#freeze
 小説その他著作の中に登場する按摩さん。~
 そんな文章を集めてみようと思います。~
 「[[青空文庫>http://www.aozora.gr.jp/]]」というオンライン電子図書館があり、作者の死後50年を経て著作権の消滅した作品と、著作権者が「タダで読んでもらってかまわない」と判断したものがおさめられています。~
 この中で、作者の死後50年を経て著作権の消滅した作品=昭和初期以前の著作が収集する対象になるかと思います。~
 -2006-01-20 (金) 17:30:29 按摩に関する資料として著作権が切れていない著作でも「引用」程度ならば許容されるのでは、などと思い付き、上記著作以外からでも引用はしていこうと思っています。~
 
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 フィクションやノンフィクション、様々な風景の中に登場する按摩さん。~
 ぼくたちの知らない、または忘れてしまった風景や空気。~
 そんな中に、按摩という技術の根本があるのではないか、と思うのです。~
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 *テキストは読みやすいように、一部改行や文字修飾している部分があります。
 ※テキストは読みやすいように、一部改行や文字修飾している部分があります。
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 #contents
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 *「大島行」林芙美子 →[[青空文庫内元テキスト>http://www.aozora.gr.jp/cards/000291/files/4647_15558.html]] [#kd2bf4a9]
 **[[「大島行」林芙美子]] [#l87dc0a0]
 --大島行きの紀行文。全五信中第二信の一部を抜粋。~
 作者が大島を訪れたのは昭和8年(1933)だったらしいです。~
 ぼくが大島の近く、式根島に按摩さんとして行ったのは昭和60年(1985)頃。~
 勤めていた鍼灸院から派遣されて、夏の間1〜2週間行った時。~
 当時、式根島には常駐の按摩さんがひとりもおらず、けっこう忙しく仕事をした記憶があります。~
 島の人に聞いたところによると、大島には数人按摩さんいるとか。~
 今はどんな状況なのでしょう。~
 ちなみに、現在の大島の人口9800人、式根島は600人。~
 やはり式根島には、今でも常駐の按摩さんはいないかも。~
 **[[「真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)」三遊亭圓朝 鈴木行三校訂編纂]] [#n77853c4]
 --真景累ヶ淵は圓朝21歳(1859(安政6)年)の作といわれる怪談噺。~
 全九十七段中、第六段、第七段から一部抜粋。~
 はなしは深見新左衛門が借りた金を返せずに、盲の鍼医金貸し皆川宗悦を殺害するのが発端。~
 抜粋した箇所は、新左衛門が宗悦を殺害後それが念頭から離れない奥方がさしこみ、癪の類となるを、通りがかりの按摩の鍼治で軽減、数日間治療を受けるが五日後の最後の鳩尾への刺鍼にて、刺鍼部がただれ痛み苦しむことに。~
 当の按摩を探すも見つからず、ようやく探し当てたと思った按摩は別人。~
 仕方なく新左衛門自身が按摩を受けるが、しばらくしてその按摩が先年自らが殺した宗悦と化し思わず斬りつける新左衛門。~
 と、我に返ってみれば斬りつけたのは実は奥方であった、というくだり。~
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 ''二信''~
 江戸時代、杉山和一により世界初の盲人教育機関「杉山流鍼治導引稽古所」が開かれました。~
 この「杉山流鍼治導引稽古所」により按摩・鍼が盲人の職業として確立しましたが、同時期幕府の盲人保護政策として高利貸しが認められており、金を高利で貸し付け取り立ても厳しかったため、評判のよくない盲人も多かったようです。~
 噺中、奥方の「さしこみ」「癪」は、宗悦殺害を気に病んでいたとありますから現代でいう神経性胃炎でしょうか。~
 鳩尾への刺鍼が痛みただれる訳ですが、それを按摩が「お動じでございます、鍼が験(きゝ)ましたのでございますから」と解説(言い訳か?)するのが渋いです。~
