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 #insert
 
 2007-12-12 (水) 12:41:21
 
 はじめまして。ゆっこ@茅ヶ崎と申します。
 2008-07-20 (日) 02:03:05
 
 「玄米正食批判試論」を見つけて、辿り着きました。
 大変興味深く読ませていただきました。
 マクロビオティックを実践している物なのですが、
 友人などにも読ませてあげたので、リンクを頂きに参りました。
 なにか問題などありましたら、教えて下さいませ。
 
 ゆっこ@茅ヶ崎
 
 すみません↓の文章はpessが書きました;;
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 2007-12-07 (金) 22:31:16
 2008-07-20 (日) 02:02:22
 
 <a href= http://ahuennatest1.com >ahuenna test1</a> <a href= http://zaebatoepta1.com >zaebato epta1</a>
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 puruさん
 
 2007-10-01 (月) 15:20:57
 ご返答ありがとうございます。
 
 こんにちは、玩具修理屋さん。
 お久しぶりです。(^^)
 実際、そこまで意識してる術者の方はいないですよね。。。(^^;
 むしろ個人的な考え(推察?)の方が参考になりますので、大変ありがたいです。
 
 >外部の対象に自動的に癒着してしまう自我意識の働きや、
 >潜在意識の歪みと身体の歪みとの並行関係の指摘などとてつもない奥深さを感じます。
 
 おぉ、興味深過ぎですね。
 
 >第三十四段「敵の怒りは我と砕け落ち、敵も独り行き、我も独り行く道なり
 
 すっごくカッコイイ文章で、参っちゃいますね。
 いやいや、スゴイ。
 
 正しい意味はわかりませんが、いろいろ触発される文章です。
 透明感が際立っていますね。
 
 ノリや気分といったやや繊細な感覚は、巻き込まれずにけっこう客観的に眺められます。
 やる気とか好奇心、興味の方向性、創造性などは、人ごとのように「いつどんな流れでやって来るんだろう」「おぉ、こんな感じで来たか。流れに沿って泳いでいこう」とか、眺めやすくて流れていけるのですが。
 情動や感情といったちょと粗い感覚には、巻き込まれまくりですね。
 特にイライラとか怒ったりとか。
 かなり自己同一化しています。
 
 フト思い出しましたが。
 イライラしていたり怒ったりしている最中にそのことに何気に気づき、イライラしたり怒ったりしつつその感情を眺めようと意識が離れようとする、その微妙な瞬間の嫌ぁ〜な感じ。
 エゴが離れまいと踏ん張る、その、なんというか、理不尽な感じ。
 あれ、気持ち悪いです。
 まぁでも、気づいたら後は時間の問題で、エゴは引き下がるしかないのですが。
 
 >第三十四段「敵の怒りは我と砕け落ち、敵も独り行き、我も独り行く道なり
 
 なんというか、書いた人の視点が既に透明ですよね。
 敵にも敵の怒りにも、そして我にも巻き込まれていない、透明な離れた視点。
 抑圧とか批判、分離や分裂とはまったく違う、爽やかな意識。
 カッコイイ〜。
 
 独り行く道……。
 独りとは……。
 道とは……。
 
 次の文章とともに、いろいろと想いを巡らしてみます。
 
 >第六十段「ただ時々刻々に我独り、立ち上がって見よ。今の今を行くより他なし」
 
 「願立剣術物語」は素晴らしいっすね。
 書き込んでくれて有り難う。>玩具修理屋さん
 
 日本に生まれて良かった。(^^)
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 2007-09-30 (日) 18:20:09
 2008-07-19 (土) 16:50:45
 
 
 玩具修理屋
 
 こんにちは、Puruさん。お久しぶりです。「願立剣術物語」ようやく一通り大まかに読んでは見れました。私の理解力では多分穴だらけでしょうが(笑)。確かに今まで読んだことのある剣術書、武術書系のものとは受ける印象が違います。外部の対象に自動的に癒着してしまう自我意識の働きや、潜在意識の歪みと身体の歪みとの並行関係の指摘などとてつもない奥深さを感じます。又、朗読していると何となく体内の気が清浄になってくるような感じがしてまるで祝詞か真言でも唱えているような気がしてきます。
 深層心理学やロルフィング、アレクサンダーテクニックといった高度なボディワークの理論とも通じるところがあって興味深いです。それと五輪書や新陰流系剣術書で言っていることがより分かった気がします。
 個人的には意味が分からなくても印象に残る文章もあって本当に不思議です。
 第三十四段「敵の怒りは我と砕け落ち、敵も独り行き、我も独り行く道なり
 第六十段「ただ時々刻々に我独り、立ち上がって見よ。今の今を行くより他なし」
 といったようなものです。今後も読み込んでいくつもりですがこれだけのものですから岩波あたりから書籍化してくれればいいのにと思っているんですけどね。
 それではまたなにかありましたら。
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 2007-08-06 (月) 10:08:03
 
 おおいそ
 Puruさん、はじめまして。昨年はじめて拝見して以来、熱心さに感激しております。はじめて書き込み致しますのは、(ちょっと宣伝がましいので不適切とお感じでしたら、削除して頂いて構いません)あマ指の施術情報をマッサージスコアという楽譜のようなもので表そうとしておりまして、臨床の傍ら機械を作り、その機械を用いて発表、DVDを製作したものでご意見など願えればと思ったからです。
 導引口訣鈔、按摩手引などに見られるその文言を読み解くことはとても重要とおもいますが、実施の施術を反復練習するために必要な「圧加減」を表せたらなあ、と感じています。
 http://massagescore.info
 よろしければご覧下さい。また
 書き込みさせて頂きます。
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 2007-04-21 (土) 19:35:59
 
 igpsytrv felgaqup jibl shekozgiw tkqa onsehudjl smiw
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 2007-02-24 (土) 19:40:59
 
 玩具修理屋
 
 こんにちは、Puruさん。私は剣豪・時代小説は好きなので隆慶一郎先生は存じています。「柳生非情剣」だけは読んだことあります。弟が特にファンでしたね。
 「死ぬことと見つけたり」読んでみます。ありがとうございます。ちなみに剣豪小説では戸部新十郎先生の短編集が特に好きです。剣という「逆縁の世界」に生きる剣士たちの孤独と哀しみを独特の風雅な文体で描いた作風が好きです。おすすめは
 「秘剣水鏡」(徳間文庫) 「秘剣花車」(新潮文庫)ですね。
 
 今、「願立剣術物語」の全文復刻をインターネットで手に入れて漢和辞典片手にジタバタしながら読んでいます(笑)。実に興味深いものがあります。ひととうり読めたらまたご報告させていただくかもしれません。
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 2007-02-16 (金) 17:07:10
 
 こんにちは、はじめまして。
 有益なページを公開してくださり、誠にありがとうございます。
 当方のブログ
 「東洋療法研修資料集」http://omlinks.cocolog-nifty.com/
 にリンク設定させていただきたく存じます。
 差支えがございましたら、速やかに対処いたしますので、ご連絡いただきますようお願い申し上げます。
 今後ともよろしくお願い申し上げます。    (byIKKOU)
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 2007-02-01 (木) 16:33:48
 
 puru
 
 こんにちは、玩具修理屋さん。
 こんにちは、pessさん。
 ようこそいらっしゃいました。(^^)
 
