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 RIGHT:→[[青空文庫内元テキスト>http://www.aozora.gr.jp/cards/000050/files/3587_19541.html]]
 
 ~
        一~
 ~
  &ruby(みやしげ){宮重};大根のふとしく立てし宮柱は、ふろふきの熱田の神のみそなわす、七里のわたし&ruby(なみ){浪};ゆたかにして、来往の渡船難なく桑名につきたる&ruby(よろこ){悦};びのあまり……~
  と&ruby(くちずさ){口誦};むように&ruby(ひとりごと){独言};の、&ruby(ひざくりげ){膝栗毛};五編の上の読初め、霜月十日あまりの初夜。&ruby(なかぞら){中空};は&ruby(さえき){冴切};って、星が&ruby(みずごり){水垢離};取りそうな&ruby(つきあかり){月明};に、踏切の桟橋を渡る影高く、&ruby(ともしび){灯};ちらちらと目の下に、&ruby(おちこち){遠近};の&ruby(こだち){樹立};の骨ばかりなのを&ruby(なが){視};めながら、桑名の&ruby(ステエション){停車場};へ下りた旅客がある。~
  月の影には&ruby(ふさわ){相応};しい、&ruby(まっくろ){真黒};な&ruby(がいとう){外套};の、&ruby(や){痩};せた&ruby(からだ){身体};にちと広過ぎるを緩く着て、焦茶色の中折帽、真新しいはさて&ruby(い){可};いが、&ruby(な){馴};れない&ruby(あたま){天窓};に山を立てて、&ruby(つば){鍔};をしっくりと耳へ&ruby(かぶ){被};さるばかり深く&ruby(は){嵌};めた、あまつさえ、風に取られまいための&ruby(とめひも){留紐};を、ぶらりと&ruby(しな){皺};びた頬へ下げた&ruby(ぐあい){工合};が、&ruby(ときよ){時世};なれば、道中、笠も&ruby(の){載};せられず、と&ruby(あきら){断念};めた風に見える。年配六十二三の、気ばかり若い&ruby(やじろべえ)弥次郎兵衛};{。~
  さまで重荷ではないそうで、唐草模様の&ruby(びろうど){天鵝絨};の&ruby(かばん){革鞄};に信玄袋を&ruby(ひきから){引搦};めて、こいつを片手。片手に&ruby(こうもりがさ){蝙蝠傘};を&ruby(つ){支};きながら、~
 「さて……悦びのあまり名物の&ruby(やきはまぐり){焼蛤};に酒&ruby(く){汲};みかわして、……と&ruby(ほんもん){本文};にある&ruby(ところ){処};さ、&ruby(はたごや){旅籠屋};へ&ruby(ちゃく){着};の前に、停車場前の茶店か何かで、一本傾けて参ろうかな。(どうだ、&ruby(きだはち){喜多八};。)と行きたいが、&ruby(そのもと){其許};は年上で、ちとそりが合わぬ。だがね、家元の弥次郎兵衛どの事も、伊勢路では、これ、&ruby(つれ){同伴};の喜多八にはぐれて、一人旅のとぼとぼと、棚からぶら下った宿屋を尋ねあぐんで、泣きそうになったとあるです。ところで其許は、道中松並木で出来た道づれの格だ。その道づれと、&ruby(な){何};んと一口&ruby(や){遣};ろうではないか、ええ、&ruby(ねじべい){捻平};さん。」~
 「また、言うわ。」~
  と苦い顔を渋くした、&ruby(つれ){同伴};の老人は、まだ、その上を四つ五つで、やがて&ruby(ななそじ){七十};なるべし。&ruby(らっこ){臘虎};皮の&ruby(つば){鍔};なし古帽子を、白い&ruby(まゆさき){眉尖};深々と&ruby(かぶ){被};って、鼠の&ruby(らしゃ){羅紗};の&ruby(みちゆき){道行};着た、&ruby(ももひき){股引};を太く白足袋の&ruby(せったばき){雪駄穿};。&ruby(あ){色褪};せた&ruby(うこん){鬱金};の風呂敷、&ruby(まんなか){真中};を紐で&ruby(ゆわ){結};えた包を、&ruby(さいぎょうじょい){西行背負};に胸で結んで、これも信玄袋を手に一つ。片手に&ruby(つえ){杖};は&ruby(つ){支};いたけれども、足腰はしゃんとした、人柄の&ruby(い){可};いお&ruby(じいさま){爺様};。~
 「その捻平は&ruby(よ){止};しにさっしゃい、人聞きが悪うてならん。道づれは&ruby(よ){可};けれども、道中松並木で出来たと言うで、何とやら、その、&ruby(わし){私};が&ruby(ごま){護摩};の灰ででもあるように聞えるじゃ。」と杖を一つとんと支くと、&ruby(あと){後};の&ruby(がん){雁};が&ruby(さき){前};になって、改札口を&ruby(さっさ){早々};と出る。~
  わざと一足&ruby(うしろ){後};へ開いて、隠居が意見に急ぐような、&ruby(つれ){連};の後姿をじろりと見ながら、~
 「それ、そこがそれ捻平さね。松並木で出来たと云って、何もごまのはいには限るまい。もっとも若い内は遣ったかも知れんてな。ははは、」~
  人も無げに笑う手から、&ruby(ひったく){引手繰};るように切符を取られて、はっと駅夫の顔を見て、きょとんと&ruby(きまじめ){生真面目};。~
  成程、この&ruby(おじご){小父者};が改札口を出た&ruby(しんがり){殿};で、何をふらふら道草したか、汽車はもう遠くの方で、名物焼蛤の白い煙を、夢のように月下に吐いて、&ruby(まっさお){真蒼};な野路を光って通る。……~
 「やがてここを&ruby(たちい){立出};で&ruby(たど){辿};り&ruby(ゆ){行};くほどに、旅人の唄うを聞けば、」~
  と小父者、出た処で、けろりとしてまた&ruby(くちずさ){口誦};んで、~
 「捻平さん、&ruby(い){可};い文句だ、これさ。……~
 &ruby(しぐれはまぐり){時雨蛤};みやげにさんせ~
    &ruby(みや){宮};のおかめが、……ヤレコリャ、よオしよし。」~
 「&ruby(だんな){旦那};、お供はどうで、」~
  と&ruby(ステエション){停車場};前の夜の&ruby(くま){隈};に、四五台&ruby(もうろう){朦朧};と寂しく並んだ車の中から、車夫が一人、腕組みをして、のっそり出る。~
  これを聞くと弥次郎兵衛、口を&ruby(ね){捻};じて&ruby(かたほえ){片頬笑};み、~
 「&ruby(ありがて){有難};え、図星という処へ出て来たぜ。が、同じ事を、これ、(旦那衆戻り馬乗らんせんか、)となぜ言わぬ。」~
 「へい、」と言ったが、車夫は変哲もない&ruby(がんしょく){顔色};で、そのまま棒立。~
 ~
        二~
 ~
  &ruby(おじご){小父者};は外套の袖をふらふらと、酔ったような&ruby(ふうつき){風附};で、~
 「&ruby(や){遣};れよ、さあ、(戻馬乗らんせんか、)と、&ruby(ごしょう){後生};だから一つ気取ってくれ。」~
 「へい、(戻馬乗らせんか、)と言うでございますかね、戻馬乗らんせんか。」~
  と早口で車夫は&ruby(じってい){実体};。~
 「はははは、&ruby(ほうしょうじのにゅうどうさき){法性寺入道前};の&ruby(かんぱく){関白};&ruby(だじょうだいじん){太政大臣};と言ったら腹を立ちやった、法性寺入道前の関白太政大臣様と来ている。」とまたアハハと笑う。~
 「さあ、もし召して下さい。」~
  と話は&ruby(きま){極};った&ruby(はず){筈};にして、委細構わず、車夫は&ruby(とッつ){取着};いて&ruby(かじぼう){梶棒};を差向ける。~
  小父者、目を据えてわざと見て、~
 「ヤレコリャ車なんぞ、よオしよし。」~
 「いや、よしではない。」~
  とそこに一人つくねんと、&ruby(そえだけ){添竹};に、その&ruby(かれぎく){枯菊};の&ruby(すが){縋};った、霜の&ruby(おきな){翁};は、旅のあわれを、月空に知った姿で、~
 「早く車を雇わっしゃれ。手荷物はあり、勝手知れぬ町の中を、何を&ruby(あて){当};にぶらつこうで。」と&ruby(くちこごと){口叱言};で半ば&ruby(つぶや){呟};く。~
 「いや、まず一つ、(よヲしよし、){と切出さんと、本文に合わぬてさ。処へ喜多八が口を出して、(しょうろく&ruby(しもん){四銭};で乗るべいか。){&ruby(うまかた){馬士};が、(そんなら、ようせよせ。){と言いやす、馬がヒインヒインと&ruby(いば){嘶};う。」~
 「若いもの、その人に構うまい。車を早く。川口の&ruby(みなとや){湊屋};と言う&ruby(はたごや){旅籠屋};へ&ruby(ゆ){行};くのじゃ。」~
 「ええ、二台でござりますね。」~
 「何んでも構わぬ、&ruby(わし){私};は急ぐに……」と&ruby(うしろむ){後向};きに&ruby(つか){掴};まって、乗った雪駄を&ruby(つまだ){爪立};てながら、&ruby(けこ){蹴込};みへ入れた革鞄を&ruby(また){跨};ぎ、首に掛けた風呂敷包みを外ずしもしないで&ruby(ゆす){揺};っておく。~
 &ruby(いちれんたくしょう){「一蓮託生};、死なば諸共、捻平待ちやれ。」と、くすくす笑って、小父者も車にしゃんと乗る。……~
 「湊屋だえ、」~
 「おいよ。」~
  で、二台、月に&ruby(かんばん){提灯};の&ruby(あかり){灯};黄色に、&ruby(ひろっぱ){広場};の端へ&ruby(かけこ){駈込};むと……&ruby(いしたかみち){石高路};をがたがたしながら、板塀の小路、土塀の辻、&ruby(ちかみち){径路};を縫うと見えて、寂しい処幾曲り。やがて二階屋が建続き、町幅が糸のよう、月の光を&ruby(ひさし){廂};で&ruby(おお){覆};うて、両側の暗い軒に、&ruby(かけあんどん){掛行燈};が&ruby(まばら){疎};に白く、枯柳に星が乱れて、壁の&ruby(あお){蒼};いのが処々。長い通りの突当りには、火の見の&ruby(はしご){階子};が、&ruby(とおやま){遠山};の霧を破って、&ruby(はんしょう){半鐘};の形&ruby(い){活};けるがごとし。……火の用心さっさりやしょう、&ruby(かなぼう){金棒};の音に夜更けの景色。霜枯時の事ながら、月は格子にあるものを、桑名の&ruby(こ){妓};達は宵寝と見える、寂しい&ruby(くるわ){新地};へ&ruby(さしかか){差掛};った。~
  &ruby(やぼね){輻};の下に流るる道は、細き水銀の川のごとく、柱の黒い家の&ruby(さま){状};、あたかも&ruby(かわうそ){獺};が&ruby(まつり){祭礼};をして、&ruby(しらはり){白張};の&ruby(じぐちあんどん){地口行燈};を掛連ねた、鉄橋を渡るようである。~
  爺様の乗った前の車が、はたと&ruby(とま){留};った。~
  あれ聞け……&ruby(ひっそり){寂寞};とした&ruby(ひとすじくるわ){一条廓};の、&ruby(むねがわら){棟瓦};にも響き転げる、&ruby(わだち){轍};の音も留まるばかり、&ruby(なだ){灘};の浪を川に寄せて、千里の&ruby(はて){果};も同じ水に、筑前の沖の月影を、&ruby(しろがね){白銀};の糸で手繰ったように、星に&ruby(きら){晃};めく唄の声。~
 &ruby(はかたおび){博多帯};しめ、&ruby(ちくぜんしぼり){筑前絞};、~
  田舎の人とは思われぬ、~
 &ruby(ある){歩行};く姿が、柳町、~
  と博多節を流している。……つい目の&ruby(さき){前};の軒陰に。……白地の&ruby(てぬぐい){手拭};、&ruby(ほおかむり){頬被};、すらりと&ruby(やせ){痩};ぎすな男の姿の、軒のその、うどんと&ruby(べに){紅};で書いた看板の前に、横顔ながら&ruby(うつむ){俯向};いて、ただ影法師のように&ruby(たたず){彳};むのがあった。~
  捻平はフト車の上から、&ruby(うなじ){頸};の風呂敷包のまま振向いて、何か&ruby(うしろ){背後};へ声を掛けた。……と同時に弥次郎兵衛の車も、ちょうどその唄う声を、町の中で&ruby(ひっぱさ){引挟};んで、がっきと留まった。が、話の意味は通ぜずに、そのまま捻平のがまた&ruby(ひきだ){曳出};す……&ruby(あと){後};の車も続いて&ruby(か){駈};け出す。と二台がちょっと&ruby(す){摺};れ摺れになって、すぐ&ruby(もと){旧};の通り&ruby(あとさき){前後};に、流るるような月夜の車。~
 ~
        三~
 ~
 お月様がちょいと出て松の影、~
  アラ、ドッコイショ、~
  と沖の浪の月の中へ、&ruby(さっ){颯};と、&ruby(ばち){撥};を投げたように、霜を切って、唄い&ruby(す){棄};てた。……&ruby(うどんや){饂飩屋};の&ruby(かど){門};に博多節を弾いたのは、&ruby(てんじん){転進};をやや縦に、&ruby(さみせん){三味線};の手を緩めると、撥を&ruby(さかて){逆手};に、その柄で&ruby(はじ){弾};くようにして、&ruby(ほん){仄};のりと、薄赤い、&ruby(そこ){其屋};の板障子をすらりと開けた。~
 「ご免なさいよ。」~
  &ruby(ほおかむ){頬被};りの中の&ruby(すず){清};しい目が、&ruby(かま){釜};から吹出す湯気の&ruby(うち){裏};へすっきりと、出たのを一目、驚いた顔をしたのは、帳場の端に土間を&ruby(また){跨};いで、腰掛けながら、うっかり&ruby(ききと){聞惚};れていた亭主で、紺の筒袖にめくら&ruby(じま){縞};の&ruby(まえだれ){前垂};がけ、草色の&ruby(ももひき){股引};で、尻からげの&ruby(なり){形};、にょいと立って、~
 「出ないぜえ。」~
  は、ずるいな。……案ずるに我が家の&ruby(かどづけ){門附};を&ruby(ききどく){聞徳};に、いざ、その段になった処で、&ruby(くだん){件};の(出ないぜ。)を&ruby(き){極};めてこまそ心積りを、&ruby(だしぬけ){唐突};に頬被を&ruby(つッこ){突込};まれて、大分&ruby(うろた){狼狽};えたものらしい。もっとも居合わした客はなかった。~
  門附は、澄まして、&ruby(うしろ){背後};じめに戸を&ruby(た){閉};てながら、三味線を&ruby(はす){斜};にずっと入って、~
 「あい、親方は出ずとも&ruby(い){可};いのさ。私の方で入るのだから。……ねえ、&ruby(おかみ){女房};さん、そんなものじゃありませんかね。」~
  とちと笑声が交って聞えた。~
  女房は、これも&ruby(いま){現下};の博多節に、うっかり気を取られて、釜前の湯気に&ruby(もう){朦};として立っていた。……&ruby(あさぎ){浅葱};の&ruby(たすき){襷};、白い腕を、部厚な釜の&ruby(ふた){蓋};にちょっと&ruby(の){載};せたが、&ruby(まるまげ){丸髷};をがっくりさした、色の白い、歯を染めた&ruby(ちゅうどしま){中年増};。この途端に&ruby(さっ){颯};と&ruby(まぶた){瞼};を赤うしたが、&ruby(へッつい){竈};の前を横ッちょに、かたかたと下駄の音で、亭主の膝を&ruby(はすっか){斜交};いに、帳場の&ruby(ぜにばこ){銭箱};へがっちりと手を入れる。~
 「ああ、御心配には及びません。」~
  と門附は物優しく、~
 「&ruby(じょうだん){串戯};だ、&ruby(ゆする){強請};んじゃありません。こっちが客だよ、客なんですよ。」~
  細長い土間の一方は、薄汚れた縦に六畳ばかりの市松畳、そこへ上れば坐れるのを、釜に近い、&ruby(しょうぎい){床几};の上に、ト足を伸ばして、~
 「どうもね、寒くって&ruby(たま){堪};らないから、一杯&ruby(ごちそう){御馳走};になろうと思って。ええ、親方、決してその御迷惑を掛けるもんじゃありません。」~
  で、&ruby(おとな){優柔};しく頬被りを取った顔を、と見ると迷惑どころかい、目鼻立ちのきりりとした、&ruby(ほそおもて){細面};の、&ruby(まぶた){瞼};に&ruby(やつれ){窶};は見えるけれども、目の清らかな、眉の濃い、二十八九の&ruby(ひとがら){人品};な&ruby(あにい){兄哥};である。~
 「へへへへ、いや、どうもな、」~
  と亭主は前へ出て、&ruby(もみで){揉手};をしながら、~
 「しかし、このお天気続きで、まず結構でござりやすよ。」と何もない、&ruby(すす){煤};けた天井を仰ぎ仰ぎ、帳場の上の神棚へ目を&ruby(そ){外};らす。~
 「お師匠さん、」~
  女房前垂をちょっと&ruby(な){撫};でて、~
 「お&ruby(ちょうし){銚子};でございますかい。」と&ruby(にっこり){莞爾};する。~
  門附は手拭の上へ&ruby(ばち){撥};を置いて、腰へ三味線を&ruby(ことりまわ){小取廻};し、&ruby(うちわ){内端};に片膝を上げながら、床几の上に素足の&ruby(あぐら){胡坐};。~
  ト&ruby(すそ){裾};を一つ&ruby(かいこ){掻込};んで、~
 「早速一合、酒は良いのを。」~
 「ええ、もう飛切りのをおつけ申しますよ。」と女房は土間を&ruby(よこある){横歩行};き。左側の畳に据えた火鉢の中を、邪険に&ruby(ひばし){火箸};で&ruby(か){掻};い&ruby(ほじ){掘};って、&ruby(かっ){赫};と赤くなった処を、床几の門附へずいと寄せ、~
 「さあ、まあ、お当りなさりまし。」~
 「&ruby(ありがて){難有};え、」~
  と&ruby(てっか){鉄拐};に&ruby(つま){褄};へ&ruby(ひッぱさ){引挟};んで、ほうと&ruby(いき){呼吸};を一つ長く&ruby(つ){吐};いた。~
