」、馬淵先生の「間違わないこと」という言葉に対して、おそらくマクロバイオティックスという〈永遠の真理〉を知ってしまった人たちからは「なんと軟弱な、中途半端」という言葉が聞こえてきそうな気がします。
実際私自身「あなたの考え方は現代栄養学と食養を混ぜただけですね」と言われたことが何度かあります。

 そのような方に対して、私は次の言葉を捧げたいと思います。


例えば''一人の女を想え、一人の女を、おまえはよく認識できると思ってい
るのか。''
''一人の女には、いくら認識しようとしてもなお認識できない謎がどこかに
宿っている。''

''おのれ自身をおのれはよく知っているか、おのれ自身ほど解りにくいもの
はない。''

自然を見よ、動植物を見よ、それらは自然科学によってすっかり認識される
ものであろうか。
どんなに自然科学が発達しても、自然の中には解きがたい謎がある。
私は真の科学者とは、この多くの秘密に満ちた世界に対し、人間の認識能力
の貧しさを嘆く人ではないかと思う ~

           (『仏教の思想』梅原猛著、角川書店刊)



 しばらくは「完全穀菜食は人間の理想食」と、いとも簡単に言い切ってしまう、マクロバイオティックス指導者なる職業の全盛時代となるのでしょうか?
  
 二人の先生の死は民間食養法の発展を十年遅らせた…と言ったら言い過ぎでしょうか?

 そして当然のことですが、二人の先生は食事を重視しながらも、食生活だけで病気を治すといった考え方の先生ではなかった、ということも付け加えておきます。


何の為に食生活を変えるのか?


 最近見た主婦の場合は体重が三十数キロ、まさに骨と皮だけになっていました。
三十代前半ですが、生理もなく肌はガサガサの状態です。
かなり真面目な方で、ある一定期間、動物性と名のつく食物は一切食べていませんでした。
そして当然かも知れませんが夫婦関係もなく、離婚も考える状態だったと言います。
当然ながらご主人は食生活に疑問を持ち何度となく忠告をしましたが、まったく聞く耳もなかったと言います。
そしてこれではいけないと、八十回噛んでいた玄米を百回噛むようにしたそうです。

 それでも体重は減り、やっと疑問が出てきたと言います。
薄情な言い方かも知れませんが、よくある例のひとつに過ぎません。
私自身このような女性をどれだけ見てきたかわかりません。

 このような例を見るにつけ思うことは、本当に素朴に何のために食生活を変えるのか?
指導者はどう考えて指導したのか? 
ということなのです。

 食生活を変えるということは大げさに言えば幸せになりたい、そのために健康になりたい、だから食生活を正しく変える。
それが本当ではないでしょうか? 
食生活を変えるということは、健康になるための、幸せになるための一つの手段だと思うのです。
だがこの女性の場合は、いつの間にかすべての目的は食生活を変えることだけになっていたわけです。
そのために夫婦関係はおかしくなり、家族はギクシャクして、本人も毎日がつらく、何も楽しくない。
まさに、何のために食生活を変えたのか? 
変えて幸せになったのだろうか……?
と考えざるをえません。
  
 その後この女性から「本当に楽しくなりました。肩の荷が下りた感じがします」という電話をいただきました。
しかし、この女性はまだよかったと思います。
なぜなら自分でおかしいと気がついたからです。
中にはどんな状態になっても、家族や知人がいくら忠告しても聞く耳を持たず(持てない状態になってしまい)、この飽食の時代に栄養失調で亡なってしまった人も少なくないからです。
  
 私自身食生活の勉強を始めてやっと十年になろうとしています。
今後も食生活だけを勉強していくつもりですが、常に「食生活の誤りだけが病気を作り、食生活だけで病気を治す」といった考えにならないように、その患者さんの歴史、家族や社会を含めた理想的食生活を考えていきたいと思っています。


第四章 経験主義・実績主義に応えて


再び玄米完全菜食主義を考える


 私が現代栄養学に疑問を持ったのは、前にも述べたように山梨県のゆずり原がキッカケでした。
そして民間食養法に興味をもったのは、まさに日本CI(故桜沢先生が作られた)の合宿において多くの難病者がよくなっている姿を見たからでした。
そして私自身も桜沢先生の本にどれだけのことを教えられたか解りません。
そして食養の指導者の中で桜沢先生の影響を受ていない人はほとんどいないでしょう。
そのような先人の歴史があったればこそ現在の私たちがある。
それは当然のことです。
まさに桜沢先生の時代は開拓時代であり、現在の私たちは先人の開拓した肥沃な土地に種を植えているに過ぎない、とさえ言えるのかも知れません。
  
 しかしそうであるがゆえに、現在の私たちはより良い実をみのらせる義務がるのではないでしょうか。
それは単に桜沢先生の考えをそのまま受け継ぐことではないのだと思います。
  
 少し大げさですが、ミーチュリンの


私の後継者は私を追越し、私に反対し、そして私の仕事を引継ぎながらも、
同時にそれを破壊していかねばならない。

このように徹底的に破壊される仕事の中にこそ、本当の進歩がある



という言葉が当てはまるのではないでしょうか。

 私の今回の文章に対して、当然多くの批判があると思います。
その中でも「私自身が玄米菜食で病気が治ったし、難病の患者さんを指導して治した」という経験からくるものがあると思います。
これからそのことについて考えてみましょう。
 