 >深層心理学や身体技法に興味や実践したりするのもいかに「恐怖とダンス」を踊れるかということが直接、自分の生存(社会生活)に関わるからです。
 横手ですかぁ。 (^^;;
 なんともアニアック(失礼 m( _ _ ;m)なテーマですね。
 というか、ぼく自身曲手は治療の中で使ってないですね、そういえば。
 
 ”「恐怖とダンス」を踊れるか”という表現、好きです。
 「恐怖を取り除く」などではないところが。
 文献も「按摩手引」くらいでしょうし、その生理学的作用についての記述を見た記憶もないです。
 
 >おもしろいのは「足」に自立心や行動への恐怖といったテーマがあるということで、これは私自身の個人的体験からいっても事実だと思います。
 感覚的には、横手は気持ちよいですよね。
 揺らされているような、表面を(多少早い)波のように反復するように移動していく動きは、もし術者が被術者の身体の軸まで考慮していれば横手の波紋が身体深部にまで浸透するでしょうし……。
 (む〜。今度横手を使ってみようかな)
 
 同感です。
 みたいなコメントしか書けない自分が情けない。orz
 役に立てなくてごめんなさい。(^^ゞ
 
 片足に優しく丁寧にチュアカをして、その後ゆっくりと立ち上がり、足の感触を味わうのが好きです。
 まだ働きかけていない方は、何やら硬直した棒のようにも感じられ。
 チュアカをした方は、感覚がふっくらと繊細になっていて、心許ない感じがして体重を乗せるのが怖くなったりします。
 この怖さや不安感、心許なさが好きです。
 その感覚の中に落ちていくように体重をあずけていくことが。
 
 >私見ですが寺院やアシュラムのような安定した密室的な環境で生まれた技法より戦場のようなナマの現実の中で戦士や武士たちが生み出した呼吸法やマッサージのような技法の方が効果が高いし、現代人には必要なのかもしれませんね。
 
 隆慶一郎氏の「葉隠」を小説化した「死ぬことと見つけたり」を思い出しました。
 その中で、主人公は毎朝目が覚めると、起きあがる前に十全に死に切る、という描写が出てきます。
 おのれが死ぬ様をありありとリアルに思い描き、毎朝異なる死に様で死に切る。
 その死に切ることで、逡巡したり恐怖に立ちすくむことなく、おのが努めをその場その場で全うすることが出来る、という鍋島藩士の心得。
 毎朝「恐怖とダンス」、ですね。
 
 怖いこと、不安なことをトコトン思い描き、それをイメージや想像の中で十全に疑似体験してみる、というのは意外と良いアイデアかも知れませんね。
 もしここを見ている方で、何かコメントがあれば是非とも書き込みお願いします。m( _ _ )m
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 2007-01-31 (水) 19:44:40
 2008-07-19 (土) 00:09:33
 
 はじめまして、鍼灸あましの専門学校に通うpessと申します。
 
 玩具修理屋
 今度学校の医学会で「横手の生理作用」という
 テーマでの発表をすることになりまして、色々調べているのですが
 文献(横手について書いてあるもの)や治療家がどういった効果を目的として横手を使用しているのか等に
 少々つまずいています。。。
 
 こんにちは、Puruさん。お久しぶりです。その後、チュアカを実践してみました。
 プリントアウトしたものを見ながらやったのであまりうまくいったとは思いませんが新鮮でおもしろい体験でした。慣れてくればもっとうまくできるとは思います。確かに筋肉の緊張を取るだけでなく、感覚の深化というのも目的だと思います。
 おもしろいのは「足」に自立心や行動への恐怖といったテーマがあるということで、これは私自身の個人的体験からいっても事実だと思います。
 私には子供のころから得体のしれない恐怖心があってそのためにずっと苦しんできました。深層心理学や身体技法に興味や実践したりするのもいかに「恐怖とダンス」を踊れるかということが直接、自分の生存(社会生活)に関わるからです。
 おそらく、モンゴルの戦士たちは戦場に出陣する時には緊張を取り、帰って来たときには戦場でのトラウマを身体から取り除くために行っていたのでしょう。私見ですが寺院やアシュラムのような安定した密室的な環境で生まれた技法より戦場のようなナマの現実の中で戦士や武士たちが生み出した呼吸法やマッサージのような技法の方が効果が高いし、現代人には必要なのかもしれませんね。
 「曲手全体ではなく、なぜ横手?」と感じると思いますが
 ご意見頂けたらと思います。m(_ _)m
 ----
 
 2006-12-15 (金) 10:26:56
 2008-06-30 (月) 06:34:10
 
 だるま
 
 <体にも、体独自の気分や感情、想いがあり、それを感じ取ろうとする、その姿勢。
 
 
 こういう姿勢(態度)は忘れていました。               
 
 ここ数日、自分のからだの感覚、感情と対話をしていますが、曖昧さの中に安心感が存在しているようですね。
 
 楽しみながら、探求の旅をしていきま〜す。
 
 ----
 
 2006-12-12 (火) 09:30:27
 
 puru
 
 >セルフマッサージなのですか。難しそうですね〜
 >自分の感覚がしっかりしてないと迷ってしまいますね〜
 こんにちは、遊風さん。
 確認しました。
 書き込めませんね。
 
 全然しっかりとしてなくても良いのよ。
 
 自分の「気分や感情に意識を向けてみる」ということが一番大切なこと。
 何でもそうだと思うのですが、感覚を探求するということも、その「探求する」ということに意味があるのであって、そこで何かを見出したり理解したりというのは、極論してしまえばさして重要ではないと思うのです。
 探求には終わりはないし。
 探求自体が愉しいこと。
 「やれば出来る」というのも、「出来る」ことなんかより「やる」ことにこそ意味があるのだと思っています。
 
 愛おしむように自分の足に触れ。
 足の気分や感情、想いに意識を向けてみる。
 尋ねるように、聞き耳を立てるように。
 足の気分や感情、想いをハート(胸)に吸い込むように、優しく呼吸しながら。
 
 そんな雰囲気や空気、行為自体こそが貴重なのだと思います。
 体にも、体独自の気分や感情、想いがあり、それを感じ取ろうとする、その姿勢。
 
 これは、別にチュアカだけではなくて、仰向けに寝て自分の両足に意識を向けてみる、そんなやり方でも出来ますよ。
 両足に意識を向けて、左右の感覚の違いを感じてみる。
 足の感覚、その質感や形はどんな感じなのか。
 その時に浮かぶ、質感や形のイメージは……。
 そして、感覚やイメージだけではなく、気分や感情、想いにも網を拡げてみる。
 優しくゆったりとハートで呼吸するようにしつつ。
 
 みたいな感じで、いろいろな意識の向け方が出来るです。
 もちろん、治療中にも。
 調べてみます。
 ----
 
 2006-12-11 (月) 15:08:16
 2008-06-29 (日) 07:32:59
 
 だるま
 
 プルさん、サンキュウーです。セルフマッサージなのですか。難しそうですね〜
 自分の感覚がしっかりしてないと迷ってしまいますね〜
 
 こんにちは、プルさん、遊風です。
 昨日から「のびのび」掲示板が書きこめなくなっています。
 「操体掲示板」や「やじうまこみゅ・集会所」も書きこめませんでした。
 どうしたら良いのかな。
 ----
 
 2006-12-11 (月) 13:30:12
 2008-05-12 (月) 14:07:54
 
 puru
 こんにちは、てつ生さん。
 ようこそいらっしゃいました。(^^)
 