 ちなみに、「動」「動じる」とは、気が巡っていなかったものが巡り出す様をあらわしています。~
 **[[「怨霊借用」泉鏡花]] [#neaf2cea]
 **[[「歌行燈」泉鏡花]] [#b9e5437d]
 --泉鏡花の小説には、本当に按摩さんがよく登場します。~
 中でも一番好きなのがこの「歌行燈」。~
 幻想的な情景描写と文章のリズムが好きです。~
 十一段はじめ。~
 「「飛んだ事をおっしゃりませ、田舎でも、これでも、長年年期を入れました杉山流のものでござります。鳩尾(きゅうび)に鍼(はり)をお打たせになりましても、決して間違いのあるようなものではござりませぬ。」と呆あきれたように、按摩の剥むく目は蒼(あお)かりけり。」~
 按摩の流派では、盲人の杉山(和一)流、晴眼者の吉田(久庵)流が有名です。~
 ぼくは吉田流を伝える数少ない鍼灸学校卒ですが、吉田流特有の”線状揉み”が嫌いです。(^^; いいのか、そんなこと言って~
 十段の最後あたりの按摩さんのセリフ。~
 「「ええ、その気で、念入りに一ツ、掴(つかま)りましょうで。」と我が手を握って、拉ひしぐように、ぐいと揉もんだ。」~
 この「掴まる」という表現ですが、別の小説でも見たことがあります。~
 江戸当時、揉むことを掴まるとも表現していたのでしょうね。~
 **[[「吾輩は猫である」夏目漱石]] [#x5599e88]
 --皆さまご存じ夏目漱石「吾輩は猫である」の中の、ほんの一部を抜粋。~
 「胃病は古法按摩皆川流で根治出来る」、そんなはじまりの話。~
 ひょっとしら皆川流という古法按摩が存在するのかと、検索してみましたが見つからず。~
 検索でヒットしたのは、すべて「吾輩は猫である」掲載サイトでしたとさ。(^^;~
 **[[「詩集(1)初期詩篇」小熊秀雄]] [#vc3b9c19]
 --小熊秀雄。詩人、小説家。明治34年-昭和15年(1901-1940)。北海道小樽生。~
 漁師、農夫等を遍歴し、新聞記者歴もあり。~
 ここで抜粋した一編は、「按摩の笛」が情景をよく表している感じがし、好きな詩です。~
 ぼく自身は、リアルタイムで按摩の笛を聞いたことはないです。(映画やドラマのみ)~
 実際に按摩笛を聞いたことのある人は、一体どの時期ぐらいまでなのでしょうか。~
 昭和の時代でも笛の音は流れていたのでしょうか。~
 **[[「東京に暮らす 1928-1936」キャサリン・サンソム/著 大久保美春/訳]] [#mf558e15]
 --キャサリン・サンソム。明治16年-昭和56年(1883-1981)。~
 夫である英国外交官ジョージ・サンソムとともに昭和3年〜11年まで日本に滞在。~
 昭和11年(1937)ロンドンで出版。~
 本書は、日本に好意的でかつ適度に客観的に書かれていて読みやすい本。~
 昭和初期の日本は、、、、もう既になくなってしまったものが多いかも知れません。~
 「東洋の方が西洋よりも優れていることがたくさんありますが、マッサージの習慣もその一つです。日本では入浴の一部になっており、誰でもやってもらっています。一軒の家にはマッサージの上手な人が必ず一人はいます。」~
 著者は東洋が西洋よりも優れている点としてマッサージの習慣をあげていますが、マッサージの習慣よりそのマッサージの質が東洋の方が優れているのだとぼくは思っています。~
 これは、インドで西洋人に混じってボディーワークのトレーニングを受けた時に実感したことです。~
 もちろん個人差はありますが、総じて個人主義の強い西洋人よりも東洋人の方が相手の体への触れ方がより繊細で尊重心に溢れていると感じました。~
 ですが、様々な点で欧米化するまたは欧米化した日本の生活や文化形態の中で、著者のいう「優れているもの」はなくなりつつあるかも知れません。~
 少なくても「マッサージの習慣」は既にないですよね。~
 **[[「東京人の堕落時代」杉山萠圓(夢野久作)]] [#k89f871a]
 -- 夢野久作。明治22年-昭和11年(1889-1936)。~
 「東京人の堕落時代」の初出は「九州日報」大正14年(1925)。~
 大正12年の関東大震災直後、「九州日報」に「変った東京の姿」「東京震災スケッチ」といった記事を書き、引き続き「震災一年後の東京」「一年後の東京」、長編ルポ「街頭から見た新東京の裏面」を発表、震災から2年後の大正14年に書かれたのがこの「東京人の堕落時代」。~