 ただし〈治った〉ということは本来どのような状態を言うのか。これは簡単な問題などではなく、大変難しい問題だと思います。
しかし、あえて治ったとしたら…として考えてみたいと思います。
 
 その食事内容はマクロバイオティックス指導者の多くが主張するような、

というものとして考えてみたいと思います。
 
 私自身もほとんど同様な内容の指導を行っていますが、最も違う点は誰に対しても完全菜食をすすめること、生野菜や果物を厳禁と指導する点にあります。
実際は、じゃがいもやナスは〈陰性〉だから厳禁、あるいは豆腐は云々とか細かい点もありますが…。
 
 さて、このような食事で病気が治った人がいるとします。
ここで断っておきたいことは、このような食事で病気が治った人がたくさんいることを否定する気持ちは全くないということです。
問題は本当に玄米完全菜食や生野菜、果物をまったく食べなかったから病気が治ったのか、という疑問なのです。
 
 私などの食生活指導を受けた患者さんの食生活は特殊な場合を除けば、

簡単に書けばこのようになります。
 
今まで食生活に関心のなかった方は、このような指導をするとびっくりします。
そして実際にとてつもない変化だと思います。
このような食事によって体調がかなり変わる患者さんがたくさんいるのです。
  
 以上の内容から、多くのマクロバイオティックス指導者は小魚貝類をまったく食べさせない指導をする場合が多いわけです。
そして随分と病気を治している方がいます。
しかし本当に小魚貝類を除いたからよくなったのか、ということなのです。
  
 前にも述べたように、私たちの食生活指導の内容だけでも、患者さんにとってはとてつもない変化なのです。
「えーっ!、肉を食べなくても大丈夫なんですか!?」と。
そして精神的な面を考えても、オーソドックスな医療の場合、薬や注射をしてもらう。
あくまでしてもらう、治してもらう
自分自身はとにかく受け身の精神状態なのです。
しかしどのような食生活であれ、食事療法はあくまで自分で食事を作る、 自分で治すんだという精神状態が見えます。
ただそれだけの違いが、実は大きな違いなのではないでしょうか。
  
 このようなとてつもない変化の中で、果たして小魚貝類を食べなかったから…その患者さんがよくなった、などとどのようにして解るのでしょうか? 
逆に完全菜食ではなく、小魚貝類をとったからよくなった、と簡単に言い切れるものでもないとは思います。
  
 ここで私が述べたかったことは、仮に玄米完全菜食でよくなった人がいたとしても、本当に完全菜食だからよくなったと言い切れるものだろうか、という、あくまでも疑問なのです。
少なくても自分の経験や実績だけで誰に対しても言い切ってしまい、いつまでも無制限に実行させてもいいものだろうか、ということなのです。
経験と実績だけで言うのであれば、完全菜食ではなくても小魚貝類や卵を食べても、癌や多くの難病の人たちが治った姿は私自身数限りなく見ています。
それどころか医師法で逮捕された加藤清先生の粉ミルク断食でも、患者が治っていることはまぎれもない事実です。
極端に言えば、肉を食べていても癌が治った患者さんだっているわけです。
 
 確かに経験と実績は大切だと思いますし、重要なことだと思います。
しかしそれだけで誰に対しても完全菜食が絶対などとは言い切れるものでもないと思うのです。
もし経験と実績を重視するのであれば、本当に完全菜食で50年も60年も実行している人がいるのでしょうか。

 みどり会診療所の故馬淵通夫先生は「玄米菜食の指導者が本当に実践しているのであれば、とっくに病気になっていたはずだ」と述べていましたが、私自身も本当に実践している人は見たことがありません。
実名は挙げませんが、有名なマクロバイオティックス指導者の中にはやれパーティーだ、旅行だと言っては、魚はおろか肉さえ食べる指導者もいます。
中には5年とか10年という人も稀にはいるようですが、それでも「完全」という人はほとんど知りません。
仮にいたとしてもほんの数える程度が現実でしょう。

 逆に我国に三千人以上もいるといわれる百歳以上の人で、完全菜食を実行している人などいるのでしょうか。
百歳以上の方は当然明治生まれの人たちですから、肉や牛乳などの動物性食物をほとんど食べないで体を作りあげてきた人たちです。
しかし完全菜食を実践している人の話は聞いたこともありません。

 そのように考えてみれば、経験と実績だけで「完全菜食が絶対」と言い切るのには無理があるのではないでしょうか。


第五章「伝統の智恵」の現代的解釈


食養は「素朴自然主義」ではなかった


 私の食生活に対する基本的考えは「FOODは風土が決める」というものです。
そしてその与えられた風土の中で、より良く生きるために受け継がれてきたのが「伝統の知恵」、すなわち「食文化」なのです。
わかりやすく言えば、日本には川や湖がたくさんあり、四方を海に囲まれている。
そのために魚貝類が採れた。
だからそれらを食べてきたのである。
魚にはEPAが多いとかカルシウムが多いから食べてきたわけではない。
そしてそれらの魚や貝にも様々な種類のものがあり、形も様々だった。
それらを上手に食べるために工夫、試行錯誤して様々な包丁や貝むきな
どの道具が作られてきた。
また何人かの犠牲者によって、河豚という魚には毒があることも知った。
それが「伝統の知恵」である。
それを「祖母から母、母から娘へ」と伝えてきたわけです。
  
 もちろんそれら受け継がれてきた「伝統の知恵」が、すべて正しい選択であったと断言することはできないと思います。
しかし現在の私たちがあるということは大きな間違いではなかった、と考えてもよいのではないだろうか。
その「伝統の知恵」を基本とした「現代的解釈」が大切だと考えています。