 >チュアカができる人はいらっしゃいますか? 是非体験したいのですが・・・・・・
 目を通したものもありますが、てつ生さんが書き込んでくれたものを読み直すといろいろと考えさせられます。
 
 チュアカは基本的にセルフマッサージなのですよ。
 これに類するボディーワークとしては、マッサージ的な働きかけを含むものではロルフィングやヘラーワークというものがあります。
 その他にはバイオエナジェティックスやバイオシンセシスなどありますが、日本で受けられるかどうかは不明です。
 >◆中原貞衛編『按摩の栞』吐鳳堂, 明38.8
 
 >チュアカの説明を見て、心理面からも知る必要が出てきたようです。
 中原貞衛さんにはやられました。(^^;
 まだデジタルライブラリーも知らない頃で、古本で『按摩法手技』という明治32年の本を注文し。
 実は中原貞衛さん訳の西洋按摩だったというトホホな結果。
 でも、「按摩リンク集」の同書のところに図版を載せていますが、その緻密な図が超お気に入りです。
 なので、この図の為に買ったと思えば悔いはないです。
 
 ひとりで出来るバイオエナジェティックスが参考になるかも知れません。
 ですが、昔出ていた様々なワークが図入りで載っていた本は既にない模様。
 その後出た春秋社の「バイオエナジェティックス 原理と実践」も既に絶版のようです。
 西洋医学や科学、論理的であることを有り難がって積極的にそれらを取り入れて来た日本人ですが、その始まりが明治期ですよね。
 中原さんの文章に見られる認識は、平成の今も何ら変わっていません。
 
 先日お知らせしたぼくの資料室みたいな所には、バイオエナジェティックスと同系統のバイオシンセシスの資料があります。
 参考になるかもですよ。
 ----
 >二 遠心性とは中枢より末梢に向いて按摩するを云い此按摩に適するは神経なり。
 >  故に又神経按摩法と称すべし。
 >三 求心性とは末梢より中枢に向いて按摩するを云い此按摩に適するは筋なり。
 >  故に又筋按摩法と称すべし。
 
 2006-12-10 (日) 19:25:02
 このまんまなことを、いまだに鍼灸マッサージ学校では按摩・指圧・マッサージ理論として教えているはずです。
 なんでもかんでも西洋医学的に説明しないと気が済まないんでしょうねえ。
 人の体って、西洋医学的に生きている訳ではないんですけど。
 むしろ、感覚的、情緒的なものが主体な生き物なのに……。
 
 だるま
 まあ、形的には確かに按摩は体の深部に、マッサージは表層に働きかけているように見えますし、そういっても過言ではないんですが。
 そこから訳知り顔に論理展開しちゃうのも何だかなあと思います。
 深い→動脈→遠心性
 表層→静脈→求心性
 ということにして、実際の手技もそれに合わせるようにしたりなんかして。(^^;
 按摩もマッサージも、遠心、求心、どちらも使うしそれで害はないし、けど、たまたまそれっぽい手技が多かったので、西洋医学的にはそう決めちゃった方が都合がよかったんでしょうね。
 
 プルさん、チュアカに興味がでてきました。チュアカができる人はいらっしゃいますか? 是非体験したいのですが・・・・・・
 >故に治病上には吾人西洋按摩を賞用す。然れども日本按摩も決して無効なるにはあらず。
 
 僕は、なぜか分からないのですが、妙に足首にこだわってしまうのです。足首は膝や腰と違っていつのまにか痛みが消えてしまい、からだのバランスを崩す元になってしまうのです。
 チュアカの説明を見て、心理面からも知る必要が出てきたようです。
 明治、大正、昭和初期と、西洋医学的だという理由だけで西洋マッサージが賞用されたかのようですが、実際には全然根付いてないです。
 西洋マッサージが本格的に用いられたのはエステティックからでしょうね、おそらく。
 それまではスポーツマッサージが一部で用いられたくらいだと思います。
 町の治療院やサウナ等で行われているマッサージは、明治期以来いまだにマッサージという名の按摩ですし。
 
 >◆富岡兵吉『日本按摩術』誠之堂書店、大正8、88p;22cm
 
 ----
 これ、ぼくも持ってます。(^^)
 「自序」読み返してみましたけど、なんか憂鬱になります。
 先進国の仲間入りをする為に欧米化し、社会制度や教育もキッチリすることである程度の質を確保した均一なものが出来上がったように見えますが……。
 科学や論理の及ばない心ある大切なものがゴッソリ抜け落ちてしまったような、そんな気がします。
 
 2006-12-09 (土) 16:33:28
 >・『無薬医師録』昭和6年版 114p
 > 吉田久庵氏 東大治療室嘱託(真鍋物療内科同窓会員)日本橋区江戸町一ノ四
 >とのみある。これは三代目か?
 
 puru
 おぉ、三代目さんがいたんですかね。
 
 おぉ、こんな、人通りのほとんどない場所へようこそです、だるまさん。(^^)
 >・佐々木味津三『右門捕物帖 達磨を好く遊女』に、吉田久庵が登場。
 
 >私が操法の柱としている足首の操法がより深く理解と探求が出来そうです。
 
 あぁ、なんかわかる気がします。
 だるまさんの操法は見たことないですが。(^^ゞ
 
 ぼく自身は、四肢末端の按摩は得意じゃないです、ほんとに。
 ただ、自分自身の体の探索としては、足や足首、立つこと、これらは永遠に続くことだと思っています。
 
 今日はちょっと暇なので、あはき柔法に指圧が組み込まれた経緯や療術を調べ直したりしてました。
 
 気が向いたら、いつでも書き込んで下さいね。
 面白そう〜。
 読んでみます。(^^)
 ----
 
 2006-12-09 (土) 10:32:13
 2008-05-11 (日) 14:43:58
 
 だるま
 プルさん、チュアカ面白そうですね。私が操法の柱としている足首の操法がより深く理解と探求が出来そうです。
 ----
 初めまして。
 ・日本における按摩の歴史
 ・導引口訣鈔テキスト
 ・導引口訣鈔を読む
 など、非常に参考になりました。ありがとうございました。今後の展開も期待しています。
 
 2006-08-03 (木) 11:22:42
 私が気付いた限りでの「日本按摩」や吉田久庵についての記述です。すでにご存知のものもあるかとは思いますが念の為。
 また、石坂流というのが富岡兵吉氏の下記著作に出てきます。
 ◆の3冊は実技についての叙述がありますが、私は門外漢ですので、・・・
 
 puru
 ◆中原貞衛編『按摩の栞』吐鳳堂, 明38.8
 【近代デジタルライブラリー】
 「第一章 按摩の意義
 一 我国には現今日本按摩と西洋按摩とあり。日本按摩は遠心性西洋按摩は求心性なり。
 二 遠心性とは中枢より末梢に向いて按摩するを云い此按摩に適するは神経なり。故に又神経按摩法と称すべし。
 三 求心性とは末梢より中枢に向いて按摩するを云い此按摩に適するは筋なり。故に又筋按摩法と称すべし。
 ・・・
 一二 即ち按摩は血液循環を幇助するものなり。
 一三 血液循環は神経の作用なり。神経を按摩即ち刺戟すればその機能旺盛して血液循環を善くす。故に日本按摩即ち神経按摩は有効なり
 一四 動脈血は進行力強けれど静脈血の進行力は微弱なれば循環を催進するには静脈の血流を幇助す。
 一五 静脈は主として筋肉及筋間組織を通るものなれば筋肉を末梢より中枢に向いて圧迫し行けば静脈血は其流るる速力を増す。故に西洋按摩即ち筋按摩は有効なり。
 一六 今両法を馬車に譬えんに日本按摩は馬に鞭つが如く西洋按摩は車を推すが如し。其効力の大小は言わずして明らかなり。
 一七 故に治病上には吾人西洋按摩を賞用す。然れども日本按摩も決して無効なるにはあらず。両者を併用すれば効能益多かるべし。」
 