 ここではその中の2編を抜粋。~
 **[[信仰餘賦「小星」葛巻星淵]] [#n82d3db9]
 --「&ruby(いささぼし){小星};」&ruby(くずまきせいえん){葛巻星淵};/著。宗教詩集。明治37年。~
 「乙女按摩」のみ抜粋。~
 こういった文体、文章のリズムが大好きです。~
 **小林一茶 [#ef0ed0bf]
 --小林一茶。宝暦13年-文政10年(1763-1827)。江戸時代の俳人。
 ---笛ぴいぴい杖もかちかち冬の月
 **古歌 [#k63527fc]
 --「按腹図解」~
 明治20年復刻版を昭和16年に総合療法相談所が復刻、重ねて昭和61年谷口書店が復刻した書中の欄外記事。昭和16年復刻版時の記述と思われる。
 ---すくなひこなのにが手にて~
 なでればおちるどくのむし~
 おせばなくなる病のちしほ~
 おりよさがれよいではやく 
 **「うしのよだれ」 [#hcf92105]
 --日本で最初の人類学者・坪井正五郎の笑話随筆集『自然滑稽 うしのよだれ』。~
 明治42年~
 ---按摩の笛~
 按摩が笛を吹いて歩いて居るのを目撃した西洋人曰く~
 「日本では盲人が一人で歩く時には他人に突き当たる事を防ぐ為に注意の笛を吹く」~
 
 ~
 ……略……~
 ~
 同じ宿に泊るのもつまらないので、勘定を濟ませて、舶着場で宿を探がしてみました。~
 「どこか風景のいゝ海の見える宿はないでせうか」~
 土産物を賣る家で、五錢の牛乳を飮みながら話すと、~
 「どうもおひとりでは、部屋がふさがつてもうけにもならないのでこゝでは厭がりますが、少しお出しになればいゝでせう」~
 と云ふ事で、船着場近かくの海氣館と云ふのに泊る。~
 ~
 三原館よりはましでせう。~
 一望にして海が見えました。~
 水が不自由なところなので、風呂も牛乳風呂とかで這入つて氣味が惡い。~
 夕食は湯豆腐が出て驚いてしまひました。~
 これで參圓五拾錢です。~
 雨にたゝられたと云ふかたちです。~
 ~
 樂しみがないので、按摩を呼んで貰つたのですが、これが八十歳とかになるお爺さんで、休みながら揉んでくれるのです。~
 どうも應へないのですが、此爺さんの話はとても面白いので、途中何度か休んで煙草を吸つて貰らひながら揉んでもらひました。~
 ~
 「私は二十八の時、荷物船に乘つて、靜岡から出たので厶(ござ)いますが、二日目に嵐でもつてあなた途中房州の布良汐(めらじを)と云ふところに流されて、三日目にやつと、大島の元村へ着いたので厶いますよ。當世ぢやァお客樣ばつかり乘せる船が出て便利になつたもので厶いますねえ」~
 「便利は便利だけど、元村と云ふところは少し荒(す)さんでますよ」~
 「えゝもう進んだもので厶いますよ、電氣もついてゐるので厶いますから」~
 ~
 で、私は苦笑しながら、子供のやうな此お爺さんの生活を訊いてみますと、息子が東京にゐるのですが、住所も判らず、晝は各村々の官主か何かに頼まれ、夜は按摩をするのだと云つてゐました。~
 「官主をしながら按摩をすると云へばをかしゆう厶いますが、これでも人樣に迷惑をかけず、自活をしてをるので厶いますからへえ、百姓も少しはやつてをりますが、官主をしてをりますので下肥(しもごえ)だけはいらはない事にしてをります。……淋しいもンで厶いますよ……」~
 ~
 此按摩は繁太郎と云ふのださうです。~
 生れて始めて私は此樣に長命な按摩さんに肩を揉んで貰つたので長生きするだらうと思つてをります。~
 ~
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 底本:「現代日本紀行文学全集 東日本編」ほるぷ出版~
    1976(昭和51)年8月1日初版発行~
 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。~
 入力:林 幸雄~
 校正:松永正敏~
 2004年5月1日作成~
 青空文庫作成ファイル:~
 一部抜粋~
 
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 *「真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)」三遊亭圓朝 鈴木行三校訂編纂 →[[青空文庫内元テキスト>http://www.aozora.gr.jp/cards/000989/files/350.html]]  [#ye4c5fdd]