 確かに戦後の栄養教育は「科学的」という言葉をもって「伝統の知恵」を否定してきた歴史があります。
例えば岩手大学の鷹觜テル教授は『人間と土の栄養学』(樹心社)という本の中で


…若い頃は本を片手に、近代栄養学の立場から農村の食生活を否定し、動物
飼育実験によって、その合理的な食生活の方向性を見出だしていた私である
が、長年農村の食生活と健康の生態学的研究を行なっているうちに、農民の
昔からの食慣行の中に生活からにじみ出た尊い教訓が潜んでいることに気づ
いたのである。



と述べていますが、まさしくその通りだと思います。
しかしその一方で『危険社会』(二期出版)の著書U・ケベックの


科学は危険に対しても、その原因でもあり、その本質を明らかにする媒体で
もあり、また解決の源でもある。



という言葉、つまり「現代的解釈」も大切だと思うのです。

 ただただ「伝統が大切」「昔からの方法に誤りはない」ではどうしようもないと思うのです。
実際に食養家と言われる人の中には、考えられないようなひどい飛躍をしている人が少なくないような気がします。
例えば「伝統、伝統」と言いながら「日本人の主食は昔ながらの玄米が<理想だ」という方がたくさんいます。
しかし少し考えれば誰でも解るように、日本人の一般庶民が毎日米を食べられるようになったのは、ほんの数十年前のはずです。

 日本の長い歴史の中で考えるのであれば、米は極めて現代的な食物ということができるはずです。
また日本人は昔から菜食であったかのように言う人もいますが、全国各地から見つかっている貝塚はなんなのでしょうか。
そして昔から使われている出刃包丁は何のためにあったのでしょうか。
やはり魚を切るのに便利な包丁ではないでしょうか。
私は伝統を重視するからこそ、魚を食べると「血が汚れる」「判断力が鈍る」などという言葉を信じることはできないのです。
これでは非科学的どころか「単なる都合のよい飛躍」という批判を受けても仕方のないことだと言わざるを得ないのではないでしょうか。
 
 私自身、玄米を中心とした食事指導をしているわけですが「昔から…だったから」と、それだけの理由でそうしているわけではありません。
むしろ「現在」を考えるからこそ、米(玄米)中心の食生活を指導してる、と言った方が正しいと思います。
(そのことについてはいずれ述べたいと思います)
 
 民間食養法の歴史についての第一人者である沼田勇先生(大仁病院院長、日本総合医学会会長)は『病は気から』(農文協)の中で

…ある指導者に指導を受けて効果のあった人は、宗教における信者のように
その指導者に対するであろう。
知人にも入信をすすめるであろう。

その結果、一人の指導者の周囲は狂信的とはいわないまでも、信者集団によ
ってとり囲まれ、指導者はあがめ奉られて、自分も教祖的な気分にだんだん
なってしまう。

そういう指導家に現代の科学・医学・栄養学をふまえた自然食・食養法上の
真の独創や発展がありえようはずはない。
そこに生まれるのは、再度繰り返せば、自分勝手な「手前味噌」であり「独
善的自己流儀」でしかないであろう。


ところが左玄にはじまる自然食・食養法というものは、その正反対のもの、
むしろかなり融通無下なものなのである。
それだからこそ、70年も80年もの間人々の中に生き続け、今日なお内容を新
たにし、発展し続けているのである。

従って左玄の考え方を正しく継承すれば、食養といっても決して〈かたくな〉
な〈〜すべからず〉一本槍のものではないことも理解できると思う。 



まさしくその通りだと思います。
  
 そして食養の祖と言われる石塚左玄自身が明治初年に西欧から移入した近代科学をいち早く身につけた上で、日本と日本人に適した正しい食物のとり方を日本人の伝統生活の中で具体的に研究を続け、自らの体験と実験に基づき、独創的な日本の食養学を創設した科学者であり、医学者でもあるこを忘れてはならないと思うのです。
  
沼田勇先生は
 

左玄の生き、活躍した明治の時代は、世を上げてヨーロッパ文明一辺倒の時
代であった。
その中にあって、ヨーロッパ文明を批判し、生命の問題を、生物学的に、民
族的に、風土的に、''一方に片寄ることなく広い視野に立って大観し、思索
したのが左玄という人であった''。



と述べています。
  
 そのことは左玄が書いた本の代表作の題が『化学的食物塩類篇』(明治26年)であり、『化学的食養長寿論』(明治29年)であり、左玄の基本理念「NaとKの均衡食論」はまさに食品分析という、近代栄養学を基本にしたものであったのです。
よく現代栄養学が分析的・化学的であるのに対して、石塚左玄の食養論は総合的・哲学的であると言う人たちがいますが、以上のように決して「魚を食べると血が汚れる」といった、素朴自然主義ではなかったことを忘れてはなりません。


第六章「尿療法」から見えてくるもの


「尿療法」ブーム


 まさに偶然ですが、今回(一九九十年夏現在)の連載に合わせたように美空ひばりさん 、高峰美枝子さんの死をきっかけとして、またも「 玄米食は危険」という大合唱が始まろうとしています。
その一方で、最近週刊誌やテレビなどで話題になっている食事療法(?)の一つに「尿療法」というものがあります。
これは山梨県の中尾良一医師が書いた『奇跡が起こる尿療法』(マキノ出版)という本が火つけ役になっています。