 はじめまして、玩具修理屋さん。
 ようこそいらっしゃいました。
 ◆久木田七郎著/田代義徳閲『臨床応用 按摩術指南』誠之堂、明42.2、219p ; 21cm
 【近代デジタルライブラリー】
 按摩術にマッサージのルビがあることに端的なように日本古典按摩術というより、西洋式マッサージの指導書。
 
 >しばらくは、チュアカを実践してみたいと思っています。チュアカの考え方には実に興味深いものがありますね。
 「・・・徳川時代に至りて杉山和一、吉田久庵の如き豪傑輩出して按摩法を振起したれども、遂に旅の疲れや、肩の凝りを治するの一賎技に留りて今日の状態を馴致す。・・・」(序 田代義徳)
 
 チュアカが出来た時代や背景を考えると、やはりウィルヘルム・ライヒやアレキサンダー・ローエンの流れの延長線上にあって、「筋肉の鎧」の"開放"を主目的としたワーク、ということになるのでしょうか。。
 ただチュアカの場合は、自分が自分に働きかけるのが基本のワークなので、ライヒアンやバイオエナジェティックス以上に繊細さが要求されるように思います。
 ◆富岡兵吉『日本按摩術』誠之堂書店、大正8、88p;22cm
 著者は明治23年東京盲唖学校卒業、大正元年より東京盲学校教諭。
 「然れども本書の載するところは按摩術の全手技を網羅して大家研究の資に供せんとしたるには非ずして、主として初学者に本術の大綱を指示せんと欲するにあるを以て、単に諸術式中自家の実験に徴して有効且つ容易なりと思量せるもの、及び各流派共に殆んど共通と思わるる術式を蒐集し、其の他寛永年間の著述に係る大久保道古氏の古今導引集、宮脇仲策氏の導引口訣鈔並びに賀川子啓氏の産論翼(明和年間の著)寛政年間に公にされた藤林良伯氏の按摩手引、又文政年間に編纂せられたる太田晋斎氏の按腹図解等を参考して其の中より合理的の二三術式を撰択し、而して又従来血脈経血を基として按摩の応用をしたるに反し、現代に於ける解剖学上の部位的名称に準拠して系統的に術式を記述したり。」(自序三〜四頁)
 
 感覚を開いて、繊細に……。
 自分の手の感覚が自分の足の感覚に、問いかけるように触れていき。
 柔らかくて暖かい感覚の空間で一体となり。
 感覚は更に繊細に深まって……。
 「杉山流、石坂流等は今日最も世人より歓迎せらるる術式なるが如し」(「第一章按摩術の沿革」本文四頁)
 
 みたいな感じで行っていると、「筋肉の鎧」の"開放"というよりは、感覚の覚醒&深化は主目的なのではないかと思います。
 感覚の覚醒&深化により、二次的、必然的に「筋肉の鎧」の"開放"は生じてしまっている。
 ・『無薬医師録』昭和6年版 114p
  吉田久庵氏 東大治療室嘱託(真鍋物療内科同窓会員)日本橋区江戸町一ノ四
 とのみある。これは三代目か?
 
 >今は、甲野善紀氏や高岡英夫氏の方法論、メソッド
 ・佐々木味津三『右門捕物帖 達磨を好く遊女』に、吉田久庵が登場。
 http://www.aozora.gr.jp/cards/000111/files/559_18962.html(青空文庫)
 
 高岡氏の「ゆる」をチュアカ的に行うのも素敵だな、と読みながら思いました。
 てつ生
 
 「ゆる」をしながら、「ゆる」をしているパートに耳を傾ける。
 「ゆる」で感覚を揺り起こし、感覚の中に深く入っていき、感情や気分、浮かんでくるイメージにも耳を傾けてみる。
 皮膚、筋肉、内臓、骨、それぞれに対しても。
 
 って、面白そう。
 今度やってみることにします。
 
 アイデアのキッカケ、さんきゅです。(^^)/
 
 ----
 
 2006-08-02 (水) 19:45:53
 2008-02-11 (月) 14:33:35
 
 玩具修理屋
 
 初めまして。チュアカを調べていてここにたどり着きました。大昔にヒーリングマガジンという雑誌に載っていたということは知っていましたがPURUさんが書かれたものとは知りませんでした。
 個人的にはグルジェフの<グルジェフムーブメンツ>、カスタネダの<マジカルパス>、田中守平の<太霊道>、平田内蔵吉<経絡体操>のような失われた身体技法や秘儀的な魔術的肉体訓練に関心があります。チベット体操の<ツァルン>は私もスパスパで録画していたので実践もしましたがあまり自分には物足りなかったですね。今は、甲野善紀氏や高岡英夫氏の方法論、メソッドとマジカルパスを実践しています。
 しばらくは、チュアカを実践してみたいと思っています。チュアカの考え方には実に興味深いものがありますね。それでは、また、何かありましたら書き込ませてもらいます。
 ----
 
 2006-07-29 (土) 22:02:50
 
 puru
 
 あ。
 英さん、「水のように龍のように」って、アドレス変わりました?
 こんにちは、玩具修理屋さん。
 
 ----
 タイミング良いですね。(^^)
 実はぼく、5つのチベット体操を再開したばかり。
 今日で4日目です。
 日記もつけていますが、リンクはこのページ右下にあります。
 昔書いた日記プラス、再開したばかりのチベット体操のことも書き始めたところ。
 
 2006-07-29 (土) 20:42:36
 以前調べた、スパスパ人間学で紹介されたヒマーチャル・プラデーシュ州ビルのチョクリン・ゴンパ寺院で行われている「ツァ・ルン」の記事なんかをこのPukiwikiにまとめようと思っていたところです。
 そこに、玩具修理屋さんの「若返りの秘儀チベット体操」の紹介ですから、なんというグッドタイミング。
 ありがとうございます。
 
 puru
 ・&amazon(4796660542,noimage);
 
 おぉ、英はん、いらっしゃいませ。
 ↑これですね。
 確かに価格(830円)といい作りといい、中身の軽いハウツー本だと思ってしまいますね。(^^;
 
 もう、ウチにあるページは無承諾で自由にリンクしてくだされませ。
 何せ、読んで貰うことも目的に作ってますから、うれしい限りです。
 >面白いのは監修者が自分のチベット密教の師からチベット体操のための「ツァ・ルン・トゥ・コル」
 >という密教体操のための教典をいただいてそれにもとずいて解説しているのです。
 
 按摩、日本の古典から、今は中国内丹のおべんきょまで手を伸ばしてまして。
 mixi覗く時間がもったいないの。
 おぉ、興味深いですね。
 それと「虹と水晶」ですか、こちらも惹かれますね。
 両方とも近々読んでみることにします。
 
 たまに、ココや気まぐれ板にも遊びに来てね。(^^)/
 >私の知人の女性の翻訳した本が出ていますのでちょっと告知させていただけたらと思います。
 >「チベッタン・ヒーリング」(地湧社 テンジン・ワンギェル・リンポチェ梅野泉訳 )
 