 「世の中にゃ、こんな炭火があると思うと、里心が付いてなお寒い。&ruby(たま){堪};らねえ。&ruby(おかみ){女房};さん、銚子をどうかね、ヤケという&ruby(あつかん){熱燗};にしておくんなさい。ちっと飲んで、うんと酔おうという、卑劣な癖が付いてるんだ、お察しものですぜ、ええ、親方。」~
 「へへへ、お&ruby(かた){方};、それ&ruby(ごくあつ){極熱};じゃ。」~
  女房は染めた前歯を美しく、~
 「あいあい。」~
 ~
        四~
 ~
 「時に何かね、今&ruby(ここ){此家};の前を車が二台、旅の人を乗せて&ruby(かけぬ){駈抜};けたっけ、この町を、……」~
  と干した&ruby(ちょく){猪口};で&ruby(かど){門};を指して、~
 「二三町行った処で、左側の、屋根の大きそうな家へ着けたのが、&ruby(あお){蒼};く月明りに見えたがね、……あすこは何かい、&ruby(はたごや){旅籠屋};ですか。」~
 「&ruby(みなとや){湊屋};でございまさ、なあ、」と女房が、釜の前から亭主を見向く。~
 「湊屋、湊屋、湊屋。この土地じゃ、まああすこ一軒でござりますよ。古い家じゃが&ruby(なだい){名代};で。&ruby(せん){前};には大きな女郎屋じゃったのが、旅籠屋になったがな、部屋々々も昔風そのままな&ruby(うち){家};じゃに、奥座敷の&ruby(てすり){欄干};の外が、海と一所の、&ruby(いか){大};い&ruby(いび){揖斐};の&ruby(かわぐち){川口};じゃ。白帆の船も通りますわ。&ruby(すずき){鱸};は&ruby(は){刎};ねる、&ruby(ぼら){鯔};は飛ぶ。とんと類のない&ruby(おもむき){趣};のある家じゃ。ところが、時々崖裏の石垣から、&ruby(かわうそ){獺};が&ruby(はいこ){這込};んで、板廊下や&ruby(かわや){厠};に&ruby(つ){点};いた&ruby(あかり){燈};を消して、&ruby(いたずら){悪戯};をするげに言います。が、別に&ruby(おそろし){可恐};い化方はしませぬで。こんな月の良い晩には、庭で&ruby(はちたた){鉢叩};きをして見せる。……&ruby(しぐ){時雨};れた夜さりは、&ruby(てんぽうせん){天保銭};一つ使賃で、豆腐を買いに&ruby(ゆ){行};くと言う。それも旅の衆の&ruby(あいきょう){愛嬌};じゃ言うて、&ruby(えら){豪};い評判の&ruby(い){好};い旅籠屋ですがな、……お前様、この土地はまだ何も知りなさらんかい。」~
 「あい、&ruby(ゆうべ){昨夜};初めてこっちへ流込んで来たばかりさ。一向方角も何も分らない。月夜も&ruby(やみ){闇};の烏さね。」~
  と&ruby(うつむ){俯向};いて、一口。~
 「どれ延びない内、底を一つ温めよう、&ruby(や){遣};ったり! ほっ、」~
  と言って、目を&ruby(こす){擦};って&ruby(おもて){面};を背けた。~
 「利く、利く。……恐しい利く唐辛子だ。こう、親方の前だがね、ついこないだもこの手を食ったよ、&ruby(りょうけん){料簡};が悪いのさ。何、上方筋の唐辛子だ、&ruby(ほおづき){鬼灯};の皮が精々だろう。利くものか、と高を&ruby(くく){括};って、お&ruby(あし){銭};は要らない薬味なり、どしこと丼へぶちまけて、松坂で飛上った。……また遣ったさ、色気は無えね、涙と&ruby(よだれ){涎};が&ruby(いっとき){一時};だ。」と手の甲で&ruby(ひっこす){引擦};る。~
  女房が銚子のかわり目を、ト&ruby(てのひら){掌};で&ruby(かん){燗};を当った。~
 「お師匠さん、あんたは東の&ruby(かた){方};ですなあ。」~
 「そうさ、&ruby(うまれ){生};は東だが、&ruby(しんしょう){身上};は北山さね。」と言う時、徳利の底を振って、&ruby(たらたら){垂々};と&ruby(ちょく){猪口};へしたむ。~
 「で、お前様、湊屋へ泊んなさろうと言うのかな。」~
  それだ、と門口で断らりょう、と亭主はその段含ませたそうな気の&ruby(い){可};い&ruby(かおつき){顔色};。~
 「&ruby(ごじょうだん){御串戯};もんですぜ、泊りは&ruby(きちん){木賃};と&ruby(きま){極};っていまさ。&ruby(ござ){茣蓙};と&ruby(かさ){笠};と&ruby(わらじ){草鞋};が留守居。壁の破れた処から、鼠が首を長くして、私の帰るのを待っている。四五日はこの桑名へ御厄介になろうと思う。……&ruby(じょうはたご){上旅籠};の湊屋で泊めてくれそうな御人品なら、御当家へ、一夜の御無心申したいね、どんなもんです、&ruby(おかみ){女房};さん。」~
 「こんなでよくば、泊めますわ。」~
  と身軽に銚子を運んで寄る。と亭主驚いた眉を動かし、~
 「滅相な。」と帳場を&ruby(しょ){背負};って、&ruby(たちふさ){立塞};がる&ruby(てい){体};に腰を掛けた。いや、この時まで、紺の&ruby(こいぐち){鯉口};に手首を&ruby(すく){縮};めて、&ruby(かかし){案山子};のごとく立ったりける。~
 「はははは、お言葉には及びません、饂飩屋さんで泊めるものは、&ruby(おしたじ){醤油};の雨宿りか、&ruby(かつおぶし){鰹節};の行者だろう。」~
  と&ruby(からから){呵々};と一人で笑った。~
 「お師匠さん、一つお酌さしておくんなさいまし。」と女房は市松の畳の端から、薄く腰を掛込んで、土間を切って、差向いに銚子を取った。~
 「飛んでもない事、お忙しいに。」~
 「いえな、内じゃ&ruby(げいこや){芸妓屋};さんへ出前ばかりが&ruby(おも){主};ですから、ごらんの通りゆっくりじゃえな。ほんにお師匠さん&ruby(い){佳};いお声ですな。なあ、&ruby(あんた){良人};。」と、横顔で亭主を&ruby(ながしめ){流眄};。~
 「さよじゃ。」~
  とばかりで、&ruby(たばこ){煙草};を、ぱっぱっ。~
 「なあ、今お聞かせやした、あの博多節を聞いたればな、……私ゃ、ほんに、身に染みて、ぶるぶると震えました。」~
 ~
        五~
 ~
 「そう&ruby(ほ){讃};められちゃお座が&ruby(さ){醒};める、酔も醒めそうで&ruby(やるせ){遣瀬};がない。たかが大道芸人さ。」~
  と&ruby(あにい){兄哥};は照れた風で腕組みした。~
 「私がお世辞を言うものですかな、&ruby(まったく){真実};ですえ。あの、その、なあ、&ruby(ぞっ){悚然};とするような、&ruby(うっとり){恍惚};するような、&ruby(し){緊};めたような、投げたような、緩めたような、まあ、&ruby(な){何};んと言うて&ruby(よ){可};かろうやら。海の中に柳があったら、お月様の影の中へ、身を投げて死にたいような、……何んとも言いようのない心持になったのですえ。」~
  と、脊筋を&ruby(くね){曲};って、肩を入れる。~
 「お&ruby(かた){方};、お方。」~
  と&ruby(せきこ){急込};んで、訳もない事に不機嫌な&ruby(ごてい){御亭};が呼ばわる。~
 「何じゃいし。」と振向くと、……亭主いつの間にか、神棚の&ruby(もと){下};に、&ruby(しゃ){斜};と構えて、帳面を&ruby(ひっく){引繰};って、苦く&ruby(にら){睨};み、~
 「&ruby(ますや){升屋};が&ruby(かけ){懸};はまだ寄越さんかい。」~
  と&ruby(そろばん){算盤};を、ぱちりぱちり。~
 「今時どうしたえ、&ruby(みそか){三十日};でもありもせんに。……お師匠さん。」~
 「師匠じゃないわ、升屋が懸じゃい。」~
 「そないに急に気になるなら、&ruby(あんた){良人};、ちゃと行って取って&ruby(き){来};い。」~
  と下唇の&ruby(はねぢょうし){刎調子};。亭主ぎゃふんと参った&ruby(てい){体};で、~
 「二進が一進、二進が一進、&ruby(にいち){二一};天作の&ruby(ご){五};、&ruby(ぐいちさぶろくななやあここの){五一三六七八九};。」と、饂飩の帳の&ruby(のびちぢ){伸縮};みは、&ruby(さしひき){加減};だけで済むものを、&ruby(したじ){醤油};に水を割算段。~
  と釜の湯気の白けた処へ、星の&ruby(い){凍};てそうな&ruby(あんま){按摩};の笛。&ruby(つきてんしん){月天心};の冬の町に、あたかもこれ&ruby(こがらし){凩};を吹込む声す。~
  門附の&ruby(あにい){兄哥};は、ふと&ruby(や){痩};せた肩を抱いて、~
 「ああ、霜に響く。」……と言った声が、物語を読むように、&ruby(ほがらか){朗};に&ruby(さ){冴};えて、且つ、鋭く聞えた。~
 「按摩が通る……&ruby(おかみ){女房};さん、」~
 「ええ、笛を吹いてですな。」~
 「畜生、&ruby(け){怪};しからず身に染みる、ruby(たま){堪};&らなく寒いものだ。」~
  と割膝に&ruby(かしこま){跪坐};って、飲みさしの茶の冷えたのを、茶碗に傾け、ざぶりと土間へ、~
 「一ツこいつへ&ruby(つ){注};いでおくんな、その方がお前さんも手数が要らない。」~
 「何んの、私はちっとも構うことないのですえ。」~
 「いや、御深切は&ruby(ありがた){難有};いが、&ruby(やかん){薬罐};の底へ&ruby(けしずみ){消炭};で、&ruby(わ){湧};くあとから&ruby(さ){醒};める処へ、氷で&ruby(のど){咽喉};を&ruby(えぐ){抉};られそうな、あのピイピイを聞かされちゃ、&ruby(からだ){身体};にひびっ&ruby(たけ){裂};がはいりそうだ。……持って来な。」~
  と手を振るばかりに、一息にぐっと&ruby(あお){呷};った。~
 「あれ、お見事。」~
  と目を&ruby(みは){睜};って、~
  と目を&ruby(みは){女?;って、~
 「まあな、だけれどな、無理酒おしいなえ。&ruby(たんと){沢山};、あの、心配する方があるのですやろ。」~
 「お方、八百屋の勘定は。」~
  と亭主&ruby(まばた){瞬};きして&ruby(あご){頤};を出す。女房は面白半分、見返りもしないで、~
 「取りに来たらお払いやすな。」~
 「ええ……と三百は三銭かい。」~
  で、算盤を空に弾};&ruby(はじ){く。~
 「&ruby(おかみ){女房};さん。」~
  と呼んだ門附の声が沈んだ。~
 「何んです。」~
 「立続けにもう一つ。そして&ruby(あと){後};を直ぐ、&ruby(がってん){合点};かね。」~
 「あい。合点でございますが、あんた、&ruby(えら){豪};い&ruby(たいしゅ){大酒};ですな。」~
 「せめて酒でも参らずば。」~
  と陽気な声を出しかけたが、つと&ruby(あおむ){仰向};いて&ruby(まなじり){眦};を上げた。~
 「あれ、また来たぜ、按摩の笛が、北の方の辻から聞える。……ヤ、そんなにまだ夜は更けまいのに、屋根&ruby(ごし){越};の町一つ、こう……&ruby(たんぼ){田圃};の&ruby(あぜ){畔};かとも思う処でも吹いていら。」~
  と&ruby(みぜわ){身忙};しそうに片膝立てて、&ruby(あてど){当所};なく&ruby(みまわ){睜};しながら、~
  と&ruby(みぜわ){身忙};しそうに片膝立てて、&ruby(あてど){当所};なく&ruby(みまわ){女?;しながら、~
 「&ruby(おと){音};は同じだが&ruby(ね){音};が違う……&ruby(おかみ){女房};さん、どれが、どんな&ruby(つら){顔};の按摩だね。」~
  と聞く。……その時、&ruby(しろまなこ){白眼};の座頭の首が、月に&ruby(あお){蒼};ざめて&ruby(のぞ){覗};きそうに、屋の棟を高く見た……目が鋭い。~
 「あれ、あんた、鹿の&ruby(めすおす){雌雄};ではあるまいし、笛の音で按摩の&ruby(ようす){容子};は分りませぬもの。」~
 「まったくだ。」~
  と寂しく笑った、なみなみ&ruby(つ){注};いだる茶碗の酒を、&ruby(きっ){屹};と見ながら、~
 「杯の月を&ruby(く){酌};もうよ、座頭殿。」と&ruby(さしうつむ){差俯};いて&ruby(ひとりごと){独言};した。……が博多節の文句か、知らず、陰々として物寂しい、表の障子も裏透くばかり、霜の月の影冴えて、辻に、町に、按摩の笛、そのあるものは波に響く。~
 ~
        六~
 ~
 「や、按摩どのか。何んだ、&ruby(だしぬけ){唐突};に驚かせる。……要らんよ。要りませぬ。」~
  と弥次郎兵衛。湊屋の奥座敷、これが上段の間とも見える、次に六畳の附いた&ruby(ちゅうぶる){中古};の十畳。障子の&ruby(うしろ){背後};は直ぐに縁、&ruby(てすり){欄干};にずらりと&ruby(がらすど){硝子戸};の外は、&ruby(みずけむりびょう){水煙渺};として、曇らぬ空に雲かと見る、&ruby(ながす){長洲};の端に星一つ、水に近く&ruby(き){晃};らめいた、揖斐川の流れの&ruby(すそ){裾};は、&ruby(うしお){潮};を&ruby(こ){籠};めた霧白く、月にも&ruby(とま){苫};を伏せ、&ruby(みの){蓑};を&ruby(ほ){乾};す、&ruby(かかりぶね){繋船};の帆柱がすくすくと垣根に近い。そこに燭台を&ruby(かたわら){傍};にして、&ruby(ひおけ){火桶};に手を懸け、&ruby(けげん){怪訝};な顔して、~
 「はて、お早いお着きお&ruby(くたび){草臥};れ様で、と茶を一ツ持って出て、&ruby(としま){年増};の女中が、&ruby(ただいま){唯今};&ruby(ひっこ){引込};んだばかりの処。これから膳にもしよう、酒にもしようと思うちょっとの隙間へ、のそりと出した、あの&ruby(つら){面};はえ?……~
  この方、あの年増めを見送って、&ruby(いりかわ){入交};って来るは若いのか、と前髪の正面でも見ようと思えば、霜げた&ruby(とうがん){冬瓜};に&ruby(わらじ){草鞋};を&ruby(ぶちつ){打着};けた、という異体な&ruby(つら){面};を、&ruby(ふすま){襖};の影から&ruby(はす){斜};に出して、~
 (按摩でやす。)とまた、悪く&ruby(ぬきえもん){抜衣紋};で、胸を折って、横坐りに、&ruby(ろうそくび){蝋燭火};へ&ruby(かみぼや){紙火屋};のかかった&ruby(あかり){灯};の向うへ、ぬいと半身で出た工合が、&ruby(みこしにゅうどう){見越入道};の&ruby(おやかた){御館};へ、&ruby(めみえ){目見得};の雪女郎を連れて出た、&ruby(ばけ){化};の慶庵と言う&ruby(てい){体};だ。~
  要らぬと言えば、&ruby(だんまり){黙然};で、腰から&ruby(さき){前};へ、板廊下の暗い方へ、スーと消えたり……&ruby(おんてき){怨敵};、&ruby(たいさん){退散};。」~
  と苦笑いして、……床の正面に火桶を抱えた、&ruby(ほうねんあたま){法然天窓};の、&ruby(つれ){連};の、その爺様を見遣って、~
 「捻平さん、お互に年は取りたくないてね。ちと&ruby(ぺんぺん){三絃};でも、とあるべき処を、お膳の前に按摩が出ますよ。……見くびったものではないか。」~
 「とかく、その&ruby(としが){年効};いもなく、旅籠屋の式台口から、何んと、事も&ruby(いんぎん){慇懃};に出迎えた、&ruby(うち){家};の隠居らしい切髪の&ruby(ばあさま){婆様};をじろりと見て、~
 (ヤヤ、&ruby(ありがた){難有};い、仏壇の中に&ruby(たぼ){美婦};が見えるわ、&ruby(す){簀};の子の天井から落ち&ruby(た){度};い。)などと、膝栗毛の書抜きを遣らっしゃるで魔が&ruby(さ){魅};すのじゃ、屋台は古いわ、造りも広大。」~
  と丸木の床柱を下から見上げた。~
 「千年の桑かの。川の底も&ruby(はか){料};られぬ。&ruby(あかり){燈};も暗いわ、&ruby(かわうそ){獺};も出ようず。ちと&ruby(こ){懲};りさっしゃるが&ruby(い){可};い。」~
 「さん&ruby(ぞうろう){候};、これに懲りぬ事なし。」~
  と奥歯のあたりを膨らまして&ruby(ほほえ){微笑};みながら、両手を懐に、胸を拡く、&ruby(ふすま){襖};の上なる額を読む。題して&ruby(いわ){曰};く、&ruby(りんぷうぼうかしょうろう){臨風榜可小楼};。~
 「……とある、いかさまな。」~
 「床に&ruby(い){活};けたは、白の小菊じゃ、&ruby(ひとたば){一束};にして&ruby(つか){掴};みざし、&ruby(おお){喝采};。」と&ruby(ほ){讃};める。~
 「いや、&ruby(おきなさ){翁寂};びた事を言うわ。」~
 「それそれ、たったいま懲りると言うた口の下から、何んじゃ、それは。やあ、見やれ、&ruby(そこ){其許};の袖口から、茶色の手の、もそもそとした&ruby(やつ){奴};が、ぶらりと出たわ、揖斐川の&ruby(かわうそ){獺};の。」~
 「ほい、」~
  と&ruby(なが){視};めて、~
 「&ruby(なむさんぼう){南無三宝};。」と&ruby(あわただ){慌};しく&ruby(ひッこ){引込};める。~
 「何んじゃそれは。」~
 「ははははは、拙者うまれつき&ruby(そこつ){粗忽};にいたして、よくものを落す処から、内の&ruby(ばばあ){婆};どのが計略で、手袋を、ソレ、ト左右糸で&ruby(つな){繋};いだものさね。袖から胸へ&ruby(くぐ){潜};らして、ずいと&ruby(ひっぱ){引張};って両手へ&ruby(は){嵌};めるだ。何んと恐しかろう。捻平さん、かくまで&ruby(しんしょう){身上};を思うてくれる婆どのに対しても、無駄な祝儀は出せませんな。ああ、&ruby(なむあみだぶつ){南無阿弥陀仏};。」~