 この療法を紹介したのは『壮快 』という健康雑誌ですが、とにかく反響が凄かったといいます。
実際にその本を見てみると


となっています。
この反響の大きさを見ると、いかに多くの人たちが検査と薬漬けの医療に疑問を持ち始めているか、それを物語っているような気がします。

 それはともかくとして、2人の芸能人の死と、「尿を飲む」という奇妙な療法のブームは私たちに大切なことを教えてくれているような気がしてならないのです。

   そして今回連載させていただいている「玄米正食批判試論」にもどうやら一つの結論らしきものを書いて終わることができるような気がしています……


理解できない特殊療法


 前にも述べましたが、私は11年前に山梨県のゆずり原を尋ね、現在の栄養教育に疑問を持ち、いわゆる民間栄養療法(一般に食養といいます)の世界に足を踏み入れました。

 その間、全国にある栄養療法を実施する運動体や医療機関を訪ね、またそれらを紹介する本も貪るように読んだものです。
かなり整理はしましたが、現在手元ににあるだけでも五百とか六百冊といった単位ではないと思います。
また、いくつかの医療機関で実際にたくさんの患者さんの食事指導をしてきました。

 また、私の場合には食生活だけを仕事としているため、幅広く勉強したいと思い、この十数年の間にアルバイトを含め農業、青果市場、焼き鳥屋、日本そば屋 、スカイラーク 、大学の研究室 、専門学校の講師など〈食〉に関係する仕事をしてきました。
そして日本縦断、本州横断、四国縦断など、すべて乗り物に乗らない旅行などもしてきました。
それも「食生活の〈風土性〉というもの身体で感じたい」という目的のためでした。

 ところが勉強すればするほど、本を読めば読むほど、様々な医療機関を尋ねれば尋ねるほど、まさに何が正しいのか、さっぱりわからなくなってしまったのです。
つまり一口に栄養療法(食事療法)といってもよくよく調べてみると、現代栄養教育とは別に断食療法 、粉ミルク断食、生菜食、玄米菜食、玄米完全菜食、ゲルソン療法、ジュース療法など様々な指導方法があるのです。
なかには緑茶に生卵を入れたものを飲んでガンを治すなどというものもあります。
しかも粉ミルク断食はまさに粉ミルクという、玄米完全菜食の指導者から見ればとんでもない療法であり、玄米さえ生で食べる生菜食から見れば生野菜や果物さえ食べない方がよいという玄米完全菜食はとんでもない療法なのです。
まさに矛盾だらけなのです。
しかも、それぞれがそれらしい理由を持って主張し、やはり冷静に見ても難病を克服している患者さんがいるのです。

 しかし、当然ですが治らない人もいます。
そして、よくよく冷静に眺めてみると今まで述べてきたように「その療法の犠牲者」としか考えられないような人もたくさん目にするようになったのです。
これは一体何なのか……?
本当にわからなくなり、自信も無くし、数年前までの約3年間は食事療法にかんする仕事は止めていました。
ただただ、一体これはどういうことなのか、それらの療法にも何か共通性があるのではないか…。
アルバイトをしながら考えていました。


「尿療法」との出会い


 そして、やがて「ある考え」を持って医療機関に復帰して仕事を始めたのです。
そこで出会ったのが「尿療法」でした。
「尿療法」そのものを知ったのは随分前でしたが、その時は「また例によって話題性だけを求めた」療法が出たものだと本気で考えもしませんでした。
ところが、あと数か月しか生きられない 、それがわかっていながら生き生きとしている末期ガンの患者さんと出会ったのです。
その患者さんが実行しているのが「尿療法」だったのです。
その後胃潰瘍の痛みが十数年も続いていたのが、本当に1回尿を飲んだだけで治ってしまった、という患者さんに出会ったのです。
もちろん「本当かな?」、そして尿を飲むというのは食事療法なのか様々な疑問はありましたが、その療法を紹介した宮松宏至氏の『朝一杯のおしっこから』、『尿を尋ねて三千里』(現代書館)を読んでみたのです。
 
 何故病気が治るのか? 
それはさっぱりわかりませんでしたが、著者が実にいい顔をしているのです。
まるでガンジーのようにやさしいのです。

 そこで「これは実行あるのみ、とりあえずやってみよう」と考え実行してみたのです。
毎朝尿をコップ一杯取り一気に飲み、すぐさま水を飲む、ただそれだけです。

   実に簡単なことですが何が凄いかというと、まず前の晩は夢にうなされました。
そして最初の時はコップを片手にジーッと考え込んでしまいました。
飲んだ瞬間、嗚咽がおき吐きそうになり、涙が止まらず、思わず鏡をのぞきこんだものです。
そして、においの強いことと塩気の強いことにはびっくりしました。
その日は電車に乗っていても揺れる度に嗚咽がおきました。
しかし、吐くまではいきませんでした。
そんな日がどのくらい続いたでしょうか、気がついた時は両膝の裏側が湿疹だらけになっていました。

 結局半年あまり実践し、最後の頃は止めては湿疹を見、飲んでは湿疹を見、何度か繰り返しましたが、明らかに尿を飲んだことによってできた湿疹でした。

 中止した理由は、ある人に「たしかに動物は自分のうんこを食べることはあるが、尿は飲めない(コップが必要 )、やはり動物がやっていないことは自然ではない…」という言葉、半年では仕方ないかも知れませんが、味にもにおいにも慣れることができず、正直なところ日々「朝が怖い」というのが実際でした。
私にとってはかなり精神的プレッシャーだったのです。


「尿療法」は食事療法なのか?


