按摩さんのいる風景
青空文庫内元テキスト

一部抜粋

「困っても仕方がない、何か、さしこみには近辺の鍼医(はりい)を呼べ、鍼医を」
と云うと、丁度戸外(おもて)にピー、と按摩(あんま)の笛、
「おゝ/\丁度按摩が通るようだ、素人(しろうと)療治ではいかんから彼(あ)れを呼べ/\」
「ヘエ」
と按摩を呼入れて見ると、怪し気(げ)なる黒の羽織を着て、
按摩「宜(よろ)しゅう私(わたくし)が鍼をいたしましょう、鍼はお癪気(しゃくき)には宜しゅうございます」
というので鍼を致しますと、
奥方「誠に好(よ)い心持に治まりがついたから何卒(どうぞ)明日(あす)の晩も来て呉れ」
と戸外を通る揉療治ではありますが、一時凌(いっときしの)ぎに其の後(のち)五日ばかり続いて参ります。
すると一番しまいの日に一本打ちました鍼が、何(ど)う云うことかひどく痛いことでございましたが、是は鍼に動ずると云うので、
奥方「あゝ痛(いた)、アいたタ」
按摩「大層お痛みでございますか」
奥方「はいあゝ甚(ひど)く痛い、今迄斯(こ)んなに痛いと思った事は無かったが、誠に此の鳩尾(みずおち)の所に打たれたのが立割られたようで」
按摩「ナニそれはお動じでございます、鍼が験(きゝ)ましたのでございますから御心配はございません、イエまア又明晩も参りましょうか」
奥方「はい、もう二三日鍼は止(や)めましょう、鍼はひどく痛いから」
按摩「直(じ)き癒(なお)ります、鍼が折れ込んだ訳でもないので、少しお動じですからナ、左様なら御機嫌よろしゅう」
と僅(わずか)の療治代を貰って帰りました。すると奥方は鍼を致した鳩尾の所が段々痛み出し、遂には爛(ただ)れて鍼を打った口からジク/\と水が出るようで、猶更(なおさら)苦しみが増します。

        七

新左衞門様は立腹して、
「どうも怪(け)しからん鍼医だ、鍼を打ってその穴から水が出るなんという事は無い訳で、堀抜井戸(ほりぬきいど)じゃア有るまいし、痴呆(たわけ)た話だ、全体何(ど)う云うものかあれ限(ぎ)り来ませんナ」
「奥方がもう来ないで宜(よ)いと仰しゃいましたから」
「間(ま)が悪いから来ないに違いない、不埓至極な奴だ、今夜でも見たら呼べ」
と云われたから待って居りましたが、それぎり鍼医は参りません。
すると十二月の二十日の夜(よ)に、ピイー/\、と戸外(おもて)を通ります。
「アヽあれ/\笛が聞える、あれを呼べ、勘藏呼んで来い」
「ハイ」
と駈出して按摩の手を取って連れて来て見ると、前の按摩とは違い、年をとって痩(やせ)こけた按摩。
「何(なん)だこれじゃア有るまい、勘藏違って居(お)るぞ」
按摩「ヘエお療治を致しますか」
「何だ汝(てまえ)ではなかった、違った」
按摩「左様で、それはお生憎(あいにく)様でございますが何卒(どうぞ)お療治を」
「これ/\貴様鍼をいたすか」
按摩「私(わたくし)は俄盲人(にわかめくら)でございまして鍼は出来ません」
「じゃア致方(いたしかた)が無い、按腹(あんぷく)は」
按摩「療治も馴れません事で中々上手に揉みます事は出来ませんが、丈夫な方ならば少しは揉めます」
「何の事だ病人を揉む事はいかぬか、それは何にもならぬナ、でも呼んだものだから、勘藏、これ、何処(どこ)へ行って居るかナ、じゃア、まア折角呼んだものだからおれの肩を少し揉め」
按摩「ヘエ誠に馴れませんから、何処が悪いと仰しゃって下さい、経絡(けいらく)が分りませんから、こゝを揉めと仰しゃれば揉みます」
と後(うしろ)へ廻って探り療治を致しまするうち、奥方が側に居て、
奥方「アヽ痛(いた)、アヽ痛」
「そう何(ど)うもヒイ/\云っては困りますね、お前我慢が出来ませんか、武士の家に生れた者にも似合わぬ、痛い/\と云って我慢が出来ませんか、ウン/\然(そ)う悶えては却(かえ)って病に負けるから我慢して居なさい、アヽ痛、これ/\按摩待て、少し待て、アヽ痛い、成程此奴(こいつ)は何うもひどい下手だナ、汝(てまえ)は、エヽ骨の上などを揉む奴が有るものか、少しは考えて遣(や)れ、酷(ひど)く痛いワ、アヽ痛い堪(たま)らなく痛かった」
按摩「ヘエお痛みでござりますか、痛いと仰しゃるがまだ/\中々斯(こ)んな事ではございませんからナ」
「何を、こんな事でないとは、是より痛くっては堪らん、筋骨に響く程痛かった」
按摩「どうして貴方、まだ手の先で揉むのでございますから、痛いと云ってもたかが知れておりますが、貴方のお脇差でこの左の肩から乳の処まで斯(こ)う斬下げられました時の苦しみはこんな事では有りませんからナ」
「エ、ナニ」
と振返って見ると、先年手打にした盲人(もうじん)宗悦が、骨と皮許(ばか)りに痩せた手を膝にして、恨めしそうに見えぬ眼を斑(まだら)に開いて、斯う乗出した時は、深見新左衞門は酒の酔(えい)も醒(さ)め、ゾッと総毛だって、怖い紛れに側にあった一刀をとって、
「己(おの)れ参ったか」
と力に任(まか)して斬りつけると、
按摩「アッ」
と云うその声に驚きまして、門番の勘藏が駈出して来て見ると、宗悦と思いの外(ほか)奥方の肩先深く斬りつけましたから、奥方は七転八倒の苦しみ、
「ア、彼(あ)の按摩は」
と見るともう按摩の影はありません。


底本:「圓朝全集 巻の一」近代文芸資料複刻叢書、世界文庫
   1963(昭和38)年6月10日発行
底本の親本:「圓朝全集巻の一」春陽堂
   1925(大正15)年9月3日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
ただし、話芸の速記を元にした底本の特徴を残すために、繰り返し記号は原則としてそのまま用いました。同の字点「々」と同様に用いられている二の字点(漢数字の「二」を一筆書きにしたような形の繰り返し記号)は、「々」にかえました。
また、総ルビの底本から、振り仮名の一部を省きました。
底本中ではばらばらに用いられている、「其の」と「其」、「此の」と「此」、「彼(あ)の」と「彼(あの)」は、それぞれ「其の」「此の」「彼の」に統一しました。
また、底本中では改行されていませんが、会話文の前後で段落をあらため、会話文の終わりを示す句読点は、受けのかぎ括弧にかえました。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:小林 繁雄
校正:かとうかおり
ファイル作成:かとうかおり
2000年4月18日公開
青空文庫作成ファイル:
一部抜粋


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