このページは、按摩その他についての雑記を残すページ。
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極私的按摩心得 †
- 自己と同様に尊厳を持つ相手の存在(体)には、謙虚に繊細に、尋ねるように触れることしか出来ない、という基本的原則を忘れずに。
- 操作、矯正しようと触れる時相手の体は身構える、という以前に、自身が身構えていることを理解する。
- 「私は、自身はおろか相手のことも体のことも、何ひとつ知りはしないのだ」。
- 知ること(体感的に)はそれだけで歓びであり、知らないということは歓びの源。
- ”触れる”ということは、身体的、心理的、エネルギー的コミュニュケーションであるということを忘れずに。
- コミュニケーションとは、”知らない”が知り合うということ。
- 凝り、澱みは、”ほぐす”ものではなく、自ずと”ほぐれる”もの。
- 体の感覚が鈍く、または感覚なくなれば、その部は澱み、硬くなる。
- 体の感覚が目覚め、よみがえれば、その部は流れ、生き生きと柔らかくなり、繊細になる。
- 日常、気付いた時には全身の感覚を拡げよう。(施術中はいうに及ばず)
- 体は決して物ではなく、心が物質化したものであると感じてみる。
- 触れる密度は感覚の繊細さに左右され、触れる密度が増すほど周りを包む空間の密度も濃厚となり、同時に浸透度も増している。
- 密度、浸透度の濃密さは、触れられている対象の感覚回復度に直に影響する。
按摩覚書 †
- 皮膚
- 皮膚や皮下組織の触感は、オイルやタルク(パウダー)を介在させると著しく感覚出来なくなる
- 皮膚に直接触れても感覚出来るが、衣服の上から、または日本手ぬぐいの上から触れた方が圧倒的に感覚しやすい
- 皮膚は自己と外界を隔てる最終地点
- 皮膚は自己と外界を繋ぐ入り口
- 外界に対して開いている皮膚や皮下組織について
- 生き生きとして弾力があり瑞々しい
- 振動や振幅が繊細で幅広い
- 瑞々しさは蒸気のように体外に拡がっており、常に外界と感覚的に交流している
- 外界に対して閉じている皮膚や皮下組織について
- 弾力がなく澱んでいる(触感は売っている食肉=死んだ肉に近い)
- 振動や振幅が粗く狭い
- 外界との交流、接点がなく、閉塞している
- 明治年間流行唄
よさこい節(明治三年頃)
【本唄】土佐の高知の播磨屋橋で、坊さん簪(かんざし)を買ふを見た、ヨサコイ/\、坊さん簪買ふのはよけれども、按摩さん眼鏡を買ひに来た、コリヤヨサコイ/\。(安政五年)
- ことわざ(池上本門寺山主のことば)
「秋刀魚がでると按摩が引っこむ」
脂肪・カルシウム・ビタミンの豊富な秋刀魚を食べると、モリモリと活力が湧いてくる。いつもだったら按摩(マッサージ)さんに腰の一つも揉んで貰いたいところなのだが、秋刀魚のお陰で体調がよく、按摩さんを忘れるほどだ−と、いったところか。