 「&ruby(たぬき){狸};めが。」~
  と背を円くして横を向く。~
 「それ、年増が来る。秘すべし、秘すべし。」~
  で、手袋をたくし込む。~
  処へ女中が手を&ruby(つ){支};いて、~
 「御支度をなさりますか。」~
 「いや、やっと、今&ruby(わらじ){草鞋};を解いたばかりだ。泊めてもらうから、支度はしません。」と真面目に言う。~
  色は浅黒いが&ruby(ようす){容子};の&ruby(い){可};い、その年増の女中が、これには妙な顔をして、~
 「へい、御飯は召あがりますか。」~
 「まず酒から飲みます。」~
 「あの、めしあがりますものは?」~
 「姉さん、ここは約束通り、&ruby(やきはまぐり){焼蛤};が名物だの。」~
 ~
        七~
 ~
 「そのな、焼蛤は、今も町はずれの&ruby(よしずばり){葦簀張};なんぞでいたします。やっぱり&ruby(まつかさ){松毬};で焼きませぬと&ruby(おいし){美味};うござりませんで、&ruby(うち){当家};では蒸したのを差上げます、&ruby(みりん){味淋};入れて&ruby(あじよ){味美};う蒸します。」~
 「ははあ、&ruby(さざえ){栄螺};の&ruby(つぼやき){壺焼};といった形、大道店で遣りますな。……松並木を向うに見て、松毬のちょろちょろ火、蛤の煙がこの月夜に立とうなら、とんと竜宮の&ruby(でんがく){田楽};で、&ruby(おとひめさま){乙姫様};が&ruby(しゃれ){洒落};に&ruby(あね){姉};さんかぶりを遊ばそうという処、また一段の&ruby(おもむき){趣};だろうが、わざとそれがために忍んでも出られまい。……&ruby(ここ){当家};の味淋蒸、それが&ruby(よ){好};かろう。」~
  と&ruby(おじご){小父者};納得した顔して&ruby(うなず){頷};く。~
 「では、蛤でめしあがりますか。」~
 「何?」と、わざとらしく[#「わざとらしく」は底本では「わざとしらく」]耳を出す。~
 「あのな、蛤であがりますか。」~
 「いや、&ruby(はし){箸};で食いやしょう、はははは。」~
  と&ruby(ひとり){独};で笑って、懐中から膝栗毛の五編を一冊、ポンと出して、~
 「&ruby(ありがた){難有};い。」と額を叩く。~
  女中も思わず&ruby(ふきだ){噴飯};して、~
 「あれ、あなたは弥次郎兵衛様でございますな。」~
 「その通り。……この度の参宮には、都合あって五二館と云うのへ泊ったが、&ruby(ないぐうさま){内宮様};へ参る途中、&ruby(ふるいち){古市};の旅籠屋、藤屋の前を通った時は、前度いかい世話になった気で、薄暗いまで奥深いあの&ruby(みせさき){店頭};に、&ruby(しんちゅう){真鍮};の&ruby(しかみひばち){獅噛火鉢};がぴかぴかとあるのを見て、略儀ながら、車の上から、帽子を脱いでお辞儀をして来た。が、町が狭いので、向う側の茶店の&ruby(しんぞ){新姐};に、この&ruby(すこはげ){小兀};を見せるのが辛かったよ。」~
  と&ruby(あかり){燈};に向けて、てらりと光らす。~
 「ほほ、ほほ。」~
 「あはは。」~
  で捻平も打笑うと、……この機会に誘われたか、――&ruby(さっき){先刻};二人が着いた頃には、三味線太鼓で、トトン、ジャカジャカじゃじゃじゃんと沸返るばかりだった――ちょうど八ツ橋形に&ruby(あゆみ){歩行};板が&ruby(かか){架};って、土間を隔てた隣の座敷に、およそ十四五人の同勢で、女交りに騒いだのが、今しがた按摩が影を見せた時分から、&ruby(おおかわ){大河};の&ruby(しお){汐};に引かれたらしく、ひとしきり&ruby(ひとけはい){人気勢};が、遠くへ裾拡がりに&ruby(ぼう){茫};と&ruby(の){退};いて、&ruby(しん){寂};とした。ただだだっ広い中を、猿が鳴きながら走廻るように、キャキャとする&ruby(おしゃく){雛妓};の&ruby(かんばし){甲走};った声が聞えて、重く、ずっしりと、&ruby(おっ){覆};かぶさる風に、何を話すともなく&ruby(たにんず){多人数};の物音のしていたのが、この時、&ruby(ほらあな){洞穴};から風が抜けたように&ruby(どっ){哄};と&ruby(どよ){動揺};めく。~
  女中も笑い引きに、すっと立つ。~
 「いや、この方は陰々としている。」~
 「その方が無事で可いの。」~
  と捻平は火桶の上へ脊くぐまって、そこへ投出した膝栗毛を&ruby(さしのぞ){差覗};き、~
 「しかし思いつきじゃ、&ruby(わし){私};はどうもこの寝つきが悪いで、今夜は一つ&ruby(まくらもと){枕許};の&ruby(あんどん){行燈};で読んでみましょう。」~
 「&ruby(よ){止};しなさい、これを読むと胸が&ruby(せま){切};って、なお目が冴えて寝られなくなります。」~
 「何を言わっしゃる、&ruby(あてごと){当事};もない、膝栗毛を見て泣くものがあろうかい。&ruby(わし){私};が事を言わっしゃる、&ruby(そこ){其許};がよっぽど捻平じゃ。」~
  と言う処へ、以前の年増に、&ruby(こおんな){小女};がついて出て、膳と銚子を揃えて運んだ。~
 「蛤は&ruby(じ){直};きに出来ます。」~
 「&ruby(よし){可};、可。」~
 「何よりも酒の事。」~
  捻平も、&ruby(ちょこ){猪口};を急ぐ。~
 「さて&ruby(てめえ){汝};にも一つ遣ろう。&ruby(かん){燗};の可い処を一杯遣らっし。」と、弥次郎兵衛、酒飲みの癖で、ちとぶるぶるする手に一杯傾けた&ruby(ちょこ){猪口};を、膳の外へ、その膝栗毛の本の&ruby(わき){傍};へ、畳の上にちゃんと置いて、~
 「姉さん、一つ&ruby(つ){酌};いでやってくれ。」~
  と真顔で言う。~
  小女が、きょとんとした顔を見ると、捻平に追っかけの酌をしていた年増が見向いて、~
 「&ruby(きの){喜野};、お酌ぎ……その旦那はな、弥次郎兵衛様じゃで、喜多八さんにお杯を上げなさるんや。」~
  と早や心得たものである。~
 ~
        八~
 ~
  &ruby(おじご){小父者};はなぜか調子を沈めて、~
 「ああ、よく言った。&ruby(おれ){俺};を弥次郎兵衛は&ruby(ありがた){難有};い。&ruby(いごころ){居心};は&ruby(よし){可};、酒は可。これで喜多八さえ一所だったら、膝栗毛を&ruby(しょう){正};のもので、太平の民となる処を、さて、杯をさしたばかりで、こう&ruby(つ){酌};いだ酒へ、&ruby(ろうそく){蝋燭};の&ruby(ひ){灯};のちらちらと映る処は、どうやら餓鬼に&ruby(たむ){手向};けたようだ。あのまた馬鹿野郎はどうしている――」と膝に手を&ruby(つ){支};き、畳の杯を&ruby(じっ){凝};と見て、陰気な顔する。~
  捻平も、ふと、この時横を向いて腕組した。~
 「旦那、その喜多八さんを何んでお連れなさりませんね。」~
  と&ruby(あいきょうづく){愛嬌造};って女中は笑う。弥次郎&ruby(さみ){寂};しく打笑み、~
 「むむ、そりゃ何よ、その本の本文にある通り、伊勢の山田ではぐれた奴さ。いい年をして&ruby(しゃばっけ){娑婆気};な、酒も飲めば&ruby(ふざけ){巫山戯};もするが、世の中は道中同然。暖いにつけ、寒いにつけ、&ruby(つえ){杖};柱とも思う&ruby(つれ){同伴};の若いものに別れると、六十の&ruby(まいご){迷児};になって、もし、この辺に棚からぶら下がったような宿屋はござりませんかと、&ruby(にぎや){賑};かな町の中を独りとぼとぼと尋ね&ruby(あぐ){飽倦};んで、もう&ruby(がっかり){落胆};しやした、と云ってな、どっかり知らぬ&ruby(うち){家};の&ruby(みせさき){店頭};へ腰を&ruby(おとしこ){落込};んで、一服無心をした処……あすこを読むと&ruby(じょうだん){串戯};ではない。……捻平さん、真からもって涙が出ます。」~
  と言う、&ruby(まぶた){瞼};に映って、蝋燭の火がちらちらとする。~
 「姉や、&ruby(しん){心};を切ったり。」~
 「はい。」~
  と女中が向うを向く時、捻平も目をしばたたいたが、~
 「ヤ、あの騒ぎわい。」~
  と鼻の下を長くして、&ruby(ごし){土間越};の&ruby(となり){隣室};へ傾き、~
 「&ruby(えら){豪};いぞ、&ruby(かなだらい){金盥};まで持ち出いたわ、人間は皆裾が天井へ宙乗りして、畳を皿小鉢が躍るそうな。おおおお、三味線太鼓が&ruby(しのぎ){鎬};を削って打合う様子じゃ。」~
 「もし、お騒がしゅうござりましょう、お気の毒でござります。ちょうど霜月でな、今年度の新兵さんが入営なさりますで、その送別会じゃ言うて、あっちこっち、皆、この景気でござります。でもな、お&ruby(よ){寝};ります時分には時間になるで静まりましょう。どうぞ御辛抱なさいまして。」~
 「いやいや、それには及ばぬ、それには及ばぬ。」~
  と小父者、二人の女中の顔へ、等分に手を&ruby(ふ){掉};って、~
 「かえって賑かで大きに可い。悪く&ruby(ひっそり){寂寞};して、また唐突};&ruby(だしぬけ){に按摩に出られては弱るからな。」~
 「へい、按摩がな。」と何か知らず、女中も読めぬ顔して聞返す。~
  捻平この話を、打消すように&ruby(しわぶき){咳};して、~
 「さ、&ruby(いっこん){一献};参ろう。どうじゃ、こちらへも酌人をちと頼んで、……ええ、それ何んとか言うの。……桑名の殿様&ruby(しぐれ){時雨};でお茶漬……とか言う、土地の唄でも聞こうではないかの。陽気にな、かっと一つ。旅の恥は&ruby(かきす){掻棄};てじゃ。&ruby(ぬし){主};はソレ&ruby(こごと){叱言};のような勧進帳でも遣らっしゃい。~
  染めようにも&ruby(ひげ){髯};は無いで、&ruby(わし){私};はこれ、手拭でも畳んで&ruby(ほうねんあたま){法然天窓};へ&ruby(の){載};せようでの。」と捻平が坐りながら腰を&ruby(の){伸};して高く居直る。と弥次郎&ruby(まなこ){眼};を&ruby(みは){睜};って、~
  染めようにも&ruby(ひげ){髯};は無いで、&ruby(わし){私};はこれ、手拭でも畳んで&ruby(ほうねんあたま){法然天窓};へ&ruby(の){載};せようでの。」と捻平が坐りながら腰を&ruby(の){伸};して高く居直る。と弥次郎&ruby(まなこ){眼};を&ruby(みは){女?;って、~
 「や、平家以来の&ruby(むほん){謀叛};、&ruby(そこ){其許};の発議は珍らしい、&ruby(にほうこうじんくら){二方荒神鞍};なしで、&ruby(まんなか){真中};へ乗りやしょう。」~
  と&ruby(おびただ){夥};しく景気を直して、~
 「&ruby(あんね){姉};え、何んでも構わん、四五人&ruby(きやり){木遣};で&ruby(ひ){曳};いて来い。」~
  と肩を張って大きに力む。~
  女中酌の手を差控えて、銚子を、膝に、と&ruby(まっすぐ){真直};に立てながら、~
 「さあ、今あっちの座敷で、もう一人二人言うて、お掛けやしたが、喜野、&ruby(げいこ){芸妓};さんはあったかな。」~
  小女が&ruby(いくび){猪首};で&ruby(うなず){頷};き、~
 「誰も居やはらぬ言うてでやんした。」~
 「かいな、旦那さん、お気の毒さまでござります。狭い土地に、数のない芸妓やによって、こうして会なんぞ&ruby(たてこ){立込};みますと、&ruby(めぼし){目星};い&ruby(こ){妓};たちは、ちゃっとの間に&ruby(みんな){皆};出払います。そうか言うて、東京のお客様に、あんまりな人も見せられはしませずな、&ruby(きりょう){容色};が&ruby(い){好};いとか、芸がたぎったとかいうのでござりませぬとなあ……」~
 「いや、こうなっては、宿賃を払わずに、こちとら&ruby(よにげ){夜遁};をするまでも、三味線を聞かなきゃ納まらない。&ruby(めっかち){眇};、いぐちでない以上は、古道具屋からでも呼んでくれ。」~
 「待ちなさりまし。おお、あの島屋の&ruby(しんこ){新妓};さんならきっと居るやろ。聞いて見や。喜野、ソレお急ぎじゃ、廊下走って、電話へ&ruby(かか){掛};れや。」~
 ~
        九~
 ~
 「持って来い、さあ、何んだ&ruby(かざぐるま){風車};。」~
  急に&ruby(いきおい){勢};の&ruby(い){可};い声を出した、饂飩屋に飲む博多節の&ruby(あにい){兄哥};は、霜の上の&ruby(かんざけ){燗酒};で、月あかりに直ぐ&ruby(さ){醒};める、色の白いのもそのままであったが、二三杯、&ruby(あおっきり){呷切};の茶碗酒で、目の&ruby(ふち){縁};へ、&ruby(さっ){颯};と&ruby(よい){酔};が出た。~
 「勝手にピイピイ吹いておれ、でんでん太鼓に&ruby(しょう){笙};の笛、こっちあ&ruby(こども){小児};だ、なあ、&ruby(おっか){阿媽};。……いや、&ruby(おかみ){女房};さん、それにしても何かね、御当処は、この桑名と云う所は、按摩の多い所かね。」と笛の音に瞳がちらつく。~
 「あんたもな、按摩の目は&ruby(かき){蠣};や云います。名物は&ruby(はまぐり){蛤};じゃもの、別に何も、多い訳はないけれど、ここは&ruby(しんち){新地};なり、旅籠屋のある町やに因って、つい、あの&ruby(しゅ){衆};が、あちこちから稼ぎに来るわな。」~
 「そうだ、&ruby(くるわ){成程新地};だった。」となぜか一人で納得して、気の抜けたような片手を&ruby(つ){支};く。~
 「お師匠さん、あんた、これからその&ruby(のど){音声};を&ruby(げいこや){芸妓屋};の&ruby(かど){門};で聞かしてお見やす。ほんに、&ruby(ひとじに){人死};が出来ようも知れぬぜな。」と襟の処で、塗盆をくるりと廻す。~
 「飛んだ合せかがみだね、人死が出来て&ruby(たま){堪};るものか。第一、&ruby(げいしゃや){芸妓屋};の前へは、うっかり立てねえ。」~
 「なぜえ。」~
 「悪くすると&ruby(かたき){敵};に&ruby(でっくわ){出会};す。」と&ruby(なげくび){投首};する。~
 「あれ、芸が身を助けると言う、……お師匠さん、あんた、芸妓};&ruby(げいこ){ゆえの、お身の上かえ。……ほんにな、&ruby(かたき){仇};だすな。」~
 「違った! 芸者の方で、私が敵さ。」~
 「あれ、のけのけと、あんな憎いこと言いなさんす。」と言う処へ、月は片明りの向う側。狭い町の、ものの&ruby(けはい){気勢};にも暗い軒下を、からころ、からころ、&ruby(こまげた){駒下駄};の音が、土間に&ruby(しみこ){浸込};むように響いて来る。……と直ぐその&ruby(あしもと){足許};を&ruby(くぐ){潜};るように、按摩の笛が寂しく聞える。~
  門附は&ruby(きっ){屹};と見た。~
 「噂をすれば、&ruby(げいこ){芸妓};はんが通りまっせ。あんた、見たいなら障子を開けやす……そのかわり、敵打たりょうと思うてな。」~
 「ああ、いつでも打たれてやら。ちょッ、&ruby(いや){可厭};に&ruby(うるさ){煩};く笛を吹くない。」~
  かたりと&ruby(かど){門};の戸を外から開ける。~
 「ええ、&ruby(びっくり){吃驚};すら。」~
 「今晩は、――饂飩六ツ急いでな。」と&ruby(ぞうりば){草履穿};きの&ruby(はんてんぎ){半纏着};、背中へ白く月を浴びて、赤い鼻をぬいと出す。~
 「へい。」と筒抜けの高調子で、亭主帳場へ棒に&ruby(つッた){突立};ち、~
 「お方、そりゃ早うせぬかい。」~
  女房は澄ましたもので、~
 「美しい&ruby(あしおと){跫音};やな、どこの?」と聞く。~
 「こないだ山田の新町から住替えた、こんの島家の&ruby(しんこ){新妓};じゃ。」と言いながら、鼻赤の若い衆は、&ruby(のぞ){覗};いた顔を外に曲げる。~
  と門附は、&ruby(うしろ){背後};の壁へ胸を反らして、ちょっと伸上るようにして、戸に立つ男の肩越しに、&ruby(こう){皎};とした月の&ruby(くるわ){廓};の、細い&ruby(とおり){通};を見透かした。~
  駒下駄はちと音低く、まだ、からころと響いたのである。~
 「&ruby(たんと){沢山};出なさるかな。」~
 「まあ、こんの饂飩のようには行かぬで。」~
 「その気で、すぐに届けますえ。」~
 「はい頼んます。」と、男は返る。~
  亭主帳場から&ruby(うしろ){背後};向きに、&ruby(ひよりげた){日和下駄};を探って下り、がたりびしりと手当り強く、そこへ&ruby(ひろぶた){広蓋};を&ruby(だしか){出掛};ける。ははあ、夫婦二人のこの店、気の毒千万、御亭が出前持を兼ねると見えたり。~
 「裏表とも気を&ruby(つ){注};けるじゃ、&ruby(え){可};いか、可いか。ちょっと道寄りをして来るで、可いか、お方。」~
  とそこいらじろじろと&ruby(ねめまわ){睨廻};して、新地の月に&ruby(ちょうちん){提灯};&ruby(い){入};らず、片手懐にしたなりで、亭主が出前、ヤケにがっと戸を開けた。&ruby(あと){後};を閉めないで、ひょこひょこ出て&ruby(ゆ){行};く。~
  釜の湯気が&ruby(さっ){颯};と分れて、門附の頬に影がさした。~
  女房横合から来て、~
 「いつまで、うっかり見送ってじゃ、そんなに&ruby(かたき){敵};が打たれたいの。」~
 「&ruby(おかみ){女房};さん、桑名じゃあ……芸者の箱屋は按摩かい。」と&ruby(ぞっ){悚気};としたように肩を細く、この時やっと居直って、女房を見た、色が悪い。~
 ~
        十~
 ~
