夫れ無病長生にして、諸人の苦しみを救わんと思わば、専ら導引按摩すべし。 然りと雖も正しき訓(おしえ)をうけずんば、良能に至りがたし。 かるが故に古今導引集を撰んで、其の要をあらわす。 読誦工夫すべし。 心に得て手に及ぼす業わざなれば、詳しく述ぶるを能わず。 今先師の言(ことば)を俗字に綴り、些(いささか)初学の為にす。 僅かに便りとも成らんかし。 後裔此の術(みち)に通暁して鍼灸薬及びがたき患(うれえ)を救い、 齢を千歳に延びる者あらば、 是れ予が願う処なり。 宝永の頃早苗月、武江の侠客 養陽子 筆を普齋の益壽軒に染むる者なり
本書冒頭にはこのように記されています。
『 無病長命となり、諸人の苦しみを救わんと願うのならば、専ら導引按摩しなさい
とはいえ、正しい教えを受けることがなければ、良い効果には至り難い
その為、古今導引集を撰び、その要点を記すこととした
読誦して工夫しなさい
心得した上、手により働きかける術(わざ)であるので、詳しく述べることは出来ない
今、ここに先師大久保道古が長崎にて明の澄相公より伝授された言葉をやさしく綴り、
いささかなりとも初学の者の為としたい
僅かなりとも道しるべとなることを願う
後に続く者がこの術に通暁して鍼灸、薬も及ばない病を救い、
寿命が千歳にも延びる者があれば、それこそ私が願うところだ 』
古今導引集を著したのは、本書「導引口訣鈔」著者・宮脇仲策の師・大久保道古。
大黒貞勝編著「導引口訣鈔」の註によれば
ここに古今導引集とあるのはおかしい。 本書は同学の大久保道古の書でその内容は導引口訣鈔と殆ど同様のものであり、 更に一愚子著「導引秘傳伝指南鈔」があり、この方は口訣鈔と同一のものである。
とあり、この冒頭での古今導引集の著述が間違っていることを指摘しています。
確かに、導引口訣鈔の序で突然「古今導引集を撰んで、其の要をあらわす」という文章は、文脈上からもおかしいように思えますし、ぼく自身も疑問に思っていました。
ですが、長尾榮一著「江戸時代按摩手技の文献的考察」に
本書は、中国の古法按摩を体得している明の澄相公および大久保道古 (澄相公の教えを受けた)の影響を受けている。 1707(宝永4)年に著された『古今導引集』(大久保道古編集、宮脇仲策同校) は本書の総論にあたり、按摩の術式については余り述べられていないが、 『導引口訣紗』を理解する上で参考になる。
とあり、やっと疑問が解消しました。
原書の「古今導引集ヲ撰(エラン)デ・其ノ要ヲアラワス」を、大黒氏は「古今導引集を著述して、導引の大切な所を述べることにした」と読んでいますが、「古今導引集を選び、その古今導引集の要点をここに記す」と読めば、しっくりとくる文章です。
この「導引口訣鈔」の元となった「古今導引集」も是非読んでみたいものです。
大黒氏編著「導引口訣鈔」(谷口書店)は、大黒氏独自の現代語に直してあるので、全体像を掴むには最適な本なのですが、手技内容を細かく検討するにはお勧め出来ない本です。
手技の微妙なニュアンスを調べるには、やはり原書(京都大学電子図書館版等)にあたった方が良いと思います。
このサイトでテキスト化をはじめたのも、原書のまま漢字ひらがな表記に直したものを読みたかったからなのです。
「導引口訣鈔」の「養生按摩の訓」で使われる手技に関して、「江戸時代按摩手技の文献的考察」(長尾榮一)では手技用語の出現頻度を調べてくれています。
手技 出現回数 摩でる 43回 砕く 11回 解く 10回 動す 5回 (分肉)解結する 4回 訣 3回 摩解する 2回 和げる 2回 甘げる 1回 按摩する 1回
長尾氏は上記用語を抽出し、それぞれの手技を「軽擦法」「揉捏法」「圧迫法」に分類。
手技 計 軽擦法 49 揉捏法 35 圧迫法 1
とまとめています。
それにしても「江戸時代按摩手技の文献的考察」は有り難い資料です。
こういった地味な抽出作業を行ってくれた論文があるおかげて、それを元にいろいろな考察や推測が出来ますから。
(感謝>長尾榮一氏)
長尾氏は、上記のように「軽擦法」「揉捏法」「圧迫法」に分類してはいますが、個人的には軽擦法に分類して方が良い手技も多いのではないかと思っています。
それも含め、次に同時代に出版された百科全書「和漢三才図絵」から手技を検討してみたいと思います。
正徳2年(1712)頃発刊された寺島良安編著による本邦初の百科事典。
百五巻81冊に及ぶ。
編著者寺島良安は法橋の位をもつ大阪の城医であるが、生没年その他経歴など詳しいことは分かっていない。
編著の動機は師和気仲安より「良医たるべき資格として天人地の三才に通じる」旨示唆されたことであると記されている。
「和漢三才図絵 国会図書館デジタルアーカイブ
まずは、「和漢三才図絵」中より、手技につながりそうな記述をピックアップ。
(「東洋文庫」訳を参考にはしましたが、原文のニュアンスが消えていると思われる部分もあるのでデジタル画像原文の漢文を自己流にて読み下し。とはいへ、デジタル画像がまた不鮮明な所多し。)
巻第七「人倫類」より「按摩 (導引)」按ずるに凡そ経絡を摩さすり按じ、痃癖けんぺきを引き擦さする、之術保養中の一事也。
素問奇恒論に云う、爪苦く手に毒ありて善よく傷つく事爲すは、積しゃくを按じ痺を抑え使む可し。
後漢の華陀按摩し能く人を活かす。
巻第十二「支体部」より「手の用」按(おさへる)-音は安
按(乎左倍留-おさへる)は抑(おさへる)也。一の指にて按(おさへる)を擪(音は葉-よう)と曰ふ。
撫(なてる)-音は府
撫(奈天留-なてる)は摩也。
捼(もむ)-音は那(ダ)
捼(毛無-もむ)は兩の手にて切摩する也。挼(同じ)。