一部抜粋
追々其の年も冬になりまして、十一月十二月となりますと、奥様の御病気が漸々悪くなり、その上寒さになりましてからキヤ/\さしこみが起り、またお熊は、漸々お腹が大きくなって身体が思う様にきゝませんと云って、勝手に寝てばかり居るので、殿様は奥方に薬一服も煎じて飲ませません。
只勘藏ばかりあてにして、
新「これ/\勘藏」
勘「ヘエ、殿様貴方御酒ばかり召上って居て何うも困りますなア奥様は御不快で余程御様子が悪いし、殊には又お熊様はあゝやって懐妊だからごろ/″\して居り、折々奥様は差込むと仰しゃるから、少しは手伝って頂きませんじゃア、手が足りません、私は若様のお乳を貰いに往くにも困ります」
新「困っても仕方がない、何か、さしこみには近辺の鍼医を呼べ、鍼医を」
と云うと、丁度戸外にピー、と按摩の笛、
新「おゝ/\丁度按摩が通るようだ、素人療治ではいかんから彼れを呼べ/\」
勘「ヘエ」
と按摩を呼入れて見ると、怪し気なる黒の羽織を着て、
按摩「宜しゅう私が鍼をいたしましょう、鍼はお癪気には宜しゅうございます」
というので鍼を致しますと、
奥方「誠に好い心持に治まりがついたから何卒明日の晩も来て呉れ」
と戸外を通る揉療治ではありますが、一時凌ぎに其の後五日ばかり続いて参ります。
すると一番しまいの日に一本打ちました鍼が、何う云うことかひどく痛いことでございましたが、是は鍼に動ずると云うので、
奥方「あゝ痛、アいたタ」
按摩「大層お痛みでございますか」
奥方「はいあゝ甚く痛い、今迄斯んなに痛いと思った事は無かったが、誠に此の鳩尾の所に打たれたのが立割られたようで」
按摩「ナニそれはお動じでございます、鍼が験ましたのでございますから御心配はございません、イエまア又明晩も参りましょうか」
奥方「はい、もう二三日鍼は止めましょう、鍼はひどく痛いから」
按摩「直き癒ります、鍼が折れ込んだ訳でもないので、少しお動じですからナ、左様なら御機嫌よろしゅう」
と僅の療治代を貰って帰りました。すると奥方は鍼を致した鳩尾の所が段々痛み出し、遂には爛れて鍼を打った口からジク/\と水が出るようで、猶更苦しみが増します。
七
新左衞門様は立腹して、
新「どうも怪しからん鍼医だ、鍼を打ってその穴から水が出るなんという事は無い訳で、堀抜井戸じゃア有るまいし、痴呆た話だ、全体何う云うものかあれ限り来ませんナ」
勘「奥方がもう来ないで宜いと仰しゃいましたから」
新「間が悪いから来ないに違いない、不埓至極な奴だ、今夜でも見たら呼べ」
と云われたから待って居りましたが、それぎり鍼医は参りません。
すると十二月の二十日の夜に、ピイー/\、と戸外を通ります。
新「アヽあれ/\笛が聞える、あれを呼べ、勘藏呼んで来い」
勘「ハイ」
と駈出して按摩の手を取って連れて来て見ると、前の按摩とは違い、年をとって痩こけた按摩。
新「何だこれじゃア有るまい、勘藏違って居るぞ」
按摩「ヘエお療治を致しますか」
新「何だ汝ではなかった、違った」
按摩「左様で、それはお生憎様でございますが何卒お療治を」
新「これ/\貴様鍼をいたすか」
按摩「私は俄盲人でございまして鍼は出来ません」
新「じゃア致方が無い、按腹は」
按摩「療治も馴れません事で中々上手に揉みます事は出来ませんが、丈夫な方ならば少しは揉めます」
新「何の事だ病人を揉む事はいかぬか、それは何にもならぬナ、でも呼んだものだから、勘藏、これ、何処へ行って居るかナ、じゃア、まア折角呼んだものだからおれの肩を少し揉め」
按摩「ヘエ誠に馴れませんから、何処が悪いと仰しゃって下さい、経絡が分りませんから、こゝを揉めと仰しゃれば揉みます」