 「そうさ、いかに伊勢の&ruby(はまおぎ){浜荻};だって、按摩の箱屋というのはなかろう。私もなかろうと思うが、今向う側を何んとか屋の&ruby(しんこ){新妓};とか云うのが、からんころんと通るのを、何心なく見送ると、あの、一軒おき二軒おきの、&ruby(のきあんどん){軒行燈};では&ruby(あさぎ){浅葱};になり、月影では青くなって、薄い紫の座敷着で、&ruby(つま){褄};を&ruby(けだ){蹴出};さず、ひっそりと、白い襟を&ruby(うつむ){俯向};いて、足の運びも進まないように何んとなく&ruby(しお){悄};れて行く。……その&ruby(あと){後};から、鼠色の影法師。女の影なら月に&ruby(つち){地};を&ruby(は){這};う&ruby(はず){筈};だに、寒い&ruby(どうろくじん){道陸神};が、のそのそと四五尺離れた処を、ずっと&ruby(むこう){前方};まで附添ったんだ。腰附、肩附、&ruby(ある){歩行};く&ruby(ふり){振};、&ruby(で){捏};っちて&ruby(くッつ){附着};けたような&ruby(ぶかっこう){不恰好};な&ruby(あたま){天窓};の工合、どう見ても按摩だね、&ruby(めくら){盲人};らしい、めんない千鳥よ。……私あ何んだ、だから、按摩が箱屋をすると云っちゃ&ruby(おかし){可笑};い、&ruby(めくら){盲目};になった箱屋かも知れないぜ。」~
 「どんな風の、どれな。」~
  と&ruby(かど){門};へ出そうにする。~
 「いや、もう見えない。呼ばれた&ruby(うち){家};へ入ったらしい。二人とも、ずっと&ruby(さき){前方};で居なくなった。そうか。ああ、盲目の箱屋は居ねえのか。アまた&ruby(ふ){殖};えたぜ……影がさす、笛の音に影がさす、按摩の笛が降るようだ。この寒い月に&ruby(つも){積};ったら、桑名の町は針の山になるだろう、&ruby(たま){堪};らねえ。」~
  とぐいと&ruby(あお){呷};って、~
 「ええ、ヤケに飲め、一杯どうだ、&ruby(おかみ){女房};さん附合いねえ。御亭主は留守だが、&ruby(あけっぱな){明放};しよ、……構うものか。それ向う三軒の屋根越に、雪坊主のような山の影が&ruby(のぞ){覗};いてら。」~
  と門を振向き、あ、と叫んで、~
 「来た、来た、来た、来やあがった、来やあがった、按摩々々、按摩。」~
  と&ruby(いき){呼吸};も&ruby(つ){吐};かず、続けざまに&ruby(せきこ){急込};んだ、自分の声に、町の中に、ぬい、と立って、杖を&ruby(あしもと){脚許};へ&ruby(はすっか){斜交};いに&ruby(つッぱ){突張};りながら、目を白く&ruby(あおむ){仰向};いて、月に小鼻を照らされた流しの按摩が、呼ばれたものと心得て、そのまま&ruby(いてつ){凍附};くように立留まったのも、門附はよく分らぬ&ruby(さま){状};で、~
 「影か、影か、&ruby(おっかあ){阿媽};、ほんとの按摩か、影法師か。」~
  と激しく聞く。~
 「ほんとなら、どうおしる。&ruby(あんた){貴下};、そんなに按摩さんが恋しいかな。」~
 「恋しいよ! ああ、」~
  と&ruby(いき){呼吸};を&ruby(つ){吐};いて、見直して、眉を&ruby(ひそ){顰};めながら、&ruby(こわだか){声高};に笑った。~
 「ははははは、按摩にこがれてこの&ruby(てい){体};さ。おお、按摩さん、按摩さん、さあ入ってくんねえ。」~
  門附は、&ruby(ばち){撥};を&ruby(の){除};けて、&ruby(しょうぎ){床几};を叩いて、~
 「一つ頼もう。&ruby(おかみ){女房};さん、済まないがちょいと借りるぜ。」~
 「この畳へ来て横におなりな。按摩さん、お客だす、あとを閉めておくんなさい。」~
 「へい。」~
  コトコトと杖の音。~
 「ええ……とんと早や、影法師も同然なもので。」と&ruby(かす){掠};れ声を白く出して、黒いけんちゅう&ruby(ようかんいろ){羊羹色};の&ruby(ひふ){被布};を着た、&ruby(ともしび){燈};の影は、赤くその&ruby(しわ){皺};の中へさし込んだが、日和下駄から消えても&ruby(う){失};せず、片手を泳ぎ、片手で酒の香を&ruby(かぎわ){嗅分};けるように入った。~
 「聞えたか。」~
  とこの門附は、権のあるものいいで、五六本銚子の並んだ、膳をまた&ruby(わき){傍};へずらす。~
 「へへへ」とちょっと鼻をすすって、ふん、とけなりそうに&ruby(におい){香};を&ruby(か){嗅};ぐ。~
 「待ちこがれたもんだから、&ruby(そと){戸外};を犬が走っても、按摩さんに見えたのさ。こう、悪く言うんじゃないぜ……そこへぬっくりと&ruby(あらわ){顕};れたろう、酔っている、幻かと思った。」~
 「ほんに待兼ねていなさったえ。あの、笛の音ばかり気にしなさるので、私もどうやら&ruby(よ){解};めなんだが、やっと分ったわな、何んともお待遠でござんしたの。」~
 「これは、おかみさま、&ruby(ごはんじょう){御繁昌};。」~
 「お客はお一人じゃ、ゆっくり療治してあげておくれ。それなりにお&ruby(よ){寝};ったら、お泊め申そう。」~
  と言う。~
  按摩どの、けろりとして、~
 「ええ、その気で、念入りに一ツ、&ruby(つかま){掴};りましょうで。」と我が手を握って、&ruby(ひし){拉};ぐように、ぐいと&ruby(も){揉};んだ。~
 「へい、旦那。」~
 「旦那じゃねえ。ものもらいだ。」とまた&ruby(あお){呷};る。~
  女房が&ruby(そっ){竊};と&ruby(にら){睨};んで、~
 「滅相な、あの、言いなさる。」~
 ~
        十一~
 ~
 「いや、横になるどころじゃない、沢山だ、ここで沢山だよ。……第一背中へ&ruby(つか){掴};まられて、&ruby(ひといき){一呼吸};でも&ruby(こた){応};えられるかどうだか、実はそれさえ&ruby(おぼつか){覚束};ない。悪くすると、そのまま目を&ruby(まわ){眩};して&ruby(ぶったお){打倒};れようも知れんのさ。&ruby(てい){体};よく按摩さんに掴み殺されるといった形だ。」~
  と真顔で言う。~
 「飛んだ事をおっしゃりませ、田舎でも、これでも、長年年期を入れました杉山流のものでござります。&ruby(きゅうび){鳩尾};に&ruby(はり){鍼};をお打たせになりましても、決して間違いのあるようなものではござりませぬ。」と&ruby(あき){呆};れたように、按摩の&ruby(む){剥};く目は&ruby(あお){蒼};かりけり。~
 「うまい、まずいを言うのじゃない。いつの&ruby(いくか){幾日};にも&ruby(なんどき){何時};にも、&ruby(しゃれ){洒落};にもな、生れてからまだ一度も按摩さんの味を知らないんだよ。」~
 「まあ、あんなにあんた、こがれなさった癖に。」~
 「そりゃ、張って張って仕様がないから、目にちらつくほど待ったがね、いざ……となると&ruby(ういざん){初産};です、&ruby(きゅう){灸};の皮切も同じ事さ。どうにも勝手が分らない。痛いんだか、&ruby(かゆ){痒};いんだか、&ruby(うわさ){風説};に因ると&ruby(くすぐ){擽};ったいとね。多分私も擽ったかろうと思う。……ところがあいにく、&ruby(おふくろ){母親};が操正しく、これでも&ruby(まおとこ){密夫};の&ruby(こ){児};じゃないそうで、その擽ったがりようこの上なし。……あれ、あんなあの、&ruby(にぎりめし){握飯};を&ruby(こさ){拵};えるような手附をされる、とその手で揉まれるかと思ったばかりで、もう&ruby(たま){堪};らなく擽ったい。どうも、ああ、こりゃ&ruby(いけね){不可};え。」~
  と脇腹へ&ruby(りょうひじ){両肱};を、しっかりついて、&ruby(かいすく){掻竦};むように脊筋を&ruby(よ){捻};る。~
 「ははははは、これはどうも。」と按摩は手持不沙汰な風。~
  女房&ruby(あらた){更};めて顔を&ruby(のぞ){覗};いて、~
 「何んと、まあ、可愛らしい。」~
 「同じ事を、&ruby(かわいそう){可哀想};だ、と言ってくんねえ。……そうかと言って、こう張っちゃ、身も皮も石になって&ruby(かたま){固};りそうな、&ruby(せなか){背};が&ruby(つま){詰};って胸は裂ける……揉んでもらわなくては&ruby(やりき){遣切};れない。遣れ、構わない。」~
  と激しい声して、片膝を&ruby(きっ){屹};と立て、~
 「殺す気で&ruby(かか){蒐};れ。こっちは覚悟だ、さあ。ときに&ruby(おかみ){女房};さん、&ruby(そです){袖摺};り合うのも&ruby(たしょう){他生};の縁ッさ。旅空掛けてこうしたお世話を受けるのも&ruby(さき){前};の世の何かだろう、何んだか、おなごりが&ruby(おし){惜};いんです。&ruby(つかみころ){掴殺};されりゃそれきりだ、も一つ&ruby(はばか){憚};りだがついでおくれ、別れの杯になろうも知れん。」~
  と&ruby(しずく){雫};を切って、ついと出すと、他愛なさもあんまりな、目の色の変りよう、&ruby(まなじり){眦};も&ruby(きっ){屹};となったれば、女房は気を打たれ、&ruby(だんまり){黙然};でただ目を&ruby(みは){睜};る。~
  と&ruby(しずく){雫};を切って、ついと出すと、他愛なさもあんまりな、目の色の変りよう、&ruby(まなじり){眦};も&ruby(きっ){屹};となったれば、女房は気を打たれ、&ruby(だんまり){黙然};でただ目を&ruby(みは){女?;る。~
 「さあ按摩さん。」~
 「ええ、」~
 「&ruby(おかみ){女房};さん&ruby(つ){酌};いどくれよ!」~
 「はあ、」と酌をする手がちと震えた。~
  この茶碗を、一息に仰ぎ干すと、按摩が手を掛けたのと一緒であった。~
  がたがたと身震いしたが、&ruby(おもて){面};は&ruby(さいわい){幸};に紅潮して、~
 「ああ、&ruby(はらわた){腸};へ&ruby(しみとお){沁透};る!」~
 「何かその、何事か存じませぬが、按摩は大丈夫でござります。」と、これもおどつく。~
 「まず、」~
  と&ruby(つッぱ){突張};った手をぐたりと緩めて、~
 「&ruby(いのち){生命};に別条は無さそうだ、しかし、しかし&ruby(こた){応};える。」~
  とがっくり&ruby(うつむ){俯向};いたのが、ふらふらした。~
 「月は寒し、炎のようなその指が、火水となって骨に響く。胸は冷い、耳は熱い。&ruby(み){肉};は燃える、血は冷える。あっ、」と言って、両手を落した。~
  &ruby(びっくり){吃驚};して按摩が手を引く、その&ruby(くちばし){嘴};や&ruby(たこ){鮹};に似たり。~
  &ruby(あにい){兄哥};は、しっかり起直って、~
 「いや、手をやすめず遣ってくれ、あわれと思って&ruby(しずか){静};に……よしんば&ruby(そっ){徐};と揉まれた処で、私は五体が砕ける思いだ。~
  その思いをするのが&ruby(いや){可厭};さに、いろいろに悩んだんだが、&ruby(よ){避};ければ&ruby(すりつ){摺着};く、過ぎれば&ruby(ひっぱ){引張};る、逃げれば追う。形が無ければ声がする……ピイピイ笛は&ruby(せめだいこ){攻太鼓};だ。こうひしひしと&ruby(よッつ){寄着};かれちゃ、弱いものには我慢が出来ない。&ruby(ふち){淵};に臨んで、&ruby(がけ){崕};の上に&ruby(みお){瞰下};ろして&ruby(ふみとど){踏留};まる&ruby(きもだま){胆玉};のないものは、いっその思い、&ruby(まっさかさま){真逆};に飛込みます。破れかぶれよ、按摩さん、&ruby(いとこ){従兄弟};&ruby(はとこ){再従兄弟};か、&ruby(おじおい){伯父甥};か、親類なら、さあ、&ruby(かたき){敵};を取れ。私はね、……お仲間の按摩を一人殺しているんだ。」~
 ~
        十二~
 ~
 「今からちょうど三年前。……その年は、この月から一月&ruby(おくれ){後};の&ruby(しわす){師走};の末に、名古屋へ用があって来た。ついでと言っては悪いけれど、&ruby(かせぎ){稼};の繰廻しがどうにか附いて、参宮が出来るというのも、お伊勢様の&ruby(おぼしめし){思召};、&ruby(みょうが){冥加};のほど&ruby(ありがた){難有};い。ゆっくり&ruby(ふるいち){古市};に&ruby(とうりゅう){逗留};して、それこそついでに、……&ruby(あさまやま){浅熊山};の雲も見よう、&ruby(たけ){鼓ヶ嶽};の&ruby(しらべ){調};も聞こう。&ruby(ふたみ){二見};じゃ初日を拝んで、堺橋から、池の浦、沖の島で空が別れる、&ruby(かみごおり){上郡};から志摩へ入って、&ruby(ひよりやま){日和山};を見物する。……海が&ruby(な){凪};いだら船を出して、&ruby(いらこ){伊良子};ヶ崎の&ruby(なまこ){海鼠};で飲もう、何でも五日六日は逗留というつもりで。……山田では尾上町の藤屋へ泊った。驚くべからず――まさかその時は私だって、浴衣に&ruby(あわせ){袷};じゃ居やしない。~
  着換えに&ruby(もんつき){紋付};の一枚も持った、&ruby(しま){縞};で&ruby(かさね){襲衣};の若旦那さ。……ま、こう、雲助が&ruby(けいせいがい){傾城買};の昔を語る……&ruby(まけおし){負惜};みを言うのじゃないよ。何も自分の働きでそうした訳じゃないのだから。――聞きねえ、親なり、叔父なり、師匠なり、恩人なりという、……私が稼業じゃ江戸で一番、日本中の家元の大黒柱と云う、&ruby(すこはげ){少兀};の苦い&ruby(つら){面};した&ruby(おやじ){阿父};がある。~
  いや、その&ruby(がんしょく){顔色};に似合わない、気さくに&ruby(ふざけ){巫山戯};た&ruby(えどッこ){江戸児};でね。&ruby(ぎょうねん){行年};その時六十歳を、三つと刻んだはおかしいが、数え年のサバを&ruby(よ){算};んで、私が代理に宿帳をつける時は、天地人とか何んとか言って、&ruby(ぜん){禅};の問答をするように、指を三本、ひょいと出してギロリと&ruby(にら){睨};む……五十七歳とかけと云うのさ。&ruby(い){可};いかね、その気だもの……旅籠屋の女中が出てお給仕をする前では、&ruby(おとっ){阿父};さんが大の禁句さ。……与一兵衛じゃあるめえし、&ruby(てめえ){汝};、&ruby(さだくろう){定九郎};のように呼ぶなえ、と唇を&ruby(ねじま){捻曲};げて、叔父さんとも言わせねえ、兄さんと呼べ、との御意だね。~
  この叔父さんのお供だろう。道中の面白さ。酒はよし、景色はよし、日和は続く。どこへ行っても女はふらない。師走の山路に、嫁菜が盛りで、しかも&ruby(おおりん){大輪};が咲いていた。~
  とこの桑名、四日市、亀山と、伊勢路へ&ruby(かか){掛};った汽車の中から、おなじ切符のたれかれが――その&ruby(もよおし){催};について名古屋へ行った、私たちの、まあ……興行か……その興行の&ruby(うわさ){風説};をする。嘘にもどうやら、私の評判も&ruby(よ){可};さそうな。叔父はもとより。……何事も言うには及ばん。――私が口で&ruby(しゃべ){饒舌};っては、流儀の恥になろうから、まあ、&ruby(なにがし){何某};と言ったばかりで、世間は承知すると思って、聞きねえ。~
  ところがね、その私たちの事を言うついでに、この伊勢へ入ってから、きっと一所に出る、人の名がある。可いかい、山田の古市に&ruby(そういち){惣市};と云う&ruby(あんまはり){按摩鍼};だ。」~
  門附はその名を言う時、うっとりと瞳を据えた。&ruby(せなか){背};を&ruby(いだ){抱};くように&ruby(うしろ){背後};に立った按摩にも、&ruby(しょうぎ){床几};に近く裾を投げて、向うに腰を掛けた女房にも、目もくれず、&ruby(じっ){凝};と天井を仰ぎながら、&ruby(むなさき){胸前};にかかる湯気を忘れたように手で&ruby(さば){捌};いて、~
 「按摩だ、がその按摩が、&ruby(もと){旧};はさる大名に仕えた士族の&ruby(はて){果};で、聞きねえ。私等が流儀と、&ruby(おんな){同};じその道の芸の上手。江戸の宗家も、本山も、当国古市において、一人で兼ねたり、という&ruby(いきおい){勢};で、自ら&ruby(そうざん){宗山};と&ruby(なの){名告};る&ruby(てんぐ){天狗};。高慢も高慢だが、また出来る事も出来る。……東京の本場から、誰も来て&ruby(おびや){怯};かされた。&ruby(それがし){某};も参って&ruby(ひし){拉};がれた。あれで一眼でも有ろうなら、三重県に居る&ruby(しろもの){代物};ではない。今度名古屋へ来た連中もそうじゃ、&ruby(にせもの){贋物};ではなかろうから、何も宗山に稽古をしてもらえとは言わぬけれど、&ruby(うなぎ){鰻};の&ruby(ほか){他};に、&ruby(たい){鯛};がある、味を知って帰れば可いに。――と&ruby(さいはじ){才発};けた&ruby(あきんど){商人};風のと、でっぷりした金の入歯の、土地の物持とも思われる奴の話したのが、&ruby(うわさ){風説};の中でも耳に付いた。~
  叔父はこくこく&ruby(いねむり){坐睡};をしていたっけ。&ruby(わっし){私};あ若気だ、襟巻で顔を隠して、&ruby(にら){睨};むように二人を見たのよ、ね。~