 結局、自分の尿を飲むという「とんでもない冗談?」「自分の体には自分を治す薬がある…という最も自然な行為?」は半年で終ってしまいました。

 半年で結論を出そうとすることが無理なのかも知れませんが、実際何ら結論らしきものは出ませんでした。
かゆくてかゆくてどうしようもなかった湿疹もよい意味での反応だったか、まさに悪いものを飲んだために出たのか…それもわかりませんでした。

  ただ今になって思うことは「尿を飲んで病気が治った人」がいるのは本当だろうし、全然よくならない人もいるだろうということです。

 しかも、それは尿でなくても「うんこ」でもよかったのではないかということです。
これは決して不真面目に言っているのではありません。

 私の好きな本の一冊に『人はなぜ治るのか』(日本教文社)があります。
著者はアリゾナ州の開業医でありアリゾナ医科大学のアンドルー ・ワイル博士で、博士はその著書の中で


…ある看護婦が教えてくれた話だ。 

…注射器や針が使い捨てになる前の時代に、彼女はある外科病棟で働いてい
た。 
…患者の一人に、胆のうを切除した、気むずかしい中年婦人がいた。 

…その婦人は強度の不眠症だったので夜中によくその注射をしたが 、患者の
反応は思わしくなかった。  
ますます目が冴えて、一晩中文句の言い通しということがよくあった。
ある晩、注射をしたとたんに、例の婦人が大声をあげて飛び上がった。
後で針を調べた看護婦は、その先端が丸くなっていることに気づいた。
明らかに研ぎ忘れだった。  

しかしその晩、患者ははじめてぐっすりと眠った。

…それから一週間 、 彼女は一晩おきに鋭い針と丸い針を使って注射をし、
その効果が注射時に痛むかどうかにかかっていることをつきとめた。

…あらゆる治療法には活性プラシーボとして機能する面があり、そこから、
いかなる治療法によるいかなる好結果も、 少なくともその一部はプラシーボ
反応に由来するものであるという結論が導き出される。  
…''治療に信念という要素が入り込むことを防ぐ手だてはないのだ''。 



 つまり、 注射が効くのは注射器に入っている薬そのものよりも、注射の「痛み」であり、「良薬は口に苦し」ではなく、「苦いから効く」場合がおおいにあり得ると述べているわけです。
痛く、苦い方が「治療をしてもらった」「治療をした」という実感があるため、患者の確信が強まるというわけです。

 そしてワイルは


明敏な学者は、医学の歴史が実はプラシーボの歴史であることを見抜いている。
私も同感だ。~



そこからワイルは

''不合理な理論に基づく治療法が往々にして効くことも何ら不思議ではない''。



と述べています。

 その意味では「尿を飲む」という行為は、活性プラシーボとしての効果(反応)は薬や注射の比ではないことは明らかです。
なにしろ、私自身30数年の人生の中で、嗚咽が起き涙が止まらないほどの感動(?)、ショックを受けたことなどめったになかったからです。
「良薬は口に苦し」どころではありません。
飲んだだけで「何かが起きる」「自分は変わってしまった」、決して大げさではなく、そう思わざるを得ないほど強烈なものでした。
だから、私は無意識に鏡を覗き込んだのだと思います。
きっと私の身体は「尿を飲む」と決めた時から変化し始めたのだと思います。

 実際に今回発売された『 奇跡が起こる尿療法 』を読んでみても……著者自身が「 なぜ尿が効くのか 、の質問には私は答えられません。
確かに効くから〈効く〉というほかはないのです。」 と述べています。

 また、体験した患者の報告として66歳の男性が次のように書いています。


私も、うつ病は一生のもの、あの世まで持っていく、という覚悟はできてお
りました。

しかしあの発作の苦しみからだけはなんとか逃れたい、 逃れる方法はないも
のか、そんな祈るような思いでした。  
…そうした苦しみの中で、『壮快』…に中尾良一先生の記事を発見したので
す。
このとき私は、はっとする思いがしました。  
記事を何度も何度も読み返し、''もう私にはこれしかないと思い早速コップ
一杯の自分の尿を飲んでみたのです。''
''まるでうそのような話ですが、たった一杯の尿で世の中がまるで変わって
しまったように思えたのです。''
尿を飲み始めて以来、発作は一度もありません。



 また〈尿療法を自分に試した医師たちの報告〉という章の中で、東京女子医科大学の織畑秀夫名誉教授は

…おそらく血液の中にあるさまざまな有効成分、病気を治す力のあるものが、
一部、尿の中に出てきて、それを飲むと消化管から吸収され、体の自然治癒
力を増強するのではないでしょうか。



と述べています。 おそらく、他の医師や中尾先生も尿の中の「何か?(物質)」があると考えているようです。


勇気・信念・忍耐


 しかし中尾先生自身、その序文ではこのように書いています。


尿療法の安全性については 、すでに20年以上にわたって健康法として続けて
いる人や、治療のために排出された尿の全部を飲んでいる人などになんら不
都合も生じていないことを見れば、その安全性についてうんぬんする必要は
なく、誰でもいつでも、どこでも実行する〈勇気〉(これは最初だけ)と、
確固たる〈信念〉(これしかないと考え迷わない信念)と、治るまで続ける
〈忍耐〉だけです。



