小説その他著作の中に登場する按摩さん。
そんな文章を集めてみようと思います。
「青空文庫」というオンライン電子図書館があり、作者の死後50年を経て著作権の消滅した作品と、著作権者が「タダで読んでもらってかまわない」と判断したものがおさめられています。
この中で、作者の死後50年を経て著作権の消滅した作品=昭和初期以前の著作が収集する対象になるかと思います。
フィクションやノンフィクション、様々な風景の中に登場する按摩さん。
ぼくたちの知らない、または忘れてしまった風景や空気。
そんな中に、按摩という技術の根本があるのではないか、と思うのです。
※テキストは読みやすいように、一部改行や文字修飾している部分があります。
- 大島行きの紀行文。全五信中第二信の一部を抜粋。
作者が大島を訪れたのは昭和8年(1933)だったらしいです。
ぼくが大島の近く、式根島に按摩さんとして行ったのは昭和60年(1985)頃。
勤めていた鍼灸院から派遣されて、夏の間1〜2週間行った時。
当時、式根島には常駐の按摩さんがひとりもおらず、けっこう忙しく仕事をした記憶があります。
島の人に聞いたところによると、大島には数人按摩さんいるとか。
今はどんな状況なのでしょう。
ちなみに、現在の大島の人口9800人、式根島は600人。
やはり式根島には、今でも常駐の按摩さんはいないかも。
- 真景累ヶ淵は圓朝21歳(1859(安政6)年)の作といわれる怪談噺。
全九十七段中、第六段、第七段から一部抜粋。
はなしは深見新左衛門が借りた金を返せずに、盲の鍼医金貸し皆川宗悦を殺害するのが発端。
抜粋した箇所は、新左衛門が宗悦を殺害後それが念頭から離れない奥方がさしこみ、癪の類となるを、通りがかりの按摩の鍼治で軽減、数日間治療を受けるが五日後の最後の鳩尾への刺鍼にて、刺鍼部がただれ痛み苦しむことに。
当の按摩を探すも見つからず、ようやく探し当てたと思った按摩は別人。
仕方なく新左衛門自身が按摩を受けるが、しばらくしてその按摩が先年自らが殺した宗悦と化し思わず斬りつける新左衛門。
と、我に返ってみれば斬りつけたのは実は奥方であった、というくだり。
江戸時代、杉山和一により世界初の盲人教育機関「杉山流鍼治導引稽古所」が開かれました。
この「杉山流鍼治導引稽古所」により按摩・鍼が盲人の職業として確立しましたが、同時期幕府の盲人保護政策として高利貸しが認められており、金を高利で貸し付け取り立ても厳しかったため、評判のよくない盲人も多かったようです。
噺中、奥方の「さしこみ」「癪」は、宗悦殺害を気に病んでいたとありますから現代でいう神経性胃炎でしょうか。
鳩尾への刺鍼が痛みただれる訳ですが、それを按摩が「お動じでございます、鍼が験(きゝ)ましたのでございますから」と解説(言い訳か?)するのが渋いです。
ちなみに、「動」「動じる」とは、気が巡っていなかったものが巡り出す様をあらわしています。