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 ・&amazon(4885031931,noimage);
 
 2006-07-29 (土) 12:43:10
 これもまた面白そうですね。
 去年の8月に出たばかりなのに、書評が7つもついているし。
 なかなかスゴそう。
 
 あ・・・
 
 ↓ 英(はな)でし。
 
 いろいろ教えてくれてありがとう。(^^)/
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 2006-07-29 (土) 12:42:49
 2008-02-10 (日) 19:21:35
 
 こんにちは^^
 玄米正食批判試論、mixiで紹介させてもらっちゃいました。
 事後承諾(毎度?(^^;))でごめんなさい。
 
 mixiに戻ってきませんか?
 玩具修理屋
 
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 こんにちは、Puruさん。お久しぶりです。今、チベット体操がブームになっていますが。
 「若返りの秘儀チベット体操」(宝島社 岡本羽加監修)という本を見たのですがよくある便乗本かと思ったら、面白いのは監修者が自分のチベット密教の師からチベット体操のための「ツァ・ルン・トゥ・コル」という密教体操のための教典をいただいてそれにもとずいて解説しているのです。
 それを見ると一から五までの動きと六番目の儀式も「若さの泉」とほぼ同じですが(ただ細かい動きや呼吸の違いがあります)。面白いのは六つの儀式以外に七つの秘儀というものがあり、その四番目が以前にスパスパ人間学で紹介されていた六番目のものに近かったということです。チベット体操といっても内容においてはけっこうヴァリエーションや混同があるのかもしれません。この教典には82のポーズがあるそうなのでこれがチベット体操の原典ではないかと思いますが、以前に「虹と水晶」(ナムカイ・ノルブ 永沢哲訳 法蔵館)という本を読んだときにヤントラヨーガという秘儀的密教体操が紹介されていましたがこれが「ツァ・ルン・トゥ・コル」と同じものではないかと思います。この本はチベット密教の身体技法を知る上で貴重です。
 今、ちょっとチベット体操を再開してみようかなと思っています。今度は
 前回と違った印象になるかもしれませんね。
 
 2006-07-26 (水) 11:41:22
 
 puru
 
 はじめまして、ダリーさん。
 ようこそいらっしゃいました。
 
 >有害性の証明よりも、無害性を証明する事の方が難しいと思いますがいかがでしょうか。
 >100%無害であると断言できる方は、よほどの自信家なのでしょうね。
 
 人が関わるものは、すべてリスクが伴うものだと思います。
 
 人体然り、人生然り。
 法律や制度、資格、免許においては尚更。
 
 ぼくとしては、形よりも質に関心があります。
 
 ついでにといっては何ですが私の知人の女性の翻訳した本が出ていますのでちょっと告知させていただけたらと思います。
 「チベッタン・ヒーリング」(地湧社 テンジン・ワンギェル・リンポチェ
  梅野泉訳 )
 チベットのボン教やチベット密教の五大元素の調和と癒しを解説し、秘儀的密教体操も一部紹介されています。
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 2006-07-25 (火) 19:30:28
 #br
 #br
 RIGHT:&size(11){[[HP「町の按摩さん」>http://tao.main.jp/anmasan/]]  [[「町の按摩さんblog」>http://anma.air-nifty.com/anma/]]  [[「キャラネティクス&チベット体操日記」>http://callanetics.seesaa.net/]]};
 #br
 
 有害性の証明よりも、無害性を証明する事の方が難しいと思いますがいかがでしょうか。100%無害であると断言できる方は、よほどの自信家なのでしょうね。
 
 ダリー
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 2006-05-19 (金) 16:56:09
 
 puru
 
 こんにちは、さららさん。
 
 >確かに。yunnでした(笑)。
 
 おぉ、やっぱyunnさんでしたか。
 
 >>個人的にこの件に関しては、法運用は現状どうなっているのか、が主な興
 >>味の焦点だったので、

 >この分野にとっては希少な視点で(笑)
 
 多くの有資格者の「そうであろう」「そうに違いない」的な自分の立場からのみの観念的意見には、論理的に見ても共感出来ませんでしたのです。
 有資格者故の高ビーな意見ばかりが流通していて、実際のところはどうなんだろうと調べだしたのですが、結果は日本政府はかなりバランスが取れているな、という感じ。
 一部有資格者の偏狂的視点ではなく、公衆の利益と安全という視点から見たら当然といえば当然の法運用なのだと思いました。
 
 >立場を問わず役に立ってると思います。
 
 単に有資格者の顰蹙を買うだけかもですが。
 
 >平和的意見でさすがです(笑)
 
 うん。
 ぼくやぼくのまわりは平和ですから。(^^)
 脳天気というか。
 
 >現状の中でどのようにみんなが素敵に動けるのか、なんて、素敵に動いてる
 >人は法律とは関係なしに素敵に動いてるとしか思えないけどなあ。
 
 うん。
 問題だ、問題だ、と騒いでる人は、問題を抱えているが故に素敵でもしあわせでもないのだと思います。
 けど、さららさんが言うように、素敵に動いてる人は法律とは無関係に素敵に動いてる。
 
 >もう少し現状と法律の解離またはムリがないのがいわゆるよい社会なんじゃ
 >って思うです
 
 前はぼくもそう思ってたけど。
 最近は、法運用はかなりうまくやってるじゃん、みたいな感じ。
 
 >まあこれはこれで。最近漬け物のできはどーですかぁー
 
 最近は、もっぱら浅漬けっす。
 味噌漬けは、消費量がかなり減って来ています。
 季節によって体が欲するものが変わるんですね。
 不思議な感じもするし、当たり前といえば当たり前なような気もするし。
 冬の間欠かせなかったニシン漬けは、今は全然食べたい気がおきないし。
 
 今はキュウリとキャベツの浅漬けが主力ですが、これからはナスが楽しみですね。
 むふふ。
 
 ----
 
 2006-05-18 (木) 21:00:13
 
 さらら
 
 puruさんへ
 
 確かに。yunnでした(笑)。全く覚えておりません。どっから考えたHNだったかなあ。あのときは生意気な物言いでどうぞ失礼をお許しください。
 
 >個人的にこの件に関しては、法運用は現状どうなっているのか、が主な興味の焦点だったので、
 
 この分野にとっては希少な視点で(笑)、立場を問わず役に立ってると思います。
 
 >法律が出来た方が良いのかどうかは分かりませんが、現状の中でどのようにみんなが素敵に動けるのか、には興味あるかもです。
 
 平和的意見でさすがです(笑)現状の中でどのようにみんなが素敵に動けるのか、なんて、素敵に動いてる人は法律とは関係なしに素敵に動いてるとしか思えないけどなあ。もう少し現状と法律の解離またはムリがないのがいわゆるよい社会なんじゃって思うです
 
 まあこれはこれで。最近漬け物のできはどーですかぁー
 
 
 
 ----
 
 2006-05-18 (木) 13:03:08
 
 こんにちは、さららさん。
 
 >私は2004年にこの件に関して多少カキコしたもんです。
 
 2004年といえば、変雀さんとyunnさんという人が「按摩Swiki」上の「[[マッサージ等法律関連板>http://purunaland.hopto.org:8080/Anma-san/49]]」に書き込んでくれていました。
 でも、Swiki自体が先月から接続不能になり、今は別のアドレスで仮に稼働してます。
 上のリンクも仮なので、数ヶ月後には繋がらなく予定。
 どこかに過去ログを残しておこうかな。
 