 私はまさに「 尿そのもの」に含まれる何か特殊な成分よりも、尿という排泄物を飲んでまで自分自身で病気を治そうとする 〈勇気〉〈信念〉〈忍耐〉にこそ、尿療法という極めて特殊な療法の意味があると考えているのです。
(もちろん、尿に何かある…ということを全面的に否定するものではありませんが…)

 中尾先生の元には、全国から感謝の手紙が二千通も来ている といいますが、もし私の考えが正しい(?)とするならば、おそらく 「自分が尿を飲んでいる」ということがわからない、認識すること ができない事情の患者さんの家族からの感謝の手紙は一通もな いはずなのです。
実際に『奇跡が起こる尿療法』には、それらしき例は「インドなどでは毒ヘビにかまれて本人の意識がなくなった時などは、そばにいる人の尿を飲ませることがあり…」というインドの話だけなのです。

 したがって、尿でなくても「うんこ」でもよいのではないか?と考 えたわけです。
ただし、尿は害はないといいますが、うんこはどうでしょうか? 
責任は持てませんので…やらないでください。
(たぶん、やれないでしょうが?)

 また、 もう一つ考えられるのは尿療法を始めた多くの人が「 それまで病院でもらっていた薬」を止めている場合が多いということ なのです。

 そして、実際に中尾先生にこの文章を送ってみようと考えています。
一人でも「 尿を飲んでいることがわからない」 患者さんがよくなっ ているのかどうか? 
鎌倉時代の僧、一遍上人も尿療法を信者に施していたといわれますが、20年間に100万人以上もの信者を増やした偉大な僧です。
おそらく、「その意味を理解していたのではないでしょうか。


特殊療法に普遍性はあるか?


 前に述べませんでしたが、そういえば数年前には土や土の錠剤も食べたことがありました。
何でそれを知ったのか覚えていませんでしたが、やはり「それらしい説明」があったように思います。
しかし、尿と同じで「治るものは治る」だったような気がします。

 そのように考えれば、尿であれ、土、断食、粉ミルク断食、玄米完全菜食、生菜食、ゲルソン療法であれ「治る」人がいたとしても不思議ではないのです。
そして、内容的には矛盾しながらも存在する、それらに共通するものは、日頃の食事では考えられないような強烈な非日常的食生活なのではないでしょうか。

 そして、食生活を変えるということは、患者さんの考え方、生き方さえも変わってきます。
もちろん、患者さん本人だけではありません。
家族さえも変わらなければ実行することはできないのです。

 問題は、ある特殊な食事療法で「治った」患者さんがいたとしても、本当にその食事内容だから治ったのか? 
それとも、その患者さんにとっては強烈な「期待と信念」を抱かせるに充分な食事内容だったからなのか?
…そこをどのように考えるかによって、すべてが変わってくると思うのです。
少なくとも、特別な障害があり、食事を変えたことさえ認識できない患者さんを除けば、「勇気」「信念」「忍耐」を無視することはできないように思うのです。
むしろ、私自身は「期待と信念」の方がはるかに大きいと考えています。
もちろん、「期待と信念」さえ抱かせることができるなら、食事内容はどうでもいいと考えているわけではありません。
一遍上人の時代には、白米も白砂糖も、肉の食べ過ぎもなかったわけですから、食事指導は必要無かったと思います。
あったとしても、それは「いかに食べるべきか(主に量の問題)」だっ たはずです。
しかし現在は「何を食べるべきか(主に質の問題)」を考えなければ健康の維持も回復も難しいと思います。
だから私は食生活の仕事をしているのです。 


どこまで言い切れるのか?


 しかし、残念ながら私の会った多くのマクロバイオティックスの指導者は「期待と信念」の大きさを余りにも無視し過ぎているようにしか思 えないのです。
ある一定期間期待と信念を含めて肉もだめ、魚もだめ、だめ、だめ、 だめ。
二百回噛まなければだめ…と「言い切る」必要がある患者さんもいるかも知れません。
しかし煮干しもかつおぶしもだめ、動物性の食品は全部だめ。
しかも、それが自然の法則であり、宇宙の法則なんだと本気で考えている人さえいるのです。

 本気で考えているからこそ、誰に対しても同じように指導してしまう のではないでしょうか。
そして、指導された人の中にも、本気でいつまでも実行する真面目な人がいることを忘れてはいけないと思います。
いくら「期待と信念」が大きくても、誤った食生活を長年続ければいつかは限界がくるはずです。
実際にそのような食生活によって、この飽食の時代に栄養失調で亡 くなってしまった人さえいるのです。
その犠牲者は決して少なくありません。
また、「言い切る」がゆえに、食生活のみにたより、手術さえしていれ ば、他の治療を併用してさえいれば…と考えざるをえない患者さんも 随分みてきました。

 「期待や信念」のない機械や自動車なら、どんな燃料が最良か、見つけることも可能かも知れません。
しかし、人間の場合(いや、生き物)にはそれがあるゆえに、何が理想なのか、絶対的な理想的食生活を見つけることは不可能だと考えています。
どこまでが間違った食生活であり、どこまでが正しいのか、どこまで言い切れるものか、難しい問題だと思えます。
おそらく、食生活というものは、かなり有用範囲があるのではないかと考えています。

 それさえも越えてしまい、そこに身体の使い方や精神的問題などが複雑にからみあって現状がある、と考える方が自然だと思うのです。
日本の長い歴史をみても、一言でいえば、それは雑食の歴史であり、 「何を食べるべきか」などと余裕があった時代は極めて少なかったはずなのです。
食べられさえすればなんでも食べた、それが現実だったのではないで しょうか。
そして、それでも生きてきたのです。