  宿の藤屋へ着いてからも、わざと、叔父を一人で湯へ遣り……女中にもちょっと聞く。……&ruby(あいさつ){挨拶};に出た番頭にも、按摩の惣市、宗山と云う、これこれした芸人が居るか、と聞くと、誰の返事も同じ事。思ったよりは高名で、現に、この頃も藤屋に泊った、&ruby(なにがしこう){何某侯};の御隠居の御召に因って、&ruby(かみしも){上下};で座敷を&ruby(し){勤};た時、(さてもな、鼓ヶ嶽が近いせいか、これほどの松風は、東京でも聞けぬ、)と御賞美。~
 (&ruby(てきら){的等};にも聞かせたい。)と宗山が言われます、とちょろりと&ruby(しゃべ){饒舌};った。&ruby(わっし){私};が&ruby(なかま){夥間};を――(的等。)と言う。~
  的等の&ruby(いちにん){一人};、かく言う私だ……」~
 ~
        十三~
 ~
 「なお聞けば、古市のはずれに、その惣市、小料理屋の店をして、&ruby(めかけ){妾};の三人もある、大した&ruby(いきおい){勢};だ、と言うだろう。――何を!……按摩の分際で、宗家の、宗の字、この道の、本山が&ruby(すさま){凄};じい。~
  こう、按摩さん、舞台の&ruby(さし){差};は&ruby(かに){堪忍};してくんな。」~
  と、&ruby(そっ){竊};と痛そうに胸を&ruby(おさ){圧};えた。~
 「後で、よく気がつけば、信州のお百姓は、東京の芝居なんぞ、ほんとの&ruby(しし){猪};はないとて威張る。……な、宮重大根が日本一なら、&ruby(かぶ){蕪};の千枚漬も皇国無双で、早く言えば、この桑名の、焼蛤も三都無類さ。~
  その気で居れば可いものを、二十四の前厄なり、若気の&ruby(いちず){一図};に&ruby(いらいら){苛々};して、第一その宗山が気に入らない。(的等。)もぐっと癪(しゃく){に障れば、妾三人で&ruby(かっ){赫};とした。~
  維新以来の世がわりに、……&ruby(ひとしきり){一時};私等の稼業がすたれて、&ruby(なかま){夥間};が食うに困ったと思え。弓矢取っては一万石、大名株の芸人が、イヤ&ruby(ようじ){楊枝};を削る、かるめら焼を露店で売る。……&ruby(そばや){蕎麦屋};の出前持になるのもあり、現在私がその&ruby(おじご){小父者};などは、田舎の役場に小使いをして、濁り酒のかすに酔って、&ruby(たんぼ){田圃};の&ruby(あぜ){畝};に寝たもんです。……~
  その妹だね、可いかい、私の&ruby(おふくろ){阿母};が、振袖の年頃を、困る処へ附込んで、&ruby(こがね){小金};を溜めた按摩めが、ちとばかりの貸を&ruby(かせ){枷};に、妾にしよう、と追い廻わす。――&ruby(あぶな){危};く駒下駄を踏返して、&ruby(かご){駕籠};でなくっちゃ見なかった隅田川へ落ちようとしたっさ。――その話にでも嫌いな按摩が。~
  ええ。~
  待て、見えない両眼で、&ruby(うぬ){汝};が身の程を&ruby(あかる){明};く見るよう、療治を一つしてくりょう。~
  で、&ruby(あくるひ){翌日};は謹んで、参拝した。~
  その尊さに、その晩ばかりはちっとの酒で宵寝をした、叔父の夜具の裾を叩いて、&ruby(まくらもと){枕許};へ水を置き、~
 (女中、そこいらへ見物に、)~
  と言った心は、穴を&ruby(おさ){圧};えて、宗山を退治る&ruby(りょうけん){料簡};。~
  と出た、風が荒い。荒いがこの風、&ruby(いすずがわ){五十鈴川};で&ruby(かぎ){劃};られて、宇治橋の向うまでは吹くまいが、相の山の長坂を下から&ruby(どっ){哄};と吹上げる……これが悪く&ruby(なまぬる){生温};くって、&ruby(あかり){灯};の前じゃ砂が黄色い。月は雲の底に&ruby(どんよ){淀};りしている。&ruby(かみじやま){神路山};の樹は&ruby(あお){蒼};くても、二見の波は白かろう。&ruby(ひど){酷};い&ruby(いきおい){勢};、ぱっと吹くので、たじたじとなる。帽子が飛ぶから、そのまま、藤屋が店へ投返した……と脊筋へ&ruby(はら){孕};んで、坊さんが忍ぶように羽織の袖が&ruby(ひらひら){飜々};する。着換えるのも面倒で、昼間のなりで、&ruby(かみもう){神詣};での紋付さ。――袖畳みに&ruby(ふところ){懐中};へ&ruby(ねじこ){捻込};んで、何の&ruby(しゃれ){洒落};にか、手拭で頬被りをしたもんです。~
  門附になる前兆さ、&ruby(ざま){状};を見やがれ。」と片手を袖へ、二の腕深く&ruby(つッこ){突込};んだ。片手で&ruby(ねら){狙};うように茶碗を&ruby(おさ){圧};えて、~
 「ね、古市へ行くと、まだ宵だのに&ruby(ひっそり){寂然};している。……軒が、がたぴしと鳴って、&ruby(のきあんどん){軒行燈};がばッばッ揺れる。&ruby(さみせん){三味線};の音もしたけれど、&ruby(ふき){吹};さらわれて大屋根へ猫の姿でけし飛ぶようさ。何の事はない、今夜のこの寂しい新地へ、風を持って来て、&ruby(ぶッつ){打着};けたと思えば可い。~
  一軒、&ruby(つち){地};のちと&ruby(くぼ){窪};んだ処に、&ruby(どぶいた){溝板};から直ぐに竹の&ruby(てすり){欄干};になって、&ruby(もうせん){毛氈};の端は&ruby(はねあが){刎上};り、畳に赤い島が出来て、&ruby(ランプ){洋燈};は油煙に&ruby(くすぶ){燻};ったが、&ruby(まっしろ){真白};に塗った姉さんが一人居る、空気銃、吹矢の店へ、ひょろりとして&ruby(ひっかか){引掛};ったね。~
  &ruby(とッつ){取着};きに、&ruby(ひじ){肱};を&ruby(つ){支};いて、怪しく正面に&ruby(まなこ){眼};の光る、悟った顔の&ruby(だるまさま){達磨様};と、女の顔とを、七分三分に狙いながら、~
 (この辺に宗山ッて按摩は居るかい。)とここで実は様子を聞く気さ。押懸けて&ruby(ゆ){行};こうたってちっとも勝手が知れないから。~
 (先生様かね、いらっしゃります。)と何と、(的等。)の一人に、先生を、しかも、様づけに呼ぶだろう。~
 (実は、その人の何を、一つ、聞きたくって来たんだが、誰が行っても頼まれてくれるだろうか。)と尋ねると、&ruby(おおのし){大熨斗};を書いた幕の影から、色の&ruby(あお){蒼};い、&ruby(びん){鬢};の乱れた、&ruby(や){痩};せた&ruby(ちゅうどしま){中年増};が顔を出して、(&ruby(ちかづき){知己};のない、旅の方にはどうか知らぬ、お&ruby(のぞみ){望};なら、内から案内して上げましょうか。)と言う。~
  茶代を&ruby(はず){奮発};んで、頼むと言った。~
 (案内して上げなはれ、&ruby(い){可};い旦那や、気を付けて、)と&ruby(めくばせ){目配};をする、……と雑作はない、その塗ったのが、いきなり、欄干を&ruby(また){跨};いで出る奴さ。」~
 ~
        十四~
 ~
 「両袖で口を&ruby(ふさ){塞};いで、風の中を&ruby(うつむ){俯向};いて&ruby(ゆ){行};く。……その女の案内で、つい向う路地を入ると、どこも吹附けるから、戸を&ruby(さ){鎖};したが、怪しげな&ruby(あんどん){行燈};の&ruby(あお){煽};って見える、ごたごたした両側の長屋の中に、&ruby(どぶいた){溝板};の広い、格子戸造りで、この一軒だけ二階屋。~
  軒に、&ruby(おんりょうり){御手軽御料理};としたのが、宗山先生の&ruby(すまい){住居};だった。~
 (お客様。)と云う女の送りで、ずッと入る。直ぐそこの長火鉢を取巻いて、三人ばかり、変な女が、立膝やら、横坐りやら、猫板に頬杖やら、料理の方は&ruby(ひま){隙};らしい。……&ruby(あがりかまち){上框};の正面が、&ruby(とッつ){取着};きの狭い&ruby(はしごだん){階子段};です。~
 (座敷は二階かい、)と&ruby(いきなり){突然};&ruby(ほおかむり){頬被};を取って上ろうとすると、風立つので&ruby(あかり){燈};を置かない。&ruby(まっくら){真暗};だからちょっと待って、と色めいてざわつき出す。とその拍子に風のなぐれで、奴等の上の&ruby(つりランプ){釣洋燈};がぱっと消えた。~
  そこへ、&ruby(なかじきり){中仕切};の障子が、次の&ruby(ま){室};の&ruby(あかり){燈};にほのめいて、二枚見えた。&ruby(まんなか){真中};へ、ぱっと映ったのが、大坊主の額の出た、唇の&ruby(おおき){大};い影法師。む、宗山め、居るな、と思うと、憎い事には……影法師の、その背中に&ruby(つか){掴};まって、坊主を&ruby(も){揉};んでるのが&ruby(きゃしゃ){華奢};らしい島田&ruby(まげ){髷};で、この影は、濃く映った。~
  &ruby(マッチ){火燧};々々、と女どもが云う内に、~
 (えへん)と&ruby(せきばらい){咳};を太くして、&ruby(おおき){大};な手で、灰吹を持上げたのが見えて、離れて&ruby(きせる){煙管};が映る。――もう一倍、その時図体が拡がったのは、袖を開いたらしい。&ruby(こいつ){此奴};、&ruby(ね){寝};ん&ruby(ねこ){寝子};の&ruby(どてら){広袖};を着ている。~
  やっと台洋燈を&ruby(つ){点};けて、~
 (お待遠でした、さあ、)~
  って二階へ。吹矢の店から送って来た女はと、中段からちょっと見ると、両膝をずしりと、そこに居た奴の&ruby(うしろ){背後};へ火鉢を離れて、&ruby(うつむ){俯向};いて坐った。~
 (あの&ruby(こ){娘};で&ruby(い){可};いのかな、&ruby(ほか){他};にもござりますよって。)~
  と六畳の表座敷で低声で言うんだ。――ははあ、商売も&ruby(あらまし){大略};分った、と思うと、&ruby(そいつ){其奴};が~
 (お&ruby(あつらえ){誂};は。)~
  と&ruby(おおき){大};な声。~
 (あっさりしたものでちょっと一口。そこで……)~
  実は……御主人の按摩さんの、&ruby(のど){咽喉};が一つ聞きたいのだ、と話した。~
 (咽喉?)……と其奴がね、&ruby(おつ){異};に&ruby(さげす){蔑};んだ笑い方をしたものです。~
 (先生様の……でござりますか、早速そう申しましょう。)~
  で、地獄の&ruby(てびき){手曳};め、急に&ruby(えもんづくろ){衣紋繕};いをして下りる。しばらくして上って来た&ruby(とし){年紀};の&ruby(わか){少};い十六七が、……こりゃどうした、よく言う口だが&ruby(はきだめ){芥溜};に水仙です、鶴です。帯も襟も&ruby(とうちりめん){唐縮緬};じゃあるが、もみじのように美しい。&ruby(いいわた){結綿};のふっくりしたのに、&ruby(あさぎ){浅葱};&ruby(か){鹿};の子の&ruby(しぼだか){絞高};な手柄を掛けた。やあ、三人あると云う、妾の一人か。おおん神の、お&ruby(ひざもと){膝許};で沙汰の限りな! 宗山坊主の背中を揉んでた島田髷の影らしい。惜しや、五十鈴川の星と澄んだその目許も、&ruby(なまず){鯰};の&ruby(ひれ){鰭};で濁ろう、と&ruby(あわれ){可哀};に思う。この娘が紫の&ruby(ふくさ){袱紗};に&ruby(の){載};せて、薄茶を持って来たんです。~
  いや、御本山の御見識、その&ruby(のど){咽喉};を聞きに来たとなると……客にまず&ruby(はかま){袴};を&ruby(は){穿};かせる&ruby(しむけ){仕向};をするな、真剣勝負面白い。で、こっちも&ruby(いきおい){勢};、&ruby(ふところ){懐中};から羽織を出して着直したんだね。~
  やがて、また持出した、&ruby(さかずき){杯};というのが、朱塗に二見ヶ浦を&ruby(きんまきえ){金蒔絵};した、杯台に構えたのは&ruby(すご){凄};かろう。~
 (まず一ツ上って、こっちへ。)~
  と按摩の方から、この杯の指図をする。その工合が、謹んで聞け、といった、&ruby(すこぶ){頗};る権高なものさ。どかりとそこへ構え込んだ。その&ruby(ようす){容子};が膝も腹もずんぐりして、&ruby(どうなか){胴中};ほど&ruby(のど){咽喉};が太い。耳の&ruby(わき){傍};から&ruby(みけん){眉間};へ掛けて、小蛇のように筋が&ruby(うね){畝};くる。眉が薄く、鼻がひしゃげて、ソレその唇の厚い事、おまけに頬骨がギシと出て、歯を&ruby(か){噛};むとガチガチと鳴りそう。左の一眼べとりと&ruby(し){盲};い、右が&ruby(しろまなこ){白眼};で、ぐるりと&ruby(かえ){飜};った、しかも一面、念入の&ruby(くろあばた){黒痘瘡};だ。~
  が、争われないのは、&ruby(かたわ){不具者};の&ruby(そうごう){相格};、肩つきばかりは、みじめらしくしょんぼりして、&ruby(い){猪};の熊入道もがっくり投首の&ruby(ぬきえもん){抜衣紋};で居たんだよ。」~
 ~
        十五~
 ~
 「いえな、何も私が意地悪を言うわけではないえ。」~
  と湊屋の女中、前垂の膝を堅くして――&ruby(かたわら){傍};に柔かな髪の&ruby(ふっさ){房};りした島田の&ruby(びん){鬢};を重そうに&ruby(さしうつむ){差俯向};く……襟足白く冷たそうに、&ruby(ときいろ){水紅色};の&ruby(はぶたえ){羽二重};の、無地の&ruby(ながじゅばん){長襦袢};の肩が&ruby(すべ){辷};って、寒げに脊筋の抜けるまで、&ruby(なよ){嫋};やかに、&ruby(うちしお){打悄};れた、残んの&ruby(よめな){嫁菜花};の薄紫、&ruby(あさぎ){浅葱};のように目に淡い、藤色&ruby(ちりめん){縮緬};の二枚着で、姿の寂しい、&ruby(はたち){二十};ばかりの若い芸者を&ruby(しりめ){流盻};に掛けつつ、~
 「このお座敷は&ruby(もろ){貰};うて上げるから、なあ&ruby(あんた){和女};、もうちゃっと内へお&ruby(い){去};にや。……島家の、あの&ruby(みえ){三重};さんやな、和女、お三重さん、お帰り!」~
  と&ruby(きっ){屹};と言う。~
 「お前さんがおいでやで、ようお客さんの御機嫌を取ってくれるであろうと、&ruby(こおんな){小女};ばかり附けておいて、私が勝手へ立違うている&ruby(うち){中};や、……勿体ない、お客たちの、お年寄なが気に入らぬか、近頃山田から来た言うて、こちの私の&ruby(とこ){許};を見くびったか、酌をせい、と&ruby(おっしゃ){仰有};っても、&ruby(うきうき){浮々};とした顔はせず……&ruby(さみせん){三味線};聞こうとおっしゃれば、鼻の&ruby(さき){頭};で笑うたげな。&ruby(そば){傍};に居た喜野が見かねて、私の袖を引きに来た。~
  &ruby(さっき){先刻};から、ああ、こうと、口の酸くなるまで、機嫌を取るようにして、私が和女の調子を取って、よしこの一つ上方唄でも、どうぞ三味線の&ruby(ね){音};をさしておくれ。お客様がお寂しげな、座敷が浮かぬ、お見やんせ、&ruby(ろうそく){蝋燭};の灯も白けると、頼むようにして聞かいても、知らぬ、知らぬ、と言通す。三味線は和女、禁物か。下手や言うて、知らぬ云うて、&ruby(まがり){曲};なりにもお座つき一つ弾けぬ&ruby(げいこ){芸妓};がどこにある。~
  よう、思うてもお見。平の座敷か、そでないか。&ruby(あなた){貴客};がたのお人柄を見りゃ分るに、何で和女、勤める気や。私が済まぬ。さ、お立ち。ええ、私が箱を下げてやるから。」~
  と優しいのがツンと立って、&ruby(ふすまぎわ){襖際};に横にした三味線を邪険に取って、&ruby(つ){衝};と&ruby(たてざま){縦様};に引立てる。~
 「ああれ。」~
  はっと&ruby(もすそ){裳};を&ruby(す){摺};らして、&ruby(とりすが){取縋};るように、女中の膝を&ruby(そっ){竊};と抱き、袖を引き、三味線を引留めた。お三重の姿は崩るるごとく、&ruby(しゃくやく){芍薬};の花の散るに似て、~
 「堪忍して下さいまし、堪忍して、堪忍して、」と、&ruby(いき){呼吸};の切れる声が&ruby(うる){湿};んで、~
 「お客様にも、このお内へも、な、何で私が失礼しましょう。ほんとに、あの、ほんとに三味線は出来ませんもの、姉さん、」~
  と&ruby(ことば){言};が途絶えた。……~
 「今しがたも、な、&ruby(よそ){他家};のお座敷、隅の方に坐っていました。不断ではない、兵隊さんの送別会、大陽気に騒ぐのに、芸のないものは置かん、&ruby(きもの){衣服};を脱いで踊るんなら&ruby(よし){可};、&ruby(いや){可厭};なら下げると……私一人帰されて、主人の&ruby(うち){家};へ戻りますと、直ぐに&ruby(ひど){酷};いめに逢いました、え。~
  三味線も弾けず、踊りも出来ぬ、座敷で&ruby(きもの){衣物};が脱げないなら、内で脱げ、&ruby(ひっぱ){引剥};ぐと、な、帯も何も取られた上、台所で&ruby(つッぷ){突伏};せられて、引窓をわざと開けた、寒いお月様のさす影で、恥かしいなあ、&ruby(ひしゃく){柄杓};で水を立続けて乳へも胸へもかけられましたの。~
  こちらから、あの、お座敷を掛けて下さいますと、どうでしょう、&ruby(こたつ){炬燵};で&ruby(あたた){温};めた&ruby(じゅばん){襦袢};を着せて、東京のお客じゃそうなと、な、取って置きの着物を出して、よう勤めて帰れや言うて、御主人が手で、駒下駄まで出すんです。~
  勤めるたって、どうしましょう……踊は立って&ruby(ある){歩行};くことも出来ませんし、三味線は、それが姉さん、手を当てれば誰にだって、音のせぬ事はないけれど、弾いて聞かせとおっしゃるもの、どうして私唄えます。……~