 で、2004年に書き込んでくれていた人のうちのyunnさんかな、などと思ってみたりしてますが、違っていたらごめん。
 
 >O先生に太極拳入門し現在に至っており
 
 うおぅ〜、王せんせの生徒さんっすか。
 うほほ、何やら知り合いみたいな気分ですね。(^^)
 
 いつだったか、日曜日の太極拳教室の後、生徒さん共々昼食を一緒にしたことがありましたよ。
 またそんな事があるやも知れず。
 お会いする日を楽しみしてます。(^^)
 
 >無資格者問題については、もっと包括的に話が進み、法律も変わっていけばいいなと思っています。
 
 どうなんでしょうね。
 個人的にこの件に関しては、法運用は現状どうなっているのか、が主な興味の焦点だったので、どのようなあり方が理想なのかはあまり考えていない節があります。
 個人的治療観自体に「変える」という発想がなく、その個人がどのように生きたいのかを、ホントのところを出来る限りの範囲で知りたい、それを実感的に知ることで滞りは自然に流れ出す、みたいな考え方をしてるので、法運用に関しても同様なのかも知れないです。
 
 >代替医療の法律とかそーいうのができた方が、代替医療者または法定外医業
 >類似行為者だけでなく、世間の人にも幸せと思います。
 
 うん。
 法律が出来た方が良いのかどうかは分かりませんが、現状の中でどのようにみんなが素敵に動けるのか、には興味あるかもです。
 
 ----
 
 2006-05-17 (水) 23:22:01
 
 さらら
 
 こんにちは。最近の「無資格マッサージ問題まとめ」など、とてもわかりやすくてすごいです。私は2004年にこの件に関して多少カキコしたもんです。だけど、そのときのハンドルネームが上記かどーか、もうわからなくなっております悪しからず。2004年には、こちらのサイトのご紹介からで、O先生に太極拳入門し現在に至っており、puruさんは知らないけど知ってる方みたいな気がしております。いつか高円寺ででもお会いしましょう(笑)
 
 無資格者問題については、もっと包括的に話が進み、法律も変わっていけばいいなと思っています。昭和35年の判例は、法定外医業類似行為者にとってよかったのかどーなのかと思っています。それで生殺しみたいな状況が45年も続いているのですから。代替医療の法律とかそーいうのができた方が、代替医療者または法定外医業類似行為者だけでなく、世間の人にも幸せと思います。
 ----
 
 2006-05-14 (日) 15:38:32
 
 puru
 
 こんにちは、サワさん。
 
 >最後になってその限定はズルイですよ…。(^^;)
 
 ズルイと言われても。(^^;
 ただ、語りたい内容を明確にする為に、対象を絞っただけなんです。
 無資格問題は、その対象を絞らずに一括りで語るとワケワカメになりやすいので。
 
 >「治療」を前面に謳っている原初的慰安的とは言い難い手技の法定外民間療
 >法(○○カイロ、○○療法等)も多数存在する事はご存知でしょうに。

 >まあ私は、その限定内であってもやはり基礎医学的知識が必要と考えますが、
 >もう止めておきますね。
 
 うはは。
 ぼくも、あはき柔や民間療法を含めて基礎医学的知識は必ずしも必要ではないと思います。
 と、対象を広げて書いておきますね。
 
 基礎医学的知識以前に大切なことは。
 あはき柔師は医行為を行う医師ではないという自覚を持つこと。
 治療という言葉を使える資格ではあるけれど、その治療はあくまで「医業類似行為」という、医行為には及ばない類似の行為でしかないという自覚。
 また、診断権を持たないのだという自覚も必要です。
 たとえ基礎医学を学んだとはいえ、医師としての訓練を受けた訳でもなく、他者の体の診断は出来ないのだという自覚。
 
 >私が考える施術者にとって最も大切な医学知識(一般常識?)とは
 >「肩こり・腰痛などの裏にも重篤疾患が潜んでいる場合がある」ということです。
 
 うん。
 これ、一般常識。
 あはき柔師であれ民間療法業者であれ、医師ではない医業類似行為者に一番必要なのは、自分たちには診断出来ないのだという自覚です。
 不明な点があれば、しかるべき医療機関の受診を勧めるというのも常識でしょう。
 
 このような常識的謙虚さを持ちながら誠実に業務を行っていれば、基礎医学的知識なく医業類似行為を行っても何ら問題はないと思うのです。
 
 ----
 
 2006-05-13 (土) 19:23:58
 
 またまたサワです。
 
 >あん摩・マッサージやそれに類似する民間療法に限定すれば、その手技が原初的慰安的であるが故に個人個人がその業務内容を誠実に行っていけば、基礎医学的知識がなくても危険ではないと考えます。
 
 最後になってその限定はズルイですよ…。(^^;)
 「治療」を前面に謳っている原初的慰安的とは言い難い手技の法定外民間療法(○○カイロ、○○療法等)も多数存在する事はご存知でしょうに。
 
 まあ私は、その限定内であってもやはり基礎医学的知識が必要と考えますが、もう止めておきますね。
 
 最後に、もしこの掲示板をご覧になっている無資格施術者の方がおられれば一言申し上げます。
 私が考える施術者にとって最も大切な医学知識(一般常識?)とは
 「肩こり・腰痛などの裏にも重篤疾患が潜んでいる場合がある」ということです。
 Puruさんのおっしゃるとおり
 慰安的手技でも「痛みや症状の軽減、治癒が生じることはかなり多い」です。
 時には悪性疾患の痛みさえも、和らげる力があります。
 しかし、それが裏目に出て発見を遅らせてしまったというケースも報告されています。
 未熟な施術による事故のケースは頭の中にあっても、上手い施術による不幸なケースは意外と盲点になります。
 これだけは常に頭の隅に置いておくべきだと考えてます。
 ----
 
 2006-05-12 (金) 11:34:07
 
 puru
 
 こんにちは、サワさん。
 
 >>有害性が、ただ単なる一部有資格者のイメージや観念であるのに取り締ま
 >>ったのでは、それこそ問題ではないですか?

 >「医療」ってそういうものですか・・・?
 >これもまた「人間観・治療観」の問題ですね。
 
 はい。
 この「医療」という言葉の幅に関しても考慮しなければならないと思います。
 
 取り敢えず鍼灸は別にして。
 あん摩・マッサージ・指圧や民間療法などの手技療法に関して、「医療」と明確に区分出来るものはどれなのか。
 特に、あん摩・マッサージに関してはその手技が原初的(原始的)であるが故に「慰安」の要素が強いです。
 そして、これが他の医行為や医業類似行為にはない、大きな特色にもなっています。
 人が深く慰安された時、痛みや症状の軽減、治癒が生じることはかなり多いです。
 主に身体レベルでのコミュニケ−ションを通して十全に受容、理解される事の効果には、計り知れないものがあります。
 
 人が深く慰安された時に治癒が生じる事が多い。
 この、施術者の第一目的が「慰安」であっても、果たして「医療」と呼べるのでしょうか。
 
 ところで、あん摩・マッサージ師には三つのタイプがあるように思います。
 ・治療を意識しない慰安としてのあん摩・マッサージ。
 ・治療を意識した慰安としてのあん摩・マッサージ。
 ・治療を意識した治療的あん摩・マッサージ。
 
 ほとんどが一番目でしょうし、二番目、三番目は少数、といった感じでしょうか。
 ともあれ、半数以上は慰安目的で行われていると思われます。
 
 >本題の「知識の有無」と「施術の危険性」との関係性についてですが、
 >私には未だに「関係があって当たり前」としか思えません。
 
 上に書いたように、あん摩・マッサージやそれに類似する民間療法に限定すれば、その手技が原初的慰安的であるが故に個人個人がその業務内容を誠実に行っていけば、基礎医学的知識がなくても危険ではないと考えます。
 
 >長い間お付き合いしていただき本当にありがとうございました。
 
 いえいえ、こちらこそです。
 また遊びに来てください。(^^)
 
 ----
 
 2006-05-10 (水) 23:21:13
 
 サワです。
 
 うーん・・・。話がループしてしまいますね。
 
 「害が証明されない限り合法」という現状について、
 >これは、ごく当たり前なことではないですか?
 >有害性が証明、認められれば取り締まる。
 >有害性が、ただ単なる一部有資格者のイメージや観念であるのに取り締まったのでは、それこそ問題ではないですか?
 
