このページは、按摩その他についての雑記を残すページ。~ メモ程度のもの、未整理なもの等、一時保管場所。~ ~ #contents ~ *医療関連年表 [#i8996a6a] 医療に関する歴史をおさらい中。~ ~ -明治元年 1868 神仏分離令 -明治 6年 1873 憑祈祷狐下げ等の禁止 --梓巫市子憑祈祷狐下等禁止(教部省第二号)第三十八号(明治6年1月)教部省~ 従来梓巫市子并憑祈祷狐下け抔と相唱玉占口寄等之所業を以人民を眩惑せしめ候儀、自今一切被禁止候、条於各地方官此旨相心得管内取締方厳重可相立事 ---梓=梓弓。弓による祈祷、破邪。(鳴弦と同じか)~ 巫および市子=巫女。~ 狐下げ=稲荷下げ。 -明治 7年 1874 「医制」発布 -明治 7年 1874 禁厭祈祷をもって医薬を妨げること禁止 --第百四十三号~ 禁厭祈祷の儀は神官僧侶の外不相成候処、平人にして神仏を敬礼するの余り従前の弊習に因り妄りに諸人の請求に応じ禁厭祈祷し、甚しきは神下げと唱え妄誕を造り、或は神仏の夢想と唱え薬剤を施し、又之を売り且病者へ薬法を指図する等の者有之哉に相聞え以之外之事に候、向後右体の所業致候者は勿論右に類似し神仏信仰を口実にして他人を誑惑し信施を受る等の者有之に於ては屹度所置申付候条心得違無之様可致事 -明治11年 1878 「洋漢の脚気角力」事件 西洋医学vs皇漢医学 -明治15年 1882 祭祀と宗教の分離 国家神道成立 -明治15年 1882 「禁厭祈祷は医師診断施療中の者に限る」達 -明治16年 1883 医師免許規則、医師開業試験規則が制定 -明治18年 1885 「入歯歯抜口中療治接骨取締方」発布(接骨の禁止令) -明治39年 1906 「医師法」「歯科医師法」制定 -明治44年 1911 「按摩術営業取締規則」「鍼灸術営業取締規則」制定 -大正 9年 1920 内務省令・按摩術営業取締規則改正により、柔道整復師の身分確定 -昭和 5年 1930 警視庁「療術行為に関する取締規則」 --第一条 本令に於て療術行為と称するは、他の法令に於て認められたる資格を有し、其の範囲内に於て為す診療又は施術を除くの外、疾病の治療又は保健の目的を以て光、熱、器械、器具其他の物を使用し、若しくは応用し又は四肢を運用して他人に施術を為すを謂う -昭和20年 1945 敗戦 -昭和21年 1946 日本国憲法公布 -昭和22年 1947 「あん摩・はり・きゅう、柔道整復術営業法」制定 -昭和45年 1970 柔道整復師法施行令 ~ *メモ [#aa75dc63] 2006-02-22 (水) 08:47:51~ ~ 今朝見た夢。~ 夢分流(腹診&打鍼が特徴の流派)の先生と技術交換する夢。~ 「ぼく、鍼は興味ないですからいいですよ」と断るも、かなりしつこく親しげにつきまとわれる。~ 断りつつ、内心少し興味を持ちはじめる、という夢。~ ~ 按腹もあまり興味がなく、まして打鍼の夢分流なんかは、ぼくの守備範囲じゃないと思っていたけれど。~ 起きてすぐ「夢分流」で検索してみたり。(^^ゞ~ ~ 按腹や夢分流も、ちょっと勉強してみよかしら。~ ~ *極私的按摩心得 [#ndafde9d] -他者の体を操作したり、矯正しないこと。 -自己と同様に尊厳を持つ相手の存在(体)には、謙虚に繊細に、尋ねるように触れることしか出来ない、という基本的原則を忘れずに。 -操作、矯正しようと触れる時相手の体は身構える、という以前に、自身が身構えていることを理解する。 -「私は、自身はおろか相手のことも体のことも、何ひとつ知りはしないのだ」。 -知ること(体感的に)はそれだけで歓びであり、知らないということは歓びの源。 -”触れる”ということは、身体的、心理的、エネルギー的コミュニュケーションであるということを忘れずに。 -コミュニケーションとは、”知らない”が知り合うということ。 -凝り、澱みは、”ほぐす”ものではなく、自ずと”ほぐれる”もの。 -体の感覚が鈍く、または感覚なくなれば、その部は澱み、硬くなる。 -体の感覚が目覚め、よみがえれば、その部は流れ、生き生きと柔らかくなり、繊細になる。 -日常、気付いた時には全身の感覚を拡げよう。(施術中はいうに及ばず) -体は決して物ではなく、心が物質化したものであると感じてみる。 -触れる密度は感覚の繊細さに左右され、触れる密度が増すほど周りを包む空間の密度も濃厚となり、同時に浸透度も増している。 -密度、浸透度の濃密さは、触れられている対象の感覚回復度に直に影響する。 -無垢なまま触れ、無防備さに安住すること。 -防御や虚勢、権威性は、感覚を眠らせる格好の条件。 *按摩覚書 [#l7f1db3f] -皮膚 --皮膚や皮下組織の触感は、オイルやタルク(パウダー)を介在させると著しく感覚出来なくなる --皮膚に直接触れても感覚出来るが、衣服の上から、または日本手ぬぐいの上から触れた方が圧倒的に感覚しやすい --皮膚は自己と外界を隔てる最終地点 --皮膚は自己と外界を繋ぐ入り口 --外界に対して開いている皮膚や皮下組織について ---生き生きとして弾力があり瑞々しい ---振動や振幅が繊細で幅広い ---瑞々しさは蒸気のように体外に拡がっており、常に外界と感覚的に交流している --外界に対して閉じている皮膚や皮下組織について ---弾力がなく澱んでいる(触感は売っている食肉=死んだ肉に近い) ---振動や振幅が粗く狭い ---外界との交流、接点がなく、閉塞している ~ -指揉み --全身を開放した状態で行う ---全身がくつろいでいる ---特に身体内部に無駄な緊張が無く、中空であること ---リズミカルな揺れと共に、全身の皮膚が揺れているのを感じながら ---皮膚の揺れや感覚は、同時に皮膚を包む空間の濃度も感じられる ---脱力はしているが、大地から頭上まで身体の中心軸は通っている ---リズミカルな揺れと共に、身体内部の中心軸に沿って揺れの響きが、足底〜膝 の内側〜骨盤底〜丹田〜鳩尾〜胸〜胸骨〜首〜頭蓋底〜眉間〜頭頂、と、下から順に感じられる --練習になると思われる瞑想、ワーク ---OSHOクンダリーニ瞑想(第1ステージの身体のシェイクは、ほぼ指揉みと同様な状態。クンダリーニ瞑想の自由で内発的なシェイクは、指揉みでは敢えて表現せずにフィーリングや体感覚として受容する。) ---OSHOチャクラ・ブリージング瞑想(各中枢への深く激しく呼吸は中心軸の体感を容易にする。また、呼吸に伴う情動の理解及び中枢位置の高さにより異なる意識状態の理解にも繋がる。) ---ゆる体操(高岡秀夫氏が開発したワーク。立った状態で、皮膚、筋肉、内臓、骨をゆるめる優れたワーク。全身の感覚開発に有効。特に軸タンブリングは、そのままひとりでの指揉みの練習に最適。) ~ *按摩さんのいる風景・待合い所 [#z0e5042c] --[[ふるさと坂下−四ッ針検校>http://www.takenet.or.jp/~ryuuji/saka/furusato/211.html]] --[[明治年間流行唄>http://www.konan-wu.ac.jp/~kikuchi/kayo/meiryu.html]] >よさこい節(明治三年頃)~ 【本唄】土佐の高知の播磨屋橋で、坊さん簪(かんざし)を買ふを見た、ヨサコイ/\、坊さん簪買ふのはよけれども、按摩さん眼鏡を買ひに来た、コリヤヨサコイ/\。(安政五年) --ことわざ([[池上本門寺山主のことば>http://www.honmonji.or.jp/05topic/04sansyu/rireki/1409.html]]) >「秋刀魚がでると按摩が引っこむ」~ 脂肪・カルシウム・ビタミンの豊富な秋刀魚を食べると、モリモリと活力が湧いてくる。いつもだったら按摩(マッサージ)さんに腰の一つも揉んで貰いたいところなのだが、秋刀魚のお陰で体調がよく、按摩さんを忘れるほどだ−と、いったところか。~