  &ruby(かたわ){不具};でもないに&ruby(なさけ){情};ない。調子が自分で出来ません。何をどうして、お座敷へ置いて頂けようと思いますと、気が&ruby(ひ){怯};けて気が怯けて、口も満足利けませんから、何が気に入らないで、失礼な顔をすると、お思い遊ばすのも無理はない、なあ。……~
  このお家へは、お台所で、洗い物のお手伝をいたします。姉さん、え、姉さん。」~
  と袖を&ruby(さす){擦};って、一生懸命、うるんだ&ruby(めもと){目許};を見得もなく、&ruby(あおむ){仰向};けになって女中の顔。……色が見る見る&ruby(やわら){柔};いで、突いて立った三味線の&ruby(さお){棹};も&ruby(たわ){撓};みそうになった、と見ると、二人の客へ、向直った、ふっくりとある&ruby(あや){綾};の帯の&ruby(むすびめ){結目};で、なおその女中の&ruby(たもと){袂};を&ruby(おさ){圧};えて。……~
 ~
        十六~
 ~
  お三重は、そして、&ruby(あらた){更};めて&ruby(ふたり){二箇};の老人に手を&ruby(つ){支};いた。~
 「芸者でお呼び遊ばした、と思いますと……お役に立たず、&ruby(きま){極};りが悪うございまして、お&ruby(ちょうし){銚子};を持ちますにも手が震えてなりません。&ruby(おさん){下婢};をお&ruby(そば){傍};へお置き遊ばしたとお思いなさいまして、お休みになりますまでお使いなすって下さいまし。お背中を&ruby(たた){敲};きましょう、な、どうぞな、お肩を&ruby(も){揉};まして下さいまし。それなら一生懸命にきっと精を出します。」~
  と&ruby(おしげ){惜気};もなく、前髪を畳につくまで&ruby(ひれふ){平伏};した。三指づきの折かがみが、こんな中でも、打上る。~
  本を開いて、道中の絵をじろじろと黙って見ていた捻平が、重くるしい口を開けて、~
 「子孫末代よい意見じゃ、旅で芸者を呼ぶなぞは、のう、お互に以後謹もう……」と火箸に手を置く。~
  所在なさそうに半眼で、&ruby(まとも){正面};に&ruby(りんぷうぼうかしょうろう){臨風榜可小楼};を仰ぎながら、程を忘れた&ruby(まきたばこ){巻莨};、この時、口許へ火を吸って、慌てて灰へ&ruby(ほう){抛};って、弥次郎兵衛は一つ&ruby(む){咽};せた。~
 「ええ、いや、女中、……追って祝儀はする。ここでと思うが、その&ruby(こ){娘};が気が&ruby(つま){詰};ろうから、どこか小座敷へ休まして&ruby(みんな){皆};で饂飩でも食べてくれ。私が&ruby(おご){驕};る。で、何か面白い話をして遊ばして、やがて&ruby(い){可};い時分に帰すが可い。」と冷くなった&ruby(ちょこ){猪口};を取って、寂しそうに&ruby(つ){衝};と飲んだ。~
  女中は、これよりさき、&ruby(つ){支};いて&ruby(つッた){突立};ったその三味線を、次の&ruby(ま){室};の暗い方へ&ruby(そっ){密};と&ruby(おしや){押遣};って、がっくりと筋が&ruby(な){萎};えた風に、折重なるまで&ruby(すりよ){摺寄};りながら、&ruby(だんま){黙然};りで、&ruby(ともしび){燈};の影に水のごとく&ruby(うちゆら){打揺};ぐ、お三重の背中を&ruby(さす){擦};っていた。~
 「島屋の亭が、そんな&ruby(ひど){酷};い事をしおるかえ。可いわ、内の御隠居にそう言うて、沙汰をして上げよう。心安う思うておいで、ほんにまあ、よう&ruby(あんた){和女};、顔へ&ruby(きず){疵};もつけんの。」~
  と、かよわい&ruby(かいな){腕};を&ruby(なでお){撫下};ろす。~
 「ああ、それも売物じゃいうだけの&ruby(しんしゃく){斟酌};に違いないな。……お客様に礼言いや。さ、そして、何かを話しがてら、御隠居の&ruby(こたつ){炬燵};へおいで。&ruby(きりさげがみ){切下髪};に&ruby(ずきん){頭巾};&ruby(かぶ){被};って、ちょうどな、&ruby(ようかん){羊羹};切って、茶を食べてや。~
  けども、」~
  とお三重の、その清らかな&ruby(えりもと){襟許};から、優しい&ruby(びんのけ){鬢毛};を&ruby(さしのぞ){差覗};くように、&ruby(とみこうみ){右瞻左瞻};て、~
 「&ruby(あんた){和女};、因果やな、ほんとに、三味線は弾けぬかい。ペンともシャンとも。」~
  で、わざと慰めるように&ruby(ほほ){吻々};と笑った。~
  人の&ruby(なさけ){情};に溶けたと見える……氷る涙の玉を散らして、はっと泣いた声の下で、~
 「はい、願掛けをしましても、塩断ちまでしましたけれど、どうしても分りません、調子が一つ出来ません。&ruby(うまれつき){性来};でござんしょう。」~
  師走の&ruby(やみよ){闇夜};に&ruby(しらうめ){白梅};の、&ruby(おもて){面};を&ruby(ろう){蝋};に照らされる。~
 「踊もかい。」~
 「は……い、」~
 「泣くな、弱虫、さあ一つ飲まんか! 元気をつけて。向後どこへか呼ばれた時は、&ruby(おび){怯};えるなよ。気の持ちようでどうにもなる。ジャカジャカと引鳴らせ、&ruby(へちま){糸瓜};の皮で掻廻すだ。&ruby(こと){琴};も&ruby(こきゅう){胡弓};も用はない。&ruby(どらにょうはち){銅鑼鐃※(「金+祓のつくり」};を叩けさ。&ruby(しょう){簫};の笛をピイと遣れ、上手下手は誰にも分らぬ。それなら芸なしとは言われまい。踊が出来ずば体操だ。一、」~
  と左右へ、羽織の紐の&ruby(き){断};れるばかり大手を拡げ、&ruby(かんかつ){寛濶};な胸を反らすと、~
 「二よ。」と、庄屋殿が鉄砲二つ、ぬいと前へ突出いて、励ますごとく&ruby(からから){呵々};と弥次郎兵衛、~
 「これ、その位な事は出来よう。いや、それも度胸だな。見た処、そのように気が弱くては、いかな事も&ruby(やっ){遣};つけられまい、可哀相に。」と声が&ruby(かす){掠};れる。~
 「あの……私が、自分から、言います事は出来ません、お&ruby(はずか){恥};しいのでございますが、舞の&ruby(まね){真似};が少しばかり立てますの、それもただ一ツだけ。」~
  と云う顔を&ruby(うつむ){俯向};いて、恥かしそうにまた手を&ruby(つ){支};く。~
 「舞えるかえ、舞えるのかえ。」~
  と女中は嬉しそうな声をして、~
 「おお、踊や言うで明かんのじゃ。舞えるのなら立っておくれ。このお座敷、遠慮は&ruby(い){入};らん。待ちなはれ、地が要ろう。これ喜野、あすこの広間へ行ってな、内の千がそう言うたて、誰でも弾けるのを借りて来やよ。」~
  とぽんとしていた小女の喜野が立とうとする、と、&ruby(なの){名告};ったお千が、打傾いて、優しく口許をちょいと曲げて傾いて、~
 「待って、待って、」~
 ~
        十七~
 ~
 「いつもと違う。……一度軍隊へ行きなさると、日曜でのうては出られぬ、……お国のためやで、&ruby(な){馴};れぬ苦労もしなさんす。新兵さんの送別会や。女衆が大勢居ても、一人抜けてもお座敷が寂しくなるもの。~
  可いわ、旅の恥は掻棄てを&ruby(あべこべ){反対};なが、一泊りのお客さんの前、私が三味線を掻廻そう。お三重さん、立つのは何? 有るものか、無いものか言うも行過ぎた……有るものとて無いけれど、どうにか間に合わせたいものではある。」~
 「あら、姉さん。」~
  と、三味線取りに立とうとした、お千の膝を、袖で&ruby(おさ){圧};えて、ちとはなじろんだ、お三重の愛嬌};&ruby(あいきょう){。~
 「糸に合うなら踊ります。あのな、私のはな、お能の舞の真似なんです。」と、言いも果てず、お千の膝に顔を隠して、&ruby(おじご){小父者};と捻平に&ruby(そがい){背向};になった初々しさ。包ましやかな姿ながら、身を&ruby(も){揉};む姿の着崩れして、袖を離れて畳に長い、襦袢の袖は&ruby(なまめ){媚};かしい。~
 「何、その舞を舞うのかい。」と弥次郎兵衛は一言云う。~
  捻平膝の本をばったり伏せて、~
 「さて、飲もう。手酌でよし。ここで舞なぞは願い下げじゃ。せめてお題目の太鼓にさっしゃい。ふあはははは、」となぜか&ruby(しわが){皺枯};れた高笑い、この時ばかり天井に&ruby(どっ){哄};と響いた。~
 「捻平さん、捻さん。」~
 「おお。」~
  と&ruby(ぶしょう){不性};げにやっと&ruby(こた){応};える。~
 「何も道中の話の種じゃ、ちょっと見物をしようと思うね。」~
 「まず、ご免じゃ。」~
 「さらば、&ruby(そのもと){其許};は目を&ruby(ねむ){瞑};るだ。」~
 「ええ、縁起の悪い事を言わさる。……明日にも江戸へ帰って、可愛い孫娘の顔を見るまでは、死んでもなかなか目は&ruby(ねむ){瞑};らぬ。」~
 「さてさて&ruby(ねじ){捻};るわ、ソレそこが捻平さね。勝手になされ。さあ、あの&ruby(こ){娘};立ったり、この&ruby(じいさま){爺様};に遠慮は入らぬぞ。それ、何にも芸がないと云うて肩腰をさすろうと卑下をする。どんな真似でも一つ遣れば、立派な芸者の&ruby(めんぼく){面目};が立つ。祝儀取るにも心持が&ruby(よ){可};かろうから、是非見たい。が、しかし心のままにしなよ、決して&ruby(つとめ){勤};を強いるじゃないぞ。」~
 「あんなに&ruby(おっしゃ){仰有};って下さるもの。さあ、どんな事するのや知らんが、まずうても大事ない、大事ない、それ、支度は入らぬかい。」~
 「あい、」~
  とわずかに身を起すと、紫の襟を&ruby(か){噛};むように――ふっくりしたのが、あわれに&ruby(やつ){窶};れた――&ruby(おとがい){頤};深く、恥かしそうに、&ruby(うちぶところ){内懐};を&ruby(のぞ){覗};いたが、&ruby(はだみ){膚身};に着けたと思わるる、……胸やや白き&ruby(えもん){衣紋};を透かして、濃い紫の細い包、&ruby(ふくさ){袱紗};の&ruby(ちりめん){縮緬};が&ruby(ひらり){飜然};と&ruby(かえ){飜};ると、燭台に照って、&ruby(さっ){颯};と輝く、銀の地の、ああ、&ruby(しらうお){白魚};の指に重そうな、一本の舞扇。~
  &ruby(きらり){晃然};とあるのを押頂くよう、前髪を掛けて、扇をその、&ruby(ぎょくさん){玉簪};のごとく額に当てたを、そのまま折目高にきりきりと、月の&ruby(でしお){出汐};の波の影、&ruby(しずか){静};に&ruby(てらてら){照々};と開くとともに、顔を隠して、反らした指のみ、両方親骨にちらりと白い。~
  また川口の&ruby(しおかげん){汐加減};、隣の広間の&ruby(ひとどよ){人動揺};めきが颯と&ruby(ひ){退};く。~
  と見れば&ruby(こうぜん){皎然};たる銀の地に、黄金の雲を散らして、&ruby(こんじょう){紺青};の月、ただ一輪を描いたる、扇の影に声澄みて、~
 「――その時あま人&ruby(もうすよう){申様};、もしこのたまを取得たらば、この&ruby(みこ){御子};を世継の&ruby(みくらい){御位};になしたまえと&ruby(もうし){申};しかば、&ruby(しさい){子細};あらじと領承したもう、さて我子ゆえに捨ん命、露ほども&ruby(おし){惜};からじと、千尋};&ruby(ちひろ){のなわを腰につけ、もしこの玉をとり得たらば、このなわを動かすべし、その時人々ちからをそえ――」~
  と調子が&ruby(しま){緊};って、~
 「……ひきあげたまえと約束し、&ruby(ひとつ){一};の利剣を抜持って、」~
  と扇をきりりと袖を直す、と&ruby(てだれ){手練};ぞ見ゆる、&ruby(おのず){自};から、衣紋の位に年&ruby(た){長};けて、瞳を定めたその&ruby(かんばせ){顔};。&ruby(がらす){硝子};戸越に月さして、霜の川浪&ruby(てりそ){照添};う&ruby(おもかげ){俤};。膝&ruby(たてす){立据};えた畳にも、&ruby(しょくだい){燭台};の花颯と流るる。~
 「ああ、待てい。」~
  と捻平、力の&ruby(こも){籠};った声を掛けた。~
 ~
        十八~
 ~
  で、火鉢をずっと&ruby(そば){傍};へ引いて、~
 「女中、もちっとこれへ火をおくれ。いや、立つに及ばん。その、鉄瓶をはずせば&ruby(よ){可};し。」と捻平がいいつける。~
  この場合なり、何となく、お千も&ruby(たちい){起居};に&ruby(からだ){身体};が&ruby(しま){緊};った。~
  &ruby(しずか){静};に炭火を移させながら、捻平は膝をずらすと、&ruby(かばん){革鞄};などは次の&ruby(ま){室};へ……それだけ床の間に差置いた……車の上でも&ruby(うなじ){頸};に掛けた風呂敷包を、重いもののように両手で&ruby(やわら){柔};かに取って、膝の上へ据えながら、お千の顔を&ruby(よ){除};けて、火鉢の上へ片手を裏表かざしつつ、~
 「ああ、これ、お三重さんとか言うの、そのお&ruby(こ){娘};、手を上げられい。さ、手を上げて、」~
  と言う。……お三重は利剣で立とうとしたのを、&ruby(あわただ){慌};しく捻平に留められたので、この時まで、差開いたその舞扇が、唇の花に霞むまで、&ruby(うつむ){俯向};いた顔をひたと額につけて、片手を畳に&ruby(つ){支};いていた。こう捻平に声懸けられて、わずかに顔を振上げながら、きりきりと一まず閉じると、その扇を畳むに連れて、今まで、&ruby(かっ){濶};と瞳を張って見据えていた&ruby(まなこ){眼};を、次第に&ruby(ふさ){塞};いだ弥次郎兵衛は、ものも言わず、火鉢のふちに、ぶるぶると震う指を、と支えた&ruby(なり){態};の、&ruby(まきたばこ){巻莨};から、音もしないで、ほろほろと灰がこぼれる。~
  捻平&ruby(さぶとん){座蒲団};を;&ruby(ひとひざ){一膝}出て、~
 「いや、&ruby(あらた){更};めて、&ruby(とく){熟};と、見せてもらおうじゃが、まずこっちへ寄らしゃれ。ええ、今の&ruby(うたい){謡};の、気組みと、その&ruby(かた){形};。教えも教えた、さて、習いも習うたの。~
  こうまでこれを教うるものは、四国の&ruby(はて){果};にも&ruby(ほか){他};にはあるまい。あらかた人は分ったが、それとなく&ruby(たより){音信};も聞きたい。の、&ruby(そこ){其許};も黙って聞かっしゃい。」~
  と弥次が&ruby(かた){方};に、捻平&ruby(めづか){目遣};いを一つして、~
 「まず、どうして、誰から、&ruby(おみ){御身};は習うたの。」~
 「はい、」~
  と弱々と返事した。お三重はもう、&ruby(たわい){他愛};なく娘になって、ほろりとして、~
 「あの、&ruby(さっき){前刻};も申しましたように、不器用も通越した、調子はずれ、その上覚えが悪うござんして、長唄の宵や待ちの&ruby(さみせん){三味線};のテンもツンも分りません。この間まで&ruby(お){居};りました、山田の新町の姉さんが、朝と昼と、&ruby(てすき){手隙};な時は晩方も、日に三度ずつも、あの&ruby(か){噛};んで含めて、胸を割って刻込むように教えて下すったんでございますけれど、自分でも悲しい。……暁の、とだけ十日かかって、やっと真似だけ弾けますと、夢になってもう手が違い、心では思いながら、三の手が一へ&ruby(すべ){滑};って、とぼけたような&ruby(ね){音};がします。~
  &ruby(ばち){撥};で&ruby(のど){咽喉};を引裂かれ、&ruby(きせる){煙管};で胸を打たれたのも、糸を切った数より多い。~
  それも何も、邪険でするのではないのです。……私が、な、まだその前に、&ruby(とば){鳥羽};の&ruby(くるわ){廓};に居ました時、……」~
 「ああ、お前さんは、鳥羽のものかい、志摩だな。」~
  と弥次郎兵衛がフト聞入れた。~
 「いえ、私はな、やっぱりお伊勢なんですけれど、&ruby(おとっ){父};さんが&ruby(な){死};くなりましてから、&ruby(ままはは){継母};に売られて行きましたの。はじめに聞いた奉公とは嘘のように違います。――お客の言うことを聞かぬ言うて、&ruby(おか){陸};で悪くば海で稼げって、&ruby(がけ){崕};の下の&ruby(ふなつき){船着};から、夜になると、男衆に&ruby(つかま){捉};えられて、小船に積まれて海へ出て、月があっても、島の蔭の暗い処を、危いなあ、ひやひやする、木の葉のように浮いて&ruby(ある){歩行};いて、&ruby(しん){寂};とした海の上で……悲しい唄を唄います。そしてお客の取れぬ時は、船頭衆の胸に響いて、女が恋しゅうなる&ruby(まじない){禁厭};じゃ、お&ruby(ちゃひ){茶挽};いた罰、と云って、船から海へ、びしゃびしゃと追下ろして、&ruby(しお){汐};の干た&ruby(いわ){巌};へ上げて、巌の裂目へ&ruby(うつむ){俯向};けに口をつけさして、(こいし、こいし。){と呼ばせます。若い衆は舳(へさき){に待ってて、声が切れると、栄螺(さざえ){の殻をぴしぴしと打着(ぶッつ){けますの。汐風が濡れて吹く、夏の夜でも寒いもの。……私のそれは、師走から、寒の中(うち){で、八百八島(やしま){あると言う、どの島も皆白い。霜風が凍りついた、巌の角は針のような、あの、その上で、(こいし、こいし。)って、唇の、しびれるばかり泣いている。&ruby(のど){咽喉};は裂け、舌は凍って、&ruby(しお){潮};を浴びた&ruby(すそ){裙};から冷え通って、正体がなくなる処を、貝殻で&ruby(ひっか){引掻};かれて、やっと船で正気が付くのは、&ruby(あかり){灯};もない、何の船やら、あの、まあ、鬼の&ruby(つ){支};いた棒見るような帆柱の下から、皮の&ruby(こわ){硬};い&ruby(おおき){大};な手が出て、&ruby(ひッつか){引掴};んで抱込みます。~