 「医療」ってそういうものですか・・・?
 これもまた「人間観・治療観」の問題ですね。
 私とPuruさんのギャップは埋めがたいようです。
 
 本題の「知識の有無」と「施術の危険性」との関係性についてですが、
 私には未だに「関係があって当たり前」としか思えません。
 ですが、データもありませんし、頭が悪いのでそれを証明することはとても困難でした。
 
 できればここでPuruさんに「関係が無い」と思われる理由を聞かせていただきたいのですが
 >いや、これは単に「資格の有無は施術の危険を左右しない」という個人的経験論です。
 >で、別にこの意見に固執したいわけでもないのです。
 ということでしたので、それもあきらめます。
 
 今回の議論では私の考えを論理的に伝えることができずに大変残念
 でしたが、自分の仕事への責任をより明確に意識することができました。
 
 長い間お付き合いしていただき本当にありがとうございました。
 ----
 
 2006-05-10 (水) 11:52:25
 
 puru
 
 こんにちは、あんま初心者さん。
 
 >民間のそれが並んでいるという事実だけをもってブラック・ジャックと決め
 >つけるのは早計かもしれません。
 
 うはは。
 ブラック・ジャックなら素晴らしいじゃないっすか。
 無免許医だけど、天才的技術を持つ人。
 スゴイ。(^^)
 
 というか、ぼく自身は。
 資格のない素晴らしい人々に、技術面にとどまらず精神性に関してもたくさんの事を教えてもらいました。
 もちろん、幾人かの有資格者からも。
 
 >按摩や鍼灸の世界にも名門校というのはあるのでしょうか?
 
 ぼくは20数年前に卒業した身なので、最近の状況はまったくといってよいほど知りません。
 当時でしたら、東洋鍼灸専門学校が伝統ある名門校でしたよ。
 ぼくは受験して落ちましたが。(^^ゞ ウハハ
 
 今は試験内容も変わってますし、新設校も増えたし……。
 ・はりきゅう BBS
 http://www.harikyu.com/bbs2/type-a.cgi
 上記掲示板で質問してみると良いかも知れません。
 鍼灸の専門家が多く集まっていますし、親切な人も多いですよ。
 
 ----
 
 2006-05-10 (水) 10:28:14
 
 あんま初心者
 
 趣味悪いでしょ? ^^; 訳の分からない免状がたくさん並んでいる施術室は異様ですよ。
 そんなこんやで按摩についてあれこれ調べているウチにここのサイトに辿り着いたんです。
 
 ざっとサイトを拝見しましたが、角質除去とか、いま流行の足裏とかは按摩の世界にはないようですし、国家資格を取得していても、あれこれ勉強して多用なサービスを提供したいという態度そのものは悪くないですからね。民間のそれが並んでいるという事実だけをもってブラック・ジャックと決めつけるのは早計かもしれません。まあ、簡単に調べられるようなんで保健所の方に問い合わせてみます。
 
 もうひとつ質問させて下さい。按摩や鍼灸の世界にも名門校というのはあるのでしょうか?東大とか、京大とか、一般の大学と同じように序列があるのでしょうか?民間資格はあれこれ物議を醸しているようなんで、どうせならちゃんとした学校に入ろうと思っているのですが、情報が全くありません。教えて下さると有り難いです。
 ----
 
 2006-05-09 (火) 22:28:44
 
 puru
 
 こんばんは、サワさん。
 
 >話がこんがらがってきましたね。
 >そんなに難しい話だとは思えないのですが・・・。
 
 それほど単純な話しでもないと思いますよ。
 少なくても一般の人や厚労省は別にして、無資格=危険、無資格=違法、とステレオタイプに思考しちゃう人がいるのですから。
 
 >「全くの素人が○○整体と看板を出し、頚を捻ろうが引っ張ろうが、有害性
 >が証明されるまでは取り締まることができない。」単純に、この現状を問題
 >だと思いませんか?
 
 このね。
 「全くの素人が○○整体と看板を出し、頚を捻ろうが引っ張ろうが」というイメージが、具体的に何を指しているのか不明なのですよ。
 
 資格を有し既得権を持つと信じる人々が、無資格=「全くの素人が○○整体と看板を出し、頚を捻ろうが引っ張ろうが」的施術をして危険、と思い描きたい気持ちは分からないでもないですが。
 でもね、有資格・無資格、いずれにしても、同じ人間なのです。
 有資格だから信頼出来る人間とは限りません。
 有資格者が「看板を出し、頚を捻ろうが引っ張ろうが」的施術をしている場合だって同程度あると考えても良いと思いませんか。
 多くの無資格批判の有資格者はそういった思考はしないですが。
 
 そして、国や厚労省が「全くの素人が○○整体と看板を出し、頚を捻ろうが引っ張ろうが」的施術をして危険な状況を野放しにしている、怠慢だ、という有資格者の意見はアチコチで見かけます。
 ですが、本当に怠慢なのでしょうか。
 
 過去、厚労省はカイロの危険な手技を禁止する通達を出しています。
 具体的には、頚椎に対する急激な回転伸展操作を加えるスラスト法の禁止を含むものです。
 法的規定が何らなされていないカイロに対しての、異例ともいえる通達です。
 国や厚労省は、国民の健康を害するおそれに対しては善処していると思います。
 
 有資格者の価値観のみから見れば怠慢と見えても、公衆の利益と安全という見地から見れば、それほど理不尽な対応をしているとは思えないのです。
 
 >有害性が証明されるまでは取り締まることができない。」
 
 これは、ごく当たり前なことではないですか?
 有害性が証明、認められれば取り締まる。
 有害性が、ただ単なる一部有資格者のイメージや観念であるのに取り締まったのでは、それこそ問題ではないですか?
 
 ですので、やはり、その有害性を具体的に提示してくれないと、ぼくも一般の人も厚労省も、その危険性には目覚めないのです。
 危険が事実あるのであれば、それを知りたいのです。
 
 >施術の危険性は「個人個人の業務内容に対する姿勢」「人間観や治療観」と
 >深く関わりがあると思います。
 >それはもちろん否定しません。
 >「知識」よりも重要とも考えています。
 
 学ぶべきものは、個人が選択するものだと思ってますよ。
 
 ----
 
 2006-05-09 (火) 22:27:57
 
 puru
 
 >どこまでが引用文かわかりにくくなってしまいました。
 
 こちらこそ申し訳ないです。
 ちょと設定をいじったら、変なことになってしまいました。(^^ゞ
 
 ----
 
 2006-05-09 (火) 20:59:16
 
 サワです。
 
 どこまでが引用文かわかりにくくなってしまいました。
 すみません。
 ----
 
 2006-05-09 (火) 20:56:55
 
 サワです。
 
 話がこんがらがってきましたね。
 そんなに難しい話だとは思えないのですが・・・。
 
 「全くの素人が○○整体と看板を出し、頚を捻ろうが引っ張ろうが、
 有害性が証明されるまでは取り締まることができない。」
 単純に、この現状を問題だと思いませんか?
 