 ただし自然の厳しい制約の中では、現在のような過食もなければ、 肉の食べ過ぎも、牛乳の飲み過ぎも、白砂糖も、精製塩も、真冬のキュウリやトマトも、油のとり過ぎも、化学物質が入っているという心配も、 結果的にはありえないことだったのです。
まさに、かなり広いとされている有用範囲さえも越えてしまったことにこそ現在の食生活の問題があるのではないでしょうか。

 したがって、食事指導の最大の目的は「白米、白砂糖、肉食中心の現在の食生活、あるいは牛乳を飲まなければ健康になれない」といっ た大きな間違いをしている人たちに、少しでも「間違いの少ない食生 活」に導いてあげることだと考えています。

   いや、むしろ一人の患者さんを前にして絶対的な理想的食生活の指導ができると本気で考えている指導者がいるとすれば……もはや何 も言う言葉もありません。

   しかも、玄米完全菜食こそ「宇宙の法則」「自然の法則」などというの は、何をもって宇宙といい、何をもって自然というのか、とうてい私には 理解ができないのです。

 人によっては「もっと白米を食べなさい」という指導があってもいいと思っています。 人間は機械ではありません。
そして社会に生きている動物です。
私たち人間の食事は食餌ではありません。 食事とは食べること、すべてが大切だと思うのです。

 私は前にも述べているように、10数年はいわゆる現代栄養教育を教える立場の仕事をしていました。
やがて疑問を持ち、民間栄養学(食養)の世界に足を踏み入れました。
しかし『表の体育・裏の体育』(壮神社)の著者、甲野善紀氏が述べているように


公共機関の認知外である裏の体育は、どうしても情報が偏り、しかも 一般に
知名度の高いものが優れているとも限らず、現状はまさに玉 石混交である。
したがって、玉石混交の裏の体育に埋もれている非常に貴重な体系や技術も、
言ってみれば民間の、単なる〈噂〉として国民に伝わるにすぎず、一般社会
人の中でそれに気づく人はよほど感覚のいい、鼻のきく人に限られてしまう。

しかもそれを嗅ぎわけ、それに気づいた人が幸せかというと、そう単純に
〈気づいて、出会えてよかった〉と言い切れないのが、この裏の世界の裏た
る所以である。



 まさに私自身も、勉強すればするほど民間食養法の世界が「玉石混交」であることに気がつき、自分が食生活の指導や相談に戻れるのはいつになるのか、かなり真剣に悩んだ時期がありました。
しかし、その間に出会った多くの民間栄養学の指導者たちに「悩み」を見ることはほとんどなかったのです。
「陰陽表」という教典一つを手にすることで、すべてがわかってしまった人がいかに多いことか。

 美空ひばりさんや高峰三枝子さんの死は、本当に食生活に問題があったのか、私にはわかりません。
しかし今回の連載の最初にも述べたように、このような問題は何度も繰り返されてきた問題なのです。
そして、それを指摘してきた先人もたくさんいるのです。

 「治った話」ばかりに目を向けず、そのような先人の言葉にも耳を傾 ける必要があるのではないでしょうか。

 私自身、玄米食を中心とした食生活の指導をしています。
本当はこのような問題を書きたくはありませんでした。
しかし、私の場合は食生活、食事療法だけを仕事にしている人間です。
だからこそ、言うべきことは言う、義務もあるのではないかと考えたのです。
民間食養法の健全な発展を願いつつ……。


第七章 「玄米正食批判試論」終章


真面目にやりすぎたのよ


 仕事柄、私の友人には医師や鍼灸師、ヨーガの指導者、自然食品店経営者など「食」や「医療」、健康運動などに携わる仕事をする人たちがたくさんいます。

 そして、当然ながら食生活に関心のある人がたくさんいます。
私の今回の文章に対しても「その通りだ」と言って下さった方もいました。
しかし、しかし、しかし……逆に、自分の文章の下手さ加減に悲しくなってしまいました。
なぜなら、それらの反応の多くが「その通り、食生活なんてそれほどこだわる必要はないんだ」「真面目にやり過ぎるからおかしくなるのよ」、「ほどほどにやればいいのよ」といった反応がほとんどなのです。

 私の友人のヨーガ指導者は、ある著書の中で……「玄米菜食もすれば普通食もとる、要はこだわらない、こり固まらないことです」と述べています。
(私の尊敬するヨーガの指導者であり、現在は全く違う考えであることを断っておきます)

 同じように考えている「○○先生」、「○○さん」、私が言いたかったのは違うんですよ。
全く違うのですよ。  

 実際に私が医療機関において指導する時には、「真面目に一生懸命やって欲しい」「ほどほどではなく、真剣にやって欲しい」と考えています。
ただし、このような時代です。
患者さんによっては単身赴任などという人もいます。
ご飯も炊いたことのない人だっています。
そのような人には、そのような人なりの方法をお教えします。
その人の社会の中での「精一杯の方法」を考えます。
その結果、玄米どころか外食の方法をアドバイスする場合だってあります。

 決して食生活なんてどうでもいい、ほどほどでいい、こだわるな、などと考えて、そのようなアドバイスをしているわけではありません。
このような食生活事情(食品の質、食べ方)の時代ですから、おおいにこだわってもらいたいのです。
もっと多くの人がこだわれば、コカコーラなんて売れなくなるんです。
ご飯が大切だということを知る人が増えれば、米が余って減反政策などということもなくなってくるんです。
むしろ、もっと日々の食生活にこだわって欲しい、そんな人が少しでも 増えてくれたらなぁ……といつも考えて仕事をしているつもりです。


基本的問題を真剣に問うたことがあるのか?