  空には&ruby(あお){蒼};い星ばかり、海の水は皆黒い。&ruby(やみ){暗};の夜の血の池に落ちたようで、ああ、生きているか……千鳥も鳴く、私も泣く。……お恥かしゅうござんす。」~
  と&ruby(かざ){翳};す扇の利剣に添えて、水のような袖をあて、顔を隠したその風情。人は声なくして、ただ、ちりちりと、&ruby(ろうそく){蝋燭};の&ruby(なんだ){涙};白く散る。~
  この物語を聞く人々、いかに日和山の頂より、志摩の島々、海の&ruby(なぎ){凪};、霞の池に鶴の舞う、あの、&ruby(うららか){麗朗};なる景色を見たるか。~
 ~
        十九~
 ~
 「泣いてばかりいますから、気の荒いお船頭が、こんな泣虫を買うほどなら、伊良子崎の&ruby(なまこ){海鼠};を&ruby(ふとん){蒲団};で、&ruby(やしま){弥島};の&ruby(いか){烏賊};を遊ぶって、どの船からも投出される。~
  また、あの&ruby(いわ){巌};に追上げられて、霜風の&ruby(あいあい){間々};に、(こいし、こいし。){と泣くのでござんす。~
  手足は凍って貝になっても、(こいし)と泣くのが本望な。巌の裂目を沖へ通って、海の&ruby(はて){果};まで響いて欲しい。もう船も&ruby(い){去};ね、潮も来い。……そのままで石になってしまいたいと思うほど、お客様、私は、あの、」~
  と乱れた襦袢の袖を&ruby(くわ){銜};えた、&ruby(ときいろ){水紅色};映る&ruby(まぶた){瞼};のあたり、ほんのりと薄くして、~
 「心でばかり長い事、思っておりまする人があって。……芸も&ruby(きりょう){容色};もないものが、生意気を云うようですが、……たとい殺されても、死んでもと、心願掛けておりました。~
  ある晩も、やっぱり&ruby(あお){蒼};い灯の船に買われて、その船頭衆の言う事を&ruby(き){肯};かなかったので、こっちの船へ突返されると、&ruby(とも){艫};の処に&ruby(あんか){行火};を&ruby(また){跨};いで、どぶろくを飲んでいた、私を送りの若い&ruby(しゅ){衆};がな、&ruby(ぎょくだい){玉代};だけ損をしやはれ、&ruby(こなたしゅう){此方衆};の見る前で、この女を、&ruby(あま){海士};にして慰もうと、月の良い晩でした。~
  胴の間で着物を脱がして、&ruby(はだ){膚};の紐へなわを付けて、&ruby(さかさま){倒};に海の深みへ沈めます。ずんずんずんと沈んでな、もう奈落かと思う時、&ruby(つるべ){釣瓶};のようにきりきりと、&ruby(からだ){身体};を車に引上げて、髪の&ruby(しずく){雫};も切らせずに、また海へ&ruby(つッこ){突込};みました。~
  この時な、その&ruby(かか){繋};り船に、長崎辺の伯父が一人乗込んでいると云うて、お&ruby(こづかい){小遣};の無心に来て、泊込んでおりました、二見から鳥羽がよいの馬車に、&ruby(ぎょしゃ){馭者};をします、寒中、&ruby(しゃつ){襯衣};一枚に&ruby(ずぼん){袴服};を&ruby(は){穿};いた若い人が、私のそんなにされるのが、あんまり可哀相な、とそう云うて、伊勢へ帰って、その話をしましたので、今、あの申しました。……~
  この間までおりました、古市の&ruby(しんまち){新地};の姉さんが、随分なお&ruby(かね){金子};を出して、私を連れ出してくれましたの。~
  それでな、鳥羽の鬼へも&ruby(つらあて){面当};に、芸をよく覚えて、立派な芸子になれやッて、姉さんが、そうやって、目に涙を一杯ためて、ぴしぴし&ruby(ばち){撥};で&ruby(ぶ){打};ちながら、三味線を教えてくれるんですが、どうした因果か、ちっとも覚えられません。~
  人さしと、中指と、ちょっとの間を、一日に三度ずつ、一週間も鳴らしますから、近所隣も迷惑して、御飯もまずいと言うのですえ。~
  また月の良い晩でした。ああ、今の御主人が、親切なだけなお辛い。……何の、&ruby(からだ){身体};の切ない、苦しいだけは、&ruby(いのち){生命};が絶えればそれで済む。いっそまた鳥羽へ行って、あの&ruby(いわ){巌};に&ruby(つか){掴};まって、(こいし、こいし、)と泣こうか知らぬ、膚の紐になわつけて、海へ入れられるが気安いような、と島も海も目に見えて、ふらふらと月の中を、千鳥が、&ruby(めいど){冥土};の使いに来て、連れて行かれそうに思いました。……格子&ruby(さき){前};へ流しが来ました。~
  新町の月影に、露の垂りそうな、あの、ちらちら光る&ruby(ばちおと){撥音};で、~
 ……博多帯しめ、筑前絞り――~
  と、何とも言えぬ&ruby(い){好};い声で。~
 (へい、不調法、お&ruby(やかま){喧};しゅう、)って、そのまま&ruby(ゆ){行};きそうにしたのです。~
 (ああ、&ruby(みぶるい){身震};がするほど&ruby(うま){上手};い、あやかるように拝んで来な、それ、お&ruby(さいせん){賽銭};をあげる気で。)~
  と&ruby(たきじま){滝縞};&ruby(めし){お召};の&ruby(はんてん){半纏};着て、灰に袖のつくほどに、しんみり聞いてやった姉さんが、長火鉢の&ruby(ひきだし){抽斗};からお宝を出して、キイと、あの&ruby(しゅす){繻子};が鳴る、帯へ&ruby(はさ){挿};んだ懐紙に&ruby(ひね){捻};って、私に持たせなすったのを、盆に乗せて、戸を開けると、もう一二&ruby(けん){間};行きなさいます。二人の間にある月をな、影で&ruby(つな){繋};いで、ちゃっと行って、~
 (&ruby(こいし){是喃};。)と呼んで、出した盆を、振向いてお取りでした。私や、思わずその手に&ruby(すが){縋};って、涙がひとりでに出ましたえ。男で居ながら、こんなにも上手な方があるものを、&ruby(せ){切};めてその指一本でも、私の&ruby(からだ){身体};についたらばと、つい、おろおろと泣いたのです。~
  &ruby(ほおかむり){頬被};をしていなすった。あのその、私の手を取ったまま――黙って、少し脇の方へ&ruby(の){退};いた処で、(何を泣く、)って優しい声で、その門附が聞いてくれます。もう恥も何も忘れてな、その、あの、どうしても三味線の覚えられぬ事を話しました。」~
 ~
        二十~
 ~
 「よく聞いて、しばらく&ruby(じっ){熟};と顔を見ていなさいました。~
 (芸事の出来るように、神へ&ruby(がんがけ){願懸};をすると云って、夜の明けぬ内、外へ出ろ。鼓ヶ嶽の裾にある、雑樹林の中へ来い。三日とも思うけれど、主人には、七日と頼んで。すぐ、今夜の明方から。……分ったか。若い女の途中が&ruby(あぶな){危};い、この入口まで来て待ってやる、&ruby(ばか){化};されると思うな、夢ではない。……)~
  とお言いのなり、三味線を胸に&ruby(くッつ){附着};けて、フイと暗がりへ附着いて、黒塀を&ruby(い){去};きなさいます。……~
  その事は言わぬけれど、明方の三時から、夜の白むまで&ruby(こり){垢離};取って、願懸けすると頼んだら、姉さんは、喜んで、承知してくれました。~
  殺されたら死ぬ気でな、――大恩のある御主人の、この格子戸も見納めか、と思うようで、軒下へ出て振返って、&ruby(かど){門};を&ruby(なが){視};めて、立っているとな。~
 (おいで、)~
  と云って、&ruby(いきなり){突然};、&ruby(うしろ){背後};から手を取りなすった、門附のそのお方。~
  私はな、よう覚悟はしていたが、天狗様に&ruby(さら){攫};われるかと思いましたえ。~
  あとは夢やら&ruby(うつつ){現};やら。明方内へ帰ってからも、その&ruby(あと){後};は二日も三日もただ&ruby(ぼう){茫};としておりましたの。……鼓ヶ嶽の松風と、五十鈴川の&ruby(ながれ){流};の音と聞えます、雑木の森の暗い中で、その方に教わりました。……舞も、あの、さす手も、ひく手も、ただ&ruby(うしろ){背後};から背中を抱いて下さいますと、私の&ruby(からだ){身体};が、舞いました。それだけより存じません。~
  もっとも、私が、あの、鳥羽の海へ投入れられた、その身の上も話しました。その方は不思議な事で、私とは&ruby(かたき){敵};のような中だ事も、いろいろ入組んではおりますけれど、鼓ヶ嶽の裾の話は、誰にも言うな、と口留めをされました。何んにも話がなりません。~
  五日目に、もう可いから、これを舞って座敷をせい。芸なし、とは言うまい、ッて、お&ruby(かたみ){記念};なり、しるしなりに、この舞扇を下さいました。」~
  と袖で胸へしっかと抱いて、ぶるぶると肩を震わした、&ruby(おくれげ){後毛};がはらりとなる。~
  捻平&ruby(ためいき){溜息};をして&ruby(うなず){頷};き、~
 「いや、よく分った。教え方も、習い方も、話されずとよく分った。時に、山田に居て、どうじゃな、その舞だけでは勤まらなんだか。」~
 「はい、はじめて&ruby(うた){謡};いました時は、&ruby(みんな){皆};が、わっと笑うやら、中には&ruby(おそろし){恐};い&ruby(こわ){怖};いと云う人もござんす。なぜ言うと、五日ばかり、あの私がな、天狗様に誘い出された、と&ruby(うわさ){風説};したのでござんすから。」~
 「は、いかにも師匠が魔でなくては、その立方は習われぬわ。むむ、で、何かの、伊勢にも&ruby(うたい){謡};うたうものの、五人七人はあろうと思うが、その連中には見せなんだか。」~
 「ええ、&ruby(ものずき){物好};に試すって、呼んだ方もありましたが、地をお謡いなさる方が、何じゃやら、ちっとも、ものにならぬと言って、すぐにお&ruby(や){留};めなさいましたの。」~
 「ははあ、いや、その足拍子を入れられては、やわな&ruby(うたい){謡};は&ruby(ちぎ){断};れて飛ぶじゃよ。ははははは、&ruby(うな){唸};る連中&ruby(こっぱい){粉灰};じゃて。かたがたこの桑名へ、住替えとやらしたのかの。」~
 「狐狸や、いや、あの、&ruby(ほ){吠};えて飛ぶ処は、&ruby(ふくろ){梟};の&ruby(つきもの){憑物};がしよった、と皆&ruby(きちがい){気違};にしなさいます。姉さんも、手放すのは可哀相や言って下さいましたけれど、……&ruby(まわり){周囲};の人が承知しませず、……この桑名の島屋とは、&ruby(ゆき){行};かいはせぬ遠い中でも、姉さんの縁続きでござんすから、預けるつもりで&ruby(よこ){寄越};されましたの。」~
 「おお、そこで、また辛い&ruby(おもい){思};をさせられるか。まずまず、それは後でゆっくり聞こう。……そのお&ruby(こ){娘};、&ruby(わし){私};も&ruby(おんなじ){同一};じゃ。天魔でなくて、若い女が、&ruby(わざ){術};をするわと、仰天したので、手を留めて済まなんだ。さあ、立直して舞うて下さい。大儀じゃろうが一さし頼む。&ruby(わし){私};も&ruby(ひさし){久};ぶりで&ruby(なつか){可懐};しい、&ruby(おんみ){御身};の姿で、若師匠の御意を得よう。」~
  と&ruby(ことば){言};の&ruby(うち){中};に、膝で解く、その風呂敷の中を見よ。土佐の名手が&ruby(えが){画};いたような、&ruby(あか){紅};い&ruby(しらべ){調};は&ruby(たつたがわ){立田川};、月の裏皮、表皮。玉の&ruby(きぬた){砧};を、打つや、うつつに、天人も聞けかしとて、雲井、と&ruby(めい){銘};ある秘蔵の&ruby(ぬりどう){塗胴};。&ruby(おい){老};の&ruby(てさば){手捌};き美しく、&ruby(にしき){錦};に&ruby(ひ){梭};を、投ぐるよう、さらさらと緒を&ruby(し){緊};めて、火鉢の火に高く&ruby(かざ){翳};す、と……&ruby(いき){呼吸};をのんで驚いたように見ていたお千は、思わず、はっと両手を&ruby(つ){支};いた。~
  芸の威厳は争われず、この捻平を誰とかする、七十八歳の&ruby(おきな){翁};、辺見秀之進。近頃孫に&ruby(よ){代};を譲って、&ruby(せっそう){雪叟};とて隠居した、小鼓取って、本朝無双の名人である。~
  いざや、&ruby(おじご){小父者};は能役者、当流第一の老手、恩地源三郎、すなわちこれ。~
  この二人は、&ruby(こうしゃく){侯爵};津の&ruby(かみ){守};が、参宮の、仮の&ruby(やかた){館};に催された、一調の番組を勤め済まして、あとを膝栗毛で帰る途中であった。~
 ~
        二十一~
 ~
  さて、&ruby(うどんや){饂飩屋};では門附の&ruby(あにい){兄哥};が語り次ぐ。~
 「いや、それから、いろいろ勿体つける所作があって、やがて大坊主が&ruby(うたいだ){謡出};した。~
  聞くと、どうして、思ったより出来ている、按摩&ruby(はり){鍼};の芸ではない。……&ruby(おもて){戸外};をどッどと吹く風の中へ、この声を&ruby(ぶちま){打撒};けたら、あのピイピイ笛ぐらいに&ruby(まと){纏};まろうというもんです。成程、随分&ruby(なかま){夥間};には、&ruby(こいつ){此奴};に(的等。)扱いにされようというのが少くない。~
  が、私に取っちゃ&ruby(しょうてき){小敵};だった。けれども芸は大事です、&ruby(あなど){侮};るまい、と気を&ruby(し){緊};めて、そこで、膝を。」~
  と&ruby(すわりなお){坐直};ると、肩の按摩が上へ浮いて、門附の&ruby(えもん){衣紋};が&ruby(しま){緊};る。~
 「……この膝を&ruby(ちょう){丁};と叩いて、黙って二ツ三ツ拍子を取ると、この拍子が&ruby(ただ){尋常};んじゃない。……親なり師匠の叔父きの膝に、&ruby(こども){小児};の時から、抱かれて習った相伝だ。&ruby(あいて){対手};の節の隙間を切って、&ruby(のびちぢ){伸縮};みを&ruby(し){緊};めつ、緩めつ、声の重味を&ruby(はねあ){刎上};げて、&ruby(のど){咽喉};の呼吸を突崩す。寸法を知らず、間拍子の分らない、まんざらの素人は、&ruby(めくらつんぼ){盲目聾};で気にはしないが、ちと商売人の端くれで、いささか心得のある&ruby(あいて){対手};だと、トンと一つ打たれただけで、もう声が&ruby(ひっかか){引掛};って、節が&ruby(ぶざま){不状};に&ruby(けつまず){蹴躓};く。三味線の&ruby(あい){間};も&ruby(おんなじ){同一};だ。どうです、意気なお方に釣合わぬ……ン、と一ツ&ruby(は){刎};ねないと、野暮な矢の字が、とうふにかすがい、&ruby(ぬか){糠};に釘でぐしゃりとならあね。~
  さすがに心得のある奴だけ、商売人にぴたりと一ツ、拍子で声を&ruby(おっぷ){押伏};せられると、張った調子が直ぐにたるんだ。思えば余計な若気の&ruby(あやまち){過失};、こっちは畜生の&ruby(あさま){浅猿};しさだが、&ruby(あいて){対手};は素人の悲しさだ。~
  あわれや宗山。見る内に、額にたらたらと&ruby(つ){衝};と汗を流し、&ruby(しにごえ){死声};を振絞ると、&ruby(あご){頤};から胸へ&ruby(あぶら){膏};を絞った……あのその大きな唇が&ruby(なまこ){海鼠};を干したように乾いて来て、舌が&ruby(こわ){硬};って&ruby(いき){呼吸};が&ruby(はず){発奮};む。わなわなと震える手で、畳を&ruby(つか){掴};むように、うたいながら&ruby(ちょこ){猪口};を拾おうとする処、ものの本をまだ一枚とうたわぬ&ruby(さき){前};、ピシリとそこへ高拍子を打込んだのが、&ruby(したっぱら){下腹};へ響いて、ドン底から節が抜けたものらしい。~
  はっと火のような&ruby(いき){呼吸};を吐く、トタンに&ruby(まうつむ){真俯向};けに&ruby(つッぷ){突伏};す時、長々と舌を吐いて、犬のように畳を&ruby(な){嘗};めた。~
 (先生、御病気か。)~
  って私あ&ruby(にっこり){莞爾};したんだ。~
 (是非聞きたい、平にどうか。宗山、この上に&ruby(つんぼ){聾};になっても、&ruby(あなた){貴下};のを一番、聞かずには死なれぬ。)~
  と&ruby(こぶし){拳};を握って、せいせい言ってる。~
 (按摩さん。)~
  と私は呼んで、~
 (尾上町の藤屋まで、どのくらい離れている。)~
 (何んで、)~
  と聞く。~
 (間によっては声が響く。内証で来たんだ。……藤屋には私の声が聞かしたくない、叔父が一人寝てござるんだ。勇士は霜の&ruby(けはい){気勢};を知るとさ――たださえ&ruby(めざと){目敏};い&ruby(としより){老人};が、この風だから寝苦しがって、フト起きてでもいるとならない、祝儀は置いた。帰るぜ。)~
  ト宗山が、&ruby(じっ){凝};と&ruby(ふさ){塞};いだ目を、ぐるぐると動かして、~
 (&ruby(しばら){暫};く、今の拍子を打ちなされ……古市から尾上町まで声が聞えようか、と言いなされる、御大言、年のお&ruby(わか){少};さ。まだ&ruby(ひとたび){一度};も声は聞かず、顔はもとより見た事もなけれども……当流の大師匠、恩地源三郎どの養子と聞く……同じ喜多八氏の外にはあるまい。さようでござろう、恩地、)~
  と私の名をちゃんと言う。~
  ああ、酔った、」~
  と杯をばたりと落した。~
 「&ruby(しゃべ){饒舌};って悪い私の名じゃない。叔父に済まない。二人とも、誰にも言うな。……」~