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 ''新''「困っても仕方がない、何か、さしこみには近辺の鍼医(はりい)を呼べ、鍼医を」~
 と云うと、丁度戸外(おもて)にピー、と按摩(あんま)の笛、~
 ''新''「おゝ/\丁度按摩が通るようだ、素人(しろうと)療治ではいかんから彼(あ)れを呼べ/\」~
 ''勘''「ヘエ」~
 と按摩を呼入れて見ると、怪し気(げ)なる黒の羽織を着て、~
 ''按摩''「宜(よろ)しゅう私(わたくし)が鍼をいたしましょう、鍼はお癪気(しゃくき)には宜しゅうございます」~
 というので鍼を致しますと、~
 ''奥方''「誠に好(よ)い心持に治まりがついたから何卒(どうぞ)明日(あす)の晩も来て呉れ」~
 と戸外を通る揉療治ではありますが、一時凌(いっときしの)ぎに其の後(のち)五日ばかり続いて参ります。~
 すると一番しまいの日に一本打ちました鍼が、何(ど)う云うことかひどく痛いことでございましたが、是は鍼に動ずると云うので、~
 ''奥方''「あゝ痛(いた)、アいたタ」~
 ''按摩''「大層お痛みでございますか」~
 ''奥方''「はいあゝ甚(ひど)く痛い、今迄斯(こ)んなに痛いと思った事は無かったが、誠に此の鳩尾(みずおち)の所に打たれたのが立割られたようで」~
 ''按摩''「ナニそれはお動じでございます、鍼が験(きゝ)ましたのでございますから御心配はございません、イエまア又明晩も参りましょうか」~
 ''奥方''「はい、もう二三日鍼は止(や)めましょう、鍼はひどく痛いから」~
 ''按摩''「直(じ)き癒(なお)ります、鍼が折れ込んだ訳でもないので、少しお動じですからナ、左様なら御機嫌よろしゅう」~
 と僅(わずか)の療治代を貰って帰りました。すると奥方は鍼を致した鳩尾の所が段々痛み出し、遂には爛(ただ)れて鍼を打った口からジク/\と水が出るようで、猶更(なおさら)苦しみが増します。~
 ~
         七~
 ~
 新左衞門様は立腹して、~
 ''新''「どうも怪(け)しからん鍼医だ、鍼を打ってその穴から水が出るなんという事は無い訳で、堀抜井戸(ほりぬきいど)じゃア有るまいし、痴呆(たわけ)た話だ、全体何(ど)う云うものかあれ限(ぎ)り来ませんナ」~
 ''勘''「奥方がもう来ないで宜(よ)いと仰しゃいましたから」~
 ''新''「間(ま)が悪いから来ないに違いない、不埓至極な奴だ、今夜でも見たら呼べ」~
 と云われたから待って居りましたが、それぎり鍼医は参りません。~
 すると十二月の二十日の夜(よ)に、ピイー/\、と戸外(おもて)を通ります。~
 ''新''「アヽあれ/\笛が聞える、あれを呼べ、勘藏呼んで来い」~
 ''勘''「ハイ」~
 と駈出して按摩の手を取って連れて来て見ると、前の按摩とは違い、年をとって痩(やせ)こけた按摩。~
 ''新''「何(なん)だこれじゃア有るまい、勘藏違って居(お)るぞ」~
 ''按摩''「ヘエお療治を致しますか」~
 ''新''「何だ汝(てまえ)ではなかった、違った」~
 ''按摩''「左様で、それはお生憎(あいにく)様でございますが何卒(どうぞ)お療治を」~
 ''新''「これ/\貴様鍼をいたすか」~
 ''按摩''「私(わたくし)は俄盲人(にわかめくら)でございまして鍼は出来ません」~
 ''新''「じゃア致方(いたしかた)が無い、按腹(あんぷく)は」~
 ''按摩''「療治も馴れません事で中々上手に揉みます事は出来ませんが、丈夫な方ならば少しは揉めます」~
 ''新''「何の事だ病人を揉む事はいかぬか、それは何にもならぬナ、でも呼んだものだから、勘藏、これ、何処(どこ)へ行って居るかナ、じゃア、まア折角呼んだものだからおれの肩を少し揉め」~
 ''按摩''「ヘエ誠に馴れませんから、何処が悪いと仰しゃって下さい、経絡(けいらく)が分りませんから、こゝを揉めと仰しゃれば揉みます」~
 と後(うしろ)へ廻って探り療治を致しまするうち、奥方が側に居て、~
 ''奥方''「アヽ痛(いた)、アヽ痛」~
 ''新''「そう何(ど)うもヒイ/\云っては困りますね、お前我慢が出来ませんか、武士の家に生れた者にも似合わぬ、痛い/\と云って我慢が出来ませんか、ウン/\然(そ)う悶えては却(かえ)って病に負けるから我慢して居なさい、アヽ痛、これ/\按摩待て、少し待て、アヽ痛い、成程此奴(こいつ)は何うもひどい下手だナ、汝(てまえ)は、エヽ骨の上などを揉む奴が有るものか、少しは考えて遣(や)れ、酷(ひど)く痛いワ、アヽ痛い堪(たま)らなく痛かった」~