 毎年のように「自然食による栄養失調死」という記事が新聞に出て話題になります。
そのような記事を見ると、随分と脚色されているものが多いと思います。

 しかし、そのような場合、食生活の指導をする人や自然食品店などを経営している人が発するのが、前に述べた「真面目にやり過ぎたのよ」という言葉なのです。

 その結果、前に述べたヨーガ指導者のように「玄米菜食もすれば普通食もとる、要はこだわらない、こり固まらないことです」ということになります。
この言葉には、あくまで「玄米(完全)菜食は正しい」、しかしこだわってはいけない、という意味があることがわかると思います。
実際に私の知る自然食品店や治療院などには「玄米菜食」を紹介した 本がずらりと並べられていながら「こだわらずにやりましょう」と述べる指導者がたくさんいます。

 一体これは何なのでしょうか?
私には全く理解できないのです。
真面目にやればやるほど調子がよくなる、それが正しい食生活というものではないでしょうか。
真面目にやり過ぎておかしくなるということは、その食事そのものが間違っているということではないでしょうか?

 少なくともそのような疑問を持ってもよいのではないでしょうか。
「完全玄米菜食」は本当に正しいのか、誰に対しても、いつまでも実行させてもよい普遍的食生活なのか、そのことを真剣に問うたことがあるのでしょうか。  

 少なくとも私には、魚さえいらないという玄米完全菜食が、誰にでもよい普遍的食生活であるという理由は全く知らないのです。
その理由があるなら、是非教えてもらいたいものだと思います。

 「完全玄米菜食」の本をすすめながら「こだわるな」とはどういうことなのでしょうか。
やれと言うのか、やるなと言うのか……まさにそこに指導者のジレンマがあるはずなのです。
そして、こだわらせてしまったのは誰なのか、ということなのです。
白米は粕だ、白砂糖は毒だ、魚は血を汚す、果物や生野菜は体を冷やすからだめ……豆腐は頭を冷やすもので食べ物ではない。
こんなことを言われたら、誰だってこだわるようになってしまうのではないでしょうか。


生意気かも知れませんが


 しかし実に不思議なことですが、その食事(完全玄米菜食)そのものについて疑問を持つ人はほとんどいないのです。
そこに食生活(食事療法)の特殊性があるように思います。
わかりやすく言えば資格の問題はともかくとして、手術や注射、鍼、手技療法を見様見真似で行なう人はほとんどいないと思います。
しかし、食生活の指導というはしょせん言葉だけなのです。
そこに、たくさんの指導者が誕生する背景があります。

 また、医師や鍼灸師、ヨーガ指導者、民間療法の指導者の場合にも、「その場で患者さんを楽にする」方法については時間をかけて 勉強しても、食生活についてはほとんど勉強していない場合が多いのです。
従ってほとんどは現代栄養教育の問題点にも気がつかず、「バランスをとりなさい」という言葉を繰り返すだけか、逆に疑問を持った人は、その正反対ともいうべき考え方、玄米菜食に興味を持ってしまいます。
実際に私自身もそうでしたが、「黒から白」であること、反栄養教育 であることの心地よさに酔っていたような気がしてならないのです
そして「陰陽表」さえ手にすれば、それなりの指導ができてしまうのです。
そして自ら実践してみると体調もよくなるのです。
人にすすめてみても非常に調子がよくなる場合が多いのです。
(しかし、 いつまでも、誰に対してでもそれでよいのか……という疑問は持たないようです) 疑問を持つ前に指導者になってしまうようです。
その結果、食生活における絶対的真理を知ってしまうことになります。

 もはやまったく疑いのない「自然の法則」「宇宙の真理」を知ってしまった指導者(マクロビアン)が誕生することになります。
そして、今でも続々と誕生しているのです。
もし自分が酔っていることに気がついていれば、少なくとも故日野厚先生、故馬淵通夫先生、飯野節男先生、河内省一先生、甲田光雄先生などが書いた本に出会っているはずなのです。
それらの先生は細かいところでは主張が違っても、玄米完全菜食運動に対してその問題点を書いているからです。
しかも、これらの先生が書いた本は一般の書店で容易に見つけることが可能な本なのです。

 絶対的な真理を知ってしまった人たちからすれば、そのような異説を唱える先生たちは邪食によって判断力が鈍っているということになるのだと思います。

 まさに、そこにあるのは教条主義(権威者の述べた事を鵜呑みにする融通のきかない公式主義)以外の何者でもないのです。

 最後に……  

食物の生産にもっとも関係が深いのは風土である。 
人間は獣肉と魚肉とのいずれかを欲するかに従って畜か漁業かのいずれかを
選んだわけではない。
風土的に牧畜か漁業かが決定せられているゆえに、獣肉か魚肉かが欲せられ
るに至ったのである。 
''同様に菜食か肉食を決定したものもまた、菜食主義者に見られるようなイ
デオロギーではなくして風土である''。

(和辻哲郎著『風土』より) 



 エスキモーにとっては肉食が自然な食生活であり、遊牧民にとってはラクダの乳が自然な食生活なのかも知れません。
まさに、FOOD=風土が決めるものなのではないでしょうか?


玄米正食批判試論〈終わり〉

hisanoyu dharmaya secondlife

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