と後へ廻って探り療治を致しまするうち、奥方が側に居て、
奥方「アヽ痛、アヽ痛」
新「そう何うもヒイ/\云っては困りますね、お前我慢が出来ませんか、武士の家に生れた者にも似合わぬ、痛い/\と云って我慢が出来ませんか、ウン/\然う悶えては却って病に負けるから我慢して居なさい、アヽ痛、これ/\按摩待て、少し待て、アヽ痛い、成程此奴は何うもひどい下手だナ、汝は、エヽ骨の上などを揉む奴が有るものか、少しは考えて遣れ、酷く痛いワ、アヽ痛い堪らなく痛かった」
按摩「ヘエお痛みでござりますか、痛いと仰しゃるがまだ/\中々斯んな事ではございませんからナ」
新「何を、こんな事でないとは、是より痛くっては堪らん、筋骨に響く程痛かった」
按摩「どうして貴方、まだ手の先で揉むのでございますから、痛いと云ってもたかが知れておりますが、貴方のお脇差でこの左の肩から乳の処まで斯う斬下げられました時の苦しみはこんな事では有りませんからナ」
新「エ、ナニ」
と振返って見ると、先年手打にした盲人宗悦が、骨と皮許りに痩せた手を膝にして、恨めしそうに見えぬ眼を斑に開いて、斯う乗出した時は、深見新左衞門は酒の酔も醒め、ゾッと総毛だって、怖い紛れに側にあった一刀をとって、
新「己れ参ったか」
と力に任して斬りつけると、
按摩「アッ」
と云うその声に驚きまして、門番の勘藏が駈出して来て見ると、宗悦と思いの外奥方の肩先深く斬りつけましたから、奥方は七転八倒の苦しみ、
新「ア、彼の按摩は」
と見るともう按摩の影はありません。
新「宗悦め執ねくもこれへ化けて参ったなと思って、思わず知らず斬りましたが、奥方だったか」
奥「あゝ誰を怨みましょう、私は宗悦に殺されるだろうと思って居りましたが、貴方御酒をお廃めなさいませんと遂には家が潰れます」
と一二度虚空をつかんで苦しみましたが、奥方はそのまゝ息は絶えましたから如何とも致し方がございませんが、この事は表向にも出来ません。
殊には年末の事でございますから、これから頭の宅へ内々参ってだん/″\歎願をいたしまして、極内分の沙汰にして病死のつもりにいたしました。
昔は能く変死が有っても屏風を立てゝ置いて、お頭が来て屏風の外で「遺言を」なんどゝ申しますが、もう当人は夙に死んでいるから遺言も何も有りようはずはございません。
この伝で病気にして置くことも徃々有りましたから、病死の体にいたして漸くの事で野辺送りをいたしました。
底本:「圓朝全集 巻の一」近代文芸資料複刻叢書、世界文庫
1963(昭和38)年6月10日発行
底本の親本:「圓朝全集巻の一」春陽堂
1925(大正15)年9月3日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
ただし、話芸の速記を元にした底本の特徴を残すために、繰り返し記号は原則としてそのまま用いました。同の字点「々」と同様に用いられている二の字点(漢数字の「二」を一筆書きにしたような形の繰り返し記号)は、「々」にかえました。
また、総ルビの底本から、振り仮名の一部を省きました。
底本中ではばらばらに用いられている、「其の」と「其」、「此の」と「此」、「彼(あ)の」と「彼(あの)」は、それぞれ「其の」「此の」「彼の」に統一しました。
また、底本中では改行されていませんが、会話文の前後で段落をあらため、会話文の終わりを示す句読点は、受けのかぎ括弧にかえました。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:小林 繁雄
校正:かとうかおり
ファイル作成:かとうかおり
2000年4月18日公開
青空文庫作成ファイル:
一部抜粋