  と&ruby(おうよう){鷹揚};で、按摩と女房に目をあしらい。~
 「私は羽織の裾を払って、~
 (違ったような、当ったようだ、が、何しろ、東京の的等の一人だ。宗家の宗、本山の山、宗山か。&ruby(わかめ){若布};の附焼でも土産に持って、東海道を&ruby(は){這};い上れ。恩地の台所から&ruby(おとず){音信};れたら、叔父には内証で、居候の腕白が、&ruby(こま){独楽};を廻す片手間に、この浦船でも教えてやろう。)~
  とずっと立つ。~
 ~
        二十二~
 ~
 &ruby(あばた){「痘瘡};の中に&ruby(しろまなこ){白眼};を&ruby(む){剥};いて、よたよたと立上って、&ruby(いきどお){憤};った声ながら、~
 (&ruby(なつかし){可懐};いわ、若旦那、盲人の悲しさ顔は見えぬ。触らせて下され、つかまらせて下され、&ruby(ひとな){一撫};で、撫でさせて下され。)~
  と言う。~
  いや、撫られて&ruby(たま){堪};りますか。~
  &ruby(すりぬ){摺抜};けようとするんだがね、六畳の狭い座敷、&ruby(めくら){盲目};でも自分の&ruby(うち){家};だ。~
  素早く、&ruby(はしごだん){階子段};の降口を&ruby(ふさ){塞};いで、むずと、大手を拡げたろう。……影が天井へ&ruby(かか){懸};って、&ruby(いっぱい){充満};の黒坊主が、&ruby(あせあぶら){汗膏};を流して撫じょうとする。~
  いや、その&ruby(しっと){嫉妬};&ruby(しゅうぢゃく){執着};の、険な不思議の形相が、今もって忘れられない。~
 (&ruby(いや){可厭};だ、可厭だ、可厭だ。)と、こっちは夢中に出ようとする、よける、留める、行違うで、やわな、かぐら堂の二階中みしみしと鳴る。風は&ruby(ごうごう){轟々};と当る。ただ黒雲に&ruby(ま){捲};かれたようで、&ruby(おそろ){可恐};しくなった、&ruby(すご){凄};さは凄し。~
  &ruby(つ){衝};と、&ruby(ひっくぐ){引潜};って、ドンと飛び摺りに、どどどと&ruby(か){駈};け下りると、ね。~
 (&ruby(そで){袖};や、止めませい。)~
  と宗山が二階で&ruby(わめ){喚};いた。&ruby(しわがれごえ){皺枯声};が、風でぱっと耳に当ると、三四人立騒ぐ女の中から、すっと美しく姿を抜いて、格子を開けた&ruby(かどぐち){門口};で、しっかり&ruby(つか){掴};まる。吹きつけて&ruby(も){揉};む風で、&ruby(さっ){颯};と&ruby(あか){紅};い&ruby(つま){褄};が&ruby(から){搦};むように、私に&ruby(すが){縋};ったのが、&ruby(ゆいわた){結綿};の、その娘です。~
  背中を揉んでた、薄茶を出した、あの影法師の&ruby(めかけ){妾};だろう。~
  ものを言う&ruby(すずし){清};い、&ruby(はり){張};のある目を上から見込んで、構うものか、行きがけだ。~
 (可愛い人だな、おい、殺されても死んでも、人の&ruby(おもちゃ){玩弄物};にされるな。)~
  と言捨てに&ruby(つッぱな){突放};す。~
 (あれ。)と云う声がうしろへ、ぱっと吹飛ばされる風に向って、&ruby(しゃじん){砂塵};の中へ、や、躍込むようにして一散に&ruby(か){駈};けて返った。~
  &ruby(のち){後};に知った、が、妾じゃない。お袖と云うその可愛いのは、宗山の娘だったね。それを娘と知っていたら、いや、その時だって気が付いたら、按摩が親の&ruby(かたき){仇敵};でも、&ruby(わっし){私};あ退治るんじゃなかったんだ。」~
  と不意にがッくりと胸を折って&ruby(うつむ){俯向};くと、按摩の手が、肩を&ruby(すべ){辷};って、ぬいと越す。……その袖の陰で、取るともなく、落した杯を探りながら、~
 「もしか、按摩が尋ねて来たら、堅く&ruby(お){居};らん、と言え、と宿のものへ&ruby(いいつ){吩附};けた。叔父のすやすやは、上首尾で、並べて取った床の中へ、すっぽり入って、&ruby(ひっかぶ){引被};って、&ruby(いい){可};心持に寝たんだが。~
  ああ、寝心の&ruby(い){好};い思いをしたのは、その晩きりさ。~
  なぜッて、宗山がその夜の&ruby(うち){中};に、私に&ruby(はずかし){辱};められたのを&ruby(くや){口惜};しがって、&ruby(ごうまん){傲慢};な奴だけに、ぴしりと、もろい折方、憤死してしまったんだ。七代まで流儀に&ruby(たた){祟};る、と手探りでにじり&ruby(がき){書};した&ruby(かきおき){遺書};を残してな。死んだのは鼓ヶ嶽の裾だった。あの&ruby(ひろっぱ){広場};の雑樹へ&ruby(さが){下};って、&ruby(よ){夜};が明けて、やッと&ruby(こやみ){小止};になった風に、ふらふらとまだ動いていたとさ。~
  こっちは何にも知らなかろう、風は&ruby(な){凪};ぐ、天気は&ruby(よし){可};。叔父は一段の上機嫌。……古市を立って二見へ行った。朝の&ruby(うち){中};、朝日館と云うのへ入って、いずれ泊る、……先へ鳥羽へ行って、ゆっくりしようと、直ぐに車で、上の山から、日の出の下、二見の浦の上を通って、日和山を&ruby(さじき){桟敷};に、山の上に、海を&ruby(あおだたみ){青畳};にして二人で半日。やがて朝日館へ帰る、……とどうだ。~
  &ruby(はたご){旅籠};の表は黒山の人だかりで、内の廊下もごった返す。&ruby(おおげさ){大袈裟};な事を言うんじゃない。伊勢から私たちに逢いに来たのだ。按摩の変事と&ruby(かきおき){遺書};とで、その日の内に国中へ知れ渡った。別にその事について文句は申さぬ。芸事で宗山の&ruby(とどめ){留};を刺したほどの&ruby(えら){豪};い方々、是非に一日、山田で&ruby(うたい){謡};が聞かして欲しい、と&ruby(はおりはかま){羽織袴};、フロックで押寄せたろう。~
  いや、叔父が怒るまいか。日本一の不所存もの、恩地源三郎が申渡す、向後&ruby(いっせつ){一切};、謡を口にすること&ruby(まかりな){罷成};らん。&ruby(たちどころ){立処};に勘当だ。さて宗山とか云う盲人、&ruby(おの){己};が&ruby(ふつつか){不束};なを知って屈死した心、かくのごときは芸の上の&ruby(おにがみ){鬼神};なれば、自分は、&ruby(とむらい){葬式};の&ruby(おくりむかい){送迎};、墓に謡を手向きょう、と人々と約束して、私はその場から追出された。~
  あとの事は何も知らず、その時から、津々浦々をさすらい&ruby(ある){歩行};く、門附の&ruby(はかな){果敢};い身の上。」~
 ~
        二十三~
 ~
 「名古屋の大須の観音の裏町で、これも浮世に別れたらしい、三味線&ruby(ちょう){一挺};、古道具屋の店にあったを&ruby(くめん){工面};したのがはじまりで、一銭二銭、三銭じゃ木賃で泊めぬ&ruby(よ){夜};も多し、日数をつもると野宿も半分、京大阪と&ruby(へ){経};めぐって、西は博多まで行ったっけ。~
  何んだか伊勢が気になって、妙に急いで、逆戻りにまた来た。……~
  私が言ったただ&ruby(ひとこと){一言};、(人のおもちゃになるな。)と言ったを、&ruby(いのち){生命};がけで守っている。……可愛い娘に逢ったのが一生の&ruby(おもいで){思出};だ。~
  どうなるものでもないんだから、早く影をくらましたが、四日市で煩って、&ruby(おかみ){女房};さん。」~
  と呼びかけた。~
 「お前さんじゃないけれど、深切な人があった。やっと足腰が立ったと思いねえ。上方筋は何でもない、間違って謡を聞いても、お百姓が、(風呂が沸いた)で&ruby(たけぼら){竹法螺};吹くも同然だが、&ruby(あずま){東};へ上って、箱根の山のどてっぱらへ手が&ruby(かか){掛};ると、もう、な、江戸の鼓が響くから、どう我慢がなるものか! うっかり謡をうたいそうで危くってならないからね、&ruby(いまぎれ){今切};は越せません。これから&ruby(おおいずみはら){大泉原};、&ruby(いなべ){員弁};、&ruby(あげき){阿下岐};をかけて、大垣街道。岐阜へ出たら&ruby(ひだごえ){飛騨越};で、&ruby(ほっこく){北国};筋へも廻ろうかしら、と富田近所を三日稼いで、桑名へ来たのが&ruby(きのう){昨日};だった。~
  その今夜はどうだ。不思議な人を二人見て、遣切れなくなってこの&ruby(うち){家};へ飛込んだ。が、&ruby(ながし){流};の笛が&ruby(からだ){身体};に&ruby(ささ){刺};る。いつもよりはなお激しい。そこへまた影を見た。美しい影も見れば、&ruby(おそろ){可恐};しい影も見た。ここで按摩が殺す気だろう。構うもんか、勝手にしろ、似たものを&ruby(ひき){引};つけて、とそう覚悟して按摩さん、背中へ&ruby(つかま){掴};ってもらったんだ。~
  が、筋を抜かれる、身を&ruby(むし){※(「てへん+劣」)};られる、私が五体は裂けるようだ。」~
  とまた&ruby(さしうつむ){差俯向};く肩を越して、按摩の手が、それも物に震えながら、はたはたと&ruby(おのの){戦};きながら、背中に&ruby(しが){獅噛};んだ&ruby(つら){面};の&ruby(くッつ){附着};く……門附の&ruby(あわせ){袷};の&ruby(あ){褪};せた色は、&ruby(はだうす){膚薄};な胸を透かして、&ruby(どうき){動悸};が筋に映るよう、あわれ、博多の柳の姿に、&ruby(つちぐも){土蜘蛛};一つ&ruby(から){搦};みついたように&ruby(すご){凄};く見える。~
 「誰や!」~
  と、不意に&ruby(びっくり){吃驚};したような女房の声、うしろ見られる神棚の&ruby(ともし){灯};も暗くなる端に、べろべろと紙が濡れて、&ruby(かど){門};の腰障子に穴があいた。それを&ruby(みとが){見咎};めて一つ&ruby(わめ){喚};く、とがたがたと、&ruby(あしおと){跫音};高く、&ruby(か){駈};け&ruby(の){退};いたのは御亭どの。~
  いや、困った&ruby(おやじ){親仁};が、一人でない、&ruby(まきざっぽう){薪雑棒};、&ruby(ぼうちぎ){棒千切};れで、二人ばかり、若いものを連れていた。~
 ~
 「御老体、」~
  雪叟が小鼓を&ruby(し){緊};めたのを見て……こう言って、恩地源三郎が&ruby(げんぜん){儼然};として顧みて、~
 「破格のお附合い、&ruby(おそれ){恐};多いな。」~
  と膝に扇を取って会釈をする。~
 「相変らず未熟でござる。」~
  と雪叟が礼を返して、そのまま座を下へおりんとした。~
 「平に、それは。」~
 「いや、蒲団の上では、お流儀に失礼じゃ。」~
 「は、その娘};&ruby(こ){の舞が、&ruby(おい){甥};の奴の&ruby(おもかげ){俤};ゆえに、遠慮した、では私も、」~
  と言った時、左右へ、敷物を&ruby(ひと){斉};しく&ruby(は){刎};ねた。~
 「嫁女、嫁女、」~
  と源三郎、二声呼んで、~
 「お三重さんか、私は嫁と思うぞ。喜多八の叔父源三郎じゃ、&ruby(あらた){更};めて一さし舞え。」~
  二人の名家が&ruby(きっ){屹};と居直る。~
  瞳の動かぬ気高い顔して、&ruby(うっとり){恍惚};と見詰めながら、よろよろと&ruby(ひきさが){引退};る、と黒髪うつる藤紫、肩も&ruby(かいな){腕};も&ruby(なよやか){嬌娜};ながら、袖に構えた扇の利剣、霜夜に声も&ruby(りんりん){凜々};と、~
 「……引上げたまえと約束し、一つの利剣を抜持って……」~
  肩に&ruby(あや){綾};なす鼓の手影、雲井の胴に光さし、&ruby(つや){艶};が添って、名誉が&ruby(こ){籠};めた心の花に、&ruby(しらべ){調};の緒の色、&ruby(さっ){颯};と燃え、ヤオ、と一つ声が&ruby(かか){懸};る。~
 「あっ、」~
  とばかり、&ruby(きっ){屹};と見据えた――能楽界の鶴なりしを、雲隠れつ、と&ruby(おし){惜};まれた――恩地喜多八、饂飩屋の&ruby(しょうぎ){床几};から、&ruby(つ){衝};と片足を土間に落して、~
 「雪叟が鼓を打つ! 鼓を打つ!」と身を&ruby(も){揉};んだ、胸を&ruby(せ){切};めて、&ruby(あわただ){慌};しく取って&ruby(おお){蔽};うた、手拭に、かっと血を吐いたが、かなぐり棄てると、&ruby(めて){右手};を&ruby(つか){掴};んで、按摩の手をしっかと取った。~
 「&ruby(たた){祟};らば、祟れ、さあ、按摩。湊屋の&ruby(かど){門};まで来い。もう一度、若旦那が聞かしてやろう。」~
  と、&ruby(ひった){引立};てて、ずいと出た。~
 「(源三郎)……かくて竜宮に至りて宮中を見れば、その高さ三十丈の玉塔に、かの玉をこめ&ruby(おき){置};、香&ruby(こうげ){花};を備え、守護神は八竜&ruby(なみい){並居};たり、その外悪&ruby(わに){魚鰐};の口、&ruby(のが){遁};れがたしや&ruby(わが){我};命、さすが恩愛の&ruby(ふるさと){故郷};のかたぞ恋しき、あの浪のあなたにぞ……」~
  その時、&ruby(みなぎ){漲};る心の&ruby(はり){張};に、島田の&ruby(もとゆい){元結};ふッつと切れ、肩に崩るる緑の黒髪。水に乱れて、灯に&ruby(ゆら){揺};めき、畳の海は&ruby(もすそ){裳};に澄んで、&ruby(ちり){塵};も&ruby(とど){留};めぬ&ruby(まいぶり){舞振};かな。~
 「(源三郎)……&ruby(わがこ){我子};は&ruby(あ){有};らん、父大臣もおわすらむ……」~
  と声が&ruby(かす){幽};んで、源三郎の&ruby(じ){地};謡う節が、フト途絶えようとした時であった。~
  この湊屋の門口で、&ruby(さわやか){爽};に調子を合わした。……その声、白き&ruby(にじ){虹};のごとく、&ruby(つ){衝};と来て、お三重の姿に&ruby(さ){射};した。~
 「(喜多八)……さるにてもこのままに別れ&ruby(はて){果};なんかなしさよと、涙ぐみて立ちしが……」~
 「やあ、大事な処、倒れるな。」~
  と源三郎すっと座を立ち、よろめく三重の&ruby(せな){背};を支えた、&ruby(おい){老};の&ruby(かいな){腕};に&ruby(めなみ){女浪};の袖、この後見の大磐石に、みるの緑の黒髪かけて、&ruby(さっ){颯};と&ruby(かざ){翳};すや舞扇は、銀地に、その、雲も恋人の影も立添う、光を放って、&ruby(ともしび){灯};を&ruby(しら){白};めて舞うのである。~
  舞いも舞うた、謡いも謡う。はた雪叟が自得の秘曲に、桑名の海も、トトと&ruby(おおかわ){大鼓};の拍子を添え、川浪近くタタと鳴って、太鼓の&ruby(ひびき){響};に&ruby(みぎわ){汀};を打てば、&ruby(たどさん){多度山};の霜の頂、月の御在所ヶ&ruby(たけ){嶽};の影、鎌ヶ嶽、&ruby(かむり){冠};ヶ嶽も冠着て、客座に並ぶ&ruby(けはい){気勢};あり。~
  &ruby(さよ){小夜};更けぬ。町&ruby(い){凍};てぬ。どことしもなく&ruby(おおぞら){虚空};に笛の聞えた時、恩地喜多八はただ一人、湊屋の軒の蔭に、姿蒼};&ruby(あお){く、影を濃く立って謡うと、月が棟高く廂};&ruby(ひさし){を照らして、渠};&ruby(かれ){の&ruby(おもて){面};に、扇のような光を投げた。舞の扇と、うら表に、そこでぴたりと合うのである。~
 「(喜多八)……また思切って手を合せ、&ruby(なむ){南無};や&ruby(しどじ){志渡寺};の観音&ruby(さった){薩※(「土へん+垂」};の力をあわせてたびたまえとて、大悲の利剣を額にあて、竜宮に飛び入れば、左右へはっとぞ&ruby(の){退};いたりける、」~
  と謡い澄ましつつ、~
 「&ruby(せな){背};を貸せ、宗山。」と言うとともに、恩地喜多八は疲れた&ruby(さま){状};して、&ruby(さっき){先刻};からその裾に、大きく何やら&ruby(うずく){踞};まった、形のない、ものの影を、腰掛くるよう、取って&ruby(ひっし){引敷};くがごとくにした。~
  路一筋白くして、&ruby(かけあんどん){掛行燈};の更けたかなたこなた、杖を&ruby(つ){支};いた按摩も交って、ちらちらと人立ちする。~
 明治四十三(一九一〇)年一月~
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 底本:「泉鏡花集成6」ちくま文庫、筑摩書房~
    1996(平成8)年3月21日第1刷発行~
 底本の親本:「鏡花全集」岩波書店~
    1942(昭和17)年7月刊行開始~
 ※底本で句点が抜けている箇所は親本を参照して補いました。~
 ※誤植を疑った箇所はちくま日本文学全集を参照しました。~
 入力:門田裕志~
 校正:砂場清隆~
 2002年1月9日公開~
 2005年9月25日修正~
 青空文庫作成ファイル:
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 RIGHT:&size(11){[[HP「町の按摩さん」>http://tao.main.jp/anmasan/]]  [[「町の按摩さんblog」>http://anma.air-nifty.com/anma/]]  [[「キャラネティクス&チベット体操日記」>http://callanetics.seesaa.net/]]};
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