 ''按摩''「ヘエお痛みでござりますか、痛いと仰しゃるがまだ/\中々斯(こ)んな事ではございませんからナ」~
 ''新''「何を、こんな事でないとは、是より痛くっては堪らん、筋骨に響く程痛かった」~
 ''按摩''「どうして貴方、まだ手の先で揉むのでございますから、痛いと云ってもたかが知れておりますが、貴方のお脇差でこの左の肩から乳の処まで斯(こ)う斬下げられました時の苦しみはこんな事では有りませんからナ」~
 ''新''「エ、ナニ」~
 と振返って見ると、先年手打にした盲人(もうじん)宗悦が、骨と皮許(ばか)りに痩せた手を膝にして、恨めしそうに見えぬ眼を斑(まだら)に開いて、斯う乗出した時は、深見新左衞門は酒の酔(えい)も醒(さ)め、ゾッと総毛だって、怖い紛れに側にあった一刀をとって、~
 ''新''「己(おの)れ参ったか」~
 と力に任(まか)して斬りつけると、~
 ''按摩''「アッ」~
 と云うその声に驚きまして、門番の勘藏が駈出して来て見ると、宗悦と思いの外(ほか)奥方の肩先深く斬りつけましたから、奥方は七転八倒の苦しみ、~
 ''新''「ア、彼(あ)の按摩は」~
 と見るともう按摩の影はありません。
 ~
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 底本:「圓朝全集 巻の一」近代文芸資料複刻叢書、世界文庫~
    1963(昭和38)年6月10日発行~
 底本の親本:「圓朝全集巻の一」春陽堂~
    1925(大正15)年9月3日発行~
 ※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。~
 ただし、話芸の速記を元にした底本の特徴を残すために、繰り返し記号は原則としてそのまま用いました。同の字点「々」と同様に用いられている二の字点(漢数字の「二」を一筆書きにしたような形の繰り返し記号)は、「々」にかえました。~
 また、総ルビの底本から、振り仮名の一部を省きました。~
 底本中ではばらばらに用いられている、「其の」と「其」、「此の」と「此」、「彼(あ)の」と「彼(あの)」は、それぞれ「其の」「此の」「彼の」に統一しました。~
 また、底本中では改行されていませんが、会話文の前後で段落をあらため、会話文の終わりを示す句読点は、受けのかぎ括弧にかえました。~
 ※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)~
 入力:小林 繁雄~
 校正:かとうかおり~
 ファイル作成:かとうかおり~
 2000年4月18日公開~
 青空文庫作成ファイル:~
 一部抜粋~
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 **[[「自由画稿」寺田寅彦]] [#yefa6b06]
 --寺田寅彦。明治11年-昭和10年(1878-1935)。物理学者、随筆家、俳人。~
 随筆集「自由画稿」から「灸治」を抜粋。~
 (灸関連なので、按摩やマッサージとは分けてみました。)~
 家伝名灸「片はしご」の記述が興味深いですが、痛みの種類を描写する、その感性が面白いです。~
 「乾性、あるいは男性的の痛さで少し肩に力を入れて力んでいればなんでもないが」は、たぶん表面的で鋭角的な痛み。~
 「痛さが湿性あるいは女性的になって、かゆいようなくすぐったいような泣きたいような痛さ」は、内部に染み通るようなどこかに響くような痛さだと思うのですが。~
 感覚的な人なのですね。~
 #br
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 RIGHT:&size(11){[[HP「町の按摩さん」>http://tao.main.jp/anmasan/]]  [[「町の按摩さんblog」>http://anma.air-nifty.com/anma/]]  [[「キャラネティクス&チベット体操日記」>http://callanetics.seesaa.net/]]};
 #br

hisanoyu dharmaya secondlife

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