 >1.この「学ぶべき」というのは、2.にあるような社会的な規則や法律なのか。
 >2.または「学ぶべき」というのは、個人個人に求めている心構えなのか。
 国家試験云々はさておいての「学ぶべき」と考えてください。
 
 >3.「最低限の医学知識」とは西洋医学的基礎医学を指すのか。
 >4.または「人の体に触れる職業」それぞれの専門分野的基礎知識のことか。
 「何を学ぶべきか」はまた議論の分かれるところだと思います。
 ここでは限定せず「必要と思われる知識」と考えてください。
 
 >5.「人の体に触れる職業」とは、あはき柔業に法定外民間療法を含めているのか。
 あはき柔業も法定外民間療法も含めて考えています。
 
 >ぼく、意外と好きですよ、この「人に害を与えない程度」ってヤツ。
 私は嫌いです。
 法定外民間療法であろうと、その門を叩くのは病に苦しむ方々です。
 有害性が証明されてからでは遅すぎます。
 
 Puruさんのおっしゃる通り、施術の危険性は「個人個人の業務内容に対する姿勢」
 「人間観や治療観」と深く関わりがあると思います。
 それはもちろん否定しません。「知識」よりも重要とも考えています。
 
 ----
 
 2006-05-09 (火) 19:29:17
 
 puru
 
 Swikiが使用不能になって2週間ほど経過。
 「[[操体掲示板>http://otd7.jbbs.livedoor.jp/710060/bbs_plain]]」 の管理グループの好意で「[[やじうまこみゅ>http://yajiuma.pupu.jp/yajiumapuki/]]」というPukiwikiを設置出来ました。
 
 「[[気まぐれ板 逍遙>http://yajiuma.pupu.jp/yajiumapuki/index.php?%B5%A4%A4%DE%A4%B0%A4%EC%C8%C4%20%ED%F6%F4%A3]]」もそこで復活。
 
 「やじうまこみゅ」自体まだ作りはじめですが、これからぼちぼちと全体を整えていくつもり。
 
 ----
 
 2006-05-09 (火) 19:23:03
 
 puru
 
 >私も、あれこれ勉強したくなって色々と資料を揃え始めたんですが、今まで
 >時折利用していた近所にあるサロンが怪しく思えてきた ^^;
 
 うはは、なかなか怪しさ満開のサロンですね。
 というか、センス悪ぅ。(^^;
 資格ヲタクなのかなぁ。
 
 そゆのが説得力あると思っているのでしょうね。
 で、それに説得力を感じる人もいるのかも。
 
 ----
 
 2006-05-09 (火) 19:17:56
 
 puru
 
 こんにちは、いちごさん。
 
 >程度問題となると、主観的要素が大きく、やはり判例が一つの基準となるよ
 >うですね。
 
 うん。
 判例も前提とはなるけれど、事のはじまりは「苦情」や「訴え」からですよね。
 けっこう乱暴なことをやっていたとしても、そこに密な信頼関係が成立していて、「苦情」や「訴え」る人がいなければ問題になることはないんですよね。
 資格を有していたとしても「苦情」や「訴え」る人が現れれた場合、経営に違法性があったり人の健康を損なうようなことをしていれば、法に問われることになるかも知れません。
 
 資格・無資格以前に、違法・適法以前に、誠実に誠実に業務を行うことが求められると思うのです。
 それでも現代社会では、勝手な思い込みから「苦情」や「訴え」をおこす人がいそうなので万全ではないのですが。
 
 ----
 
 2006-05-09 (火) 03:32:41
 
 あんま初心者さん
 
 早速の回答、どうもありがとうございます。
 上手いヘタというのは主観もあり、気に入らなければ他の治療院に行けば良いことなんで追求はしようと思わないんですが・・・
 
 国家資格所持者なのに民間資格の、平たくいえば民間資格の賞状がずらりと並んでいるんです ^^; これだけだと分かりにくいと思いますが、そこは上海中医薬大学と深い交流の下設置された学校も兼ねていて、今風の雰囲気のサロンを併設しているんですが、サイトを見ると、学校名が書いてあるだけで責任者の名前が一切伏せてあるんです。しかも、国家資格所持者なのに全国整体療法協同組合なるユニフォームを着ている。
 
 国家資格に受かった人間が、わざわざ民間資格の賞状を院内に飾り、全国整体療法協同組合なる意味不明のユニフォームを着ながら、卒業していない上海中医薬大学の手技を教えながら今風のサロンを経営している、そんな状態はあるのかな?とふと疑問に思ったんです。
 
 私も、あれこれ勉強したくなって色々と資料を揃え始めたんですが、今まで時折利用していた近所にあるサロンが怪しく思えてきた ^^;
 ----
 
 2006-05-09 (火) 01:13:16
 
 いちごです。
 
 >ぼく、意外と好きですよ、この「人に害を与えない程度」ってヤツ。
 
 程度問題となると、主観的要素が大きく、やはり判例が一つの基準となるようですね。
 となると、違法か否かの議論は、条文で判断するだけでなく、やはり判例も必要になりますね。
 
 「A曲とB曲が似ている」
 どの程度というのが、判例が一つの基準となっているように。
 ----
 
 2006-05-08 (月) 19:01:40
 
 puru
 
 はじめまして、あんま初心者さん。
 
 >初歩的な質問なんですが、当人が国家資格たる按摩に受かっているかどうか
 >はどこで調べられるのでしょう?
 
 鍼・灸・あん摩・マッサージ・指圧、またはこれらの内のどれかを掲げている治療院ならば、その名称で地域の保健所に問い合わせれば分かりますよ。
 もしその名称で登録してあれば資格者だと思われます。
 たまに経営者と施術者本人が違う場合がありますが、施術者の名前も含めて問い合わせれば分かると思います。
 
 >本人は国家資格所持者だといっているのですが、院内には経歴を示すものが
 >何もないのです。
 
 資格の有無を調べたいという動機は何でしょうか?
 下手だったとか。(^^;
 
 ていうか、ウチの治療室にも経歴を示すものは掲示してなかった。(^^ゞ
 
 ----
 
 2006-05-08 (月) 18:49:40
 
 puru
 
 こんにちは、いちごさん。
 
 >「人に害を与えない程度」っていうのも、とても曖昧ですねー。
 
 ぼく、意外と好きですよ、この「人に害を与えない程度」ってヤツ。
 
 この言葉を厚労省から導き出した「エーワン」という所の検挙例が象徴的だと思うのですが。
 経営至上主義的なあこぎな経営やずさんな施術内容では検挙されますよ、という重石。
 
 「人に害を与えない程度」という重石をちゃんと頭の上に乗せて、様々な民間療法業者さんたちには謙虚に真摯に頑張って欲しいです。
 
 ----
 

hisanoyu dharmaya secondlife

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